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<東京怪談ノベル(シングル)>


それは金色の・2

 だから死んでしまいたかったのだ、などとぼやいても虚しいばかりだ。
 太一はため息の代わりに、らしくもない舌打ちをする。それに連動して、背中の翼がばさりとはためいた。
「羽ばたきだけは一人前か」
 自嘲が漏れる。
 金色のそれは、思っていたほど使い物にはならなかった。どうせ飾りであるのなら、もう少し見栄えが良ければ良いのに。
 マスターたる黄金竜、彼ほどの威厳が自分にあればまた違ったのだろうか。
 ここ数日の事を思い返して、太一は苦い顔をする。
 そして目下に広がる灰色のビル群を眺めた。
 展望台の最上階、フェンスの外。かつての自分ならそこから飛び降りてジ・エンドを願ったのだろうが、この体ではそうも行くまい。
 羽休め。フェンスの外でふらりと足を揺らす仕草には、その程度の意味しかない。
 男の時とは異なる柔らかな曲線を描く足が、風に吹かれる。
 人間の世界は、こうして見下ろしてしまえば存外と矮小だった。かつての自分を殺したはずの世界は、今の自分にさして意味を持たない。
 昔は身体に傷を負わせたはずの石は、クッションを放られる程度の感覚しか与えなかった。
 かつての自分を脅かしていたような腕っ節の強い人間、社会的地位のある人間、彼らは尻尾を巻いて一目散に駆け出してゆく。
 そして、第三者。これが一番厄介で、太一を崇め奉ろうとする連中。女体に転身した太一は、その翼も相まって人外にふさわしく美貌に恵まれた。確かに価値があるだろう、確かにひれふしたくもなるだろう。
 だが崇敬というのは身勝手だ。わずかでも太一が彼らの本尊にそぐわなければ、途端に背を向ける。悪魔と指を指す。だまされたと罵る。
 いい加減億劫になって、太一を祭り上げた男どももろとも、教団一つを焼き尽くした。
 だが結局残ったのは、虚しさばかりだ。
 どれほど姿が変わろうと、魔物じみた力を手に入れようと、根っこの部分は所詮死にたがりのちっぽけな人間なのだと、思い知らされる。
「……結局、こんなものか」
 一度は捨てた命だから、拾われた先で何が起きてももうどうだっていいと思っていた。
 忘れていたのだ。「生きる」ということの億劫さ、厄介さ、居場所のなさ。
「座れる場所がなかったのなんて、今に始まった事じゃないけど」
 ぶぅらりと、身体を揺らす。
 そのまま一気に、前へ体重を落とした。身体は物理法則に従ってまっすぐに落ちる。――だが虚しいばかりだ。翼が勝手に開き、一命を取り留める。
 人間に見つかる前の高度で器用に旋回して、太一は再び空へ舞い上がった。
 否、太一の意思ではない。

「まだ遊びは終わっていないぞ、人間よ」

 くつくつと笑う、低い声。
 妙に反響するその声を耳にするのは、実に一ヶ月ぶりだった。
「捨てたいものほど捨てられん。そら、どんな心地だ?」
 相変わらずからかうような口を叩く。だが彼がマスターである以上、どれだけ歯向かおうとしたところで無駄だ。翼の動きひとつで、それは嫌というほど思い知らされてしまっている。
「未練はないと、以前にお伝えしたはずです」
 代わりに恨みがましく口にする。黄金竜は、またおもしろがるように笑った。
「魔女どもはどうだ? 少しはなじめたか」
「結果ぐらい分かっていらっしゃるでしょう」
 魔女の巣窟では散々な目に合った。
 修行の名目のもと、都合良くもてあそばれ、からかわれている。
「とてもかないません」
「なんだ、喧嘩でも売ったのか」
「喧嘩相手にすらなれませんでしたよ」
 そもそも「彼女」たちのコミュニティに入るだけで一苦労だった。だが、骨を折って加えられたその場所でも、太一の立場はカーストの底辺である。
「貴様はそういう因果のもとに生まれ落ちているのだ、諦めい」
 黄金竜はまた、バカにしたように笑った。
「当分は死なせん……いや、死ねんな」
 それで、ようやく太一はマスターの思惑に気がついた。
 彼は、死のうとしていた太一に救いの手を差し伸べたのではない。むしろその逆……死にたい、という「命がけ」の願いから、いっそう太一を遠ざけたに過ぎないのだ。
「あなた、って、人は……!」
「人だと? 竜を愚弄するなよ」
 怒りと絶望に震える太一を、黄金竜は軽くあしらった。
「せいぜいのたうち回るがいいさ。そのうちに、ひょっこり死ねるかもしらんぞ」
 そして、現れた時のようにまた、ふっつりと姿を消した。
 翼はまた勝手に旋回して、太一をビルの屋上へと停まらせる。
「……からかうのも、大概に、してください」
 太一の呻きは低く、スモッグに溶けていった。