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<東京怪談ノベル(シングル)>


滅びの石像


 居候をさせてくれている女教師と一緒に、一昔前の映画をDVDで見た。
 若いカップルがいて、男が女の買い物に付き合わされ、大量の荷物を持たされていた。
「まあ……映画の中の、お話よね」
 苦笑しつつイアル・ミラールは、大量の箱や紙袋を、自分で運ばなければならなかった。
 コールタール臭がまだ身体のどこかに残っているような気がしなくもないが、外出した。女1人のショッピングである。荷物を持ってくれる男もいない。ミラール・ドラゴンも、荷物運びまではしてくれない。
 IO2から、分厚い金一封が出た。
 魔女結社の壊滅に多大な貢献をしてくれた、その謝礼という形だ。
 貢献どころか、とイアルは思う。
 自分は魔女結社に捕われ、IO2に救出してもらったのだ。
 もちろん金はないが本来、自分の方が謝礼をしなければならない立場にある。
 イアルがそう言ったところ、顔見知りでもあるIO2の少女は応えた。
 イアルが捕われてくれたからこそ、魔女結社の動きをIO2が迅速に掴む事が出来たのだ、と。
 貴女には、囮捜査官として素晴らしい適性がある。IO2で働いてみないか、とも言われた。
 もらっておきなさいよ、と女教師が言うので、IO2で働くかどうかはともかく金はもらった。
 その金でイアルはしかし気がついたら、自分のものではなく他人へのプレゼントばかりを買っていた。
 IO2の少女には、いくらかスポーティーで快活な感じの服を一揃い買ってみた。ヴィルトカッツェというコードネームにふさわしいものを、イアルなりに選んでみたつもりだ。
 芸能人にも知り合いがいる。オカルト系アイドルとして、カルト的人気を博している少女だ。彼女には、カジュアルな上下に帽子とサングラスを添えてプレゼントしてみる事にした。街歩くのにグラサンで顔隠すほど大物じゃないけどね、と本人は言っていたものだ。でも、そういうの憧れじゃない? とも。
 大恩ある女教師のためには、教師らしい女性用スーツを一式、買ってみた。気に入ってくれれば嬉しいが、気に入ってもらえなくても仕方がない、とイアルは思う。プレゼントとは結局、相手ではなく自分を満足させるためにするものだからだ。
 あと1人、イアルと疎遠ではない人間関係の出来てしまった娘が、いる事はいる。まあ人間ではないのだが。
 彼女が何を贈れば喜んでくれるのかは、全く見当がつかない。なのでイアルは、かなり派手目の際どいランジェリーを買ってやった。
「買い込んだねえ。大荷物じゃないのぉ、お姉さん」
 いきなり声をかけられた。
 2人組の、若い男。外見だけで人間性まで判断出来てしまうような、軽薄極まる輩である。
「へへへ、俺たちが持ってあげるよお」
「疲れたじゃん? どっかで休んでこうぜえ。俺たち、おごるからさぁ」
 軽くあしらうべきか、思いきり叩きのめすべきか、イアルは迷った。
 迷っている間に、状況は激変していた。
 空気が、あるいは風景が、歪んでいる。
 その歪みが、いくつもの人面を形作っている。
 醜悪にねじ曲がり牙を剥く、人面と言うよりは怪物の顔面。
 それらが、2人の男を食いちぎった。あらゆる方向から噛み付いて咀嚼し、飲み込んだ。
 鮮血が、噴き上がる前に全て啜り取られてしまう。
 血の1滴、骨の一欠片も残さず、男2人を食い尽くした人面の群れが、イアルを取り囲む。
「これは……怨霊?」
 虚無の境界の生体兵器である、あの娘が来ているのか。
 イアルは一瞬、そう思ったが、そこにいたのは彼女ではなかった。
 黒い、優美な人影が1つ、そこに佇んでいる。
 黒一色の衣服と、暗緑色の髪が、風もないのにサワサワと揺らぐ。
 真紅の瞳が、炎のような眼光をくすぶらせたままイアルを見据える。
 年齢の読めない、美しい女性。20代にも見える。4、50代の、熟年女優のようでもある。
 その美脚にまとわりつく黒いスカートが、闇夜の海面の如く波打った。
 波打つスカートの内側から、何やら目に見えぬ禍々しいものが溢れ出し、周囲の空間を、風景を、牙剥く人面の形に歪めている。イアルは、そう感じた。
「貴女ね……あの子が言っていたのは」
 赤い瞳をじっとイアルに向けたまま、彼女は言った。
「鏡幻龍の王国に関しては私、ちょっとした史料レベルの知識しかないのだけど……なるほどね。『裸足の王女』がこの時代に蘇ったというお話、本当だったのねえ」
「貴女は……」
 魔女結社。
 まず頭に浮かんだ、その単語を、イアルは即座に打ち消した。
 この相手は、違う。
 自分がこれまで戦い倒してきた魔女たちとは、明らかに格が違う。
「安心なさい」
 くすぶっていた真紅の眼光が、一気に燃え上がった。
 人面の群れが牙を剥き、一斉にイアルを襲う。
 今の男たちのように、肉体を食いちぎられたわけではない。
 食い尽くされたのは、イアルの意識だ。
「その荷物は、私たち『虚無の境界』が責任を持って届けてあげるわ。だから貴女は、私と共にいらっしゃいな」


 気がつくと、イアルは石像になっていた。
 よくある事だ。
 身体は動かずとも、意識はある。五感のうち、少なくとも聴覚と視覚は生きている。
 まず目に飛び込んで来たのは、よくわからぬ生き物の着ぐるみを着て楽しそうにはしゃぐ、1人のアイドルの姿である。
 熱狂的なファンはいるものの広く売れているとは言い難い、オカルト系アイドルの少女。
 彼女が以前、某県の御当地キャラとコラボレーションした時のポスターだった。当然、非売品である。
 非売、あるいは場所限定、期間限定。
 この部屋に溢れているグッズは全て、そんなものばかりだ。
 歌も聞こえる。彼女の、歌声。確か、2ndアルバムの4曲目か5曲目ではなかったか。
「自動筆記のラブレター」
 赤い瞳の女が、曲名を口にした。
「私の、一推し曲よ。あんまり売れなかったみたいだけど」
(貴女……誰なの)
 唇も舌も石化している。声を発する事が出来ないので、イアルは心の中から問いかけるしかなかった。
 通じるわけがない。イアルは、そう思った。だが。
「私は巫浄霧絵。会えて嬉しいわ、裸足の王女……イアル・ミラール」
 巫浄霧絵。その名前には、聞き覚えがある。
 IO2エージェントの少女が、確か口にしていた。IO2という組織が総力を挙げて行方を追っている、標的の名前として。
(……虚無の境界の……盟主……!)
「最近ねえ、その肩書きが重くて重くてしょうがない時があるの。私も、年なのかしら」
 そんな事を言いながら霧絵が、イアルの頬を撫でて顎をつまむ。
 しなやかで美しい五指の感触を、イアルは確かに感じた。触覚も、どうやら生きている。
「だから今日はね、巫浄霧絵個人として御招待したのよ。私の可愛い霊鬼兵を骨抜きにしてくれた、貴女をねえ」
 しなやかな愛撫の感触が、顎から首筋へ、二の腕や脇腹へと及んでゆく。
 自分は今、この女に物として扱われている。イアルは、そう感じた。
「ふうん、なるほど……ね。わかるわ、あの子だけじゃなくIO2のヴィルトカッツェまでもが、貴女に骨を抜かれそうになっている。下手をすると、この私もね」
 真紅の眼光が、灯火のように揺らめきながら、イアルの石化した全身を舐め回す。
「自分は、物じゃない……そう思っているわね?」
 霧絵が、微笑んだ。
「残念。貴女はね、最高の物として他人の支配欲を満たし、嗜虐性を掻き立てる……そういう宿星のもとに、生まれてしまったのよ。そういう運命を、貴女は今までずっと辿り続けてきた。虚無の境界が出来る、ずっと前の時代から」
 何かが、見えた。
 様々な、イアル・ミラールの姿だった。
 支配の象徴として、見せしめとして、石像に変えられ飾られる己の姿。
 魔王あるいは魔女に囚われ、レリーフ像と化す己の姿。
 氷に閉じ込められる己の姿。獣と化し、汚れゆく己の姿。
(やめて……いい加減にして!)
 声を出せぬまま、イアルは叫んだ。
(こんな幻覚で、私の心を壊して! またミラール・ドラゴンを奪い取ろうとでも)
「これは幻覚ではなく記憶よ。貴女がね、心で拒みながら肉体に刻みつけてきた記憶……」
 霧絵の声が、笑いで震える。
「貴女はねえ、物として存在し続ける運命なのよ……貴女の愛する人たちが死に絶えた後も、こんなふうにね」
 石化したイアルの全身が、苔むしてゆく。
 時を、進められている。これもまた幻覚なのか。
 あるいは過去に起こった事なのか、これから先の未来において起こりうる事なのか。
「かわいそう……本当に、かわいそう……」
 巫浄霧絵は、笑いながら泣きじゃくっていた。
「全ての魂が霊的進化を遂げた後もね、貴女はたった1人……滅びの世界に、取り残されるの。苔むした石像として、永遠に朽ち果てる事なく……滅亡の、モニュメントとして……」
 泣きながら霧絵は、CDをセットした。
「そんな貴女に、この曲を贈るわ……私が時々、しんみりしたい時に聴く歌よ」
 イアルの好きな『終末の予定』が、流れ出した。