なつきたっ・サマードリームノベル
ハンナ・ルーベンス



【Interval of a passing shower】

●夏夢

 ――夏が、来る。

 眩しい陽光に揺れる一面の向日葵に、染み入るような蝉の声。
 涼を求めた岸辺であがる、水飛沫と歓声。

 あるいは祭囃子に、縁日屋台。
 夜には鮮やかな炎の芸が、大輪の花を空に咲かせ。
 時には、揺らめく蝋燭の火に儚い思いを重ねる。

 辿る幾多の記憶は、尽きず。
 これより迎える記憶も、また尽きない。
 ……そして。

 今年も熱い、夏が来た――。


●蒼穹駆ける想いと願い
 眩しい太陽にジリジリと照らされ、熱された滑走路に、ぽつんと丸い雫が落ちた。
 一つ二つと落ちた水の粒は、すぐに次から次へと降り注ぎ。
 間もなく、叩きつける勢いの雨に変わった。
 鉛色の雲が照りつける太陽を覆い隠し、白んだ滑走路を灰色に塗り上げていく。
 それからやや遅れて、予定されていた訓練フライトの延期と、当該パイロット待機のアナウンスが格納庫に響いた。
「待機、ですか」
 足を止め、伝達事項を繰り返すスピーカーを見上げたハンナ・ルーベンスは、少しだけ思案を巡らせてから再び歩き始める。
 まだ静かな通路に、靴音だけが規則正しく刻まれて。
 それも整備士達の仕事場に近付くと、指示を出す声や走り回る整備車両の音にかき消された。
 金属と整備油などの匂いが混じった、独特の空気。
 その先に、物言わぬ鋼鉄の機体の群れが、今は静かに佇んでいた。
「見学者か? どっから迷い込んだか知らんが、ここは一般見学コースじゃあ……」
 背後からのしわがれた声に、ナイトフォーゲルを見上げていたハンナが振り返れば、老齢の整備士はやや驚いた表情を浮かべる。
「こりゃあ、失礼。ドコからか迷い込んだ、見学者かと思ったんじゃ。こんな所に、尼さんが来るのは珍しいからな」
「チーフ。あの人は尼さんじゃなくて、シスターっすよ」
 帽子を取って謝罪する老チーフへ、通りがかった若い整備士が訂正した。
「判っとる。無駄口を叩く暇があったら、とっとと仕事に戻れ」
 手にした帽子で老チーフが部下の尻をはたけば、笑いながら整備士は彼女へ頭を下げ、脇を抜けて持ち場へと走っていく。
「まったく」とぼやきながら、老チーフは脱いだ帽子を被り直した。
「お忙しそうですね」
「なぁに。儂らの仕事は、多少忙しい方がいいんじゃよ。あんた達のお陰で、こうして仕事にも専念できる。儂らにとって一番恐ろしいのは、ここに一台のKVもない時間じゃからな」
 曲がり気味の腰に手をやりながら、老チーフは彼女と並んで足を止める。
「一台のKVもない時間……ですか」
 老人の言葉を繰り返し、改めて彼女はずらりと並ぶ様々な機体を見上げた。
 そんな状況で真っ先に思いつくのは、例えば大作戦。
 煙をたなびかせながらも、辛うじて帰還した機体。
 着陸した途端、力尽きて動かなくなる機体。
 そして、帰ってくること自体が出来なかった機体。
 彼女自身、そんな光景を何度も目にしている。
 思い出せば、自然と組んだ白い指にぎゅっと力が込められて。
「そういえば、訓練フライトの延期アナウンスがあったな。もしかして、待機中か」
「ええ、はい。ちょうど、来たところだったんです」
 話題を変えるしわがれた声に気付き、ハンナは肩の力を抜いて答えた。
「そうか。まぁ、この雨ならじきに止むと思うが」
 老チーフの言葉に開いたままの格納庫の扉を見やれば、外は激しい雨が降りしきって。
 何気なくハンナはそちらへ歩を進め、空を見上げる。
 垂れ込める雲は重く厚く、真夏の太陽を覆い隠していた。
 雨の勢いもあって、すぐに晴れるようには見えない。
「それにしても。なんでまた、あんたはこんな闘いに身を投じておるんじゃ?」
 突然の問いにハンナはその意味を図りかねて、小首を傾げる。
「気を悪くしたなら、すまんな。ただ、あんたを見とると……戦争なんかとは、縁遠い人のような気がしてな」
「KVとは不釣合い、ですか」
 質問の形を変えた彼女に、作業用のワゴンに積まれた工具を確かめながら「そうじゃな」と老人は呟いた。
 一つ息を吐いてから、肩にかかる髪へハンナは指を通し、耳にかける。
「バグアの手から取り戻したい、大切な姉が居るんです」
「ほぅ。あんた、姉さんがおるのか」
「はい。リリア・ベルナールという名前の、姉が」
 彼女の口唇からその名が紡がれた瞬間、騒々しい格納庫が一瞬、水を打ったように静まり返った。
「リリア・ベルナールって、ドローム社社長の妹で……それでいて、北米にいるバグアを仕切ってるっていう、『あの』リリア・ベルナールっすか!?」
 若い整備士の一人が思わず声を上げ、ざわめきが波のように格納庫内へ広がる。
 どうやら彼女の姉の名は、一介の整備士の間にまで伝わっているらしい。
 もっとも、『北米バグア軍総司令官』という彼女の『地位』を考えれば、傭兵達との関わりが深い彼らには、耳を塞いでいても聞こえてくるのかもしれないが。
「そのリリア・ベルナール、です」
 少し困ったような笑顔で、ハンナは整備士達の疑問を肯定した。
「それって、確か北米のバグア軍のトップの奴だろ……」
「俺、傭兵の人らが話してるの、聞いた事があるよ。何でも、すんげー腕のいいパイロットだって」
「能力者が凄いのは判るけど、向こうはバグアだろ?」
「取り戻すとか言う前に、返り討ちに……いや、滅多な事は口にしたくないが」
「どういう係わり合いがあるのかは知らないっすけど、無理っすよっ」
 心配しているのか、整備士達は口々に彼女の無謀さを訴える。
 だが、ハンナは祈るように指を組んで、じっと彼らの話を聞いていた。
 その端整な顔立ちに、聖母の如き穏やかな笑みを浮かべ。
 栗色の瞳は一点のかげりもなく、ただ真っ直ぐに澄んだ色をたたえて。
「ほら、手が止まってるぞ! ハンパな仕事して、整備不全で飛んでもらう気かっ!」
 油で汚れたタオルをパンッとひと振りし、半ば呆然とハンナを見つめる部下達を老チーフが一喝する。
 叱咤された若い整備士達は、はたと我に返り。
 軽く彼女へ会釈をしてから、それぞれ自分の仕事へ戻っていった。
「マジだぞ……あの人」
「うん。なんつーか、凄いよな……」
「よく知らないけど、洗脳とかってあるんだろ。正気に戻るとか、ないのかなぁ」
「そうだよな。今はバグア側についてても、同じ人間なんだし……」
「こぉらっ! ぼさっとしてる間に、雨が止むぞ。そしたら、すぐにフライトが控えてんだ。電気系統のチェックは、終わったのか? 油圧システムの調整は!」
 二度目の怒鳴り声に、ひそひそと小声で話していた整備士達は一斉に飛び上がって慌てふためき、今度こそ各々の仕事に専念する。
「やれやれ……見苦しいところを見せてしまって、すまんの。大事な機体が心配になるじゃろう」
「いいえ。皆さん、ちゃんと丁寧な仕事をされていますから」
 緩やかに髪を左右に揺らすハンナに、老チーフは帽子のつばに手をかけ、深く被り直した。
「バグアは、確かに許せん相手……じゃが、一人くらいは、そんな無茶をする奴がいた方がいいってもんだ。取り戻したい相手が大切な家族なら、尚更な」
 低く呟いてから、老いた整備士は少し曲がった腰に手をやって、背筋を伸ばす。
「で、そういう無茶をするお前さんに多少手を貸したって、神さんもバチは当てんだろうよ」
「ありがとうございます」
 言葉から少し遅れて、思い出したようにハンナは僅かに頭を下げた。
「礼を言われる筋合いなど、ないぞ。それが儂らの仕事だからな。ほれ、おてんとさんもあんたを応援しとる」
 顎をしゃくって示す老チーフの仕種に外へ目をやれば、降りしきっていた雨はいつの間にか止んでいた。
 厚い雲が切れ、その間から再び陽光が差し込んでいる。
 滑走路を滑ってきた一陣の涼風が、彼女の髪をふわりと揺らした。
 夏の空を見上げながらも、ハンナの脳裏によぎるのは、カナダの別荘で過ごした短い冬のひと時。
 たとえ血の繋がりがなくとも、姉妹である……そう、お互いを認め合った日の事を思い起こし。
 手繰る記憶を、事務口調のアナウンスが断ち切った。
 格納庫にいる者達へ、雨で延期していた訓練フライトの開始時間と、該当する能力者の待機解除を知らせる。
「どうやら、忙しくなりそうじゃの」
「はい。行って来ます」
 もう一度礼をして、ハンナは足早に準備へ向かった。
「ああ。行ってらっしゃい、シスター」
 かける声に、足を止めて振り返った修道女は首から提げた十字架を握り、笑顔で頷き返す。
 青い修道服の後姿を見送った老チーフは、目を細めて広がり始めた青空をしばし仰ぎ。
 それから汚れたタオルをベルトに挟むと、自分の仕事を成すべく、若い整備士達の間へ戻っていった。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【ga5138/ハンナ・ルーベンス/女性/外見年齢20歳/スナイパー】
【NPC/ULT整備部の老チーフ/男性/外見年齢60歳前後/一般人(整備士)】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 お待たせ致しました。
「なつきたっ・サマードリームノベル」が完成いたしましたので、お届け致します。
 にわか雨のひと時。どこかしんみりした雰囲気になりながらも、騒がしい整備チームへようこそ――といった感じになりましたが、いかがでしたでしょうか?
 リプレイよりも先に、こちらで初めて描写させていただく事となり、ハンナさんの柔らかな立ち居振る舞いと芯の強さを上手く描けているか、少し心配ではありますが……お気に召していただければ、幸いです。
 最後となりましたが、ノベルの発注ありがとうございました。
(担当ライター:風華弓弦)


written by 風華弓弦