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■くたばれウェディングベル!■

草村悠太
【0759】【海塚・要】【魔王】
【データ修復中】
■あやかし荘、ご案内。

 東京都内、某所。
 長距離輸送のトラックやダンプが駆け抜けていく幹線道路をひょいとはずれ、ぼんやりした犬だったら迷子になりそうな、曲がりくねった通りをくねくねと抜けていく。
 正しい方向に歩けていれば、角を曲がるたびにコンクリートブロックの壁が生け垣に変わり、生け垣が油土塀に変わっていく。
 そして、車の騒音がのんきな鳥のさえずりやヒグラシの声や鈴虫の羽音に変わる頃、目の前にぽっかりと、嘘のように長い、時代がかった階段が現れるはずだ。
 丘の上に向かって、のんびりと昼寝をする大蛇のように緩くうねりながら登っていくその階段の先には、こんもりとした木々に埋まるようにして、今時珍しい傘付き電球をぶら下げた数棟の木造二階建てのアパートが建っている。
 無意味に広い敷地を囲う板塀にきられた門のわきには、丁寧な墨書で表札がかかっている。
 『あやかし荘』
 そしてそのさらに下には、少し日に焼けた半紙に、かわいらしい字でちょっとした自己主張が付け加えられていた。
 「空き室あります。 怪奇の類、応相談」


■嬉璃、たくらむ。

 少し気の早い夏の虫が鳴き始めた、晩春のある夜。
 『あやかし荘』の管理人室で、
「見合い!?」
この古びた木造建築にとりついた座敷童の嬉璃は、頓狂な声を上げた。
 あわてて彼女の口を押さえたのは、あやかし荘の管理人、因幡恵美。
「嬉璃、声が大きいってば!」
「しかし、恵美…見合いとはちと、早過ぎやせんか?」
 誰にも聞かれていないか辺りをうかがう彼女の手からどうにか逃れると、嬉璃はそう言った。
 恵美を見上げるまなざしが、どこか不安げに揺れている。
 まるで、母親とはぐれるのを怖がる子供のようだ。
 恵美はふっと表情を和らげると、彼女の前にしゃがみ込んだ。そして、
「嬉璃…もしかして」
目をそらすように顔を伏せる嬉璃を、のぞき込むようにして、続けた。
「三下さんのこと、好きだったの?」
「なんぢゃあ?」
 突拍子もない一言に、はじかれたように顔を上げる嬉璃。
 が、恵美はちょっと申し訳なさそうに微笑むと、
「お見合い、三下さんになの」
そう言って、テーブルの上に出しておいた見合い写真を嬉璃に渡した。
「三下が? 見合い??
 儂はてっきり、恵美が見合いするものかと…
 そんなものは、断固として認められんと…そう言うつもりぢゃったのに」
 困惑した顔のまま渡された見合い写真を所在なく開く。
 見るでもなく中を見て――――
「美人ではないか!」
また大声を上げた。
 確かに、嬉璃の顔ぐらいある大きな写真の中で、楚々とした美人がやわらかく微笑んでいる。
「なんぢゃ、こんな美人と三下をつがいにしようというのか?
 恵美、言ってはなんぢゃが、それは――――ああ、値する言葉を思いつかん。
 物理的にはあり得るが、世の真理としてありえんと、そんなような感じぢゃぞ」
「嬉璃、そこまでは…」
 額の横に小さく汗をかいて、それ以上何か言うのを押しとどめようとする恵美。
 嬉璃はもう一度まじまじと両手で支えた見合い写真を見つめ、
「…この女と三下が…
 くっ…儂としたことが、喩える言葉すら思いつかんとは…」
心底悔しそうにうめいて、視線をそらした。
「あのね、嬉璃…」
 何を悔しがっているのかいまいち釈然としない座敷童の手元から、恵美はそっと見合い写真を引き抜いた。
 それを静かにテーブルの上に戻しながら、
「分かってると思うけど、じゃましちゃ駄目よ。
 三下さん、最後のチャンスかも知れないんだから」
何げにヒドいことを言う。
「お見合い、来週の日曜なの。
 『あやかし荘』の一室を使うから、その日ぐらいは静かにしてあげてね」
 座敷童としての能力に期待して言ったのだろうその言葉に、しかし、うつむいたままの嬉璃の目が「キラーン」と光った。
「恵美の頼みとあっては仕方ない。
 任せておくのぢゃ」
 やおら元気になると、やけに鼻息荒く、嬉璃は胸を張ってうなずく。
「…嬉璃」
 その仕草に、恵美はちょっと目を伏せた。
 そして、自分の胸元の、和服で言えば左右の重ねに当たる部分を軽く指し示す。
「あまり、張り切らないでね」
「…なんぢゃ?」
「襟の下に、体操着、見えてる」
 嬉璃ははっとして前襟を押さえた。
 ふっははは!という、あの高笑いが聞こえたような気がする。
「そ、それを言うなぁー!」
 三下もかくやというような涙を後に引きながら、部屋を駆けだしていく嬉璃。
 恵美は軽くため息をつくと、
「…誰か、呼んでおいた方がいいのかな」
管理人室の黒電話に目をやった。


■当人、蚊帳の外。

 三下は、少しだけ浮かれていた。
 そして三下は、けっこう緊張していた。
 しかも三下は、かなりいやな予感を感じていた。
 ことの発端は、数日前に恵美が持ってきた、一葉の写真。
 いつものごとくヘロヘロになって帰宅した三下に、
「三下さん、ちょっといいですか?」
管理人の因幡恵美が、そう声をかけてきた。
 ああ、この人がここで僕を出迎えて、朝はここで送り出してくれるからこそ、僕は一日が始まったり終わったりするのを感じられるんだ…
 しんみりとそんなことを思いながら、
「管理人さんならいつでも歓迎ですよぉ」
涙ながらに何度もうなずく。
 恵美はそんな三下にちょっと怪訝そうな顔を見せてから、ゆっくり部屋に入ってきた。
 そして。
「あの、三下さん…
 突然こんなこと言って、驚くかも知れませんけど…」
 両手を後ろに結んで、どこか恥じらったようなその様子に、三下のノミより小さい心臓がどきりと飛び上がる。
 なんだろうなんだろう、管理人さんのこの仕草。この表情。
 まさかまさかまさか、噂に聞くあの――――
「お見合いとか、してみませんか?」
「喜んで!」
 間髪0mmで、ほとんど反射的に三下は答えていた。
 答えてから、
「…あれ?」
なんだか恵美の口にした言葉が自分の予想――正確には妄想――した言葉とは違っていたような気がして、一人首をかしげた。
 だが恵美の方は、
「よかったぁ。三下さん、スリルのないお付き合いに興味がないんだったらどうしようかと思いました」
晴れやかな笑顔を見せながら、ハイ。と言って背中から立派な台紙に挟まれた写真を出してくる。
「はぁ。いや、なんだか誤解が…て、コレ何です?」
 所在なく、差し出されるままに受け取った物へ視線を落とす三下。
「何って、お見合い写真ですよ」
「管理人さんの?」
「え」
 未だ予想――くどいようだが、正確には妄想――から軌道修正のできていない三下が問い返す。
 さすがに恵美は絶句した。
「いえ、私のじゃないです…
 三下さんのですよ」
「僕の? いつの間に撮ったんですか」
「…いつの間っていうか…
 三下さん、大丈夫ですか? 今から緊張してたんじゃ、身体持ちませんよ?
 その写真、三下さんのお相手のお写真です」
「僕の相手…は管理人さん」
「違いますってば」
 恵美はちょっと剣呑な視線を送ってから、ため息をついて三下の手から閉じたままの写真を抜き取った。
 そして、自分で開いてから、
「ほら、よく見てください。
 この方が、三下さんのお見合い相手。
 法条 有紀子(ほうじょう ゆきこ)さんです」
噛んで含めるように、丁寧に。
 三下の混乱を、緊張のせいなのだと好意的にとってくれたらしい。
 三下はぐるぐるに混乱した目を、とりあえず写真の方に向けた。
 和服姿の清楚な美人が、写真の中で微笑んでいた。
 歳は、あと2、3年で三十路に届こうかというあたり。一般的にいえば「トウが立っている」のだろうが、それを感じさせない穏やかな空気がある。
「綺麗な方ですねぇ」
 三下は素直に賞賛した。
「そうでしょ?
 私の遠縁にあたる方なんですけど。お見合いの日取りは、来週の日曜日で。
 ちょっと急だったんで、実はもう、三下さんの写真、先方に送っちゃったんです。
 みんなで温泉に行ったときのスナップなんですけど」
 なんでそんな物を送るかな、とは微塵も思わなかった三下は、改めてお見合い写真に目を落とした。
 そしてようやく現実を把握しはじめた脳みそで、もう一度今の話をかみしめてみた。

 それが、数日前のこと。
 お見合いの話を持ってきたのが恵美であるとか、先方に送られた写真が旅行のときのスナップであるとか、実に自分らしいといえば自分らしい情けない部分もいくつかあるが、全体として悪い話ではないように思えた。
 だが。
「…いい話だって悪くなるのが、僕の人生だからなぁ…」
 出勤前にネクタイを結びながら、涙がこぼれるのを禁じ得なかった。
 しかも、数日前からなんだか嬉璃と歌姫の様子がおかしい。
 ついでにいえば管理人さんの様子もどこかおかしい。
 タイミング的に言って、たぶん自分のお見合いに関わる何かが動いているのだろうと感じてはいたが、何が動いているのかは全くうかがい知れなかった。
 もちろん、聞き出す度胸などある訳も無し。
「…とにかく、無事に終わりますように…」
 思いつく限りのあらゆる神に祈りながら、今日も三下は戦場へと出社した。


■魔王、気がつく。

 駅のホームにて。
 海塚・要は屈強な身体を小さなベンチに押し込め、背中を丸めてなにやら無心に読みふけっていた。
 巨漢の彼が持つと新書版のようにさえ見えるが、違う。普通の月刊誌だ。
 あ、いや、「普通の」ではないかも知れない。
 早い話が、海塚が食い入るように見つめているのは、白王社の月刊誌、『月刊アトラス』だった。
 怪奇そのものが怪奇雑誌を読む。これ以上の怪奇があるだろうか。
 と言っても、海塚は別段自腹を切ってまでこの雑誌を手に入れたのではない。
 行き先も決めぬまま、お気に入りのお子様タレントがコメンテイターをしているニュース番組の占いが「今日のラッキーポイントは、お金を払って公共交通機関に乗ることよ♪」と言っていたというただそれだけの理由で、適当にJRに乗り込んだ。
 そして、漫然と乗り合わせた乗客を見ていたときに――――この一冊を持っている青年を見つけたのである。
 背が高いので、海塚には青年の肩越しに誌面の内容が見えた。
 曰く、「凶悪筋肉メイド、少女を盾に白昼のアパートに籠城す! ――怪異 「萌える力」の真相を追え――」
 我が輩のことではないか!
 海塚は驚愕した。
 何をもってあのかわゆらしいメイドさんコスチュームを「凶悪」と表現しているのかは理解できなかったが、画質の荒い写真に写っている「犯人」とやらは間違いなくあのときの自分だった。
 思わず、海塚は後ろから青年の肩をむんずと掴んだ。
 うるさそうに振り向いた、いかにも「ヒヨワー」な青年は、思った通りの高さに相手の顔がないのに気がついて、視線をあげ、顔を上向け――――
「それを、我が輩に見せよ」
背伸びをしたら天井を突き破りそうな大男が、石臼で何かを挽きつぶしているような低い声とともに、もう一方の手を「ぬ」っと突き出してくるのを見た。
 ばさり、と青年の手から『月刊アトラス』が落ちる。
 それにあわせるかのように、がたりと電車が揺れ、ホームに止まった。軽薄な音を立ててドアが開いたとたん、
「か、勘弁してくださーい!」
青年は叫ぶやいなや、財布を放り出して飛び降りた。『月刊アトラス』を落としたまま。
「む。待て、青年。
 財布は要らんのだぞ」
 言いながら、海塚は彼が放り出した財布と『月刊アトラス』を拾い、後を追ってホームに出ようとして、
「うぬ、あ痛!
 貴様、私を挟んでどうしようと…あ痛たたた!」
閉まったドアに首を挟まれた。
 しかも。
「ああ、待て、まだ走るな! 走るな!
 確認しろぉ〜!」
 かくなる上は、魔王式格闘術パの88番、「真夏の駄菓子屋もんじゃ焼き」でドアを粉砕してくれようかと思ったところで――――乗り合わせた冷静な女子大生が非常停止レバーを引き、どうにか海塚は救出された。
 ようやく開いたドアから転げるようにホームへ降り、挟まれた首をさすって一息ついていたところに、
「困りますねー。駆け込みは危ないって言ってるじゃないですか」
やって来た駅員が、さも迷惑そうに言う。
「私は駆け込んでなどおらん!
 どう駆け込めば首を挟まれるのだ、尻からか!」
 魔王だけあって少々のことでは苛立たない海塚も、さすがにこの状況では怒鳴り声を上げた。
 が、この手の手合いに慣れているのか、駅員は大しておびえる風も見せず、
「とりあえず、連絡先伺ってよろしいですか?
 電車止めたんですから、後で何かご連絡する必要があるかもしれませんので」
丸太のような腕を掴む。電車は改めてドアを閉めると、急いで発車した。
「待ってください」
 そこに割って入ったのは、さっき非常停止レバーを引いてくれた女子大生だった。
「非常停止レバーを引いたのは私です。
 この人、落とし物をした学生さんを追いかけようとして、急いで降りただけです。
 そうしたら、ドアが閉まってきて。だいたい、発車の前にちゃんと確認してればこんなことにならなかったんじゃないですか?」
 実に理路整然と、落ち着いた声でそう諭す。
 さすがに駅員も言葉を失った。要するに、自分が適当に「発車オーラーイ」とかやったがための騒ぎなのである。
 論破などさせてくれなさそうな彼女と、威圧などさせてくれなさそうな大男とに挟まれて、
「じゃ、じゃあ、今度からは気をつけてくださいよ」
取り繕うようにそう言って、そそくさとその場を離れる。
 憮然とした表情でその背中を見送る海塚に、今度は「すっ…」とわきから何かが差し出された。
 振り向いてみると、さっきの『月刊アトラス』と青年の財布だ。
 それを持っているのは、例の女子大生。
「む…?」
「これ。あなたがあの人に返すんでしょう?」
 困惑した表情の海塚に、まっすぐな瞳で彼を見上げたまま、そう言った。
「うむ。私が読んだらな。しかしあの青年、財布まで落としていくとは。
 私は物取り強盗ではないのだが」
 彼女はちょっと困ったように笑った。
「今度からは、自分で買ってください。
 あなたが『読ませて』って言っても、普通の人には『よこせ』って脅迫されているように聞こえちゃいますよ」
「むぅ…やはり、メイド服ではないからか…?」
「え…いえ、着ているものがどうとかいう話じゃないんですけど」
 少しとまどったような顔でそう言ってから、彼女は腕時計に目を走らせた。
 タイミング良く、次の電車がホームに滑り込んでくる。
「あたし、もう行かないと。
 じゃ、気をつけてくださいね、外国人さん」
 海塚の銀髪や銀の瞳を、日本人でないがためだと思ったらしい。よもや人間でないがためだとは思わないのだろう。
「むう。
 あ、いや、助けてもらって名前も聞いていないな」
 彼女から『月刊アトラス』と財布を受け取りながら、海塚は言った。
 彼女がにっこりと微笑む。
 電車が規定位置に止まり、ドアが開いた。
「名前なんて――」
 軽やかに乗り込みながら、彼女の唇が動く。
「――気にしないでください。
 困ってる人の力になるのが、私の夢なんです」
 くるりと振り向いてそう続ける彼女と海塚の間を、左右から閉まってきたドアが隔てた。
 彼女はもう一度にこりと微笑んで、ドアの向こうから小さく手を振る。
 海塚も、つられるように振り返した。
 銀色の箱が、かたりと揺れて。
 電車が彼女を乗せて走り去り、祭りの後のような空虚さの訪れたホームで独り、
「…いい…!」
海塚はぐっと拳を握った。

 ともあれ。
 海塚は取り残された駅のホームで、手近なベンチを見つけ、『月刊アトラス』を読み始めた。
 そしてそこで、
「ううむ」
思わず唸らずにはいられない事実を知ったのである。
「やはり…やはり私は、萌えていたではないか!」
 押し殺した声で吐き捨てる。『月刊アトラス』を握る手に力がこもった。
 そこに書かれていたのは、海塚自身も完全には把握していなかった、『あやかし荘 萌え事件』の全貌であった。
 すなわち、海塚扮する筋肉メイドが毎度お騒がせの『あやかし荘』に闖入し、嬉璃を『体操着+ブルマ』姿に、柚葉を『ウェディングドレス』姿に、それぞれ海塚の中の『萌える力』のなせる奇跡によって変身させたあの事件。
 雪崩をうって突撃してくる完全武装の警官隊を、各種『萌えポーズ』で息一つ乱さずに撃滅したあの事件。
 ついでに言えば、恵美を『レースクイーン』に、天王寺を『女子高生』に、歌姫を『スクール水着』にできなかったことが、今でも悔やまれるあの事件。
 最後には水野の策略にはまり、自らの『萌える力』を手放してしまった、あの事件――――。
 だが。
 『月刊アトラス』の誌面が伝えるところによれば、あのときの水野は柚葉が化けたものであり、全ての糸を裏で引いていたのは風野・時音という退魔剣士であり、しかも――――しかも海塚が萌えていたのは思いこみではないという確たる証拠があるというではないか。
 誌面はこう結ぶ。
 「海塚が『あやかし荘 萌え事件』で残したものの意味に気づいたとき、きっと、いや必ず、彼は舞い戻り、もう一度この惨劇を繰り返すに違いない。」
「ううむ」
 海塚はもう一度うめいた。
 すっかり騙されてしまったという悔しさよりも、今一歩というところで野望を挫いてくれた風野という退魔剣士に対する怒りよりも、もっと強く海塚を突き動かすものがあった。
 はやる心を落ち着けようとするように、大きく深呼吸をして、ベンチから立ち上がる。
 今一度、手の中の『月刊アトラス』に視線を落とした。
 そこに描かれている、「『体操着+ブルマ』の座敷童 イメージ図」を見て――――
「ふっ…ふっはははは!
 うおぉおおお! 萌えているかーーーー!」
 海塚は色々と全開な声で、吼えた。


■そして見合いの終わり。

 三下は、彫像のように固まったまま、『あやかし荘』の一室に正座していた。
 座卓を挟んだその向かいには、あの写真そのままの、清楚な和装美人――――法条 有紀子。
 何となくバランスの問題で、恵美が三下の隣に、柚葉が有紀子の隣に座っている。
 ちなみにだが、その隣室では、居住まいを正した時音と歌姫も、一見「婚礼」に見える格好で控えていた。
 三下も有紀子も無言だが、両者のたたえている表情やその余裕には、雲泥の差があった。
 張りつめた顔のまま、うつむくでも顔を上げるでもなく座卓の天板を見ている三下と、穏やかな微笑みを浮かべてそんな三下を見つめている有紀子。
 何となく、有紀子が三下の母親で、実は三下の見合い相手は有紀子の隣に座っている柚葉なのではないか――――そんな錯覚すら覚えさせる。
 柚葉の方も、何かいつもと違う息苦しい空気の中、普段のハイテンションは鳴りを潜めていた。ただひたすら居心地悪そうに、ときおり恵美の方をちらちら見ている。
 かわいそうだとは思ったが、彼女を野に放つと嬉璃と共謀してとんでもないいたずらを仕掛けかねない。隣の部屋に待機してもらっている時音達も無駄骨になってしまう。
 なんだか自分がひどく遣り手ばばあじみているような気分になりながら、恵美は黙ったまま一座を見渡した。
 「カッコォーン」と、獅子おどしの聞こえそうな静謐さがあった後で、
「えーと、お時間も来たことですし…」
恵美は口を開いた。
 救われたような表情の三下と、相変わらず柔和な微笑みの有紀子が、恵美の方を向いた、そのとたん。
 隣室で、轟音が巻き起こった。

「三下さん☆旅立ってねー!」
 微妙に危険なニュアンスの漂うセリフとともに。
 時音と歌姫の眼前に、あり得ないような勢いで、畳の下から人影が飛び出してきた。
 めくるでもなく突き抜けるでもなく、ド派手に畳をぶちあげて。
 そして、天井近くでくるりととんぼ返りをうつと、とっさに歌姫をかばった時音の前に「スタッ」と立つ。
 周りにばたばたと壊れた畳が降ってくる中で、
「きっとやってくれると思ってたよー☆
 そしてその時にはきっと僕を呼んでくれると思ってたよー☆」
床下から噴出した人影――――水野 想司が「ビシッ」と指を突きつけてきた。
 女の子と見まがうばかりのキュートな顔には、無意味かつ過剰に晴れやかな極上スマイルが。
 いつものことと言えばいつものことだが、完璧に周囲の様子が目に入っていない。
 時音は歌姫の肩を抱いてそっと立ち上がると、
「…水野君」
ほとほとあきれ果てた口調でその名を呼んだ。
 いたずら小僧を叱る教頭先生の気分。
「お見合い、それは空間固定の監獄ファイト☆
 身を固めるとは、て…え――?」
 さすがに、声を聞けば想司といえど気づくらしい。
 キョトンとした瞳を、立ちはだかる時音に向けて――――しばし、固まった。
 15センチは身長の違う二人が、どうしようもなく間の悪い空気を感じながら見据えあう。
 歌姫だけが、時音の後ろで緋綸子の裾をぱたぱたとはたき、くっついた畳の埃を落としていた。
 ややあってから、
「…身を固めるとは、修行の完成…☆」
意味もなくいたいけな表情で先を続け始める、想司。
「頑張らなくていいから」
 時音はにべもなく断ち切った。
「あれ〜☆
 僕もしかして部屋間違えた?」
 想司がテヘリと笑いながら、言う。
「そのようだね」
 時音もにっこり笑いながら、うなずいた。
 もっとも、実際には間違えたわけではなく、恵美が嬉璃に伝えた部屋自体が嘘だったわけだが。
 ともあれ、そんなこととは知らない想司は、
「時音さん、今日は一段とかっこいいね☆」
時音の装いを指さして、愛想よくそう言うと、くるりときびすを返して、畳の残骸が散乱した部屋を出て行こうとする。
「じゃ、僕、三下さんに用事があるから」
「待ちなさい」
 時音はその首根っこをひっつかむと、床から軽く持ち上げた。
「水野君。さっきの口ぶり、今日が三下さんにとってどういう日か、知ってるみたいだね。
 だとしたら、この部屋から出すわけにはいかないな」
「えー☆
 僕おとなしくしてるよぅ」
「…本人を前にあえて言いますが、嘘くさい」
 時音が半眼で言ったとたん。
 首筋をつかまれたまま、想司は信じられないような鋭さの背面蹴りを繰り出してきた。
 とっさに想司を突き放して身をかわす時音。
「くっ…水野君、君ってやつは…」
 まともに食らっていたら骨の1、2本持って行かれたのではないかと思うような一撃に、思わずうめきがもれた。
「へっへ〜ん☆
 時音さん、僕がただ三下さんのお祝いに来たんだと思われちゃ困るっ♪」
「…思ってないから引き止めてるんじゃないか!」
 自覚ゼロの想司のセリフに一瞬めまいを感じながら、時音は言い放つ。
 が、想司は堪えるふうもなく、
「今日は時音さんと遊んでる暇はないのさー☆」
持参のバッグに手を突っ込むと――――描写しがたい、ぐちゃりとした物を取り出した。
「…蛸の腐乱死体…?」
 投げつけてくるのかと、本気で警戒する時音。
 しかし、想司はそれを、自分が突き破った畳と根田板の穴に向かって叩き付ける。
「ホントは三下さんの前で見せたかったけどぉー☆
 この際しょーがないやー♪」
 喜悦の表情を浮かべつつ、どんどんテンションが高くなる想司の声に導かれるように。
「…ょい…しょい…っしょい」
 と、穴からのぞく土の上に広がった『ぐちゃりとした物』の中から、得体の知れない声が響き始める。
「これは…」
 歌姫を背中にかばいながらうめく時音。根田の隙間から、『ぐちゃりとした物』が言語に尽くしがたい奇っ怪さで蠢いているのがかいま見えた。
 『光刃』で両断してしまうのが良いのだろうが、決してぬぐえない穢れを受けそうだという予感が、時音を躊躇させる。
 そうしている間にも、
「…っしょい…わっしょい…わっしょい」
声は大きくなり、ついに『ぐちゃりとした物』を突き破り、ぞろぞろと這い出してきたものがあった。
 とろけた肉。抜け落ちた歯。外れた眼球ぶら下げて、抜け残った髪までもが気色悪さを倍加する。
 そう、それはこともあろうに、
「おいでませー☆
 ゾンビ☆ワッショイ隊♪」
数十体に及ぶゾンビの群れ。
 ケタケタケタ。
 想司に紹介を受けたゾンビたちが、嬉しげに声を揃えて笑い――――ついに時音が『光刃』をひらめかせた。
 真一文字に一閃し、当たるを幸い数体を輪切りにする。
「君は…悪魔か」
 崩れ落ちるゾンビ☆ワッショイ隊員の向こうで、『光刃』を構えたままうめく時音。
 もっとも、そんな一言で想司に反省が促せるわけがない。
「ワッショイ隊のみんな〜♪ 時音さんの足止めを☆
 僕は三下さんを探さなきゃ」
 言うが早いか、想司は軽やかに身を翻すと、部屋の戸口に手をかけた。
「待――――」
 追いすがろうとする時音に、群がるゾンビ☆ワッショイ隊。
「邪魔を、するなぁ!」
 吼えるような一言を時音が口にして。
 部屋の中を血風が吹き荒れた。

 不意に巻き起こった轟音に、恵美も柚葉も、そしてもちろん三下も、二の句が継げないままぽかんと隣室の方を――――壁の方を見つめた。
 その、視線の先から。
 乾いた何かが床の上に散らばる音とともに、あまりに聞き覚えのあるボーイソプラノが聞こえてくる。
『三下さん☆旅立ってねー!』
「な…!」
「え…?」
「あー♪ 水野君だ!」
 三下が言葉を失い、恵美が「まずい」と眉をひそめる中、柚葉だけが同じようなテンションの出現に表情を輝かせた。
「…お知り合いですの?」
 一同の様子を見渡して、有紀子がはんなりと尋ねてくる。
「ええ…まぁ…ちょっと、お呼びしてない人が…」
「ホントに呼んでないですよね?
 管理人さん、ホントに呼んでないですよねぇぇ?」
 何とも言い難い表情で歯切れ悪く答える恵美と、早くも半泣きになっている三下。
「取り乱さないでください、三下さん。
 お呼びしてませんってば」
 何かを懸命に抑えている声で、恵美が言う。
「でも、なぜ隣室においでなのかしら?
 恵美さん、三下さんのお客様でしたら、こちらにお呼びしても」
「そーだよー♪
 呼ぼう呼ぼう!」
 知らないほど怖いことはない。穏やかな笑顔ともに危険な提案をしてくる有紀子と、渡りに船とばかりにはしゃぐ柚葉。
 すでにして、有紀子と柚葉が背にしている壁の向こうからは、竜巻のような何かが湿った何かをぶった切る、不吉な鈍い音が響きはじめていた。
「いえ。たいしたお客様じゃありませんから。
 ね、三下さん」
 無理して笑顔を作りながら、座卓の下で柚葉の足をがっしりと押さえる。
 話を振られた三下も、ガクガク頷きながら同意してきた。
「そそそそうですよ。
 全然、きききき気にしないでください」
「そうですか」
 そんな三下へ何とも柔らかな微笑みを見せながら、有紀子がうなずいた。
「ええ。
 さぁ、ちょっと隣が騒々しいですけど、お気になさらずに。
 まずは、お二人のご紹介を」
 何とか持ち直して、再び場を見合いの雰囲気に持っていこうとする恵美。と、四人がいる部屋のわきを、
「でっておいで〜☆
 三下さ〜ん♪」
突貫小僧が駆け抜けていくのが分かった。
 突き当たるまでまっすぐ行くだろう。彼はそういうタイプだ。
 とにかくしばらくは静かになりそうだと、三下と恵美が小さく息をついたとき。
『ふっはははははは!
 萌えているかぁあぁああ!』
 空前絶後に不穏当な雄叫びが、今度は玄関の方から響いてきた。

 嬉璃と龍之助は、管理人室で待機していた。
 二人が管理人室の戸の隙間から、三下の見合い相手を確認したのが15分前。
 その時点で、相手が「写真映りのいい人」や「修正上手な人」であってくれればという龍之助の願いは、あえなく砕け散った。
 そして、「せめて三下の見合いの行く末を、近くで見守りたい」と未練たらしく申し出た龍之助に、嬉璃があきれたような顔で答えを返したのが10分前。
「たわけ。巻き込まれたいのか」
 何をして「巻き込まれる」と言っているのかは分からなかったが、嬉璃はそれっきり、カステラの箱を抱えたままテレビの前に座り込んでしまった。
 龍之助の方は、とてもじっとしてなどいられない。
 見合いの会場に踏み込みたい気持ちを抑えながら、部屋の中をうろうろと落ち着き無く歩き回っていた。
 と、嬉璃が舌打ちをするのが聞こえた。
「落ち着かん男ぢゃの」
 言いながら、剣呑な視線を向けてくる。
 言い争うような気分でもなく、龍之助が黙って部屋の隅に腰を下ろした、ちょうどそのとき。
「ふっはははははは!
 萌えているかぁあぁああ!」
 あまりにも何かを吹っ切ってしまった大声が、すぐわきの玄関から響き渡った。
「…なんだぁ?」
 毒気を抜かれたような声で呟く龍之助。声のした方を振り返った、その視界の端に動くものを捕らえてふと嬉璃に目をやると――――彼女は引きつった表情を浮かべながら、テレビの前から立ち上がってわなわなと震えている。
「どうかしたんすか」
 尋常でないその様子にさすがに心配になって尋ねる龍之助。
「…あやつ」
 嬉璃がぎゅっと小さな拳を握りしめるのが見え、
「わ、ちょっと嬉璃さん!」
彼女は風のように管理人室を飛び出していった。
 あわてて追いかける龍之助。
 玄関は管理人室のすぐ横だ。
 戸口から出たとたん龍之助の視界に飛び込んできたのは、逆光の中に立つ、無意味にでかい人影と、その前に仁王立ちになった嬉璃。
 極端に遠近感の逆転した絵を見ているかのようだ。
「待っておったぞ、海塚!」
 ドドーンと、波濤の音が聞こえそうな迫力で、嬉璃がでかい人影を指さす。
 だが、人影――――海塚 要は、嬉璃のことが分からないようだった。
「ぬぅ? 誰だ貴様は」
 巨躯にふさわしい低い声で誰何する。
 嬉璃が「くっ…」とうめいたのが龍之助にも分かった。
「…この儂を、見忘れたというのか」
 言うや、不意に自分の和服の帯に手をかける。
「ちょっと、嬉璃さん!
 そりゃ18禁…!」
 龍之助があわてて止めに入るより、一瞬早く。
「これでも思い出せぬかぁ!」
 帯を解かれた嬉璃の和服が宙を舞い、その下から出てきたものは――――
「…なんで体操着?」
「萌えぇぇぇえええ!!」
 途方に暮れたような龍之助のつぶやきと、ぶっちぎりな海塚の絶叫が重なった。

 見合い部屋にいた有紀子をのぞく全員が、再び言葉を失った。
 有紀子だけが、軽く口元に手をあてて、
「あら…火事ですか?」
少し驚いたような声音で尋ねてくる。
「「…いえ、字が違うんです」」
 首を横に振る三下と恵美の声が、ハモった。
 柚葉に至っては、さっきの元気が嘘のように、座卓の陰で頭を抱えている。相当トラウマになっているようだ。
「字が…?」
 さすがに怪訝な表情で首をかしげる有紀子に、恵美は引きつり笑いで取り繕う。
「あの、気にしないでください。
 『あやかし荘』の人じゃありませんから」
「あら。お客様ですか?
 恵美さん、私のことなら気にしないで、ご対応した方が」
「やです」
 珍しいことに、恵美が遮るようにきっぱりと言いはなった。目が笑っていない。
「あ、あの、別の人のところに遊びに来たんだと思います。
 きっとその人が対応してくれますよぉ」
 しどろもどろになりながら、どうにか有紀子にそう告げる三下。
 その言葉に、有紀子がもう一度あの穏やかな微笑みを見せた、そのとき。
「三下さん、奥さん、無事ですか!?」
 戸を蹴り開けんばかりの勢いで、時音が飛び込んできた。
 ビシッと決まったピンストライプのスーツが、何かの返り血や返り汁や返り何かでぬらぬらとてかっている。
「…時音さん…」
 次から次へと飛び込んでくる闖入者に、もはや三下は遠い目になりかけだ。しかも「奥さん」とは誰のことだろう。
 時音は部屋の中を見渡して、なぜか柚葉と恵美がいることにちょっと釈然としない表情を見せてから、改めて三下の方を向いた。
「三下さん、このたびは誠におめでとうございます」
「…はあ」
 今のこの状況を見て何がどうめでたいのか。三下にはすでに問いただす元気など無い。
「実は、ちょっとした問題が…水野君なんですが、三下さんを妨害しようと駆け回ってます」
「はい…聞こえましたから」
 半ばどうとでもなれという気分で、うなずく三下。
「そうですか。でも、安心してください。水野君は僕が食い止めます。
 恵美さん、おとり作戦、とりあえず効果あったみたいですね」
 そう言って、ニッと口元に笑みを刻んだ時音に、恵美はぎこちない表情で返した。
「そうですね…
 歌姫さんも水野君を追ってるんですか?」
「いえ。
 彼女は隣で部屋の片づけをしてます。
 ちょっと腐肉や臓物が飛び散ってるんで」
 ついやりすぎてしまいました、と時音は魅力的な照れ笑いを浮かべたが、この状況では殺人鬼のセリフにしか聞こえない。
 聞くんじゃなかったと、恵美は激しく後悔した。
 さすがに有紀子も、驚いたように綺麗な瞳を見開いている。
「もう、分かりましたから…
 時音さん、水野君をお願いします」
 さっさとここから居なくなってくれ。言外にそんな響きを匂わせつつ、恵美が廊下の方を指さした。
 と。
「三下さーん! 大変っすー!」
 まさにその廊下を、あまりなじみのない声がどたどた走ってくるのが聞こえた。
「…今度は、誰…!?」
 段階的に悪くなる騒々しさに、恵美の自制心もそろそろ切れそうだ。
 三下は、もちろんその声に聞き覚えがあった。言わずと知れた湖影 龍之助である。
 特ダネでも飛び込んだか? だとしたら、この場から抜け出せる――――
 あまりにも甘い見通しに突き動かされ、
「湖影君! ここだよぉ!」
思わず三下は声を上げていた。
 戸口に立っていた時音にぶつかるようにして止まり、龍之助が部屋に顔を突き出してくる。
 そして部屋の中に三下の姿を見つけるや、一息に言い抜いた。
「三下さん、大変っす!
 デカイ変態が、体操着の嬉璃さん拉致って駆け回ってます!
 早く助けないと18禁なことに――!」
 ああ、僕のバカ。
 三下は心の底から、彼を呼び止めてしまった自分をなじった。
 が、ひとり灰になった三下をおいて、事態だけはどんどん進行していく。
「にぎやかですねぇ。
 運動会の練習をされてるんですか?」
 ここまで来ると、天然ボケなのかおおらかなのか区別の付けがたいマイペースさで、有紀子が微笑む。
 龍之助は「ライバル」の方をギロリと睨むと、憎さ百倍で口汚くののしった。
「そんなわけねぇだろが」
「あら。駆けっこの練習をされてるのかと」
「さらって走ってるの。分かる?
 小わきに抱えてダッシュしてるんだよ」
「借りもの競走ですか?
 あ、二人三脚!」
「違うって。
 あんたいくつだよ。のどかな発想してるなー。
 18禁だって言ってるだろ」
「18斤…ずいぶん大きなパンですね。
 口に入るのかしら」
「オイ…食い物の話なんかしてねーっての」
「あら。運動会のお話でしたものね」
 困ったように頬に手をあて、有紀子が微笑む。
 その仕草に、ちょっと心を動かされつつ――――
「三下さん、こんな天然ボケ、やめといた方がいいっすよ」
これ幸いとばかりに、そんなことを言ってみる。
「て言うか、君、コカゲ君?
 この中で唯一関係者じゃない君は、ここで何してるの?」
 怒るタイミングさえ逸してしまった感のある恵美が、震える声で尋ねた。
「何って…だから、嬉璃さんのところにちょっと用事が」
 龍之助が答えかけたとき。
「そぉこぉにぃいぃるぅのぉかぁぁぁああ!」
 圧倒的な質量を持つ何かが、獰猛な雄叫びをあげつつ、轟然と部屋に向かって突進してくるのが分かった。
「うわっ! 来た!」
「何で海塚がまた『あやかし荘』に!?」
 それぞれに驚愕の声を上げる、戸口の時音と龍之助。
 そして。
 比喩ではなく『あやかし荘』を激震させながらつっこんできた海塚は、
「ふっははははは!
 ブルマはぁあ、顔のおぉ、一部でぇぇぇええす!」
あまりに解せない咆吼とともに、某ビースト氏のようなタックルで戸口から時音と龍之助を突き飛ばした。
 そしてくるりと部屋の方へ向き直ると、あの肉食獣の笑みを浮かべてみせる。
「いたな、三下記者とやら!
 我が輩のメイドさんコスチューム、どこが『凶悪』なのか説明してもらおうか!」
 ズビシ。
 それだけで子供の手首ぐらいあるのではないかという太い指が、三下に突きつけられた。
 海塚が小わきに抱えた嬉璃は、すでにぐったりしている。傍若無人な雄叫びを至近距離で聞かされて、気を失っているようだ。
「返答次第では貴様を萌えさせることも厭わんので、そう思えぃ」
「あら」
 不意に、有紀子がのどかな声を上げる。
「先ほど玄関で呼んでいらした方ですのね?
 済みません、私が恵美さんを引き止めていたものですから」
 今のこの状況で何を謝っているのか。と思うようなことを、柔らかな微笑みとともに。
 が、ズレっぷりで負ける海塚ではない。
「ふ…っ。笑止!
 そこな萌え残りになど興味関心知見留意は全くない!」
「萌え残り…?」
 何を言っているのかなど分からなかったが、恵美は何となく傷ついた。
「私の追うものはただ一つ、こいつだ!」
 誇らしげに、目を回している嬉璃を片手でぶら下げ、有紀子に突きつける。
 体操着に赤いブルマという出で立ちの嬉璃が、彼女の鼻先でふらりと揺れた。
「まあ。可愛いお嬢さんですね」
「萌えるだろう!」
 我が意を得たりと豪傑笑いの海塚。
「あら。あなた、この方に恋をされてるんですのね?
 素敵ですわ。
 『恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ火垂るが身を焦がす』と、都々逸にも」
「…体格と年齢の差を見てもの言えよ、あんた」
 どうにか海塚・タックルから立ち直った龍之助が、戸口につかまりながら呟く。時音の方は、とっさに彼をかばったせいで、まだダメージから回復していないらしい。
 外見上の年齢や体格の差もそうだろうが、何かの荷物のように抱えたりぶら下げたりしている様を見て、「恋している」と認識するこの人は、本当に大丈夫なんだろうか。
 なんだか妙に醒めている三下の中の一部分が、聖母のような惜しみない笑顔をたたえている有紀子を見て、そう呟いた。
 そして、その直後。
 ただ一人この嵐のような一間に姿を見せていなかった彼が――ようやくと言うか、とうとうと言うか、キュートな声とともに突入してきた。
「三下さん、みーっけ☆」
 「ガシャーン」と、当たり前のような顔でガラス窓を突き破りながら。
 ばらばらとガラスの破片が降り注ぐ中、
「三下さん☆ついにやったねー!
 お見合いとは身を固めるステップ☆
 そして身を固めるとは修行の完成☆
 そして修行の完成とは、僕と三下さんの雌雄が決定することダ〜☆」
いつにも劣らぬ正体不明の三段論法を展開する。
「…水野君…他はなんにも言わないから…
 ガラスだけは…ね?」
 もはやなんと言っていいのやらも分からないといった声で、恵美。
 だが、キュートボンバー想司はくじけない。
「ダイジョーブ☆
 恵美さん、ガラスの破片でどうこうなるような僕じゃない☆」
 「ビッ」と親指を立ててウインクした。
「いや…むしろ、誰かどうにかして…」
 そんな恵美のつぶやきが聞こえたわけでも無かろうが。
 ずいっと一歩前に進み出たのは――今や「魔王」の称号を「萌王」にでも変えた方がいいのではないかと思われる、海塚だ。
「ふっふっふ…
 小僧、また会ったな」
「おー☆
 お久しぶりだね、萌え損ない♪」
 シュタッと片手をあげ、想司は元気にあいさつした。
 意に添わぬその呼びかけに、海塚のこめかみが引きつる。
 いま一歩踏み出して、抱えていた嬉璃を傍らの恵美の方へ無造作に放ると、
「私にそんな不遜な態度を取れるのも、今日が最後だと思え」
海塚は獲物を威嚇する獅子のような、威圧感に満ちた声を向けた。
 が、想司は動じない。と言うよりむしろ聞いてさえいない。
「お姉さん☆こんちわー♪」
 あくまで穏やかな表情の有紀子に笑みを投げ、それから今さらのように部屋の中を見渡して、
「なんだかずいぶん人が多いねー☆
 ニギヤカなお見合いだ☆」
屈託無く笑った。
「みんな招かれざるお客さんよ。
 君も含めて」
 限りなく何かをあきらめた声で、一応指摘する恵美。
 そして三下は――――灰になっていた。
 もうどーにでもしてくれー…
 口からエクトプラズムが出て行くような虚脱感とともに、遠い目で天井を見上げる。
 もともと、上手くいくはずはないと思っていた。
 どんなにいい話でも悪い方悪い方に転ぶのが、自分の人生だと思っていたから。
 でも――――さすがにここまで混乱と喧噪の極みを見せるとは。
 もはや自分一人の不運の星がどうこうというレベルではない。
 世界中の偶然と必然と理不尽のすべてが、自分の敵に回ったような気分だった。
 半分解脱しかけた三下の耳に届く、なんだか遠くなった周囲の音の中で。
「ああ! 水野君!
 今日だけは君を自由にさせるわけにはいかないんだ!」
「あやや。
 時音さん、どこにいたのさ〜☆」
 タックルの打撃から立ち直ったらしき時音が、今度は想司を追いかけ始めたのが聞こえてくる。
「ぬぅ!
 小僧、退魔剣士、まずは私と立ち合わんかぁ!
 萌えぇぇぇぇええ!」
 それを追うように、海塚の巨躯が暴れ回るのが聞こえてくる。
「ちょっとみんな!
 もういい加減にしてください!」
 とうとう堪忍袋の緒が切れた恵美が、金切り声で叫ぶのが聞こえてくる。
「三下さん、やばいっすよ!
 二人で逃げましょう」
 湖影君が、なんだか微妙にニュアンスの違う声で言ってくるのが聞こえてくる。
 三下はその喧噪の中に身を置きながら、さめざめと泣いていた。
 と――――ハンカチのようなものが、涙の伝う頬に触れる。
 はっとして目をやると、有紀子が変わらないあの笑顔で微笑みかけながら、涙を拭いてくれていた。
「お気持ちは分かりますわ」
 ぽかんとして彼女を見つめる三下に、有紀子は優しく語りかける。
「分かってくれますか…」
 世界中のどこにも味方などいないような気持ちになっていた三下は、彼女の言葉に新たな涙をあふれさせた。
 が。
「ええ…
 泣くほど嬉しいのですよね」
「え」
 ゆっくり大きくうなずいた有紀子の言葉に、思わず涙も凍り付く。
「分かりますわ。
 こんなに沢山の皆さんが、三下さんのことを思って会いにいらしたんですものね」
 有紀子はそう言って、また邪気のない笑顔を浮かべながら、喧噪渦巻く部屋の中を見渡した。
 ――――勝てないなぁ。このひとには。
 三下の中に、そんな感慨が浮かんだ。
 どんな状況の中でも、一片の好意を見つけられれば、それを信じて微笑むことができる。
 自分にはない才能を持つ女性に、三下は確かに強く惹かれ始めていた。
「…ええ。まぁ。
 そういう風にも言えますね」
 今日初めて、まっすぐに有紀子の顔を見て答える三下。
「うらやましいですわ。
 にぎやかで、楽しそうで。
 普段からこうですの?」
 あはは。と苦笑いしながら、
「ええ、けっこう…さすがにここまですごいのは、月に一回ぐらいですけど」
答えて頭をかく三下。
 その言葉に、有紀子が屈託なく笑いかけてきた。
 それから、涙を拭いたハンカチをそっと三下の手に握らせる。
「私、そろそろお暇しなくては…
 今日は本当に楽しかったですわ。
 …また、お会いできるといいですけど」
 少し上目遣いでそう言う有紀子に、三下は今さら顔が赤くなるのを感じた。
「き、きっと会えますよ。
 ほら、管理人さんもいることですし。いつでも遊びに来てください」
 ついしどろもどろになりながら、答える。
 有紀子はもう一度、子供のように微笑んだ。
「ええ、きっと」
 そして、上品な仕草で立ち上がると、
「ええと――――玄関は、こちらでしたかしら」
まるっきり逆の方向を指さしながら確認してくる。
「あ、送ります送ります、玄関まで」
 あわてて腰を上げる三下。
「恐れ入ります。
 初めてお伺いするお宅は、勝手が分からなくて…」
 恐縮して頭を下げる有紀子に、三下は何となくうち解けた気持ちで答えを返していた。
「分かります。僕もそうなんです。
 取材で『幽霊屋敷』に入ったときは、中で2日間迷いましたから」
「あら。何の取材ですの?」
「雑誌です。オカルトなんですけど…『月刊アトラス』って、ご存じですか?」
 飾り気なく言葉を交わしながら、部屋を出て行く二人。
 ここにいたってようやく「お見合い」が始まったかのようだった。

「ああ!
 三下さん☆どこ行くのー」
「よそ見している余裕があるのかな、水野君!」
「ぬぅ。退魔剣士、卑怯なまでの策士ぶり!
 貴様の中に修羅を見たぞ!」
「あーもー☆
 こうなったら今日の対三下さん用最終兵器出しちゃうぞ!」
「暴れるならよそでやって!
 ちょっと、コカゲ君? 嬉璃と柚葉を別の部屋に避難させて!」
「ええ?
 オレ、三下さん追わないと…」
「追ってどうするのよ? デバガメしてる暇はないの! 人命優先!」
「人命…嬉璃さんが言ってた「巻き込まれる」って、これか…」
「あっはっはー☆
 食らえ☆『主への誓い・断罪編』!
 填めたが最後、相手が死ぬまで取れない爆薬内蔵の指輪だぞー☆
 何組かあるけどどれがペアだったか忘れたから☆
 外れるまで殺し合うしかないねー♪」
「水野君、物騒な物投げないでよ!
 キャーッ! 柚葉、拾っちゃダメ!」

 後に残された連中は、主役がいなくなった部屋の中、いつまでも不毛な大騒乱を繰り広げていた。

 そして。
「ふっははははは! 萌えているぞぉぉぉお!」
 混乱と喧噪のすべてをつんざいて。獣王のような咆吼が、『あやかし荘』を震わせた。


 ...end?


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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  【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1219 /風野・時音(かぜの・ときね)/男/17/時空跳躍者
0759 /海塚・要(うみずか・かなめ)/男/999/魔王
0424/水野・想司(みずの・そうじ)/男/14/吸血鬼ハンター
0218/湖影・龍之助(こかげ・りゅうのすけ)/男/17/高校生

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■         ライター通信          ■
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 お待たせいたしました。草村悠太です。
 『あやかし荘』でのご活躍、ありがとうございました。
 今回は登場人物が多く、分量的にもボルテージ的にも、かなり突き抜けたものとなってしまいました。

 大魔王猊下には、とにかく萌えていただきました。
 今後大魔王猊下と嬉璃はどうなるのでしょうか。
 って、どうにもならないと思いますが(笑)。

 新作でお会いできることを願っております。
 ありがとうございました。 


                               草村 悠太