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■殺虫衝動 『孵化』■

モロクっち
【1653】【蒼月・支倉】【高校生兼プロバスケットボール選手】
 三下ほどひどい仕打ちを受けているわけでもないが――
 彼は頭痛持ちではなかった。医者によれば、ストレスによるものらしい。
 月刊アトラス編集部所属、御国将40歳は最近しつこい頭痛に悩まされている。忘れられるのは寝ているとき、趣味で帆船模型を組み立てているとき、好物の寿司を食っているときだけだ。
 いや、もしかすると、毎日のように瀬名雫の運営するBBS群の書き込みをチェックしているせいかもしれない。これは別に将の趣味ではない。雫のBBSの書き込みをまとめるのが、将の担当している仕事だった。
 この担当を外してもらえたら、頭痛の原因がストレスなのかはたまた電磁波によるものなのかはっきりするところだろう。
 しかし――
「ひぃぃぃいいッ! わわ、わかりましたぁああッ!」
 ……麗香に早退届を出そうとした三下は、どうやら今日中の取材を命じられたようだ。
 そんな様子を目の当たりにしてしまっては……。
 将は溜息をついてディスプレイに目を戻した。
 カサ。
 ――モニタ画面を、うじゃうじゃと脚を持ったムカデのような蟲が横切った――ように見えた。

 ……ムシを、見た。

 その書き込みを、将はBBSで何度も目にしていた。
 まさか自分がその書き込みをすることになろうとは。

 そしてその書き込みをした翌日、将は初めて無断欠勤をした。たとえ1分の遅刻であろうとも許さない麗香であるから、勿論将と連絡を取ろうとしたのだが――
 将には家族がいる。だが昨夜、その家にも戻らなかったらしい。
 御国将は忽然と姿を消してしまったのだ。

 家族が警察へ捜索願を出すと同時に、碇麗香もまた探索の手を伸ばした。彼女の勘が彼女の本能に語りかけたからだ。
 この件は、ともすれば記事になるかもしれない。
 そして――今、編集部は人手が足りないのだ。御国将を失うのは、そこそこの痛手だった。麗香は「そこそこ」という部分を、いやに強調していた。
 殺虫衝動『孵化』


■序■

 かさこそ。
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804:  :03/04/11 01:23
  おいおまえら、漏れムシを見たましたよ。
805:匿名:03/04/11 01:26
  おちけつ。日本語が崩壊してるぞ。
  どこで見たって?
806:匿名:03/04/11 01:30
  どうした?
807:匿名:03/04/11 01:38
  おーい
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 かさこそ
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13:  :03/4/13 0:06
  ムシ見た
14:  :03/4/13 0:08
  マジで
15:匿名:03/4/13 0:09
  詳細キボンヌ
16:  :03/4/13 0:13
  13来ないな。ムシにあぼーんされたか。
17:匿名:03/4/13 0:15
  >>16
冗談にゃきついぞ
  やめれ
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 かさこそ……


■やすらぎ■

 ワックスがかかった床の上を、バッシュで駆け抜けるときの音。
 するどい笛の音、
 ボールを受け止める音、
 床に落ちたボールが跳ねる音、

 ダムダムダム、キュッ、キュキュキュッ、
 パシッ、ダムッ、

 そして、ボールがネットをくぐるあの音だ。

 パシッ!

 ピリリリリリリ!

 これこそが蒼月支倉の安らぎと生き甲斐。

「あの」
「ん?」
「宮嶋センパイ、どうかしたんですか?」
「ああ……1週間前からずっとあの調子さ」


 叱られることはあっても、チームメイトは皆、好きだからバスケをやっているはずだと――支倉は考えていた。プロのチームに所属できるということは、名誉なことでもある。少なくとも、支倉は楽しんでいたし、誇りにも思っていた。この音とともに生きられるのは幸せだ。
 だが、チームメイトの宮嶋にとっては、どうだったのだろう。
 支倉はあとになってから、考えることになる。


『2番』を務める宮嶋燈太の様子がおかしいことに気づいていたのは支倉だけではなかったが、全員が気づいていたわけでもなかった。
 燈太は優れたスポーツマンであり、大学では数学を専攻しているという万能人間だった(実は英語や文学がまるで出来ないのだが、支倉は「何でもできる人」だと思っていたし、周囲もきっとそう思っていた)。理屈っぽいところはあったが基本的には明るく、チームの中ではかなり若い部類の支倉を可愛がってもいた。
 コーチの話では、1週間前から様子がおかしくなり始めたということだった。
 練習には顔を出すものの、口を利こうともしないし、やることはセルフトレーニングばかり――昨日は無茶な走り込みをしていて、コーチも見かねて注意した。
「就職活動やら卒論やらで参ってるのかもな」
「え、でも、宮嶋さんはまだ3年……」
「そんな考えで大学行くと大変だぞ、蒼月。4年から始めると手遅れってことが多いんだ。最近は」
「そうですか……」
 半ば狂ったように壁にボールをぶつけている燈太を見て、支倉はそれきり言葉を失った。何か、胸を掴まれるような思いに駆られて、彼は燈太に歩み寄る。
 それこそが、はじまり。
 支倉にとってのはじまりだ――


■潰せ■

「センパイ!」
 返事がない。
「センパイ!!」
 返事はない。
「宮嶋センパーイっ!!」
 ようやく、振り向いた。
 別に周囲が五月蝿すぎるわけでもなく、支倉はすぐそばにいたのに、燈太はひたすら壁にボールをぶつけていた。一心不乱に、とはこういうときに使う言葉なのだろう。
 振り向いた燈太の顔を見て、支倉はわずかに尻ごみした。
 ひどく疲れているらしい。訊くのは愚かなことだろう。燈太はとても疲れている。何かに憑かれた人間のように。
 スポーツがもたらす、ある意味快い疲れを抱えているわけではなさそうだった。流している汗は、冷や汗か脂汗か――
「あの、どうかし……」
「ひゃあッ!」
 支倉が問い終わるよりも先に、燈太は目を剥いてボールを取り落とし、二の腕を叩いた。まるで何かを叩き落すような仕草ではあったが、少なくとも支倉は、燈太の腕に何も見出してはいなかった。
「ムシだよ!」
「え?」
「いるだろ、ホラ――今度はそこだ! 畜生、何で潰せないんだ!」
「あ、あの」
「ううう、頭も痛ェしムシは出てくるし……最悪だ! マジ最悪だ! 畜生、死ねよ!」
 ボールを拾い上げ、燈太は壁に向かって投げつけた。
 壁には、何もいない。

 だしん! ダム、 だしん! ダム、 ばしん! ダムッ――

「センパイ――」
 固唾を飲む支倉は、ひとつ、思い出した。
 彼には血は繋がっていないが、大事な妹がいる。昨日、彼女は妙なことを訊いてはこなかったか? 『ムシ』のことだ。そして自分は、どう答えた?
「センパイ、ちょっ、ちょっと待ってよ、落ち着いて!」
 支倉は燈太に飛びつくと、『ムシ潰し』をやめさせた。燈太は呻き声のようなものを上げて抵抗したが、ふたりとも似たような体格だ。疲れ果てている燈太を、支倉は容易に押さえつけた。
「ひょっとして、ネットでムシの噂を見たの?!」
 そう言うと、燈太の目に正気が戻った。
 彼は足元や自分の腕を怖々と目でなぞってから、頷いた。
「噂だけじゃない……」
 燈太は生唾を飲み、言葉を区切った。
「もう、ムシ自体を見ちまった……」

 ムシを見た人間はどうなる?
 消えるのだ。
 少なくとも、そう噂されている。

「センパイ、練習終わったら、一緒に出かけよう。心当たりがあるんだ」
 支倉の強い言葉に、燈太は訝しげな目を送ってきた。
「虫を潰せるかもしれない。だから――」
「無理だ」
 しかし、支倉の願いは叶わない。
「頭が痛い……今日はもう、帰って寝たいから……」


■ボルボは間に合わない■

 支倉は練習が終わったあと真っ直ぐ帰宅し、月刊アトラス最新号を本棚から引っ張り出した。
 ネットに潜むムシの噂を追った記事は、見開き2ページ程度のものだ。確か、先月から連載が始まっているはず。記事の隅々まで目を通したが、担当記者の名前は記されていなかった。
「もう6時か……でも、行ってみようかな……」
 この不景気の中、発行部数を伸ばし続けている雑誌の編集部だ。きっとこの時間になっても慌しい。会いたい記者はいなくとも、『誰か』はいるはずだ。
 支倉はバッグを掴んで家を飛び出した。
「と!」
 門を出るなり、彼は砂埃を上げて急停止した。門の前にはボルボが停まっていて、運転手がドアを開けて待っていたのだ。
「あ、ありがとう」
「慌ててお帰りになりましたからね、きっと何かご用事だろうと」
「さすが! ……急いで白王社に行ってほしいんだ!」
「かしこまりました」
 多少急いではくれたが、黒塗りボルボはいつもの通り、安全運転だった。


 夜の月刊アトラス編集部の様子は、昼間と対して変わらなかった。電話の呼び出し音は景気よく鳴り響いているし、記者はほとんど全員揃っているようだ。
 ――ここの人たち、いつ帰ってるんだろう?
 支倉は不安にも似た疑問を抱いたあと、編集長のデスクに駆け寄った。

「……そう言えば、昼間にあなたの妹さんが来たわね」
「え?」
「中国から来たっていう子よ。あなたと同じことを訊いたわ」
 麗香は支倉から、誰も座っていないデスクに目を移した。
「御国くん、一昨日から行方がわからなかったの。でも、ついさっきあなたの妹さんが見つけてくれたみたい。凄く疲れてるようだったから、真っ直ぐ今日は家に帰らせたわ。さすがに行方不明になってた人にすぐ来いとは私も言えないもの」
 支倉は手短に麗香に事情を話していた。麗香はその内容に、しばらく腕を組み脚を組んで考えているようだった――彼女も支倉も、御国将という記者の身に何が起きたか、まだ知らない。だが今このときに事情を訊くのも無粋な話だろう。
「ともかく……あなたはとりあえず、その先輩の様子を見に行ったほうがいいわね。御国くん、消える直前に『ムシを見た』ってゴーストネットの掲示板に書き込みしてたの。ムシの見るのは前触れよ。きっと、見たから何か起きるわけじゃない……」
「すぐ、行きます!」
 麗香の言葉が終わらぬうちに、支倉は出口に向かって走り出した。疾風はデスクノ上の原稿や三下を吹き飛ばした。

 半ば祈るような気持ちで、支倉は携帯で宮嶋燈太に連絡を入れた。悪いことに(よそうがついていたのは悲しむべきことだが)、燈太が出ることはなかった。携帯、宅電、いずれにも。
「くそっ! 急いで! 今度こそ急いで! 人が危ないんだ!」
「では、シートベルトを!」
 ボルボはさすがに、急いでくれた。


■ワンルーム■

 かさこそ、

 支倉の足元を、黒い虫が這っていく。
 2回ほど来たことがある、宮崎燈太の住むアパート。
 1ヶ月3万5000円のワンルームで、燈太は窮屈そうに暮らしている。だが、この狭い家の中で過ごした時間は忘れられないものだった。馬鹿な話や妙な鍋で盛り上がり、朝方になるまで帰らなかった。
 ――センパイは、ただのセンパイじゃない。僕の……友達だ。
 一緒にバスケをやりたいし、馬鹿な話もしたいし、また妙だけれど美味しかったあの鍋をやろうと、約束までしたではないか。

 かさこそ、

 だが、7時半をまわっているというのに、すっかり辺りは暗いのに――
 燈太の部屋からは物音一つせず、明かりもついてはいなかった。
「センパイ!」
 アパートの住人には迷惑だろうとわかっていながらも、支倉は淘汰を呼び、薄いドアを叩いた。
「センパイ!」
 返事はない。
 あのときと同じ。
 燈太は見えないムシを潰しているのだろうか、一心不乱に。
「……!」
 ドアには、鍵がかかっていなかった。

 かさこそ――

 ドアを開けて明かりをつけた支倉は、思わず短く叫び声を上げた。
「蒼……月!」
 部屋の隅から呻き声が上がる。
「来るな、頭が……痛い!」
 かさこそ、
 かさこそかさこそかさこそ――

 蜻蛉?!

 支倉はアパートから飛び出した。
 というよりも、組みつかれ、もんどりうって2階から転落した。無我夢中で飛びついてきたものを突き離す。ささくれだった脚が衣服を引き裂きながら、巨大な蜻蛉が支倉から離れた。
 蜻蛉である。
 4枚の翅に通う筋は、どくどくと脈打っている。顎がかちかちと音を立てて開閉し、3対どころではない数の脚がわらわらと蠢いていた。
 ――これが……!
 ムシだ。

 体勢を立て直しかけた支倉に、蜻蛉は再び組み付いてきた。
 顎で首でも咬み切る気だ。
 支倉はがっしと蜻蛉の首に手をかけた。今まで味わったこともない感触が掌に伝わり、支倉はぞっとして息を呑む。蜻蛉の脚の棘が、腕や肩に食い込んでくる――

 ああ、
 ちくしょう負けたオレのせいだちくしょうなんでオレにやらせてくれないんだちくしょうオレはプロなんだちくしょう学者になんかならなくたってムシだちくしょう蒼月あんなところからダンクできるなんてちくしょう化物だちくしょうかなわないちくしょうオレは教授にかなわないムシだちくしょうムシだオレはどっちつかずでちくしょうムシだムシだムシだ!

「……そんな!」
 はじめは、こいつがセンパイをと――憎んでいた。殺意さえ抱いていた。
 だがこの蜻蛉の正体を――垣間見た。
 支倉は何とか周囲を伺った。幸い人通りもなく、アパートのどの部屋にも明かりは灯っていない。
「おまえがセンパイなら……お願いだ、見なかったことにして。まだ、センパイには内緒にしていたいんだ。だから見なかったことにしてくれよ。……僕の姿を」
 これも叶わない望みだろうか。
 支倉の姿は、少年から妖狐へと変貌を遂げた。

 蜻蛉は妖孤の姿を目にしてもひるまなかったが、妖孤の体当たりをまともに食らって、雑草が生える駐車場に転がった。翅が1枚折れて砕けた。蜻蛉は4枚翅がなければ飛ぶことは出来ない。勝機はこちらのもの!
 支倉は蜻蛉に飛びかかり、がぶりと胸に咬みついた。蜻蛉は一度、びくりと痙攣し――
 黒い飛沫となって弾け、地面に影を落とした。影は、支倉から逃げるように、主の元へと戻っていく。
 長身な少年の姿に戻ると、支倉は影を追った。
 部屋から、よろよろと燈太が出てきていた。
「……頭痛が、急に治った……」
 彼はそう呻いた。


■アトラスの百足■

 妹から、御国将のことを少しだけ聞いた。
 同時に支倉は将の携帯番号も手に入れた――が、電話をかけるか否か、迷っているところだ。
 燈太のことを話してもいいのか、将のことを訊いてもいいのか、自分にはわからない。
 燈太の心のうちを知ってしまったのは、少しだけショックだった。自分は悪くは思われていないが、燈太のストレスの原因のひとつであったことは間違いないのだ。
 そうとも、あの巨大で禍禍しい蟲は、ストレスの塊だった。ストレスが形を持って、この世に現れたのだ――
 無理もないが、今日、燈太は練習にこなかった。
 ベッドに寝転がって携帯を弄んでいると、突然携帯が着信した。支倉は飛び上がって、ディスプレイを確認した。
「……っと、センパイ!」
 何故か迷うことなく、支倉は電話に出た。
『よう、蒼月』
 淘汰の声は、どこか晴れ晴れとしている。それには、正直にホッとした。
「センパイ、えっと、大丈夫ですか?」
『ああ、お前のおかげでスッキリしてる』
「う、まさか」
『そう、見ちまったんだよ。というか……何となく見えたんだ。部屋に居たのに、お前が見えた。……あのトンボ、オレなんだな……? そうなんだろ?』
 正体を知られたことに対する焦りはなかった。それよりも、あえてうやむやにしておいた蟲の正体に、燈太が自分で辿りついてしまったことのほうに焦りを覚えた。出来ることなら、ずっと自分の胸のうちだけにしまっておきたかったのだ。
『……何にも言わないってことは、そうなんだな。……お前、そう言えば、心当たりがあるって言ってなかったか?』
「ああ、……うん。僕たちよりムシをよく知ってる人がいるんだ」
『明日とか、会いに行かねェ?』
「え、でも」
『オレは今日1日ずっと寝てたから、もう元気だよ。……なあ、オレは、知りたいんだ。自分にいま何が起きてるのか。蒼月……手伝ってくれ』
 支倉は微笑む。
 たとえこの笑みが向こうには伝わらないのだとわかっていても――思わず、微笑んでしまったのだ。
「僕も知りたいんだ。だから、一緒に行こう、センパイ」

 そして、御国将の携帯番号を呼び出す。
 結局燈太に尋ねることは出来なかった。
 ――バスケ、好きですか? センパイ。
 一昨日までなら、気がねなく訊ける他愛もない質問であっただろうに。




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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【1653/蒼月・支倉/男/15/高校生兼プロバスケットボール選手】

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               ライター通信
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 モロクっちです。『殺虫衝動・孵化』をお届けします。
 蒼月様、ご参加有難うございました!
 今回はとりあえず、いつものパラレル展開ではなく、妹さんのノベルとは違う展開になっております。将との面識はありません。今後もこのシリーズに参加して下さる場合、将とのパラレル展開か(ほぼ妹さんのノベルと同じ流れになります)、燈太センパイと調査を進めるかをプレイングにてご指定下さいませ。勿論将に会って情報交換することも可能です。

 それでは、この辺で。
 またお会いできると嬉しいです。