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■時の果てで貴方を想う■

久我忍
【0072】【瀬水月・隼】【高校生】
「本当に何も知らんの? 本気で?」
 草間興信所の一番奥には、代表であるところの草間武彦がいつも使用しているデスクがある。未整理の書類が乱雑に広げられたデスクに我が物顔で座り込み、書類の上に片手をつくと体をひねって草間のほうを振り返ったのは一人の女。
 彼女の名は凪という。都市伝説や心霊スポットなどの情報を個人的に入手することを趣味としているそうだが、時にはアトラス編集部などに情報を売ることすらあるらしい。
「知らんな」
 対する草間は苦虫を何十匹も噛み潰したような顔をしている。
「いやね、なんでもいろんなところに現れちゃ、懐中時計を買い集めている老紳士がいるんだって話で。それがねぇ、どんな古いシロモノだろうと、そこらでかき集めてきたガラクタでも、持ち主の言い値で買い取るってことらしいんだけれど――変な話だと思わない?」
「一般人には分からないが、それに価値が見出せるなら構わんだろう。マニアや好事家は何処にでもいる。金にものを言わせてコレクションを増やしたところで、俺たちには関係ない」
「そりゃまーそーなんだけど。気になるじゃないの。『時計屋』のこともあるし」
「『過去に戻ったり、時を止めることの出来る時計を売っている男』のことか? ムシのいい話だな」
 苦々しげに言葉を吐き出すと、草間はふうと溜息まじりに煙草の煙を吐き出した。
「ムシがいいって分かってても、欲しがるヤツは腐ってもおつり来るくらいいるでしょー」
「だから困る。実際に時計屋絡みの依頼も来ているしな」
 そう――時計屋という男の話が噂で聞かれるようになって随分たつ。
 なんでも、不思議な時計を数多く扱っているとされる男であるらしいが、本名も、生い立ちも、それどころか彼が店を持っているのかすら知られていない。つまり限りなく都市伝説に近いような、実体がないかのように見えるこの男に接触を取りたいのでなんとかしてくれというどうにもならない依頼が、数件草間のもとに舞い込んでいるのも事実だ。
「受けたの、その依頼?」
 凪がそう問いかけた時だった。
 事務所のドアがノックされる小さな音が響く。
「失礼――」
 ドアが開かれた先には、一人の老人。


『こちらに懐中時計はあるかね? 是非購入させて頂きたいのだが?』


 凪はぽかんと、驚いたように目を見開いた。
 そして草間は、本日何度目になるのか分からない溜息をゆっくりと吐き出した。
時の果てで貴方を想う

++ 思い出の時計 ++
「時を止める――それに遡るって二つだけだよね? 未来に行くっていうのはないのかな?」
「何、時計屋のこと?」
 水無瀬・麟凰(みなせ・りんおう)の呟くような小さな声を聞きつけた凪は、ひょっこりと首を傾げる。すると麟凰も頷き返した。
「うん――まるで未来よりも過去に、何か執着が――こだわりのようなものがあるのかと思って」
 凪はソファの背に腰掛けて両足をぶらぶらとぶらつかせていた。子供じみた彼女の仕草に瀬水月・隼(せみづき・はやぶさ)は密かに凪の年齢を想像してみたりしたが、口に出したら酷い目に合わされるであろうことは容易に想像できたので沈黙を守ることにする。 凪は隼が何を考えているかなど当然分かる筈もなく、暢気に麟凰と会話を続けていた。
「分からなくも無いような気もするんだ。常識的に言えば過去に戻るなんてことは不可能だから。でも、過去に起きた出来事は記憶として頭の中に残っているから、もしかしたら遡ることは可能なのかもしれない――でも、未来に何が起こるのかまでは知りようもないから」
「そう考えると確かに難しそうよねぇ――」
 相変わらず足をばたつかせている凪の様子を、うっとおしそうに見ていた深影・想助(みかげ・そうすけ)が何故かそこで神妙な顔をしたのが隼の視界に映る。
 凪たちは話をすることに夢中で、そういった変化には全く気づいてはいない。

「やっぱりよく分かんないわ。だって私は未来にも過去にも行ったことないし――アナタだってそうでしょ?」
「凪さんは、過去に戻りたいと思ったことは?」
「ないわね。今更やり直すなんて面倒じゃない。いろいろ面倒なことだってあったけど、なんだかんだ言ったってアタシは今ここでこうしてるし、今の自分って結構好きよ」
「――でも、興味はあるかな、俺は」
 確かに興味はある――隼は心の中で同意する。
 懐中時計、と聞いた時からひっかかるものがあった。外出する時にこまごまとした物を入れて歩いているバッグの奥底にいつも入っているムーンフェイスの懐中時計。
 思い出したように隼がそれを手に取った。
 すると事務所内で、他の協力者たちと話をしていた女がとてとてと隼に歩み寄ってきた。確か――名は村上・涼(むらかみ・りょう)といった気がする。
 にこにこと、ともすればわざとらしい、と形容されても仕方がないような笑みで、隼の手の中の時計に目を止めた後に、彼女は笑みを崩さぬままで言った。
「ねえ、それでふっかけてみない。二億円くらい」
「二億ってな、正気か?」
 あからさまに不信さを滲ませつつ問い返すと、涼は頷くでもなくさらりと言葉を返す
「――そうよね……折半するとしても二人だから一人一億ぽっちだものね」
「利率低いからな今。優雅に利子で生活ってワケにもいかねぇだろ、その金額じゃ」
 最初は冗談なのだろうと思っていたが、もしかしたら本気なのだろうか――? 得体の知れぬ恐ろしさを感じながらも隼は、涼と会話を続けた。背中を――隙を見せたらこちらの意志などそっちのけで時計を売りに出されそうだ。
「んじゃもうちょっと上乗せしとく?」
「そもそも売るつもりねぇし、そういう問題でもねぇだろ」
「じゃあ何が問題なのよ。凪さんの歳なんて知らないわよ私も」
 年齢の話題が涼の口から発せられた途端、ぎろりと凪が凄まじい表情で隼たちのほうを睨みつけた。背中ごしにもそれが感じられたのか、涼はわざとらしく鼻歌なぞを歌いながら渋々ソファへと戻っていく。あらぬ疑いをかけられた隼は、肩をすくめ、凪を制するように片手を挙げた。
「金だけでカタつけられるモンでもねーしな、コレは。なあ、じーさん――なんでアンタ懐中時計にそう執着するんだよ? 時計を集めても時を集められるワケじゃねぇ。せめて時計を集める理由を教えてくれよ――」
 老紳士の座るソファの肘掛に片手をつき、覗き込むようにして問いかける。
 老紳士はテーブルの上に出されていた紅茶を飲み終えると、白いカップをソーサーの上へと戻した。
「置いてきた物がある。そして探しているものが――」
 言葉の中に見え隠れするのは、哀しみなのだろうか?
 だが、哀しみだけではない気がする。
 もっと幾多の、さまざまな感情が深く絡みあっているのが見える気がした。


 その後涼を覗く三人は、草間興信所近くの喫茶店に移動した。あのまま興信所の事務所で話を続けてもよかったのだが、老紳士や凪、そして草間武彦――その他協力者たち。それだけの人数が集うにしてはやはり手狭だったのだ。そのため目的別に行動を別にしたほうが効率がいいのではないかということになり現在に至る。
 そして、事務所には老紳士から求めている時計の特徴などを聞き出そうとする者たちが残った。今こうして喫茶店で顔を突き合わせているのは、『時計屋』に接触を取ろうとする者たちである。
「しかし時計屋に会うって簡単に言っても、実際に会うのは簡単なこっちゃねえだろ。なにせ東京は広い――目的の人物と待ち合わせしてもいないのに、ましてや相手の特徴もロクに分かってないのに、探すってのは難しいんじゃないのか?」
 お手上げだよ、と言葉を続け肩をすくめながら、隼は思う。ついさっき――草間興信所で顔を合わせるまでは、隼は想助との面識はなかった。そして過去にも、こうして草間に協力を求められた事件を通じて出会った人は沢山いる。そういった人々と出会うたびに、隼は不思議に思うことがあった。
 初めて顔をあわせるというのに、いつもささやかな仲間意識にも似た感覚が生まれる気がするのだ。だがそれを感じているのは、もしかしたら自分一人だけなのかもしれないということと、そして気恥ずかしさもあって隼はそれを口にすることは過去一度としてなかったし、おそらくこれから先もないことだろう。
「難しくても会う必要がある」
 想助の真摯な言葉に、麟凰が顔を上げるのが見えた。
「とはいってもなぁ……」
「今まで、時計屋に会ったという人たちは、どうやって彼に接触したのかな」
 困り果てた隼に麟凰が助け舟を出した。隼は軽く頷くと、とんとんと指先でテーブルの縁を叩く。
「そう――問題はそこだと思って調べて見たんだが、どうも上手くいかない。面白くないくらいにな。時計屋に会った本人は、その殆どが失踪しちまっているから話を聞くことすら出来ないってんだ。ひっかかるだろ?」
「それなのに、時計屋の噂が流れているのは変だね――」
 麟凰は目の前に置かれたグラスに視線を落としている。ここに場所を移してからだいぶ時間がたつために、三人の前にあったグラスは溶けかかった氷しか残ってはいない。
「ああ。俺も納得いかなかったんで調べてみた。どうも人伝えに聞いただの、時計屋と知人が接触を取る場面に居合わせただの、そういう奴らが原因らしい。出てくる話そんなんばっかりで、『時計屋から時計を買いました』なんてヤツは一人も出てこない」
 時計屋に接触を取るために、自分の使える手のほとんどを費やした。
 ささやかにネット上で噂される情報の断片を繋ぎ合わせ、時計屋なる人物の人物像を組み立てるだけでなく、インターネットだけではなく実際に多くの人に会い、話を聞くこともした。
 それでも、時計屋から時計を買ったという人物と直接会うことはできなかった。皆が、揃って姿を消している――そこには何かの繋がりがあるような気もする。 
「失踪……」
 不吉な単語に麟凰の表情が僅かに曇る。もしも隼の言うことが真実ならば、あの老紳士と時計屋を会わせたら彼も失踪してしまうのかもしれない。
「望んで消えたのかもしれないだろう。悲観することでもない――」
「望んで――?」
 そのまま問い返した麟凰に、想助は頷いて見せた。そして隼も同意を示すようにして頷く。
「ああ、そうか……そういうことも考えられるな」
 想助の言っていることを、隼はいち早く悟ったようだった。
 時計屋の売っている時計は、時を遡るといった特殊な力を持っているものである――。
 それが真実であるならば、時計屋と接触した人々は過去へ向かったのかもしれない。おそらく想助が言いたかったのはそういう事なのだろう。
 僅かに希望が見えてきた気がして、麟凰がほっと息をついた。
 ほとんど氷ばかりになったグラスの中身を、ストローでカラカラと混ぜつつも隼がにやりと想助と麟凰に挑戦的ともいえる顔を見せる。
「それでだ、時計屋に接触したっていう連中の相談を受けていただとか、まあ知り合いの話を総合するに『過去に返りたい』と、そう想っていた人物の前に、時計屋は突然現れたんだということらしい。訪問販売みたいなモンか?」
「下手をしたらもっとタチが悪い」
 なにせ売っているものが違う――と想助が顔をしかめると、麟凰は何かを考えるようにしてテーブルの上に視線を落としていた。
「何らかの、基準があるってことなのかな――?」
 テーブルの上に僅かに残った水滴を見つめたままで、ぽつりと麟凰が呟くと、隼は何が気に入らないのか顔をしかめつつ頬杖をついた。
「客をより好みしてるってコトか? 気に入らねえな」
「時計屋がどういう基準で客を選別しているのかが気になるな」
 アイスコーヒーに手をつけずに、テーブルに片肘を置いた想助がふと視線を上げる。そして、それまでそこには無かった筈の人の気配に、思わず椅子を蹴り飛ばしながら立ち上がった。
 椅子を立った想助に隼は小さく頷いた。それはこの場で騒ぎを大きくしないほうがいいという意味を込めたものだったのだが、どうやら無事に彼に通じたらしい。多少不満げではあるが、想助は再び椅子に腰掛ける。
 自然と警戒態勢を取る想助とは裏腹に、麟凰は不思議そうな顔でテーブル横に立っている人物を見上げた。
 真っ先に目に入ったのは細いチェーンのついた片眼鏡。軽く細められた眼差しは常に何かを面白がっているかのような光を浮かべている。
 きっちりと絞められたネクタイやその服装などきちんとした身なりなのにもかかわらず、何故か麟凰も想助もその印象を信じる気にはなれなかった。
 隼は片方の眉だけを器用に上げて、その人物の頭の先から足元までを値踏みするかのように見やった。かつて集めた『時計屋』に関する情報の数々――その中に含まれていた特徴などを思い起こし、現れた人物と比較する。
(間違いない、か)
「よりによってそちらからお出ましとはな」
 隼の言葉の中の棘に、男が気づいていない筈はなかった。だがあえて見えないふりをしたのだろう――片眼鏡の青年は、黒い手袋をはめたままの手を自分の腹部に置くと、芝居がかったほどの大袈裟な、時代がかった様子で一礼する。
「お客様にわざわざ足を運ばせるのは、私の流儀に反しますので。それで、どういったモノをお探しで?」


 合流した『時計屋』を名乗る男を伴った麟凰たちは、草間興信所に向かうまでの道中でこれまでのいきさつを簡単に説明した。
 隼から、老紳士の身なりや特徴を聞かされた時計屋は、しばし考え込むように沈黙した。何か思い当たることでもあるのだろうか――と麟凰は期待を込めて時計屋を見上げる。
 時計屋は僅かに片方だけの目を細め、何事かを思案しているかに見えた。あるいは、記憶の海から小さな欠片を拾い上げているかのような――。
「成程――つまりその方が探しているという時計を私に用意しろ、と?」
「ただ、その爺さんってのが曲者でな。なんで時計が必要なのか口を割りゃしねぇ。流石に何を探しているのか分からない状態じゃ、探すのも難しい――」
「そうでもありませんよ」
 時計屋は得意そうな顔をして隼を見やる。
 その様子は、想助にとある確信を抱かせた。
 時計屋は、草間興信所に現れた老紳士について、自分たちが知らない情報を知っているに違いない、と。
「何を知っている――?」
 そう問い掛ける想助から発せられる気迫は、触れれば切れんばかりに鋭い。麟凰と隼は時計屋と、彼に詰め寄る想助とを無言で見守った。
「貴方は私の売る時計を必要とはしない。だが御老人は必要としている――悲劇は、この僅かな『差』故に今も続いているといっても過言ではないということです」
「確かに、僕にはお前の売る『時計』は必要のないものだ。だからこそ、僕は――僕が判断しなければならない」
 想助はそこで一度言葉を切った。時計屋は皮肉げな笑みを浮かべたままで、その表情からは彼が何を考えているのか分からない。それでも、そこに欠片でも見つけようと想助は再び口を開く。
「お前の目的は何だ? 何故そんな時計を売り続ける――?」
「貴方のような力を、私が所有していないからですよ。そして御老人も――お分かりですか? それは明らかに、選ばれた者のみが所有する力だ。だが過去に返りたいと、あるいは時を止めたいと願う人々は数多くいる。願いを叶えることは罪ではないでしょう?」
 想助の持つ力――時計屋にそこまで言わせる力とは一体何なのだろう?
 疑問に思いはしたが、隼は口を挟むことはしなかった。想助が自分から話をしようとするならば、隼は耳を傾けはしただろう。だがそれを第三者から聞かされるのはひどく不快な気がした。
 さらに、想助は問う。
「害意はないと?」
「少なくとも今は――未来のことまでは保証しかねますが」
 誠意、のように麟凰には思えた。時計屋があえて言葉を濁しているのは、彼がそれを約束できないが故の、けれど嘘をつくことを嫌っているらしい時計屋が示した誠意のようだと。
 見慣れた町並みを抜けると、そこに見えてくるのは隼や麟凰たちが通い慣れた草間興信所の事務所。
「で、本当に勝算があるんだな?」
 事務所の前で、隼が振り返る。それに合わせるように麟凰たちが立ち止まり、時計屋の答えを待った。
 時計屋は骨ばった指先をドアノブへと伸ばした。そこで始めて隼の言葉に気づいたかのように手を止める。
「岸本様のことは、私にお任せ下さい――」
「…………!」
 麟凰が弾かれたように顔を上げた。
 今の会話の流れからして時計屋の言う『岸本』とは、草間興信所を訪れた老紳士のことなのだろう。だが、何故――?
「どうして、名前を?」
 問いかける麟凰に、時計屋はおや、と呟く。
 想助からすれば、そんな時計屋の動作一つ一つが実にわざとらしく思えてならないのだが、どうやらそう思っているのは自分だけらしいので、あえて口に出すことはしなかった。
 そして、想助も気になったのだ。麟凰の言う通り、何故時計屋が老紳士の名前を知っているのだろう? おそらくここにいる人々は皆が――自分も含めて皆が老紳士の名を知らない。そして彼の存在を自分たちから教えられた時計屋は、自分たち以上に情報量は少ない筈だった。それなのに何故――?
「私の名が、好事家の間で噂されるように、一つの時計にまつわる噂が、私どもの業界でも流れているということです。過去に帰るために、自分の名が刻まれた時計を探し続ける男の話が」
「名前を知ってるだけじゃどうにかなるモンでもねえだろ。肝心なのは時計だ」
「無論です」
 隼の言葉にたじろぐことなく、時計屋は大きく頷いて見せ、そして片手に持っていたアルミ製らしきアタッシュケースを、目の高さまで持ち上げた。
「私は『時計屋』ですので――ご老人の望みのものを、勿論持っておりますよ。どうなさいますか? 貴方がたがお届けしますか?」
 隼は麟凰の方へと振り返った。その無言の問いかけに、彼は首を横に振る。
 自分たちは、あまりに知らない――その時計に隠された秘密を。
「それはあんたの仕事だろ」
「ごもっともで――そう、一つ教えて差し上げましょう。ご老人は、とある懐中時計を手にすることで時を渡ることが出来るのだそうです。それが時計に秘められた力なのか、あるいは時計とご老人、この二つが揃って初めて可能になるのかは私にも分かりません。だが、老人のその力にも不自由はあるようで――どうやら、自分の願った時代へ渡れるという訳ではないのだと」
「だから、時計を探していたのか……その時計を」
 想助はようやく、時計屋が言っていた言葉の内容を理解した。老紳士はそれだけでは時を渡ることが出来ない。そこに悲劇がある――。
「なんでも、ご老人には病に伏している細君がいらっしゃいまして――彼は時計を質に入れ、細君の治療費を捻出しようと家を出たところで、時を渡ってしまったのだと」
「随分詳しいんだね……」
 麟凰に答える変わりに、時計屋は草間興信所のドアを開いた。そして事務所に足を一歩踏み入れる。
 ドアの向こうから思い出したように時計屋が顔を覗かせた。
「そうそう――本当は『時計屋』と呼ばれ続けるのも良かったのですがね。私の本当の名は岸本時近と申します。先ほどお話ししました細君の、息子でして――まあつまり親子揃って時に翻弄されているという訳です。可笑しな話だとは思いませんか?」
 不思議な、なんとも形容し難い笑みを残して時計屋は消えた。
 その場に残された隼たちは、互いに顔を見合わせる。
「これで本当にジィさんが消えてたら、タチの悪い夢かなんかみたいだな」
 苦笑とともに呟いた隼の言葉を耳に、想助は確信していた。
 老紳士は、新たな旅に出たことだろう。
 そう――時計屋の持っていた懐中時計を手に、いつ終わるのかも知れない遠く長い旅に出ただろう。
 多分、おそらく――穏やかな笑みを浮かべながら。


++ 時の果てで貴方を想う ++
 やはり、というべきか――老紳士はまた旅に出たのだと、この事務所で全てを見ていた草間武彦は言う。だが草間たちは時計屋と老紳士との繋がりを知らないようだった。
 夢というほどに幻想的でもなく、かといって全てが現実であったのかと思うと奇妙な気もする。だが、紛れもなくそれが現実であることを隼たちは知っていた。
「帰れたのかな――?」
「どうだかな」
 本来ならば、麟凰の問いに答えられる者などいない筈だった。隼のそっけない答え――それが普通だ。
 老紳士がこの時代を去っても、次に辿り着いた場所が元いた時間であるという保証などどこにもない。むしろ、それは偶然よりももっと小さな――奇跡に近いほどの小さな可能性であると隼は思う。
「まあ、帰れたんじゃないか。多分」
 曖昧な答えを返してくる草間が、指の間に挟んでいた煙草をくわえる。そしてデスクの上に置いてあった懐中時計のチェーンの部分を摘み上げた。
 その懐中時計の蓋部分の隅には、何かを削り取ったような跡が見える。隼は数日前、突如現れた時計屋から受け取った白い封筒の中に、それを映した写真があったことを思い出した。
 その写真にどんな意味があるのかと問いかけても、時計屋はただ黙って笑みを見せただけだった。つまり今も意味は分からないままだ。
「時計屋と老紳士の約束だ。もしも元いた時代に戻れたら、時計に刻まれた名前を削り取って欲しいとな――そして、時計屋からこの懐中時計が送られてきた」
「時計屋なら、可能だな」
 想助はあの写真を渡しに来た時計屋の姿を思い出す。いつも通りの笑み、いつも通りのわざとらしさすら感じる仕草――だが、それはどことなく――それこそ気をつけていなくては見逃してしまいそうにささやかではあるが、満ち足りた顔をしていたように思う。
 時計屋はどんな思いで、懐中時計の名前を削り取る老紳士の背中を見ていたのだろう?
 彼の長い、長い――気の遠くなるような旅を知る時計屋は、老紳士にどんな言葉をかけたのだろう?


 長い、長い時の果てに。




―End―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0072 / 瀬水月・隼 / 男 / 15 / 高校生(陰でデジタルジャンク屋)】
【0381 / 村上・涼 / 女 / 22 / 学生】
【0893 / 深影・想助 / 男 / 19 / 時空跳躍者】
【1147 / 水無瀬・麟凰 / 男 / 14 / 無職】

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■         ライター通信          ■
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 始めまして。発注どうもありがとうございました、久我忍です。
 最近あまりに体重が減らないのでムキになってフィットネスに連日通い詰めているのですがやはり減りません。瘤取り爺さんじゃありませんが、贅肉を人に投げつけたら、投げつけられた相手にその分の肉がくっつく、とかだったらダイエットも楽でいいなぁとかくだらないことを考える毎日です。でもそんなことが現実だったらかなり本気で身近な方々と喧嘩しそうな予感もします。


 今回は久我お得意(?)のリリカルチックで攻めてみました。ですがあくまで私にとってのリリカルなので、プレイヤーの皆さんにとってリリカルに見えるのかはとっても謎なのでドキドキであります。「全然リリカル違う!」「まさにリリカル!」などご意見ご感想などお待ちしております。