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■殺虫衝動 『誘引餌』■

モロクっち
【1651】【賈・花霞】【小学生】
 あの接触から一週間。御国将は元気でやっていたし、彼の影も大人しかった。『平』からの音沙汰もない。
 しかし、実は将は困っていたところだった。『ムシ』の噂が見る見るうちに大人しくなりをひそめるようになり、それに伴って『平』の噂もまた消えつつあったのだ。
 本来なら喜ぶべきことだが、ここのところ血生臭い事件もまた姿を消していた。急に日本は平和になったのである。
 しかし、将やごく一部の人間の胸騒ぎは続いていた。
 これで終わったわけではない――
 胸を撫で下ろすのはまだ早い――
 将の影は、まだ揺らめいているのだから。
 そして、今まで消えてしまった人間が戻ってきたわけではないのだから。

 平から将のもとにメールが届いたのは、そんな矢先だった。
 いや、おそらくメールを受け取ったのは将だけではあるまい。将のメールアドレスは、いつの間にやらメーリングリスト『殺虫倶楽部』の末席に加えられていたのである。
 そのメールは、誘いであった。
 『今夜、お前を会合に招待する。是非来てほしい。刑事もお前を待っているぞ』。

 平が指定した場所は、港の近くの貸し倉庫だった。
 ……そういえば、一週間前に、埼玉県警の嘉島刑事が消えている……。
殺虫衝動『誘引餌』


■序■

  >差出人:平
  >件名:ようこそ

  >ウラガ君へ。
  >きみのムシを見た。それと、娘さんも。
  >面白い娘さんをお持ちのようだな。
  >だがとにかく、我々はきみを受け入れる準備を終え、
  >きみは我々と目的をともにする権利を勝ち取った。
  >おめでとう。『殺虫倶楽部』にようこそ。

 『平』からの歓迎メールが届いてから、早くも一週間が経っていた。御国将は元気でやっていたし、彼の影も大人しかった。あれから『平』からの音沙汰はない。
 しかし、実は将は困っていたところだった。『ムシ』の噂が見る見るうちに大人しくなりをひそめるようになり、それに伴って『平』の噂もまた消えつつあったのだ。
 本来なら喜ぶべきことだが、ここのところ血生臭い事件もまた姿を消していた。急に日本は平和になったのである。
 しかし、将やごく一部の人間の胸騒ぎは続いていた。
 これで終わったわけではない――
 胸を撫で下ろすのはまだ早い――
 将の影は、まだ揺らめいているのだから。
 そして、今まで消えてしまった人間が戻ってきたわけではないのだから。

 平から将のもとにメールが届いたのは、そんな矢先だった。
 いや、おそらくメールを受け取ったのは将だけではあるまい。将のメールアドレスは、いつの間にやらメーリングリスト『殺虫倶楽部』の末席に加えられていたのである。
 そのメールは、誘いであった。


  差出人:平
  件名:招待状

  ウラガ君へ。
  待たせてすまなかった。
  今夜、きみを会合に招待する。是非来てほしい。
  刑事もお前を待っているぞ。
  場所は晴海埠頭近くにある三丸14番倉庫だ。


 刑事――。
 自分と接触した数日後に失踪してしまった、埼玉県警の嘉島に違いない。将は確信し、これは誘いではなく脅迫か罠に違いないと、内心頭を抱えた。ウラガこと自分のストレスという武器はあるのだが、一人で行くのはおそらく危険だ。頼れる知人と連絡を取った方がいい。
 彼はそう判断した。

 ――晴海埠頭か。あそこには、よく自衛艦が来るんだよな……。


■熱線の下■

 梅雨も明け、東京は夏。
 賈花霞は夏を満喫していた。だが、夏休みはまだ始まっていない。夏休みに入れば、彼女はもっと夏を楽しむつもりだ。兄のバスケットボールの大会も観に行くし、友達と海に行ったり山に行ったり夏祭りに行ったり、彼女はこれからの夏の予定を考えて旨を踊らせる。夏の暑さなどものともしていなかった。
 だがそのうきうきとした胸の火も、ある友達と会うとたちまち静かなおき火となる。
 マキという仲良しの子だ。
 梅雨に入る前に、マキの兄は姿を消した。梅雨が明けた今になっても、マキの兄は戻らない。マキは一頃よりもだいぶ明るくなったが、ひとりでいるときの表情の翳りを、花霞は知っていた。マキと話すときは、なるべく『兄』という言葉が関わる話をしないように務めた。
 まだ自分はマキの兄を探している、という経過すらも口にしていない。マキが訊いてこない限りは話さないつもりだった。マキは花霞をあてにしているのかいないのか、彼女自身も兄についての話をしてこなかった。
 花霞は、約束を守るつもりだ。
 マキの兄を見つけ出してみせる。自分はひとりではないし、自分はただの子供ではないから、必ず見つけ出せる。
 『フラワー』というハンドルネームでネットを渡り、花霞はマキの兄が残したキーワードを頼りに、血生臭い事件を追っている。『ウラガ』という友人とともに。
 ウラガから久し振りにメールが届いたのは、終業式の前日だった。


 ウラガこと御国将はアトラス編集部に居た。つまらなさそうにパソコンの画面を眺めつつ、マグカップに入った安物の緑茶を飲んでいた。
「こーんにーちはっ!」
 相変わらずの明るい挨拶に、記者たちの視線が集まる。
 将だけは花霞の姿を認めて、「おう」と表情を少しばかり明るくした。さすがに仲間が駆けつけてきてくれたときにもつまらなさそうなままでは、付き合いがいがないというものだ。
「もう夏休みか?」
 久し振りに会った親戚がしてくるような挨拶だ。花霞は噴き出しそうになりながら、かぶりを振った。
「まだ。あした終業式なの」
「そうか。『平』は学生じゃアないようだな。タイミングが悪い」
「おとなって夏休みないんだよね。花霞、おとなになりたくないなあ」
「……なれるのか? おまえは――」
「わーっ! しーっ! ひみつひみつ!」
 花霞は小さな手で将の口を塞いだ。
 アトラスの編集部は、付喪神やら幽霊やらといった協力者や依頼人に慣れているだろう。だがそれが世間では珍しい態度だということを、花霞は心得ていた。とりあえず、彼女は表向きは小学生でありたかった。
「ね、それより、『平』のことだよ」
 将の口から手を放し、花霞は本題に入った。将はすぐに、しかめっ面で「ああ」と生返事を返してきた。
「……ここ1週間、平和だったな」
「うん。ムシの噂も平の噂もなくなっちゃったね」
「『招待状』は有り難い……よな?」
「花霞もそう思うよ。考えてもわからないことばっかりだもん。じょうほうは足でかせがなくっちゃ」
 花霞の言い分に、将は苦笑を浮かべた。
「ついて来てくれるか?」
「あたり前だよ!」
「ありがとう」
 将はそっと、自分の影に目を落とす。
 彼の影は――影のままだ。
「罠というか、危なそうな匂いがする」
「あ、よかった。ミクニさんもちゃんとそこまで考えてるんだね」
「おまえよりは歳下だが、子供じゃアないぞ」
 どこか不満そうな顔で将は言い返してきたが、彼の言葉には若干の笑みが含まれていた。
 彼はマグカップの緑茶を飲み干すと、立ち上がった。


■タイラー・ダーデンを知ってるか■

「タイラー・ダーデンを知ってるか」
「えっ?」
 晴海埠頭までのバスを待つ間、冗長とした沈黙が続き、将がやがて口を開いた。どこかで聞いたことがあるような問いかけだった。
 花霞が訊き返すと、将は何とも自嘲的な笑みを浮かべた。
「映画だ。『ファイト・クラブ』だよ。有名だろう? 俺はわりと好きだ」
 1999年公開。ブラッド・ピット、エドワード・ノートン主演。デイビッド・フィンチャー監督。子供が観る映画ではないが、花霞は子供ではない。だから将は、問いかけてきたのだろう。将の口ぶりは妙に懐かしそうだった。
「平はタイラー・ダーデンをもじった名前なんじゃないかと思ってな。メーリングリストの名前も殺虫倶楽部ときてる。これで『会合』でやっていることが殴り合いかテロの準備だったら完璧だな」
「メンバーって、みんな蟲持ちなのかなあ?」
「だろうな」
「ねえ、ひょっとしたら、みんな……」
「ん?」
「……花霞、みんな仲よくしてほしいな。ケンカするのはまちがってるよ。ケンカしたら、蟲が大きくなるだけだもん。友だち同士でたのしくお話ししていたら、きっと蟲も小さくなって、いなくなると思うのに」
「殴り合いをしているかどうかなんてのは、わからないだろう」
「でも、そう思ってるよね?」
「……」
「花霞も、そう思うの」
 花霞の声は、ひどく小さかった。
 バスが来ていた。


■三丸14番倉庫にて、20:21■

 貸し倉庫はかなり大きなもので、かなり古くもあった。周囲には物が多い。錆びつき具合や古めかしさから見て、放置されているものがほとんどなのだろう。
 花霞はぐるりと周囲を見回した。大きな青い瞳には、刃のようなするどい光が宿っていた。
 辺りはしんと鎮まりかえっている。しかし――蒸し暑い。こうも暑いままでは、この沈黙が煩わしく思える。涼しい夜風のもとの沈黙は、ときに安らぎさえ覚えることもあるが。
 ごぅん、
 不意の物音はいやに大きかった。将と花霞は身体を強張らせて、音の出所を探った。
 先に音の出所を掴んだのは花霞だった。14番倉庫の入口だ。鉄で出来た頑丈そうなドアで、錆びついたシャッターの隣にあった。
 ごぅん、
 再び物音。
 二人が睨むドアは、音とともに確かに揺れた。二人は顔を見合わせる。中に何かが居ることは、間違いなさそうだ。将は軽く花霞に頷いてみせ、古いドアノブに手をかけた。
 開けるぞ、
 将は確かに目でそう言うと、ドアを開けた。
「ぅおっ!」
 珍しいことに、将が悲鳴を上げた。花霞が動くより先に将は動いた。よほど驚いたらしい。彼は中に入らず、慌てて外に飛び出し、重いドアを閉めた。彼の影がぞわりと波打ち、ざわざわと形を歪めた。鎌首をもたげはしなかったが、将の影は百足の形になってしまっていた。
「どうしたの!」
「み、見ない方がいいぞ」
「何があったの、ねえ!」
「と、鳥肌が立った。くそっ、見るだけでストレス溜まりそうだ」
 いや、実際溜まってしまったのだろう。あと一押しでウラガが現れる。
 ごぅん、
 どぅん、
 ドアはなおも内側から叩かれ続けている。
 早く入れ、ここに居る、早く入れ、入れ入れ入れ入れ入れ入れ入れ入れ入れ入れ入れ入れ、待っているんだ――
 花霞はドアを開けた。開けるなり、硬直した。だが将のように逃げ出しはせず、ドアを開け放ったまま、中の様相をその目に焼きつけるがために――花霞は入口で立ち尽くす。

 そこには、蟲が居た。


■三丸14番倉庫にて、20:30■

 蟲だ、蟲だ蟲だ蟲だ蟲だ蟲だ――
 倉庫の中では蟲がひしめきあっていた。それも、自然界には存在しない姿の蟲だった。どれもが人より一回りも大きく、紅い目をぎらぎらと苛立たせている。
 しかも、彼らはただそこにかさこそと佇んでいるわけではなかった。そこかしこで喰いあいをしていたのだ。
 花霞がそれを見たのは一瞬だった。
 だが、その一瞬で悟った。マキの兄も、あの群れの中に居ると。見たわけではない。人間の姿はどこにもなく、蟲しかいなかった倉庫の中――だが、自分が捜していた『人間』は、間違いなくこの倉庫の中に居る。
 しゃあっ、と声を上げ、立ち尽くす花霞に二匹の蟲が襲い掛かってきた。ドアのそばで半ば待ち構えていた――いや、見張っていたのか。辛うじて蟷螂に見えなくもなかった。ささくれた鎌を、素手で花霞は受け止めた。どういう冗談なのか、ぢぃん、と甲高い音がし――火花すら散った。
 三角形の頭は、ぎょとぎょとと慌しく動いている。鉄のドアは、花霞が手を離したために、重々しい音を立てて閉まった。
 ハッと息を呑み、花霞は将の安否を確認した。将の影が、まさに地面から剥がれたところだった。1匹の蟷螂が、将に紅い目を向けた。
「ミクニさん! 1匹行くよ!」
 鎌を受け流しつつ、花霞は叫び――
 ぶゅん、と漆黒の髪を振るった。
 花霞の髪は、髪である。だが同時に、刃であった。関節を狙った一閃が、ばつんと蟷螂の鎌を断ち切った。
「……え?!」
 この蟲は、影であるはずだ。色すら持たない存在であり、命や血とは無縁の存在のはず。しかしこの蟷螂は――切断された前脚の切り口から、高らかに血飛沫を上げたのだ。花霞が嫌と言うほど味わってきた血飛沫は、彼女の白と青の服に飛び散った。匂いも温かさも、彼女が今まで吸ってきた、人間の血そのもの。
「どうして――」
 背後で、将の呻き声が上がった。花霞は、前脚を失ってのたうち回る蟷螂を尻目に、素早く振り向く。
「ミクニさん!」

 将が胸を押さえて膝をついている。
 そして、百足と蟷螂が組み合っているところだった。鎌のひとつは百足の長い腹に食い込んでいる。花霞はそれを見るなり、ものも言わずに走り出した。その気配と足音に、蟷螂は振り向いた。
「ウラガ!」
 将がするどく百足に命じた。
「あ――まって!」
 しかし、止めることなど出来るだろうか。
 ものを食おうとする虫と、自分の命を護ろうとする人間を。
 ぐわッ、とあぎとを開いた百足は、蟷螂の首に咬みついた。細い蟷螂の首はたちまち咬み千切られ、ここでも、血飛沫が上がった。
 倒れゆく蟷螂の身体から、勝ち誇ったかのように百足は離れた。途端に、また僅かに膨らんだ。牙から血を滴らせながら、痙攣し続ける蟷螂の死骸を睨みつけていた。
「……大丈夫?!」
 花霞が尋ねると、答えの代わりのように将が咳きこんだ。咳には血が混じっていた。
「刺されたような気分だ。刺されたことはないけどな」
「……やっぱり、ウラガのケガがそのまま?」
「いや……多分、『そのまま』戻ってくるなら、死んでもおかしくないだろ。だいぶ深く刺されてたからな」
 将はそこで言葉を切って、百足の前の死骸に目を落とした。すでに痙攣もしていない。だが、その死骸は消えずに残っている。血溜まりもだ。
 花霞は振り返った。前脚を失った蟷螂も、血の海の中に沈み、ぴくりとも動いていない。
「血が――」
「ミクニさんも、へんだって思う?」
「ムシは影のはずだ……」
 ただの影だ。
 形が違うだけの……


■蜘蛛の巣■

 二人はシャッター前のドア以外にも入口がないか、倉庫を調べることにした。将は影をウラガにしたままだった。
 だがどうやら、倉庫の外に蟲は出てきていないようだ。相も変わらず静かだった。

 裏側にもドアがあった。いささか安ぶしんなつくりだったが、二人は何となく「助かった」と胸を撫で下ろしてしまった。このドアの向こうが楽園である可能性など皆無に等しいが、ひょっとすると、あの肌の粟立つ光景を見ずにすむかもしれない。
 将がノブに手をかけたが、彼はすぐに首を横に振った。鍵がかかっていたのだ。
「……古い鍵だな……。なあ、ヘアピンを持ってるか」
「うん」
 花霞は漆黒の髪をまとめていたUピンを取ると、将に手渡した。将は花飾りのついたUピンを鍵穴に差し込み――しばし、カチャカチャといじり回した。
 小さな音とともに、鍵は開いた。
「あ! ピッキングだね。わるいなー」
「誉めてくれてもいいだろうが」
 少し曲がってしまったヘアピンを、将は花霞に返した。仏頂面で、花霞の黒髪に戻したのだ。慣れない手つきだったが、ピンは確かに、もと在った場所に収まった。


 覚悟はしていた。
 その覚悟は無駄ではなかったが、肩透かしを食らったのは否めない。
 ドアの向こうは事務所として使えそうな小部屋だった。テーブルや棚、デスクがあった。 テーブルの上には、携帯電話を繋げたノートパソコンがある。
 だがこの部屋は、異常だった。白い糸が張り巡らされていたのだ。
 二人が部屋に入った途端、男のくぐもった悲鳴が耳に飛び込んできた。見れば、スーツの姿の中年がひとり、糸に捕らえられてもがいていた。口まで糸に塞がれていたが、その必死の形相は見て取れる。
「嘉島さ――」
 将が、行方をくらませた刑事の名前を口にした。
 だが花霞は、糸でがんじがらめにされた男が何を訴えているのかわかってしまった。視線が懸命に、天井を指していたのだ。
 花霞が、遅れて将が、部屋の天井を見た。

 部屋から外に飛び出せたのは、花霞だけだった。彼女は咄嗟に振り向き、蝶番を斬って、ドアに体当たりをしたのだ。ここで戦うには狭すぎるし、何よりここは――『巣の中』だと判断したからだった。
 しかしそれと同時に将が花霞の背を押した。というより、外に突き飛ばされた。倒れこみそうになりながら彼女が振り向いたときには、すでにドアを失った戸口が白い糸で塞がれていた。将も、あの刑事も、部屋の中だ。
「ミクニさん……!」
 花霞は、部屋の天井に張りついていたものを思い出す。

 冗談のように大きい、刃のような八脚を持つ蜘蛛が居た。




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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【1651/賈・花霞/女/600/小学生】

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               ライター通信
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 モロクっちです。お待たせいたしました。
 『殺虫衝動』第3話をお届けします。
 わたしはそれほど虫嫌いではない方ですが、どうも今回は書いてて気持ち悪くなってしまいました(笑)。どんな可愛いものでもいっぱいいると気持ち悪いですよね。いや蟲はどれも気持ち悪いデザインなんですけど……。
 さて、今回のラストは次回への引きという形になりました。次回が完結編となります。
 花霞様は『ファイト・クラブ』ご存知でしょうか? お兄さんと一緒に観てるかもわからないので、返事はぼかして書かせていただきました。
 お友達のお兄さんも、一応、倉庫の中に居ます。……一応、です。

 それでは、この辺で。
 またお会いしましょう!