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<東京怪談ノベル(シングル)>


使い魔の誕生


「ふっざけんなよクソ店長がよぉ給料って普通振り込みだろーが手渡しって何だ手渡しってよぉこちとらテメーの面ぁ見たくねえからバックれてんだよっとに店長はクソだしパートのババァどもは全員バカだし客はDQNと老害ばっかだしどいつもこいつも寄ってたかって俺の個性と才能潰しに来やがってこんなんで一億総活躍社会とかマジで草生えるわ草草草草草」
 澱みなく罵詈雑言を発する赤ん坊の口に、太一はおしゃぶりを咥えさせた。有害物質の瓶に、蓋をするかのように。
 口を塞がれた赤ん坊が、だぁだぁと甘えてくる。
 とりあえず抱き上げてやりながら、太一は溜め息をついた。
「赤ちゃんの中に……毒素が、残っちゃいました」
『贖罪の山羊、みたいなものかしらねえ』
 太一の頭の中で、女悪魔が考察をしてくれている。
『汚らしいものだけを、押し付けられちゃったみたいね。この赤ちゃん』
「そんなつもりは、なかったんですけど……」
 たおやかな細腕と豊かな胸で赤ん坊を抱いたまま、太一は途方に暮れていた。
 今の松本太一は、50歳近い中年サラリーマン男ではなく、うら若き『夜宵の魔女』である。
 全知全能、に等しい力を持った存在……であるはずだった。だが先日の戦いで、思わぬ不覚を取った。
 全知全能であるはずの情報改変能力が、通用しなかったのだ。
 その敵は結局、物理的に倒すしかなかった。
『……私のプライドがどれだけ傷付いたか、少しは理解してもらえるかしら』
 女悪魔が太一の中で、暗く微笑んでいる。
『私の情報改変が通用しなかった。それは画家が、完成直前の大作にうっかり絵の具をぶちまけてしまったようなもの……美しい戦いが台無し、というわけなのよ』
「あの、それって……私のせい、なんですか?」
 赤ん坊を抱いたまま太一は、控えめに抗弁した。
「貴女だって前、たまには物理的に派手に倒す戦い方がしてみたい、とか言ってたじゃないですか」
『派手に美しく、よ。なのに何なのあれは? 芋虫に食べられるなんて、地味で美しくないフィニッシュムーヴにしてくれちゃって!』
「だから、それって……私のせい、なんですか?」
「はいはい、喧嘩しない喧嘩しない」
 魔女の1人が、仲裁の言葉をかけてきた。
 太一にとっては先輩である魔女たちが集う、定例の夜会である。
「まあ確かに、あんたたちの『情報改変』は基本からチート能力だからねえ。レベルアップが難しいのは事実だけど」
「それでもね……地道にコツコツと、やれる事はあるわけよ」
 魔女たちが、口々に言う。
「まずは基本。情報改変ってものの基礎理論を、貴女自身が掴まないとね」
 基礎理論なんてもの、あるんでしょうか。太一はついうっかり、そう口走ってしまいそうになった。
 修行が足りない。要するに、そういう事であるらしい。
 あのような難儀な敵に対し、情報改変を成功させるには、レベルアップの難しい能力であろうと地道に研鑽し、少しずつでも高めてゆかなければならない。
 だから太一は現在、先輩魔女たちの指導のもと、情報改変の基礎を学んでいるところである。
 まずは、基本的な実技をやらされた。
 実験台となったのは以前、使い魔の工房で作り上げた生き物である。翼を生やした、仔犬のような仔猫のような生命体。
 それが今、人間の赤ん坊に戻っておしゃぶりを咥え、太一の腕の中ではしゃいでいる。
 はしゃいでいるのは、赤ん坊だけではなかった。
 幼い女の子が1人、楽しげに空を飛びながら意味不明な歌を歌っている。人間ではない。ハーピーの少女だった。
 幼い女の子がもう1人、夜会の料理をガツガツと幸せそうに平らげている。こちらも人間ではない。犬の耳か猫の耳か判然としないものをピンと頭に立てた、獣人の少女だ。
 3つの生命が融合する事で誕生した生き物を、元に戻してみた。太一は、そのつもりだった。
 工房で誕生した合成生物から、2人の少女を「情報」として抽出し、再構成した。
 太一は、そのつもりだったのだが。
「抽出しきれなかった情報が、あるみたいねえ」
 魔女の1人が言いながら、赤ん坊の口からおしゃぶりを奪い取った。
 まだ歯も生え揃わぬ赤児の口から、流暢な日本語が滔々と溢れ出した。
「つーか強制送還しかないっしょ!? もちろん飛行機になんか乗せねー。全員、海に放り込んで泳いで帰ってもらうわけよ。あ、でもそんな事したら日本海がキムチ臭くなっちまうなぁーヒャハハハハハ」
 太一は魔女から、おしゃぶりを返してもらって赤ん坊の口に差し込み、黙らせた。
 そして溜め息をつく。
「……どうしましょう、この赤さん」
『どうしようもないわね。ここにいる連中に預けて、キメラかフレッシュ・ゴーレムの材料にでもしてもらうしかないんじゃないかしら』
「失敗、っていう事ですよね……私やっぱり全然、修行が足りてないっていう事ですよね、これって」
「まあ、この子たちの意識情報の一番厄介な部分だからねえ」
 飛び回っていたハーピー少女をフワリと抱き捕えながら、魔女の1人が言う。
「誰がどういうやり方をしても、どっかには残っちゃうわけよ」
「だからって、そいつをまた……この子たちに戻しちゃうのも、かわいそうじゃない?」
 別の魔女が、獣人少女の口の周りをハンカチで拭ってやっている。
「上出来だと思うわよ。人外っ娘たちの、無邪気で可愛らしい部分だけを、こうやって抽出できたんだから」
『無邪気でもなく可愛くもない情報だけは、まあこの中に残っちゃったわけだけど』
 女悪魔が言った。
 ハーピーも獣人の少女も、元々は人間だった。日本人だった。
 どんな仕事も長続きせず、匿名で好き勝手な事を書き込むだけの日々を送っていた男たちであった。
 その救いようのない部分だけが、赤ん坊の中に残ってしまったのである。
「まあ見ての通りこの子もう、ろくな人間に育たない事は確定しちゃったわけだから」
 魔女の1人が、そんな事を言いながら、おしゃぶりを奪い取る。
 赤ん坊の可愛らしい唇から、流暢な罵詈雑言が流れ出す。
「ったくよー、とっととアメリカ動かして大陸も半島も核ミサイルで焼き払っちまえばイイんだよ。そのための安保法案だろーがああああ!?」
 その口に魔女が、おしゃぶりではなく哺乳瓶を咥えさせる。
 赤ん坊が美味そうに幸せそうに、一心不乱に、哺乳瓶の中身を吸飲している。それは良いのだが。
「あの……これって、何ですか? 粉ミルク? それとも、どなたかの母乳?」
「これはねえ、えーっと……これ調合したの誰だっけー?」
「あたしー」
 魔女の1人が、名乗りを上げた。
「合成モンスター用の特殊ローヤルゼリーに、色んなものブレンドしてある。全魔界キメラ製作コンテスト3冠女王オススメの逸品だよーん。大丈夫、赤ちゃんのうちに飲んどけば2、3歳くらいで立派に人間やめられるから」
「ちょっと、やめて下さい! そりゃ確かに最初、この子を人間じゃなくしちゃったのは私ですけど!」
 叫びながら太一は即座に、情報抽出に取り掛かった。
 飲まされてしまったものを、不要な情報として排出させなければならない。
 ついでに、この赤ん坊の体内に残ってしまった救いようなきものも、抽出してしまいたい。
 夜宵の魔女の全身が、淡い光に包まれた。
 その光がキラキラと粒子化しながら、宙を流れる。
 情報が、抽出された。赤ん坊の、ではなく太一の身体からだ。
 こてん、と太一は尻餅をついた。小さな可愛らしい尻が床にぶつかり、可憐な両脚があられもなく開いて投げ出される。
「いっ……たぁあい……」
 太一は涙ぐんだが、泣いている場合ではなかった。
 豊麗な「夜宵の魔女」の肢体が、縮んでいた。重くて仕方がなかった胸も、軽く平らになってしまっている。
 1人の幼い少女が、尻餅をついて涙ぐんでいる。そんな光景だった。
 魔女たちが、狂喜している。
「あら! あらあらあらあら可愛いわねぇええ!」
「決めた! この子あたしの使い魔にする!」
「何言ってんの、これは私の着せ替え人形!」
「娘、あたしの娘! 旦那も息子もいらないけど娘だけは欲しかったのよねええええ」
 魔女たちに、抱きしめられたり頭を撫でられたり頬を摘まれたりしながら、太一は悲鳴を上げるしかなかった。
「たすけてー! あれ……ちょっと、たすけてくれないんですかあ!? どこいっちゃったんですかー!」
「……ここよ」
 疲れたような、男の声がした。
 たった今、太一の身体から抽出されてしまった情報が、すぐ近くで実体化しつつ身を起こしている。
 50歳近いと思われる、痩せぎすの中年男。
 太一が日頃、鏡で見ている姿であった。
「貴女自身は、情報改変の素人なのよねえ……」
 本来の松本太一、とも言うべきその男が、声を発している。抱いた赤ん坊に、哺乳瓶を咥えさせながら。
「素人が、うかつに技を使うと……何が起こるかわからない、という事よ」
「え……そんな、あなたが……そっちに行っちゃった、んですか……? なんで……」
「それを私が知りたいのよ。まったく、貴女だけじゃないわね。私自身……」
「あらまあ、こっちはこっちで思ったよりもイイ男!」
 魔女の1人が、擦り寄って行く。
 それをやんわりと回避しながら女悪魔が、サラリーマン松本太一・48歳の顔で苦笑した。
「私自身……情報改変というものを、少し勉強し直す必要がありそうね」