【光放つ命】
蛍。
その光は求愛の為に点されるのだが、人はそれを『命の輝き』と例える事がある。
美しき清流にしか生息しないという儚さと、闇夜に小さくとも温かみのある色で点る光。
それらが、この世界での人の命というものに酷似しているからかもしれない。
とある国では、その光を観る行為を『蛍狩り』というそうだ。
実際に狩りを行うわけではないが、その儚い光を眺める行為を、例えてそう呼ぶ。
人の心は十人十色。
思うものも十人十色。
求愛の為の光に、愛するものを想う者。
やがては消えてゆく光に、かけがえのない日々を思う者。
夏の風物詩ともいえる蛍狩り。
それはとても幻想的で、観る者たちの心の中に様々な想いを宿すに十分な力を持っているのだった。
■□■
ワインボトルから抜き取ったコルクを見やりながら、彼はふと意識を過去へと巻き戻す。
――あの頃の彼は、まだ懐かしい夏の休暇を楽しんでいた。
淡く潔い光は、今は遠く。
けれども確かに、彼の記憶に存在しているのだ。
各所を飛び回るUNKNOWNにとって、自身の所有する別荘で過ごす夏の休日は何ものにも代えがたいものだった。
湖の畔。日差しの強い日中であっても、涼やかな風の吹き込む彼の別荘は、畔に並ぶ別荘から少し離れた、まさに『切り取られた様な』場所にひっそりと聳え立っている。
湖の中心にある無人の小島には、小さなボートが乗りつけられていた。
恐らくは、彼と同じく避暑に訪れた家族連れが、子にせがまれて出したのだろう。
普段静かな湖畔では、やはりこちらも家族連れであろう人々が、声を上げながらその涼やかな水に足を浸している。
「――そうか、そんな季節か」
愛飲する120Sのロングシガーを左の人差し指と中指に挟みながら、小さく呟く。
彼の滞在している別荘から、その声がはっきりと聞こえる事はない。
けれどもベランダに出て畔を眺めれば、人々の楽しげな様子と共にその声までもが聞こえてくる様だ。
時折鳥が、人々の声をバックコーラスに控え目ながら美しい歌を響かせていた。
汚れひとつない純白のカッターに、ロイヤルブルーのウェストコートとスラックス。
きっちりと詰められたワインレッドのタイ。
つい最近まで多忙を極め、世界中を飛び回っていたUNKNOWNは、避暑に訪れる者としては少々窮屈な服を身に纏っていた。
もう片方の手でタイを緩め、首元を寛げさせた彼は、もう一度視線を落として湖畔を眺める。
人の声で溢れる世界から離れた、彼だけの世界ともいえる別荘でのひと時。
耳に入る音も、今のUNKNOWNには小さなBGMにしか成り得なかった。
穏やかで、楽しげな雰囲気というものは、例えそこに自分がいなくとも空気を和らげる事の出来る最高の甘味料だ。
「……悪くない、ね」
紫煙を燻らせながら、優しげな瞳で湖畔と周辺の風景を眺めながら、彼は珍しく唇の端を引き上げる。
世界はまだ、美しい。
それが彼にとっての幸福だ。
彼の別荘には、彼以外の人はいない。
しかし彼は一人ではない。
此処には、彼が気を許す愛犬がいる。
利口で、手の掛からない。しかし必要とあらばその牙を剥く事も厭わない、UNKNOWNの相棒である『彼』は、控え目に一声鳴いてみせた。
「おや。もうそんな時間かな」
小さく肩を竦め、ベランダから室内へと戻る。
――相棒がせがんだのは、少し早い夕食だ。
日の落ち始めた湖畔の別荘は、都会のアスファルトからは想像もつかない程に涼やかだ。
相棒の食事中、UNKNOWNは窓辺に持ち出した一脚の椅子にゆったりと腰を落ち着け、絶妙な温度に冷やされたワインを口に運んでいた。
傍に置かれたコルクは、彼の手にしたナイフによって器用に細工を施され。
時折、愛用のカメラのピントを様々なものに合わせながら、普段よりもゆっくり流れていく時間を楽しむ。
傍らに置かれた身の丈半程の大きさを誇るケースの中。
彼が好んで奏でるチェロが、自分の歌う時はまだかと出番を待っていた。
日が落ち切ってしまえば、そこから先は彼が最も愛する時間。
――闇色が溶け込む、夜の始まりだ。
ケースから彼の腕へとその場所を移したチェロは、此処こそ自分の舞台だと鈍い月の光を反射しながら歓喜の声をあげる。
随分前に食事を終えた相棒は、UNKNOWNの足元に伏せながら、彼の奏でる音を何処か楽しみにした様子で耳を震わせていた。
「さて、君はどんな音を御所望かな?」
低く甘いテノールヴォイスは、静かな別荘の一室によく響く。
問われた相棒は、その瞳に湖畔の風景と彼を交互に映した。
どうやら耳の肥えた相棒は、この風景と時に合った曲を望んでいる様子。
先程まで紫煙を纏っていた左手の指を、滑らかに弦へと移し、ワイングラスの代わりに弓を構える。
――静かな空気の中、彼の声と同じ低く甘いテノールが歌い始める。
人工的な光に掻き消されてしまう小さな星も。
空調の熱風で打ち消されてしまう涼しい風も。
此処でならば、全て手に入る。
UNKNOWNは奏でる。
それに応えて、チェロは歌う。
例えひと時であったとしても、幻想でもなく、確かに其処にある穏やかで、幸福な時間を。
そして其れを確かに、彼自身も足元の相棒も楽しんで、慈しんでいるのだ。
「おや」
不意に、UNKNOWNは視界に入ってきた光に声をあげた。
清らかな水辺にしか生息する事を許されない。
否。自ら其処にしか生きる事を許さない、潔い光。
――蛍、だ。
ポツリ、ポツリとあちらこちらで灯っては消える、その光を眺めながら、UNKNOWNは滑らかに弓を動かし続ける。
抱かれたチェロが歌うのは、郷愁と旅情漂う命の即興曲。
柔らかに吹く風が、時折緩められたタイを揺らす。
足元に寝そべる相棒は、耳を震わせながらその歌に酔いしれている様だ。
全てを楽しみながら、彼は願わずにはいられなかった。
いつもでなくて構わない。
ただ、この時間が、何時かも続いていく様に。と。
紫煙の薫りも、好むワインや服装、そして多忙さすら、今も変わらず。
ただ一つ、変わってしまった事は、彼が身を置くその立場が増えてしまったという点だけ。
様々な出来事が彼を『今』の彼へと構築したのは間違いもなく。
またそれを、今の彼自身も拒む事はない。
――懐かしきあの時間は、今は遠く。
淡く潔い光も、なかなか見る事は出来ないけれど。
「にゃあお」
バスルームから響いてきた鳴き声に、彼は小さく肩を竦めた。
どうやらバスルームに置いてきた子猫は辛抱強い性格ではなかったらしい。
そんな事を言えば、あの金色の子猫は小さく唇を尖らせて、我が儘を言うに違いない。
「私を待たせるからですわ」と。
今は遠い、あの頃の相棒とは全く違う、気まぐれな子猫。
「待たせた、ね。赤でよかったかな?」
貴く懐かしきあの時は戻らない。
けれど、UNKNOWNは確かに覚えているのだ。
自分の腕に抱いたチェロが歌った即興曲も。
足元に寝そべって聞き入った相棒も。
穏やかに流れた、湖畔に建つ別荘での時間も。
何処かで。
ナイフで器用に細工を施されたワインのコルクが、コロリと転がった。
END
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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ga4276/UNKNOWN/男性/外見年齢30歳/スナイパー】
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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>UNKNOWN様
大変お待たせ致しました。
(納品の季節が秋になってしまって、申し訳ありません)
様々なものに造詣深いUNKNOWN様なだけに、ワインのコルクへと上手な細工をして下さるだろうな、と思っております。
ご期待に沿えていれば幸いです。
重ねまして、発注頂きまして有難う御座いました。
風亜智疾
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