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<東京怪談ノベル(シングル)>


モリガン・クエスト


 経験値というのは、実に便利なシステムではあった。
 戦えば戦うほど、殺せば殺すほど、強くなってゆく。
 当たり前と言えば、当たり前だ。
 現にイアル・ミラールも、数々の戦いを経験して、いくらかは腕を上げた。
 戦いの腕を上げる、強くなる。それは、しかし経験値などという数字で表せるほど単純なものではない。
 何も考えず、ひたすら戦い続ける。戦いの回数を重ねてゆく。それで強くなれるのは、ある程度までだ。
 そこから先は、1つの1つの戦いの中で何を掴めるか、が重要となってくる。戦いの、量ではなく質を重視しなければならなくなる。
 こんなふうに漫然とゴブリンやオークやトロールを殺戮していても、強くはなれないのだ。
「こんなもの……かしらね」
 グレート・トロールの巨大な屍が、地響きを立てて倒れ伏す。その傍らで、イアルは長剣を鞘に収めた。
 イベントクリアの報酬として国王より与えられた、伝説の聖剣である。
 身にまとっているのは先日、破邪の洞窟で入手した、魔法の鎧だ。
 まるでビキニの如く胸と腰しか覆ってくれない、防御効果など全くなさそうな鎧。綺麗にくびれた胴も、むっちりと瑞々しい左右の太股も、完全に露わである。だがイアルは、破邪の洞窟からこの魔王の城の門前まで、ほとんど傷を負う事なく戦闘を重ねてきた。魔法の鎧からは、どうやら何か不可視の防護膜のようなものが発生している。結界、と言っても良い。
 ここはゲームの中であるから、鏡幻龍の力は使えない。
 数々のイベントをこなし、このような装備品を手に入れる必要があった。
 グレート・トロールの部下であるオーク・ウォーリアやゴブリン・コマンドたちも、イアルの周囲で屍を晒している。
 最強装備に身を包みながら、イアルはほとんど虐殺とも言うべき戦闘を積み重ねてきた。
 こんな、蟻の行列をひたすら踏み潰すような戦いでも、順調に経験値は貯まってゆく。一定量に達するとレベルが上がり、イアルの戦闘能力は勝手に向上してゆく。剣を振るう力も速度も増し、身のこなしも冴え渡る。
 まったく、便利なシステムであった。
「現実の……魔女結社の連中と戦う時も、こんなふうだといいんだけど」
 苦笑しつつイアルは、魔王の城へと足を踏み入れた。
 わけのわからぬ呪いを受けた同人ゲームソフトの、解呪をまたしても依頼されてしまったのである。
 プレイヤーを、ゲーム内の世界へと引きずり込んでしまう呪い。
 解呪の方法は、至極単純ではある。
 ラスボスである魔王に囚われた王女モリガンを、救出する事だ。
 この王女が、聖なる力をもって呪いを解いてくれるらしい。
 イアルは、足を止めた。
 魔王の城、ラストダンジョンの内部である。モンスターが、出て来ないわけがなかった。
 キマイラが5体、クリスタル・ゴーレムが7体、アークデーモンが3体。最強クラスの、モンスターたちである。
 とは言え、各種能力値カンスト目前で最強装備に身を固めた、今のイアルの敵ではない。
 機械的に、淡々と漫然と、蟻を踏み潰して経験値を積み重ねる。
 そんな戦いが、もうしばらくは続きそうであった。


 迷宮の最奥部、であろうか。
 その区域に踏み込んだ瞬間、イアルは悪臭を感じた。
「これは……!」
 馴染みのある臭い、と言えなくもなかった。
 入浴などしない野生動物のように何日も暮らしていると、この臭いになるのだ。
「ぐるっ……ぐぅあるるるぅうぅう……」
 獣の唸り声が聞こえた。
 人間の声でありながら、それは獣の声であった。
 囚われの王女が、しかし特に拘束された様子もなく、自由な有り様を晒している。
 本当に、自由な姿であった。
 清楚にして豪奢、であったのだろうドレスは汚れたボロ布と化し、それ以上に汚れた肢体にまとわりついている。
 美しい顔が、今は獣性をむき出しにして歪みながら、イアルに向かって牙を剥いている。
 モリガン王女が、獣と化していた。
 精神だけではない。たおやかに見える肉体が、猛獣そのものの力と俊敏さを有している。
 イアルがそれに気付いたのは、実際に襲撃を受けてからだ。
「がぁあああああうぅッッ!」
 咆哮が響き渡った、その時には、伝説の聖剣がイアルの右手から叩き落とされていた。
 魔法の鎧が、イアルの身体から引きちぎられていた。
 モリガンが、どのように動いて、どのような攻撃を仕掛けてきたのか。イアルの動体視力をもってしても、全く把握する事が出来ない。
 息を呑んでいる間に、イアルは押し倒されていた。
「愚かな女勇者よ……お前では、モリガン王女を振りほどく事は出来ない。王女を、力で制する事は出来ない」
 魔王の、声だけが聞こえる。
「お前では、モリガン王女に勝つ事は出来ないのだよ。何故なら王女は、今のお前と同じ程度には強い。王女を殺すわけにはいかないお前では、絶対に勝てないのだ」
 獣と化したモリガンが、自分の身体の上で荒れ狂っている。
 じゃれつかれているのか、喰われているのか、イアルはわからなくなった。
 その様を、どこからか見物しているのであろう魔王が、姿を見せず嘲笑だけを浴びせてくる。
「お前の稼いだ経験値を、モリガン王女はそのまま取得していたのだ。お前がモンスターどもを殺せば殺すほど、王女はより強大な獣と化してゆく……何も考えず漫然と、ただ作業的に戦って経験値を稼いできた結果だ。自分より弱い者たちを、淡々と殺戮する。そんな手段で得た強さが、この魔王に通用するとでも思ったのか?」


 凶暴な肉食獣が、美しい牝鹿を貪り喰らうかの如く、モリガン王女はイアルを蹂躙し尽くした。
 蹂躙され尽くしたイアルが、倒れている。
 死んだわけではない。肉体は、いささか疲労しただけで何のダメージも負ってはいない。
 だが心は、もはや死んだも同然であった。生きてはいる、にしても、それは奴隷としてだ。
 獣と化したモリガン王女の、奴隷。それが今のイアル・ミラールだった。
「愚かな女勇者よ……その愚かさを、己の身をもって人々に知らしめるが良い」
 魔王は、片手を掲げた。
 毒々しい臭気を発する、まるでスライムのような不定形体が湧き出し、イアルの全身を包んでゆく。そして固まってゆく。
「面白みのない作業のように経験値を稼ぎ、機械的に強くなって魔王に挑む。勝てなければ、その作業を繰り返す……違うだろう。我ら魔王と、お前たち勇者の戦いとは、そういうものではないはずだ」
 毒々しい魔法物質に塗り固められ、生きたままレリーフ像となったイアルに、魔王は語りかけていた。
「では、どういうものなのか。それは私にもわからぬ。教えてくれる、真の勇者が現れるまで……お前は、そのままだ。イアル・ミラールよ」