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■獣の棲む街―悪意■

在原飛鳥
【1493】【藤田・エリゴネ】【無職】
草間興信所のソファに身を沈めて、太巻はしきりにタバコをふかしている。味わっているとは思えない。フィルターのところまで煙草が灰になると、それを吸殻で山積みになった灰皿に押し付けて次の一本を探る。決して広くない室内は、たちまち煙草の煙で白く霞んだ。
「なんにせよ、警察が動き出すのを待って、これ以上犠牲者を出すわけにはいかない」
警察は事態の緊急さを考慮してようやく重い腰を上げたが、未だに捜査令状の発行を待っている状態である。草間興信所に集まった面々に、それを待っている余裕はない。腕を組んで重々しく草間が言い、それに応えて太巻がソファで身を乗り出した。
「岡部ヒロトが根城にしている場所がある。バブルの煽りを受けて倒産した会社の持ちビルで、今はすっかり見捨てられ、建設中のままビニールシートを被ってるってシロモノだ。攫った人間を連れ込むとしたら、多分そこだろう」
事実だけを告げる口調でそこまで言うと、太巻は対面する顔ぶれを見渡す。
「二手に分かれて行動するぞ。一組がヒロトの注意をひきつけ、もう一組が人質を助け出す。ビルへの侵入口は二箇所。ヒロトに気づかれるとまずいんで、侵入する時に特殊な能力は使えないから、注意しな」

獣の棲む街――悪意
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草間興信所のソファに身を沈めて、太巻はしきりにタバコをふかしている。味わっているとは思えない。フィルターのところまで煙草が灰になると、それを吸殻で山積みになった灰皿に押し付けて次の一本を探る。決して広くない室内は、たちまち煙草の煙で白く霞んだ。
太巻の隣には草間が難しい顔をして座っている。彼らに向かい合っているのは、太巻に岡部ヒロトの尾行を依頼された5人。それに彼らの足元に静かに座っている猫が1匹。何本目かのタバコに新しく火をつけて、ようやく太巻は座りなおして彼らを見回した。
シュライン・エマ、南條慧、海原みなも、五降臨時雨。最後に足元で行儀よく座っている藤田エリゴネに視線が渡る。彼らの表情はどれも浮かない。戻ってくるべくして戻らなかった人物がいるせいだ。
「さて、気を取り直して仕事の話だ」
太巻だけが相変わらずの表情で身を乗り出す。この状況下において、この男の事務的な口調はむしろありがたかった。太巻の余裕を見て気持ちを落ち着け、しなくてはならないことだけに集中できる。
「こっからそう遠くないところに、バブルの煽りを受けて倒産した会社の持ちビルがある。建設途中で、取り壊すことも建設を続けることも出来ずに放置されてるシロモノだ。岡部ヒロトが、陰陽師を連れ込んで入っていったのが確認されている」
言って太巻は視線をエリゴネに落とし、それから一同を見渡した。集まった者たちには知らされていないが、この報告をもたらしたのは他ならぬエリゴネである。
「ビルの地図なんかは手に入らないの?」
シュラインの問いに答えるかわりに、太巻は束になって折りたたまれた紙をテーブルに投げ出した。こうして会議を開くまで忙しくしていたのは、どうやらこれを手に入れるためだったようだ。乱雑に折りたたまれた紙には、コンピューターで作られたらしい四角や丸が、整然と幾何学模様を織り成している。
「外からは見えず、悲鳴が漏れる心配のなさそうな場所は…」
「部屋の多くは防音設備が入ってる」
口の端に煙草を揺らして笑みを見せ、だがな、と太巻は続けた。
「何しろ建設途中でほっぽり出されたビルだ。ドアが付いてない部屋も多い。建設済みのところだけをピックアップすると…ここと、ここ。それとこのあたりだな」
がさつな指が地図の上をすべり、幾つかのポイントを示す。
「一階に閉じ込めてるってことはねぇだろう。人質を取った場合、犯人は無意識に逃亡を恐れるからな」
その仮定で部屋はいくつかに絞られるとはいえ、もうちょっと確実な情報が欲しい。懸念の色を示した女性たちの間で、ボソリと時雨が口を開いた。
「ヒロトが…どこにいる…か。ボク……が、動物たちに…調べてくれるように………頼める」
「今行って調べてこれるか?」
太巻がすぐに頷いた。返事のかわりに立ち上がり、時雨は動物たちに話をしにいく。
「まあ、場所はいずれわかると仮定して」
時雨が戻るのを待って、太巻は続けた。
「どうやらヒロトの能力ってのは、妙な力を発動させた場合、それを感知するんだな」
「それにテレポートと、衝撃波。…ちょっと厄介ですね」
とみなも。
「目をつけられているし、かなり分は悪い。…退くつもりもないけど」
少し休んで顔色が良くなった慧が腕を組み、重い表情で地図に視線を落とす。
「しかしどうやって決着つければいいの?例え拘束できても、彼の能力では……」
「瞬間移動か」
それぞれに沈思している面々を見渡しながら、太巻はソファに背中を預けた。ゆっくりと煙草を一服させてから、再び口を開く。
「ヒロトを捉える捉えないは、この際置いておく。異論はあるかも知れんが、まずは人質の安全確保が優先だ」
笑みを消し、確かめるような視線が集まった人々の顔を撫でた。
「二つのグループに分かれて、片方がヒロトの目をひきつけている間に、もう片方が人質を救出する。問題ないな?」
問うよりは確認する口調で言い、全員が頷いたのを確かめて太巻は青写真を取り上げる。
「っつーわけで、救出組と、扇動組とに分けたいんだが」
「私は陽動の方で。霊のまま乗り込んで、ヒロトの注意を引こうと思うんだけど」
組んでいた腕を解いて、慧が顔の高さに手を挙げる。
「じゃあ、あたしは救出組で」
みなもが言い、ついで時雨も彼女に同意した。
「閉じ込められている部屋…分かったら、………早く動いて、助け出すことが……できる、と思う」
スローテンポに見える男だが、時雨は時速にして800キロ近い行動速度を持っているのだ。頷きながらも考えを巡らせる顔で、太巻は片眉だけを上げる。
「まあ、お前のスピードに常人は耐えられないからな…。だが、敵の隙を突くことは出来るだろ。じゃ、お前も救出組な。あくまで目的は人質救出。深追いするなよ?」
真面目ぶっていても、決め方は豪快である。それでも細かい指示も出すあたり、几帳面なんだか、大雑把なのだか判断に迷うところである。お前はどうする?というように太巻はシュラインに顎をしゃくった。腕を組んで何やら考え込んでいた彼女は、おもむろに顔を上げると、太巻の瞳を見返してしっかりと頷く。
「人数的に、私は救出組ね。引き受けましょ」
「よし。……さて、それじゃ作戦会議だ」
滅多にない人数の客を迎えた興信所は、いつにもまして狭苦しい。そんな中、彼らは小さなテーブルを囲んで頭を寄せ合った。


□―――救出班:海原みなも・藤田エリゴネ・五降臨時雨
太巻たちの侵入とは時間をずらし、みなもと時雨はビルに乗り込んだ。足元にはエリゴネの姿もある。
動きやすいレオタードにマジックテープのスニーカーと、みなもは身軽な格好だ。その後を大刀を背負った時雨が続く。
青いビニールシートを潜り抜けた先は、埃くさい黒い空間だった。建設が中途で止まったせいで、がらんとしたコンクリートのビルの隅には、おざなりに機材や器具が置き捨てられている。
外から伸びる一条の光に照らされて、細かい埃は海中に漂うプランクトンのようだ。
まっすぐに伸びた廊下を行ったところに、階段がある。このビル内部で唯一の階段だ。目を眇めて見通してみても、ようやく階段の踊り場が見えるだけである。
みなもはしゃがみ込んで、廊下に積もった埃を確かめた。
幾つかの新しい足跡。それに、何かを引きずったような跡がある。
そのどちらも、廊下を数歩歩いたところで、ふつりと途絶えていた。
「ここでテレポートしたみたいですね」
コクリと時雨が頷き、頭上を見上げた。むき出しのパイプや配管が降り積もった埃にうっすら白く汚れている。
ズシンと、どこかで震動が響いて、みなもはびくりと肩を震わせた。尻尾と耳をぴんと立て、エリゴネも毛を逆立てて頭上を見上げている。パラパラと、細かい砂の粒子が細い滝を作って落ちた。
「ヒロトの…衝撃波でしょうか」
また、ズンと頭上で音がして、さらさらと小石が落ちてくる。階上で何かが起こっているのだ。
岡部ヒロトは三階の一室にいるのだと、時雨に報告を持ってきたネズミは言った。何かが起こっているとしたら、その部屋だろうか。
身を硬くして息をのんだみなもたちの耳に、チチ、とネズミの鳴く声が聞こえた。
どこだろうと辺りを見回していると、ひょろりと長いネズミの尻尾が、積み上げられた機材の隙間から覗いている。ネズミは一瞬機材の隙間から顔を見せ、慌てて身を隠した。また鼻先だけが覗いて、恐る恐るというていで床に行儀よく両足をそろえて座った猫を見る。
「まあ、エリゴネさんを怖がっているの?」
みなもが抱き上げると、エリゴネは大人しく彼女の腕の中で目を細めている。
「大丈夫、あなたを襲ったりはしませんわ」
みなもの言葉がわかったのか、ネズミはぴゅっと物陰から飛び出して時雨の腕をよじ登った。高いところにいれば安全とばかりに、一目散に肩までたどり着き、耳元に手をかけるようにして鼻をうごめかせる。時雨にしか分からない言葉で、何かを報告しているらしい。
頷いて聞いていた時雨は、ネズミを積み上げた機材の上に戻してやってから、振り返った。
「ヒロト……が、部屋を、出た………らしい」
「じゃあ、慧さんがうまくヒロトを誘導してくれたんでしょうか」
作戦では、慧が幽体離脱をしてヒロトをひきつけているうちに、みなもと時雨(とエリゴネ)が皇騎を救い出す手はずだ。慧とはビルの地図を眺めて話し合ってルートを決め、ヒロトが間違っても救出組であるみなもと時雨と鉢合わせないように、綿密に打ち合わせがなされている。それでも、どこからか響く地鳴りのような音には緊張した。
衝撃波に、皇騎が、慧が、やられてしまったということはないだろうか。
「宮小路さんは無事なんでしょうか?」
怖いもの見たさで物陰に隠れていたネズミに時雨が何かを問いかけると、後ろ足だけで立ち上がってちゅっと短く鳴く。「ぶじ……」と時雨が通訳をしてくれた。
「じゃあ、行きましょう。宮小路さんと合流しなくては」
みなもの腕から飛び降りて、エリゴネが先に立って歩き出した。
エリゴネは音もなく、埃っぽい廊下をまっすぐに歩いていく。足音を潜めるために遅れがちになる時雨とみなものかわりに先陣に立ち、左右に人が隠れる場所があると、用心深く顔を覗かせて安全を確認する。
太巻には、エリゴネを一緒に連れて行くように言われた時、「普通の猫じゃないから、信用して大丈夫だ」と言われている。確かにエリゴネは、人の言葉を完全に理解しているようなそぶりで、時折とても考え深げな表情を見せた。今も、彼女は時雨とみなもの前に立ち、彼らを先導するように足を進めている。
みなもたちのすぐ上の階で、ガラガラとやかましくコンクリートに重いものが落ちる音が、張り詰めた沈黙を破った。思わず身を硬くしたが、衝撃波とは違う。どこかで積み上げてあった荷物が崩れたのだ。
二階といえば、太巻とシュラインが罠を張っている。
「……罠が作動したのかしら」
思わずしがみついていた時雨の腕から手を解きながら、みなもが呟いた。
ニャア、とエリゴネが鳴く。
彼女は耳をぴんとそば立て、人間では聞き取れない音を聞き取ろうとしているようだった。
それから、身軽に体を翻して、エリゴネは上へと続く階段に向かって駆け出した。


□―――合流:救出組&宮小路皇騎
隅に埃のたまったコンクリートの階段を、いくつもの足音が交錯する。
「宮小路さん!!」
「海原さんか」
上から降りてきたものと、下から上がってきた者。双方は一階の廊下で顔を合わせることになった。先頭に立っていたエリゴネが皇騎に気づき、にゃあ、と無事を確かめるように鳴いた。駆け寄ったみなもに遅れて、時雨も近づいてくる。
「怪我はないですか?」
「私は平気だ。迷惑をかけたようで済まない」
怪我がなくてなによりですと、みなもは笑顔を見せる。それから心配そうに表情を翳らせて二階を見上げた。
「太巻さんたちがヒロトを引き付けているんです」
そう言って、思い出したように携帯電話を引き出した。
「……ケイタイ?」
「皇騎さんを救い出せたら、電話するようにって太巻さんに言われてるんです」
怪訝そうな顔をした皇騎に、こちらも困ったような顔でみなもは言い、丁寧にボタンを押してケイタイを耳に宛てた。何度目かのコールで、相手が出たらしい。
「もしもし、太巻さん。あたしですけれど……。……あの、宮小路さんは無事にこちらに合流しました。…はい、……では」
通話が切れる。電話の理由がよくわからずに、佇んだ三人と一匹は顔を見合わせた。
「今、太巻さんたちはヒロトと対峙しているそうです」
急いた口調でみなもが言うが、それだけでは果たして太巻たちが安全な状態でいるのかどうかも分からない。
「……行こう」
やがて、ぽつりと時雨が言葉を洩らし、みなもと皇騎を促した。それに答えてエリゴネが廊下を身軽に駆けていく。
「行きましょう」
とみなもも皇騎の手を引いた。
「太巻さんたちと合流するんです。二階ですから」

空気を震わせて、ひときわ大きくビル全体が揺れたのは、彼らが一階と二階の間にある踊り場に差し掛かった時である。圧力の波が頬を撫でたかと思うと、ズゥンと重い音がして、地震に見舞われたかのように足場が揺れた。
バラバラと、コンクリートの軋みから埃や小石が舞い落ちる。
ヒロトの衝撃波だ、と理解するのにやや時間を要した。
しかし、今までとはその規模が違う。
「一体……!」
「先、行く」
一瞬見えたのは刀を抜きかけた時雨の姿で、それはまるでテレビの電源を切った時のように、ふつりと見えなくなる。声だけがその場に残り、砂を巻き上げる小さな竜巻を残して、時雨の身体は忽然とその場から姿を消していた。
力を抑えない時雨の身体は、打ち出された弾丸と同じくらいの速さで行動することができる。
残されたみなもと皇騎、それにエリゴネはその速度についていくことが出来ずに、呆然とそれを見送った。
衝撃の名残りも立ち去り、ようやくビルが揺れを止めると、弾かれたように三人は走り出した。

「これは……」
二階へ続く階段を上りきった三人は、唖然として足を止めた。
ビルを貫くように、廊下はまっすぐに伸びている。…はずである。しかし、この階だけ、まるで爆弾に吹き飛ばされたかのように、部屋と廊下とを遮る壁が崩れ、廊下の半ばに円形の広場を作っているのだ。


□……瓦解
ひっきりなしに、壊れた瓦礫やコンクリートの破片が落ちていく音がする。ヒロトの衝撃波はコンクリートを瓦解させ、周囲の壁すらも吹き飛ばしていた。大して広くなかった廊下は、左右の壁が崩れたせいで面積が広がり、妙に広々としている。
太巻たち三人がいたところも、壁が崩れ、鉄筋が剥き出しになって無残な姿を晒していた。
ヒロトの姿はない。そのかわり、ヒロトが居た場所には赤黒い血溜まりが残っている。
その惨状に、駆けつけたみなもと皇騎は息を呑んだ。足もとにはエリゴネもいる。彼女らは衝撃からはだいぶ離れたところに居たため、被害を免れたのだ。
「五降臨さん!?」
渦巻く埃で視界の悪いビル内を見回すと、それに答える声がある。文字通り、弾丸のごとく飛び出していった時雨だ。姿を見せた彼は、僅かに頬を切って血を流していたが無事なようだ。その手には、切っ先に血のついた刀が握られている。
「ひどいな、これは。太巻さんたちは無事なのか?」
さすがに表情に危惧を滲ませて皇騎が呟いた。
「ヒロトの…傍に……居た。……そこ」
のろのろと腕を上げて、時雨が瓦礫の山を指す。
「埋もれてしまったの!?」
みなもが思わず口に手を宛てる。瓦礫の下に人の気配を感じるように皇騎はじっと目を凝らしていたが、やがて息をついて首を振った。
「……いや。そこに彼らはいないようだ。気配がしない」
「じゃあ、一体どこに」
言いかけたみなもの言葉を遮るように、ガラリと瓦礫が音を立てた。コンクリートの小山ではない。衝撃によって壁がなくなった、隣の部屋である。ニャア、とエリゴネが鳴いた。動物の嗅覚が、いち早く生存者を確認したのである。音もなく瓦礫の山を飛び越えて、エリゴネは人の気配がするあたりに鼻を寄せた。
壁が衝撃で横倒しになり、その上をいくつものコンクリートの欠片が覆っていた。壁が持ち上がるのに合わせて、それらがパラパラと落ちている。みなもたちが聞いた音は、それだった。
ニャア、ともう一度エリゴネが鳴く。おう、と答える声が瓦礫の下から聞こえてきた。
キングサイズのベッドほどもあるコンクリートの壁が、内側からの力で持ち上がった。バラバラと音を立てて小石が滝を作る。人の身長ほどもそれが持ち上がると、崩れたコンクリートを支えている腕が見えた。
崩れた壁に遮られて、中は人が入れるほどの空間が出来ている。人が通れるほどにできた隙間から、二人の人物が這い出してきた。
シュラインと慧である。コンクリートの下から這い出して、大きな一枚のコンクリートを支えている男に文句を言っている。
「いたた…。太巻さん、もうちょっとやりようはなかったの!?」
「ホント、これじゃ全然護衛になってないわよ」
二人とも洋服は埃まみれだが、どうやら怪我一つなく無事らしい。
「ご無事ですか?」
みなもが声をかけると、二人は揃って振り向いた。
「なんとかね…服は汚れちゃったけど」
「そっちこそ、無事みたいね。……宮小路君も」
「どうも、お世話をおかけしました」
皇騎が苦笑し、彼らは束の間、無事を喜び合った。ズシン、とその背後で、地響きを鳴らして太巻がコンクリートの板から手を放す。こちらも心配する余地がないほど無事である。
にゃーんと鳴いて歩み寄ったエリゴネを小脇に抱き上げ、太巻は彼らと合流した。
「ヒロトは?し損じたのか」
服の袖で顔を拭いながら、時雨に声を掛ける。少し前に見せた素早い動きが嘘のように、時雨は頷いて血溜まりを振り返った。
「また……飛ばれたから………」
衝撃の余韻を残して方々でコンクリートや小石の落ちる不吉な音がしているが、その存在すら幻ででもあったかのように、ヒロトの姿は見当たらない。
「岡部ヒロトの怪我は、ひどいんですの?」
みなもが懸念に顔を曇らせる。犯罪者とはいえ、人は、人だ。人である以上、彼女たちの裁量でヒロトを殺すことは、してはならないはずである。みなもの問いにゆっくりと首を横に振って、時雨は刀を鞘に戻した。
式神を放ち、ビルの内部を探らせていた皇騎が、ふと息をついて天井を仰いだ。黒いパイプが、衝撃で捻じ曲がり、所々落ちかけている。
「式神が彼を見つけました。……ヒロトは屋上に居るようですね」


□―――屋上
建設中だったビルの屋上には、柵も何もなく、平坦なコンクリートの大地には風が吹き抜けている。
ビル風は強く、傾きかけた落陽に灰色の床が赤い色を帯びていた。バタバタと屋上へと辿り着いた者たちの服を、風が鳴らしていく。
屋上のはずれに、ヒロトは立っていた。埃に服は薄く汚れ、こめかみから伝った血が乾いて、頬に黒くこびりついている。白かったシャツの脇は、時雨から受けた刀傷のせいで赤黒く汚れていた。
見晴らす東京の街並みは排気ガスにぼやけ、夕日が黒と赤のコントラストを織り成している。
変な形に口を曲げて、ヒロトが耳障りな笑い声を立てた。
憎悪と狂気に歪んだその顔は、妄執を張り付かせているさまが地獄の餓鬼を連想させる。
「実際あんたらはよくやったよ」
男にしては高い声で、ヒロトはへらへらと笑みを浮かべた。
「正義感ぶって、おれを追い詰めてさ。ああ、本当に大したもんだ」
傷が痛むのか、その顔が歪む。それでもヒロトは狂ったように笑うのをやめなかった。
「何おまえら、関係ないことに首を突っ込んでんだよ。あれか?お得意の正義感ってヤツ?言っとくけどな……」
芝居ぶって言葉をとぎらせたその瞳には、憎悪よりも狂気が強く宿っている。
「ツイてないやつが早死にするのは運命だろ?もっと生きられたかもしれないなんて思うのはバカげてる。そこでそいつの人生が終わるなら、それはそいつの運命だよ。俺に殺される運命だったんだよ」
「バカな。そんな運命があるわけがない」
喚くヒロトに、不快そうに皇騎が眉を寄せた。ヒロトは喋り続けている。
「早死にするヤツは、この世に必要ないから死んでいくんだ。俺はその運命に少し手を貸してやっただけだよ。なのに俺を憎むのは逆恨みってやつだろう?」
「運命をあなたが弄っていいとも思いません!」
みなもが眉を寄せる。
けたたましくヒロトは笑った。不快感を露わにした者たちを眺め、それが楽しくてたまらないと言うように笑い続ける。
笑い声は、突然ぴたりと収まった。狂気に占領されていたヒロトの瞳に、憎悪の暗い炎が再びちらつく。
「俺の邪魔をするな。俺がバカな人間どもを何人か殺したからなんだっていうんだよ。お前らだって俺に腹を立てたんだろう?だからここに居るんだよな?俺だって同じだよ。いざとなっちゃヒィヒィ泣き喚くしか能のないヤツらに嫌気が差したから殺したんだ。お前らに、偉そうに俺を糾弾する権利があるっていうのか!?」
屋上へと追い詰められたヒロトは、唾を飛ばして吐き捨てる。その顔に罪悪感は見られなかった。
息を吸い込んで、ヒロトは再びだらしなく口を開き、顎を上げて集まった者たちを見下した。
「俺とあんたらと、一体どれだけ違うっていうんだよ」

東京の街には、夕暮れ前の涼気を含んだ風が吹いている。
遠くに望む東京湾にともり始めた明かりは、場違いなほどに綺麗だった。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 ・1493 / 藤田・エリゴネ / 女 / 73 / 無職
 ・1252 / 海原・みなも / 女 / 13 / 中学生
 ・0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
 ・1549 / 南條・慧 / 女 / 26 / 保健医
 ・0461 / 宮小路・皇騎 / 男 / 20 / 大学生(財閥御曹司・陰陽師)
 ・1564 / 五降臨・時雨 / 男 / 25 / 殺し屋

NPC
 ・太巻大介(うずまきだいすけ)/ 紹介屋
  年齢不詳。バカ力。本能と勘で生きる男。


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■         ライター通信          ■
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大変おまたせしております。暖かいお言葉も大・感・謝です。やっほう。
というかなんだかんだと待たせてしまってすいません…!早食いがウリの日本のサラリーマンみたいに、取り掛かってからが早いのがウリ(誰が言った)のはずなのに!
しかも笑って赦してという感じに長いです。長々と読んでいただいてありがとうございます…。
正直に申し上げると全員の描写を書き綴った小説はまるっとまとめて20000文字近かったです!うわあ。
そんなわけで、個人個人の描写に、他者がどうなったか、表示されていなかったりするわけです(また…)
気になられたら、救出組の方は陽動組(シュラインさんと慧さん)の小説を読んでいただけると、何が起こっていたかわかるかと…。面倒くさくてすいません!
ちなみに時間軸は
シュライン&慧>宮小路皇騎>救出班>合流>瓦解>屋上
            >囮:南條慧

と大体こんな感じでゴザイマス。
次号のアップは…来週が過ぎてからを予定しています…ちょっと間があきそうですすいません!
もしよろしければまた遊んでやってください!
それでは、ありがとうございました。


在原飛鳥