■獣の棲む街―死線■
在原飛鳥 |
【1549】【南條・慧】【保健医】 |
屋上には風が吹き抜けていた。柵があるわけでもなく、むき出しのコンクリートからは東京の街が一望できる。
遮るものなどなにもない屋上のふちに立って、ヒロトは自分を追い詰める者たちを見渡した。つま先だけで身体を支えたヒロトは、今にもまっさかさまに墜落しそうな位置でゆらゆら身体を揺らす。
「変な動きをしやがったら、どうなるかわからないぜ。びっくりして足を踏み外して落ちちまうかもなあ。容疑者を自殺に追い込んだなんて、無様な記事を新聞に書かれたくないだろ?あんただってさ」」
目だけを狂気にぎらぎら光らせて、ヒロトは歪んだ笑みを見せる。
「なあ、おまえら正義感ぶるのもほどほどにしろよ。俺が人を殺したからなんだっていうんだよ。俺を同じ目に合わせるか?俺を同じ目に合わせようとするやつが、俺とどう違うっていうんだよ。それとも、俺をとっ捕まえて、正義の味方ぶって警察に突き出してみるか?」
歌でも歌うように、ヒロトは喋り続ける。
「精神に問題ありって判断されるんじゃないかな。そうすりゃ刑務所なんかに入らないで済む。有罪判決になったところで、無期懲役がいいとこじゃないの?模範囚で居れば、ジジイになる前に出てこれるさ」
勝ち誇ったように、ヒロトは笑う。まるで血に狂った獣のように、その表情は歪んでいる。
「ツイてないやつが早死にするのは運命だろ?もっと生きられたかもしれないなんて思うのはバカげてる。そこでそいつの人生が終わるなら、それは運命ってやつだよ。俺に殺される運命だったんだよ。早死にするヤツは、この世に必要ないから死んでいくんだ。俺はその運命に少し手を貸してやっただけだよ。なのに俺を憎むのは逆恨みってやつだろう?俺の邪魔をするな。俺がガキだの女だのを殺したからなんだっていうんだよ。その俺を恨むお前らだって、同じ穴のムジナだろ。俺が憎いんだろ。殺したいんだろ?そんなお前らに、偉そうに俺を糾弾する権利があるっていうのか!?」
気が違ったようにヒロトは喋り続け、おかしそうに笑い続けている。その顔に罪悪感は見られなかった。
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獣の棲む街:死線
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東京の街並みは薄暮に沈んでいた。埃っぽさの目立つ昼間のコンクリートの林は夕日に覆い隠され、風には涼気が混ざり始める。
風に髪を乱しながら、ヒロトは血の滲んだ脇腹を押さえようともせず、屋上に上り詰めた者たちを見つめていた。
「寿命だろうが事故だろうが、人に殺されようが関係ない。人の生死は運命だろ。不慮の事故に逢ったと思って、素直に諦めてくれればいいのによ」
バタバタと風に煽られてヒロトのシャツがはためく。白いシャツは埃に汚れて色あせ、今はそれが沈みかけた太陽のせいでほのかに赤く染まっている。
「弱いやつは強いヤツに殺されたって文句なんか言えないんだ。結局、生き残ったやつが正しい。勝ち抜いたヤツこそが正しいんだ。勝ち抜くことが出来ないで俺に殺された負け犬のために、なんで無関係なあんたらが首突っ込んでくんの?」
馬鹿も馬鹿でここまでくれば上等だと、慧はビルのはずれでふらふら揺れるヒロトを見ながら考える。独り善がりな人間も常識はずれの成人も、探せば世の中にはいるだろう。だが、どちらも持ち合わせてこんな大事を巻き起こす人間はそうそういない。
「運命って言葉を軽々しく使ってほしくないわね」
罪悪感のかけらも窺わせないヒロトの台詞に答えて、慧は口を開いた。
「人には予め決められた運命なんて無い。人生にそれに似たものがあるとすれば、人が生き歩んだ後に残る軌跡だけよ」
経験し、人生という時を刻んでいくことで残されていく足跡。それが避けがたい力によって捻じ曲げられたり、途切れたりすることを、人は運命と呼ぶのだ。人知の及ばない物事に対する気持ちを、どうにか納得させるために。
だからこそ、運命ださだめだと言って、人が人の未来を決め、ましてやそれを力づくで奪う権利など、あっていいはずがない。
慧の足元で、ふわりと灰色の尻尾が動いた。エリゴネである。
聡明な猫だから、もしかしたら何か考えることがあるのかもしれない。彼女はするすると仲間たちの足の間をすり抜けて、ヒロトの注意の届かないところへと歩いていく。
片頬を引き攣らせて口を噤んでいたヒロトは、慧の言葉が途切れると聞こえよがしに舌打ちをした。
「うるさい女だなぁ。死んだら、それまでだ。もういなくなっちまったやつのことをとやかく言ったってしょうがないだろ?」
「その人たちを殺したのはあなたでしょう!」
腹から溜め込んだ空気と一緒に怒鳴ると、ヒロトはびくっと身体を竦ませた。生意気盛りの高校生を相手に、優しく静かなだけでは保健医は勤まらないのだ。
慧の迫力に気圧されたヒロトは、たじろいでいる自分に気づくと腹立たしげに足を踏み鳴らす。怯懦を覗かせてしまったことすら相手の責任だとでも言いたげに、怒りのこもった視線を慧に向けた。
「だったらなんだって言うんだよ。世の中は弱肉強食なんだろ?俺が弱い奴らを消して何が悪いっつうの。消されるほうに問題があっただけだろうが」
「どれだけバカなことを言えば気がすむの、あなた!」
ぴしゃりと慧が遮った。息巻いてしゃべり続けていたヒロトが思わず口を噤む語調である。
「特別な力があるからなんだというの?何も変わらないわよ。ちょっと人と違う力があるからと言って、偉そうに支配者気取り?勘違いも甚だしい!」
「俺のどこが間違ってるんだよ!弱いやつは死んで当然なんだ。それのどこが間違ってるんだか、言ってみろ!!お前らだって、どうせ同じことして生きてんだ。正義を気取って俺を追い詰めてさ。力を振りかざしているだけだろう。お前らと俺と、どこがどれだけ違うってんだよ!俺のなにが間違ってるっての!!」
激情したヒロトは、唾を飛ばしながら震える指を慧に向かって突き出した。その激昂ぶりには狂気の兆しが見えていたが、慧も引かずに言い返す。
「どこもかしこも間違ってるわよ」
返す言葉もないとはこのことだ。ヒロトの気を引くための演技ではなく呆れ返って、慧は首を振った。
「どこが違うか分からない?お子様ねぇ」
「なんだと!?」
立場は最早逆転していた。ヒロトは怒りで顔を真っ赤に染めており、慧は対照的に落ち着き払っている。近づいたら落ちて死んでやると、彼らを嘲っていたヒロトの余裕はどこにも残っていなかった。
「何故私に手玉にとられたか、考えてみなさい。結局、あなたは目先の欲にばかり目が眩んで、自分が何をしているのかも、どういうことをしているのかも考えられないお子様なのよ。私たちに振り回されたのだって、あなたの視野が狭いせいでしょう」
血走った目が、そのまま射殺すような激しさで慧を貫いた。その瞳からは、急速に知性の光が失われていく。
「所詮あなたは舞い上がってるだけのガキなのよ。人に愛されたことなんかないでしょ?このままではずっとそうなのよ。寂しい子よね」
「ぶっ殺してやる。このくそアマ……ぶっ殺してやる!!!」
それ以上は言葉にならない単語を喚いて、ヒロトは大きく腕を振りかぶって打ち下ろした。そこから空気を揺るがす波が生まれ、空を切り裂いて衝撃波が慧たちに襲い掛かる。
「南條さん、下がって!」
鞘に収めたままの刀を手に、皇騎が前に進み出た。その肩越しに、ヒロトに向かって灰色の小さなエリゴネの身体が飛び掛るのが慧の視線に移る。
ピリピリと空気が震え、唸りを上げて衝撃波は近づいてくる。
皇騎が抜刀した。
襲ってくるかと思われた衝撃波は、鋭いナイフが布を左右に切り裂くように、皇騎を支点に左右に避けた。
両頬を、一度は慧を襲って吹き飛ばした衝撃が駆け抜けていく。
激しい嵐に見舞われた後のような静けさの中で、ヒロトの身体はアスファルトに横たわっていた。エリゴネだけが、眠るように目を閉じたヒロトの横に座って、青年の寝顔を見下ろしている。
□―――夕暮れ(回想)
父と母がぼそぼそと話をしている。まだ小さかった彼は廊下に突っ立って、子どもながらに両親が真剣な話をしているのだと理解して、台所に入っていきかねていた。いつも彼を竦ませる母の鋭い声が聞こえる。
「だからね、あなた。お義母さんいつになったら死んでくれるの?」
「さあな」
「さあなじゃないわよ!あたしたちにいくらも財産を残してくれないっていうのに、このまま生きられたんじゃ金食い虫よ」
そして、沈黙が忍び寄ってくる夕闇のように家に満ちた。それが少年が大好きだったおばあちゃんに関することだと分かったので、彼はじっと息を詰めて立ち尽くしていた。少年の祖母は、このところぼうっとしてばかりいるようになった。少年が声をかけても、上の空でどこか遠くを見つめている。
少し前は少年の手を引いて散歩に出かけて、駄菓子屋でお菓子を買ってくれたりしたものだ。祖母がそうして買ってくれる、小さな容器に入った白い粉末や、イカの干物が、少年は大好きだった。
そういうことを、気がつけばもう長いことしてもらっていない。祖母は宛がわれた和室に万年布団を敷いて、そこに寝たきりになって久しい。少年は中に入れてもらえず、たまに母の鋭く祖母を罵る声を遠くから聞くだけだ。そのたびに、怖くなって少年は必死で祖母の無事を祈った。幼い少年で感じ取れるほど、母は祖母を嫌っていたのだ。
「…保険金が」
ボソリと父親の低い声がする。
「母さんが死ねば、保険金が下りる」
また、しんと静まり返った。体重が移動して廊下が音を立てないように、彼は身動きするのも必死に我慢した。言い訳めいた母の声が、そのときばかりはさすがに少し後ろめたそうに聞こえる。
「だって、ねえ。ヒロトの学費だってあるし」
「…そうだな。可愛い孫のためなら、あの人も本望だろう」
「そりゃそうよ。年を取って何の役にも立たないんだから、それくらいしてもらわないと」
お互いが互いを奮い立たせるように、両親は声を潜めてそんな言葉を交し合っていた。
その会話が持つ意味を、まだ小さかった少年は知らなかった。
それから間もなく祖母が死に、少年を撫でてくれる暖かい手も、飴をくれる優しい眼差しも、ふっつりと途切れてしまった。
父も母も、祖母が逝去してからは酷く晴れ晴れとした顔をしていた。新しい家も買い、まるで人が変わったように生活習慣がかわり、服装が変わった。学校も、通いなれた公立校から、電車を乗り継いでいかなくてはいけない私立の学校へと変わってしまった。
それ以降の母の口癖は、「あなたのためなんだから」というものである。少年は何年もそれを聞かされて育ち、知らぬうちに、その言葉を祖母の死の間際に両親が交わしたあの恐ろしい会話へと結び付けていった。
けれどやがてはそれも内に含んだ狂気のなかに消えていった。
岡部ヒロトは、そうして大人になった。
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死に際の祖母の部屋は、世話を焼くものもおらず、廊下に立っただけで異臭が漂うほどだった。相変わらず廊下まで響く母の金切り声が聞こえる。それに答える祖母の穏やかな言葉も、時折こぼれてきた。
一度だけ、母にひどく叱られた時、ヒロトはおばあちゃんに会いにいった。臭い匂いも、鼻水が詰まって鼻がきかなかったので気にならなかった。ただ換気もされずに立ち込めた、どんよりとだるい空気だけは肌に感じられる。
祖母は食事もろくに与えられず、見る影もないほどに痩せ衰えていた。
それでもそっと微笑んだ姿は、やっぱりヒロトの覚えている祖母の面影そのものだった。
「ごめんねぇ」
声は今にも消えようとしている祖母の命のともしびそのもののように、細々としている。
「なんにもできなくて、ごめんね、ヒロちゃん。あなたになぁんにもしてあげられなかった。でも、できるだけのことはするからね。私がいなくなっても、あなたが困らないですむように、ちゃあんと何かしら遺してあげるからね」
梅雨も只中の、じとじとした陽気の日のことだった。
世間の恥だと、家から一歩も外に出してもらえなかった祖母は、その日に限ってきれいに身支度をし、「出かけてくるよ」とヒロトと母親がいる台所に声を掛けた。
「早く行ってください」
そっけなく、突き放すように母親が言う。
祖母が珍しく出かけるのがうれしくて、「僕も行く」と言ったヒロトは、母親に恐ろしい剣幕で怒鳴られた。
それを悲しそうな瞳で見つめ、祖母はもう一度、ヒロトに向かって「行ってくるよ」と微笑んだ。
それが、ヒロトがみた祖母の最期だった。
夜になっても祖母は戻らず、両親は「十分に待ってから」警察に捜索願を出した。
祖母の遺体が連日の雨で水かさの増した海岸に打ち上げられたのは、それから二日が経過してからのことである。
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都内を騒がせた猟奇殺人事件の犯人が捕まり、また彼が十年以上暮らしていた東京郊外の自宅からは白骨化した一組の男女の死体が発見されてマスコミをにぎわせた。
ヒロトが両親を殺害した原因については、どこのテレビでもたいした証拠もなしに憶測だけが飛び交っている状態だ。
事件後草間興信所で居合わせた太巻は膝の上にエリゴネを乗せ、ヒロトの「犯罪者としての少年期」を語るテレビのレポーターの言葉を、右から左へと聞き流している。
「人間の人生なんて、ちょっとしたことでも狂っちまうもんだなぁ」
というのが、慧が垣間見たヒロトの記憶を語った時の太巻の感想だった。口の端にはタバコを銜え、テーブルには競馬新聞と赤ペンなどを置いたひどく不謹慎な格好で、彼は言ったものである。
「誰にでも、道を過つ危険はあるんだよな。いつもは眠っている獣みてぇな部分が、なんかの拍子に出てきちまう可能性がよ」
ちょっとしたきっかけ、些細なはずみで、その獣はきっと目を覚ますのだ。
明るく声を上げて街を練り歩く若者たち。足元ばかりを見て人とすれ違う会社員。
都会特有の無関心さの中で、いったいどれだけの獣が人々の心に巣食い、知らぬ間に蔓延っていることだろう。
獣の棲む街:END
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
・1549 / 南條・慧 / 女 / 26 / 保健医
・1252 / 海原・みなも / 女 / 13 / 中学生
・0461 / 宮小路・皇騎 / 男 / 20 / 大学生(財閥御曹司・陰陽師)
・0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
・1493 / 藤田・エリゴネ / 女 / 73 / 無職
・1564 / 五降臨・時雨 / 男 / 25 / 殺し屋
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NPC
・太巻大介(うずまきだいすけ)/ 男 / 不詳 / 紹介屋
出番はなくとも居たらしい。
・岡部ヒロト / 男 / 大学生
都内で発生した連続猟奇殺人事件の犯人。事件後能力を封印され、逮捕される。
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■ ライター通信
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お待たせしました!そしてお疲れ様でした…!
長々と付き合っていただいてありがとうございます。どうにかこうにか三部作が終了したのも、ひとえにお付き合いいただいた参加者のみなさまのお陰です。
あ、こっそりと「何故!?」と思われているかもしれないヒロトの気絶の原因ですが、エリゴネさんの持っている麻痺爪でした。
きちんと南條さんの仰りたかったことを表現出来ていますように!「全然ダメ!」とか思ってらしたらすいませ……(殴)。苦情・文句も心してお待ちしていますので!
生徒を第一に思うところが先生〜ってカンジで、南條さんカッコよかったです(お前が惚れても…)。
楽しませていただいてありがとうございました!
またいつかどこかで、機会があったら遊んでやってください。
では〜。
在原飛鳥
追記:
あ、後日談ですが、自らの無計画が招いた嵐が一段落したら、コッソリ受注を開始させていただく所存です。
計画性皆無で、予定をお伝えできなくて申し訳ありません!(人間失格)
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