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■時の果てで貴方を想う■

久我忍
【0893】【深影・想助】【時空跳躍者】
「本当に何も知らんの? 本気で?」
 草間興信所の一番奥には、代表であるところの草間武彦がいつも使用しているデスクがある。未整理の書類が乱雑に広げられたデスクに我が物顔で座り込み、書類の上に片手をつくと体をひねって草間のほうを振り返ったのは一人の女。
 彼女の名は凪という。都市伝説や心霊スポットなどの情報を個人的に入手することを趣味としているそうだが、時にはアトラス編集部などに情報を売ることすらあるらしい。
「知らんな」
 対する草間は苦虫を何十匹も噛み潰したような顔をしている。
「いやね、なんでもいろんなところに現れちゃ、懐中時計を買い集めている老紳士がいるんだって話で。それがねぇ、どんな古いシロモノだろうと、そこらでかき集めてきたガラクタでも、持ち主の言い値で買い取るってことらしいんだけれど――変な話だと思わない?」
「一般人には分からないが、それに価値が見出せるなら構わんだろう。マニアや好事家は何処にでもいる。金にものを言わせてコレクションを増やしたところで、俺たちには関係ない」
「そりゃまーそーなんだけど。気になるじゃないの。『時計屋』のこともあるし」
「『過去に戻ったり、時を止めることの出来る時計を売っている男』のことか? ムシのいい話だな」
 苦々しげに言葉を吐き出すと、草間はふうと溜息まじりに煙草の煙を吐き出した。
「ムシがいいって分かってても、欲しがるヤツは腐ってもおつり来るくらいいるでしょー」
「だから困る。実際に時計屋絡みの依頼も来ているしな」
 そう――時計屋という男の話が噂で聞かれるようになって随分たつ。
 なんでも、不思議な時計を数多く扱っているとされる男であるらしいが、本名も、生い立ちも、それどころか彼が店を持っているのかすら知られていない。つまり限りなく都市伝説に近いような、実体がないかのように見えるこの男に接触を取りたいのでなんとかしてくれというどうにもならない依頼が、数件草間のもとに舞い込んでいるのも事実だ。
「受けたの、その依頼?」
 凪がそう問いかけた時だった。
 事務所のドアがノックされる小さな音が響く。
「失礼――」
 ドアが開かれた先には、一人の老人。


『こちらに懐中時計はあるかね? 是非購入させて頂きたいのだが?』


 凪はぽかんと、驚いたように目を見開いた。
 そして草間は、本日何度目になるのか分からない溜息をゆっくりと吐き出した。
時の果てで貴方を想う

++ 思い出の時計 ++
 時計屋なる人物に会わなければならない――深影・想助(みかげ・そうすけ)が真っ先に考えたのは噂の老紳士のことではなく、時計屋と呼ばれる人物についてだった。
 想助の脳裏に、つい先ほどの凪の言葉が繰り返し思い起こされる。そう――時計屋は時を溯ることのできる不思議な時計を売っているのだと。
 それはつまり、時計屋なる人物が時間を操る術を身に付けている、あるいはその方法を熟知しているということではないだろうか? その力は使いようによってはあまりに危険すぎる武器となり得るだろうことを、想助はその身をもって知っていた。
 何故なら、想助は時空を超え、未来から現代へとやってきた人間であるからだ。
 彼が本来生活していた未来世界は、滅びに瀕していた。
 そして彼は、その『滅び』の原因となるべき事件を突き止め、排除することで滅びを回避しようとしていたのだ。そのために、彼はこの現代にやってきた。
 そんな彼にとって、『時計屋』なる人物は見逃すことができない存在だった。もしも、時計屋が本当に存在し、時を操る術を手にしているならばその男の人となりを、そして彼に危険がないか否かを自分の――想助自身の目で確認しなければならない。
 時計屋が、どこからそんな時計を手に入れているのか。そして何故それらを売りつづけるのか、その理由は分からない。だが、だからこそ直接会う必要がある。
「『時計屋』とやらに話を聞く必要があるな――」
 それは彼の決意からする呟きだった。誰に聞かせるでもない――その証拠に、凪も草間も想助の呟きを気にとめた様子はない。相変わらず凪は草間のデスクの上に我が物顔で陣取っていたし、草間は草間で、そんな凪の姿を苦虫を何十匹も一度に噛み潰したかのようなしかめ面をしている。
 想助が自分自身に言い聞かせるように、そして自分の決意を改めて確認するために呟いた儀式めいたそれ――だが今日はそれに同意を示す人物がいた。
「そうですね――」
 答えたのは、水無瀬・麟凰(みなせ・りんおう)という名の少年だった。彼の視線は、目の前で行われている草間や彼の協力者たちと、興信所を突如訪れた老紳士とのやりとりから視線を逸らしてはいない。


「置いてきた物がある。そして探しているものが――」


 何故、懐中時計にそこまでこだわるのかという問いに、老紳士はそう答えたところだったらしい。だが返事を期待していなかった呟きに、返事が返ってきたことに気を取られていた想助の耳には、老紳士の言葉は耳に届かなかった。
 思わず顔を上げた想助の視線の先には、少年特有の線の細さを持った少年の――麟凰の横顔がある。
「お爺さんが時計を探している目的は分からないけれど――けれど時計屋と呼ばれる人ならば、お爺さんの探している時計を持っているかもしれない。それなら、お爺さんと時計屋という人に直接会ってもらったほうがいいような気がするから――」
「その意味、分かってるのか?」
 横からそう口を挟んだのは、瀬水月・隼(せなづき・はやぶさ)という名の人物だった。つい先ほど老人に何故、懐中時計にそれほどのこだわりを持つのかと問い掛けた人物であり、興信所に訪れた他の協力者と、二億を二人で分けると一億になるから利息がどうのと、想助からすれば何がどう懐中時計に繋がるのか全く理解不可能な会話をしていたのが記憶に新しい。
「――分かっているつもりだよ」
 核心を避けるような、遠回りした会話。だが二人が何を言わんとしているのか、それは想助にも分かる気がした。
 隼はこきこきと首を左右に振りながら斜めに麟凰を見る。
「あのジィさんの探してる時計は、普通の時計じゃなくて――それこそ噂の『時計屋』の世話にならないと手に入らないような代物だってことか――?」
 だが、過去に戻って――あるいは時を止めてどうしようというのだろう、と隼は思わずにはいられなかった。
 過去に戻ったところで、時間なるものに干渉するなど不可能だと彼は考えていた。目の前にいる想助が、時を越えてやってきた未来人であることを知らずに。
 そう――おそらくこの場にいた者たちの中で、誰よりも『時計屋』という存在を驚異的に感じていたのは想助自身だったのだ。間違いなく。


 その後三人は、草間興信所近くの喫茶店に移動した。あのまま興信所の事務所で話を続けてもよかったのだが、老紳士や凪、そして草間武彦――その他協力者たち。それだけの人数が集うにしてはやはり手狭だったのだ。そのため目的別に行動を別にしたほうが効率がいいのではないかということになり現在に至る。
 そして、事務所には老紳士が求めている時計の特徴などを聞き出そうとする者たちが残った。今こうして喫茶店で顔を突き合わせているのは、『時計屋』に接触を取ろうとする者たちである。
「しかし時計屋に会うって簡単に言っても、実際に会うのは簡単なこっちゃねえだろ。なにせ東京は広い――目的の人物と待ち合わせしてもいないのに、ましてや相手の特徴もロクに分かってないのに、探すってのは難しいんじゃないのか?」
 お手上げだよ、と言葉を続けて肩をすくめた隼の仕草は大人びていた。それが彼の生来の資質なのか、あるいは生きていく上で身に着けた類のものであるのかは想助には分からない。だが、彼がごく普通の高校生ならば体験しないような事件などに遭遇してきたであろうことは容易く想像がつく。
 それが、この奇妙な連帯感なのだろうか、と想助は想う。
 つい先ほどの草間興信所でも考えたが、あの場所にいると互いに大した面識もないのにささやかな仲間意識に似た感覚が生まれるような気がしてならない。もしかしたら、こんなことを考えているのは想助だけなのやもしれないが、だが悪くはないとも思う。
 隼が言ったように、この東京は広い。そしてそんな広大な場所で、誰かと出会うことが出来たならばそれはもはや一つの奇跡に等しい。今こうして顔をつき合わせているのも奇跡とやらなのだとしたら、それはそれで悪くはない。
 滅びに貧した未来を救うために、その原因を探るためにこの現代にやってきたという使命――それを打ち明けることはきっとないだろう。そして自分はこの先も一人で、孤独な戦いを続けるのかもしれない。だが、時折こうして奇跡が舞い込んでくるならば、きっとこの先も戦っていける――そんな気がする。
「難しくても会う必要がある」
 とめどなく浮かんでは消える思考の渦を表情には出さず、きっぱりと想助が言うと、隼が苦笑する。
「とはいってもなぁ……」
「今まで、時計屋に会ったという人たちは、どうやって彼に接触したのかな」
 困り果てた隼に助け舟を出したのは麟凰だ。隼は軽く頷くと、とんとんと指先でテーブルの縁を叩く。
「そう――問題はそこだと思って調べて見たんだが、どうも上手くいかない。面白くないくらいにな。時計屋に会った本人は、その殆どが失踪しちまっているから話を聞くことすら出来ないってんだ。ひっかかるだろ?」
「それなのに、時計屋の噂が流れているのは変だね――」
 麟凰は目の前に置かれたグラスに視線を落としている。ここに場所を移してからだいぶ時間がたつために、三人の前にあったグラスは溶けかかった氷しか残ってはいない。
「ああ。俺も納得いかなかったんで調べてみた。どうも人伝えに聞いただの、時計屋と知人が接触を取る場面に居合わせただの――そういう奴らが原因らしい。出てくる話そんなんばっかりで、『時計屋から時計を買いました』なんてヤツは一人も出てこない」
 だが、そこまで調査できたというのも隼の手腕故であろうと、口にこそ出さないが麟凰は思う。
「失踪……」
 不吉な単語に麟凰の表情が僅かに曇る。もしも隼の言うことが真実ならば、あの老紳士と時計屋を会わせたら彼も失踪してしまうのかもしれない。
「望んで消えたのかもしれないだろう。悲観することでもない――」
「望んで――?」
 そのまま問い返した麟凰に、想助は頷いて見せた。そして隼も同意を示すようにして頷く。
「ああ、そうか……そういうことも考えられるな」
 想助の言っていることを、隼はいち早く悟ったようだった。
 時計屋の売っている時計は、時を遡るといった特殊な力を持っているものである――。
 それが真実であるならば、時計屋と接触した人々は過去へ向かったのかもしれない。おそらく想助が言いたかったのはそういう事なのだろう。
 僅かに希望が見えてきた気がして、麟凰がほっと息をついた。
 ほとんど氷ばかりになったグラスの中身を、ストローでカラカラと混ぜつつも隼がにやりと想助と麟凰に挑戦的ともいえる顔を見せる。
「それでだ、時計屋に接触したっていう連中の相談を受けていただとか、まあ知り合いの話を総合するに『過去に返りたい』と、そう想っていた人物の前に、時計屋は突然現れたんだということらしい。訪問販売みたいなモンか?」
「下手をしたらもっとタチが悪い」
 なにせ売っているものが違う――と想助が顔をしかめると、麟凰は何かを考えるようにしてテーブルの上に視線を落としていた。
「何らかの、基準があるってことなのかな――?」
 テーブルの上に僅かに残った水滴を見つめたままで、ぽつりと麟凰が呟くと、隼は何が気に入らないのか顔をしかめつつ頬杖をついた。
「客をより好みしてるってコトか? 気に入らねえな」
「時計屋がどういう基準で客を選別しているのかが気になるな」
 アイスコーヒーに手をつけずに、テーブルに片肘を置いた想助がふと視線を上げる。そして、それまでそこには無かった筈の人の気配に、思わず椅子を蹴り飛ばしながら立ち上がった。
 間違いはない――確かに、つい先程までこのテーブルの横には誰もいなかった。話をしていたとはいえ、ここまで接近されるまで相手の気配が感じられないなど、通常では有り得ない。ましてや、想助はさまざまな戦いを生き抜いてきた生粋の、そして他の追随を許さぬほどの『戦士』である。一般人よりも気配には敏感な筈の自分が、気配を感じられなかったとすればそれは相当な使い手が相手であった時だろう――。
 自然と警戒態勢を取る想助とは裏腹に、麟凰は不思議そうな顔でテーブル横に立っている人物を見上げた。
 真っ先に目に入ったのは細いチェーンのついた片眼鏡。軽く細められた眼差しは常に何かを面白がっているかのような光を浮かべている。
 きっちりと絞められたネクタイやその服装などきちんとした身なりなのにもかかわらず、何故か麟凰も想助もその印象を信じる気にはなれなかった。
 隼は片方の眉だけを器用に上げて、その人物の頭の先から足元までを値踏みするかのように見やった。かつて集めた『時計屋』に関する情報の数々――その中に含まれていた特徴などを思い起こし、現れた人物と比較する。
(間違いない、か)
「よりによってそちらからお出ましとはな」
 隼の言葉の中の棘に、男が気づいていない筈はなかった。だがあえて見えないふりをしたのだろう――片眼鏡の青年は、黒い手袋をはめたままの手を自分の腹部に置くと、芝居がかったほどの大袈裟な、時代がかった様子で一礼する。
「お客様にわざわざ足を運ばせるのは、私の流儀に反しますので。それで、どういったモノをお探しで?」


 合流した『時計屋』を名乗る男を伴った想助たちは、草間興信所に向かうまでの道中でこれまでのいきさつを簡単に説明した。
 隼から、老紳士の身なりや特徴を聞かされた時計屋は、しばし考え込むように沈黙した。何か思い当たることでもあるのだろうか――と麟凰は期待を込めて時計屋を見上げる。
 時計屋は僅かに片方だけの目を細め、何事かを思案しているかに見えた。あるいは、記憶の海から小さな欠片を拾い上げているかのような――。
「成程――つまりその方が探しているという時計を私に用意しろ、と?」
「ただ、その爺さんってのが曲者でな。なんで時計が必要なのか口を割りゃしねぇ。流石に何を探しているのか分からない状態じゃ、探すのも難しい――」
「そうでもありませんよ」
 時計屋は得意そうな顔をして隼を見やる。
 その様子は、想助にとある確信を抱かせた。
 時計屋は、草間興信所に現れた老紳士について、自分たちが知らない情報を知っているに違いない、と。
「何を知っている――?」
 そう問い掛ける想助から発せられる気迫は、触れれば切れんばかりに鋭い。麟凰と隼は時計屋と、彼に詰め寄る想助とを無言で見守った。
「貴方は私の売る時計を必要とはしない。だが御老人は必要としている――悲劇は、この僅かな『差』故に今も続いているといっても過言ではないということです」
「確かに、僕にはお前の売る『時計』は必要のないものだ。だからこそ、僕は――僕が判断しなければならない」
 想助はそこで一度言葉を切った。時計屋は皮肉げな笑みを浮かべたままで、その表情からは彼が何を考えているのか分からない。それでも、そこに欠片でも見つけようと想助は再び口を開く。
「お前の目的は何だ? 何故そんな時計を売り続ける――?」
「貴方のような力を、私が所有していないからですよ。そして御老人も――お分かりですか? それは明らかに、選ばれた者のみが所有する力だ。だが過去に返りたいと、あるいは時を止めたいと願う人々は数多くいる。願いを叶えることは罪ではないでしょう?」
 一概に、罪ではないと断じることは出来なかった。そしてその逆も。
 だからこそ、答える変わりに想助は問うた。
「害意はないと?」
「少なくとも今は――未来のことまでは保証しかねますが」
 誠意、のように麟凰には思えた。時計屋があえて言葉を濁しているのは、彼がそれを約束できないが故の、けれど嘘をつくことを嫌っているらしい時計屋が示した誠意のようだと。
 見慣れた町並みを抜けると、そこに見えてくるのは隼や麟凰たちが通い慣れた草間興信所の事務所。
「で、本当に勝算があるんだな?」
 事務所の前で、隼が振り返る。それに合わせるように麟凰たちが立ち止まり、時計屋の答えを待った。
 時計屋は骨ばった指先をドアノブへと伸ばした。そこで始めて隼の言葉に気づいたかのように手を止める。
「岸本様のことは、私にお任せ下さい――」
「…………!」
 麟凰が弾かれたように顔を上げた。
 今の会話の流れからして時計屋の言う『岸本』とは、草間興信所を訪れた老紳士のことなのだろう。だが、何故――?
「どうして、名前を?」
 問いかける麟凰に、時計屋はおや、と呟く。
 想助からすれば、そんな時計屋の動作一つ一つが実にわざとらしく思えてならないのだが、どうやらそう思っているのは自分だけらしいので、あえて口に出すことはしなかった。
 そして、想助も気になったのだ。麟凰の言う通り、何故時計屋が老紳士の名前を知っているのだろう? おそらくここにいる人々は皆が――自分も含めて皆が老紳士の名を知らない。そして彼の存在を自分たちから教えられた時計屋は、自分たち以上に情報量は少ない筈だった。それなのに何故――?
「私の名が、好事家の間で噂されるように、一つの時計にまつわる噂が、私どもの業界でも流れているということです。過去に帰るために、自分の名が刻まれた時計を探し続ける男の話が」
「名前を知ってるだけじゃどうにかなるモンでもねえだろ。肝心なのは時計だ」
「無論です」
 隼の言葉にたじろぐことなく、時計屋は大きく頷いて見せ、そして片手に持っていたアルミ製らしきアタッシュケースを、目の高さまで持ち上げた。
「私は『時計屋』ですので――ご老人の望みのものを、勿論持っておりますよ。どうなさいますか? 貴方がたがお届けしますか?」
 隼は麟凰の方へと振り返った。その無言の問いかけに、彼は首を横に振る。
 自分たちは、あまりに知らない――その時計に隠された秘密を。
「それはあんたの仕事だろ」
「ごもっともで――そう、一つ教えて差し上げましょう。ご老人は、とある懐中時計を手にすることで時を渡ることが出来るのだそうです。それが時計に秘められた力なのか、あるいは時計とご老人、この二つが揃って初めて可能になるのかは私にも分かりません。だが、老人のその力にも不自由はあるようで――どうやら、自分の願った時代へ渡れるという訳ではないのだと」
「だから、時計を探していたのか……その時計を」
 想助はようやく、時計屋が言っていた言葉の内容を理解した。老紳士はそれだけでは時を渡ることが出来ない。そこに悲劇がある――。
「なんでも、ご老人には病に伏している細君がいらっしゃいまして――彼は時計を質に入れ、細君の治療費を捻出しようと家を出たところで、時を渡ってしまったのだと」
「随分詳しいんだね……」
 麟凰に答える変わりに、時計屋は草間興信所のドアを開いた。そして事務所に足を一歩踏み入れる。
 ドアの向こうから思い出したように時計屋が顔を覗かせた。
「そうそう――本当は『時計屋』と呼ばれ続けるのも良かったのですがね。私の本当の名は岸本時近と申します。先ほどお話ししました細君の、息子でして――まあつまり親子揃って時に翻弄されているという訳です。可笑しな話だとは思いませんか?」
 不思議な、なんとも形容し難い笑みを残して時計屋は消えた。
 その場に残された想助たちは、互いに顔を見合わせる。
「これで本当にジィさんが消えてたら、タチの悪い夢かなんかみたいだな」
 苦笑とともに呟いた隼の言葉を耳に、想助は確信していた。
 老紳士は、新たな旅に出たことだろう。
 そう――時計屋の持っていた懐中時計を手に、いつ終わるのかも知れない遠く長い旅に出ただろう。
 多分、おそらく――穏やかな笑みを浮かべながら。


++ 時の果てで貴方を想う ++
 やはり、というべきか――老紳士はまた旅に出たのだと、この事務所で全てを見ていた草間武彦は言う。だが草間たちは時計屋と老紳士との繋がりを知らないようだった。
 夢というほどに幻想的でもなく、かといって全てが現実であったのかと思うと奇妙な気もする。だが、紛れもなくそれが現実であることを想助たちは知っていた。
「帰れたのかな――?」
 本来ならば、麟凰の問いに答えられる者などいない筈だった。
 老紳士がこの時代を去っても、次に辿り着いた場所が元いた時間であるという保証などどこにもない。むしろ、それは偶然よりももっと小さな――奇跡に近いほどの小さな可能性であると想助は思う。
「まあ、帰れたんじゃないか。多分」
 曖昧な答えを返してくる草間が、指の間に挟んでいた煙草をくわえる。そしてデスクの上に置いてあった懐中時計のチェーンの部分を摘み上げた。
 その懐中時計の蓋部分の隅には、何かを削り取ったような跡が見える。想助は数日前、突如現れた時計屋から受け取った白い封筒の中に、それを映した写真があったことを思い出した。
 その写真にどんな意味があるのかと問いかけても、時計屋はただ黙って笑みを見せただけだった。つまり今も意味は分からないままだ。
「時計屋と老紳士の約束だ。もしも元いた時代に戻れたら、時計に刻まれた名前を削り取って欲しいとな――そして、時計屋からこの懐中時計が送られてきた」
「時計屋なら、可能だな」
 想助はあの写真を渡しに来た時計屋の姿を思い出す。いつも通りの笑み、いつも通りのわざとらしさすら感じる仕草――だが、それはどことなく――それこそ気をつけていなくては見逃してしまいそうにささやかではあるが、満ち足りた顔をしていたように思う。
 時計屋はどんな思いで、懐中時計の名前を削り取る老紳士の背中を見ていたのだろう?
 彼の長い、長い――気の遠くなるような旅を知る時計屋は、老紳士にどんな言葉をかけたのだろう?


 長い、長い時の果てに。




―End―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0072 / 瀬水月・隼 / 男 / 15 / 高校生(陰でデジタルジャンク屋)】
【0893 / 深影・想助 / 男 / 19 / 時空跳躍者】
【1147 / 水無瀬・麟凰 / 男 / 14 / 無職】

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■         ライター通信          ■
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 始めまして。発注どうもありがとうございました、久我忍です。
 最近あまりに体重が減らないのでムキになってフィットネスに連日通い詰めているのですがやはり減りません。瘤取り爺さんじゃありませんが、贅肉を人に投げつけたら、投げつけられた相手にその分の肉がくっつく、とかだったらダイエットも楽でいいなぁとかくだらないことを考える毎日です。でもそんなことが現実だったらかなり本気で身近な方々と喧嘩しそうな予感もします。


 今回は久我お得意(?)のリリカルチックで攻めてみました。ですがあくまで私にとってのリリカルなので、プレイヤーの皆さんにとってリリカルに見えるのかはとっても謎なのでドキドキであります。「全然リリカル違う!」「まさにリリカル!」などご意見ご感想などお待ちしております。