■ロスト・ハイウェイ■
リッキー2号 |
【0569】【鬼伏・凱刀】【殺し屋】 |
「あれを止めてくれ」
男は悲痛な表情で、そう訴えた。
「あれは人の嘆きと憤りを糧に、決して止まることなく走り続ける……そして、邪悪な気をどんどんためこんで……すべてを狂わせはじめるんだ……」
男は壮年の白人だ。クラシックな背広を着て、口ひげをたくわえている。話しているのは日本語ではないようだったが、意味は直接、意識に送りこまれてくるので、理解できる。
「早く止めないと東京が大変なことになる。かつて、あれはヨーロッパを、いや、全世界を焦土へ導くところだったのだから」
男の姿が遠ざかり、かわって、見えてきたのは……夜の、誰もいない高速道路だった。
「今、ウィーンの博物館にあるのは精巧なレプリカだ。本物とすり替えられ、戦時中に、あれは秘密裏に日本に持ち込まれた。当時は敵国だったが、あれを封印するためにこの国の術師たちの力を借りねばならなかったのだ……。それから九十年近くものあいだ、あれは眠りについていたのだが……」
カ――ッ、と……闇を裂いた、ふたつの光。それは怒りに燃える、なにものかのふたつの眼光に他ならなかった。轟音が、近付いてくる。
「頼む…………あれを止めてくれ……」
夢はそこで終っていた。
*
ある人物の死が、ひっそりと新聞の片隅で報じられた。
それは、東京では毎日のように起こっている、何の変哲もない交通事故のように思えた。尊い人の命が失われた出来事であっても、この大都会においては、あっというまに日々の雑多なニュースの中にまぎれていってしまうのが宿命だ。
しかし。
東京の闇の側面を知るものたちであったなら、死亡したのが、宮内庁付の特殊機関に属する、日本でも有数の霊能力者であったことに、不穏な雲行きを読み取ったであろう。そんな人物が、交通事故で命を落したりするだろうか。
そして、その日を境に、同様の立場に属するものたちの、交通事故死のニュースが、連日、報道されるようになる。大半の東京都民が何も知らないところで、この街の運命を左右する壮絶な闘いが、ひそやかに始まっていたのである――。
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ロスト・ハイウェイ
乗用車が壁に激突 宮内庁職員の二人死亡
首都高速一ノ橋JCT付近
×日午前3時半ごろ、港区三田の首都高速一ノ橋ジャンクション付近で、乗用車が道路わきの壁に激突した。車に乗っていた宮内庁職員の八島信吾さん(31)と、同、笹木貴史さん(26)が全身を強く打ち、間もなく死亡した。 三田署の調べでは、車は千代田区方面に向かって猛スピードで走っていた。現場にブレーキをかけたような跡はなく、同署で事故の原因を詳しく調べている。
*
ある人物の死が、ひっそりと新聞の片隅で報じられた。
それは、東京では毎日のように起こっている、何の変哲もない交通事故のように思えた。尊い人の命が失われた出来事であっても、この大都会においては、あっというまに日々の雑多なニュースの中にまぎれていってしまうのが宿命だ。
しかし。
東京の闇の側面を知るものたちであったなら、死亡したのが、宮内庁付の特殊機関に属する、日本でも有数の霊能力者であったことに、不穏な雲行きを読み取ったであろう。そんな人物が、交通事故で命を落したりするだろうか。
そして、その日を境に、同様の立場に属するものたちの、交通事故死のニュースが、連日、報道されるようになる。大半の東京都民が何も知らないところで、この街の運命を左右する壮絶な闘いが、ひそやかに始まっていたのである――。
1
重い鉄の扉を開ける音が、うす暗い地下書庫に響いた。
綾和泉汐耶はちらりと、ほんの一瞬、入口のほうを一瞥しただけで、手元の作業をやめない。
外のほうが明るいので、入口は逆光になっている。長い影が書庫の中に伸びたが、訪問者は一歩も部屋に立ち入ろうとはしなかった。
「お話はうかがっています」
汐耶は言った。
「ご協力を感謝します」
シルエットだけの男が応える。
「ですが」
汐耶は白手袋をはめ、慎重に、古書の修復をしているところだった。
「私はまだ相手が『何』なのかも、聞かせていただいてはいませんよ。知っておかなければ封印は完璧なものとなりません」
「古い記録については、あなたのほうが専門家でしょう。綾和泉汐耶さん」
男の言葉に反応したように、書庫の片隅でばたん、と重い音が響いた。目をやれば、分厚い革表紙の本が、積み上がった本の山のてっぺんに開かれている。そして、風もないのに、その頁がぱらぱらとめくれていくではないか。
「……九十年前のものだと、仰いましたね」
汐耶はその書物に近付いた。たしか、歴史の本だったと記憶する。
「これがそうなのですか」
開かれた頁には、相当、昔のものと思われる写真が印刷されていた。写真に写っているのはクラシックなスタイルの、オープンカーだった。写真に添えられている解説を、汐耶の目が辿る。しだいに、その目が驚きに見開かれて行く。
「そ、そんな。そのときの車が日本に」
「そう驚かれることもありますまい」
男は意外そうな声を出した。
「もっと危険な書物の封印を、あなたにお願いしたこともあったかと存じます」
しかし、それ自体が危害をなすのではない書物とは、わけが違うではないか――。
「あれを止めてくれ」
男は悲痛な表情で、そう訴えた。
「あれは人の嘆きと憤りを糧に、決して止まることなく走り続ける……そして、邪悪な気をどんどんためこんで……すべてを狂わせはじめるんだ……」
男は壮年の白人だ。クラシックな背広を着て、口ひげをたくわえている。話しているのは日本語ではないようだったが、意味は直接、意識に送りこまれてくるので、理解できる。
「早く止めないと東京が大変なことになる。かつて、あれはヨーロッパを、いや、全世界を焦土へ導くところだったのだから」
男の姿が遠ざかり、かわって、見えてきたのは……夜の、誰もいない高速道路だった。
「今、ウィーンの博物館にあるのは精巧なレプリカだ。本物とすり替えられ、戦時中に、あれは秘密裏に日本に持ち込まれた。当時は敵国だったが、あれを封印するためにこの国の術師たちの力を借りねばならなかったのだ……。それから九十年近くものあいだ、あれは眠りについていたのだが……」
カ――ッ、と……闇を裂いた、ふたつの光。それは怒りに燃える、なにものかのふたつの眼光に他ならなかった。轟音が、近付いてくる。
「頼む…………あれを止めてくれ……」
夢はそこで終っていた。
(くだらねえ)
鬼伏凱刀は内心の憤りをあらわすように荒々しくシーツをはねのける。テーブルに出しっ放しだったグラスを手に取り、中身を呷った。
(頼まれてやる義理はねえな)
喉を焼く、アルコール。
(だが――)
にやり、と、凱刀のおもてに浮かんだのは、残忍な期待を抱いた野獣の笑みに他ならない。
(ひさびさに、大暴れ出来そうか)
今夜の予定はキャンセルになってしまった。
学校から帰ると、家の駐車場に見なれぬ黒塗の車があったのだ。その時点で予感はあった。やれやれ――と思ったが、これも、自分の……自分にしかできない務めなのだと、もう諦めている。
制服を着替えると、安置されている宝刀の前に、正座した。
「ご当主は、まだ高校生でおられると」
黒服の男が声を掛けてきた。
「問題ですか」
目を閉じて精神を落ち着けながらも、渡辺綱は答えた。
「いえ……そうであっても、お願いせざるを得ない状況なのです。夜も遅くなりますが」
がっし、と、綱の手がそれを掴んだ……宝刀『髭切』。
「『鬼払い』はわが家の務め」
男子高校生の横顔にはまだ幼ささえ残る。だが、眼光と、声の力強さとに、男は圧倒された。
「……でも、深夜の外出で補導はカンベンですよ」
それでもやはり、笑えばなんら翳りのない表情の少年なのだ。
男に促され、『髭切』を手に、黒塗の車の後部座席に乗り込む。
ドアを閉めようとしたそのとき、割り込むように、滑り込むようにして、車に乗ってきた人物がいる。
「あっ。オ、オイ」
「やあ」
綱よりもさらに年若い少年だった。明るい金の髪にまず目を奪われる。
「なんでお前がここに……?」
「面白そうなことやるって聞いたから、まぜてもらおうって思って」
「バカいうなよ、これは」
「ボクにも無関係なことじゃないんでね」
黒い瞳の閃きが、綱を射た。彼――瀬川蓮の微笑は、悪戯を仕掛けた子どものようでありながら、どこかしら、もっと大人びた、策士めいた含みをも感じさせる。
「…………」
運転手が、困ったようにこちらを見ているのへ、
「すみません。出してください。構いませんから」
と、綱は答えた。
2
「オイ」
「はい?」
どすの効いた声にも、鋭い眼光にも、動じた様子はない。
鬼伏凱刀は、不思議なものを見る目で、少女を見下ろした。穏やかな微笑のまま、彼女は凱刀を見上げる。――といっても、実は彼女は目が見えない。だから、筋肉質の巨躯を黒いレザーで包んだ凱刀の姿も、彼女の威嚇には役立っていない。いや、と、いうよりも……
黒い水着にバイザー、そして傘。
レースクイーンだ。
「ここで何をしている」
凱刀の問いに、黒いレースクイーンは小首を傾げて、答えた。
「観察をするのが、わたくしの役目です」
ふたりの傍を、猛スピードで何台もの車が通り過ぎて行く。それはそうだ、ここは高速道路なのである。凱刀のバイクは壁際に寄せて止められている。その壁の足元には――花が供えられていた。
「数日前に、ここに『その方』があらわれたのです」
「……そいつを知ってどうする」
「さあ」
少女は微笑をたやさない。
「わたくしにできるのは、ありのままを見て、ただ伝えることだけです。……あるいは、深淵への影響があるのなら、事情は変わってきますが」
「ふん。邪魔をせんのならいい」
凱刀はバイクにまたがった。凱刀自身のように、巨大で、武骨で、獰猛そうなバイクだった。
「で、なにかわかったことがあるのか」
「ここから感じ取れることだけですが」
「訊かせてもらおうか。……それともう一つ。その格好は何だ」
「は?」
不思議そうに、彼女は光を映さぬ目をしばたいた。
「『くるまがはしるところ』では、女性このような格好をされるのではないのですか?」
彼女の名は海原みそのというのだが、凱刀はそれについて問うことはなかった。その必要も、興味もなかったからだ。
「外側のボディはトヨタのランドクルーザーです」
男は綱たちにそう説明した。
「中身は違うんですか?」
と、汐耶が問う。
「市販のものとはね」
黒いスーツに黒眼鏡。渡辺家に綱を迎えに上がった男だった。
「トヨタと宮内庁が共同開発した特殊車両なのです。部品にはすべて呪言が彫り込まれていて、霊的な攻撃に対する耐久性を持っています。さながら走る結界ですね」
言いながら、コンコン、とボンネットを叩いた。
「運転は私が。申し遅れましたが、私、宮内庁長官官房秘書課・第二調査企画室・調伏二係、係長を拝命しております八島真と申します」
和製マン・イン・ブラックは、淡々と話す。
「ご同行いただくのは、渡辺綱さん。綾和泉汐耶さん。それから、ええと」
「瀬川蓮」
「瀬川さん。――もう一度、確認しますと、本日、23時以降、臨時工事という名目で、首都高速をすべて封鎖します。目標と接触し次第、渡辺さんの『刀』による攻撃で目標の運動を止め、止まったところを綾和泉さんに封印を施していただきます」
作戦はシンプルだった。
だが、そう簡単にいくものかどうか。
「ねえ。おじさん」
蓮がふいに口を開いた。八島と名乗った男は、まだ二十代だと目される。おじさん、という呼び掛けをどう受け止めたかは、黒眼鏡で目が隠れているためわからないが。
「八島信吾っていうのは?」
そうだ。彼が名乗った時、心当たりのある名前だと思ったのだ。先日の“事故”で命を落した人物。汐耶は、男の答を待った。
「……私の兄ですが」
「あっ、そうなの。ふーん、あんた、パパの弟なんだ」
「『パパ』!?」
綱が声をあげた。
「きみ、兄と――」
「いいじゃん。死んでしまった人のことなんて」
小悪魔のような表情だった。
「早く行こう。とっととしとめたほうがいいんじゃない? 『パパ』もそう言ってた」
沈黙が流れた。
「八島さん……」
汐耶が声を掛けるのへ、
「瀬川さんの言う通りです。行きましょう」
とだけこたえて、八島真は車に乗り込む。その声には、何の感情もこもってはいなかった。
そして、4人の乗った車は走り出す。
助手席に汐耶。後部座席に綱と蓮。
傍目に見ると、なかなか奇妙な組み合わせだった。八島の説明どおり、夜の首都高速を他に走っている車はない。
「いつどこに、アレがあらわれるか、わかるんですか?」
「このメンバーならあらわれますよ」
ハンドルを切りながら、暗い声で八島は答えた。
「九十年間も封印されたままで、燃料不足ですから」
「……そのことなんですけれど」
汐耶は言った。
「『封印』というのは、結局のところ一時しのぎに過ぎません。今度、それでやりすごしても、またいつか同じことが起きるのではないんですか? 可能なら、消滅させてしまったほうが」
「同感です。渡辺さんの『髭切』ならあるいはその望みも」
ちらりと、フロントミラーに目をやる。
綱は腕を組み、じっと目を閉じている。蓮は窓の外を眺めていた。
「……相当、強い力の霊剣なんですね?」
「鬼を斬る刀と聞いています」
「でも相手は……」
「――!!」
汐耶の言葉は途中でさえぎられた。後部座席のふたりも、緊張に身をこわばらせる。
「これが……!?」
「い、いえ、違います。何なんだ、くそっ」
八島は狼狽えた声を出しながらハンドルを切った。
かれらが乗る車の……窓という窓から、それらが中をのぞきこんでいる。鋭い爪がガラスを引っ掻く不快な音と、ぎゃあぎゃあ言う声が騒々しい。どんどんと踏みならすような音が屋根の上から聞こえてきた。
車は蛇行し、対抗車線にもはみ出る。他に車がいれば危険なところだった。危ないが、フロントガラスやボンネットにもそれがひしめいているので、前が見えないのだ。
「八島さん、ブレーキを!」
汐耶の鋭い叫び。
「しかし、スピードを落としてしまうとやつを呼び出せなく……」
「この場を生き残るほうが先決でしょう!」
綱が刀を握りなおした。
ふふん、と、蓮が笑う。
「面白いね、伏兵ってわけ? でも綱の刀の相手にはピッタリなんじゃない?」
そう、それは……まさしく、鬼、だった。
無数の、子どもよりも背の低い、らんらんと輝く眼光と凶悪な牙を備えた小鬼たちが、車に蟻のようにたかっているのだ。
「あ、あれは!」
鬼たちの隙間から、かろうじて見てとれる、隣の車線を、一台のバイクが走り、車を抜き去っていく。悠然とバイクに跨がっている大柄な男が、車を一瞥して、にやりと微笑った。その表情は、鬼たちにそっくりだった。
「どうして!? 鬼伏さんと――、みそのさん!」
汐耶が叫んだ。
「知り合いですか!?」
「ええ、でも」
鬼伏凱刀は、バイクの後ろに一人の少女を同乗させていた。少女は長い黒髪を風に流しながら、楽しげに微笑んでいる。
「おまえらはそいつらと遊んでろ。アレはおれの獲物だ」
凱刀のそのつぶやきが、車の中の4人に届いたかどうか。
「このまま走り続ければいいんだな? まだなのか?」
「まだ気配はありませんが……鬼伏さまの波動が、ある一定以上のすぴーどで移動を続ければ、あの方はその『流れ』を追って、あらわれます」
「よし。あらわれたら教えろ」
さらにアクセルを吹かす。猛り狂った唸り声でもって、エンジンが応えた。
3
「八島さん、窓かドアを開けられませんか!?」
「で、できますが、今の状況では」
「くそ……『髭切』を振るえさえすれば、この程度の小鬼なんて一撃で――」
「あーあー、もう、オトナが3人もいて、なにやってんのさ。しょうがないなあ」
パチン、と、蓮が指を鳴らした。
ギャアッ、と、気味の悪い呻きとともに、フロントガラスに貼付いていた何体かが吹き飛んだ。広けた視界の中に、風の中を飛び回る、小鬼に似ているがすこし異なった姿をしたものの姿がみとめられた。コウモリの羽がせわしなくはばたいている。
「ほら、綱。『鬼払い』は綱の家の役目だろ。ボクの小悪魔に負けてちゃダメだよ」
「言われなくても!」
「ああ、天井のヤツらが減った。サンルーフを開けます。注意して!」
八島がスイッチを押すと、天井の一部がスライドしてぽっかりと窓が開いた。
「よしっ」
そこから綱が身を乗り出す。夜風に押し流されそうになりながら、彼は鞘から白刃を抜き放った。闇夜にひときわ輝く白い光に、小鬼たちが怯む。
「はッ!」
気合いと、一閃。
「や、やった」
八島が安堵の声を漏らした……が。
汐耶は、異様な気配に振り返る。
誰もいないはずの高速道路の彼方に、ふたつの光が灯った。
「来ましたわ」
まさしく、不吉な神託を告げる巫女のように、みそのは言った。
急激なドリフトターン。タイヤと道路の摩擦が火花とともに悲鳴をあげる。
「降りろ、怪我したくなかったらな」
みそのに声を駆けながら、凱刀は彼の愛用の武器を手に取った。異様に巨大な、反り身の青龍刀――その銘を、『血火』。
ばらばらと、『髭切』の一振りで細かい肉片になった小鬼たちが風にさらわれていく。だが、もはやそんなものは綱の眼中になかった。もっと圧倒的に巨大な力が、後方から津波のように押し寄せてくるのを感じていたからだ。
カ――ッ、と……闇を裂いた、ふたつの光。怒りに燃える、なにものかのふたつの眼光のような……ヘッドライト。轟音が、近付いてくる。
「来た、か!」
綱は刀を構えなおした。
血のように赤い車体の……しかし、ぼろぼろのオープンカーだった。走っているのが信じられない……いや、それ以前に、そもそも運転席には誰も乗ってはいなかったのだ。
「あれが、『パパ』の言ってた車の怪物?」
蓮だけが、いつもと変わらぬ調子だった。
「キミの『パパ』はあいつに殺されたんだぞ」
「それは弱かったからでしょ」
にべもない。
「ねえ、何なの、あの車」
「……『サラエボ事件』って知ってる?」
と汐耶。
「ぜーんぜん」
「九十年前。ヨーロッパのサラエボっていう街で、オーストリアという国の皇太子が暗殺されたの。結局、それがもとになって、第一次世界大戦が起こることになったんだけれど……あれは、そのとき、皇太子が乗っていた車なの。……ウィーンの博物館に収蔵されていると聞いていたけれど」
「あれはレプリカなんです。ひそかにすり替えられて、戦中に日本に持ち込まれ……われわれが管理していたのです」
「暗殺された皇太子の無念……人民の憤り、そして、ヨーロッパを包んだ悪意……そうした負の感情を燃料にして、あれは今も走り続けているんですね」
「それも今日までだ! 八島さん、スピードを落として、アレに近付いて」
綱がそう言い終えるよりもはやく、黒い影がかれらとすれ違うように走り去っていった……鬼伏凱刀!
「不帰命の理……陰人は鬼……我が誅敵の形(ナリ)を喰め……!」
凱刀のささやく声にこたえて、無数の、さきほど、4人の車を襲ったような小鬼たちが文字どおり、わくようにあらわれた。それも、走っているオープンカーの周囲の空気から、鬼たちは次々と出現しているのだ。
「アレ自身がまとっている陰の気を出口にして、鬼を召喚しているんですね……鬼伏さんは外法師だから」
「さっきは非道い目に遭わされましたが、とりあえず、敵は共通ということですか」
鬼たちは廃品を解体するように、めりめりと車の外装を爪と牙とを使って剥いでいく。もともとボロボロの車体が、見る見るうちに骨格がむき出しになっていったが、それでも、車は走行をやめなかった。
「ふんっ」
ちょうど、凱刀のバイクとすれ違った。刹那、ふるわれた『血火』の一撃が、車の半分を大破させる。一緒に何体かの小鬼たちも血飛沫をあげて消し飛んだ。
それでもまだ止まらない。
凱刀はバイクをターンさせ、今度は後ろから追い掛ける。
「だめだ! 負の力同士ではとどめを刺せない!」
綱だ。
白い光が尾を引いた。
刀を振り上げ、少年は跳躍する!
「綱クンっ!」「ああっ、なんて無茶を!」
汐耶と八島の叫びが重なる。
さながら白い落雷だった。今や走る鉄屑のような状態のソレに、白刃が突き立てられる。
爆音が、轟いた。
綱の身体が宙に投げ出されるのを、まるでボールをキャッチするように、凱刀の手が掴んだ。
「小僧! 余計なことを!」
「『鬼払い』は――渡辺家の使命だッ」
「渡辺だと!?」
八島は急ブレーキをかけて車を止めた。
「綾和泉さん、は、はやく、封印を」
「ええ、でも」
車から降りて、駆け寄ろうとするが、それより早く、道路にちらばった鉄屑は、生き物のように寄り集まり、ふたたび、なにかの形をつくりあげようとしていた。
「貴様、渡辺の血筋のものか」
「おい、手を離せ。アイツが、まだ……」
ごおお――と、獣の咆哮のようなエンジン音。車は再生しつつあった。のみならず……まるで生き物のように、後輪で立ち上がり、威嚇するように前輪を回して、凱刀と綱に立ち向かってくる。……だが、ふいに、その動きがぴたりと制止した。
「みそのさん!」
汐耶がふりかえった方向に、黒髪の少女が婉然とたたずんでいる。
《流れ》だ。車はオイルと、空気と、炎の流れを内包することで動いている。そしてコレは、負の霊力で同じことをしているのだ。《流れ》をあやつるみそのが、それを止めてしまえば。
「あまり騒々しくされて、深淵に干渉されては困りますもの。なんと云うのでしたか――そう……“ぼうそうぞくは、あんみんぼうがい”ということですね」
その一瞬の隙をついて、綱が凱刀の腕を抜け出した。
「小僧!」
「とりゃあッ!」
ふたたび、宝刀が降り降ろされる。
車は――真っ二つになった。
そして、今度は再生しない。《流れ》が遮られているからだ。汐耶が、両手を突き出した。その場にいた、力あるものたちには皆、そこから封印の力がほとばしったのを見ることができた。
「ふん。――大鬼!業鬼!」
凱刀の影が長く伸びる。そこに、奈落への口が開いたように、二体の巨大な鬼たちが、先を争うように這い出してきた。身の丈は3メートル近くあるだろうか。
「ああッ、何を!」
叫ぶいとまもなく、鬼たちは汐耶の力にがんじがらめにされた鉄屑を奪うと、鋭い爪であっという間に引き裂いてしまう。
「よせ、これ以上、鬼の力を使うんじゃない!」
「うるさい小僧だ。これを滅ぼせばよかったのだろうが」
鉄の塊は、さらさらと崩れ落ちて、夜風にさらわれていく。
世界に戦火をまき散らした鉄の魔物の、それが最期だった。
エピローグ
挨拶もなく、凱刀はバイクで走り去ってしまった。一瞬、彼はバックミラーの中に、夢にあらわれた男のすがたをみとめたような気がしたが、すぐに忘れてしまった。もはやどうでもいいことだったのだ。もちろん、かつてのオーストリア皇太子、フランツ・フェルディナンド大公の顔など、彼が知るはずもない。
「終わったん……ですよね」
「ええ。みなさんのおかげです。兄の仇を討つことができました」
「……『パパ』に感謝しなくっちゃ」
「蓮!?」
「こーんな面白いことって、そうそうなかったからね」
「蓮、おまえー!」
「あ、みそのさん?」
「…………」
「眠ってる……?」
「さあ、帰りましょうか」
「わあ、もう朝だ。見て、朝焼けが」
「結局、徹夜になっちゃったわね」
「でも……今日もいい天気になりそうだ」
END
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0569/鬼伏・凱刀/男/29歳/殺し屋】
【1388/海原・みその/女/13歳/深淵の巫女】
【1449/綾和泉・汐耶/女/23歳/司書】
【1761/渡辺・綱/男/16歳/高校生(渡辺家当主)】
【1790/瀬川・蓮/男/13歳/ストリートキッド(デビルサモナー)】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございます、リッキー2号です。
お待たせしました。『ロスト・ハイウェイ』をお送りいたします。
いつもの「調査依頼」と「ゲームノベル」の機能的な違いというのが、なかなか微妙で
……というか、よくわからないまま(笑)なのですが、自分としては
「ゲームノベル」はより企画性・ゲーム性を重視したものにしたいな、と
当初は思っていたのですが。
本当は結構、細かく「成功条件」等、決めておいたんですけど、
ダメですねー。みなさんのプレイングや過去作を読ませていただくと、情がうつるというか(笑)、
ああ、自分にはライターはできてもマスターはできない……と思った夏休み。
こちらは便宜上「紅組」(笑)と呼ばせていただいたグループです。
(特に紅白の意味はありません……たぶん……)
なかなか波乱万丈なことになっています。
よければ、「白組」と比べてみてくださいませ。
それでは、また機会がありましたら、ご一緒できれば嬉しいです。
ありがとうございました。
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