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<東京怪談ノベル(シングル)>


調教師は激しく狂う


 レズビアンではない。
 女3人で仲良く過ごすのが、ただひたすら楽しかっただけだ。
 それは、友情などと呼べるほど重みのあるものではなかったかも知れない。
 とにかく、断じて同性愛などではない。
 そう思っていた私だが、しかし今、目の前に響カスミがいる。
 人間ではなくなったカスミと、2人っきり。
 自分の中で何かが止まらなくなりつつあるのを、私は自覚していた。
「ねえカスミ……あたしね、実はあんたの事……」
 私の言葉が、今のカスミに届いているかどうかは怪しい。
 綺麗な背中から翼を広げ、左右の繊手から鉤爪を伸ばし、愛らしい唇をめくって牙を剥いているカスミに、私は構わず語りかけを続けた。
「好き……だったのかな? それとも本当は、大っ嫌いだったのかも。ふふっ、自分でもよくわかんない」
 ガーゴイル、であるらしい。魔獣と呼ばれる生き物の、一種。
 そんなものに成り果てたカスミが、襲いかかって来る。
 私は、鞭を振るった。
 先端が音速を超え、パァンッ! と鋭い音を鳴らす。
 鳴らしただけだ。打ち据えた、わけではない。
 それでもカスミはビクッ! と身を震わせ、私の眼前で這いつくばった。牙を剥き、凶暴に唸りながら、しかし怯えている。
 鞭とは、獣を打ち据えて痛めつけるための武器、ではない。
 獣を、まず怯えさせるための道具なのだ。
 魔獣、とは言え獣であるならば、私の専門分野である。
「わけもなく、あんたをブチのめしてやりたい……なぁんて思った事、1度2度じゃないよ。カスミ」
 高校時代は、仲良し3人組だった。
 やがて1人は美大に、1人は音大に進み、私は獣医を目指した。動物が好きだったからだ。
 いろいろあって獣医の道は断念せざるを得なかったが、好きな動物たちと関わる仕事に就く事は出来た。
 調教師である。
 海外で技術を学び、とあるサーカスで仕事をしていた。
 小人症の中年男を一輪車に乗せ、手足のない美少女にダンスを踊らせ、双頭のピエロに漫才をやらせるようなサーカスだった。私にとっては居心地の良い職場であったが、アメリカで官憲の手が入り、潰れた。
 そういう所で磨いた技術が、この日本という退屈な国で活かせるわけもなく、私はペットブリーダーとして無難に糊口をしのぐしかなかった。
 調教の仕事をくれたのは、あのサーカスと繋がりのあった、魔女結社とかいう組織である。
 もう1度、私は鞭を鳴らした。
 カスミが、牙を剥きながら怯え、翼を竦ませる。
「そう……それでいいのよカスミ、あたしに逆らわないで。動物がね、人間に逆らっちゃ駄目」
 ガーゴイルも、私から見れば虎やライオンや象と同じ。動物なのである。
「人間に逆らわずに、芸をして餌にありつく。動物はね、それが一番幸せな生き方なんだから」
 いきなり、部屋の扉が開いた。
 荒々しく階段を降りて来る足音が、先程から聞こえてはいた。
 振り向いた瞬間、目が合った。
 燃え上がるような、真紅の瞳。それは調教前の、まだ人間に媚びへつらう事を知らない猛獣の眼差しを思わせる。
 若い女である。いくらか派手めの女子大生。一見そんなふうだ。
 たぎる血潮、あるいは燃え盛る炎を思わせる瞳を私に向けたまま、彼女は言った。
「1度だけ、警告しておくわね……カスミは連れて帰るから、邪魔をしないで」
「そう、カスミをね」
 私は少しだけ、会話をしてみる事にした。
「……カスミがここにいるって、誰に聞いたの? 魔女結社の人たち? 聞くところによると結社はもう潰れちゃったらしいけど」
「貴女もね、潰されたくなかったら邪魔をしないで」
 1度だけの警告と言っておきながら、彼女は2度目の警告をした。
「ここの事を教えてくれたのは、ちょっと頭のおかしい芸術家気取りの女よ。カスミの知り合いらしいけど、貴女もそうなの?」
「あの子……元気そうにしてるけど、もういつ死んでもおかしくない病人なんだよ。手荒な事したんじゃないでしょうね」
「さてね。よっぽど叩き殺してあげようかと思ったけど」
 自分など一瞬で叩き殺されるだろう、と私は思った。
 見ればわかる。この娘は、獣だ。
 比喩表現ではない。過去に幾度か、本当に獣だった事のある娘。
 どれほど清潔にしていても、もはや拭い取る事の出来ない獣臭さを、私は微かに、だが確かに感じ取っていた。
 魔女結社が私に調教させるべく送りよこしてきた、あの少女たちと、同じ臭いだ。
「あんた……名前は?」
 この美しい獣を、調教したい。
 心の昂りが口調に出てしまうのを、私は止められなかった。
「あんたになら、調教の最中に噛み殺されても本望って気がするわ。ねえ名前、教えてよ」
「イアル・ミラール」
 勿体つけず、彼女は名乗ってくれた。
 その名前は、魔女たちから聞いている。
 結社が滅びたのは、魔女たちがこのイアル・ミラールに執着し過ぎたからだ、という話も聞いている。
「そう……あんたが、ね」
「私の名前を知ってるの? だけど私、貴女と知り合いになるつもりはないから……カスミを、返してもらうわよ」
「言っとくけどね。あたしの方が、あんたよりカスミとの付き合い長いんだから……ね? カスミ」
 私の言葉に従うようにカスミが、翼を広げ、牙を剥き、イアル・ミラールを威嚇しながら私を背後に庇ってくれた。
「貴女……カスミを……!」
「そうだよ、もう調教済み……だけど大丈夫、あんたも一緒に仲良く調教してあげるよ。イアル・ミラール」
 私が名を口にした瞬間。
 真紅の瞳を、さらに赤々と燃え上がらせながら、イアル・ミラールは牙を剥いた。
 艶やかな長い金髪が振り乱され、それが一瞬だけ獅子のタテガミに見えた。
 魔女たちから、聞いていた通りである。
 このイアル・ミラールという名前には、呪いが刻み込まれている。その呪いが発動した瞬間、彼女は獣と化す。
「あたしはね、動物が大好きなんだ……」
 鞭を握り、揺らめかせながら、私は言った。
「人間だって、動物なんだよ。そうだろう? だから可愛がってあげる、おいで!」
 などと私が言うまでもなく、イアルは来た。
 超高速の、襲撃だった。
「ぐぅあう、がぁあああああああああうぅッッ!」
 咆哮と共に、風が吹いた。獣臭い暴風が、私を激しくかすめて吹いた。
 顔を半分、持って行かれた。
 熱を持った激痛が、心地良かった。
 イアルが着地する。わたしの顔面から食いちぎった皮膚と表情筋の一部を、くちゃくちゃと咀嚼しながら。
 完全に肉食獣と化したイアル・ミラールを、私は見据えた。眼球は、辛うじて無事である。
 左半分が食いちぎられた顔面で、私は微笑みかけていた。
 イアルが、びくっ! と怯えた。まだ鞭を鳴らしてもいないのにだ。
「……ナイン・フィンガーって、知ってる?」
 にこやかに、私は言葉をかけた。
「チンパンジーの調教師の事よ。あいつらってね、実はニホンザルなんかとは比べ物にならないくらいの猛獣だから……指が全部揃ってる調教師なんか、いないってわけ。だけど、あんたの調教はアレね。指の1本2本じゃ済みそうにないねえ、現に顔半分なくなっちゃったし!」
 私は笑った。イアルは怯えた。
 この牝獣を調教するのに、鞭は必要ないかも知れない、と私は思った。もちろん、それでも鞭は使う。
 威嚇では済まさない。本気で打ち据える。
 結果、牝獣の逆襲を受けて死ぬ事になっても構わない。
「こういうの……求めてたのさ、あたしは」
 私の友達が1人、余命いくばくもなく、近いうちに死ぬ。
 私はどうやら、彼女よりは自由に死に方を選ぶ事が出来そうだった。
 調教の最中、獣に喰い殺される。
 それが私の、理想の死に様だ。