■殺虫衝動 『影の擬態』■
モロクっち |
【1388】【海原・みその】【深淵の巫女】 |
御国将がメールを受け取ったのは、某月某日。
そう言えば、昨日もワイドショーは殺人事件の報道に時間を割いていた。ここのところ立て続けに起きている殺人事件は、いよいよ世間の人々にとっても深刻な問題となりつつあるようだ。
全く、世間は始動に時間がかかる。
だが一度問題になってしまえば後はずるずると解決まで一直線だ。時事を動かすには、まず世論。
将とコンタクトを取ろうとしているのは、件のメールの差出人だけではなかった。県警の嘉島刑事もだ。最近、よく電話をかけてくる。彼は知りたがっているだけの様子だった。
ムシは、一体、何なのだ。
将はあの日から影を恐れている。時折ちょろりと視界をかすめる蟲にも、いちいち飛び上がりそうだ。
とりあえず、三下が一番危ないか。ムシを見せてはならない。いや、編集長もか。彼女もなかなかストレスを抱えていそうだ。
びくびくしながら1日また1日と食い潰していく――それもまた、大きなストレスに繋がる。
解決しなければ。自分のためにも、世間のためにも。
ことの真相を知る者とともに。いや、その力をすがりたい。
ムシを、殺せ。
メールに記されていた待ち合わせ場所は、つい最近傷害事件があった現場のすぐ近くだった。
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殺虫衝動『影の擬態』
■序■
御国将がメールを受け取ったのは、某月某日。
そう言えば、昨日もワイドショーは殺人事件の報道に時間を割いていた。ここのところ立て続けに起きている殺人事件は、いよいよ世間の人々にとっても深刻な問題となりつつあるようだ。
全く、世間は始動に時間がかかる。
だが一度問題になってしまえば後はずるずると解決まで一直線だ。時事を動かすには、まず世論。
将とコンタクトを取ろうとしているのは、件のメールの差出人だけではなかった。埼玉県警の嘉島刑事もだ。最近、よく電話をかけてくる。彼は知りたがっているだけの様子だった。
ムシは、一体、何なのだ。
将はあの日から影を恐れている。時折ちょろりと視界をかすめる蟲にも、いちいち飛び上がりそうだ。
とりあえず、三下が一番危ないか。ムシを見せてはならない。いや、編集長もか。彼女もなかなかストレスを抱えていそうだ。
びくびくしながら1日また1日と食い潰していく――それもまた、大きなストレスに繋がる。
解決しなければ。自分のためにも、世間のためにも。
ことの真相を知る者とともに。いや、その力をすがりたい。
ムシを、殺せ。
メールに記されていた待ち合わせ場所は、つい最近傷害事件があった現場のすぐ近くだった。
■涼み日和■
「おまえか」
海原みそのがそばに立つと、将はそんなそっけない反応を示した。しかしながらその眠たげな目はどこか安堵したような様子でもあった。
「おまえが来ると周りが涼しくなるな。ついでに、海の匂いまでする」
この男はみそのの素性を知っているはずだ。深海で眠る、名すら忘れられた神の巫女。さらに人魚だ。そこまで知っているというのに、将はそう呟くと、不思議そうに首を傾げてみせた。
みそのは将のそんな態度を見て、くすくすと笑った。
彼女が笑っているのは、安心したからだ。将が安堵していたのと同じように、みそのも胸を撫で下ろしている。
というのも、将の影は影であったからだった。あの歪な事件からちょうどひと月経った。麗香も将の家族も、彼の数日間の失踪はそろそろ許し始めていたし、月刊アトラスの新刊も出版されている。同時に、以前と変わらぬ日常に戻ったことだ――ストレスも悪い具合に溜まっているかもしれない。
が、みそのがその流れを見る限り、将はまだストレスを手懐けている様子だった。
「お加減はよろしいようですね」
「まあな」
「ご家族には?」
「言ってない。言えると思うか?」
「何故です? 正直に話されたほうが……」
「……あああ、あんまりイライラさせないでくれ」
「失礼致しました。……その後、この件に動きはありましたか?」
みそののペースに呑まれ、しかめっ面でこめかみを押さえた将ではあったが、その問いのおかげで気を取り直せたようだ。「ああ」と呻くと、パソコンに向かった。
みそのもとりあえず画面を覗き込む。その瞳には映らずとも、電子と情報の流れが見えるのだ――
殺人事件と障害事件は、むしろ増加していた。失踪する者も後を断たない。だがこれらの事実をまとめてみると、意外なことがわかった。
ムシ絡みの事件に巻き込まれているのは、ほとんどが働き盛りの男性なのだ。
ひと月前では東京に集中していたこの手の事件も、今では大阪や仙台まで飛び火している。全国をくまなく覆うのも時間の問題だろうか。
「疫病、なのだとしましたら」
みそのは呟いた。
「感染の源がありましょう」
「ネットだと?」
「そう考えるのが自然かと。ひょっとすると、始めは誰かが――」
将は難しい顔でかぶりを振った。
「黒幕とか……陰謀だとか……こいつは、そんな『単純』な話か? 俺はそう思うんだ。伝染病が広がることに、意味なんかきっとないだろう。それと同じだ」
「ヒトは、病が広がるのを本能的に食い止める――将様は、その流れに従っているだけですのね」
「ああ。黙って絶滅するのはごめんだからな」
「お手伝い致します」
みそのが微笑み、そう言い切ると――将はのろのろと、暗い笑顔を返した。
「有難う」
■焦りの葛藤■
将に、電話か入った。
相手は埼玉県警の嘉島。殺人課の刑事だという。どうにも話は長くなりそうで、その間、みそのはちゃっかり将のPCの前に座った。
ブラウザは開いたままだ。
電子と電脳、情報と虚偽の流れは、ごうごうと渦巻いていた。まだ、みそのはこの科学が生んだ新しい流れを操ることに慣れていない。掴んだと思えば、指の間をすり抜けていく。見えたと思えば、それは霞。
誰かにコツを教えてもらうまでは、無闇に足を伸ばさないほうが懸命だ。
みそのは見様見真似でマウスに手をかけ、将がこのパソコン上に残した『過去』を辿り、メーラーを開いた。
差出人:平
件名:待っている
ウラガ君へ。
興味を持ってくれて嬉しい。本日20時、鳩見公園で会おう。
「覗くなよ」
そう慌てた素振りもなかったが、将はみそのを小突いてきた。とりあえず、仕事場とはいえ彼のパソコンである。中には見られたくないものもあるだろう。このメールは、そのうちのひとつであったようだ。
「将様、でも、この『たいら』様は宛先をお間違えになられたのでは?」
「うん?」
「平様は、ウラガ様にこのお手紙をお出しになられたのでしょう」
「……ああ」
みそのはネットを知らない。本能で狩りをしている状態なのだ。
「俺はネットじゃ、ウラガって名乗ってる」
「そうでしたか。……この方と、お会いになりますの?」
将はそこで、小さく唸った。
迷っているらしい。
迷うべきだとみそのは考えた。平のメールからは、黒々とした澱みが溢れ出しているように見えたのだ。それを上手く伝える術が思いつかず、みそのは笑みをしまうことくらいしか出来ない。
「ムシを追ってるうちに知り合った。そいつはムシのことを個人的に調べてるらしい。今電話があった刑事もそうだ――もう、動いてるのは俺だけじゃない」
「――わたくしは、心配しておりませんよ」
聞いただけではちぐはぐに思えるみそのの回答。
しかし、将はぴくりと反応した。
「将様は、誰かにお会いすることで、病をうつすのではないかとお考えですね」
「……」
「思いつめてはなりませんわ。大丈夫です。将様の影は、影ではありませんか」
ただの影です。
黒い、闇です。
将様が動いた通りに従う――
単なる、影なのです。
将の影は確かに、一度も揺らめかなかった。
当たり前のことだが、そこに在った。光を切り取り、床にぼんやりと広がっていた。
■ふたりの探求者■
嘉島刑事は、将より若干年上らしい、中肉中背の男だった。ピーター・フォークのコロンボを思わせるいでたちであったが、コロンボと違い(或いは将に似て)、いささかぶっきらぼうな態度であった。将には何度も会いたいと願い出ていたらしい。みそのの一言のおかげで、ようやく嘉島は将に会えたのだ。めでたいことなのかもしれない。
場所は、鳩見公園の茂みが見える喫茶店だ。20時までという制限つきで、将とみそのは嘉島と会った。みそのはちゃっかりプリンパフェを頼み、にこにこしながらクリームやらプリンやら果物やらを口に運んでいる。最近、妹から存在を教わった食物だった。黒い服に次いで、彼女が今気に入っているものだ。
「……娘さんかい?」
幸せ一杯のみそのを見やり、嘉島はそんなことを口走った。みそのは黙って微笑んだ。慌てたようにかぶりを振ったのは将のみ。
「ちがう――いや、ちがいますよ。仕事をたまに手伝ってもらってるだけで……こう見えても頼りになるんです」
最後の方の余計なつけたしは、いささか小さくなっていた。みそのはいちいち気にも留めない性分だが、将は言ってから後悔したようだ。
嘉島は東京の裏で息づく人魚のことも、蟲のことも(まだ)知らない。「ふうん」と言ったきりで、それ以上追求してはこなかった。
「最近、埼玉じゃ蒸発や殺しが多くなった。同僚はみんなバカにするが、おれはあんたの記事が気になってね」
「ムシですか」
みそのが首を傾げると、嘉島は煙草をくわえながら生返事をした。
「消えた人間や死んだ人間は、大体パソコンを持ってて――インターネットをやってた。おれも最近勉強したもんでね、多少はネットのことがわかってるつもりだ。……共通項はお察しの通り、『ムシ』だよ」
みそのと将はちかりと目を見合わせた。
素人ではなかなか掴めない情報だが、さすがは警察か。
「そして、『平』だ」
時刻は、午後9時40分。
「……これから、平様と会うことになっております」
「なに?」
「将様にお話があるそうで」
「やめといた方がいいと思うんだがなあ」
嘉島はばりばりとうなじを掻いた。
「何故です?」
みそのは微笑み、首を傾げる。
「勘だよ」
「……ああ、『刑事の勘』というものですか。『どらま』と『えいが』でよく言われておりますね」
「そう思うのは自由だ。ともかく、おれは反対する」
将は黙っている。
みそのが代わりに反論した。
「黙っていては、事態は良い方向に動きませんから」
「しかしなあ、消えた人間や死んだ人間の6割が、平からメールを受け取ってるんだ」
嘉島は明らかに苛立ち始めているようだった。
みそのはそこで新たな流れを見出し、はっと一瞬息を呑んだ。
この、ざわついた――ぎちぎちと蠢き――爛々と光る赤い目玉たち――牙――脚――鱗――ムシだ、ムシだ、ムシだ、ムシだ。
嘉島が突然、顔色を変えた。だがすぐに、彼は立ち直っていた。
「何か見たか?」
将は重い口を開く。
嘉島は顔をしかめると、席を立った。
「会うべきじゃなかったか」
はあ、と将は溜息をついた。彼の前のコーヒーカップには、まだ6分目まで中身が入っている。彼はろくに喋らず、ろくに飲んでいなかった。
「あの刑事にうつしたな」
「そうと決まったわけでは――」
みそのの黒い瞳は、さっと動いた。
何も映し出しはしないはずの瞳だ。それが、今は鳩身公園を捉えている。
「公園に、人が」
彼女は囁く。張り詰めた声だ。
「――将様と同じ『流れ』を抱えていらっしゃる方が」
■虫潰し■
人気の無い鳩見公園、午後9時。
住宅地とはまだ離れているここは、喫茶店やブティックが集まった閑静な商店街だった。午後8時にもなると店は閉まり始め、静けさを帯びてくる。9時にはすっかり静まりかえるのが常だった。
みそのの走り方があまりにも危なっかしいものだったため(二度ほど転びもした)、将は急ぐのを諦めたようだ。ふたりは歩いて鳩見公園の広場に向かった。
街灯の白い光が、ふたりを照らし出す。深淵よりも深い影が地面に落ちている。
かさこそ、
その音を聞いて、ふたりは立ち止まった。
かさこそかさこそ、かさかさかさかさ、
「来るな」
かさかさかさ、
「くそっ……くそっ、来てほしくなかった」
「平か?」
「なんで来たんだ」
かすれた将の問いにも、男の声は答えない。
茂みの中から、ただひたすらに呪詛を絞り出すだけだ。かさこそという薄気味の悪い音とともに。
その流れは、危険なものだった。時化の海、極地の海、雨雲の下の河よりも、攻撃的で残虐だ。加えてひどく陰湿で、どす黒いものだった。
来やがった何で来たんだ来なければいいと思ってたのに何で来たんだ何であいつの言う通りになったんだ来ちまいやがってああ、ああ、ああ、来やがったな!
「将様!」
みそのが警告する。
それと同時に、茂みを切り裂いて、1匹の蟲が飛び出してきた。66対の脚を持つ蜂だ。尻から飛び出した針は、ささくれ立っている。蜘蛛のような顎と、9つの複眼。血管が飛び出した翅は、かさこそと音を立てていた。
短い悲鳴を上げて、将が倒れた。蟲が彼の身体に組みついたのだ。ぞわぞわと脚が蠢き、将の身体を戒め、ぎちぎちと針を動かす。
何とか将が影の中に閉じ込めていたあの蟲が、動き出した。
みそのはあのときのように、将の蟲の流れを掌握するか、
今まさに将を刺し殺そうとしている蜂の流れを堰き止めるか、
迷った。
一度にふたつを操るのは難しい。
「ウラガ!!」
将が叫んだ。
「大人しくしろ!」
それから、みそのに助けを求めた。
「海原! こいつを! 頼む!!」
みそのは眉をひそめ、蜂を凝視した。
将のときのように、なだめて鎮める余裕はない。流れを強制的に堰き止めた。蜂は痙攣のような反応を見せ、びくびくと将の上で脚を震わせた。
だが、流れと無理に留めおくことが出来ないもの。流れは、流れるさだめにある。
堰が崩壊し、蜂が膨張した。
凄惨な悲鳴は将のものではなかった。
ばちんと蜂は砕け散り、黒い影がばしゃばしゃと降ってくる――
将の影がわらりと裂け、たちまち巨大な百足になった。
だがその蟲は、ぎしぎしと唸ってはいるものの、将やみそのを傷つけようとはしない。蜂の残骸(影)は消えることなく、破片のまま周囲に散らばっていた。
みそのは身体に付着したその影を引き剥がし、首を傾げ、みつめた。
流れを失っている。まるでゴム皮だ。
「殺したのか」
「そのようです」
しゅん、とみそのは反省した。
影は消える様相を見せない。
将はようやく起き上がり、べたべたと身体にはりついた蜂の影を剥がしながら、蜂がやってきた茂みを覗きこんだ。たちまち彼は妙な悲鳴を上げ、顔を背けた。将の蟲が一回り大きくなった。
「見るな」
「見えませんわ」
「……今日は、その目に感謝しとけ」
みそのには見えない。
だが、将の記憶の流れを少しだけ覗き見た。
茂みの中には、破裂した人間が横たわっていた。
将の蟲はぎちぎちとそこに佇んでいる。
その赤い目は禍禍しいものだったが、どこか空虚でもあった。以前みそのに見せた敵意や苛立ちはない。
「将様、確か――ウラガとは、将様のもうひとつの名前だと」
「こいつも俺なんだろう? 嘘はついてないと思うんだが?」
将は面倒臭そうに、蟲の頭を小突いた。
「戻れ、ホラ。まったく、またでかくなりやがったな」
ぎゅう、と地面に押しつけた。
「ウラガ! 戻れ!」
蟲が地面にめり込んだように見えた。次の瞬間には――将の足元に、影が戻っていた。みそのはその様子を見て微笑む。
「不思議ですね。なぜなのでしょう? 将様の蟲に限って、こんなにも大人しいなんて」
「さあ……おまえの力のおかげなんじゃないのか?」
台詞のわりには、あまり感謝していないような表情だった。
それでも、みそのがいちいち気に留めるはずもない。
彼女は黙って微笑み、将を見上げているだけだった。
21時半になったが、誰も姿を現さなかった。
■ようこそ■
みそのは日と衣装を改めて、月刊アトラスに顔を出した。
「おまえか」
海原みそのがそばに立つと、将はそんなそっけない反応を示した。しかしながらその眠たげな目は安堵したような様子でもあった。大きな安堵だ。母とでも会ったかのような。
「しかし、いつも服に気合が入ってるな」
「『りおのかーにばる』の衣装ですわ。てれびで見ましたの」
「……その格好で街を?」
「ええ」
「……」
今日のみそのは、リオのカーニバルの黒衣装を身に纏っていた。将はこめかみを押さえたが、それ以上突っ込まず、パソコンに向かった。
「まあ、見てくれ」
衣装のことはなかったことにしたらしい。彼はメーラーを開き、受信メールボックスをみそのに見せた。
差出人:平
件名:ようこそ
ウラガ君へ。
きみのムシを見た。それと、娘さんも。
面白い娘さんをお持ちのようだな。
だがとにかく、我々はきみを受け入れる準備を終え、
きみは我々と目的をともにする権利を勝ち取った。
おめでとう。『殺虫倶楽部』にようこそ。
「だ、そうだ」
将は肩をすくめた。
「俺は何もしてなかったことも、向こうは見てた。それでも何か知らんが勧誘をしてきてる。……どう思う?」
問われて、みそのは微笑みを浮かべたまま――考えこんだ。
羽飾りがふわふわと揺れる。
「あとな、……あの嘉島って刑事、消えたらしい」
かさこそ、
見れば、ウラガが将の影の中で蠢いていた。
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【1388/海原・みその/女/13/深淵の巫女】
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ライター通信
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モロクっちです。大変お待たせ致しました。
『殺虫衝動』第2話をお届けします。
『平』、及び嘉島刑事との接触編でした。
みその様のおかげで将は今回無傷ですんでます。またこれで好感度が(以下略)。
ちなみに『ウラガ』は海上自衛隊が保有する艦艇の名前から取りました。
それでは、また。
これからバトル色がより強くなると思いますが、次回以降にも参加して頂ければ幸いです。
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