■獣の棲む街―死線■
在原飛鳥 |
【0545】【朏・棗】【鬼】 |
屋上には風が吹き抜けていた。柵があるわけでもなく、むき出しのコンクリートからは東京の街が一望できる。
遮るものなどなにもない屋上のふちに立って、ヒロトは自分を追い詰める者たちを見渡した。つま先だけで身体を支えたヒロトは、今にもまっさかさまに墜落しそうな位置でゆらゆら身体を揺らす。
「変な動きをしやがったら、どうなるかわからないぜ。びっくりして足を踏み外して落ちちまうかもなあ。容疑者を自殺に追い込んだなんて、無様な記事を新聞に書かれたくないだろ?あんただってさ」」
目だけを狂気にぎらぎら光らせて、ヒロトは歪んだ笑みを見せる。
「なあ、おまえら正義感ぶるのもほどほどにしろよ。俺が人を殺したからなんだっていうんだよ。俺を同じ目に合わせるか?俺を同じ目に合わせようとするやつが、俺とどう違うっていうんだよ。それとも、俺をとっ捕まえて、正義の味方ぶって警察に突き出してみるか?」
歌でも歌うように、ヒロトは喋り続ける。
「精神に問題ありって判断されるんじゃないかな。そうすりゃ刑務所なんかに入らないで済む。有罪判決になったところで、無期懲役がいいとこじゃないの?模範囚で居れば、ジジイになる前に出てこれるさ」
勝ち誇ったように、ヒロトは笑う。まるで血に狂った獣のように、その表情は歪んでいる。
「ツイてないやつが早死にするのは運命だろ?もっと生きられたかもしれないなんて思うのはバカげてる。そこでそいつの人生が終わるなら、それは運命ってやつだよ。俺に殺される運命だったんだよ。早死にするヤツは、この世に必要ないから死んでいくんだ。俺はその運命に少し手を貸してやっただけだよ。なのに俺を憎むのは逆恨みってやつだろう?俺の邪魔をするな。俺がガキだの女だのを殺したからなんだっていうんだよ。その俺を恨むお前らだって、同じ穴のムジナだろ。俺が憎いんだろ。殺したいんだろ?そんなお前らに、偉そうに俺を糾弾する権利があるっていうのか!?」
気が違ったようにヒロトは喋り続け、おかしそうに笑い続けている。その顔に罪悪感は見られなかった。
|
獣の棲む街―死線
-----------------------------------
夏だというのに、夕日を孕んだ風は涼しい。涼しいのは、心がうそ寒くなるような存在と対峙しているからだろうか。
薄暮に包まれて、お互いの顔すらはっきりとしないビルの屋上で、ヒロトは東京の街を背景に風に揺られている。狂気を帯びてへらへら笑うその表情は、まるでそこだけ切り取ったかのように無機質で、人間味がなかった。
「偉そうなことを言うなら、お前らがまず法律を守れば?違法なことして俺を追い掛け回して、その上で正義だなんだと説教垂れたって、信憑性がないんだよ」
頬まで流れた血は、既に強い風に吹かれて固まりつつあった。ヒロトはそれを無造作に拭い、それでも頬にこびりついた血を爪の先でこそげ落とした。
「俺は確かに犯罪者さ。法律上では俺が罪を犯してるってのはわかってる。でもそれがどうしたっつうの。弱いやつは強いヤツに食われるんだ。自分の身も自分で守れないやつは、殺されても文句は言えない。ガキだからかわいそうだって?笑わせるなよ。弱いから俺に殺されたんだ、それのどこが悪い?弱肉強食の世の、それが不文律ってやつだろ?お前ら俺を追い回して、犯罪スレスレのことまでしてさ。それで、自分は正しいからいいんだなんて、どのツラさげて言えんだよ?結局は同じだろ?法律なんか無視して、こんなことしてる時点で、お前ら俺とかわんないんだよ」
自分勝手なヒロトの言葉に、思わず身体が揺れる。ヒロトに向かって手を伸ばしかけた棗を遮ったのは、彼の隣で唇を噛み締めていた咲だった。悔しそうに、それでもしっかりした口調で棗を止める。
「確かに、彼の言う通りよ。憎しみや恨みで相手を傷つけるなら、彼と同じ。それじゃダメなのよ。分かるでしょう?」
そうしてしまえば、一見して筋が通っているようにも聞こえるヒロトの論理を肯定し、ヒロトをいい気にさせるだけだ。ヒロトの考え方を基準に話をしては、進展など見られない。
「……大丈夫、わかってるよ」
ヒロトの挑発に乗ってしまったら、「やっぱり俺たちは同類さ」と、ヒロトを喜ばせるだけだと分かっている。心配そうな咲を安心させるように微笑んで、棗は彼女の頭に手を置いて軽く髪を撫でた。
「憎しみで、奴をどうこうしようとは思ってない」
それは、本来人外の存在である棗とは、直接関わりのないことだ。種族が違う以上、棗が人の問題に首を突っ込むべきではなのかもしれない。
「ただ、俺にも奴を止める手伝いくらいは出来る」
今すぐにでも落ちてやるぞといわんばかりに、ビルの外れでヒロトの身体がふらふらしている。彼が足を踏み外すかもしれないことは、今は考えないことにした。ヒロトはそうやって、こちらの不安を煽っているのだ。
「俺は人ではないけど。本当なら人に関与すべき者でもないのかもしれないけど」
鮮やかな夕陽をその面に照らし出して、ヒロトが笑う。
「じゃあ、消えちまえ。お呼びじゃないんだよ」
「人の命を平気で奪う奴を目の前にして、放っておくような真似は出来ないんだよ!」
目を閉ざし、自分には関係のないことだと言ってしまうのは簡単だ。引き換えに、僅かな後悔だけを引きずっていけばいい。
でも、それでは、何の解決にもなっていないのだ。友人を、恋人を、家族を殺された人の哀しみが変わるわけでも、ヒロトが犯した罪の重さが変化するわけでもない。
「正義だの美徳だの、そんな小難しいことは知らねー」
「お得意の正義の味方論法で敵わなくなったら、さっさとその考えを捨てんのかよ?簡単なもんだなぁ」
ヒロトは棗の揚げ足を取って笑っている。
「お前らは結局、自分が信じた正義を振りかざしているだけさ。自分が正しいと思って、それを根拠に他人が間違っているだの、正しいだのと烙印を押す。そうだろ?それが本当に正義かよ。ただの自信過剰、自己満足だって思ったことはないのかよ?」
「…理屈じゃねーんだよ」
「自分が正しいと思うなら、俺を理屈で打ち負かせ」
鼻を鳴らして、ヒロトは歪んだ笑みを浮かべた。今にも衝撃波を繰り出そうと腕を振り上げたヒロトを見て、棗は咄嗟に咲の腕を掴んで背中に庇う。
「俺を止めたかったら、殺してみろよ。感情に任せて俺を殺して、めでたく俺と同じ、殺人鬼の仲間入りだ!」
「お前は殺さない。殺させない」
ギリッと、殺されていった人を思って強く歯を噛み締めた。
どんなことをしたとしても、ヒロトに殺された人たちが生き返るわけではないのだ。
「…お前の凶行は、ここで止める」
これ以上誰も死ななくていいように。誰もが辛い思いをしなくてすむように。
人の命が、誰かの暴力によって奪われていいことなど、あるわけがないのだ。
棗の瞳が鮮やかな紫を帯びた。ビクリと抗うようにヒロトの全身が痙攣し、次いで憤怒に顔が歪んだ。
「何をしやがった……」
「身動きとれないようにしただけだ」
言いながら、棗は目を細める。
ヒロトの動きを縛りつけ、同時にその心の奥深くへと、棗の瞳はヒロトを見透かしていく。
□―――夕暮れ(回想)
父と母がぼそぼそと話をしている。まだ小さかった彼は廊下に突っ立って、子どもながらに両親が真剣な話をしているのだと理解して、台所に入っていきかねていた。いつも彼を竦ませる母の鋭い声が聞こえる。
「だからね、あなた。お義母さんいつになったら死んでくれるの?」
「さあな」
「さあなじゃないわよ!あたしたちにいくらも財産を残してくれないっていうのに、このまま生きられたんじゃ金食い虫よ」
そして、沈黙が忍び寄ってくる夕闇のように家に満ちた。それが少年が大好きだったおばあちゃんに関することだと分かったので、彼はじっと息を詰めて立ち尽くしていた。少年の祖母は、このところぼうっとしてばかりいるようになった。少年が声をかけても、上の空でどこか遠くを見つめている。
少し前は少年の手を引いて散歩に出かけて、駄菓子屋でお菓子を買ってくれたりしたものだ。祖母がそうして買ってくれる、小さな容器に入った白い粉末や、イカの干物が、少年は大好きだった。
そういうことを、気がつけばもう長いことしてもらっていない。祖母は宛がわれた和室に万年布団を敷いて、そこに寝たきりになって久しい。少年は中に入れてもらえず、たまに母の鋭く祖母を罵る声を遠くから聞くだけだ。そのたびに、怖くなって少年は必死で祖母の無事を祈った。幼い少年で感じ取れるほど、母は祖母を嫌っていたのだ。
「…保険金が」
ボソリと父親の低い声がする。
「母さんが死ねば、保険金が下りる」
また、しんと静まり返った。体重が移動して廊下が音を立てないように、彼は身動きするのも必死に我慢した。言い訳めいた母の声が、そのときばかりはさすがに少し後ろめたそうに聞こえる。
「だって、ねえ。ヒロトの学費だってあるし」
「…そうだな。可愛い孫のためなら、あの人も本望だろう」
「そりゃそうよ。年を取って何の役にも立たないんだから、それくらいしてもらわないと」
お互いが互いを奮い立たせるように、両親は声を潜めてそんな言葉を交し合っていた。
その会話が持つ意味を、まだ小さかった少年は知らなかった。
それから間もなく祖母が死に、少年を撫でてくれる暖かい手も、飴をくれる優しい眼差しも、ふっつりと途切れてしまった。
父も母も、祖母が逝去してからは酷く晴れ晴れとした顔をしていた。新しい家も買い、まるで人が変わったように生活習慣がかわり、服装が変わった。学校も、通いなれた公立校から、電車を乗り継いでいかなくてはいけない私立の学校へと変わってしまった。
それ以降の母の口癖は、「あなたのためなんだから」というものである。少年は何年もそれを聞かされて育ち、知らぬうちに、その言葉を祖母の死の間際に両親が交わしたあの恐ろしい会話へと結び付けていった。
けれどやがてはそれも内に含んだ狂気のなかに消えていった。
岡部ヒロトは、そうして大人になった。
・
・
・
死に際の祖母の部屋は、世話を焼くものもおらず、廊下に立っただけで異臭が漂うほどだった。相変わらず廊下まで響く母の金切り声が聞こえる。それに答える祖母の穏やかな言葉も、時折こぼれてきた。
一度だけ、母にひどく叱られた時、ヒロトはおばあちゃんに会いにいった。臭い匂いも、鼻水が詰まって鼻がきかなかったので気にならなかった。ただ換気もされずに立ち込めた、どんよりとだるい空気だけは肌に感じられる。
祖母は食事もろくに与えられず、見る影もないほどに痩せ衰えていた。
それでもそっと微笑んだ姿は、やっぱりヒロトの覚えている祖母の面影そのものだった。
「ごめんねぇ」
声は今にも消えようとしている祖母の命のともしびそのもののように、細々としている。
「なんにもできなくて、ごめんね、ヒロちゃん。あなたになぁんにもしてあげられなかった。でも、できるだけのことはするからね。私がいなくなっても、あなたが困らないですむように、ちゃあんと何かしら遺してあげるからね」
梅雨も只中の、じとじとした陽気の日のことだった。
世間の恥だと、家から一歩も外に出してもらえなかった祖母は、その日に限ってきれいに身支度をし、「出かけてくるよ」とヒロトと母親がいる台所に声を掛けた。
「早く行ってください」
そっけなく、突き放すように母親が言う。
祖母が珍しく出かけるのがうれしくて、「僕も行く」と言ったヒロトは、母親に恐ろしい剣幕で怒鳴られた。
それを悲しそうな瞳で見つめ、祖母はもう一度、ヒロトに向かって「行ってくるよ」と微笑んだ。
それが、ヒロトがみた祖母の最期だった。
夜になっても祖母は戻らず、両親は「十分に待ってから」警察に捜索願を出した。
祖母の遺体が連日の雨で水かさの増した海岸に打ち上げられたのは、それから二日が経過してからのことである。
ヒロトが抱えていた闇も、体験してきた過去も、今となっては誰も知らない。
大して名も無い雑誌の中の小さなコラムで、やはり名を知られていない編集者が語る。
『人は誰でも、心の闇に巣食う獣を飼っている。それは年齢を経ることに人の暗い部分を糧に成長し、静かに、確かに息づいている。普段は理性と道徳という名の鎖につながれているその獣は、ふとした瞬間、心に兆した悪意を見逃さず、人に対して牙を剥くのを待っているのだ』
と。
獣の棲む街. END
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
・0565 / 朏・棗(みかづき・なつめ)/ 男 / 797/ 鬼
・0545 / 久喜坂・咲(くきざか・さき)/ 女 / 18 / 女子高生陰陽師
・1411 / 大曽根・つばさ(おおそね・つばさ)/ 女 / 13 / 中学生・退魔師
・1614 / 黒崎・狼(くろさき・らん)/ 男 / 16 / 逸品堂の居候
・1576 / 久遠・樹(くおん・いつき) / 男 / 22 / 薬師
・1511 / 神谷・虎太郎(かみや・こたろう)/ 男 / 27 / 骨董品屋
NPC
・太巻大介(うずまきだいすけ)/ 紹介屋
・岡部ヒロト/連続猟奇殺人事件の犯人。逮捕・拘留中。
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
お疲れ様でした!そして長くて暗いストーリー(ついでにお届けも早くない)、付き合っていただいてありがとうございます!書いていて大変愉しかったです。
世の中には理屈で説明できない行動や感情があって、それらを説明しようとすると、なんとなく陳腐になったり、思ったとおりに表現出来なかったりということは多いですな。それともこれは本人の語学力の問題でしょうか!(そうかも)
なにはともあれ、遊んでいただいてどうもありがとうございました!
後日談は、来週以降…できるだけ早くに受注を開始したいと思います。
もうごめんだよ!という方は、無視していただいて全然問題ないですので!
ではでは、またどこかで逢えた時には構ってやってくれたら大喜びです。
夏ばてには気をつけてお過ごしください〜!
在原飛鳥
|
|