■美味しく食べよう♪■
商品名 流伝の泉・ショートシナリオEX クリエーター名 津田茜
オープニング
「‥‥‥‥‥‥」
 権天使ヨハネの名代として豊中テンプルムを訪れた使者を前に、テンプルムのコマンダー・ウィルダーネスは沈黙した。
 彼だけでなく、その場にいたグレゴールとファンタズマも全員がなんとなく言葉を失くして視線を宙に泳がせる。――現実から目を背けても、問題の解決にはならないのだけれども。
 量らずも珍客となってしまった大天使ウィスタリアもまた、草食の獣を思わせる優しげな美貌に少し困った風な微苦笑を浮かべ‥‥彼女が持参した手土産だけが場を支配する気まずさを意に介することなく、のんびりと細い尻尾を振りながら朝食を反芻していた。
 2本の角と、よく肥えて黒光りするみごとな巨体。――誰もが知っているお馴染みのホルスタインではないが、見紛うことなき牛である。
 どうして、ここに牛がいるのか。
 豊中テンプルムの置かれた千里中央は、大阪市内に比べれば緑も多い。だが、牛を見かけるほど田舎でもないはずなのだが。
「貴方にお預けするとのお言葉ですわ」
 ウィスタリアの声にも、どこか気の毒そうな響きがあった。
「先日の会談のお土産に、と。神戸より頂いたものだとか。――極上の神戸牛なのだそうです」
 いくら極上と言われても、この状態では食えないし。
 グレゴールの何人かは、心の中でつっこんだに違いない。が、ウィルダーネス1人ならともかく、大阪メガテンプルムの大天使を前にしてそれを言葉にする勇気を持つ者はさすがにいなかった。

□■
 密より火急の呼び出しを受けた魔皇たちは、拠点となる喫茶店の真ん中でのんびりと餌を食む牛の姿に立ちすくんだ。
「こ、こいつは‥っ?!」
「牛です」
 そんなこたぁ、見りゃ判る。
 半ば自棄気味の言葉を返した密の長の隣で、白兎がなにやら申し訳なさそうな理由知り顔で立っていた。
「すみません。――豊中テンプルムのグレゴールに押し付けられました‥」
 神戸会談での取り決めにより、密の諜報活動は―人間に危害を加えないという条件付きで―部分的に取り締まりの対象外となったものの、いきなり看破されるとは情けない。
「しかし、なんで牛が‥‥」
「‥‥その‥神戸会談で、シモン殿が下さったものだそうです‥」
 瑠璃の司であるつばさと神戸のプリンシパリティ・シモンが平和についての会談を行ったのは四月の終わり。その会談に大阪の権天使ヨハネが同席していたことは、TVで報道されたこともあり、魔に属する者なら無関心ではいられぬ話題ではあるが‥‥。
 会談に出席したヨハネが、おやつに明石焼きと神戸牛が食べたいとリクエストしたのがそもそもの始まりであるらしい。――権天使の希望とあって、主催者もきっと奮発したのだろう。
(‥‥いくら奮発してもらっても、牛一頭は豪気だよなぁ‥)
 おそらく、扱いに困った大阪メガテンプルムが豊中テンプルムに押し付け、さらに、白兎へと鉢が回されたに違いない。
 その経緯が目に見えるようだ。力ない笑みを浮かべる気弱げな青年を眺め、魔皇たちはしみじみと吐息を落す。
「瑠璃にとっては大恩のあるお方が下されたもの。無碍にするわけにも参りませんので、バーベキュー大会でも開催して美味しくいただきたいと思います」
 神帝軍や人間たちに、魔に属する者が無害であると広くPRするにもいい機会だ。
 そう言って、密の長は集まった魔皇たちをくるりと見回す。――すっかり開き直ったのか目が据わっているのが、ちょっぴり怖い。
「魔皇さま方にはご協力の方、よろしく願いいたします」
シナリオ傾向 バーベキュー大会 交流 闘牛(?) のんびり ほのぼの
参加PC 筧・次郎
天壌・まりあ
彩門・和意
加羅薙・蒼馬
猫宮・いゆ
グラス・ライファー
功刀・港
天昇・秋
護国・英霊
神宮寺・隆司
美味しく食べよう♪
●承前
 降り注ぐ陽光に夏の気配が混じり始めた5月の中日。
 近畿一円を不穏に包んだ紫の夜に揺れた人の生活も、とりあえず落ち着きを取り戻しつつあった。――感情搾取によって刺激のない生活を嘆く風潮は既になく‥‥仮に健在であっても、3月15日の惨劇を過ぎてなお神魔の争いに進んで巻き込まれたいと思う物好きはいないだろうが‥。
 大阪住之江区の食肉処理場の職員は訪れた逢魔・降真(w3c866)に、怪訝そうに首をかしげた。
 社会見学に食肉処理場というのもなかなかシュールな選択だが、牛の解体手順を習っても実践する機会はかなり少ない気がする。覚えておいて損はない‥‥というより、どちらかと言えば無駄知識。散々、不思議がられた挙句に、本当に解体するのは牛なのか? と、あらぬ疑いをかけられる波乱万丈の幕開けとなった。
 諸般の事情を説明し、神魔主催のバーベキュー・パーティーへの参加を呼びかける折込みチラシまで差し出した降真に、職員はひと言。
「なんや、ややこしいコトでっしゃなあ。あんさんやのうて、牛を直接ここに連れて来はったらよかったのに」
 ‥‥‥その手があったか‥‥。

●5月のある晴れた日に
 上天にうっすらと薄雲を吹き流す、抜けるような5月の碧落。
 降水確率0%は、文句なしの快晴。――強すぎぬ陽射しと爽やかな風が心地よい、絶好のバーベキュー日和である。
 都心から少し離れた大阪の郊外。新緑眩しい山間のキャンプ場に黒い和牛を引っ張って訪れた筧・次郎(w3a379)に、施設管理の担当者はやはり絶句した。
 事前に連絡を受けてはいたものの、まさかホントに連れて来るとは――
 持込自由とはいっても、生きた牛を丸ごと1頭連れてきたのは筧が初めて‥‥否、筧だって、別に奇を衒ってコレを運んできたワケではないのだけれど。
「‥‥ドナドナ‥?」
 作業服と軍手の完全装備。これで長靴なんてはいていれば、畜産業に従事する好青年に見えなくもない筧の姿を遠目に眺め、天壌・まりあ(w3a798)を手伝ってカラオケ機材を運んでいた逢魔・闇紫(w3a798)は脳裏に懐かしい歌を思い浮かべる。
「生きた牛まるごとプレゼントってところに、シモンの性格が滲みでてる気がするなぁ‥」
 まりあの呟きは、ごもっとも。――剣皇の名誉の為に言っておくと、別にシモンも生きた牛がそのまま贈られるとは思っていなかったはずだ。命令を受けた聖鍵戦士が、ちょっと張り切ってしまっただけで。ついでに言うなら、つばさとシモンの会談に押しかけた上、ちゃっかりお土産を要求し、さらに引き出された牛を平然と連れて帰ってくるヨハネの性格も滲み出ている。
「まぁ、そのおかげで、こうやってバーベキュー大会が出来るわけやし」
 彩門・和意(w3b332)がレンタルしてきた軽トラックの荷台から野菜やら木炭の箱を下ろすのを手伝いながら、逢魔・三日月(w3d611)がやんわりとフォローを入れるが、主から解体係を仰せつかった身としては溜息半分といったところか。
 普段、何気なく買っているスーパーの食肉売り場からは想像もできないが、パック売りのお肉だって誰かがどこかでサバいているのだ。――その役がまさか自分に回ってくるとは、さすがに想像していなかったが。
 次からは、犠牲になる牛にも食肉処理に携わる人々にも、感謝の気持ちを持って食べられるに違いない(合掌)。

●飯盒炊爨
 肉もいいけど、日本人ならご飯も食べたい。
 こっそり持ち込んだ米を研ぐ神宮寺・隆司(w3j575)の隣で、逢魔・ビルナス(w3d744)も持参した食材と調味料を調理台の上に順に並べる。ニンジン、玉ねぎ、ジャガイモとくれば、こちらもアウトドアの定番カレーライスだ。
「私、ご主人さまの為に、腕を振るうアルよー!」
 張り切るビルナス。実は、カレーは初挑戦である。――カレーを失敗する者は、そうそういないと思うけれども。とりあえず、愛さえあればきっと大丈夫だ。
「上手に作れたら、ご褒美に相撲を‥(ポっ)‥してもらうアル」
 相撲を“取る”ではなく、“する”。何故か顔を赤らめるビルナスの期待をよそに、ご主人さまことグラス・ライファー(w3d744)は、大量のニンニクを前に胸を張る。
「バーベキューだからワイルドに! 火で焙って塩コショウして‥‥やっぱり、決め手はたっぷりのニンニクだがや!!」
 アウトドアはワイルドに。強い信念の元、豪快にニンニクをすり下ろすグラスの視界に、ひょこりと小さな頭が飛び込んできた。
 やわらかそうな金茶の髪に、海藍色の眸をした幼さの残る少年。――育ちの良さげな容貌<かおかたち>は天使のように可愛らしいが、丸い眼鏡の奥にゆれる怜悧な色は少し‥‥いや、かなり小生意気そうである。
「ボク、スペアリブも食べてみたいんだけど」
「‥‥‥‥‥」
 凝っと見つめ合うこと数秒。少年がその身に纏うどこか高貴にも思えるきらめくようなカリスマに否とは言えず、グラスはこくりと首を頷かせていた。
 こんなこともあろうかと!
 豚肉、鶏肉もしっかり準備してきたのである。因みに、鶏肉は天昇・秋(w3h948)も用意していた。
 レプリカントよりも役立つ男、グラス・ライファー(30歳、刻印は激情の紅)。――単に極上神戸牛も捨てがたいが、チープに焼き鳥も食べたかったのかもしれない。


●買出しの罠
 アウトドア・レジャーが流行の昨今。
 大抵の用具や資材は、専門店を探さずとも大型のディスカウントショップでお安く購入できる。
 使い捨てのコップや取り皿も最近は抗菌プラスチックで、色も形も種類が豊富で目移りしそうだ。
 ショッピングカートを押して歩いていた逢魔・鳩(w3a379)は、ふと連れの姿が見当たらないことに気付いて広い店内を見回す。さっきまで、肩を並べて歩いていたのだが。
「‥‥猫宮、さま‥?」
 休日ともなれば、客も多い。ガーデニング用品やレジャー用品の他、生活雑貨も安売りの広告でも出ていたのだろうか。気が付けば、鳩の周囲は人が溢れていた。――小学校低学年の女の子が迷子になるには、格好のシチュエーションである。
「‥‥‥‥‥‥」
 いかなる場合も、慌てず、騒がず。とりあえず、くるりと周囲に視線を巡らせて状況を確認、そして、しばし沈黙。――心情を表に出さぬ相変わらずの無表情だが、一応、困っているようだ。

 外出時の心得 〜其ノ27〜 
 人の多い所では、手を繋いで行動すること。(『どっきどき雑記帳』より)

 これは鳩の主だけでなく、全ての魔皇様に共通する注意事項であったのかもしれない。今夜あたり、しっかり追記しておかねば‥‥。そんなことを考えながら、お使いメモを片手に買い物を続ける鳩の耳に、聞き覚えのある声が飛び込んでくる。
「鳩ちゃ〜ん♪」
 顔を上げると、両手にソフトクリームを持った猫宮・いゆ(w3d611)が立っていた。
「猫宮さま」
 どちらに? と、訊ねられる前に、いゆは子供らしい極上の笑顔でふたつのソフトクリームを鳩の前に突きつける。
「鳩ちゃんはバニラと抹茶、どっちが好きにゃ?」
 抹茶でもバニラでも。食にこだわりを持たない鳩には、どちらも不用であるのだけれど――
「彩門さんが、お釣りでアイスを買っても良いって、言ったにゃ。今日は、お天気が良いから美味しいにゃ」
 きらきら輝く純真無垢の大きな瞳で見つめられては、嫌とは言えない。――子供と魔皇様には、逆らえません。
「‥‥‥‥‥抹茶‥を‥いただき‥ます‥」
 魔皇様からこういうものを頂いた場合、何かお返しを渡した方がいいのだろうか。
 主から持たされた“幾許かのお金”が入った財布を両手で握りしめ、無表情に考え込む鳩だった。
 ――今夜の『雑記帳』は、たくさん書き込めそうな予感がする。


●再会と‥
 天昇に案内されてやってきた大天使は加羅薙・蒼馬(w3c866)の存在に気付くと、優雅に首を傾け会釈した。
「ちょっと、ウィスタリア! ヨハネ様は何処に行かれたのよ?」
「ヨハネ様なら、先ほど‥‥」
 権天使を探す大柄なもうひとりの大天使に呼ばれ、その視線はすぐに他所に移ってしまったけれども。
 まぁ、急がずとも、話しをする機会はあるだろう。
 先日の誘拐事件で世話になった礼。――それに、その当事者であった橋口美咲とも再会したい。夫妻が招待を受けてくれていると良いのだけれど。
 それから――
 時々会ってもらえないか、どうかも聞いてみたいところだ。もちろん、一緒に慈善活動がやりたいだけで。お付き合いしてほしいとか、そういう他意はない。‥‥たぶん‥。
 晴海といいウィスタリアといい。惚れっぽいのか、昔好きだった人に似ていると思うのは気のせいだろうか。敵味方なく人を愛するような慈愛に満ちた存在。強くて儚い‥‥彼女もまた、確かに加羅薙が護りたいと胸に描いた者だった。


●牛追い祭り、そして――
「わぁい♪ 牛さんにゃv」
 即席の囲いの中でのんびりと草を食む牛に、いゆが嬉しげな歓声をあげる。
 これから掻っ捌かれてバーベーキューのネタになるのだと思えば、この無邪気さが空恐ろしい。――まぁ、今更、湿っぽくなっても、それはそれで不毛だが。
「いゆ達が食べる牛さんにゃ。食べる前にちゃんとありがとうするの」
 周辺に咲く野の花を摘んで作った花輪は、とりあえず美味しそうに食べてもらえた。
「可愛いにゃぁ」
 手を伸ばせば、大人しく撫でさせる。黒い天鵞絨のような黒い毛は、すべすべして手触りもなかなか。黒目がちのつぶらな瞳も優しげで‥‥これなら、背中に乗っても安全そうだ。
「三日月ちゃん、お尻押してにゃ」
 逢魔に手伝ってもらい牛の背中によじ登る子供に微笑ましげな視線を送る逢魔・鈴(w3b332)の隣で、彩門はちょっぴり心残りの吐息を落す。
「‥‥牛さんは人気がありますね。『1人牛追い祭り』をやりたかったのですが‥‥」
「和意様、そんな事を企んでいたのですか?」
 呆れ気味の鈴の視線に慌てて弁解しようと口を開いた彩門を遮って、どこからか郷愁を誘うフラメンコ・ギターの音色が静かな山間の行楽地に響いた。
 驚いて振り返った視線の先に、やたら気取ってふんぞり返った目つきの悪いひねた仔猫が1匹。――赤いハンカチをマント代りに首に巻き、口には深紅のバラを咥えてやる気満々で立っている。
「ぶみ」
 どうやら、闘牛がやりたいようだが‥‥生憎、牛の方はいゆを背中に花輪を食べるのに一生懸命で、ぶさ猫には目もくれない。
 何度か挑発を試みるも一向に相手にされず苛立ったのか、仔猫はつつつと牛に近づき。そして‥‥。
 翳された爪が、鮮やかな陽光にキラリと眩しく光った。

 ――バリ‥ッ!!!

「「「「あっ!!」」」」
 思わず眸を見開いた彩門、鈴、いゆ、三日月の声に、地鳴りのような牛の鳴き声が重なる。一見、大人しく従順な生き物に思えるが、牛を怒らせると怖い。――闘牛とは、牛だけでなく、牛と戦う闘牛士だって命をかけたスポーツなのだ。
「いやあぁん! 三日月ちゃん、助けてにゃ〜〜!!」
「ぶみ〜〜」
 いゆを背中に乗せたまま突進する牛に逃げ惑う仔猫は、呆然と事態を見詰めていた彩門の足元に駆け寄り、はっしとその背中に飛びつく。
「え? ええ? えええ?? わあああああああっ!!!!!」
 サーバントが相手ならともかく、まだ心の準備ができていない。首に赤いハンカチを括りつけた仔猫を背負って逃げる彩門を追いかける牛を眺め、鈴はふと思いついて言葉をかけた。
「‥‥和意様。それじゃあ、牛追いじゃなくて、牛に追われていますよ」
「こ、これは違うんですよおおおぉ!」
「いゆ‥‥じゃなかった、ご主人さまぁぁ!」
 予定表を片手にスケジュール遂行に余念の無い鳩に急かされ、牛をサバきにやってきた筧、加羅薙、降真、功刀・港(w3h700)も巻き込んで、攻守逆転、阿鼻叫喚の大騒ぎ。
「私はまだ何もしていないのですけどねぇ‥」
 潰して食う心算ではいたけれど。筧のぼやきに、鳩が冷静に指摘する。
「‥‥‥バレ‥て‥しまった‥‥の、で‥しょう‥か‥」
 可愛さ余って、憎さ百倍。良心の呵責に悩むことなく、心置きなく食い尽くせるような気がしてきた。いそいそと準備してきたお花畑の絵を広げ、鈴はパンパンと手を叩いて集まった人々の注意を集める。
「はいはい。解体作業に耐えられない方はこちらをご覧くださいね」
「ねえ、これって何て花?」
 指差したヨハネの問いにしばし考え、鈴は閃いた名案にぽんと手を打った。耳の飾りがちりんと涼しげな音を響かせる。
「天国のお花です」
「‥‥ふぅん‥」
 何処からか取り出したクレヨンで何やら落書きなど始めた少年の真似をして、他の子供たちもそれに加わり。解体作業が終わる頃には、一大芸術作品が出来あがっていた。
「――これは小ヤコブさまですか?」
 帰ってこない権天使を迎えにきた大天使ウィルダーネスが指差したのは、赤い塊。――顔から直接、手足の生えた頭足人に、何故か腹筋だけはしっかり描き込まれている。
「そう」
 プリンパシリティ・ヨハネ画、13使徒の肖像。出すところへ出せば高く売れるかもしれない。――どう見ても、子供の落書きだけど。
「こちらは、タダイ様ですか?」
「ううん、ノヅチ。 タダイは、こっち」
 一応、本人にはちゃんと見分けがついているようだ。


●調理のいろは
 とりあえず首を落として、血抜きする。
 降真の指導の下、順次、切り分けられ運び込まれる肉の塊を前に、逢魔・ユキ(w3j575)は改めて気合を入れた。何と言ってもバーベキューのメインは、肉。これなくしては、始まらない。
 皮や骨、内蔵など、全てが食べられるワケではないが、牛、丸ごと一頭。かなりの量になりそうだ。
「これ、お願いしてもよろしいでしょうか?」
 野菜の下準備を終えた逢魔・朔(w3h700)にも手伝いを頼み、手際よく食べごろサイズに調理していく。いつにないやる気を見せる魔皇の様子に、逢魔・ニーナ(w3h948)も一生懸命だ。
「バーベキューだけじゃなくて、他の料理もできないかな?」
 と、言うまりあのリクエストに応えて、モツ煮込みや、ローストビーフなんて高度なメニューにも挑戦してみる。――出来あがり時間の方が少々、心配だが気にしちゃいけない。挑戦あるのみ。
「ミンチになっちまったところは、ハンバーグにでもしたらええんちゃうやろか」
「分厚いステーキっていうのもロマンだ」
 最初は沈黙気味だった解体現場も、原型が失われていくに従って舌が回り始めた。首から提げたストップウォッチを手に状況を見守っていた鳩は、どさくさに紛れて怪しい動きを始めた主に気付いて小首をかしげる。
「‥‥主さま‥それは‥‥」
 豪快に切り分けられた骨付き肉。鳩はあまり詳しくはないのだが、原始時代のデフォルメ漫画に出てくるような。
「いやあ、1度やってみたかったんですよ♪ 美味しそうでしょ?」
「‥‥‥‥美味しい‥の‥‥ですか‥?」
 ものは神戸牛なのだから、上手に焼けば美味しいはずだ。他と比べてどうかと問われれば――それは、気分の問題だろう。
 アバウトな表現は、やっぱり苦手な鳩だった。

●BBQパーティー
 ようやくたどり着いた最終目的。
 いいカンジに焼けた肉を前にして功刀は感無量で拳を握る。――思えば、長い道のりだった。つらつら省みること数ヶ月。あと一歩で食い逃した肉の面影は、未だに瞼の向こうで燦然と芳ばしい湯気を立てている。
「今日は食いまくるぞ!」
「あ、魔皇さまシイタケが焼けてます」
 高らかに宣言した功刀の取り皿に、朔は箸で摘んだシイタケを放り込んだ。肉厚の傘に刻まれた飾り包丁がまた食欲をそそる。――確かに美味しそうだが、肉と比べるとやっぱり見劣りしてしまうのは仕方がない。
「あ、ピーマンも焼けました。ああっ、玉ねぎが炭になってしまいます! ピンチです!!」
 などと、次から次へ。功刀が取る肉の倍‥‥否、三倍の野菜をどんどん勝手にゲットしていく様子は、子供の偏食を心配する母の姿にも喩えられそうだ。
 取るのが肉ばかりならブーイングのひとつも起こりそうだが、生憎、野菜にクレームをつける者は少ない。肉も今のところは、たんとある。
「ご主人様。私、カレーをつくたアルよ。愛情たぷり、とても美味しいアル。――付け合せはラッキョ、アル」
「やれば出来るだす。さっそくいただくだすよ」
 ビルナスの差し出したビーフカレーに相好を崩したグラスが金色に輝く皿を受け取ろうとした刹那‥‥
 横から伸びた子供の手がひょいとスプーンを横取り、そして、絶句する主従の前でぱくりとカレーを頬張った権天使は何やら考え込むように眼鏡の向こうの青い眸をくるりと回した。
「――リンゴと蜂蜜が入ってない‥」
「そ、そんなのカレーのレシピに乗ってなかたアルよー」
 わっと泣き伏すビルナスと、しれっと明後日の方を見ながらちらりと可愛らしく舌を出す権天使。大阪メガテンプルムの主、13使徒がひとりプリンシパリティ・ヨハネ。天使のような外見―実際、本物の天使なのだが―とは裏腹に、かなり腹黒い人物であるらしい。
「‥‥ヨハネさまったら。こっちでちゃんと肉を育ててますのに‥‥ああ、できました。はい、あーん♪」
 とりなすようにウィルダーネスが箸で摘んで差し出した肉には目もくれず、少年はきょろきょろと周囲を見回す。人が食べているものが、欲しくなるタイプなのだろうか。嫌な子供だ。
「和意様。帰りも軽トラックですよ」
 いゆと鳩が買ってきた缶ビールに手を伸ばした彩門の取り皿に、肉を補充しながらさりげなく鈴が釘を刺す。
「い、いやだなぁ、鈴さん。これはジュースですよ、ジュース」
「そうそう。ビールはお酒じゃないわよね♪」
 へらへら笑いながら酌をする闇紫。女性に歳を聞くのはシツレイだが、思い切って暴露しちゃうと17歳。脇に並べられた空き缶から察するに、既に相当でき上がっているようだ。
「1番、闇紫、歌いま〜す! あ〜る〜晴れた〜♪」
 マイクを握り締めて立ち上がった少女を、まりあが少し引きつった顔で物影へひっぱっていく。逢魔の知られざる一面は、主を喜ばせる類のものではなかったらしい。
「え〜ん。じゃあ、バトンタッチv 何、歌います?」
 ずりずりとまりあに引きずられていく闇紫から、バトンキャッチでマイクを受け取ったのは、お約束どおり賢皇ヨハネ。
 選曲は、N×Kの人形劇『プ×ンプリ×物語』のテーマ(ぶさ猫と大天使ウィルダーネスの合いの手入り)。
「3番、神宮寺隆司、ひげダンス踊りま〜す!」
「ええっ?! ま、魔皇さまっ!!」
 特設ステージにて踊り出した神宮寺を止めようとしたユキだったが、意外に多い拍手に思わず立ちすくむ。
「面白そうにゃ。いゆも踊るにゃ!」
 賛同者まで現われては、もう諦めるしかない。
「‥‥主さま‥どちらへ‥‥?」
 隣に座った若い娘とじっくり語らう場所を得ようとそろそろと席を立った筧の行動を見逃さず、鳩はすかさず主を呼び止めた。
「‥そろそろ‥‥柚子シャーベット‥を‥‥出す‥時間だと‥」

 焼肉の心得 〜其ノ13〜 
 締め括りは、柚子シャーベットでなくてはならない。(『どっきどき雑記帳』より)


●I never let you down.
 ふわりと風に運ばれて届く喧騒に眼を細め、護国・英霊(w3j390)はぽつりと小さな笑みを零した。
「紫の夜のわしらの行いは、とりあえず気紛れな童子の逆鱗には触れずに済んだようじゃのう」
 瑠璃は存え、権天使シモンもまた健在と聞く。当面の危機は脱したように思われた。
「‥‥魔皇様‥?」
 朗らかに響く笑声に背を向け歩き始めた護国に、逢魔・桜花(w3j390)も慌てて踵を返して後に従う。
「悪魔化魔皇は、逢魔共々極刑か‥‥平和の為とは言え、つばさ様も酷なことを仰る。この老いぼれのそっ首など惜しくは無いが、うら若き桜花を巻き込むわけにはいかぬ」
「‥‥私の身を案じてくださるのですか‥?」
 ありがとうございます。俯き加減にそう呟き、桜花は顔をあげてにっこりと微笑んだ。
「私は、魔皇様のご判断が正しかったと信じていますから」
 正しいと信じた行い。結果として、それは数え切れぬ悲しみと憎しみを生み出してしまったけれども。――否、だからこそ。やり遂げなければならぬことがある。
 そう、考えることにした。
 だから、瑠璃には要られない。少なくとも、桜花の罪が減じられるまでは。
「すまぬのう。桜花や‥‥わしの為に、苦労ばかりかけてしもうて‥」
「いいえ。さあ、参りましょう。まだ、争いの収まらぬ地は多くあります。――私たちにできる事を成すために」
 逢魔にとって何よりも優先されるのは、スピリットリンクで繋がれた魔皇の意思とその安全。魔皇の側に在りさえすれば、心は平穏でいられる。
 護国がスピリットリンクを断ち、再び悪魔化を試みることはありえないだろうから。それを思えば、この道は苦難でもなんでもない。
 寄り添って歩き出したふたりに手向けるように、優しい風はふうわりと純白の羽根を空に浮かべた。――天なる意思は、決して汝を見捨てたりはしない、と。

●波間に眠る追憶
 その真珠色に輝く翼より抜き取った羽根を軽く吹き流した権天使は、加羅薙の問いに怪訝そうに首をかしげた。
「晴海?」
「‥‥被災地復興を手伝っていた逢魔の女の子をグレゴールに迎えに行かせただろう?」
 ヨハネ様が興味を持たれた、と。身柄を引き取りに来たグレゴールは、確かにそう言っていた。
「理由ねぇ」
 少し考え込むように思案を巡らせ、ヨハネはやがて思い出したようにこくりと頷く。
「ああ、そうだ。京都のアンデレが手紙を寄越したんだよ。――人々の為に働こうとしている者に便宜をはかって貰えないだろうか。とか、そういう内容だったかな」
 そういえば、湯葉しゃぶ食べに行ってないなぁ。
 などと別のことも思い出して顔をしかめた少年に、加羅薙は胸に溜めていた思いを言葉にして吐き出した。
「彼女は、晴海って名前だったんだ。‥‥これから、オレと一緒に彼女の墓に参ってくれないか? 花を手向けてやってほしい」
 魔と人が共に在る平和を夢見ていた少女。――彼女の描いた未来に神が含まれていたかどうかは、今となっては知るべくもないが‥‥彼女なら、きっと。
「ち、加羅薙様‥」
 何処で聞き耳を立てていたのか、白兎が慌てて会話に割り込んでくる。
「神帝軍の方は隠れ家には入れないんですよう」
 セイレーンである晴海の亡骸は、生まれた瑠璃に戻されその地で葬られたのだ。例え、結界を通り抜けられたとしても、瑠璃にヨハネを迎えるのはさすがに危険に過ぎる。
「晴海の家族には私から伝えますので‥」
「――だってさ。そのうち誰かに花でも届けさせるよ」
 残念だったね、と。あまり残念がる風もなくヨハネは、へこへことふたりに頭を下げる白兎を横目に見ながらけろりと笑う。
「そこ! サボってちゃだめですよ!!」
 率先して撤収と後片付けをする彩門の声が、静かな山間に気持ち良いほど綺麗に響いた。
「燃えるゴミと、燃えないゴミはちゃんと分ける!」
 ゴミを片付け、血を洗い流して。グレゴールの神輝力まで使い、これまた、ちょっとしたイベントになっている。――因みに、骨と内臓は瑠璃に持って帰って、きちんと供養するそうだ。
「来た時よりも美しく。基本ですよ、基本!」


=おわり=