■獣の棲む街―死線■
在原飛鳥 |
【1411】【大曽根・つばさ】【中学生、退魔師】 |
屋上には風が吹き抜けていた。柵があるわけでもなく、むき出しのコンクリートからは東京の街が一望できる。
遮るものなどなにもない屋上のふちに立って、ヒロトは自分を追い詰める者たちを見渡した。つま先だけで身体を支えたヒロトは、今にもまっさかさまに墜落しそうな位置でゆらゆら身体を揺らす。
「変な動きをしやがったら、どうなるかわからないぜ。びっくりして足を踏み外して落ちちまうかもなあ。容疑者を自殺に追い込んだなんて、無様な記事を新聞に書かれたくないだろ?あんただってさ」」
目だけを狂気にぎらぎら光らせて、ヒロトは歪んだ笑みを見せる。
「なあ、おまえら正義感ぶるのもほどほどにしろよ。俺が人を殺したからなんだっていうんだよ。俺を同じ目に合わせるか?俺を同じ目に合わせようとするやつが、俺とどう違うっていうんだよ。それとも、俺をとっ捕まえて、正義の味方ぶって警察に突き出してみるか?」
歌でも歌うように、ヒロトは喋り続ける。
「精神に問題ありって判断されるんじゃないかな。そうすりゃ刑務所なんかに入らないで済む。有罪判決になったところで、無期懲役がいいとこじゃないの?模範囚で居れば、ジジイになる前に出てこれるさ」
勝ち誇ったように、ヒロトは笑う。まるで血に狂った獣のように、その表情は歪んでいる。
「ツイてないやつが早死にするのは運命だろ?もっと生きられたかもしれないなんて思うのはバカげてる。そこでそいつの人生が終わるなら、それは運命ってやつだよ。俺に殺される運命だったんだよ。早死にするヤツは、この世に必要ないから死んでいくんだ。俺はその運命に少し手を貸してやっただけだよ。なのに俺を憎むのは逆恨みってやつだろう?俺の邪魔をするな。俺がガキだの女だのを殺したからなんだっていうんだよ。その俺を恨むお前らだって、同じ穴のムジナだろ。俺が憎いんだろ。殺したいんだろ?そんなお前らに、偉そうに俺を糾弾する権利があるっていうのか!?」
気が違ったようにヒロトは喋り続け、おかしそうに笑い続けている。その顔に罪悪感は見られなかった。
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獣の棲む街:死線
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淡い朱色に東京の街並みが沈む。ビルには明かりがともりはじめ、やがて街はネオンサインが洪水のように溢れ返り、廃れた灰色のビルの壁を覆い尽くすのだろう。
埃と血にすっかり汚れたヒロトの顔も、夕暮れの朱に染まってどこか霞んで見えた。
「正義の味方気取りもいい加減にしろよな」
顔をしかめて、ヒロトは集まった人々を眺め渡す。
「お前ら、やってることは俺と大して変わらないんだよ。ああ、俺は確かに犯罪者さ。法律上では俺が罪を犯してるってのはわかってるよ!それがどうしたっつうの。弱いやつは強いヤツに食われるんだ。自分の身も自分で守れないやつは、殺されても文句は言えない。弱肉強食の世の中の、それが不文律ってやつだろ!?」
それが正義の味方を気取りやがってと、忌々しげにヒロトは唾を吐き捨てた。
「けど、お前らは俺を追い回して、犯罪スレスレのことまでしてさ。それで、自分は正しいからいいんだなんて、どのツラさげて言えんだよ?結局は同じだろ?法律なんか無視して、こんなことしてる時点で、お前ら俺とかわんねえよ!」
「はぁぁ……アホちゃうか」
夕闇の中で鈍い光を放つ棍を両手に構えて、つばさは思わず口を挟んだ。
「なんだよ」
「アホやで、あんた。聞いてられんわ」
突然口を挟まれたヒロトはきょとんとし、次いで見る見る顔を真っ赤に染めた。年下の、しかも中学生くらいの年齢の女の子である。アホだとバカにされて、プライドが傷つかないわけがない。
無論そんなことは知ったことではないので、つばさはハキハキ言葉を続ける。
「まずはじめに言っとくけどな、うちは正義の味方やのうで、悪の敵や。正義の為に殺しましたなんていう、けったいなこと言う気はあらへんよ」
ヒロトと比べても一回りは小さい指でビルの外れに立った殺人犯を指差して、堂々とつばさは胸を張った。さすがにヒロトの反撃を心配した仲間たちが、さりげなくつばさの傍らについていてくれるのが心強い。
「どこが違うて?しとることがちゃうやんか。ホンマ、アホちゃうか?あんたは人を殺そうとしてるやん。うちらはそれを止めようとしてるんやで。ほらみろ、全然ちゃうやろ」
「やってることに変わりはないだろって言ってんだよ!」
片頬を引き攣らせてヒロトが言い返す。
言いたいことはあったのだが、ははぁんとわざと感嘆してみせて、つばさは勝気に笑う。
「じゃあまあ、そういうことにしとこか。運命がどうとか、言うとったな。あんたはここでうちに殺される運命なんやな。この世にあんたが必要ないから、ここで現世とサヨナラするんやな」
ヒロトが言うように、どんな目的があったとしても、人を殺したら罪は罪だ。法律のある世の中において、そこに言い逃れは通用しないし、あってはいけない。
勿論罪を犯す方にだって理由があるし、原因がある。一概に皆が皆同じ穴の狢だと言ってしまうのは性急すぎるが、人々が公正であるべきならば、罪は罪として、法律の下同じように平等に裁かれるべきなのだ。そういう意味で、法を侵してヒロトを追い詰めたつばさたちが、ある意味同じ穴の狢だというのは、間違ってはいないことである。
だが、つばさの目的はこれ以上被害者を出さないこと、だ。ヒロトを野放しにしておいたらまた被害が広がってしまう。犠牲を出したくなかったら、少し法を侵してでも、ヒロトを止めるのを優先するべきだと、つばさも、ここに集まったほかの人たちも判断したのだ。
「あんたここで死んでまうんやろ?運命の手助けをするうちを逆恨みせんといてや。これは運命っちゅうやつや。あんたが他の人を殺しよったみたいに、これも運命や。……まさか、自分だけ例外いうんはナシやで」
「ガキが、生意気言ってんじゃねえよ!!」
「たしかにうちはガキや!でもあんたほど人間腐ってないで」
つばさは棍を構えなおす。舌打ちして、ヒロトは衝撃波を繰り出すべく、腕を振り上げた。つばさの心の底で、僅かに怯えが走る。
それが、ヒロトのような存在そのものに対する恐怖だと、つばさは知っていた。相手が強いからではない、罪を犯しているからでもない。ただ罪を犯して、それを省みないその精神が怖いのだ。
「どいてください、衝撃波なら私が割りましょう」
つばさの小さな肩に手をかけて、虎太郎が前に進み出た。片手には鞘に納まったままの刀が一振り。
大気をゆるがせて、見えない攻撃が押し寄せてくる。
恐れ気も無くつばさを背中に庇って、虎太郎が刀を身体に引き付けて構えた。スラリと涼しげな音がして、鞘から白い光が弧を描く。
怒涛のように押し寄せた空気の波紋が、虎太郎の刀の切っ先に触れて左右に割れた。布を切れのよいナイフで裂くように、衝撃は左と右へとわかれてつばさたちを避けていく。
「クソッ…!」
衝撃波が駆け抜けて埃もゴミも一掃されたところを、つばさがヒロト目掛けて間合いを詰める。舌打ちしたヒロトは、僅かに迷う気配を見せてから床を蹴り、空中に身を躍らせた。
「悪あがきもしすぎるとみにくいで!」
重力に従って落ちようとしているヒロトの背後に、つばさが念力で「壁」を作る。まっさかさまに落ちるはずだったヒロトの身体は、硬い「壁」に遮られてドンと音を立てた。押し返されてヒロトの身体は不器用にビルの屋上へと着地する。
「畜生……この、ガキ」
背中を打ちつけた衝撃にふらりとしながら、ヒロトが立ち上がろうとするが、その時にはすでに十分間合いを詰めたつばさが目の前にまで迫っている。
「おネンネしとき!」
全身をバネのように捻って力を溜め、つばさは渾身の力を込めて棍を横に振るった。
したたかに頭を殴られて、ヒロトはコンクリートに伸びている。
「うちかてプロや。死んでも直らんような奴がおるのはわかってる」
罪悪感を抱く前に、運命を恨み、自分を捕まえた者たちを恨み、自らの不幸を恨むような人間は、確かに存在する。
「でも死んでも直らんかどうかなんて、わからんやろ。もしかしたら、何かのはずみで改心するかもしれんやんか」
最後の最後に残る奇跡のような希望を信じて、だから助けてやりたいと思うのだ。出来る限り。
「こういうことをしでかす人間が、うちは一番怖い。怖いし、嫌いや」
人の気持ちを考えない、自分のことしか気にしない。人間とは、確かに自分本位な生き物だ。でもそればかりでないのが人間で、人はその微妙なバランスの中で生きている。
「針が振り切れてる奴ってな、まぁお近づきになりたくねぇわな」
風下でタバコを燻らせていた太巻は、のんびりとそんな返事を返してきた。
せやなぁ、とつばさは風をはらんでぼさぼさになった髪を手で押さえる。
「でも、そういう狂気に敢えて関わる太巻のおっちゃんみたいな人間がおるんが、うちの誇りや。そういうことを考えると、人間そんなに捨てたもんやないで」
そやろ?と振り返ると、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた太巻は、ハハァンとわけのわからない声を出して笑みを浮かべた。
「お前ェがそうやって生きていく限り、世の中は希望に満ち溢れているぜ。ちびっこ」
世の中は平和で幸せばっかりの楽園なんかにはなりえない。けれどだからこそ、人が考え、悩んだすえに行動することには意味が生じるのだ。
人生のうちには、間違っていると思うのにどうしてもまかりとおってしまうこともある。正しければ常に報われるなどということはなく、清く正しく生きていても、それが報われるかどうかの確約などはありえない。ましてや正しいと信じていた行動が、本当によかったかどうかすら、分からなくなるときがある。
それでも時に人は僥倖のように正しい行いをし、人を救い、何かを変えることができる可能性を秘めているのだ。
□―――夕暮れ(回想)
父と母がぼそぼそと話をしている。まだ小さかった彼は廊下に突っ立って、子どもながらに両親が真剣な話をしているのだと理解して、台所に入っていきかねていた。いつも彼を竦ませる母の鋭い声が聞こえる。
「だからね、あなた。お義母さんいつになったら死んでくれるの?」
「さあな」
「さあなじゃないわよ!あたしたちにいくらも財産を残してくれないっていうのに、このまま生きられたんじゃ金食い虫よ」
そして、沈黙が忍び寄ってくる夕闇のように家に満ちた。それが少年が大好きだったおばあちゃんに関することだと分かったので、彼はじっと息を詰めて立ち尽くしていた。少年の祖母は、このところぼうっとしてばかりいるようになった。少年が声をかけても、上の空でどこか遠くを見つめている。
少し前は少年の手を引いて散歩に出かけて、駄菓子屋でお菓子を買ってくれたりしたものだ。祖母がそうして買ってくれる、小さな容器に入った白い粉末や、イカの干物が、少年は大好きだった。
そういうことを、気がつけばもう長いことしてもらっていない。祖母は宛がわれた和室に万年布団を敷いて、そこに寝たきりになって久しい。少年は中に入れてもらえず、たまに母の鋭く祖母を罵る声を遠くから聞くだけだ。そのたびに、怖くなって少年は必死で祖母の無事を祈った。幼い少年ですら感じ取れるほど、母は祖母を嫌っていたのだ。
「…保険金が」
ボソリと父親の低い声がする。
「母さんが死ねば、保険金が下りる」
また、しんと静まり返った。体重が移動して廊下が音を立てないように、彼は身動きするのも必死に我慢した。言い訳めいた母の声が、そのときばかりはさすがに少し後ろめたそうに聞こえる。
「だって、ねえ。ヒロトの学費だってあるし」
「…そうだな。可愛い孫のためなら、あの人も本望だろう」
「そりゃそうよ。年を取って何の役にも立たないんだから、それくらいしてもらわないと」
お互いが互いを奮い立たせるように、両親は声を潜めてそんな言葉を交し合っていた。
その会話が持つ意味を、まだ小さかった少年は知らなかった。
それから間もなく祖母が死に、少年を撫でてくれる暖かい手も、飴をくれる優しい眼差しも、ふっつりと途切れてしまった。
父も母も、祖母が逝去してからは酷く晴れ晴れとした顔をしていた。新しい家も買い、まるで人が変わったように生活習慣がかわり、服装が変わった。学校も、通いなれた公立校から、電車を乗り継いでいかなくてはいけない私立の学校へと変わってしまった。
それ以降の母の口癖は、「あなたのためなんだから」というものである。少年は何年もそれを聞かされて育ち、知らぬうちに、その言葉を祖母の死の間際に両親が交わしたあの恐ろしい会話へと結び付けていった。
けれどやがてはそれも内に含んだ狂気のなかに消えていった。
岡部ヒロトは、そうして大人になった。
しかしそれも、もはや誰も知ることのない物語である。
「獣の棲む街」:END
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
・1411 / 大曽根・つばさ(おおそね・つばさ)/ 女 / 13 / 中学生・退魔師
・1614 / 黒崎・狼(くろさき・らん)/ 男 / 16 / 逸品堂の居候
・1576 / 久遠・樹(くおん・いつき) / 男 / 22 / 薬師
・0545 / 久喜坂・咲(くきざか・さき)/ 女 / 18 / 女子高生陰陽師
・0565 / 朏・棗(みかづき・なつめ)/ 男 / 797/ 鬼
・1511 / 神谷・虎太郎(かみや・こたろう)/ 男 / 27 / 骨董品屋
NPC
・太巻大介(うずまきだいすけ)/ 紹介屋
いるけど出番なし。
・岡部ヒロト/瞬間移動の能力を封印され、逃げることが出来ずに判決を待っている。
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■ ライター通信 ■
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お疲れ様でした!今回はサッカー漫画もどきの痛いギャグもなく(自覚がないだけかもしれませぬ)、後編のお届けです。ありがとうございます!なんだかんだと楽しんで書かせていただきました。長々と付き合っていただいて感謝の言葉もありません。
つばさちゃんはしっかりしているし、これで中学生なんて!自分が若かった頃を思い出すと青くなりそうです。出来の差ですな!
なにはともあれ、本当に楽しませていただきました〜。後は後日談を残すのみ!こっそり…皆様が忘れたころにコッソリアップさせていただきま・・・・・・(殴)
えーとえーと、一応二週間後くらいを予定はしているのですが。その頃窓が開かなかったら海外逃亡したと思って、不幸の手紙なりカミソリなりなんでも送ってください!出来るだけ早く窓口を開きたいと思っているので…ひー!計画性という言葉を辞書で引きなおして出直してきます(脱兎)
お付き合いありがとうございました。
またどこかでお会いできたら幸いです。
では〜
在原飛鳥
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