■雨降らし <前編> ■
杜野天音 |
【0072】【瀬水月・隼】【高校生】 |
梅雨入りが発表されてから、すでに10日が経過していた。
「くそっ! なんで、この屋敷だけ雨が降らないんだ……」
磨き上げられた事務所の床を、草間が咥え煙草で歩き廻っていた。綺麗に清掃された事務所で唯一雑然とした机上。古ぼけた洋館の写真が散乱している。
点けたばかりの煙草を乱暴に灰皿に捻じ込んだ。
「行ってみないんですか?」
気が抜けるほどのんびりと零が声をかけた。洗剤いらずのスポンジを手にしている。最近お気に入りで持ち歩いているのだ。
「嫌んなるほど行ったさ! ――しかし、なぁ…」
反動で落ちてしまった吸殻を拾い上げて、零が不思議顔の首を傾げた。その肩越しに、草間は湿気で曇った硝子の向こう側を睨んだ。
横なぐりの雨が廃ガスで汚れた硬質の板を洗っている。
梅雨入りからずっと降り続けている雨。身も心もふやけてしまいそうな気分だった。
激しく屋根を叩く雨音。
草間は深いため息をついた。
「井戸が枯れてしまったのです」
丁寧なノックの音。
開いたドアの向こう、夕闇が迫まる廊下に立っていたのは初老の紳士だった。
「はぁ〜? 相談する場所が違うんじゃないか? 役所なら――」
「いいえ。ここは奇妙な出来事を解決して下さるところ、そうお聞きました」
ドアを閉じようとした手を止めた。
「なんで、そんな噂が流れるんだ……」
草間は肩を落とした。意に反する依頼――それでもお客には違いない。仕方なく、紳士を事務所に通した。
紳士の話はこうだ。
彼――市橋はある古いお屋敷の執事らしい。
雨が少ないと感じてはいたが、さして気にも留めてしていなかった。が、気象庁が梅雨入りを宣言しても一向に降る気配がない。
あまり外出しない主人に同行して街に出掛けて驚いた。雨が降っていないのは、屋敷の周辺だけだったのだ。
受け止め難い真実が判明してからも、雨は一度も芝生を濡らすことはなかった。
気味悪く思っている最中、ついに園芸用に使用していた井戸が枯れてしまったという。
紳士の話にうなづいてみたものの、解決の宛てがあるわけではない。
「俺にどうしろって言うんだぁ……」
依頼を受けてからずっと、八方塞がりの状態が続いている。
「うちが調べちゃろか?」
聞きなれた広島弁に、草間は勢いよく振り向いた。
「お前、いつの間に! だぁ〜菓子を広げるな」
「まぁ、いいじゃんか。困っとるんじゃろ?」
長椅子に袋から出された駄菓子が散らばっている。その一つを摘んで口の端を上げたのは樹多木要。
24の女性と言うには女らしさに欠けている独身だ。
「別に。小説のネタにされるのはご免だね」
「ふーん、そうは見えないけどねぇ……」
疑わしそうな目に、草間は軽い眩暈を覚えた。彼女が関わるとろくなことがない。怪談を専門に書いている小説家に美味しい餌を与えるようなものだ。だが、息の詰まる状況は猫の手も借りたい心情にさせる。
「うちに、任せときんさいや。ねっ!」
肩を叩かれ、更に眩暈のひどくなる草間だった。
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雨降らし <前編>
□オープニング□
梅雨入りが発表されてから、すでに10日が経過していた。
「くそっ! なんで、この屋敷だけ雨が降らないんだ……」
磨き上げられた事務所の床を、草間が咥え煙草で歩き廻っていた。綺麗に清掃された事務所で唯一雑然とした机上。古ぼけた洋館の写真が散乱している。
点けたばかりの煙草を乱暴に灰皿に捻じ込んだ。
「行ってみないんですか?」
気が抜けるほどのんびりと零が声をかけた。洗剤いらずのスポンジを手にしている。最近お気に入りで持ち歩いているのだ。
「嫌んなるほど行ったさ! ――しかし、なぁ…」
反動で落ちてしまった吸殻を拾い上げて、零が不思議顔の首を傾げた。その肩越しに、草間は湿気で曇った硝子の向こう側を睨んだ。
横なぐりの雨が廃ガスで汚れた硬質の板を洗っている。
梅雨入りからずっと降り続けている雨。身も心もふやけてしまいそうな気分だった。
激しく屋根を叩く雨音。
草間は深いため息をついた。
「井戸が枯れてしまったのです」
丁寧なノックの音。
開いたドアの向こう、夕闇が迫まる廊下に立っていたのは初老の紳士だった。
「はぁ〜? 相談する場所が違うんじゃないか? 役所なら――」
「いいえ。ここは奇妙な出来事を解決して下さるところ、とお聞きました」
ドアを閉じようとした手を止めた。
「なんで、そんな噂が流れるんだ……」
草間は肩を落とした。意に反する依頼――それでもお客には違いない。仕方なく、紳士を事務所に通した。
紳士の話はこうだ。
彼――市橋はある古いお屋敷の執事らしい。
雨が少ないと感じてはいたが、さして気にも留めてしていなかった。が、気象庁が梅雨入りを宣言しても一向に降る気配がない。
あまり外出しない主人に同行して街に出掛けて驚いた。雨が降っていないのは、屋敷の周辺だけだったのだ。
受け止め難い真実が判明してからも、雨は一度も芝生を濡らすことはなかった。
気味が悪く、ついに園芸用に使用していた井戸が枯れてしまったという。
紳士の話にうなづいてみたものの、解決の宛てがあるわけではない。
「俺にどうしろって言うんだぁ……」
依頼を受けてからずっと、八方塞がりの状態が続いている。
「うちが調べちゃろか?」
聞きなれた広島弁に、草間は勢いよく振り向いた。
「お前、いつの間に! だぁ〜菓子を広げるな」
「まぁ、いいじゃんか。困っとるんじゃろ?」
長椅子に袋から出された駄菓子が散らばっている。その一つを摘んで口の端を上げたのは樹多木要。
24の女性と言うには女らしさに欠けている独身だ。
「別に。小説のネタにされるのはご免だね」
「ふーん、そうは見えないけどねぇ……」
疑わしそうな目に、草間は軽い眩暈を覚えた。彼女が関わるとろくなことがない。怪談を専門に書いている小説家に美味しい餌を与えるようなものだ。だが、息の詰まる状況は猫の手も借りたい心情にさせる。
「うちに、任せときんさいや。ねっ!」
肩を叩かれ、更に眩暈のひどくなる草間だった。
□屋敷へ向かう車内□ ――海原みなも+橘穂乃香+シュライン・エマ+朧月桜夜+瀬水月隼+岐阜橋矢文
「ねぇ、市橋さん。屋敷はずいぶんと都内から離れているんですね」
シュラインの言葉に反応して、執事の市橋は頷いた。
「わたくしの主は自然が好きなものですから」
「そう……」
屋敷から迎えに来たリムジンに乗って、一行は東へと進んでいた。草間の要請で集まったのは6名。屋敷ひとつ調べるのに人数が多い気もするがそれも仕方がない。
「執事さん、あれはなんですの?」
長い座席の一番前にそっと座っていた少女、穂乃香が訊ねた。ずっと続いていた白樺の並木が途切れ、細く赤い屋根が見えた。窓に当って流れている雨の向こうに滲む景色。穂乃香の長い銀髪ごしに、横に座ったみなもも近づいてくる様子を見つめていた。
「ああ、あの屋根でございますか? 白神邸の門になります」
「はぁ〜!? 屋敷なんて見えないじゃねぇか……」
最後尾にどっかり座った隼が首を捻った。窓ガラスの貼り付くようにして見ている少女を引き剥がす。
「きゃっ! あたしも見たいのにぃ〜」
強引に座席に戻された桜夜は、拗ねた顔で口を尖らせた。斜め向かいに座っている大きな男に「ねぇ?」と同意を求めたが、腕組をした矢文はじっと目を閉じたまま薄く笑っただけだった。
「ふぁ……やっと着いたん?」
樹多木要が漕いでいた舟を降りて、騒がしくなった車内を見渡した。生欠伸をひとつして、中央に設置されているテーブルに地図を広げた。
「ごめん、市さん。運転手に雨が止んでる場所に入ったら、車を止めてくれるようにお願いして」
「はい。かしこまりました」
市橋は慣れた手つきで壁の電話を取ると、硝子板の向こうの運転手に指示している。その様子を見守りながら、一同感嘆のため息をついた。一体どんな家なのだろうか――白神家というのは。
ゆったり10人は座れるであろうリムジン。途方もなく広い敷地。そのどれを取っても、滅多にお目にかかれる家柄ではないことは分かってくる。
ただ1人無感動だったのは、もちろん一番幼い穂乃香。なにせ、彼女もここと同じくらい広い敷地と建物を誇る「常花の館」の主なのだ。
興信所で顔を合わせ、一応の自己紹介をし終わっているメンバー。中には仕事を何度か一緒にした者もいて、予想より長いドライブですでに慣れた雰囲気になっていた。
「これ、食べる?」
「私は結構……それより樹多木さん、6人もの人間をどう振り分けるのかしら?」
樹多木の差し出した飴を断わり、シュラインが地図を見つめた。屋敷周辺のものらしいそれは、かなりの大きさがある。樹多木は並んで座っている人形みたいに可愛らしい少女2人に飴をあげて、
「ここってさ、すごく広いんじゃ。じゃから、2人づつに分かれてもらおうかなぁ――」
「ねぇ! アミダは!? あたし作るの得意なの!」
樹多木の言葉が終わらない内に、桜夜が挙手してテーブルの上に乗り出す。彼女が口を挟んだのには訳があった。樹多木に組合せを決められてしまっては、大好きな隼と一緒に行動できない。それでなくとも嫌がる彼を無理に付き添わせて来ているのだから。
「桜夜、お前は黙っとけ!」
「きゃん!」
また座らされてしまった。が、樹多木がにんまりと笑って「いいよ」と言ったので、隼は摘んだ襟首を舌打ちして放した。桜夜は嬉々としてみなもの差し出したノートを使ってアミダくじを作り始めた。その作業を見つめつつ、樹多木の解説が進む。
「各グループの担当なんじゃけど、まず屋敷内の聞きこみと情報収集組。それから、枯れたって言う井戸周辺の調査――あと、忘れちゃいけんのが、雨が降ってない場所と降っている場所の正確な位置把握……うーん、とりあえずこれくらいかな?」
「要さん、屋敷には何人くらいが住んでいるんですか?」
「おっ! みなもちゃんいいとこに気が付いたね〜。主人の白神真。他に家族はいないから、あとは召使ね。メイドが8名、庭師が2名。車係が3名で、あとはここにいる市さん。合計15人じゃ」
みなもがきちんとメモを取っている。それを横から穂乃香が覗き込み、目が合うと互いに微笑んだ。ほんわかした雰囲気が流れる。と、低く渋みの効いた声が響いた。
「井戸っていうのは、深いのか?」
今まで黙っていた矢文が口を開いたのだ。シュラインが答えを促すように手のひらを樹多木に翻す。
「そうじゃね…行ってみないとわからんけど、そんなに深くないって話――って入る気!?」
大きく頷く矢文。一緒になる人はたいへんじゃわ……樹多木は出来あがりつつあるアミダを変な顔で見つめた。
ゆっくりとリムジンが音も無く停止した。
窓の外には、燦燦と降り注ぐ太陽の光が満ちている。車を降りると、夏の陽射しというよりも穏やかな春の光であることが、誰の肌でも感じることが出来た。白い壁と赤い屋根の屋敷が遠くに見える。横長の宮殿風の建物だった。庭には色鮮やかな花々。整えられた草木が揺れている。緑の葉をそよがせてる風にはまったく湿気がない。
屋敷を背に振り向いた一行の目に、曇天の雨に煙る白樺の林が映った。暗い細線をいくつも描いては消えて行くその様は、光りに溢れた屋敷の庭とは別世界のようであった――。
□調査□ ――朧月桜夜+瀬水月隼
車が屋敷に向けて走り出す前に、隼は背を向けて歩き出していた。
「まっ、待ってよ〜。樹多木さん、あたしと隼は外廻りを担当するから!」
手を振って、桜夜はもうずっと先に行ってしまった隼の後を追った。
桜夜が作ったアミダで、2人はめでたく行動を共にすることになっていた。
「あ〜ん、お屋敷に行ってみたかったのにぃ」
隼は自分のジャケットの裾を持って拗ねている少女にかまうことなく、歩き続ける。明るい空が次第に暗くなった。白樺林に少し入ったところで、目の前に雨のカーテンが現れた。
「うぁ〜すごいのね! ぴったりここと向こうでは天気が違うわ」
感嘆の声を上げる桜夜。隼はミニサイズのパソコンを開き、数値を入力している。
「そんなに天気なら、お前の乾かない山ほどある洗濯物でも、干したらどうだ?」
「あ! それいい!!」
「……本気にするな」
桜夜はにんまりと微笑んで、キーを叩いている少年の後ろから画面を覗き込んだ。クルクルと3Dの屋敷が回り、その周辺の地図が描かれている。
「ねぇ、どうしてこんな地図持ってんの?」
「うるせぇ、そんなことよりお前何か感じないか?」
画面から顔を上げて隼は歩き出した。乾いた地面と濡れた地面のラインに沿って、足を進める。桜夜は目を閉じてしばらく集中していたが、
「別に何も感じないわよ」
なんとなく感じるものがあるかと思っていたが、その気配すらない。ただの雨――そう思えてならない。
桜夜は陰陽師だ。あまりにも強い力のため、一族にほとんど幽閉されて育った。隼の部屋に転がりこんでから、桜夜は幸せいっぱいだった。彼はすごく優しいということはなかったが、一緒にいることを気にせず、人間として桜夜を扱ってくれることが嬉しくてならなかった。
屋敷自体かなりの広さを持つ白神邸。
その周辺となると歩いていくだけでも、半日以上かかるのでないかと思われた。逐一、数値を入力しているので隼の歩みはゆっくり。その回りを桜夜が散歩気分で、前に行ったり後ろを歩いたりしている。
彼女の霊感が何も感知しないことが、さらに桜夜の気分を楽しいものにさせていた。
西側から歩き出し、ほぼ屋敷を中心として反対側にまできた時だった。
「屋敷を中心……ん、南よりか?」
「何が?」
「円の中心さ。大概、現象の中央に原因があるもんさ」
「ふーん……」
桜夜は隼と一緒にいられることが嬉しかったが、あまりにも同じ景色が続くので少し飽きてきていた。周囲を見渡す。と、
「ねぇ、あれなんだろう?」
雨が降っている側に、石柱が立っている。まるで、彫刻したみたいに何かを象っている。
桜夜はなぜか視線が外せなくなった。
見る間に涙が溢れる。ふらりと体から揺らめいて、吸い寄せられたかのように石柱に向かって歩き出していた。
その様子に隼は気づかず、先へと進もうと、視線を画面から離さずに声をかけた。
「あんまりそっちに行くと濡れるぞ」
いつもなら子犬のように追いかけてくる少女の足音がしない。隼は振り向いた。その目に飛び込んできたのは、雨のカーテンをくぐりぬけようとする桜夜の姿だった。
「おい! 桜夜!!」
呼んでも返事がない。それどころか、振り向きもせずゆっくりと歩いていく。
オカシイ――俺の声に反応しないなんてこと、今までなかった。過剰なほど反応したり、うるさく跳ね除けても、それでも自分に関わろうとしてくる女のはずだ。
隼は桜夜の異変を強く感じた。
遠ざかっていく背中に向かって走る。雨のカーテンをくぐった。
息を切らし、すぐ背後まで迫った。それでも少女は気づかない。葉ずれの音、激しく吐き出される呼吸の音――雨音がどんなに大きくとも、聞こえないはずはないというのに。
「何やってんだ!!」
細くしなやかな腕を掴んだ。振り向かない。隼は強引に引き寄せ、肩を掴んで正面に廻った。
その目に映ったのは、雨とも涙ともつかないほどに濡れた顔と焦点の合っていない瞳だった。桜夜のキャミソールが雨でぴったりと貼り付いている。
そして、隼の視線と桜夜の視線が合った――。
「あたし……あんたのなんなの!?」
先ほどまで上機嫌だった少女の態度ではない。虚ろな目で隼を捕らえ、声を張り上げている。
「おい、何言ってんだ! しっかりしろ!!」
「あたしは女になのに、こんな体で。本当は一緒にいたくないんでしょ! だから、私の気持ち分かってくれないのよ!!」
髪を振り乱し、泣き叫んだ。掴まれた肩を振り払おうと、激しく体を揺さぶる。
状況が把握できない。隼はこんな桜夜を初めて見たのだ。どんなに冷たくしても、いつも楽しそうにしている女だった。こんな同居人、見たくなかった。言葉が出て来ない。少女は雨の中、叫び続けている。
「あの時、あんたは言ったわ。ずっと傍にいるって――でも、あたしの欲しいのはこんな関係じゃないのよ……」
次第に声が小さくなっていく。呟くように言葉を吐き出して、
「…60年は長過ぎる…の……」
桜夜はあれだけ拒んでいた隼の胸に倒れ込んだ。
「桜夜! しっかりしろ! おい!!」
隼は重く寄りかかっている少女の濡れた体を抱いて、周囲を見渡した。石柱が目に入った。かなり大きなそれは、雨宿り出来そうな場所のようだった。
肩に担ぎ、少女の体を石柱にもたれさせた。顔に張り付いた一筋の髪をそっと指で取ってやる。
ぐったりと意識のない桜夜の体温を肩に感じながら、隼は考えていた。
もしかして、憑依されたのか――?
始め、日頃の鬱憤が噴き出したのかとも思った。が、あまりにも様子がおかしい。
そしてあの言葉、
「60年…か……」
ずっと傍にいると誰かが約束したに違いない。桜夜に入って放った言葉は女のものだった。雨が降らないことに関係しているように思えた。
視線を横に泳がせた。寒いのか少女の顔が青白い。隼はそっと桜夜を支えると、自分の上着を脱いだ。
「こいつ、薄着だからな」
キャミソール1枚の体にそっとかけてやる。少女の指がぴくりと動いた。
「ん……」
「起きたか?」
「ふぇ?……あたしどうかした? ああ〜服がビショビショじゃなぁい」
自分の異変に驚いて、桜夜が立ちあがった。途端に、眩暈を起しぐらつく。と、しっかりと暖かなものに包み込まれるのを感じた。
「え……えっっ!!」
それは隼の腕の中だった。こんなことをしてくれる男ではない――そんなこと、百も承知している。
慣れない現実に、桜夜は嬉しがる余裕はなく目を白黒させた。
「ひとつだけ言っとく。別にい…やじゃ、ないからな」
わざと変なところで区切った言葉。桜夜には理解不能だった。それでも、触れ合った体温の温もりは本物。
ゆっくり足先から、嬉しさが込み上げてくる。
「さて、行くか……」
「ああん! 待ってよぉ〜」
隼はこのことを樹多木にだけ言うつもりで、桜夜に何を聞かれても返事をしなかった。
言えるかよ……。
嬉しそうに隼の上着を着たまま歩いていく少女の背中に向かってつぶやく男ひとりであった。
□白神邸応接室□ ――海原みなも+橘穂乃香+シュライン・エマ+朧月桜夜+瀬水月隼+岐阜橋矢文
別行動していたすべてのメンバーが集合した。
「桜夜さん……髪が濡れてますわ」
穂乃香が声を掛けた。桜夜は着た時の騒がしい感じと違い、柔らかい微笑を浮かべ静かに座っている。その頬はわずかに朱染まっているように見えた。
「ん、大丈夫よ。ありがとう」
目を細めて笑うと、肩に掛けられた男物の上着に手をそっと乗せた。ソファーに寄り掛かっていた隼が、小さく舌打ちして視線を天井に泳がせている。穂乃香は隣のみなもと顔を合わせ、意味もわからぬまま気恥ずかしさに頬を赤らめた。
矢文は豪華な室内に落ちつかない様子。シュラインは目を閉じ腕を組んで樹多木の言葉を待った。
「まず、雨が降ってる場所の位置を調べてもらった結果、ある場所を中心にほぼ正確に円形をしていることが分かったんじゃ」
樹多木はシュラインに視線を送る。小さくうなづいて、シュラインはみなもと2人で作成した見取り図を広げた。
一同が身を乗り出した。
赤い印と、建物を囲うように描かれた円。シュラインは長い定規を取り出して、円の中に十字を書いていく。
その2本の線が指し示す中心点――それは、南側に面した1つの広い部屋だった。
「……主人である真様のお部屋でございます」
市橋が手を体の前で組み、ゆっくりと静かに言った。
状況を把握していなかった矢文と穂乃香が息を飲む。それ以外のメンバーは、もう一度繰り返された事実に互いの顔を見合わせた。
「ある現象が起きた時ってのは、その現象が現われた場所の中心点に原因があることが多いんだよな」
重苦しい雰囲気を破って隼が口を開いた。
「それから井戸は枯れてるけど、植物は穂乃香ちゃんによると水を欲しがっていないんじゃと。それにこの井戸、ここの主人の部屋にも繋がってるらしい……」
「市橋さん、ご主人の部屋……見せて頂けるのかしら?」
シュラインが執事を見据えた。主人は体調を崩している、素直に応じるとは思えなかった。それでも聞いておかねばならない。
「――私では判断できません。主人と相談しなければ……」
「では、今日は駄目ということですか?」
「はい。後日、草間様の方へ、ご連絡差し上げます」
終始俯き加減で、みなもの質問に市橋は答えた。だが、原因が主人にあると聞かされても彼は驚いてはいなかった。
まるでよく知った事実――だったかのように。
細い目に浮かんでいるのは暗い哀惜の色。
質問を続けようとしていたシュラインは、出かかっていた言葉を飲み込んだ。桜夜が立ちあがって隼の横にそっと並ぶ。
「じゃ、今日はもうお開きだな」
「仕事は終わりでいいのか?」
矢文と隼が答えを求めて、樹多木に視線を投げた。
「ン……、仕方ないか。しょうがない、一旦草間さんとこに報告に戻ろう」
パソコンのフタを締め頭を掻く。それを合図に、全員が席を立ち玄関へと向かった。
すでに夕方色をした空。
これは本物の空のだろうか――。ここにいる全員が幻を見ているかもしれない。誰ともなく、空を見上げ遠くに黒く垂れ込めた雨雲を見つめている。
朝乗ってきたリムジンが滑るように、玄関先に立つ一同の前に止まった。
「それじゃ、市さん。連絡待ってるから」
「はい。分かり次第お知らせ致します……」
全員が乗り込んだのを確認して、車は走り出した。市橋は同行していない。
座席に座ったどの顔にも、すっきりしない気持ちが現われている。晴れ上がった空が終わり、雨音が金属のボディーを打つ。
舞い戻った現実世界。
リムジンが草間興信所に到着するまで、誰も口を開かなかった。
市橋の目が、何を示しているのか。それを知ることが、原因究明の早道なのかもしれない。
雨はまだ降り続いている――。
□END□ <後編>に続く
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
+ 1252 / 海原・みなも(うなばら・みなも) / 女 / 13 / 中学生
+ 0405 / 橘・穂乃香(たちばな・ほのか) / 女 / 10 / 「常花の館」の主
+ 0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
+ 0444 / 朧月・桜夜(おぼろづ・きさくや) / 女 / 16 / 陰陽師
+ 0072 / 瀬水月・隼(せみづき・はやぶさ) / 男 / 15 / 高校生(陰でデジタルジャンク屋)
+ 1571 / 岐阜橋・矢文(ぎふばやし・やぶみ) / 男 / 103 / 日雇労働者
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■ ライター通信 ■
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初めまして。「東京怪談」初参加の杜野天音です。
実は、シナリオをアップする際に失敗してしまい、参加人数4人のところを6人受注してしまいました。そのため、納品が遅れまして大変申し訳ありませんでした。
その代わりに、4人から6人になったことでシナリオ内容が充実しました。初参加、初多人数描写、初連作と初めて尽くしのシナリオでした。
隼くんは言葉づかいがむずかしく、最初苦労しました。が、なぜか桜夜ちゃんと関わるとホイホイ言葉が出てくるので、とても面白かったです。
結局恋愛が絡んだのは、桜夜ちゃんと隼くんの2人だけでした。だからこそ書いていて本当に楽しかったです。
後編のアップは、少し後になります。参加人数は減りますが、またご参加下さると嬉しいです。
それでは今回は素敵な仕事をさせて頂き、ありがとうございましたvv
ぜひ、他のキャラ作品も読んで下さいませ。
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