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■獣の棲む街―死線■

在原飛鳥
【0086】【シュライン・エマ】【翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
屋上には風が吹き抜けていた。柵があるわけでもなく、むき出しのコンクリートからは東京の街が一望できる。
遮るものなどなにもない屋上のふちに立って、ヒロトは自分を追い詰める者たちを見渡した。つま先だけで身体を支えたヒロトは、今にもまっさかさまに墜落しそうな位置でゆらゆら身体を揺らす。
「変な動きをしやがったら、どうなるかわからないぜ。びっくりして足を踏み外して落ちちまうかもなあ。容疑者を自殺に追い込んだなんて、無様な記事を新聞に書かれたくないだろ?あんただってさ」」
目だけを狂気にぎらぎら光らせて、ヒロトは歪んだ笑みを見せる。
「なあ、おまえら正義感ぶるのもほどほどにしろよ。俺が人を殺したからなんだっていうんだよ。俺を同じ目に合わせるか?俺を同じ目に合わせようとするやつが、俺とどう違うっていうんだよ。それとも、俺をとっ捕まえて、正義の味方ぶって警察に突き出してみるか?」
歌でも歌うように、ヒロトは喋り続ける。
「精神に問題ありって判断されるんじゃないかな。そうすりゃ刑務所なんかに入らないで済む。有罪判決になったところで、無期懲役がいいとこじゃないの?模範囚で居れば、ジジイになる前に出てこれるさ」
勝ち誇ったように、ヒロトは笑う。まるで血に狂った獣のように、その表情は歪んでいる。
「ツイてないやつが早死にするのは運命だろ?もっと生きられたかもしれないなんて思うのはバカげてる。そこでそいつの人生が終わるなら、それは運命ってやつだよ。俺に殺される運命だったんだよ。早死にするヤツは、この世に必要ないから死んでいくんだ。俺はその運命に少し手を貸してやっただけだよ。なのに俺を憎むのは逆恨みってやつだろう?俺の邪魔をするな。俺がガキだの女だのを殺したからなんだっていうんだよ。その俺を恨むお前らだって、同じ穴のムジナだろ。俺が憎いんだろ。殺したいんだろ?そんなお前らに、偉そうに俺を糾弾する権利があるっていうのか!?」
気が違ったようにヒロトは喋り続け、おかしそうに笑い続けている。その顔に罪悪感は見られなかった。
獣の棲む街─死線
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夏の風も、夕方にもなれば少しは涼気を帯びているはずだというのに、じわりと冷たい汗を掻いている。
東京の街はスモッグに霞んで、夕陽に紅く染まっていた。建築半ばで打ち捨てられたビルの屋上からは、ちかちかとともり始めた街の明かりが一望できる。たゆたうように流れていく車の洪水、道行く人の目をひきつけるウィンドウディスプレイの明かり。
どこか幻想的なそれらの風景に対して、目の前に対峙した岡部ヒロトの顔はあまりに異形だった。
多くの罪を犯しながら尚、何が悪いのだと公然と薄ら笑いを浮かべている。その表情は、まるで精巧な蝋人形のようにぎこちない。
「似たようなもんだろう。俺も、あんたらもさぁ」
風が、ヒロトの髪を乱していく。埃と滲んだ血で汚れた服をはためかせていく。
「正義の味方ぶったってムダだよ。俺をここまで追い詰めるのに、お前らどれだけ法を犯した?不法侵入、殺傷罪、器物破損。その上、逮捕状もないのにこんなことしてさ。よく考えてみなよ」
芝居がかって、ヒロトは両手を広げる。
「俺のしてきたことと、あんたが今俺にしてること、一体どれだけ違うっていうんだ?同じだろう?人間ってのは、結局そういう生き物なんだよ。私利私欲、自分勝手な理屈で動いて、それを正義だの何だのと正当化しているだけだ。……罪は罪だと認めているだけ、俺のほうがよりマシかもしれないなぁ?」
言いながら吹き出して、ヒロトはけたたましく笑った。聞くものを不快にさせる、耳障りな声だ。息も絶え絶えになっても、まだ意地になったように笑い続ける。
いつ果てるとも知れないヒロトの哄笑を遮ったのは、無機質な拍手だった。称賛よりも寧ろ中傷の響きを帯びて、その音はヒロトの言葉を止める。不愉快そうに、ヒロトは口をつぐんで音の出所を睨み付けた。
「なんのマネだよ」
「とても独り善がりな演説ありがとう」
狂気を孕んだ冷たい視線も昂然と見返して、シュラインは叩いていた手を下ろすと、身体を抱くように腕を組んだ。
「いいところで邪魔をしちゃってごめんなさいね。素晴らしすぎて、そろそろ耳が腐って落ちちゃうかと思ったものだから」
その気になれば、毒舌の語彙に不自由はしないシュラインである。自分勝手な理屈を振り回すヒロトを相手に、遠慮もいらない。自然口調は厳しいものとなった。
「あんたと私たちが似たようなものですって?笑わせないで欲しいわね」
むっとして何かを言い返しかけたヒロトを、絶妙なタイミングで遮ってシュラインは続ける。
「例え行き着くところが同じでも、それらがすべて一括りに定義出来るものではないのよ」
たとえばパンを手に入れるのでも、店から盗むつもりか、金を払って手に入れるつもりかで、その意味は大きく変わってくる。
ヒロトが言うように、たとえ悪人を捕らえる為でも、無断でビルに乗り込めば不法侵入になるだろう。何かを壊せば、それは確かに器物破損という罪名がつく。だが、それを指してヒロトとシュラインたちが同類だと決め付けるのは性急だ。
そこに正当化や偽善という落とし穴があることは否定できないが、ヒロトとシュラインが決定的に違うのは、何を為そうとしているか、という点である。
「憎いから、邪魔だから殺すなんて幼稚な理由をつけているあんたと、他の人を一緒にしないでもらいたいわ」
言い放ちながら、身体に回した腕の下で持参した麻酔針を手に握る。ヒロトに隙が出来れば、それを使って彼の動きを止めるつもりだった。しかしその為に、まずはヒロトをビルのはずれから誘き出さなくてはいけない。
(怪我なんかしたら、また何か言われそうだけど、ねぇ?)
シュラインとしては、手足の一、二本に怪我を負うくらいの覚悟はあるのだ。ちらりと相手の顔を思い描いて気が咎めたが、だからといってみすみすヒロトを逃すわけにもいかない。やはり、ヒロトを激昂させて注意をひきつけ、隙を突くのが一番だろうというのが、彼女の出した結論である。
シュラインの挑発に憤慨した様子で、ヒロトは足を踏み鳴らした。
「幼稚?!みんなそうだろうが。あんただって思うだろ?あいつが邪魔だ、いなくなってしまえばいい、ってさ。ようはそういうことなんだ。人間は、誰かを犠牲にして幸せになるんだよ」
震える人差し指をピタリと向け、ヒロトの瞳が狂気と強い意志を持ってシュラインを射抜く。
「誰もがあんたみたいに思っているというの?良心と一緒に想像力も欠如してるのね」
一対の瞳が持つ狂気と妄信に飲み込まれないように気を引き締めて、シュラインはヒロトを見つめ返した。
「ハンドルネームの癌そのものじゃない。貪欲に健康な細胞を破壊し続けて。悪影響しか及ぼさないのね」
「お前が!…お前が、他の人間にとって害のない存在だなんて、間違っても思うなよ…!」
噛み締めた歯の間から、ヒロトは言葉を搾り出す。興奮しているのか、息が荒い。敢えてシュラインは平然とした態度を取って見せた。
「あんたよりはマシよ。それに、これ以上近づいたら飛び降りてやるですって?誰にものを言ってるの?この場合、誰がそれを言っているのかも、教えてあげたほうがいいかしら?」
「………」
憤怒の形相にヒロトの顔が歪んだ。キラリと、ヒロトの手の中でナイフが夕陽を反射する。前に進みたがらない足を無理に押し出して、シュラインはヒロトに一歩近づいた。
「あんたは、癌そのものよ。その癌が飛び降りて死んで、喜びこそすれ、困る人間がいると思っているの?ちょっとマスコミに騒ぎ立てられたからどうだっていうの。あんたは誰からも恨まれている犯罪者なのよ。メディアは、あんたのことをかわいそうな被害者だなんて書いてはくれないでしょうね」
それとも、とヒロトを誘うように、シュラインは両手を軽く広げてみせる。発した声は、がらりと調子が違う。それは、シュラインが模写した、岡部ヒロトの声そのものだった。
「せっかくだから、あんたが泣き叫んで許しを請う声でも、テープに録音してマスコミに送りつけてあげましょうか?」
嘲るように、シュラインの口からヒロトの声が発せられる。歯を軋ませて、ヒロトが頬をゆがめた。
「死にたいらしいな…!」
「あら、足を滑らせてそこから落ちてくれるんじゃなかったの?」
売り言葉に買い言葉ですかさずシュラインが言い返すと、ヒロトは言葉にならない咆哮を上げて、シュラインに飛び掛ってきた。
ギラリと、シュラインの頭上でナイフの切っ先が光る。振り下ろされようとする腕を必死で掴んで、シュラインはヒロトの懐に飛び込んだ。緊張で汗ばんだ手の中に用意していた麻酔を、ヒロトの身体へと突き立てる。
自分にも衝撃が襲ってくるだろうと、覚悟してシュラインは身体を硬くしたが、いつまで立っても、ナイフが身体に突き立てられる感覚はやってこなかった。かわりに、ずるりとヒロトの身体が力を失ってシュラインに凭れかかって来る。
ヒロトの重みでバランスを崩しかけたシュラインの腕を、脇から誰かが支えた。同時に、力なくくず折れるヒロトの襟首を、無骨な手が掴んで繋ぎとめる。
襟首を掴んだ手を持ち上げ、ヒロトの意識の有無を確かめているのは、太巻だ。ヒロトの身体に刺さったままの麻酔針を確認して、太巻はヒロトをコンクリートの床に落とした。足元には、ヒロトが握っていたナイフが、打ち捨てられて転がっている。
「無茶しやがるなぁ」
と、むしろ感心したように太巻は言ってシュラインを振り返った。

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薄暗くなりかけたビルの屋上で、ヒロトは仰向けになって目を閉じている。
「飛び降りられたらどうしようかと思ったけど」
呟くように、シュラインは言った。殺す気は全くなかったのだ。死ぬことで、何かがきちんと償えるとは思わない。
「飛び降りてみせろって、言ってなかったか?」
揶揄するように言った太巻を軽く睨んで、シュラインは首を振る。
「岡部ヒロトは、あるべき手順で罪を晒し、償うべきでしょ」
たとえヒロトが、手順も道徳も、法律も無視して罪を犯してきたとしても。それを裁く者が、ヒロトと同じように決まりを無視し、主観でヒロトを断罪することはできない。
人には、理性によって欲望を抑える稀有な才能が備わっている。だからこそ、人は自らのうちなる獣を抑え、道徳と法に則った行動を取る、義務があるのだ。
私利私欲だけで動き、道徳も法律も無視していたのでは、それは獣と変わらない。人が人である以上、岡部ヒロトも、人の基準によって裁かれなくてはならないのだ。
「ただ……彼が反省とは無縁の精神・神経構造だとすると」
シュラインの言葉を聞きながら、ふかりと太巻はタバコを吹かす。
「また彼が同じような犯罪を犯そうとした時に、被害者の顔を、彼自身が大切にしているものの姿にして映し出すことは出来ないかしら?」
「ああ……」
できないこともないこともない、と、らしくもなく歯切れの悪い返事を返して、太巻はそっぽを向いた。
怪訝に思いながら、シュラインは太巻を見る。
「なら、その術を彼に施してくれない?」
「えー………」
子供のような文句を言って、太巻は中々動こうとしない。一体何が問題なのかと、シュラインが太巻に問い詰めようとした時である。背後から声が聞こえた。
「アンタ。子供みたいなワガママ言って、他人様を困らせるんじゃないよ」
いつの間にやら背後に立っていたのは、緩やかに波打つ金の髪を腰まで流した白人女性である。年のころは不明だが、落ち着いているせいか、シュラインよりは年上に見えた。緑色の瞳をシュラインに向け、彼女は艶然と微笑む。
「この人の言うことは気にしなくていいからね。このボウヤの処理は、私に任せてくれればいい」
この人、と太巻を呼び、ボウヤ、とヒロトの顔を見下ろす。冴えた色の瞳に宿ったのは、憐れみだったのか、嫌悪だったのか、シュラインには今ひとつ判別しない。
岡部ヒロトは多くの人の命を奪い、沢山の人間の激しい感情を一身に集めた青年だ。狂気の宿った瞳の光も、人の気持ちを煽る表情も今はなく、彼は静かに眠り続けている。


□―――夕暮れ(回想)
父と母がぼそぼそと話をしている。まだ小さかった彼は廊下に突っ立って、子どもながらに両親が真剣な話をしているのだと理解して、台所に入っていきかねていた。いつも彼を竦ませる母の鋭い声が聞こえる。
「だからね、あなた。お義母さんいつになったら死んでくれるの?」
「さあな」
「さあなじゃないわよ!あたしたちにいくらも財産を残してくれないっていうのに、このまま生きられたんじゃ金食い虫よ」

そして、沈黙が忍び寄ってくる夕闇のように家に満ちた。それが少年が大好きだったおばあちゃんに関することだと分かったので、彼はじっと息を詰めて立ち尽くしていた。少年の祖母は、このところぼうっとしてばかりいるようになった。少年が声をかけても、上の空でどこか遠くを見つめている。
少し前は少年の手を引いて散歩に出かけて、駄菓子屋でお菓子を買ってくれたりしたものだ。祖母がそうして買ってくれる、小さな容器に入った白い粉末や、イカの干物が、少年は大好きだった。
そういうことを、気がつけばもう長いことしてもらっていない。祖母は宛がわれた和室に万年布団を敷いて、そこに寝たきりになって久しい。少年は中に入れてもらえず、たまに母の鋭く祖母を罵る声を遠くから聞くだけだ。そのたびに、怖くなって少年は必死で祖母の無事を祈った。幼い少年で感じ取れるほど、母は祖母を嫌っていたのだ。

「…保険金が」
ボソリと父親の低い声がする。
「母さんが死ねば、保険金が下りる」
また、しんと静まり返った。体重が移動して廊下が音を立てないように、彼は身動きするのも必死に我慢した。言い訳めいた母の声が、そのときばかりはさすがに少し後ろめたそうに聞こえる。
「だって、ねえ。ヒロトの学費だってあるし」
「…そうだな。可愛い孫のためなら、あの人も本望だろう」
「そりゃそうよ。年を取って何の役にも立たないんだから、それくらいしてもらわないと」
お互いが互いを奮い立たせるように、両親は声を潜めてそんな言葉を交し合っていた。

その会話が持つ意味を、まだ小さかった少年は知らなかった。
それから間もなく祖母が死に、少年を撫でてくれる暖かい手も、飴をくれる優しい眼差しも、ふっつりと途切れてしまった。
父も母も、祖母が逝去してからは酷く晴れ晴れとした顔をしていた。新しい家も買い、まるで人が変わったように生活習慣がかわり、服装が変わった。学校も、通いなれた公立校から、電車を乗り継いでいかなくてはいけない私立の学校へと変わってしまった。
それ以降の母の口癖は、「あなたのためなんだから」というものである。少年は何年もそれを聞かされて育ち、知らぬうちに、その言葉を祖母の死の間際に両親が交わしたあの恐ろしい会話へと結び付けていった。
けれどやがてはそれも内に含んだ狂気のなかに消えていった。
岡部ヒロトは、そうして大人になった。
しかしそれも、もはや誰も知ることのない物語である。



獣の棲む街. END



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 ・0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
 ・1549 / 南條・慧 / 女 / 26 / 保健医
 ・1493 / 藤田・エリゴネ / 女 / 73 / 無職
 ・0461 / 宮小路・皇騎 / 男 / 20 / 大学生(財閥御曹司・陰陽師)
 ・1252 / 海原・みなも / 女 / 13 / 中学生
 ・1564 / 五降臨・時雨 / 男 / 25 / 殺し屋

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NPC
 ・太巻大介(うずまきだいすけ)/ 男 / 不詳 / 紹介屋 
 ・マリア・ガーネット/ 女 / 自主規制 / 人妻
  催眠術を使う白人女性。ヒロトに催眠暗示をかけるためだけに登場。
 ・岡部ヒロト/ 男 / 21 / 連続猟奇殺人事件の犯人として逮捕される。やや幻影を見る傾向があるようだが、責任能力がなしとは判断されず、現在公判待ち。
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■         ライター通信          ■
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お待たせしました〜!微妙〜にお届けに時差があって申し訳ないです。獣の棲む街、後編のお届けです。
長く・暗く・救いがない、三拍子そろった話ですが、見捨てないで付き合っていただいて本当にありがとうございます!最初っから最後まで、楽しんで書かせていただきました。
シュラインさんの舌鋒も、個人的に書いていてすごく楽しかったです。読んでいても楽しかったです。
文を読んだ後に、「そこまで言ってないよ!」なんて事になっていないといいんですが。
あっ、後日談ですが、来週末以降で……細々と受注をオープンしようと思っています。後日談がなくてもどうってことないので、「もうやってられるか!」と思っていたら爽やかに無視してやってください。

ではでは、本当に長いストーリー、付き合っていただいてありがとうございました!
またどこかで見かけたら、気まぐれに声を掛けていただけると幸いです。


在原飛鳥