<WTアナザーストーリーノベル>

ヴィタリー・チャイカ
■ジルベール・ダリエ■


花咲く出会いは突然に‥‥


 あいつの第一印象は、享楽的でいい加減そうで女性にモテそうな人懐っこい男だった。
 初対面から俺は迷惑を被ったけど、不思議と放っておけなかったんだ。
 まさかこんなに長い付き合いになるとは思ってなかったよ‥‥ありがとう。


 同じ人物に1日に何度も遭遇したら、その人物とは不思議な縁で繋がっているのではないだろうか?
 何かの書物で呼んだ言葉を思い出しながら、ヴィタリー・チャイカは皺一つない神父のローブに袖を通す。
 朝食も取らずに彼が向かうのは、色取り取りの花が咲き様々な種類のハーブが風に揺れる自慢の庭。
「‥‥やっと咲いたか」
 如雨露で水をやりながらにっこりと見つめる先にあるのはピンクのゼラニウムだ。
 成長が遅く蕾の状態が長かったから心配していたけれども、こうして綺麗な花を咲かせてくれるとその気苦労も一瞬で吹っ飛んでしまう。
「花言葉は何だったっけ‥‥」
 水遣りを終えたヴィタリーは朝食を取りながらぽつりと呟く。
 植物好きが高じて花言葉にも詳しくなったのだが、ピンクのゼラニウムのだけはどうしても思い出せなかった。
 この年でボケるのは早過ぎると過ぎる不安を振り払い、ヴィタリーは思考を幸せ側にシフトする。
「あの花が咲くまではと我慢していたあれを買いに行こう‥‥ふふっ」
 戸棚に閉まってあった銀貨入りの袋を握り締め、ずっと欲しかったものに思いを馳せるその表情は幸せに緩みきっている。
 到底25歳の男盛りには見えないほんわかさを醸し出しながら、ヴィタリーは弾む足取りで馴染みの店へと向かった。
「あった‥‥」
 ホッと胸を撫で下ろし、愛でる様な優しい視線で眺めるのは小さな桜の盆栽。
「ご主人、これを取り置きをしておいてくれないか?」
「ついにお買い上げかい? ヴィタリーさんにはいつも世話になってるから、このハーブも付けておくよ」
 人の良さそうな店主が取り出したのは、ヴィタリーが欲しがっていた薬用のハーブだった。
「ありがとう‥‥! これで病に苦しむ人達を救えるよ」
「礼を言いたいのはこっちの方さ。昨年死んだウチのばあさんもヴィタリーさんには本当に世話になったからな」 
 故人を懐かしみ寂しげに笑う店主に、ヴィタリーもまた同じ顔で頭を振る。
 懺悔室とは名ばかりで愚痴や悩み相談、世間話をしに来る者が多い中、そこで語られる話はヴィタリーの糧にもなっているのだから。
「じゃあまた仕事終わりに。働き過ぎには注意してくれよ?」
 ざっくばらんで神父らしからぬ話し方もヴィタリーの魅力の一つだ。
 気取らぬその性格は町の者に好かれ、今だって通りの向こう側から子供達の挨拶が絶えない。
 笑顔で大きく手を振り応えたヴィタリーは、桜の盆栽を一撫でして店を後にしようとした。
「愛しの君は桜の盆栽‥‥兄さん、枯れてんなぁ」
「‥‥は?」
 突如聞こえてきた暴言に振り返れば、店の塀に頬杖を着いた見知らぬ男がニヤニヤと笑っていた。
「植物が好きなんはようわかるけど、この町には素敵な花が溢れてるやん。兄さんがその気になれば引く手数多やと思うで?」  
「何処の誰だか知らないが俺は聖職者だ。恋愛に現を抜かすより町の人々の幸せをだな‥‥」
「そんな事言うて、実は恋するんが怖いだけやったりして?」
「‥‥失礼する」
 初対面の癖に妙に馴れ馴れしい男だ。しかも微妙に上から目線だし。
 不愉快さに眉を顰めながら、ヴィタリーは足早に店を後にする。
 あの男の言った事は強ち間違ってはいない。だからこそ腹が立つ。
 暴かれ早鐘を打つ胸元を押さえながら、もう2度とあの男には会いたくないと思った。


 なのに、どう言う訳だろうか‥‥これは正に悪夢だ。
「ま、よろしゅう頼んます♪」
「‥‥‥‥」
「その露骨に嫌そうな顔、傷つくわぁ。この教会は懺悔拒否するん?」
 懺悔室にヴィタリーの深く長い溜息が響く。
 まさか自分を追ってここに来た訳でもないだろうし、軽薄を装ってるだけで実は人には言えない悩みを抱えているのかもしれない。
 そう思い直しヴィタリーは咳払いの後に口を開く。
「わかった。話を聞こう」
「おおきに♪ なぁなぁ、まずは兄さんの名前を教えてや。俺はジルベール・ダリエ言うねん。ジルって呼んでや?」
「‥‥ヴィタリーだ。ジルベール、懺悔したい事とは何だ?」
 ジルベールの言葉をさくっと無視し、ヴィタリーは懺悔する者のプライバシーを守る為に設置された小窓を見つめる。
「俺、最近失恋したんや。そんで傷心旅行にキエフに来たんやけど‥‥辛ろうてな」
 先程までの明るさからは一転、その声音には寂しさが滲み出ていた。
「今までの人生ん中で1番惚れた相手やったかもしれんなぁ‥‥別れを告げられた時は胸が張り裂ける思ったわ」
「そこまで想ってるのなら、別れずに共に幸せになる道を選べば良かったんじゃないのか?」
「それが出来へんから別れたんや。大人の恋は好きだけじゃあかんねん」
「そ、そうか‥‥すまない」
 何故か諭され謝ってしまったヴィタリーに、ジルベールはくすっと微笑む。
「今となっては彼女の幸せを願う事しか出来へんけど‥‥あの男で大丈夫か心配やわ」
「もしかして相手の女性は許婚のいる身で、お前は泣く泣く身を引いたのか?」
 ジルベールの事情を知るにつれ、ヴィタリーは彼を軽薄で失礼な男だと思った己が恥ずかしくなっていた。
 彼は意外と良い奴なのかもしれない。
「ちゃうよ。許婚やなくて旦那がおる人やねん」
「ああ、既婚者だったのか‥‥ってえぇっ!?」
 ちょっと待て。事情が変わった。
「そんなに驚く事やないやろ? 良くある話やん」
「そんなに驚く事だし良くある話でもないっ!!」
 前後撤回。こいつを見直しかけた自分が馬鹿だった。
「俺はお前の不倫話を聞くほど暇じゃない! 話が終わったならさっさと帰れっ!」
「まだ何も話し終わってないで? 人妻との蜜月‥‥聞きたいんちゃう?」
 そう言われ有らぬ想像が過ぎるのが男の悲しい性。
 その妄想と一瞬でも聞きたいと思ってしまった自分を頭を振って霧散し、ヴィタリーはドアノブに手をかける。
「あんたやって、人妻とまでは行かなくても事情のある人を好きにならんとは限らんやろ? 恋は頭やなくて心でするもんや」  
 予言めいた言葉にドキリと胸が高鳴る。
「間違うてるとわかってても止められない気持ちもあるんや。俺は彼女と愛し合った事をこれっぽちも後悔してないで」
 そう告げる声は凛としていて、ヴィタリーはジルベールを少しだけ‥‥ほんの少しだけ羨ましいと思った。


 あんなに感情的になったのはいつ以来だろうか‥‥。
 念願の桜の盆栽を抱えながら家路に着いていたヴィタリーは、くるっと反転し酒場へと向かう。
 今夜は無性に酒が恋しいが、聖職者なので飲酒はご法度。
 エールとそっくりな味のノンアルコール飲料で我慢するしかない。
「‥‥あ」
 人でごった返す酒場で席を探していると、見慣れた横顔に目が留まる。
「よう会うな。ここ、開いとるで♪」
 途中退出してしまった罪悪感を知ってか知らずか、ジルベールは人懐っこい笑顔で椅子を叩いている。
「じゃあ‥‥遠慮なく」
 仏頂面のままで腰を下ろし、ヴィタリーは似非エールをくいっと煽る。
「おお、イケる口か? ってこれ、エールやないやん」
「仕方ないだろ。職業柄呑めないんだから」
「偶になら大いなる父とやらも許してくれるんちゃう? それに隠れて呑んでる神父さんも仰山おると思うけどなぁ」
「人は人、俺は俺だ」
 昼間のあの話と言い、この男はどうしてこうも人の欲求を刺激し惑わす様な事ばかり言うのだろうか。
 もしも女性ならば確実に男を骨抜きにし堕落させる悪女に違いない。
「なあヴィタリー、そんなんで人生楽しいん?」
 本日二度目の暴言に、似非エールを煽ろうとしたヴィタリーの手が止まる。
 それは胸に突き刺さる一言だった。
「楽しいに決まってるだろ。趣味も仕事も充実してるし、町の皆は優しいし‥‥」
「くそ真面目」
「‥‥は?」
「お人好し、枯れかけの草食系、残念なくらい地味」
「もしかしなくても俺の事だよな? お前、喧嘩売ってるの‥‥」
「でも、めっちゃエエ人や」
 最後に人懐っこさ全開の笑顔でそんな事を言われたら、怒るに怒れなくなってしまう。
 照れ臭さにぽりぽりと頬を掻いた後、ヴィタリーは肩の力を抜いて微笑む。
「おかしな奴だな。でもその気楽さが羨ましくもあるよ」
「根無し草の放蕩息子やからな。風の様に気ままに好きなようにさせてもろうてるわ」
 ジルベールはほんの一瞬だけ自嘲的な笑みを見せ、自分の事を語り始める。
「俺はノルマンの家具屋の跡取り息子なんやけど、しっかり者の弟に店を任せて各地を旅してるんや。その実家には数年に1度しか帰らへん」
「家族仲が悪いのか?」
「そうやないよ。何となく、やな‥‥」
 言葉を濁すジルベールに感じる仄かな陰は、つまみの豆の様にほろ苦い。
 自分と彼の人生にどれ程の違いがあるのだろうかと思いながら、ヴィタリーは似非エールを飲み干す。
「さっきは悪かった。お前の言う通り恋は倫理観で縛れるものじゃないよな‥‥」
「なあ、育ててる花には毎日話しかけとるん?」
 謝罪の言葉に触れず突拍子のない事を言い出したジルベールに戸惑いながらも、ヴィタリーはこくんと頷く。
「生きてく為の水だけじゃ花は綺麗に咲き誇れへん。言葉と一緒に愛情を注いでやらんと、すぐに枯れてまうんや」
 それが女性と花の比喩だと悟り、ヴィタリーはジルベールの横顔を見つめる。その口元は淡く優しく微笑んでいた。
「無関心言う病に犯されてて今にも枯れそうやったんや。だから傍におった。もう一度咲き誇れるように‥‥な」 
 恋の終わりは唐突に訪れた。
 女性が別れを告げたのは、体裁を気にした夫がジルベールを亡き者にしようとしたから‥‥それを知ってしまったからこそ、こうも忘れ難く胸が痛むのだ。
「しかしエエ女やったなぁ。叶う事ならもう一度だけ‥‥って聞いてるん?」
 反応がないと思っていたら、ヴィタリーは眠ってしまっていた。
 どうやらこっそりと入れ替えた本物のエールで酔い潰れてしまったらしい。
「めっちゃ酒弱いやん。仕方あらへんなぁ」
 ジルベールは微笑みながら自分のマントをヴィタリーの肩にかける。
 それを無意識に抱き寄せながら、夢見心地の草食神父は幸せそうな寝顔で一言‥‥
「思い出した‥‥ピンクのゼラニウムの花言葉は真実の友情、だ‥‥」
 2人が出会った日に咲いたその花は、友情の始まりを祝福するかのように月明かりの下で咲き誇っていた────。




●登場人物一覧
【ec5023/ヴィタリー・チャイカ/男性/(当時)25歳/クレリック】
【ec5609/ジルベール・ダリエ/男性/(当時)24歳/レンジャー】



●ライター通信
ヴィタリーさん、ジルベールさん、この度はご発注下さりありがとうございます!
お任せして頂きましたので、2人の出会いを妄想しながら楽しく書かせて頂きました。
ジルベールさんの奔放さに調子を狂わせられっぱなしのヴィタリーさんが可愛らしかったです♪


written by 綾海ルナ