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求めのヴォーチェ
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(ここ……)
SHIZUKUが辿りついたのは見覚えのあるブティック。数カ月前に訪れた時に起きたことを、もちろん忘れていない。
(本当に営業再開してるみたい)
いつものようにネット上の怪奇情報を漁っていた時に見つけた噂。数カ月前にイアル・ミラールが女主人を倒して潰したはずのブティックが営業を再開しているというもの。イアルが店を潰してから数ヶ月はこのブティックの噂は聞かなかった。それがここ最近また復活したようなのだ。
(もしかして、また?)
SHIZUKUの脳裏に蘇るのはあの時の恐怖、絶望。震えだした指先を片方の手で包んで、鎮まれと念じながら入り口へと近づく。
そっと手を伸ばして入り口を開ける。無意識に身構えてしまったことにSHIZUKU自身は気が付かなかった。
「あ……」
小さく漏れた声は安堵。店の内装もレイアウトも以前とは変わっていて、やけにたくさんのマネキンが着ている服も以前とは少しテイストが違っていた。
「いらっしゃい」
SHIZUKUの訪れに気がついて声をかけてきた女主人は短めの髪に耳元で揺れるイヤリングが印象的な美人で、前の女主人とは明らかに別人だった。そのことに胸をなでおろすと、SHIZUKUは品物を見るふりをしながら、この店が都市伝説となっている所以を探ろうと店内を見て回り始めた。
「気になるものはあったかい? 気軽に試着してくれても構わないよ」
「そ、そうだなぁ、このスカートとか可愛くて気に入っちゃったかな!」
流石に都市伝説となっている所以を探していますとは言えない。女主人の勧めに、SHIZUKUは一着のスカートを手にして試着室へと入った。
以前も試着室に設置された罠にかかったことは、店内や女主人が違うことに安堵して忘れてしまっていた。
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ブティックにはマネキンが一体増えた。そのマネキンがオカルト系アイドルのSHIZUKUに似ているだなんて誰も思わない。服を見に来た客は、マネキンの顔なんかよりも着ている服を見るのだから。
試着室の罠で地下へ落とされたSHIZUKUは女主人の催眠術に掛けられ、昼間はこうしてマネキンとして店頭に並んでいる。都市伝説とされていてなかなか見つけることができないこの店に再び訪れることができた時点でそれは仕組まれていたのだ。女主人である魔女が結界を緩め、わざとSHIZUKUをおびき寄せたのだから。
最初にこの店を切り盛りしていた魔女である女主人を倒したことでSHIZUKUの存在は他の魔女たちの認知するところとなっていた。今回のこの女主人は魔女結社から仕入れた人形化薬でSHIZUKUだけでなく、幾人もの少女たちをマネキンに変えて店に飾り、または実験の素材として他の魔女たちに売っている。
「店じまいだよ。マネキンを洗いな」
「……はい」
生身に戻されたSHIZUKUは毎夜、命令されるがままに他のマネキンたちを洗わされている。掛けられた催眠術は強力で、SHIZUKUは女主人の従順なしもべと成り果てていた。他の少女たちの成れの果てであるマネキンを地下に運び、冷たい水と小さなブラシで綺麗に洗っていく。水の冷たさに指先が赤くなっても、彼女はマネキンを洗い続ける。それが命令だから。
「クックックッ……」
その姿を楽しそうに眺めていた女主人は、突然指を鳴らした。SHIZUKUの動きが止まる。戻ってきたのは水の冷たさと冷えた指先の痛さ、そして――恐怖。
「……!」
ブラシを投げ捨ててSHIZUKUは駆け出した。女主人は地下室の入口から一番遠いところにいる。SHIZUKUは地上へ向かう階段に続く扉を開け、駆け上がる――女主人がゆっくりと、動き出したことも知らずに。
(逃げなきゃ、逃げなきゃっ……!)
それだけが頭のなかを占めていた。SHIZUKU自身は魔女たちの目的や意図、繋がりなどわかっていない。自分が危険な目に合うのは、怪奇現象を探るから、怪奇現象を追い求めるには危険はつきものだと、そう思っている。
とにかく店から出れば、店から出なければ助からない、それだけは確かだと思っていた。凍えた指先で店の入口の内鍵を開け、扉を開ける。
(ああ、これで助かるんだよね……!)
湧き上がる希望と喜び。だが、それは一瞬で打ち砕かれた。
店から一歩外に出たSHIZUKUの身体は、再びマネキンと化してしまったのだ。
「あははははっ! お前はもうここから逃げられないんだよ!」
漸く見い出した希望の後に訪れる絶望。女主人にとって絶望の瞬間を切り取った顔をしたSHIZUKUのマネキンの表情は、何よりも愉しく、美味しい。
再び朝が来れば、SHIZUKUのマネキンは店頭に飾られる。誰も、マネキンの表情が変わっていることになんか気づきもしない。
昼間の間はマネキンとして、夜になると女主人の従順なしもべとして。こんな風に過ごす日が何日続いたのだろう。SHIZUKUには日付の感覚すらなくなっていた。
時折、女主人はSHIZUKUに掛けた催眠術を解く。そのたびにSHIZUKUは店からの脱出を試み、そして再びマネキンと化すという工程を繰り返していた。女主人はそんなSHIZUKUの憐れな姿を見るのを何よりも楽しみにしているようだった。
だがそんなことを繰り返すうちに先にヒビが入ったのはSHIZUKUの心のほうだった。何度脱出を試みても無駄だ、諦めが先行してしまい、正気に戻されても走って店から出る気力すら失っていた。けれどもこの状況から脱出したい、その気持は僅かに残っていた。
店の扉を開けたSHIZUKUは店からは出ず、店頭で歌を歌った。誰かがこの歌声を聞きつけて助けに来てくれることを願って。
「そんなことをしても無駄だよ」
歌を歌える時間はその時によってまちまちだった。女主人の機嫌が良ければ、無駄なことをしているSHIZUKUを楽しそうに眺めているその間。機嫌が悪ければ、強制的にマネキンに戻されるほんの僅かな時間だけ。
(……お願い。もう、これしか……)
けれどもSHIZUKUは、歌を歌うことだけはやめようとしなかった。
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(一体どこへ行ってしまったというの?)
SHIZUKUと連絡が取れなくなってから約一ヶ月。イアルは失踪してしまったSHIZUKUを探し続けていた。失踪前に彼女が以前潰したブティックの噂を気にしていたということは突き止めていた。だが、イアルはそのブティックを見つけることができないでいた。恐らく結界によって隠されているのだろうと予想がつく。けれどもあちらから迎え入れられなければ、イアルはその結界を抜けることはおろか店の正しい位置を把握することはできない。
(なにか、なにか方法があるはずよ)
夜になってもSHIZUKUを探して繁華街の路地裏を歩くイアル。もう深夜というよりも夜明けが近い。けれどもなんとか彼女の居場所を突き止められないかと意識を集中させる。このところ毎日繰り返しているこの行動。しかし。
――♪ ――♪
(……!)
この夜は違った。微かではあるがどこからか歌声が聞こえる。
イアルは目を閉じて、耳にすべての神経を集中させた。歌の発信源を探る。
――助けて……助けて……。
イアルの心に届いたのは、諦めに濁りつつも最後の希望にかける気持ち。
(SHIZUKU? SHIZUKUなのね!?)
不思議と確信があった。この歌声はSHIZUKUの、助けを求めるサインだと。
イアルは駆ける。歌が途切れてしまう前に、と。この歌声が唯一の手がかり、唯一のしるべ。今これを失ってしまったら、二度と得られるかどうかわからない。
「行き止まり……」
歌声を辿ってきたはずなのに、イアルの目の前に姿を見せたのは無機質なコンクリートの壁だった。確かにこの向こうから歌声が聞こえるはずなのに。
――♪ ――♪
ゆらっ……。
「!」
一瞬強くなった歌声。共鳴するように目の前の壁がゆがんで見えた。歪んだ景色の向こうに見えるのは、見覚えのある外観の店。
しかし歪んだ景色は数瞬で元のコンクリートの壁に戻ってしまった。
――♪ ――♪
再び強くなった歌声にまた壁が歪む。迷っている暇などなかった。歌声はいつ途切れるかわからないのだ。瞬時にイアルは歪んだ景色の向こうへと飛び込んだ!
その判断は正解だった。歌声が産んだ結界の亀裂に飛び込めたのだろう、イアルの前には例のブティックがある。そして先ほどの強い歌声を最後に歌声は途切れてしまったのだ。
朝日がゆっくりと昇り始めてきた。朝日を受けたショーウィンドウの向こうにたくさんのマネキンが見える。そしてその中には――。
「SHIZUKU!」
跳ねるように反応したイアルは、勢い良く店の扉を開けた。それを待っていたかのように飛んできたのは無数の糸。とっさに顕現させたロングソードで糸を切断し、絡め取られるのを防ぐ。
「招かれざる客、だね」
「助けを呼ぶ声に応えに来たのよ」
結界内に侵入した時に結界の主に感知されているだろうことは予想していた。糸の第二波が自身に到達する前に、イアルは女主人との距離を詰める。糸をカイトシールドで受ける。わざとカイトシールドを絡め取らせ、女主人の気がそちらに取られている隙にロングソードを振り下ろした。
「くっ……」
女主人は傷口を押さえ、自らカイトシールドの束縛を解いて後退する。それが悪手であることを女主人が気づいたのは、自分の胸にロングソードが刺さってからだった。
「お前が……仲間たちを……」
今更気づいても遅い。女主人は仲間の魔女たちに何らかの痕跡を残す前に、石つぶのように砕け散って消えた。
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「SHIZUKU、SHIZUKU!」
地下で見つけた解除薬を使ってイアルはSHIZUKUのマネキン化を解いた。膝から崩れ落ちたSHIZUKUを抱きとめ、名を呼びながら揺する。だがSHIZUKUは焦点の合わない瞳で宙を見つめているだけだ。
「助けに来たのよ、助かったのよ!」
絶望と諦めに支配されつつあったSHIZUKUの心を取り戻すべく、イアルは何度も何度も言葉をかける。
「帰りましょう、SHIZUKU」
「……い……いあ、る、ちゃ……」
ゆっくりと、ゆっくりとSHIZUKUの瞳に光が戻っていく。SHIZUKUを抱きとめるイアルのぬくもりが、SHIZUKUの心のヒビを癒やしいてく。
「あた、し……たすか……」
長いこと歌うことを繰り返していたのだろう、彼女の声はやや枯れている。
「助かったのよ、帰りましょう」
「こわか、こわかっ……」
ぎゅ。SHIZUKUの両腕がイアルの首に回される。しゃくりあげる彼女の背中を、イアルは幼子にするようにぽんぽんと優しく叩いた。
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
【7523/イアル・ミラール様/女性/20歳/裸足の王女】
■ ライター通信 ■
この度はお届けが遅れてしまい、申し訳ありませんでした。
またのご依頼ありがとうございました。
とても嬉しく思います。
イアル様とSHIZUKUの絆が段々と強くなっていくのを感じつつ、うまく表現できればと毎回思っております。
もちろん、今回もまた、楽しく書かせていただきました。
少しでもご希望に沿うものになっていたらと願うばかりです。
この度は書かせていただき、ありがとうございました。
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