■カメレオン■

モロクっち

【0233】【白神・空】【エスパー】

喧騒に紛れ、闘技場内の酒場の片隅では、決して大っぴらには出来ない取引が交わされている。 　今夜もだ。 　地下都市ツァオウェイから来たというその男は、ステインドと名乗った。ハーフサイバーの中年だ。右目はサイバー化され赤い光を放っているばかりだが、氷色の左目は殺気とある種の男気を帯びていた。 「生きてようがくたばってようが構わねエ。名前は＜ノーフィックス＞。武器の売人だ。探して見つけて連れてきてほしいんだよ」 　理由は語らなかった。自分の株を下げるような話が裏にあるのだろう。 　ステインドはこれまでに部下を使い、あの手この手でその売人を追ったらしいが、こうして赤の他人に依頼してきたところからみて、あまりいい結果が出ていないようだ。 　胡散臭い話ではないが、不思議な話である。ただの売人が、あの蛇のようなしつこさのツァオウェイ・マフィアから逃げ続けていると言うのか。 「カネは払うぜ。どうだ？　なアに、相手は逃げ足が速エ売人だ。死ぬようなこたァねエだろう。今までヤツはそんなに殺しをやっちゃいねエしな」 　獅子にも似た男は、見せつけるように――いや、明らかに見せつけるために、札束をドカンとテーブンに置いた。 　その音は、周囲の視線を集めた。 　大っぴらには出来ない依頼のはずであったが。 ■募集人数　１人〜５人

カメレオン ◆ステインド◆ 　喧騒に紛れ、闘技場内の酒場の片隅では、決して大っぴらには出来ない取引が交わされている。 　今夜もだ。 　白神空はたまたまこの酒場にやってきていた。彼女のある意味での『嗅覚』が――その夜のその話を嗅ぎつけたのだろう。１３番テーブルで交わされている話に、彼女は途中から加わった。 　ちろりとその紅い唇を舐めて――わずかに距離を置きつつも、彼女はその男の話に聞き入った。その距離からでは、並みの『聴覚』では男の話を聞き取ることが出来ない。周囲はうるさ過ぎたし、その時点では男も声を低くしていたからだ。 　地下都市ツァオウェイから来たというその男は、ステインドと名乗った。ハーフサイバーの中年だ。右目はサイバー化され赤い光を放っているばかりだが、氷色の左目は殺気とある種の男気を帯びていた。 「生きてようがくたばってようが構わねエ。名前は＜ノーフィックス＞。武器の売人だ。探して見つけて連れてきてほしいんだよ」 　理由は語らなかった。自分の株を下げるような話が裏にあるのだろう。 　ステインドはこれまでに部下を使い、あの手この手でその売人を追ったらしいが、こうして赤の他人に依頼してきたところからみて、あまりいい結果が出ていないようだ。 　胡散臭い話ではないが、不思議な話である。ただの売人が、あの蛇のようなしつこさのツァオウェイ・マフィアから逃げ続けていると言うのか。 「カネは払うぜ。どうだ？　なアに、相手は逃げ足が速エ売人だ。死ぬようなこたァねエだろう。今までヤツはそんなに殺しょやっちゃいねエしな」 　獅子にも似た男は、見せつけるように――いや、明らかに見せつけるために、札束をドカンとテーブンに置いた。 　その音は、周囲の視線を集めた。 　大っぴらには出来ない依頼のはずであったが。 　だが１０秒も経つと、周囲はすぐに１３番テーブルの物音に興味を失った。喧騒は再び確かなものになり、ウエイトレスが酒とつまみを運び、バーテンがビールをジョッキに注ぎ始める。 　そして空が、最初にステインドの金を手に取った。 「面白そうな狩りだから、引き受けるわ」 「そいつは有り難ェ」 　ステインドは空のほっそりとした肢体を見上げて、生身の目を細めた。 「いつまでに仕留めたらいいの？」 「なるべく早くだ」 「そう」 「お前さんなら、期待できそうだな」 　彼は目を細めたままだった。眺めを楽しんでいるのか、空が気に入ったのか。どちらでもいいことだ。ツァオウェイのマフィアからは、嫌われるよりも好かれたほうがいい。 「今時珍しい、ケモノの匂いがするぜ」 「あんたからもね、ステインド。――そうそ、匂いで思い出したわ。ノーフィックスの物を何か持ってない？」 「ヤツのもン？」 　ステインドは、空からの奇妙な要望に眉を寄せて考えこんだ。 「ヤツと仲いいわけじゃねエから、持っちゃいない。ただ、ヤツが最後に現れたのはキョショー・ホテルだ。昨日、５８９号室に泊まってたらしい。何かあるかもな」 「そう」 　空は、その紅い唇に笑みを浮かべた。横たわった三日月がそこに在った。 ◆残りのノイズ◆ 　ステインドが払った金には、経費も入っていたらしい。 　空はそれに対して不満を抱くこともなく、地下都市ツァオウェイに入った。空が初めて行く街だった。 　あの闘技場の酒場よりも混沌としている。活気に溢れ、生活感に満ちた空間ではあるが、『天井』があるせいか空気は油臭く澱んでいた。空はその鋭い嗅覚をある程度抑えて歩かねばならなかった。人の脂と機械の油、二酸化炭素と料理の匂いが入り混じり、大変な騒ぎになっている。鼻が曲がるとはこのことだ。空のような特殊な人間でなくとも、この臭いに慣れるまでは時間がかかるだろう。勿論、ここに息づく人々は、皆平気な顔をしている。 　空はしかし、その空気をいささか楽しんでもいた。 　これからはじまる狩りを思うと――彼女にとっては、もうすでにはじまっているのだが――否応無しに彼女の胸は躍る。まだ見ぬ獲物をどう追い詰め、どう料理するか……空はわくわくしながら考えていた。 　すべての建物が繋がっているような街だった。無計画に増築や改装を行った結果だろう。キョショー・ホテルはツァオウェイでも最も大きなホテルだった。地上へのシャフトとは少し離れていたが、お陰で空は色々と思考錯誤することが出来たし、街を楽しむことも出来た。しつこく言い寄ってくる男の顔をいちど引っ掻き、彼女は微笑みながらホテルに入った。男は三日後、右目をサイバー化するはめになった。 　無駄に客室が多いとしか言えないキョショー・ホテルは、お世辞にも高級とは言えない代物だった。しかしながらロビーや周囲に娼婦が立っているわけでもない。少し雑然としたビジネスホテルと言ったところだろう。ツァオウェイには各企業の支社が多く入っている。 　５８９号室は空いていた。部屋を指定してくる客は珍しいようで、フロントマンは怪訝な顔を見せたが、わりあい素直に空にキーを渡してきた。ありがと、と微笑むと、壮年のフロントマンはにやにやした。ステインドとはまた違った反応だった。 　部屋は狭い上に妙な間取りだった。このホテルもまた、無計画で無意味な増築を繰り返しているに違いない。部屋の中にはさすがに、油の匂いはなかった。空はようやく嗅覚を開放し――獲物の足跡を探り始めた。 　すん、と一度匂いを吸いこんだだけで、空にはノーフィックスの９割を知った。 　男。３０代。長身。女は連れこんでいない。それほど慌てた様子もない。ゆっくり酒まで飲んでいる。金を数え、武器の調整をし、そこで男が数人踏みこんできた。ノーフィックスは慌てず騒がず、余裕で逃げていった。 　空は、窓を開けた。途端に、ツァオウェイの臭いが鼻をついた。だが、ノーフィックスの匂いを完全にかき消すことはかなわなかったようだ。追跡できる。 　にい、と彼女はまたしても笑った。三日月を顔に呼び寄せた。 ◆ノーフィックス◆ 　おそらく、と空は予測している。 　自分はかませ犬にすぎない。獣を獣としてステインドは使っている。それはそれで構わない。自分はケモノなのだから。だが、黙って利用された挙句に殺されるのはご免だった。自分は獲物を追い詰めるだけでいいのだ。死ぬのが仕事のうちに入っているとは聞いていない。 　キョショー・ホテルの５．５階から、空はふわりと飛び降りた。彼女の姿は、白銀の鳥になったようだった。混沌とした街がその姿を覆い隠した。彼女は羽ばたき、その目で獲物を捉え、ついでその鼻で行方を追った。容易いことであった。 　ノーフィックスはその頃、街角の屋台でミソ味のヌードルをすすっていた。 　わりと端正な顔立ちには、余裕とするどい力があった。いくつもの修羅場をくぐり抜けてきた者が持つものだ。それにしても――いやはや、まだツァオウェイに居たとは。己の今の立場を楽しんでいるとしか思えない。 　彼はいつもスープまで飲み干す。器を持って呑気にすする。 　ぱかん、とその器が砕け飛び、屋台のおやじの額に当たった。 　ノーフィックスは、消えた。 　――消えた？ 　空は鞭をぴしりと引き寄せて、ノーフィックスが居た席を凝視した。 「おい、ゴタゴタならどっかよそでやってくれや！」 「そんなの、相手次第よ」 　怒鳴るおやじをぴしゃりと黙らせ、空は顔をしかめて（おやじの言葉に機嫌を損ねたわけではない）周囲を睥睨した。 　控えめな銃声があらぬ方向から聞こえてきた。 　空の動きは、人間のものではなかった。獣をも上回るものだった。それでも、突然至近距離から撃たれたのは確かで、空の白い肩から鮮血が飛び散った。 　また、銃声だ。相手は落ちついている。 　空はまたしてもすんでのところでかわした。 　銃声だ。 　避けきれなかった。銃弾は脇腹を貫通し、空は反射的に悪態をついた。 　姿は見えない。だが確かに狙撃されている。屋台のおやじは、ひいと身を小さくして屈みこんだ。そのすぐ上を、流れ弾が横断した。 　ノーフィックスの姿は見えない。 　そう言えば、まるで出し抜けに視界から消えていた。 　――そう、これが理由だったわけね。 　見えない相手を追うことは出来ない。少なくとも、普通の人間には。 　だが……白神空は、普通の人間ではなかった。 　銃撃の合間をくぐり抜けるようにして、彼女は鞭を振るった。彼女には、『見えた』。 　鞭はびしりとノーフィックスの手を打った。唐突に銃が何もない中空から現れ、地面に落ちた。最新式の無音短銃だった。 　彼女には、『見える』。 　空の姿は、白銀の狐へと変じた。匂いを追い、その爪と力でノーフィックスを打った。 　ざりっ―― 「ちっ……」 　ざりっ、 　空間にノイズが生まれ、ノーフィックスの姿が断絶的に現れる。 「見えているのよ！」 　空は、嘲笑った。 「あんたはそこに居るんでしょ、ノーフィックス！」 　蹴りが、炸裂した。 　ざりっ、ざざっ！ 　男が現れ、湿った地面に倒れこんだ。 　見えなかったノーフィックスは、脇腹を押さえて咳込んだ。びしゃびしゃと血液混じりのヌードルがアスファルトに飛び散った。 　脇腹の借りは返した。空の姿は再び、白銀の女へと戻っていた。 「……面白い力ね」 「……俺の力じゃない」 　血みどろの歯を見せて、ノーフィックスは笑った。 「でも、面白いだろ」 「そうね。ステインドが欲しがるわ」 「何もかもお見通しか」 　彼は笑いながら、左袖口に右手をそろそろと近づける。 「俺も最期に、面白い女に会」 　ぱかん。 ◆フイニッシュ◆ 　空の銀の髪と白い顔とは、ノーフィックスの血と脳漿で汚れた。 　やれやれ、と言いたげに男たちが集まってくる。空に鋭くも残忍な視線を向けながら。 　しかし、遅れて車から出てきた男が手を上げると、さっと引いた。その男は、ステインドに他ならなかった。 　ステインドは、頭が吹き飛んだノーフィックスを見下ろして、満足げに笑みを漏らした。 「よしよし、俺が見込んだ通りだったな、クウ・シラカミ」 　空は心持ち首を傾げた。自分は名を名乗っていない。 　……だが、ツァオウェイでマフィアに隠し事をするのは不可能だ。ノーフィックスすら出来なかった。空は己の感覚をこき使い、退路を確認していた。問題ない、無傷で逃げられそうな道は２つ以上ある。 　ステインドは屈み込むと、ノーフィックスの左手から腕時計状の装置を奪い取った。 　カチリ、と竜頭を押す。 　ステインドが、消えた。 　カチリ、と音がした。 　ステインドが、現れた。 　男はともすれば無邪気とも取れる目になり、奪ったばかりの装置を食い入るようにして見つめた。紅いマシンの目も、心なしか感情を帯びているようだ。 「確かに面白いよな」 「仕事は終わりね？」 　空は、ちろりと唇を舐め――微笑んだ。ステインドも、にいと笑った。 「お前も面白エ。だから、さっさと行っちまえ」 　空が拍子抜けしたのは言うまでもない。 　ステインドは本当に、笑っているだけだった。空は押さえていた脇腹から手を離す。すでに、傷は癒えていた。 　彼女は微笑みを浮かべたまま背を向け――ツァオウェイから消えた。 　恐ろしい男に恐ろしい装置が渡ってしまった。だが残念ながら、それをどうにかすることは、彼女の仕事のうちには入っていなかった。 　それに、きっと明日も明後日も、ツァオウェイは変わらず臭いままだろう。 　だから、白神空は消えたのである。 ＜END＞ □■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□ ■　　　登場人物（この物語に登場した人物の一覧）　　　　　　　　■ □■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□ 【0233／白神・空／24／女／エスパー】 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