<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


闇の連理

 夜だというのにどうしてこんなに明るいのだろう。夜間飛行と洒落込めば、街は黒天鵞絨の上の宝石の様にキララと魅惑的に煌めいて見える筈だ。けれど、アスファルトをはいずり回るヒトという虫けらにからすれば、不相応の光の洪水にもみくちゃにされ心と体を疲弊させる。そうやって幾百千億の夜は数え切れない命を吸い更に美しく光り輝く。

 安っぽいネオンの輝きが繁華街から離れた小さな公園をも不自然な色に照らし出す。ペンキの剥がれた常夜灯はチカチカと今にも消えそうな蛍光灯がはまっていて、ぼんやりとした光をごく限られた場所にだけ放っている。
「まったく‥‥人間一寸先は闇って言うが、本当ですね、これは」
 力無い投げやりな口調の台詞が公園の刈り込まれた植え込みの中から聞こえた。
「もしもし、パティ‥‥聞いてますか?」
 張りのない声が相棒を呼んだ。ごく近くにいるのだろう、返事を返す声は低く小さい。
「聞こえています」
 抑揚のない素っ気のない声が同じ様な場所から聞こえた。ごく若い少女の声だ。こんな夜更けの公園の暗がりで聞こえてくるような声ではない。しかし、声の調子には怯えも気負いも緊張も‥‥すべての感情がなかった。
「聞いてますではなくて、聞こえてますですか。なんか微妙にニュアンスが違いますね。もしかして、パティは私の事を怒っているんですか?」
 答えは判っている筈なのにわざとそう問うてみる。皮肉っぽい笑みを汗のにじむ顔に浮かべ、筧次郎(カケイジロウ)は鳩に言った。
「鳩が主を怒る事などありません。けれど現在は周囲を警戒中。主との会話は優先度の低い行動になります」
 それが本当の本心なのか、実のところ鳩自身にもわからなかった。傷を負った主の事で心は一杯であった。波の様に色々な思いが浮かんでは捉える前に消えてゆく。これでは分析する事さえ出来ない。ただ、何かに対する『憤り』のようなものはあった。それが主へ向けられたものなのか、主を傷つけた者へなのか……それとも主に庇われる自分自身へなのかはハッキリしない。
「‥‥相変わらずパティは冷たいですね」
 返事をしない鳩を無視していると捉えたのか、次郎は顔を歪めて笑みを作る。辛そうな苦しそうな笑顔だ。そう、今宵次郎は思わぬ不覚をとった。街の美化に努める『清掃員』としては致命的な汚点を残してしまったのだ。


 薄暗い公園に光が満ちる。夜明けまではまだ早いが次郎は光の理由を知っていた。
「せっかちな‥‥もう来たんですか」
 立ち上がり植え込みから上半身を見せ、次郎は追っ手に皮肉っぽい視線を投げる。目の前には若い‥‥というよりは幼い男の子がいた。ごく普通のTシャツを重ね着し、チノパンにバスケットシューズを履いている。しかし彼の身体は優しく仄かに光輝いている。そして頭上には彼の守護天使が半裸のままそっと優しげな顔で見守っていた。
「まさかね。私の清掃にこんな邪魔が入るとは今夜まで思ってみませんでした。あなたみたいな方がこんな場所にいるとは思いもよらなかったのですよ。おかげで不意を付かれましたが‥‥私を追ってきたということは、もう1度やり合うということですね」
 次郎は軽口を叩きながら少年との間合いを計る。これまで多くの『清掃』を行ってきた。細かいゴミを始末したこともあるしそれも楽しいが、手に余りそうな程大きなゴミ処理もまた別の楽しみがある。目の前の少年は一体どれほどの娯楽を次郎に与えてくれるだろう。そう考えると背筋が快楽にゾクッとする。例え失敗のツケが自分の命であがなうことになろうとも、この甘美な悦楽には抗しがたい。
「うん。僕は約束しちゃったんだ。この人と‥‥」
 少年は淡々とした口調で言った。そして頭上の天使と視線を交わす。その親密そうな光景さえも次郎の心を激しく揺する。先ほどまでの『依頼者への罪悪感』は見事なまでに吹き払われ、今はごく個人的な嗜好が優先されている。結果として依頼者がまぁまぁ満足するならそれでいいではないかと開き直る。
「主‥‥」
 鳩は次郎の背後に立っていたが、眼鏡の奥の瞳を閉じ両手を組む。すぐに鳩の身体が2重写しとなり、色のない身体が次郎の中へと解けてゆく。途端に立っていられなくなり鳩の身体がガックリと膝をつく。
「申し訳ありませんね、パティ」
 次郎は視線を少年から逸らさずに鳩に礼を言う。身体の不調は全て消えていた。痛みも麻痺もない。
「いいえ‥‥けれど、2度はありません」
 面倒そうにのろのろと鳩は言った。主の傷は完全に癒えた。しかし、この一瞬で鳩は激しく消耗していた。出来ればこのまま休息したい程だ。
「2度はありません」
 次郎は浅く笑い、身体の様子を確かめるとニヤッと酷薄そうに片頬だけで笑った。
「お待たせしましたね、グレゴールの少年。行きますよ」
 次郎は笑いながら走り出した。少年の頭上にいた半裸の天使が空高く舞い上がる。白い翼が大きく広がる。少年はまっすぐに手を次郎へと向けその手の平からまばゆい光が放たれた。先ほど次郎の左肩を貫いた聖なる力だ。しかし、次郎はすれすれでその光を避ける。同じ力に2度やられるほどおめでたくはない。しかも今回は不意打ちされたわけでもないのだ。更に間合いを詰める次郎。少年の手の平から再度光が放たれる。その光も一瞬前まだ次郎がいた辺りを突き抜けてゆく。
「……」
 光は鳩のすぐ側をかすめてゆく。回避をしつつ前進する次郎は、しかし光を避けて顔を背ける鳩の姿をハッキリと見ていた。冷笑的だった心の中で何かがとって替わる。
「少年! 悪いが遊びは終わりです」
 もはやこれ以上僅かな時間もかけるつもりはなかった。神々しい光を放つ少年に向かって、次郎は力を思いっきり開放した。


 激しい爆発の中、半裸の天使は身体の輪郭を失い分解するようにバラバラになり、消えた。少年の姿はないが次郎は気にしなかった。どうせすぐに尽きる命だ。
「パティ! 大丈夫ですか」
 駆け寄ると鳩は顔をあげてうなづいた。
「問題ありません」
「‥‥よかった」
 次郎はほっとして溜め息をつく。そんな主の姿を鳩は感情の見えない瞳でじっと見つめる。また理解し難い心の波が沸き立ってくる。
「鳩の存在があるために主は戦闘に集中していませんでした。申し訳ありま‥‥」
「それには及びません」
 鳩の詫る言葉を次郎は遮った。
「私達には『契約』がある。あなたが死ぬと私の理性が死ぬ。私はそれが嫌なだけです。だからあなたが私に詫びを言う必要はない‥‥私が勝手に行動しただけです」
 それが心のそこからの本心なのか、そうでない別の意志を隠す言葉なのか。次郎には自分の心でありがながら自分では分類不可能であった。そして鳩にとってはどうしても追求しなければならない事ではない。主がそう言うのなら、それがどのようなことでも信じて付き従う‥‥それが逢魔だと思う。
「さて、行きましょうか」
 服の汚れを払って次郎が立ち上がり、座ったままの鳩に手を差し伸べる。
「主はどちらに行かれるのですか?」
 大きくて肉の薄い手の平が鳩の目の前にある。ためらわずその手に白く小さな手を乗せて鳩は立ち上がった。
「勿論清掃の依頼を済ませ様かと思っているんです。多少期日は押してしまいましたが、掃除をしないで依頼者を悲しませるのは不本意ですからね」
 気軽に次郎は言う。
「それに、このままでは次の仕事にありつけないかもしれませんからね。多少なりとも失敗のフォローしておかなくては‥‥」
「お供します。先ずは先ほど対象と接触をした飲食店街まで戻りましょう」
「それが無難の様ですね。では」
 つないだ手と手がすれ違い、互いの中指さえもとうとう離れる。次郎はそっと自分の手を見つめ、そして何気ない顔のまま鳩を抱き寄せる。
「パティは力を使った後ですからね。私と一緒にゆっくり行きましょう。なに、もう期日も過ぎてしまっているし今更急いでも同じでしょう」
「は‥‥はい」
 まるでそぞろ歩く恋人同士の様に、2人は並んで歩き始めた。そして闇を切り裂いて光を放つ人の欲望が生み出した背徳の街へと向かって行った。

 公園ではひっそりと、今またひとり神の聖戦士が命を落とした。