MYSTIC-CITYについて

『パニック! パンドラメイドシスターズ!』:市川智彦

 ダイニングバーチェーン『黄昏の箱』新宿駅前店は若いお客にとても人気のある店のひとつだ。
  女性は自分好みのメイド服を着用し、男性も黒のバックレスベストとスラックス、蝶ネクタイでお出迎え。
  しかもそれに身を包むのが美男美女となれば人気が出ないわけがない。この店は静かなブームになっていた。
  店としては売り上げが伸びるから嬉しいが、こういう場合は従業員が先にへばってしまうのが相場だ。
  ところがここの店主の人の使い方がうまいのか、人柄がいいのかはわからないが辞める者は誰もいない。
  『黄昏の箱』は今日も多くのお客さんを受け入れ、しばしの潤いを提供すると快く外へ送り出すのであった。

 しかしそんな店でも閉店後は少し寂しさが残る。淡く光るライトがなんとも言えない哀愁を醸し出すのだ。
  その中をモップを使って床掃除にいそしむのは坂祝 亜梨亜。テーブルやカウンターを拭くのは巣塚 ソフィア。
  そしてほうきとちりとりを持って店の端を丁寧に掃くのが榊原 涼子である。この3人はとても仲がいい。
  さらに仕事っぷりもすばらしく、特にソフィアは他の店でも働いているので追っかけがいるほどなのだ。
  マスターにもお客さんにも『パンドラメイドシスターズ』として認められるほどの実績と人気を誇っている。
  このセンスの欠片もないネーミングは店の常連である情報屋が勝手につけたもので、本人たちは喜んでいない。
  そりゃそうだ。「どこの新人アイドルグループだ」とツッコミたくなるくらい見事なまでにダサいのだから。

 そんな彼女たちもさすがに今日は疲れたのか、誰が切り出したわけでもなく本日の苦労をつぶやき始める。
  「わたしぃ、あさってはイベントなのよね〜。早く天使の翼を完成させないといけないのにぃ。」
  「明日は土曜日でしょ〜。亜梨亜さん、ちょっと厳しくない? 早く上がった方がいいと思うんだけど〜?」
  「ちょっと今回は気合入れて凝ったのにしちゃったのがマズかったかな〜。ささ、今日は完徹だ〜♪」
  「亜梨亜ちゃん、かわいい魔法が書いてある同人誌があったらあたしのために買ってきてくれない?」
  「リョーコクン、そんなのがイベントに売ってたら大変なことになるって思ったことないのぉ?」
  ゲーム好きが講じて魔法使いの弟子をやっている涼子はしばし直立不動で考えた。いや、たぶんあるはずだ。
  そんなマヌケな思考を察したソフィアがすかさず「リョーコは夢を魔法にしてるから」とフォローを入れる。
  すると彼女は嬉しそうな顔をして「やっぱりソフィアちゃんにはわかるよね♪」と喜びながら掃除に戻った。
  実は小さな声で「そんな本、売ってたら危ないだけじゃない」とつぶやいたのはソフィアだけの秘密である。
  アルバイトをいくつも掛け持ちしている彼女は、ふと亜梨亜にイベントの詳しい話を聞いたことを思い出した。
  昨今のゴスロリスタイルやメイド服ブームのおかげで、コスプレゾーンの様相が様変わりしたと聞いている。
  もしイベントで撮影料が稼げるのなら、自分も喜んでメイド服に身を包んで亜梨亜さんと出かけるのに……
  あくまでソフィアの目的は金だ。先の涼子と同じポーズで開催時間と撮影回数を計算しながら何度も指を折る。
  そして守銭奴の脳みそからはじき出されたビッグな金額にうっとりしつつも暗い表情で深〜い溜め息をついた。
  「そんな商売できるなら、とーっくの昔にみーんなやってるわよね……」
  ソフィアは時給の出る時間までに掃除を済ませようと再びあくせく働き出す。それにつられてふたりも動いた。

 そろそろ掃除も終わろうとしていた。掃除用具を片付けにかかろうとしたその時、涼子が音もなく立ちすくむ。
  そして抜きあ〜し、差しあ〜し、忍びあ〜しでソフィアの背後に行き、がしっとしがみつくと震える声で言う。
  「お、お、お客様のご来店ですぅ〜。」
  「リョーコちゃん、もううちは閉店してるってば。悪い冗談はやめてよ〜。」
  冷静なツッコミ役に徹するソフィアはわき目も振らず、テーブルクロスの乱れを丁寧に直している最中だった。
  ところが肩を持つ涼子の手は震えたまま。少し遠くにいた亜梨亜がそれに気づいて掃除の手を止めたほどだ。
  すると涼子はゆっくりと自分がさっきまで立っていた場所を指差し、誰かがいることをアピールしてみせる。
  「あ、あ、あ、あそこに! ちゃんとお客様がいるの……っ!」
  「むっ! 千里眼でお見通しなのだっ……て、キャーッ! わたしぃ、わたしぃゴキブリをドアップで見ちゃ」
  「あ、亜梨亜さん! お店では『五郎さん』でしょ! あ、慌てないで……慌てないの!」
  「ねっねっ、いるでしょ?!」
  「でもソフィアクンってば! 目の前にこーんなにおっきなのがカサカサ揺れてたら、誰でもゴキブ」
  「お食事中の読者さんもいますからっ!」
  こんなドライなセリフを聞いても、亜梨亜と涼子のパニックは延々と続く。このままでは収拾がつかない。
  ソフィアが「任せて」と言わんばかりに涼子の手をやさしく握り返すと、五郎さんのいる場所へと向かった。
  俗に『チャバネン』とも呼ばれる彼ではあるが、その立ち姿は黒装束に身を包んだ忍者のようでもある。
  彼女は自分の持つ力がこういう時にまったく役に立たないのが腹立たしくてたまらない。ちょっとムカついた。
  怒りに任せて片足を素早く上げたかと思うと、そのまま五郎さんに裁きを与えんと足を前へ出す……しかし!
  「……ソフィアちゃん、もしそのまま踏んづけちゃったらあたし3日くらいえんがちょするからね。」
  「えっ……?!」
  「画的にもどうかと思うしぃ〜、わたしぃもやめてほしいなぁ〜♪」
  どうやら自分の思い切った行動がふたりの気持ちをすっかり冷ましたらしい。ソフィアはそっと足を戻す。
  そしてチラチラと五郎さんの動向を確認しながら、たわわな胸の下で腕組みをするとふたりに解決策を求めた。

 すると満面の笑みを浮かべる涼子の隣からひょこっとモップの柄が顔を出し、踊るようにソフィアの元へ……
  どうやら彼女の魔法で意思を持ったモップくんが五郎さんを退治してくれるようだ。これなら誰も汚れない。
  この後、誰が掃除にこのモップを使うのかという問題は残るが、誰かが彼を踏み潰すよりかはよっぽどいい。
  軽快なステップを奏でながら五郎さんに対峙するモップは通りすがりにソフィアのリボンと髪を軽く揺らした。
  彼女が「それじゃあお任せするね」とモップにお願いしたのと同時に、五郎さんとの激しいバトルが始まった!
   バンバンバン! カサカサカサッ……ババン、バン!!
  「うわーっ、わたしぃゲームセンターのガンシューティングと勘違いしちゃいそう〜!」
  「五郎さんっ、みんなのお掃除の邪魔しないでよね! 亜梨亜ちゃんも急いでるんだから!」
  「あたし、あのモップくんが店のガラスを割らないかものすごく心配……割ってもあたしは弁償しないけど。」
   カサカサカサカサカサッ……バババン、バンッ!
  細い身体を使って地面を何度も叩くモップくんの動きが止まった……しばしの沈黙と静寂が店内を支配する。
  そして彼は誇らしげに立ち上がった。柄の上部には五郎さんの力尽きた姿が張りついている。戦いは終わった。
  しかしこれはショッキングな映像だ。五郎さんの生命力を証明するかのように、まだ足はぴくぴく動いている。
  我らが英雄であるモップくんがこのまま喜び勇んでご主人様のところに来ようものならそれこそ大パニックだ。
  これではいったい何のためにモップくんを使ったのか意味がわからない。シスターズは固唾を飲んで見守った。

 だが、お約束の展開にならないわけがない。モップくんはウィズ五郎さん状態で喜びをあらわに飛び上がる。
  来る、きっと来る……涼子はもちろん、亜梨亜もソフィアも一応の覚悟をした。そして彼らはこちらを向く!
  「く、リョーコちゃん、早くモップくんを止めなさいってば! 五郎さんと一緒に来るわよっ!」
  「でも、モップくんも自分の仕事をしたって喜んでるよ?」
  「わたしぃ思うんだけどぉ〜。その前に『五郎さんを外に捨ててから来て♪』って頼めばいいんじゃない?」
  「そ、そっか! でっ、でも、もうすっごく自己アピールしてるし、手遅れかもしれない……」
  身体いっぱいに達成感を表現するモップくんはすでに興奮状態。とても涼子の命令を聞くような状態ではない。
  そして掃除した床を滑るように今回の成果を認めてもらおうと涼子に接近する……が、その瞬間に扉が開いた!
  例の情報屋のわがままを聞いたマスターに買い物を頼まれていたウエイターの葛城 文芽が運悪く戻ったのだ!
   ベチャッ。
  彼の真新しい制服の左胸にダサいワッペンのごとく五郎さんがプリントされた。シスターズは悲鳴を上げる。
  「うわー、文芽くん。ごめんね……あたしえんがちょ。」
  「りっ、り、り、リョーコもえんがちょ!」
  「わたしぃ〜、その制服はすぐに洗った方が〜、いいと……思うなぁ〜。」
  「あれ、みんなどうしたの……ってうわあぁぁぁっ! こっ、これって! な、なんでこんなことに?!」
  突然現れた文芽に五郎さんをべっとりとくっつけたモップくんは普段ではあり得ない曲がり方をして謝罪する。
  いきなりトラブルに巻き込まれた文芽はただ驚くばかり。さすがは『歩くエアポケット』と呼ばれるだけある。
  さっさとその場から逃げようとするシスターズをひとりずつ呼び止め、文芽は事情を説明させようと必死。
  しかし誰もが苦笑いを浮かべながら「えんがちょ」としか言わない。まったく堂々巡りもいいところである。
  こうして『黄昏の箱』は今日も平和に一日を終えるのであった。

 「おいっ、話をまとめるんじゃない! この能力はリョーコだな! おいっ、俺に納得の行く説明をしろっ!」
  「えーーーんがちょっ!!」
  「くっそー、あの情報屋め! なんで今日に限ってアイスクリーム20個食いたいなんて言うんだ!!」


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