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<東京怪談ノベル(シングル)>


石のアイドル


 自由になった。
 あたしが感じたのは、まずそれだ。
 今まで自分を押さえ付けていたものが、消えて失せた。
 あたしを抑え込み、あたしに成りすましていたイアル・ミラールという忌々しい存在が、綺麗さっぱり消えて無くなった。
 あたしは、自分の身体を取り戻したのだ。
 取り戻せたはずの身体が、しかし動かない。おまけに臭い。
 うんざりするほど嗅ぎ慣れた悪臭、という気がする。
 苔の臭いだった。
 苔むした石像。それが、今のあたしだった。せっかく取り戻せた、あたしの身体の有り様だった。
「あら……あらあらあらあら、まあまあまあまあ」
 石像の両脚にすがりついていた女が、ゆらりと身を起こしながら、そんな声を発している。
「面白いものが目覚めちゃったわねえ。何かが眠っている、という感じはしていたけれど……ふうん」
 魔女どもか、とあたしは思った。
 いや違う。
 あの連中とは、何かが違う。根本的に、違い過ぎる。
「貴女……いつの間に、イアル・ミラールに取り憑いていたの?」
 ふざけた事をぬかすな。
 この身体は元々あたしのものだ。くっ憑いてきたのはイアル・ミラールの方だ。
 あたしは、そう叫ぼうとした。が、石になった唇と舌で、声を紡ぎ出す事は出来ない。
 声なき叫びが、しかしこの女には伝わったようだ。
「この身体は、もう貴女のものではないわ。イアル・ミラールのもの、だった年月の方が、ずっと長いのだから……その間、貴女はこの身体を取り戻す事が出来なかった」
 石像の頬を撫でながら、女が言う。
「貴女はね、自分の身体を奪われた負け犬ちゃんよ。安心なさいな、新しい身体を用意してあげるから」
 ふざけるな。これは、あたしの身体だ。
 自分の身体であるはずの石像が、わけのわからぬ女に撫で回されている。
 その有り様を、あたしは外から見つめていた。
 石像の外に今、あたしはいる。自分の身体であるはずの石像から、いつの間にか引きずり出されていた。
 そこは、鏡の中だった。
 あたしを閉じ込めた鏡に、女が微笑みかけてくる。
「今ね、霊鬼兵の新型を作ってるところなの。霊的進化にはまだ程遠い、貴女みたいな野蛮で原始的な魂にはね……ふさわしい身体に、なると思うわ」


 最近『虚無の境界』が仕事をしていない。テロ活動が激減している。
 盟主が、おかしな趣味に没頭しているせいだ。
「何、何、何なのよ、その薄汚い石細工は」
 盟主の部屋に上がりこむなり、瀬名雫は文句をまくしたてた。
「一体どこで拾って来たの。それとも、あの腐れアンティーク屋の若作り店主に掴まされちゃった? 一体いくらボッたくられたわけよ、虚無の境界の盟主様ともあろう御方がさあ。ま、若作りはアンタも同じ? あはっ、ひゃははははははははは」
「……落ちぶれちゃった若作りアイドルに、言われたくはないわねえ」
 苔むした石像に頬ずりをしながら、盟主は言った。
 苔むしているだけでなく、何やら怪しげな植物が絡み付いている。
 何百年も放置された状態を、この盟主によって作り出されているのだ。時間の流れは、この部屋の中では彼女の思うままだ。
「私ね、ずっと貴女のファンだったのよ? ま、そのうち売れなくなるだろうとは思っていたけど……予想外の落ちぶれ方をしてくれたわねえ。まさか彼女に取り込まれちゃうなんて」
「……落ちぶれアイドルへの、嫌がらせ? こんなCDずっと回してさ」
 17、8歳の頃の自分の歌声が、ここへ来ると必ず流れている。
 CDだけではない。ポスターが、至る所に貼ってある。
 オカルト系アイドルなどと持て囃され、調子に乗っていた頃の自分と、どこを向いても目が合ってしまう。
 だから、ここへは来たくない。
 だが今の雫は、『虚無の境界』の盟主と良好な関係を維持するよう命令を受けている。
「彼女は元気?」
「相変わらず、死にそうな病人みたいな様ぁ晒してるわよ。ま、直接会った事はないんだけど……ああもう、この盟主様ときたら、こんなものまで持ってるし」
 スカイフィッシュに水晶ドクロ、空飛ぶ円盤とグレイエイリアン。そんなものたちが数種類のアルファベットと一緒に散りばめられた模様の、コンパクトミラーである。
 それが2つ、テーブル上に置かれていた。
「これ何、2つも買ったわけ? 馬鹿正直にお金払って、そのお金あたしのものになるワケでもないのに」
「芸能界のそういうとこに絶望して、落ちぶれちゃったの?」
「……別に、芸能界のせいにする気はないから」
 自分が売れなくなったのは、誰のせいでもない、芸能人としての実力不足によるものだ。
 他人のせいにしても、惨めになるだけ。
 雫はずっと、そう思っていた。
 思いながらも、しかし心の奥底でわだかまり続けるものを、抑え込む事は出来なかった。
 そこを『彼女』につけ込まれた、という事になるのだろうか。
「そのコンパクトね、片方には『鏡幻龍』っていう、素晴らしい魔力の塊を封じ込めてあるの」
「もう片方には?」
「何かしらね……今の貴女と同じような子を、閉じ込めてあるわ」
 盟主が微笑んだ。
「自分の居場所を無くしちゃった……かわいそうな野良犬ちゃんを、ね」


 盟主が、席を外した。
 彼女のプライベートルームに雫は1人、残された。
 ゆっくりしてね、などと言われたが、こんな所でゆっくりと過ごせるわけがない。
 雫は、まず音楽を止めた。本当は、ポスターも全部剥がしてしまいたいところだ。
「それにしても……臭っさ! 何なの、これ」
 生臭い苔にまみれた石像に、雫はしかめ面を向けた。
 石の、女人像。
 出来は良い。若く美しい女性の姿を、石の中から実に見事に彫り出してある。だが。
 美術品を賞賛する際、まるで生きているような、あるいは今にも動き出しそうな、と言った表現がよく使われる。
 この女人像には、それがなかった。
 生き生きとした感じが、全くない。躍動感を欠片ほども感じさせない。
 まるで屍だ。女性の死体を、そのまま石化したかのようである。
「骨董品でも集めてんの? 侘び寂びでも愉しんでるつもり? あの盟主様も、そろそろ年……」
 文句を呟きながら雫は、じっと見つめた。
 苔の悪臭には、すぐに慣れた。
 嗅ぎ慣れた臭いだ、と雫は思った。懐かしい臭い、とすら思えてしまう。
 こんな臭いを発しながら石になったりと、散々な目に遭っていた娘が昔、確かにいた。
「………………イアルちゃん…………」
 雫は、涙を流していた。
「今のあたしを見たら、イアルちゃん……きっと軽蔑するよね……」
 イアル・ミラールと過ごした日々。
 それは今の雫にとっては、直視出来ないほどに眩しい過去であった。
 そんな過去を『彼女』が封印してくれた。彼女による『汚染』が、雫に全てを忘れさせてくれた。
「貴女は、あたしを助けてくれました……その、ついでです。イアルちゃんを助けて下さい……」
 まるで心清らかな巫女のように、雫は祈りを捧げた。
 石像が、倒れ込んできた。
 雫は抱き止めた。石像にしては、軽い。そして柔らかい。
 腕の中で意識を失っているのは、生身のイアル・ミラールだった。
 意識を失っているだけだ、と雫は思った。起こせば、起きてくれる。目を開いてくれる。
「イアルちゃん……ねえ起きて、イアルちゃんってば」
「無駄よ。その子はねえ、意識まで『物』に変わっちゃってるんだから」
 虚無の境界の盟主が、いつの間にかそこにいた。
 その美貌が、雫に向かってニコリと歪む。
 赤い瞳の中で、自分が怯え、立ち竦んでいる様を、雫は見た。
「イアル・ミラールを生身に戻すなんて私、何度もやったわよ? 生身に戻してまた石に変えて、砕いて直して生身に戻して、また石にして……実はちょっと飽きてきたところ。だけど、貴女が混ざってくれれば楽しくなるかもね」
 赤い瞳の中。立ち竦む自分の身体が、石像に変わってゆく。
 それを雫は、なす術もなく見つめるしかなかった。
 盟主が、そっと頬を撫でてくる。石化した肌でも、それは感じられる。
 石化した耳でも、声は聞こえる。
「貴女がいくら落ちぶれても、私ずっと貴女のファンよ。世間が受け入れてくれないなら……私だけのアイドルに、おなりなさいな」