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■光、再び■

久我忍
【0446】【崗・鞠】【植物遣い】
 全ての芸術は模倣に始まる――。


 久世俊光という名の画家がいた。かつて他者の『死の瞬間』を描くことを目的とし、そのために他者の命を奪い続けた狂気の画家が。
「最後の作品は、確かまだ見つかってはいない――そうでしたね?」
 草間興信所を訪れた夫人は、久世千秋と名乗った。久世俊光の妻であった女性は、草間の言葉に深く頷く。だが何故か彼女は落ち着きがなく、どこか不安げな様子だ。
 久世俊光最後の作品。それは噂に寄れば『久世俊光の死』というタイトルの油絵らしい。だがその油絵が実際に人々の目に触れることはなく、最近では存在すら危ぶまれているというものらしい。
「絵が、送られてきたのです――……」
 震える声で、夫人が言った。
「絵、ですか」
「――あの人の、最後の作品です。間違いありません。あの作品は間違いなく、主人の最後の作品です。それが、先日私へと送られてきたのです」
「今まで行方の知れなかった絵が戻ってきたのならば、それは喜ぶべきでは?」
「ただ絵が戻ってきただけならばそうでしょう……けれど絵の差出人の名は、主人の名だったのです……主人は死んでしまった。私はそれを知っています。それなのにどうして、何故今になって……!」
 成程、と草間は思う。確かにそれは妙な話だ。
 そもそも、久世俊光という画家はかつて、彼自身が設計した美術館の地下にて殺戮を繰り返し、最後には自身の死を封じていた絵を――『久世俊光の死』というその絵を燃やされたときに既に消滅している。かつてその依頼に関わった人々からそれを聞いていた草間は、彼の最後の作品と久世という画家が存在しないことを知っていた。
 にもかかわらず、ある筈のない絵は送られていた。存在する筈のない男によって。
「どうか、この絵の送り主が誰であるのかを調べて下さい――もしも、もしもまだ主人がどこかを彷徨っているのであれば……どうか、その時は……」


 夫人の依頼を受けることにした草間は、久世俊光の作品を数点展示しているという美術館にて死者が発見されたことを知った。
 その美術館は、かつて久世が事件を起こした場所であり、彼の死後に画壇に認められた傑作『光』が展示されている美術館である。
 そして、かつての事件と同じように、美術館には新たな絵が一枚増えていたのだという。
 そう、美術館で発見された死者の最後の瞬間を描いた絵画が一枚。
「最近、事件のせいもあって美術館を訪れる人が多くなったんです。中には毎日毎日久世俊光の絵を見にいらっしゃる方もいる位で――けれど、本当にあの久世画伯なのでしょうか?」
 美術館の学芸員である目黒理沙は告げる。
「この事件の調査を依頼したいのですが――受けて頂けますか?」




■ライターより
 以前にゴーストネットで募集した依頼『光』の関連シナリオになりますが、『光』での出来事や結果は全てこの依頼文にて書かれているので、以前の依頼に参加した方でなくても全く問題なく参加して頂けると思います。

 
光、再び


 全ての芸術は模倣に始まる――。


 久世俊光という名の画家がいた。かつて他者の『死の瞬間』を描くことを目的とし、そのために他者の命を奪い続けた狂気の画家が。
「最後の作品は、確かまだ見つかってはいない――そうでしたね?」
 草間興信所を訪れた夫人は、久世千秋と名乗った。久世俊光の妻であった女性は、草間の言葉に深く頷く。だが何故か彼女は落ち着きがなく、どこか不安げな様子だ。
 久世俊光最後の作品。それは噂に寄れば『久世俊光の死』というタイトルの油絵らしい。だがその油絵が実際に人々の目に触れることはなく、最近では存在すら危ぶまれているというものらしい。
「絵が、送られてきたのです――……」
 震える声で、夫人が言った。
「絵、ですか」
「――あの人の、最後の作品です。間違いありません。あの作品は間違いなく、主人の最後の作品です。それが、先日私へと送られてきたのです」
「今まで行方の知れなかった絵が戻ってきたのならば、それは喜ぶべきでは?」
「ただ絵が戻ってきただけならばそうでしょう……けれど絵の差出人の名は、主人の名だったのです……主人は死んでしまった。私はそれを知っています。それなのにどうして、何故今になって……!」
 成程、と草間は思う。確かにそれは妙な話だ。
 そもそも、久世俊光という画家はかつて、彼自身が設計した美術館の地下にて殺戮を繰り返し、最後には自身の死を封じていた絵を――『久世俊光の死』というその絵を燃やされたときに既に消滅している。かつてその依頼に関わった人々からそれを聞いていた草間は、彼の最後の作品と久世という画家が存在しないことを知っていた。
 にもかかわらず、ある筈のない絵は送られていた。存在する筈のない男によって。
「どうか、この絵の送り主が誰であるのかを調べて下さい――もしも、もしもまだ主人がどこかを彷徨っているのであれば……どうか、その時は……」


 夫人の依頼を受けることにした草間は、久世俊光の作品を数点展示しているという美術館にて死者が発見されたことを知った。
 その美術館は、かつて久世が事件を起こした場所であり、彼の死後に画壇に認められた傑作『光』が展示されている美術館である。
 そして、かつての事件と同じように、美術館には新たな絵が一枚増えていたのだという。
 そう、美術館で発見された死者の最後の瞬間を描いた絵画が一枚。
「最近、事件のせいもあって美術館を訪れる人が多くなったんです。中には毎日毎日久世俊光の絵を見にいらっしゃる方もいる位で――けれど、本当にあの久世画伯なのでしょうか?」
 美術館の学芸員である目黒理沙は告げる。
「この事件の調査を依頼したいのですが――受けて頂けますか?」


++ 『久世俊光の死』 ++
「そーいやそんな名前のハタ迷惑な画家がいたわねーうん」
 草間興信所にて、相変わらず不精面の草間武彦より依頼内容を聞き出した村上・涼(むらかみ・りょう)は腕を組み、斜めに宙を見上げている。
「駄目だよなー。あれだけ鞠たんが説明してもまだ分からねーんだもんな。きっと馬鹿なんだ。馬鹿」
 涼の隣では、やはり来客用のソファにふんぞり返った橘神・剣豪(きしん・けんごう)が、やはり涼と同じようなポーズで同じような表情をしてうんうんと頷いている。
「知ってるか? 馬鹿は死なないと直らないんだぞ大変だよな!」
「死んで直るなら久世って画家ももう直っててもいいんだけどねー。死んでも直らないのかもしれないわねー馬鹿は」
「直らないならもっと大変だよな!」
「大変よねー本当に
 どうやら二人は珍しく意見の一致を見ているらしい。
「その絵は、今は久世画伯の奥様のところにあるのですか?」
 小さく首を傾げたのは崗・鞠(おか・まり)だ。すると草間が渋い顔で頷いた。
「ああ――そっちは今頃あたっている筈だ」
「シュラインさんですか?」
「絵が送られたときの送り状の筆跡やら、いろいろ調べたいことがあるらしい」
「送り状あるなら、そこから荷物の出所は分かるんじゃない? エマさんならそこらへんもぬかりはないと思うけど――となると、美術館?」
 既にこの面子は何度となくシュライン・エマ(―)と共に依頼にあたったことがある。彼女の手腕は知っているし、そして信用もしていた。
「そうですね――後ほど、向こうの調査の結果を聞いてみればすみそうですし。先にそちらを済ませてしまった方が効率はいいかもしれません」
「そろそろ昼だしな! 昼メシだしな!」
「いやソレ超関係ないし」
「だってメシだろ。昼だしな! びじゅつかんとかに行く途中でレストランとかに寄るといいと思うぞ俺は!」
 天井近くの壁にかかった時計で、時刻を確認する剣豪はわくわくと目を輝かせている。
 かつて久世俊光が凶行に及んだ美術館は、三人とも訪れたことがあった。
「ご飯はともかくとして、いつまでも辛気臭い事務所にいるのもアレだし出ましょーか」
 いつも必ず一言多い涼の言葉に、草間が抗議の意味を込めてじろりと視線を送る。だが涼はどこ吹く風といった様子で鞠と剣豪の腕をとって背を向けた。
 そして当然、最後にちらりと振り返るのも忘れない――それも勝ち誇ったような顔をして。
「エマさんでもいえば華やかなのにねー、おっさん一人じゃねー」
「……とっとと行け」
 涼を見送ったのは、苦々しい草間の呟きだった。


「メシ〜ごはん〜美味い〜♪」
 怪しげな鼻歌などを歌いスキップでも踏みかねないほどに上機嫌の剣豪を筆頭に、涼と鞠はいささか不安を覚えつつも問題の美術館へと向かう。幾つかの電車を乗り継ぎ、そして最寄駅の改札を抜けたところで涼の携帯が鳴った。
 ディスプレイに表示された名前は、つい先ほど草間興信所にて話題に上っていた人物――シュラインである。おそらく向こうは向こうで、何らかの進展があったのだろう。
 通話ボタンを押してみればやはり予想通りで、既に久世画伯の自宅を訪れていたシュラインたちは、そこで絵が送られてきたときの送り状の筆跡が、久世画伯のものではなかったこと。そしてシュラインと同行していたウィン・ルクセンブルグ(―)の所有するサイコメトリーという特殊能力により、絵を梱包した人物の右手首には黒子があること、さらに送り状から荷物が受け付けられた店舗のことが判明したという連絡を受けた。
「荷物受け付けた店が、なんかこの近くらしーけどついでに寄ってく?」
 電話の向こうで、荷物を受け取った人に話を聞いて欲しいって言ってたし――涼が携帯をバッグにしまい込みながら鞠のほうを振り返る。
「…………」
「…………」
 困ったような笑顔の鞠と、どこか恨みがましい眼差しの剣豪。
「……何よ一体?」
 なんとなく、鞠が何に対して困っているのか、そして剣豪の眼差しの理由が分かるような気がしないでもない。だが――涼はあえて問いかけた。
「……昼……」
 しばしの沈黙があった。涼と剣豪はじりじりと互いの様子を伺っている。その表情はといえば両者ともに真剣そのものだ。だから困る。
 いつもならば果てしなく泥沼化しても全くおかしくはない状況である。鞠はさてどうしたものか、と無言で思案する。
 このまま放置しても確かにけりはつくことだろう。だがそれには膨大な時間がかかることは過去の経験によって明白である。そうなるとやはりただ傍観しているわけにもいくまい。
「……剣豪、依頼料が入ったら何か買うと言っていませんでしたか?」
「おう! よくぞ聞いてくれた鞠たん! 今テレビでよくやってるメシが食いたいって思って大事に貯金してるんだ貯金!!! 偉いだろ俺!」
 ちなみに剣豪の言う『メシ』というのは、どうやら新発売のドッグフードの類であるらしい。
「ならば少しでも早く依頼を解決するべきです。幸いこれから向かうのはコンビニですから、レストランほどではないにしろ、いろいろな種類の食べ物が置いてある筈ですし、それで我慢しませんか?」
「我慢する。鞠たんがそー言うなら俺我慢するぞ偉いよな!」
 もしもこの説得を行ったのが涼であったならば、おそらくこれほどに簡単に剣豪が意見を覆すことはなかったに違いない。
「まったくコロコロと態度を……!」
 涼は拳を握り締めたが、せっかく鞠が説得したその行為を無駄にするわけにはいかない――そう考えて、ここは人間らしく大人らしく寛大な態度で許そうと自分に言い聞かせ、気持ちを切り替えることにする。
「なあなあコンビニってこっから近いのか?」
 涼の胸中での葛藤を知ってか知らずか、剣豪は鞠に説得された(構ってもらえた)のが余程嬉しいのか、にこにこと上機嫌である。戦闘意欲を削がれた涼は、やや脱力しつつも頷いた。
「例の美術館から歩いてすぐよ――ちょうど駅からなら通り道だし」
「同じ人物だと思いますか――?」
 鞠が問いたいのは、絵を夫人に送った人物とあの久世画伯とが同一人物であるか否かということなのだろう。
 数歩先を率先して歩いている剣豪の背を眺めながら、涼は小さく首を傾げた。
「さあ……でも送り状の筆跡は別人らしーし」
「不自然さを感じます。確かに自らの信念を――それが良いものであれ悪いものであれ、貫き通そうとした方にとっては、無念の残る終わり方だったのかもしれません。けれど、『どこが』と問われても明確には答えられません。けれど明らかに、不自然さを感じます」
「どっちかっていうと――別人って考えるほうが自然なのよね。どっちみち荷物を受け付けたって店で話を聞いてみればはっきりするんじゃない?」
 ホラ見えてきたし――。
 続けられた涼の言葉に、鞠が視線を上げる。
 全国チェーンのそのコンビニエンスストアは、どの店舗も店内の作りなどは一緒のようだ。自動ドアの前でぶんぶんと手を振る剣豪に、鞠は小さく手を振り返した。


 この店から送られた荷物について訪ねたいと告げると、店員はあからさまに怪しげな視線を三人へと向けた。だが店内に足を踏み入れたその段階で、既に剣豪は昼食を物色し始めていたので、正確に記述するならば話を聞いたのは『二人』である。
 都内のコンビニで、絵画のような荷物が発送されるというのはやはり珍しいパターンらしい。そして珍しければ珍しいほどに、人の記憶には残るものだ。週に三日ほどこの店でアルバイトをしているという大学生は、渋々と語り出す。
「やけにデカい荷物だなーとは思ったんですよ。確かにいろんなモノ送る人がいますけど、品名のところに『絵画』っていうのはやっぱり珍しいですし、荷物を持ってきた人とモノとのギャップも結構あったりしたんで――」
「送り主はどんな方でしたか?」
「どんな方っていうか、常連――というほど親しくもないですけど、毎日ここ来ますよ。昼時にここ来ては、簡単なモノ……弁当とかお茶とか買ってくんですよ。働いてる様子はないし、余裕ありげな人ですよね。今日も来るんじゃないですか。あと一時間くらいしたら」
 一時間――店内の時計を見上げた後で、鞠は問いかけるような視線を涼へと向ける。
「待つ、のはちょっと辛いわよね」
 待てなくはない――だがここで無駄な時間をとりたくはない。そしてただ店内でぶらぶらするというのも店の邪魔になる気がする。
「美術館に行ってみませんか? 調べたいこともありますし」
 以前、久世俊光が事件を起こしたその時、鞠に警告を発したのは美術館に植えられた植物たちだった。
 鞠はもう一度、彼らに話を聞きに行こうと考えていたのだ。
「そね。それにあのまま放置しといたら、幾ら使わないとならないのか想像つかないわよ」
 経費じゃ足りないかもよ? と言葉を続けた涼の視線の先では、赤い買い物カゴを手にした剣豪があれもこれもと品物を景気良くカゴに入れている。
 なにはともあれ、美術館に向かうよりも先にしなくてはならないことがある。涼と鞠は互いに視線を交わしあい、歩き出した――剣豪の元へ。
 そう、あの買い物カゴの中身を、せめて半分にまで減らさなければならない。それはそれで二人にとってかなり切実な、もう一つの戦いであった。


++ とりつかれた男 ++
 駅から美術館まではほぼ一本道である。大きな鉄製の門は両脇に開かれており、地面はアスファルトから一つ一つの色が微妙に異なる煉瓦に似た石を敷き詰めたものへと変化していた。
 美術館の建物自体はさほど広いというわけではないが、庭にはさまざまな木々や花々が生い茂り、ちょっとした散歩コースなども儲けられている。
「やっぱり木とかあると涼しーわよねー」
「昼寝とかしたら、きっと気持ちいいなココ」
 大きく伸びをした涼の隣では、剣豪が涼しい風に気持ちよさげに目を閉じている。そんな二人を尻目に、鞠は花壇の花々の前で膝を折ってしゃがんでいた。小さく、口の中だけで囁かれる言葉は涼や剣豪に向けられたものではない。それは彼女の視線が向けられたその先にあるもの――色とりどりに咲き乱れる花に向けて放たれた言葉だった。
「久世画伯のことは覚えていらっしゃいますね?」
 花々が囁く。あぶないよ、あぶないよ――風に乗った声は優しく鞠の耳へと届いた。
 やわらかな警告の声。小さな囁きは幾重にも重ねられてゆく。
「奥様の元に送られてきた絵について、ご存知ですか?」

 あぶないよ。あぶないよ。

 子供の囁きのようなざわめき。
『恐ろしいね、恐ろしいね』
『美を求めるものの妄執には、そら恐ろしいものがあるね』

 あぶないよ。あぶないよ。

『誰のほかの『誰か』になんて、なれはしないのに――』

 鞠はふと、目を細めた。
 他の誰かになどなれない――花が残したその言葉。
 それは、もしかして。
 やはりこの事件は、久世画伯の起こしたものではなく――もっと別の誰かのものであるのではないかと、鞠は思う。
「どう?」
 問いかける涼に、鞠は首を横に振る。
 花々は助言をしてくれている――だがそれがこちらには明確に伝わらない。形をなさない言葉の意味――誰も他の誰かになどなれないという言葉。それは鞠に予感のような何かを感じさせはしたが、それは確証ではない。
 花壇の真ん中に立つ時計に視線を向ける。そろそろあのコンビニエンスストアに、問題の男が現れる時間だった。


 どうやらその男と接触を取ろうとしていたのは、涼たちだけではなかったようだ。
 シュラインとウィン、そして海原・みなも(うなばら・みなも)たちは美術館で男の姿を見つけ、ずっとこの店まで後をつけてきたらしい。どうやら美術館からこの店舗へ――というのは男の日課のようだ。
 全員が揃ったところで、さてどうしよう――と互いに顔を見合わせる。この場で接触を取るというのも手段の一つではあるが、誤解だと主張されればそれまでだ。せめて彼の後をつけて、自宅なりを把握しておこう、ということでほぼ満場一致で尾行を続行しよう、という方針が打ち立てられた。
「名前は、榊健太郎。美大を出たてのころは、普通の絵を描いていたみたいだけれど――ここ数年ね、彼が贋作作家に転向したのは」
 シュラインが読み上げる男のプロフィールは、美術館の学芸員である目黒理沙が調べてくれたものだ。とはいってもやはり時間がなかったために、簡単な経歴くらいしか分からなかったようだが。
「どこに向かうつもりでしょう……?」
 先行している剣豪の様子を見守る鞠が誰にでもなく問いかけた。
 とてとてと、軽い足音を立てて榊を追いかける剣豪は犬の姿を取っている。なににしろシュラインたちの集団は別な意味で目立つのは確かだ。となるとやはりある程度の距離を取らない訳にはいかないであろうし、距離を取るということはそれだけ榊を見失う確立が上がることも意味する。
 そして考案されたのが剣豪を先行させるという案だった。
 案というよりも、涼が『行け犬! 可愛らしい犬を演じてぴったりマークするのよ!』などと高らかに命じ、鞠が後押ししてお願いした、というだけなのだが――ちなみにシュラインたちの集団が目立つ要因となったのは、明らかにその時の、剣豪と涼の言い争いが元凶であることは言うまでも無い。
 男が最終的に辿り着いたのは、町外れにある古い洋館だった。
 錆びた鉄の門。蔦の絡まったレンガ造りの赤い建物。敷地内には腰近くまで伸びた雑草が所狭しと生い茂っている。
「ふ……断然好都合ね」
「好都合、ですか……」
 何故か腰に手をあてて誇らしげに胸を張っている涼に、多少の疑問を覚えた鞠が呟く。すると涼が強く首を縦に振った。
「だって見てみなさいよコレ。隠れ放題よ? もう不法侵入してくれって言ってるようなモンだわラッキー」
「流石にそんなことは考えていないと思うけど……でも古くて家の作りもしっかりしてるみたいなのに……ロクに管理されてないのかしら」
 不思議そうに呟いたシュラインがそうっと敷地内へと足を踏み入れる。その後に続いたみなもも首を傾げた。
「庭もこの状態ですし……この屋敷に住んでいるのって、もしかしたら榊さん一人なのかもしれませんね」
「そうね。誰かいたらここまで雑草ほっといたりしないでしょうし」
 少なくとも自分ならば耐えられずに、草むしりに精を出してしまうに違いない――そんなことを思いながらシュラインが振り返ると、ウィンが右手にある小さな建物を指差した。
「アトリエは多分向こうの建物じゃないかしら?」
 鉄の、蔦のような意匠を凝らした門から敷地内に足を踏み入れ、すぐ右側に小さな建物。それは正面に見えるそれと同じく煉瓦造りの建物であったが、都心の一軒家程度の広さであるようだった。
 剣豪は背の高い雑草の中に埋もれながらも、くんくんと鼻を空に向けて動かしている。
「ん。美術館と同じニオイがするから俺もきっと向こうだと思う」
「どうしますか?」
 剣豪の言葉を受けて、鞠が問いかけると、すかさず涼がよどみなくごくごく当然のように口を開く。
「皆で踏み込んでボコって押さえつけて白状させて終わり。あ、警察連れてかないと駄目?」
「駄目ですね、多分」
「でも多少順番かわってもきっと怒らんないと思うけど」
「怒られなくても、取調べは受けるかもしれませんね」
「げー最低。じゃボコるのはやめねやめ!」
 ぶんぶんと首を左右に振る涼に笑みを含んだ眼差しを送るウィン。その耳元に、シュラインが囁く。
「人がいるわ――例の建物の中」
 夕日の光を淡く反射させる窓は、長いこと手入れされていないのだろう――隅に埃が積もっていた。ウィンは足音を立てないようにと注意を払いながら、その窓へとそうっと歩み寄る。
「見えない! 見えないぞ俺が!」
 犬の姿を取っている剣豪にとっては、この窓の位置は高すぎたらしい。じたばたと悔しそうに暴れる剣豪を鞠が抱き上げると、途端に彼は大人しくなった。
 みなもがそっと窓から中の様子を覗き込んで、息を呑んだ。
 両手足を縛り上げられた少女の姿が、そこにはあった。
 少女は後ろ手に両手を縛られ、さらに足首をも拘束された状態で床に転がされていた。口にはガムテープが張られて声すら出せないようだ。おそらくあれは少女が助けを求めるために大声を上げられぬようにとのことなのだろう。
 大きく見開かれた目には、ありありと恐怖の光。
 少女に歩み寄り、そしてその眼差しを覗き込むようにしてしゃがみ込んだ榊は、パレットナイフを手にしている。
「何を恐れることがあるんだい」
 憎しみも哀しみも絶望も希望も、何も感じられぬほどに淡々とした言葉。それは床に転がった少女に向けられたものだった。
『何を恐れることがあるんだい。きみの死は絵画として描かれ、永遠を得るだろう。そして私はより近づくことが出来る。久世俊光という禁忌を犯したが故に偉大なる画家にね』
 倒れたイーゼル。放り出されたキャンバスは鋭い刃物で切り裂かれた跡が見え隠れする。二つにへし折られたままのパレット――どこかが、あるいは全てが、歪んでいた。
「拙いんじゃないかしら……」
 ウィンの言葉に誰も反論することは出来なかった。
 彼の言葉を聞く限りでは、とうていこの先に穏便な展開など期待することはできない。
「どうしますか――?」
 鞠が問いかける。その腕の中から脱出しようと剣豪がばたばたともがいていた。
「どうするもナニも、危ないんだったら助けりゃいいんだよ!」
「――そーよね。そうなのよ。うん。珍しく犬と意見の一致をみたわ。うん珍しく」
「犬じゃねえって言ってんだろ噛むぞ!」
「うるさい! 行くわよ」
 鞠の腕の中から剣豪をかっさらい、涼がアトリエの入り口のドアに蹴り込む。建物のつくりとは裏腹に、ドアや窓はかなり脆いらしく中に入るのに苦労はなかった。
「見ていても仕方ないのは確かだけど……もう少し地味に出来ないかしら、地味に」
 溜息まじりにシュラインが呟く。だがいつまでもそうしてはいられない。
 みなもとウィン、そして鞠を促してシュラインも涼たちの後へと続いた。


「あなたですね――」
 夕日が差し込む画材が散乱したアトリエに足を踏み入れた鞠は、じっと榊を見つめる。
「あなたが、あの絵を――」
「邪魔をしないで貰おうか」
 眼差しに宿る光に、みなもは思う。きっとこの榊という人物には、もはや自分たちの言葉は届くまい、と。
 何故ならそれは明らかに、決意して、そしていろいろなものを吹っ切ってしまった者の目であり、そういった覚悟じみた光の宿る瞳に見えたのだ。
「その人を解放してください」
「ならばきみが変わりになるかね? 何、恐れることはない。きみは永遠を得るだろう」
 みなもの要求に榊はまるで当然のようにそんな言葉を返す。
「永遠?」
 腕を組み、榊の言葉に耳を傾けていたウィンが壁から背を離した。その言葉には嘲るような響きすら感じられる。
 何が永遠なのだろうと思う。他者の人生を勝手に終了させてしまうような者に、永遠などというモノが描けるはずはない。そんなことは、断じてあってはいけない。
「あなたが書きたかったのはそんなモノなの?」
「久世俊光が描こうとしたものを知っているかい」
 シュラインは床に転がされたままの少女に歩み寄った。おそらく、少女を解放したところで、この男は激昂したりすることはないだろうという――確信があったのだ。
「形なきモノを、描こうとしたのよね――」
「そう。形なきものを描くことを目的とし、それはやがて人の生と死というテーマへと行き着いた。私は彼の所業を、彼の行いを、彼の芸術を追体験することで近づけると考えたのさ――分かるかい? 私は彼のようになりたかった。否――私は絵が描きたかった。人生を賭けてでも、心震えるような。私の心をふるわせた久世俊光が描くような、あの絵が」
「やっと、分かりました――」
 今は思う。久世俊光という画家は本当に、天才と呼ばれるモノであったのかもしれない、と。
 榊は絵が描きたかった、それは本当なのだろう。その手段は――目標とした久世俊光もそうであったが、決して褒められたことではない。けれど、誰かの人生にそこまでして影響を与えることが出来るという才能は、きっと稀有なるものだ。
「あの絵は、送りつけたあの絵はあなたにとっては『過程』に過ぎなかったのですね」
 鞠の静かな言葉――榊は満足そうに頷く。
「久世俊光の妻は、あの絵を『本物だ』と判断した。分かるかね? つまり私は近づきつつあるということだ――あの領域に」
 わなわなと歓喜に震える手。
「なんだ――つまんねーの」
 鞠たちと、榊の間――ちょうど中央に剣豪はいた。
 榊が不審な動きをしても、鞠を――そしてシュラインたちを守れるようにと、彼はそこにいた。
「前のヤツもそーだったけど、お前もいろいろ間違えちゃったんだな。誰だって他の誰かになんかなれる訳ねーのに」
 どれほど強く望んでも、どれほどの憧れをもってしても、他の誰かになどなることは出来ない。
 けれど、男は願い実行した。
「結局そーなんだろ? いろいろ言ってるけど、久世って画家のことが羨ましいだけなんじゃないのかよ。自分があんな絵が描けなくて悔しくて――だけどソレって違う。描けないなら描けるように頑張るしかないのに、そんなことしたって何も描けない。描けなかったからあんなふうにしちゃったんだろ?」
 剣豪の示す先には、切り裂かれたキャンバス。
「光は、届かなかったのかしら――」
 シュラインは何故か目の前の男に、哀れみを感じた。男はそれを望んではいないだろう――だが、久世俊光という画家の絵を見た時、あの時に感じた感情をシュラインは覚えている。榊ほどではないだろう――だが魅せられる気持ちは理解できなくはない。
「久世画伯は、確かに人の死を描くという暴挙に出た画家だわ。けれど、彼はそれと同時に形なきもの――光を描いた作品を残しているわ。あの作品は、届かなかったのかしら? あの作品を見て心震えることはなかったのかしら?」
 人の死の瞬間のみが、この人物を狂わせたとは到底思えなかった。
 榊は、シュラインの言葉に右手を額にあてて、低く笑う。よろめくようにして壁に背をついた榊が、肩を震わせて笑っている。
 それは奇妙な光景だった。
「《光》――か。あれは、私には描けない」
 遠く、視線を向けた先に榊は何を見ているのだろうか?
 壁に背をついたままで、ずるずると床に座り込む。視線は空を仰いだまま――だが天井に阻まれ空は見えない。
「だがあの作品こそが、私を狂わせたといっても過言ではない。教えてあげよう――私が最終的に目指したもの。それが《光》だ。私にはあれは描けなかった。私は久世俊光になりたかたったのではなく、《光》という作品を描いた久世俊光になりたかったというだけの話だ。だが気づいた――久世はあの作品を境にして人の死に執着を始める。つまり人の死を描いたからといってあれが描けるわけではない。あれは、奇跡のような作品だったのさ――」
 夕焼けが降りしきる。割れた天窓から夕日が緩やかに差し込み、アトリエを不可思議な光で満たした。それはある意味、別の《光》だったのだろう。確かに。
 みなもは、制服の胸元をぎゅっと握り締めた。
「誰も、他の人になんて――なれはしません……」
「無論――当然。当たり前すぎるほどに当たり前だよお嬢さん。だがね、誰が止められる?」
 そこにいるのは、道を究めんとする傲慢な芸術家などではなく。
 ただ手を伸ばしても、届かないことを知りながらもそれでも切望し願い続け道を踏み外した哀れな男で。
 榊は疲れたように、天窓からの光を仰ぎ見る。
「誰が止められるというんだい? 誰しも、他の誰かになりたいと思う瞬間は誰しも――そう誰しもだ、経験がある筈だよ。その思いを、どうやって止められるというんだい?」
 夕日の差し込む光景に、ウィンと涼は目を細めた。その耳に、榊の声が響く。
「私は《光》が描きたかったのだよ。どうしても――贋作作家として名を馳せた私にすら描けなかった、軌跡のような作品――奇跡そのもののような、あの作品が」
 涼は心の中で舌打ちした。だから――だから苦手なのだ。
「久世ってオッサンもそーだったけど、認めてくれる人はいたのよ。だけど自分だけがそれを認めなかったんだわ。久世も、キミもね」
 声は、届くまい。
 覚悟を決めてしまった者に、自分の声は届くまいと涼は思う。
「だから、人の話聞かないヤツって嫌なのよ――」
 苦々しい呟きは、榊には届かない。
 けれど、口にせずにはおれなかった。


++ 届かなかった光 ++
 榊健太郎が起こした一連の事件はマスコミを賑わせた。それは榊にとっては、自分の聖域を土足で踏みにじられるような耐え難い屈辱であったのだろう。彼はマスコミに対して一切の発言をすることはなかった。
 榊を狂わせた《光》という作品は、今もあの美術館にあるのだという。
 鞠は静かに溜息をついた。その様子を、少し心配そうな顔でちらちらと見やる剣豪。
「榊さんの描いた絵なのだそうです――」
 見せられた写真に、剣豪は目を丸くした。
 それは榊健太郎が贋作に手を染めるよりも昔に描いた一枚の作品。あのアトリエに降り注いだ夕日を描いたもの。
 イーゼルや、ところせましと並んだキャンバス。けれどその中央の空間だけは何も置かれることなく空いたまま――そう、そういえばこの上には、天窓があったのだと剣豪は思い出した。
 退廃的なゆっくりとした時の中に優しい、赤い光が差し込む光景。
 それはどこか懐かしい景色。
「――光だけど、光じゃないんだよな……コレ」
 剣豪の脳裏には、美術館に今も飾られている久世俊光の作品が、《光》が思い起こされていた。
 新緑の緑――降り注ぐ光を描いたあの作品。
 光を描いてはいる。けれどそれは全くの別物だった。だが、そのどちらが劣っていてどちらが優れているのか、それは剣豪には分からない。
「あの光も好きだけど、俺はこの光も好きだな。なつかしーカンジがする」
「そうですね――」
 彼は――榊という人物は《光》を描くことは出来なかった。だが、もっと別の何かを残すことは出来たのではないかと鞠は思う。そう――例えばこの写真に残る作品のように。


 芸術は模倣に始まり――そんな言葉があったことを思い出し、鞠は再び溜息をついた。
 芸術が模倣に始まるのならば、それはどこに還ってゆくのだろうか?
「――道を志す、人の中に」
 答えなのだろうか? それはまだ鞠には分からない。呟いた言葉が果たして正しいのか否かの判断ははまだ下せない。おそらくそれは皆が皆同じ答えを出せる類のものではない。けれど――思う。


 還ってゆけばいい。
 その、場所にこそ。



―End―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0381 / 村上・涼 / 女 / 22 / 学生】
【0446 / 崗・鞠 / 女 / 16 / 無職】
【0625 / 橘神・剣豪 / 男 / 25 / 守護獣】
【1252 / 海原・みなも / 女 / 13 / 中学生】
【1588 / ウィン・ルクセンブルク / 女 / 25 / 万年大学生】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちわ。毎度ありがとうございます久我忍です。
 以前に描いた《光》がかなり気に入っていたので、いつかあれに関連する依頼を描けたらと思っていたのですが、ようやく形になりました。あとはその形がいびつに歪んでいないことを願うだけです。まあ願ってるだけじゃ駄目なんですが。かといってこのシナリオに登場する芸術家サンたちのよーに間違えまくるのも考え物な訳ですが。


 ということで、次回はもー少し軽いノリの依頼をどこかにあげたいなぁ、とか思っておりますが、私のことなので相変わらず重い暗い話とかになるやもしれません。受注予定などはコミネットなどで事前に告知しますので、その時にはどうぞよろしくお願い致します。