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<東京怪談ノベル(シングル)>


Life is a game, play it.


 ■0■

 ランタンがもたらす心許ない灯りを頼りに、体にまとわりつくかび臭く湿気を帯びた空気を掻き分けるようにしてイアルはその闇の中を進んだ。鼻腔に突き刺さるような汚臭は呼吸をするたびに吐き気をもたらす。当然だ。ここは下水道なのだから。
 それでもイアルは悪臭漂うその中にその場所には不釣り合いな甘い香りが混じっている事に気付いていた。最初は見落としそうになるほどの小さな可能性だったが、今ははっきりと感じ取れる。この先に、女神モリガンがいるのだと。
 確信と期待と、ある種の不安が彼女の胸をついた。


 邪龍は倒した筈なのに――。





 ■1■

「邪龍に攫われ、封印されし女神を助けるゲーム…ねぇ」
 イアルはパッケージの表に書かれた煽り文句を口にしながらそれを開いた。銀色の円盤を取り出しパソコンにセットして読み込まれるまでの間、説明書をペラペラとめくる。
 アンティークショップ・レンに“あの”『白銀の姫』のプログラムを流用して作られた同人ソフトが仕入れられたのは数日前の事だ。『白銀の姫』の“呪い”までコピーされてしまったこのゲームソフトを不用意に売るわけにもいかず、困った店は処分のためイアルに解呪を依頼したのである。
 程なくポップアップメニューにインストール終了の文字がでる。アイコンをクリックしてさっそくゲームを起動してみた。「新しくゲームを始めますか?」という問いに「はい」と答えると、職業から装備品、各種パラメータなどを設定するための登録画面が出てくる。最初は間違いなくそれらは画面上で行われていた。行われていたはずだ。
 だが、どこからどう変わってしまったのか、問いも回答もいつしかカーソル移動ではなく脳内で行われ、気付けばイアルは中世ファンタジーの世界に佇んでいた。
「ここは…?」
 『白銀の姫』の“呪い”を解くはずが、どうやらその呪いに囚われてしまったらしい。
 確か初期設定で自分は職業に巫女を選択したはずだ。斜め読みの説明書のうろ覚えの記憶を辿る。
 それから辺りをゆっくり見渡した。大きな白亜の建物がある。木々で周囲を覆われていること、巫女という設定。これらから推測して建物は森の中の神殿といったところだろうか。ここはその裏庭のようだ。緑の芝に水を張った円形のプールと噴水のようなものもある。
「イアル?」
 名を呼ばれてイアルは声の主を振り返った。
「はい、女神様」
 自然漏れる笑み。無意識に声の主に傅いていたのはゲーム上のプログラムによるものか、それとも…。
 女神モリガン。異界アスガルドの管理者とは『白銀の姫』からコピーされたデータである。
「ふふふ、2人の時はお姉さまと呼びなさいといつも言っているでしょう」
 困った子ね、とばかりにイアルと同じ赤い目を細めてモリガンは優しく微笑んだ。
「すみません、お姉さま」
 恐縮しているイアルの前にモリガンが立つ。不思議だった。お姉さまと呼ぶだけで気恥ずかしい気分になる。とんでもない設定だ。
 イアルの頭上のベールを止めるティアラが歪んでいたのか、モリガンがベール越しにイアルの髪に触れた。何故だか赤らむイアルの頬にモリガンの白く細い指が触れる。視線を俯けた先にはモリガンの大きな胸があった。その視界を遮るようにモリガンがイアルの顔を覗き込む。
「沐浴、手伝ってくれるかしらね?」
「もちろんです」
 なるほど、プールと思っていた場所は沐浴のための水浴び場だったらしい。
 モリガンの脱衣を手伝う。彼女の柔らかで滑らかそうな肌が露わになった。水浴び場へ脚を進めるモリガンにイアルも慌てて服を脱ぐと後に続く。寒くも暑くもない陽気に心地のいい風が吹いていた。
 水浴び場の縁に腰掛けるモリガンに促されるままに御髪を梳く。長く美しい銀色の髪に飛沫が垂れ、陽の光を浴びて更にそれはキラキラと輝きを増していた。
 モリガンの肩から腕にかけて伝い落ちる滴にそっと触れると、どうしたのかと問いかけるような仕草で彼女が振り返った。その長い睫の下から覗く甘いまなざしにイアルはドキッとする。触れている指先が熱い。顔も熱い。それを隠すようにイアルは言葉を紡ぐ。
「お背中お流しいたしますわ、お姉さま」
 背中と言わず前も後ろも頭から足の先まで清め、この胸で洗い、この両の手で撫で回したい。
 そんな不遜な考えが瞬く間に意識の半分以上を占め始める。ゲームだと思っているからだろうか、それは自制心という想像以上に低い壁を簡単に乗り越えようとしていた。
 手のひらでそのすべすべの背中を洗うように見せかけて、くびれた腰のラインをなぞり肩胛骨から肩口へ指を這わせてしまう。とはいえ。
「んっ…くすぐったいわね」
 と体を小さく弾ませながらも窘めるでも止めるでも、ましてや抵抗するでもないモリガンにイアルは更に調子づくしかなかった。
「お姉さま…」
 イアルはその背中に自らの胸を押しつける。モリガンが今どんな顔をしているのか見てみたくて身を乗り出す。
 手は脇腹から下腹部へ、そしてマシュマロの如き柔らかな2つの丘を目指して滑らせた。
「悪い子ね」
 モリガンが半身をひねってイアルの方に向き直った。
 2人は向かい合い互いに触れ合った。優しく愛撫するように。
 その時だ――。
 雲一つない青空から注がれる陽の光が突然に何かによって遮られたのは。
 地に落ちる巨大な影に2人はハッとしたように頭上を仰ぐ。
「!?」
 鱗に覆われた巨体、それを支える禍々しい色を帯びた両の翼、岩をも砕きそうな鋭い鉤爪を持つ2本の脚、今にもその視線だけで射殺しそうなほど強烈で獰猛な双眸、咆哮をあげる口から覗くのは鋼鉄に風穴をあけんばかりの牙、そして鞭のようにしならせ山をも凪払いそうな尾。黒い瘴気を身に纏いし邪龍。
 それは青空を泰然と旋回したかと思うと突然こちらへ向けて滑り降りた。
『女神を封印してやる!』
 邪龍のそれは音ではなく脳内に直接響いてくる荒ぶる声。
「逃げなさい!」
 モリガンの声に、だが、イアルは動かなかった。
 楽しみを邪魔されて彼女は怒りに満ちていたのだ。
 迎え撃つ覚悟で立っていた。
 だが、沐浴の途中だったためイアルは武器はおろか一糸纏わぬ姿であった。
 刹那。
 イアルの視界はどす黒く染まった。
 それに抗うように白い光が彼女を包んだ。
 イアルは背後を振り返る。
 苦痛に歪んだモリガンの顔があった。
 オータムリーフに染まる彼女の姿を愕然と見つめていた。自分も同じように染まっている事には気付かなかった。ただ、苦しそうな彼女にかける言葉を探していた。モリガンは苦鳴を漏らしながら呪文を唱える。
 それは、イアルだけでも救おうとする、彼女の最後の抗いだったのか……。
 足が動かなくなりどろどろとした何かが足下から体の中を這うような感覚にどうしようもない不快と嫌悪を感じた。更にそれは上へ上へと進行し呼吸を奪う。息苦しさに喘がされ、視界を塞がれ、やがて思考も奪われた。

 そこでイアルは意識を手放した。




■2■

 目を開ける。
 数年後、と思ったのは崩れた神殿が蔦に覆われていたのを見つけたからだ。とはいえ、自分が1人で唐突に目覚めたという事は、恐らく時間経過はゲーム内だけのもので、現実はそれほど時間が経ってはいないのだろう、と予測も出来た。もし現実でも数年の時間が経過しているなら家人が何らかの対策をしてくると思われたからだ。
 とにもかくにもイアルは意識が途切れる寸前の記憶を辿った。確か、モリガンの沐浴中に邪悪を纏った龍に襲われたのだ。封印される直前モリガンが何かの力を発していた。その力によってイアルの…タイムラグはあったにせよ封印が解けたのだろう。
 自分はモリガンに助けられたのだ。
 だが、そのモリガンは辺りを見回してみても見あたらない。つまり封印された彼女は邪龍に連れて行かれたという事か。
 そういうゲームだったと思い出す。
「今度はわたしが、お姉さまを救い出す」
 RPGとあったから、ここまでがオープニングという事だろう。お預け感は如何ともし難いが。セオリー通りにいくならこれからパーティーを集めて情報を集めて邪龍を倒す旅に出るといったところか。
 出来れば最短でクリアしたいところだ…。
 かくてイアルは深い深いため息を1つ吐き出したのだった。


 ・
 ・
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 いろんな事があった。本当にいろんな事があった。エロイベントからエロイベントまで、ゲームにしてもこれでいいのかと問いただしたくなるほどのエロイベントが、いろいろありすぎてとても語り尽くせないので割愛する。推して知るべし。
 ただ、イアルのアクアブルーのフードの胸元に付いていたエメラルドの石にモリガンの聖なる力が宿っていた。あの時、彼女はイアルを救っただけではなく、彼女の力の全てをそこに注ぎ込んでいたのだろう。
 とにもかくにも、その力を借りてイアルは邪龍を倒す事に成功したのであった。だが。
 邪龍の棲まう神殿に、攫われたはずのモリガンの姿はなかった。
 神殿にいた小さき者達を締め上げてモリガンが下水道に放り込まれた事を知り、イアルは躊躇なくその扉を開くとその悪臭漂う不浄の地に身を投げたのである。
 ランタンを掲げて暗い下水道を進む。
 いつからだろう、強烈な刺激臭の中にほんのり華やぐ甘い微粒子が混じっている事に気付いたのは。
 モリガンは封印された。チョコレートの像に、だ。説明書には石像とあったような気がする。これがバレンタイン限定イベントになっている事をこの時点のイアルには知りようがなかった。とにもかくにもモリガンはチョコレートになったのだ。
 そして、この微かに香ってくるのは間違いなくチョコレート。つまり、モリガンはまだチョコレートのままという事だ。それはイアルの胸をつく小さな不安でもある。何かまだ満たされぬ条件があるというのだろうか。

 邪龍は倒した筈なのに――。

 だが。
 そんな気持ちは芬々たる甘美な香気に包まれたその場所にたどり着いた時、どうでもよくなった。汚臭を退け馥郁と香る艶やかな匂いを放ち立つその姿を見つけてしまったら。
 どこかから光がきているのか、それとも苔が発光しているのか薄明かりの中にその姿はあった。




 ■3■

 それは噎せ返るほどに濃密で男を誘引するフェロモンのようにイアルを引き寄せて止まない。砂糖に群がる蟻のようにイアルはそれに抗えず彼女に手を伸ばしていた。
 オータムリーフに彩られた麗しき女神、モリガン像。
 それは女神を象られたわけでも、その肢体をチョコレートがコーティングしていたわけでもなく、モリガン自身がチョコレートそのものになったものだった。
 苦痛に喘ぎ、涙し、両手を掲げ、抗いながらも最後の力を振り絞るように唱えられたホーリーマジックの詠唱の……イアルを邪竜の呪いから救い出すために彼女は、そのままの姿でチョコレートとなっていた。
 その像が台座の上に佇んでいる。
 ただ、沐浴中を襲われ裸身であった筈が、何故だか何とも艶めかしく装飾品を身につけている。むちむちの太股にあしらわれるリングのような装飾や手首に巻かれた大きなブレスレット。大切な場所を覆い隠す布切れと更なる装飾。これらはチョコレートによるデコレーションなのか、とにもかくにもそのチラリズム的風情がイアルを煽り唆していた。
 像の全身に吸いつきたいような、口付けたいような甘い誘惑がイアルを囚えて止まない。このむしゃぶりつきたいような舐めまわしたくなるような衝動は果たしてゲームのプログラムによるものなのか、それとも自身の嗜好のそれなのか。あちこちが苔むしているそれさえも抹茶のデコレーションに見えてしまうほど脳内はおかしな事になっていた。
 そもそもここは下水道の中。こんな不浄の中にあるとわかっていながら、どうしようもなく止められないなんて。
 気付けばイアルはモリガンの頬を両手で包み、目尻にたまる涙に唇で触れ、頬を伝い、その大きく開かれた甘い甘い唇に自分のそれを重ねていた。
 舌先がモリガンの口内に触れる。そこに感じるのは混じりけのない極上のミルクチョコレートの味だった。
 まるで貪るように舐め回しているのはモリガンの口内なのかそれともただのチョコレートなのか。
 とろりと何かがイアルに降り注いだ。薄いベールに滴るそれがチョコレートだとイアルが気付く事はなかった。彼女のブルーの服を汚しているのは、もはや汚水なのかそれともチョコレートなのかもわからない。
 頬に、首筋に、鎖骨にキスを降らせるのにイアルは夢中になっていた。その両手はモリガンのチョコレート像の胸を撫で脇をなぞり腰を滑っていく。
 そしてイアルは昂ぶる感情の赴くままにモリガンの像を押し倒していた。
 チョコレートの像は堅い石畳に倒れても傷一つつく事はなく、イアルを受け入れた。
 イアルが口付けた場所のチョコレートが次第に溶けていく。
 イアルをチョコレートまみれにしながら。
 溶けていく。
 いや、解けているのはモリガンを囚えていた呪いの方か。それとも。
「んっ…」
 熱く濡れた声がイアルの耳に届いて、ようやくイアルは顔をあげた。


 イアルはパラパラとしか説明書を見ていなかった。だから彼女は見落としていたのだ。赤のゴシック体で注意を促すように書かれていたR―18の文字を。アダルトオンリーと知れていればゲームのクリア条件も女神を救ける方法も容易に想像がついた事だろう。

 そして当然、この手のゲームには必ずついてくる、濃厚なサービストラックの存在にも気付けたはずだった。



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 目を開けると、イアルはパソコンのキーボードの上に突っ伏していた。
 眼前のスクリーンにゲームのエンディングが流れている。
 そして自動でアンインストールが始まった。
 それをイアルは大きく目を見開いて見つめていた。
 どうやらゲームの解呪に成功したらしい。だが。そんな事はもはや大した問題ではなかったろう。
 サービストラック。まだ、サービストラックをプレイしていない…。

 その思考は果たしてゲームプログラムの影響か、それとも自身の…だが、それを確認する術はもはやなく、そのゲームは再インストールどころか読み込む事すら出来なくなっていた。

「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」





■大団円■