■閉じた世界■
久我忍 |
【0086】【シュライン・エマ】【翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】 |
神隠し――。
前触れもなく消えた子供は、数十年後に戻ってきたり、あるいは帰ってこなかったりと幾つかのパターンに分類されるものの、『主に幼い子供や女などが被害に合う』という点で共通していることが多いのだという。
「まあなんてゆーか、現代の『神隠し譚』とでもいうのかしらね。それほど暢気な話でもないんだけれど」
今日も今日とて、草間興信所にはあまり収入に繋がりそうにない面子が揃っていた。即ち――興信所の代表であるところの草間武彦。そして暇さえあれば事務所の暇っぷりをからかいに来るオカルト情報の収集家である凪という女。
ちゃっかりと備品のコーヒーなどと勝手に淹れて、まるでこの場所が自室であるかのような寛ぎっぷりでソファに座り込む凪に、草間はあからさまに溜息をついて見せた。彼なりのささやかな抵抗であったのだが、凪は綺麗に無視を決め込む。
「幸い、子供は一週間前後で帰還してんのね。けれど戻ってきた子供たちは『遊んできた』とか『友達が出来た』とかそんなこと言うばっかりで、何処に言ってきたのか誰に連れて行かれたのかも分からないまんま。だけど、必ず子供たちは帰ってきていたのよ。今までは」
「その口ぶりでは、帰還していない子供がいるのか」
「そゆこと」
凪の話では、子供たちは消える前に共通した行動を取っているのだという。
「置き手紙、なんだけど」
「手紙? 最近の子供なら携帯電話くらい持っているだろうに、随分とまた古風だな」
「『浩一くんと遊んでくるね』って――語尾とかは微妙に違うけれど、みんな同じ内容よ。だけど、消えた子供の友人に『浩一くん』とやらはいないのよねぇ」
肩を竦めてみせた凪は、ソファから立ち上がると草間のデスクに片手をついて、除き込むようにして顔を近づける。
「で、依頼があるの。消えた最後の子供はもう一ヶ月戻ってきていないわ。その子を帰還させて頂戴」
「知り合いか?」
「妹よ。っても最近になって出来た妹だけれど――名前は美紀。いつもヒラヒラの大層な洋服着てるのと、タチの悪い性格してるからすぐ分かると思うわ。報酬は美紀の母親から出るから心配しないで」
凪は断る隙もみせず、言いたいことだけを言うとさっさと興信所のドアの向こうへと消えていってしまう。草間はしばし考えた末に、凪からの依頼を受けることにした。
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閉じた世界
++ うららかな昼下がり ++
やはりいつもの如く、草間興信所は代表であるところの草間武彦の望みとは裏腹に、平和とか平穏とかいう言葉とはかけ離れた様相を呈していた。
波乱の種を持ち込んだのは、『神隠し』にあった子供を帰還させて欲しい――という依頼を持ち込んだ凪とう女であることは確かだが、それが原因の全てではない。原因のいくばくかは、確実に、草間武彦なる人物の日頃の人間関係などに起因していることも確かである。よって彼は新たな厄介ごとの種が現れたその時も、いつもの如く苦虫を何十匹も噛み潰したような顔をしてささやかな抵抗を示すことしかできなかった。
窓の外から見える空は晴れ渡り、換気のためにと開かれたそこからは涼やかな風がやわらかく吹き込む。
だが彼女――村上・涼(むらかみ・りょう)の周囲だけはどんよりとした空気が満ち満ちているようだった。
いつもならばくるくると変化する表情も、瞳に宿る勝気そうな光も、今日は微塵たりとも感じられない。
「――また駄目だったのね。その様子だと」
「……ほっといて」
どさりと音をたててソファの前のテーブルに置かれたのは、コンビニの白いビニール袋。がさがさと中を漁ると、その中から弁当などを引っ張り出し、涼はお世辞にも美味しいとはいえない鮭をもさもさと口に運び始めた。
「知ってる? 人間仕事なくても生きていけるけど金がないと死ぬのよ。でも金を得るためには仕事がないとやっぱり駄目なの。この意味分かる?」
「仕事ならあるわよ。凪さんが持ってきたのが」
相変わらずもさもさと弁当を頬張りながら、シュラインによって簡潔に説明された『仕事内容』とやらに耳を傾けていた涼。その周囲のどんよりとした空気がさっと別のモノに変化したのをシュラインは見逃さなかった。
だが、涼の内部で何があったのか? それを想像することはシュラインにとって容易い。
「分かりやすいわよねぇ、なんてゆーか」
凪が苦笑とともに言葉を漏らすと、シュラインもそれに同意する。
「分かり難い涼なんて気味が悪いわ」
「そりゃそうなんだけど――」
二人の話題の対象である涼はちょうど弁当を食べ終えて、再びコンビニの袋をがさがさと漁り、今度はプリンをひっつかむ。
「あああああもうあいつはあああっ!!! イヤガラセ!? さてはイヤガラセなの!? 就職決まってない私へのイヤガラセなのもしかして!? あ、お茶くれるお茶」
周囲を置いてきぼりに、一人猛然とプリンを食べながらエキサイトする涼。
仕方ないわねぇ、と呟きながらも甲斐甲斐しく茶の仕度をすべく動き始めたシュラインにひょこひょことついていった凪が問いかけた。
「あいつって?」
「美紀ちゃんのことだと思うわ、きっと」
「……知り合いなの?」
凪はさも恐ろしいものでも見るかのような目をシュラインに向けた。
「前にちょっとね――涼も、そろそろ落ち着いたら?」
弁当の空き容器をゴミ箱に捨て、そこにお茶を置いてやりながらシュラインが言うと、凪が便乗したようにそーよそーよ! などと口調とは裏腹にやるきなさそうに口にした。
「よりにもよって凪さんに言われると非っ常にムカつくんですけど! だいたいねー、凪さん何歳なのよぶっちゃけ!」
「命を引き換えになら教えてやるわよ」
大きな音を立ててテーブルに両手をつく涼。その目は目の前のソファに悠然と座っている凪へと注がれている。
だが歳の話が話題に上った途端、凪が豹変した。ヒールを履いたままの足を片方、テーブルの上へと乗せる。無駄に勢い良く。
テーブルの上でにらみ合う二人。
「元気ねぇ、二人とも」
感心したように呟きながら、シュラインは草間に茶を出し、自分もまた熱い液体の入ったカップを手にする。
草間はといえば頭痛でもするのかこめかみを強く抑えていた。
「薬出しましょうか?」
「いらん。気休みにもならないからな。しかしコレでどうにかなりそうなのか?」
コレとは当然の如く、涼たちの様子を指し示す。
「大丈夫でしょ。被害者のリストは出来てるし、凪さんも涼も熱しやすいタイプだけどそれが持続するほど体力はないはずだから」
シュラインがファイリングされた書類をぺらぺらとめくる。
それには、神隠しに合いながらも帰還したという子供たちの写真と、それぞれの住所などがきっちりと整理されている。それは少し前に、この事務所のパソコンを利用して海原・みなも(うなばら・みなも)という名の少女が製作したものだった。
++ 帰還者 ++
景色が朱に染まり始めた時刻、涼とシュラインは帰還者の一人であるという子供に会うために、神隠しが実際にあったらしき公園にやってきていた。
申し訳程度の涼気を演出する古ぼけた噴水の縁に腰掛ける少年に、シュラインは近くの自販機で買ってきた缶ジュースを手渡してやる。
塾の帰りだという少年は、二人が浩一のことについて尋ねたいというと、うんざりとした顔をした。何度となく同じことを尋ねられているのは分かるが、だからといってこちらも引き下がる訳にはいかなかった。
「一人、戻ってきていない子がいるのよ」
シュラインはそう説明する。だからこそ、改めて浩一について、そして神隠しについて知る必要があるのだと。
「浩一と会ったのはこの公園だったんだけど、何日からここでずっと遊んでたよ」
「――で、実際に神隠しに会ってからはドコいたの?」
シュラインは少年の話を聞きながら、持ってきたファイルをぺらぺらとめくっている。そのため涼が問いかけた。
「森みたいなトコロ。公園でいつも通りに会って、それから森に行くまでのことはよく覚えてないんだ。でも森で遊んだのは一日だけのつもりだったんだけど、戻ってきたら何日もたってて母さんは泣いてるし――でも浩一は悪くないよ」
「その森と、こっちとじゃ時間の流れが違うのかしらね」
ぐるり、と振り返ってシュラインに問いかけると、彼女が頷く。
「神隠しの場所は、実際の時間よりも早く時が流れるという逸話は残っているわね」
「凪さん放り込んだら大騒ぎしそうな場所ね」
わくわくと、そんなことを口にする涼。
「本人いなくて良かったわね――ところで浩一くんって、どんな子だったか覚えている? 外見とか、特徴とか分かると在り難いんだけれど」
「覚えてるけどさ、僕はもう浩一には会えないから意味ないと思うよ」
涼が少年の言葉に、ふと首を傾げてみせた。
「なんで?」
「浩一がそう言ったんだ。神様との約束で、一度あの場所に案内した子とは、もう二度と会えないんだって――何?」
少年が発した問いかけは、シュラインが持っていたファイルを差し出したことに対するものだった。
「このファイルの中に、浩一くんはいる?」
「ちょっと待って」
少年は緑色のファイルにファイリングされた書類を一枚一枚丁寧に目を通していく。横からひょっこりと涼がそれを覗くと、どうやらそれは全て『浩一』という名の人物の詳細や写真などがまとめられたものらしい。
だが、と涼は思う。
浩一という名前だけで選別したならば、ファイルはもっと膨大なものになる筈だ。浩一という名前以外に、何らかの選別条件があるのだろう。
興味を覚えた涼は、ひそひそとシュラインに問いかける。
「あのファイル何?」
「ここ数年で死亡した『浩一』という名前の人物のファイルよ」
「よく見つけたわねそんなの……」
「調べてもらったのよ、知り合いに――どう?」
少年はページを開いたままでファイルをシュラインへと返す。
「その右側のページ。浩一だよ」
磯崎浩一。
遊んでいるうちに、森の中で迷子になり、数週間後遺体となって発見された少年だった。
「森、ね。『森みたいなトコロ』と同じ場所だと思う?」
少年の耳には入らないように、ひそひそとシュラインの耳に囁く。
「多分、ね――だとしたら案内してもらわないと」
「まあ確かに、場所までは私たちは知らないワケだし――」
ちらり、と少年のほうに視線を向ける。すると彼は悟ったように顔を上げる。
聞こえていたのだろうか? そう考えるよりも早く、噴水の縁から腰を上げた少年が二人を見上げた。
「いいよ――だけど森までしか案内は出来ないと思うけど」
++ 偽りの神 ++
森の入り口近くまで案内してもらうと、時刻も遅くなってきたこと――そしてこの森でこの先何が起こるか涼たちですら想像がつかないこと、などを理由に少年を自宅へと返し、涼とともに森の奥を目指す。
「なんてゆーかねあの子鬼はね、可愛くないクセに変な愛嬌があるからタチ悪いと思うのよ」
涼は両手をぐぐっと握り込んで、木々に向かって一人力説している。追い越しながらシュラインがぽんとその肩を叩き、先に進むようにと奥の方を指差すと涼は拳を握り締めたままで素直にもそちらに足を進めた。
「美紀のこと?」
問いかけるシュラインの頬は、笑いを堪えているらしく微妙にひきつっている。
はて何か面白いことを言っただろうか、と首をひねってみるが、思い当たることはないので涼はシュラインの問いかけにこくりと首を縦にふった。
「子鬼で十分よアレは。当分名前なんかで呼んでやんないわよ絶対に!」
かなり唐突に決意を固める涼の様子は真剣そのものである。真剣なだけにどこか方向性がおかしいような気がしないでもないが、あえてシュラインはそれには触れないことにした。
触れるのは容易い。だが触れてしまえば、おそらくその後に続くであろう長い話に付き合うことになるであろうし、それに根気良く耳を傾けるほどに自分たちに時間があるとも思えなかった。
だが方向性にズレが生じていることに、涼は自分ではたと気づいたらしい。
「……だからそーじゃなくて……気に入られたのか、相手激怒させたのかのどっちかだと思うのよ……」
疲れたように呟く涼。
それは疲れもするだろう。あれだけ一人で騒いでいれば。
しかしそれがまた涼らしいといえば、その通りなのだが。
「そうね――ああいう子だから、嫌われることも多いだろうけれど、同じくらいに好かれることも多いでしょうし。けれど、頭のいい子だから、何が自分にとって危険かどうかくらいは判断できると思うの。それなのに美紀ちゃんが戻ってこないってところが不安ではあるけれど」
「確かに、帰るって言い出したらドアぶち破ってでも帰りそうだし子鬼は」
「――子鬼、ね」
やはりシュラインの頬はひきつっている。そしてその原因が分からずに、涼は首を傾げた。
「絶妙なネーミングじゃない?」
「絶妙かもしれないけど、美紀ちゃんは猛反発するでしょうね――」
さらに言葉を続けようとしたシュラインが、ふと動きを止めた。不意に途切れた会話と、あらぬ方向に視線を向けたシュラインの姿に、涼はさらに首を傾げながらもその視線が示す先を見たが、そこにはやはり森が広がっているばかりでことさら興味を引くような何かがあるとは思えない。
「――気に入られたか、激怒させたかのどっちかだと思うって言ってたわよね、さっき」
森の奥から聞こえてくる、確かに聞いたことのある少女の声に耳を傾けながらシュラインが訪ねる。
聴音に優れたシュラインだからこそ聞き取れた僅かな声。話の全容を把握するには程遠いが、それでもどんな状況にあるのかは想像がつく。なまじ、美紀という少女の性格を知っているが故に。
「言ったけど――まさか」
嫌な予感を感じたのだろう。涼が顔をしかめた。
「そのまさかよ――どうやら、激怒させる寸前ってところかしら」
「あの子鬼はあああっ!!」
今度こそ堪忍袋の尾が切れたのか、あるいは美紀のことが心配であるのか、涼がどかどかと高らかに足を踏み鳴らしつつシュラインに先行して森の中へと分け入っていった。
「だからなんでよ! 忘れられたくないなら美紀が覚えていてあげるって言ってんでしょー馬鹿馬鹿馬鹿!」
聞き覚えのある声に、涼は付近に嫌というほど生い茂っている木々の幹に、がんと頭を打ち付けたい衝動にかられつつも視線を上げた。
二人の前に見えて来たのは、小さな小さな神社。
人が訪れなくなってかなりの時が経ったのだろう。古ぼけたそれは、一目見てもあちこちが痛んでおり今すぐにでも修繕を必要としているように思えた。
「なんであの子鬼はこう……大人しくしてらんないのよ……!」
相手を怒らせないように気を使うということが、出来ないはずはないのだ。ただ単にしないだけなのだろう。だからこそ問題であるのだが。
「美紀ちゃんだもの――」
美紀は胸を張って、神社の社を睨みすえている。
涼たちの位置からは社の正面は見えない。そのため二人はそこに人がいるのかと思っていたが、音を立てないように回り込んでみると人の姿など微塵もない。
ならば美紀は誰に向かって怒りを向けているのだろう?
無言のままシュラインに問いかけるような眼差しだけを送ると、彼女は首を横に振りながら肩を竦めて見せた。
『人の心はうつろいゆくものだ――』
美紀のものではない、声が響く。森の木々をざわざわと揺らすそれは、まるで森全体から響いているような錯覚を感じさせる。
そう、それが錯覚でしかないことがシュラインには分かっていた。
声の主は、美紀の睨みつける社の中か――あるいはそれに近い場所にいる。
「だから美紀ってば変に長く生きてる人外って大っキライなのよ! ヒネクレてて絶対人の話なんて聞きゃしないんだもの! たまには信用とかしてみやがるといいんだわ人外!」
『お前は、この場に長く滞在し過ぎた――浩一がどうしてもと言うから見逃していたが、そうもいくまい。お前がここに長く滞在すればするほどに、お前の肉親が捜査の手を広げるだろう――それは、喜ばしいことではない』
その声に、美紀がふと、不審げに顔をしかめた。
そして一歩、後ろへと下がる。社から距離を取るように。
「変よ。だって忘れられたくないけど、人間はすぐ心変わりするからって浩一をここに縛ってたんじゃないの? オバケの浩一ならもう変わったりしないからって自由を奪ったんじゃないの? でも、忘れられたくないならいろんな人にここの存在を知ってもらえるのはいいことなのに、どうしてそれが駄目なのよ! 変! 絶対絶対絶対変!」
美紀がそう指摘した途端、嫌な予感が胸をついた。
予感、と呼ぶよりも意思と呼ぶべきなのかもしれない――それまでは無色の、ただそこに『在る』だけの気配だったそれが、涼たちの場所にも届くほどの邪念を――あるいは殺気に似た感情を露にしたからだ。
「――考えてる時間もないのね――」
シュラインがざわめく木々を見上げた。舌打ちの一つもしたい気分だ。
「考える必要もないわよ。かっさらって脱兎の如く逃げる。完璧」
「それしかないとも言うけど」
「いつもそんなモンでしょ――行くわよ」
涼の言葉を合図に、二人は茂みから飛び出した。
その音に、美紀がはっと顔を上げる。説明するよりも早く、シュラインが美紀の手を掴み、社を背にして走り出した。
それに続いた涼が振り返る。社には誰もいない――ということは、美紀は一体誰と会話をしていたのだろう?
「美紀、さっきの声は!?」
「カミサマよカミサマ!!」
「とにかく逃げるのが先よ――!」
シュラインが二人の会話を制すべく振り返り、険しい顔をした。彼女の表情の変化を間近で見てしまった美紀と涼もまた振り返る。
三人を追いかけるべく伸ばされたのは、巨大な手。霊力に秀でたものが見れば、それらがこの森を漂っていた悪意ある霊たちの集合体であることが見て取れただろう。
「非常識にもホドがあるんだわ――あっ!!!」
悔しげに言った美紀が、木々の根に足を取られて大きく転倒する。美紀の手を引いていたシュラインも必然的にその場に立ち止まった。
膝を地面につき、美紀を立ち上がらせる。その間も巨大な手は着実に三人との間合いをつめていく。
そしてそれは、一つではなかった。
手は幾つにも分裂しては合流し、さまざまな角度から三人を追い詰める。
「逃げ場ナシ?」
「そうみたいね」
「冗談じゃないわよ美紀はこんな手みたいなのにやられるなんてゴメンなんだわ!」
だが美紀がそう言ってみたところで、追い詰められてしまったという現状を変えられようもない。
無言のままに、巨大な拳が迫る。
美紀が目を閉じてシュラインと涼にしがみついた。
拳が、三人に向けて叩きつけられようとした直前――細い、細い糸のようなものが三人の視界を真横に薙いだ。
拳の一つが、その糸の流れにそって綺麗に分割される。切断面から小さな霊たちがばらばらと分裂し、怨嗟の声を上げながら森の中を飛び回った。
そこに現れたのは、先ほどの糸を数本手にした細身の少女――天薙・撫子(あまなぎ・なでしこ)と、みなもだった。
「結界を張ります。森からの脱出時間くらいは稼げるはずですから、シュライン様――早く脱出を!」
鋼の糸を指先の小さく複雑な動きで操り、銀色に光る蜘蛛の巣のような結界を作り上げていく撫子。その結界はどうやら、霊たちを一時的にその場から移動できないようにするためのもののようだ。
みなもは、結界を前に緊張した面持ちをしていたが、振り返って小さく笑う。
「待っている人がいますから、無事な姿を見せてあげてください」
++ 帰還 ++
「帰ってきたら来たでやかましいことこの上ないな――」
「賑やかでいいじゃない」
苦々しげに呟く草間に、そう言葉を返すシュライン。二人の視線は、今まさに興信所応接用のソファにて展開されている涼と美紀の言い争いに向けられていた。
「だって浩一一人じゃ寂しいじゃないのよ! 美紀は少しくらい得体の知れない森の中でだらだらしてたって死にゃしないんだわ!」
「実際助けられといて何いってんのよ子鬼が!」
「何よ無職のクセに! 無職!」
「二回も繰り返しやがったわねぇぇぇっ!」
がたん、とソファを倒さんばかりの勢いで立ち上がった涼。受けて立つ気まんまんで美紀もまた立ち上がり、背伸びして涼の視線を正面から受け止める。
「そういえば――」
涼と美紀の口喧嘩は留まるところを知らない。だがシュラインにとってはそれすらも見慣れた日常の光景の一つなのだろう。さらりと話題を切り出す。
「森の中で助けてくれた二人も無事みたいね」
「カミサマとやら相手には多少手こずったらしいが、しょせん霊体だったようだからな。ソレが滅んだ今となっては、浩一を縛っていたものはもうない。寂しがって子供を連れて行くようなことはもうないだろう――」
「ええ、そうね。でも、事件が解決したっていうのに、随分と機嫌が悪そうだけれど?」
いたずらを仕掛けるような笑みで草間に問いかけるシュラインは、おそらく知っているのだろう。彼がいまだ機嫌の悪いその理由を。
「あの二人を追い返す方法がな、思いつかん」
憮然とした顔の草間に、シュラインが笑みを堪えきれずにとうとう吹き出した。
そしてソファではいまだ涼と美紀との低次元な口喧嘩が続いている。
「無職無職無職無職!」
「子鬼! 子鬼子鬼子鬼!!!」
草間は疲れたように溜息をつく。
これはこれで、平和なのかもしれないと――そんなことを思いながら。
―End―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0328 / 天薙・撫子 / 女 / 18 / 大学生(巫女)】
【0381 / 村上・涼 / 女 / 22 / 学生】
【1252 / 海原・みなも / 女 / 13 / 中学生】
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■ ライター通信 ■
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毎度ありがとうございます。久我忍です。
今回こちらのノベルでは美紀救出をメインに、もう一方(海原様、天薙様)のノベルではカミサマ処理話などを展開しておりますので、興味がありましたら是非ご覧になって下さい。
さらに小ネタなど仕込んでみましたので、別のノベルをご覧になりますと心の中でほくそ笑んだりすることが出来るシーンなどがあったりすると思われます。書いていて大変楽しかったので、読んで頂ける皆様にも楽しんでいただけると幸いです。
ではでは、またどこかでお会いできるのを楽しみにしております。
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