■翠雨憚■
東みやこ |
【0332】【九尾・桐伯】【バーテンダー】 |
【データ修復中】
|
鎮魂琴
(シナリオ『翠雨憚』よりノベル化)
More than seven hundred years ago,
at Dan-no-ura, in the Straits of Shimonoseki,
was fought the last battle of the long contest between the Heike,
or Taira clan, and the Genji, or Minamoto clan.
・・・・・It was a hot night; and the blind man sought to cool himself on the verandah
Before his sleeping-room.
The verandah overlooked a small garden in the rear of the Amidaji.
There Hoichi waited for the priest's return,
and tried to relieve his solitude by practicing upon his biwa.
**The Story of Mimi-nashi-Hoichi Lafcadio Hearn
<奇しの館>
東京の外神田はふるい家並みがのこる町である。
町には江戸に徳川吉宗がおかせた天文台があり昔を偲ばせる。
そして天文台のほど近い丘に木造屋敷がある。
明治の初めに建てられたらしいその屋敷は古いながらもからりと広く、
廻り縁に白い障子の花数寄造だが、
清楚な白藤のステンドグラスの丸窓もある和欧折衷の造りだ。
小さな庭には睡蓮の咲く池もある。
その静かな屋敷には林慧という青年が暮らしている。
物静かな青年で姿は二十歳ほどだが、
慧には不思議な風評がある。
もう百年もその姿でありけして年を重ねないのだと。
それは慧の祖父が鬼であり、彼はその力を継いでいるのだと。
いずれもただの風評であるのかもしれないが、
慧は事実、東京で起きた不思議な事件をいくつも謎解きしている。
いつしか屋敷はこう呼ばれるようになる。
奇しの棲む館と。
そして奇し館には今日も慧を頼る依頼人の訪問がある。
<分龍雨>
皐月の雨が朴の木の若葉をうるおしている。
緑のしたたる葉の下の小路を赤い傘がいそいでいる。
傘の主はまだ若い和服姿の女性だ。
名は海原由布子という。
桜色の半襟が映える白い肌をしている。
綸子の色無地にレースのコートを羽織り、
黒髪はアンティックの大真珠の玉かんざしでまとめている。
(五月のにわか雨を分龍雨というそうだけれど)
由布子は小さな丘の上にある館の門を通り、
市松敷きの敷石を草履でわたり、館の玄関に立った。
「ごめんください」
引き戸のガラス扉のむこうに人の動く様子があった。
がらりと戸が開かれる。
物静かな青年が由布子をむかえた。
林慧である。
清潔な生成のシャツ姿だ。
「いらっしゃい、お手紙を頂いた海原由布子さんですね。
この雨の中を大変だったでしょう。
どうか家に上がってください」
由布子はほっと息をゆるめて礼を言い、赤い傘を閉じた。
<客間>
由布子は違い棚のある書院の上座に通された。
ふだんは慧の書斎に使用されている部屋なのだろう。
雪見障子ごしの座敷にはサラペの毛織絨毯が敷かれ、
その上には桐の文机がある。
机にはいくつかの漢籍と、月下美人と似た花をもつ植物の鉢植えがある。
(きれいな花)
華道では師範の腕をもつ由布子さえ知らない花だった。
渋柿色の座布団を立ち、そっと絨毯に上がった。
花に顔を近づける。
(なんてよい香り)
静かで清らかな、まるで月の光で咲かせた花のようだ。
由布子はぼんやりと思っていたがふとふりかえる。
襖の敷居には茶と菓子の器をのせた盆を手にした慧がいる。
「ごめんなさい」
思わず謝る由布子に慧は首を横にふる。
「構いませんよ。
それは珍しい花でしょう。
昔、私の祖父が祖母に贈った花です」
「あなたのお祖父様が、」
言いかけて由布子は風評を思い出した。
慧の祖父は鬼だったという。
「どうぞお茶を頂いてください」
慧にうながされて由布子は座布団に戻る。
紫檀の座卓で抹茶白いつつじを模した菓子でもてなしを受けた。
由布子が一心地をついたところで話が始まった。
「慧さんへの相談とは行方不明になった私の婚約者を探して頂きたいのです。
彼の名は海原祥一。
私の従兄でもあります。」
行方不明の心当たりはあるのか、という慧の問いに由布子は話しを始める。
<海神>
「私と祥一さんの家系である海原は、
鎌倉将軍である源氏一族の傍流にあたります。
源氏将軍から地を鎮めるための役割を与えられていました」
「地を鎮める、それは竜神を鎮めることですか?」
「その通りです。
源氏は平氏との壇ノ浦の戦いで多くの命を殺しました。
そして平氏の守り神は海の神である竜神です。
竜神は地震を起す神と信じられてきました。
海原の家はその竜神を鎮める事が務めであったのです」
「どういう方法で」
「聞きづらい話かもしれませんが、
霊力のある一族の一人を殺して竜神に捧げていました。
私は惨い事だと思います。
ただ一世紀に一度のこの儀式で、平家の呪いが鎮められると信じられていました」
明治維新のすぐ後ほどまで、海原家はその儀式を忠実に行っていたという。
しかし現在はもちろん、その儀式は行ってはいない。
海原家でもただの昔話のように知られているだけだ。
「それならば由布子さんはなぜ、
過去の儀式が祥一さんの失踪に関わりがあると考えたのですか?」
「それは、まず祥一さんについてお話をしなければいけません」
由布子はためらったが続ける。
「実は祥一さんは目が見えないのです。
幼い頃の交通事故で目を傷めてしまったのです。
けれど彼には音楽の才能がありました。」
祥一はプロのピアニストであった。
そしてピアノに限らず、あらゆる楽器を愛し機会があれば奏でていたという。
「ごく最近の事です。
祥一さんは海原の蔵にしまわれていた古い和琴を見つけました。
とても豪華な品で優美な蒔絵が施されていました。
そして弦もしっかりとしていて、まだ過去と変わらずに演奏する事ができたのです。
祥一さんはその琴に、魂をとられたように夢中になりました。
そして数日後、祥一さんは消えました。
部屋には琴のみがのこされていました。」
「その琴の由来は?」
「あまりに古くて、家の誰に尋ねてもわかりませんでした。
ただ一つ確かな事は竜神の儀式に使われていたとの事です」
無言で話を聞いていた慧が目を細めるようにして考え込んでいる。
その時、はじめて由布子は慧の瞳が青味を帯びている事に気がついた。
(不思議な人だ)
確かに人であり、ぬくもりのある表情や声を持つのに、
人にありえない涼しい気も宿している。
(本当なのかしら)
鬼の血を継いでいるという風評は…。
ふと由布子の思考は途切れた。
慧が顔を上げたのだ。
「世間の風評では私には特別な力があると言われているようですが、
真はそういう事はありません。
ただ少し勘が働くというだけです。」
由布子は考えが読まれたのかと思った。
息を止める。
けれど慧は続ける。
「ですから、この件で力を頼める友人の店に行きましょう。
私、一人の手には余る事件かもしれません」
そして由布子は慧に案内をされて、ある店にむかった。
その店は千代田区神田神保町にあった。
皇居のお堀際にある白い建物の4階が住所である。
店はバーであり、名をケイオス・シーカーという。
慧の友人はその店のバーテンダーで、九尾桐伯と言った。
<BAR:ケイオス・シーカー>
バーは千代田区神田神保町にある。
皇居のお堀際にある白い建物の4階だった。
五月の雨に若葉がぬれしたたっている。
白いドアについたアルミのバーを先に林慧が押しあけ、
由布子を店に招き入れた。
店の開店前の時刻に訪問をしたのは、
依頼の相談をするためである。
(白いきれいなお店)
オフホワイトの壁に大きなアルミ枠の窓。
床はライトベージュの木肌。
窓際には透明樹脂のカウンターテーブルにラパルマのスツール。
壁のアクリルの間接照明がふんわりと明るい。
「いらっしゃい、林先輩と海原由布子さん。
私が九尾桐伯です」
グレイッシュのカウンターに声の主がある。
きれいな緋色の目。
髪は長く緩いウェーブで、後ろに束ねている。
すっきりとした長身にテラードのシャツ、袖の半ばを銀のバンドで止めていた。
姿の美しい人物だと思う。
スツールをすすめられ、慧と並び落ち着いた。
「桐伯君と連絡がとれて助かりました。
僕一人では手に余る依頼であったのです。
彼には不思議な力があるのですよ、
魔を封じ滅ぼすこともできます」
九尾はただ穏やかにして、否定も肯定もしなかった。
カウンターの藍磁器には八重咲の牡丹藤の花房がゆれている。
店のBGMは静かな箏曲。
九尾の背後にあるベージュの棚には美しい酒瓶がすっきりと並んでいる。
和洋が自然になじむよい店だった。
九尾の趣味がよいのだろう。
(九尾さんはどういう人なのだろう)
林慧と同じように不思議な空気がある。
「あの、九尾さんの方が林さんより年上に見えますが、
林さんが先輩なのですか?」
ふとたずねていた。
九尾はああ、と穏やかに答えた。
「林先輩は私よりずっと年上ですよ。
見かけの様子は私の年が勝って見えますが
彼の方が長く生きています。
私の学生時代の図書館司書だった縁から知合いましたが」
「まあ」
どういうことだろう。
しかしすぐに気づいた、と思った。
「九尾さんはひどいわ、私をおからかいになって。
だってどう考えても、」
慧はごく若く、まだ二十歳になったばかりに見えるのに。
九尾はもっとずっと落ち着いている。
「由布子さん、桐伯君を悪く言わないで下さい。
彼は本当のことを話しただけなのですから。
私はもう百年ほど生きています」
慧はおだやかに話し始めた。
<鬼の血筋>
「私の祖父は人ではありませんでした。
人の言葉では鬼と呼ぶようですが恐ろしいものではありません。
ただ人が感じられないものを感じ、天寿が長くあるのです。
また銀目であることから異端とされたようですが。
私はその血のために人よりも長寿なのです。」
「鬼・・・」
「その祖父はまだ少女だった祖母を見初めました。」
慧の祖母は繭という。
繭は鬼を受け入れ、やがて子を宿した。
鬼と人の血を引く子供が生まれる。
その子は慧の母、晶である。
鬼は繭と晶を大切にし人の町に静かに暮らした。
その家があの奇しの館だ。
慧の鉢植えの花は雪香花という、鬼の暮らす世界に咲く花だった。
「・・・それでは、今もあなたのおじいさまは」
鬼が長寿と言うならば、まだ充分に生きているはずだ。
けれど慧は静かに首を横にふる。
「繭の親族の者に滅ぼされました、ゆるされない恋でした。」
鬼の夫を失い、繭は命をとられたようにまもなく儚くなってしまった。
のこされた晶は民俗学者の林という男に養子として引き取られ、
やがて林の息子の健と恋をし、慧を生む。
けれど二人は戦災で二十代のうちに亡くなっている。
「まあ」
由布子は答える言葉を見つけられずに黙る。
が、慧は言った。
「いいのですよ、父も母も幸福だったようですから。
それに半分、鬼の子供だった母が人の女に成長をしたのは、
幸せであったからです。
林家の人には大切に愛されたのでしょう」
人と鬼の混血児は十五歳まで人でも鬼でもなく、男でも女でもない。
十五歳までは未成熟であり十五歳でようやくどちらかに分かれる。
鬼になれば男に人になれば女になる。
そして人に愛されなければ人になることはないという…。
ぼんやりとしている由布子に慧は言った。
「私のこの話を信じますか」
「・・・よく、わかりません」
嘘か真かだなんてどう区別をすればいいのだろう。
戸惑っていると慧はつづけた。
「由布子さんは正直な方ですね。
この話を聞いた大抵の人は、すぐに信じると嘘を言うのに。
でもこの桐伯君だけは、私が話す前から察していました。
とても感覚の鋭い相手だと舌を巻きましたが」
九尾は肩をすくめてみせてからカウンターにフルートグラスを置いた。
冷えたグラスにはクラッシュアイスと季節のグレープフルーツのジュースがある。
「まだアルコールには早い時間ですから」
由布子は礼を言い、一口を飲んだ。
「おいしい」
酸味にほのかな甘さ。
これは蜂蜜だろう。
「それでは依頼になります。
私は林先輩から聞いただけなのですが、
祥一さんは不思議な琴と共に消えてしまったのですね」
「はい」
九尾はしばらく無言で考えていたが、やがて答えた。
<盲目の鎮魂者>
これは私が考えることですが、と九尾は前置きをして語り始めた。
「壇ノ浦の合戦以降、源氏は平家の残党を粛清しました。
また力を持ち仇討ちされることを恐れたからです。
しかし同時に全力で行ったこともあります。
それが平家の亡き者達の鎮魂です。」
日本の合戦の地には平家の亡者の血が染みている。
それらは源氏を怨み祟るだろう。
平家の祀る神、竜が荒ぶるかもしれない。
そして源氏は竜を鎮めるための儀式を行う。
「平家物語はご存知ですね。
あれは初め紙に書いた書ではありませんでした。
僧が唱える言霊であったのです」
「お坊さんのお経と同じだよ」
慧が補う。
「源氏と時の天皇は多くの僧を各地に遣わしました。
僧達はその地で竜を鎮めるために詠いつづけた。
その唄には琵琶がつき弾き語りされるようにもなった。
その言霊が後に平家物語という書に記されたのです。」
九尾の言葉に由布子がうなずいた。
「海原の祖先は、その僧の一族が端緒なのだと思います。
本家の蔵に保管されていた和琴や琵琶や笙の楽器も、
たぶん、始めはそのために使われていた。
後の時代には自らの一族を捧げる儀式に使われたようですが」
「おそらくそうでしょう。
そしてこれは日本古来の土俗信仰なのですが、
怨念を鎮める最も力のあるものは、盲目の者と信じられています。」
「盲目の、」
「ラフカディオ・ハーンの耳なしほういちが典型でしょう。
盲目の楽器奏者には、怨念を鎮める強い力があるのです。」
「それでは祥一さんは・・・、平家の怨念に?」
慧も九尾の判断を待つように九尾を見る。
しかし九尾は首を横にふった。
「もし平家の怨念が源氏の傍流であるあなた方を祟るのであれば、
とっくにそうしているでしょう。
たぶん、原因は平家の怨念ではなく、祥一さんの琴にあると思います」
<御琴>
その楽筝は華麗な装飾が施されている。
龍頭と龍尾は特に美しい。
十三弦でそれぞれに柱を立てて、竹製の爪で演奏をする。
御琴とも呼ばれ、雅楽器の中で一番位が高い楽器でもある。
海原家の蔵にはその和琴がのこされていた。
東京、駒込の巣鴨に海原家はある。
そばには柳沢吉保がつくらせた名勝・六義園もある由緒の土地である。
海原家の母屋のかたわらにその蔵はあった。
さすがにどっしりした土塀造りであり、鬼瓦も庇も立派である。
ただ白塗りの観音開扉は閉じられていた。
由布子は白漆喰の扉を開け、慧と九尾を招き入れた。
蔵の内部は畳敷きの座敷である。
「この蔵は家にとり特別な空間なのです。
結婚式などの日にしかこの座敷は使用しません。」
九尾が持参をしたステンレス製のペンライトで座敷を照らした。
電球の光に座敷が浮かび上がる。
奥には二階へつづく箱階段が見える。
九尾は言った。
「琴は二階にありますか」
「よくおわかりになりましたね、二階にあります」
「けはいがします。
なにかよくないもののようですが」
慧も同意する。
「私も感じます。
そしてあちらも私達の存在に気づいたらしい。
敵意があります。」
「敵意。どうして」
戸惑う由布子に、九尾が教える。
「私達が祥一さんを取り戻しにきたからですよ」
「・・・いったい、何が祥一さんを連れ去ったのですか」
慧と九尾は目を合わせてから、九尾が言う。
「おそらく、琴そのものです。
和琴は海原家が捧げた生贄の者達の魂が篭っていると思います。
その儀式の間中、奏でられ、死にいく者達が最期まで聞いていた音色ですから、
たぶん琴は呪われ、慕われ、不可思議な霊力に染まったはずです。」
ただ儀式は一世紀前に廃れた。
和琴も蔵の奥で眠りについたはずだった。
しかしその和琴を爪弾き、おこしてしまった者がいる。
海原の血をひき、音楽の才能があり、さらに盲目である祥一は
琴に魅入られてしまった。
「弾き手があってこその琴です。
たぶん琴にとりこまれたのでしょう。
平家の霊を慰めるためではなく、
その儀式のために殺された一族の者を鎮めるために、
琴を奏でているのかもしれません」
その時、階上から琴がつまびかれる音色が響いた。
朗々と歌うように。
由布子は口を両手にあてた。
声にならない悲鳴をおさえるためだ。
<怪音>
蔵の箱階段の中途で九尾が背後の慧と由布子を手で制した。
ひたと琴の音が止む。
慧が察して背に由布子をかばう。
階段の上に人の姿があった。
蔵内は窓が閉じているため姿が見えない。
が、九尾はペンライトを鋭く投げた。
浮かび上がる太刀の白刃。
刹那。
九尾が階段の最後の段を踏み切り跳んだ。
その九尾を追いひゅっ、と白刃が空を切る。
「九尾さんっ」
由布子が叫ぶ。
しかし白刃は受け止められていた。
九尾が懐に持っていた鉄のワイヤーにより刃は、ぎりりとしばりあげられ、ひかれる。
そして刃はワイヤーにより敵の手から落ちた。
九尾は刀を畳から拾う。
「桐伯君、無事か?」
「それよりも先輩、和琴は見えませんか。
ライトを落としてしまった」
慧は呼吸を鎮めて空間を見回した。
奥に和琴がある。
輪郭が青白くうかびあがっている。
まるで奇しの一つ目のように。
「右斜め後ろに」
「了解」
九尾は瞬間でふりかえり、そして自身で和琴の存在を認めたのだろう。
手にしていた刀をふりおろした。
きんと張りつめた十三弦が断ち切られる。
同時に、敵ががくりと膝をつく気配があった。
「先輩、灯りをお願いします」
言われて慧は畳に転がっていたペンライトを拾い、
畳にうずくまっている人物を照らし出した。
白い光の輪の中に青年がいた。
育ちのよい上品な、どこか繊細そうな男だ。
白く長い指の両手を畳についている。
「祥一さん」
その姿を見た由布子は駆け寄る。
恐怖もなにも忘れたように。
慧は思わず九尾を見たが、九尾はうなずいた。
「もう大丈夫でしょう。
彼を呪縛していた弦は断ちましたから」
九尾は畳に太刀の鞘が転がっているのを見つけると、刃を収める。
「彼は和琴により操られていただけです。」
由布子がそっと祥一の肩を抱き、何度も呼びかけた。
ぼんやりしていた祥一はようやく婚約者がそばにいることを悟ったらしい。
「・・・ゆうこ・・・?」
「よかった、本当によかった、祥一さん」
盲目の祥一が存在を確かめるように由布子を抱き寄せる。
九尾が蔵の観音開きの窓を開けた。
窓の格子のむこうから五月の日差しが畳に降りる。
雨が上がったのだ。
<琴の眼>
由布子に支えられて祥一が立ち上がった。
そして九尾と慧に礼を言い、今までを語り始めた。
「・・・私は知らずうちに他の世界にいたような気がします。
上も下も右も左もなく、時の流れもない場所にです。
そこで私は乞われるままに琴を弾いている。」
「乞われる、誰に?」
九尾の問いに祥一は首をかしげた。
「わかりません、名も姿もない、多くの何かにですが。
ただそれらは恐ろしいものではなく、寂しく悲しい何かなのです。
私も同情をして琴を弾いていましたが」
林慧はおだやかだが厳しい声で言った。
「それはたぶん、儀式で死んだ者達の怨念でしょう。
しかし彼らに同情をしては、あなたまで引き込まれて戻れないところでしたよ。」
「慧先輩、もういいではないですか。
それに祥一さんがそういう優しい人物だからこそ、
霊達も解放をしたのかもしれませんよ」
祥一は目が見えない分だけ余計に、
怨念を怖がらず、そのままを感じとったのかもしれない。
九尾は和琴を見つめた。
弦は切れているが、他は破壊されているわけではない。
九尾が刀をふるう力を加減したためだった。
「この琴を供養してあげて下さい。
そうすれば哀しい怨念は払われ、もう人を引き込むこともないでしょう」
祥一と由布子はうなずいた。
そして不可思議な事件は終わる。
<由布子の手紙>
九尾桐伯様
拝啓
景風の候 菖蒲の美しい季節となりました
先日は私達の結婚式に出席して頂きありがとうございました。
夫婦共々、互いを大切に末永く暮らしていきたいと思います。
そしてあの琴の奇しの件ではお世話になりました。
九尾さん達が居てくださらなければどうなっていたかと、
今も思いかえす次第です。
あの琴は祥一と共に、海原家の縁の神社に収め禊ぎました。
もう再び琴に弦を張ることはないでしょう。
けれど大切にのこしてあげたいと思います。
それから一度、林慧様のお宅にお礼を兼ねて祥一と訪問をしようとしたのですが、
なぜかあのお宅にたどりつくことはできませんでした。
不思議なお屋敷もあるものです。
もしかしたら、林様がむかえる意志のない時は、
お屋敷への道は閉じられているのかもしれません。
九尾様が林様にお会いする事がありましたら、
どうぞ海原がよろしく申していたとお伝え下さい。
それでは短い挨拶になりましたが、
これまでで失礼を致します。
敬具
海原由布子
END
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0332 九尾・桐伯 男 27 バーテンダー
*以上です。
|
|