■閉じた世界■
久我忍 |
【1643】【佐久間・啓】【スポーツ新聞記者】 |
神隠し――。
前触れもなく消えた子供は、数十年後に戻ってきたり、あるいは帰ってこなかったりと幾つかのパターンに分類されるものの、『主に幼い子供や女などが被害に合う』という点で共通していることが多いのだという。
「まあなんてゆーか、現代の『神隠し譚』とでもいうのかしらね。それほど暢気な話でもないんだけれど」
今日も今日とて、草間興信所にはあまり収入に繋がりそうにない面子が揃っていた。即ち――興信所の代表であるところの草間武彦。そして暇さえあれば事務所の暇っぷりをからかいに来るオカルト情報の収集家である凪という女。
ちゃっかりと備品のコーヒーなどと勝手に淹れて、まるでこの場所が自室であるかのような寛ぎっぷりでソファに座り込む凪に、草間はあからさまに溜息をついて見せた。彼なりのささやかな抵抗であったのだが、凪は綺麗に無視を決め込む。
「幸い、子供は一週間前後で帰還してんのね。けれど戻ってきた子供たちは『遊んできた』とか『友達が出来た』とかそんなこと言うばっかりで、何処に言ってきたのか誰に連れて行かれたのかも分からないまんま。だけど、必ず子供たちは帰ってきていたのよ。今までは」
「その口ぶりでは、帰還していない子供がいるのか」
「そゆこと」
凪の話では、子供たちは消える前に共通した行動を取っているのだという。
「置き手紙、なんだけど」
「手紙? 最近の子供なら携帯電話くらい持っているだろうに、随分とまた古風だな」
「『浩一くんと遊んでくるね』って――語尾とかは微妙に違うけれど、みんな同じ内容よ。だけど、消えた子供の友人に『浩一くん』とやらはいないのよねぇ」
肩を竦めてみせた凪は、ソファから立ち上がると草間のデスクに片手をついて、除き込むようにして顔を近づける。
「で、依頼があるの。消えた最後の子供はもう一ヶ月戻ってきていないわ。その子を帰還させて頂戴」
「知り合いか?」
「妹よ。っても最近になって出来た妹だけれど――名前は美紀。いつもヒラヒラの大層な洋服着てるのと、タチの悪い性格してるからすぐ分かると思うわ。報酬は美紀の母親から出るから心配しないで」
凪は断る隙もみせず、言いたいことだけを言うとさっさと興信所のドアの向こうへと消えていってしまう。草間はしばし考えた末に、凪からの依頼を受けることにした。
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閉じた世界
++ 怪奇探偵と仲間たち ++
場所はあくまでいつもと寸分違わぬ草間興信所の事務所であった。
一番奥のデスクには雑多に、否――持ち主に言わせるとそれはそれで秩序が存在するらしいファイルと書類の束が積み上げられている。その中に半ば隠れてしまっている灰皿と吸殻。そしてさらに奥には事務所の代表であるところの草間武彦なる人物の姿。
草間のデスクよりも入り口に近い場所に、主に来客用に使われるソファが一組と、その間には小さな――それこそ申し訳程度のテーブル。
ソファに陣取っているのが客ではないのも、残酷ではあるが事実であり現実である。そういえば、と草間は再び煙草に手を伸ばしながら考えた。あのソファを客が使用したのはいつが最後であっただろうか?
「ガキはなぁ……守備範囲じゃねーしなー」
いつもと少し違う光景。それはこの声の持ち主が原因であるといっても過言ではない。
声の持ち主――佐久間・啓(さくま・けい)はただでさえ書類などで占領されがちなデスクの隅に我が物顔で肘を乗せ、何故か自分の身の不幸を嘆いているようだった。
草間は書類の上に載せられた肘を、これみよがしに見つめては溜息をつく。だが啓はそれはささいな問題とばかりに綺麗に無視を決め込んだようだ。
「目も覚めるような美女ってんなら、やる気も多少違うんだがな」
「それはそれで面倒くさがるんじゃないのか?」
「相手が美女で面倒くさがるなんてのは男じゃねえよ。しかしなぁ――今からでも変更きかんモンか。裸の美女とかに」」
「きくか――で、どうして俺のところだ?」
啓の言葉を無視して草間が問いかける。
啓は草間の反応を見越した上で、にやりを唇の端を上げた。
「そりゃ誰かさんが怪奇探偵だからだろ」
途端、草間は啓が想像した通りの――心の底から嫌そうな表情を見せる。
草間武彦――草間興信所の代表であるが、彼の元には何故か幽霊や怪奇現象といった不可思議な事件に関する依頼ばかりが舞い込むと、その筋では評判である。もっとも本人に言わせれば不本意極まりないことなのだろうが。
「誤解だ――二人もそう思うだろう?」
ソファに腰掛けていた二人は、突然話題を振られていささか慌てたようだった。背の高い金髪の男、名を橘神・剣豪(きしん・けんごう)という――が慌てていたり驚いていたり騒いでいたりすることはそれこそ日常茶飯事だが、その連れである日本人形を思わせる容貌の少女、崗・鞠(おか・まり)が狼狽していることからも、どうやら自分にとってかなり分が悪いことを草間は初めて自覚した。
そんなことを聞かれても困る。というのが鞠の正直な心境ではある。
現実を知らしめるという意味では、やはり正直に言ったほうがいいのだろうとは思う。だがそれはそれで酷い行いのような気がして、鞠はあからさまに返事に窮した。珍しいことに。
だが答えたのは鞠ではなかった。
剣豪が両手を組んで、納得したかのごとくふんふんと頷く。
「出入りしてるのもヘンなのばっかりだもんな!」
問いに答えてはいないが、肯定しているも同然だ。しかしその『出入りしている』というカテゴリーの中に、自分が含まれていることはおそらく自覚してはいない。
「――そうだな」
「けれど、こういった場があればこそ、普通の探偵では解決できないような問題で苦しむ人たちが救われるわけですし――」
「普通の探偵か……」
「! そういう意味ではなくて……勿論草間さんなら普通の事件も立派に解決されるのは皆も知っていますし、何も不貞腐れなくてもいいかと思うのですが……」
必死で草間を宥める鞠は、困り果てている。この様子では当分草間の機嫌が良くなることはないだろう。
「おいオッサン! 鞠たん困ってるじゃんか!」
「オッサンか……」
さらに遠くを見る草間。
ふむ、と啓はその様子をしばし見た末に、ぽんとその肩を叩く。
「草間――案外お前、哀れだな」
「哀れんでる暇があるなら調査に行け。美紀のことなら凪にでも聞け」
「だからその凪とやらの連絡先よこせ」
啓は社からこの事件を調査するようにとの指示を受け、一応今まで『浩一』とやらに連れ去られ、帰還した子供たちに一通りの話を聞いた。
そしてその末に、いまだに帰ってきていない美紀という少女の話を耳に挟んだので、面識があるという草間の元までやってきたのだ。
草間はデスクの上の書類を一枚、びりりと小さく破くとそこに住所を電話番号を書き、啓へと押し付ける。
「一応依頼者だ。だが一筋縄でいく相手じゃないぞ」
「そーゆーのは慣れっこでね」
ひらひらとメモを挟んだまま手を振ると、啓は興信所を後にした。
妙齢の(結局、誰も凪の年齢を知らなかったのだが)女性が住むにしては問題がありそうなアパートだと、建物を見た第一印象がそれだった。
大通りから二本も三本も奥まった場所に建っているアパートは木造の二階建てで、かなり昔に建てられたものだろう。建物を正面に見て左側には錆びた鉄の階段。右側には住民の自転車などを置く小さな駐輪場がある。
古めかしい、最近ではお目にかかれない建物であることは確かだと、そんなふうに思いながら啓は一階の一番右の部屋のドアをノックした。勿論チャイムなどといったものはついてはいない。
草間のメモと根掘り葉掘り聞き出した話によれば、凪はこのアパートの二室を借りて、間の壁をぶち抜いて一部屋として使用しているのだという。
「悪いけど勝手に入ってくれるー?」
投げやりな女の声に、木材の表面があちこち剥がれたドアを開く。
「……汚いな」
足の踏み場もない、とは正に今目の前に広がる光景なのかもしれない。
否――よくよく室内を観察して啓は思う。足の踏み場がないのではなく、この場合は足の踏み場しかない、と表現するほうが正しいのだろう。
「気がついた人が掃除すればいいのよ」
床に散らばった新聞やファイル――雑誌のバックナンバーから最新号まで、ありとあらゆるものが散乱した部屋の奥から顔を覗かせた女、おそらく凪だろう――が憮然とした口調で答える。
「誰か同居してるのか?」
気がついた人が掃除すればいい、とまで言うからには掃除してもらうアテでもあるのだろうか。そもそもそんな勇気のある人物がいるとは驚きだと尋ねては見たものの、凪はあっさりと首を横に振った。
「一人暮らしだけど? まー上がれば?」
つまり客だろうと、汚いと思うなら掃除していけということらしい――だが、啓は当然のように暗に語られた凪の要求をを気づかぬふりをすることで退けた。
足元の資料なのかゴミなのか判別のつかないものを踏み越えて小さなキッチンを横目に奥へと進むと、やけに広々とした空間に出た。居間兼寝室兼オフィスといったところだろうか?
窓際に置かれたパソコンの電源を落とした凪は、がさごそと脇にあった箱から缶コーヒーを引っ張り出して投げてよこす。
「美紀のことについて聞きたいんでしょ? 情報なら売るわよ」
売るのかよ。
思わず口からそんな言葉が出かかったが、後ほどまとめて草間なり社なりに経費として出せば事足りることだろう。
「美紀って子の友達とやらにも話は聞いたが、どーも分からねーんだわ、これが。家出なんてのは日常茶飯事だったんだろ? それなら今回だってそうじゃないとどうして言い切れる?」
「プチ家出は珍しくもなんともないのは確かね。でも一日も経たずに帰ってくることがほとんど――案外根性ナシなんじゃないの?」
「頻繁に家出かますってことは、それなりの不満でも?」
「不満はあったんじゃないの、勿論――けどそれが家出に繋がるかどうかは分かんないわ。美紀にとっての不満が家出に値するものかどうかは、美紀が決めることで私には察しようはないし。案外つまんないことで激怒しちゃー家出してたみたいよ」
それは啓も、美紀の友人から聞いていた。
缶コーヒーのプルトップを押し上げ、中の液体を一口飲み込む――温い。
「別に家出なのかどうか、それとも超常現象絡みなのか――美紀ってガキが何を不満に思って家出したのかあるいは連れ去られたのか。別にそんなささやかな事情なんてのに興味はねーしな俺は。適当に脚色して面白おかしく書き立てるのが仕事でね」
「いー仕事ねそりゃ。楽しげでうらやましいわ」
「怪奇情報専門の情報屋ってのも楽しげだがな――行き先に心当たりは?」
「私の得意分野的なお答えなら可能よ。もっとも『帰還者』に話を聞いたなら、だいたい想像はついてんじゃないの?」
ふむ、と啓は部屋の中央に立ったままで思い出す。別に座るのが嫌だという問題でもなく、ただ座る場所がないという理由故なのだが。
そう――話を聞いた『帰還者』たる子供たちは、皆が揃いも揃って同じようなことを言っていた。
『浩一は本当は森から出られないんだ。だけど僕たちに会えたのは、浩一が外に出られるように力を貸している神様がいるから』
神様?
随分と都合のいい単語だな。
『別に信じる信じないは勝手だし、それが本当に神様なのかなんて僕は知らないけれど、浩一は神様だと言っていたよ。森のある神社には、神様がいるんだ。神様は寂しがっている浩一に力を貸して、浩一はちょっとだけ森を出るんだ』
そこで、会ったって訳か。
『何回か会って、その後森に行ったよ。森でならずっと遊べるから。でも、僕たちはずっと森にはいられない。それも神様との約束だって浩一は言ってた』
森、ね。
なんか他に、もっとこう――場所が特定できそうなことは覚えてねーか?
『神社のある森だよ――ねぇ、浩一に会いに行くの?』
一緒に行くか?
『駄目だよ。僕たちはもう駄目なんだ。いくらお願いしたところで、僕らはもう浩一に会うことはできない。それは神様が決めた約束だからね――一度森にいった子供は、もうあそこには行くことはできないんだよ』
そりゃなんでなんだろうな。
浩一だって、友達が多けりゃ多いほど寂しかないだろうに。
『神様は、人間が嫌いだからじゃないかな』
「人間嫌いの神様ねぇ――胡散臭ぇな、どーも」
「神様なんてモンが胡散臭くないハズないじゃない」
「そりゃそうなんだが――場所を特定するとしたら、『神社のある森』とかそのへんが鍵だろうな」
だがあまりに漠然としすぎているような気がする。
いくら場所が東京都内とはいえ、森やそれに順ずる場所は数え切れぬほどに存在するだろうし、その中に神社があるとしても困難さはさほど変わらないような気がする。
凪はうー、と唸ると足元に詰まれた雑誌類を蹴飛ばす。何度がその作業を繰り返した末にようやく発掘したらしい東京都内の地図を、啓に向けて無造作に投げてよこした。
地図を広げてみると、幾つかの地点に赤いマジックで丸印が書き込まれている。
「ああ、成程――」
「それ以上は金とるわよ」
仕事と私生活は割り切るべきだと、時折そんな言葉を耳にしたりすることはあるが、ここまで割り切れてしまっているのもどうだろう? そもそも、救出されようとしているのは紛れもなく凪の妹なのだ。
いろいろと言いたいことはあったが、おそらく口で勝てることはないだろうと啓は地図をつらつらと眺めながらアパートを後にする。
地図に書かれた丸印は、それまで子供たちが行方不明になったとされる地点。
もしも『帰還者』である子供たちの言葉に嘘がないのであれば、これらの地点からそう遠くない場所に、『神社のある森』はある筈だ。
何故なら浩一は、本来森を出るだけの力を持たず、神という存在の力を借りてそれを可能としている。
そして限られた時間で友人を作るのであれば、移動時間のことなども考慮にいれればそう遠くに行ける筈はない。
「森か――だいぶ絞れそーだな」
そしてその後、啓は数箇所の森を巡った末に目的の場所に辿り着くことになる。
++ 人はうつろいやすく ++
鬱蒼と茂る木々の真ん中に、幅ニメートルほどの舗装された道路が通っている。斜めに傾きかけた看板には『サイクリングコース』などといった表記がなされてはいるが、夜はもちろんのこと昼間でも出来れば一人で通るのは御免被りたい雰囲気の場所であることは確かだった。
「やべーやべー。夜になってたら歩けねぇってこんなところ」
怖い云々の問題ではなく、街灯などといったものがない上に木々によって太陽の光が遮断されている道路も、森の中もかなり薄暗い。夜になってしまえば、自分の足元すら闇に紛れて見えなくなってしまうことだろう。
ましてや、望んでいるものがこの道路の延長線上にあるとも限らない――否、その可能性は限りなく低いだろう。だとすればこの森の中に分け入っていかねばならないのだ。森の特定まではなんとかこぎつけたとはいえ、厄介なことに変わりは無い。
バイクから降りて、啓はすたすたとサイクリングコースの入り口とやらまで歩き出す。するとその視線の先に、見覚えのある少女の姿があった。あれは確か草間興信所で会った鞠という名の少女ではなかっただろうか?
あの時一緒に行動していた金髪の青年は今はいない。その変わり足元にはオレンジ色をしたポメラニアンがちょこんと座っていた。しかしそのポメラニアン、微妙に目つきが悪い。しかも何故か睨まれている気がする。
「よお」
声をかけると鞠が振り返り、深々と頭を下げた。
「なんだその丸いの」
視線だけでポメラニアンを指し示すと、しばし逡巡した末に鞠は素直に答えた。
「剣豪、です」
「……犬、ねぇ」
失踪した子供よりも、こちらのほうが余程面白い記事になりそうな気がするのは気のせいではないだろう。
その場にしゃがみこんで、剣豪の頭をがしがしとなでてやる。
「俺がな! この鼻でちゃんと美紀んトコに案内してやっから見てろよオッサン!」
「オッサンか……」
自覚はしていても人から指摘されるのはそれはそれで腹が立つものだ。
撫でる手に必要以上の力を込めながら啓は不気味なほどにこやかに問うた。
「で、鼻で追いかけるってのは実際に可能なのか?」
「剣豪が大丈夫だと言っているので任せてみようかと思っていますが……」
「俺に不可能とかはないんだよたぶん! ところでオッサンぐりぐりすんないてーって!」
「そうか、オッサンか……」
更に力がこもる。
「噛み付くぞオッサン……」
「噛み癖のある犬には相応の躾が必要だな……」
静かに、けれど妙な盛り上がりを見せる二人を放置しておいて、鞠は持ってきていた地図を広げる。確かにこの森の中に神社があるのだろうが、なにせ道がこの一本しかないのでなかなかに困難を極めそうだ。
やはり剣豪の鼻に頼るのが最善の策か。
「…………」
森の中へ向けていた視線を、ちらりと二人に移動させる。
「そろそろ行きませんか?」
あくまで問いかけの形でなされた鞠の言葉には、それでも反論を許さないかのような響きがあった。静かに笑みを見せる彼女の様子に変わりはない――だが、どこかそら恐ろしい。
「……手ぇ離せ。鞠たんが怒るとなんかヒジョーにマズイ」
「……だな」
何故か同意してしまった啓は頷いた。剣豪はふんふんと鼻を鳴らすと、サイクリングコースを外れて森の中へと分け入っていく。
二人は足元に注意しつつその後へと続いた。
やはり、暗い。
空を見上げてもそこには木々が見えるばかりで、空は見えない。
「いくら浩一くんの案内があったとはいえ、『帰還者』である子供たちはこんなところに一人でやってきたのでしょうか……?」
「まー子供なんてのは怖いモン知らずなもんじゃねーの。馬鹿だし」
「遊ぶのに夢中になって分かなかったのかも。俺もよくそれで鞠たんに怒られるし」
二人を先導している剣豪は、時折地面に鼻を近づけてはきょろきょろと周囲を見回し、注意深く進路を決めているようだ。
何度か、そんな動きを繰り返した末に、動きを止めた剣豪の耳が何事かを捉えたかのようにぴくりと動く。
「――声だ」
ぴくぴくと動く剣豪の耳は、聞こえてくる小さな声を――言い争いのようなやりとりをしっかりと捕らえていた。
「どっちだ?」
答えるよりも早く、剣豪が駆け出す。そしてそれに続く二人。
見えてきたのは、小さな空間。膝丈ほどの雑草が生い茂るばかりで、そこに木々の姿は見えない。まるで綺麗にそこだけを避けたかにみえる光景に、不思議な感覚を抱く。
『なんでよ! なにも問題ないじゃないのよ馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ばかっ! 美紀がちゃんと覚えていてあげるっていってんでしょばーか!』
少女のものらしき声、それはほぼ中央に見える社の向こう側から聞こえるようだ。つまり少女はその社の正面から何者かに向けて怒鳴っていることになる。
「間違いありません。美紀さんですね」
「それは喜ばしいんだが……激しく喧嘩売ってるよーな気がするのは俺の幻聴か何かか?」
「……変わった方でいらっしゃるとのことですので……」
「凪だってヘンなヤツだし、その妹ならヘンに決まってるよな!」
剣豪の力説は根拠などなきに等しいように感じられたが、何故か二人とも反論できずにいる。
とりあえず回り込み、美紀の無事と会話の相手を見てみようと、できる限り足音を消して木々の影を利用して三人が社の正面へと移動した。
『人の記憶は移ろうものだ――』
声の主の姿はない。
古ぼけた社はあちこちが痛んでいる。社の入り口はしっかりと閉じられていて、中に誰かがいるのかまでは鞠たちには見えない。
その社から数メートル離れたところに、社の中を睨みつけている少女がいた。美紀だ。
声は社の中から間違いなく聞こえるというのに、それなのに姿だけが見えない。
『人の記憶は移ろうものだ――浩一の願いがあったからこそ滞在を許したが、そろそろお前も帰るべきだろう。長引けば長引くほどに、お前を心配した者たちが探求の手を広める。この場所が人間に発見されるのは、喜ばしいことではない』
ふと、鞠が首を傾げる。何故だろう、あの声に矛盾を感じるのは。
美紀の発言を参考にすれば、おそらく『神』と自称しているあの声の目的は『忘れられないこと』あるいはそれに近いものであることが推測される。
忘れられたくないのであれば、多くの人にこの場を知ってもらうということは、最も簡単で有効な手段である筈なのに、何故それを否定するのだろうか?
「忘れられることを恐れているのに拒絶する……何故、見つかることを恐れるのでしょうか? おかしいと、思いませんか?」
「俺が会ったガキは、『神様は人間が嫌いなんじゃないか』なんて言ってたけどな」
そして美紀も、鞠たちが気づいた疑問と同じような感想を抱いたらしい。
「ヘンよ! 絶対変! 忘れられたくないのにどうして見つかるの嫌なのよ! いろんな人に覚えていてもらえばいいんじゃないの!?」
『人の心はうつろうものだ――ここには浩一がいる。浩一はもはや人ではなく、おそらく消えることも変わることもない。あれがこの場所にいれば、それだけで私は記憶に残るだろう。浩一の記憶に残り続け、忘れられることはない』
「そのために浩一縛ってんのね! カミサマなんて大層なこと言ってバッカじゃないの! 結局自分じゃ何もできないんじゃない!? そんなカミサマいるもんですかバーカバーカ!」
寒気が、した。
ざわりと、何かが動いた気配。だが周囲を見回してみてもその姿はなく――否、ない筈だった。
『どちらにせよ、人など――うつろう生き物など信用できぬということだ。そこにいる者たちもな――』
「ヤベー……バレてるよ鞠たん」
ざわりざわりと、それは少しずつ濃度を増し、視認できるまでになる。おそらくそれはこの森に漂っていた霊たちなのだろう。それらが集い、交じり合い、幾つかの大きな塊へと変化する。
そしてそれはやがて巨大な手のような形を取った。まるで三人や美紀を捕らえようとするかのように。
「しょーがねーなー! 俺たちの邪魔すっと神様だろーと怒るんだからな!!」
小さなポメラニアンの姿を取っていた剣豪の体が、彼の怒りとともに変化する。それは人でありながら長いく鋭い爪と、牙を持った半獣の――鞠の守護獣たる剣豪の、もう一つの姿。
「時間は、稼げると思います。美紀さんをお願いできますか?」
こんな状況でありながら、慌てるでもなく冷静に、そして静かに問いかけた鞠の言葉に啓はしばし悩む。だが、自分が今この場で何が出来るのかといえば、やはり美紀を連れてこの危険な場所を立ち去るのが最良な気がする。
「――じゃ、まあ草間更新所でな」
小さく片手を挙げると、初めて鞠が笑みを見せた。それはおそらく、この場を任せられたことに対する、そして美紀を任せたことに対する信頼の証であったのだろう。
「はい。後程に――」
剣豪は巨大な手よりも、社の方が気になるらしい。周囲の手との間合いを保ちつつ社を睨みつけている。
その背後に庇われた美紀の体が、ふわりと浮いた。啓が抱き上げた――というよりも肩の上に抱え上げたのだ。
「――え?」
「とりあえずな、こーゆー場合はケンカ弱い連中は逃げとくのが上策ってもんだ」
じたばたと肩の上で手足を動かして抵抗する美紀。
「なによ美紀もあいつぶん殴ったり蹴ったりするんだから離してよ馬鹿!」
「だからプロに任せときゃいいんだプロに」
「美紀はなんだってプロ級になる予定なんだからほっといてよくたびれオヤジ!!!!」
「ガキんちょめ……」
とりえあず美紀の抵抗とその発言は綺麗に無視することにして、啓はその場から走り出す。あの巨大な手の追跡があるかと思われたが、おそらく剣豪が追撃できぬように時間を稼いでいるのだろう。
しばし歩いた末に、ようやく出口が見えてくる。そこに、少年がいた。
「……浩一か?」
美紀がこくりと頷いた。
何事かを問いかけようとした美紀が、口を噤む。
『また、会えるよ――』
残された言葉は、ただその一言だけだった。
++ 怪奇探偵と仲間たち、ふたたび ++
結局、あの森で何があったのかを啓が知ったのは翌日、草間興信所で約束通りに鞠や剣豪と再会したときだった。
社の中には、天井に届くまでの棚が幾つも作られており、そこには骨壷が整然と並べられていたのだという。
「人によって祭られ、人によって忘れられたために人以外のモノの記憶に残ろうとしたのかもしれません。今度こそ、忘れられないように」
事務所には今日は草間しかいなかったため、テーブルに並ぶ紅茶は鞠が淹れた。
鞠の隣では、犬の姿の剣豪をぎゅうっと抱きしめた美紀が憮然とした顔をしている。見れば腕の中の剣豪も憮然とした顔なので、それはそれで似合いなのかもしれない。
「カミサマってーか人だな人!」
「結局、浩一はまた会えるって言ってたけど自由になったのかな?」
首を傾げる美紀。
「なれただろ。神様とやらがいなくなったなら」
疲れているのか啓はどこか投げやりだ。すかさず剣豪の声が飛ぶ。
「オッサンは翌日に疲れがどっと来るんだよな! 翌日に!」
「……ほっとけ」
「でもでも、原因が骨壷とかってムカつくわよね! やっぱ社の中に押し入って蹴っ飛ばしてやればよかったわよ本気で!」
好き勝手に話をする三人の会話は、かみ合っているようでかみ合っていない。
「乱暴なお前……」
剣豪が腕の中から美紀を見上げる。対する美紀は真顔だった。
「そんなこといってると、ウチの飼い犬にするわよ」
「鞠たん大変だゆーかいだ! 人さらいだぞコイツ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる面々に、草間が溜息をつく。
「で、神隠しのほうはもう大丈夫なんだな?」
「原因も解決しましたし、その後は似た事件も起きていないようですから――」
鞠が答えると、啓も頷いた。
「まあな。あとはこれをどう上手く料理するかだ」
弱小とはいえスポーツ新聞社の記者である。事実を書く必要はない――面白ければ読者は喜ぶ。ひどく簡単で、だが歪んだ真理だ。
料理、の言葉に剣豪がぴくりと耳を動かした。
「料理! 美味いか!」
「……なんだかな……俺はもう若者の会話にはついてけねー……」
「馬鹿にしてんだろさては!」
「気づいたか? そんじゃやっぱまだ大丈夫かもしれないな」
いちいち本気になる剣豪をからかうことが楽しいらしく、啓はにやにやと笑いながら相手をしている。そして剣豪も剣豪で、からかわれていることに気づきながらも、その性格故に途中で逃げることは出来ず。
つまり堂々巡り。
「あのね、うるさい人たちが神隠しにあっちゃえば静かでいいなーって思ったことない?」
美紀がそっと草間に耳打ちするが、それは鞠にも聞こえていたらしい。
「二人を消すより一人が消えたほうが早いし楽だ」
「――つまり、どういうことでしょう?」
「煙草でも買いにいくさ。散歩がてら」
ふんふん、と美紀が頷いた。感心でもしたように。
「それは合理的よね立派に。美紀もついてくからなんか買ってね!」
当然、その後草間は食欲旺盛な守護獣と、煙草と酒が人生の楽しみの何割かを占めるであろう新聞記者に奢らされることになるのだが、それはまたの話。
―End―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0446 / 崗・鞠 / 女 / 16 / 無職】
【0625 / 橘神・剣豪 / 男 / 25 / 守護獣】
【1643 / 佐久間・啓 / 男 / 32 / スポーツ新聞記者】
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■ ライター通信 ■
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発注どうもありがとうございます。最近とみにネット漬けの久我忍です。不健康です。もっとも不健康は今に始まったことじゃないのですが。
当初は美紀も凪も何の関係もないNPCとして作ってあったのですが、書けば書くほどになんだか非常に似てきたので姉妹などにしてみました。おそらく美紀については、今後もどこかの依頼で顔を出すに違いありませんので、もしも興味などありましたらよろしくお願い致します。
ではでは、また機会などありましたら。
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