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■幻想交響曲 2 舞踏会■

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【1564】【五降臨・時雨】【殺し屋(?)/もはやフリーター】
(第1楽章オープニングより)

「僕はコンピュータを利用して、視聴者がより映像の世界を体感できるようなシステムを考えていました。今まででも、目にゴーグルのように装着して視界のようにスクリーンを見られるようなモニターなんか、ありましたよね。あとヘッドホンなんかもそうです。そういったものの複合体を計画して、医療用の脳波測定器の改造版と組み合わせて作ったのがこれです」

 水谷・和馬(みずたに・かずま)と名乗った青年が一同を案内した部屋には、SF映画にでも出てきそうな頭部の半分を覆う設計になっている機械があった。見た目は何かの医療器具のようにも見える。そこから一本のケーブルがコンピュータに接続されており、手前に置いたディスプレイから操作できるようになっていた。

 霊の思念によって精神を音楽の世界に取り込まれてしまった青年を救い出して欲しい、という依頼がある。上手くやれば割りのいい仕事になるが、やらないか、といかにも胡散臭い依頼を持ちかけてきたのは、結城・レイ(ゆうき・れい)という東京都内をロードバイクで駆け回ってはどこから情報を仕入れたものか、表向きはその異能を知られる事なく生活している彼らにわざわざ話を持ちかけてくる自称メッセンジャーの少女である。
 彼らはレイによって召集され、現在こうしてその青年の自宅であるという高級アパートメントのワンフロアを占めるスタジオ兼住居に居る訳だった。声をかけた張本人であるレイは、依頼者に引き合わせるといつの間にか姿を消してしまったが。

「装置としては、さっき説明したような視界型のスクリーンと外部の音を完全にシャットアウトできるヘッドホン、それから脳波にダイレクトに作用するもので──まあ、これは複雑なんですが微弱な電波、しかし脳の各感覚部分に確実に作用するもの、と考えて貰えばいいですね。それが映像、音響情報と連係して、対象に擬似的な感覚を与える訳です。例えば、木が風に揺れているような映像と効果音だったら、風が身体に当たっているような錯覚を与える、というように。まあ、コンピュータマニアが遊びで作った玩具だったんですよ。柾は、映像の世界に没頭する奴でしたから、彼なら楽しめるかもしれないと思って、彼にやったんです。たまに映画を見たりして、面白い、と云ってくれてましたが。……ですが、例の事故があってから、柾は全く死んだみたいに無気力になってしまって……。彼はある意味、彼女が死んだ事を認めてないようでした。ちょっと言動もおかしかったんです。突然、ふらっと僕を訪ねて来て『おい、千鶴子来てないか』とか聞いたり……」

 柾・晴冶(まさき・はるや)は新進の若手として注目を集めていた映像作家だった。映像と音とで白昼夢のような美しい世界を造りあげ、その裏では製作過程で潔癖性なまでのこだわりを見せ、変わり者と評されてもいたが、短編映画やコマーシャルフィルムの監督として将来を期待されていた。水谷は、アマチュア時代から柾と共に創作活動をしていたディレクターの卵で、柾の数少ない友人だった。

 その柾の恋人は陵・千鶴子(みささぎ・ちづこ)という舞台女優だった。古典的な女優然とした気品のある美貌で、柾の映像世界には理想的だったのだろう、あるショートフィルムの主演に彼女を起用した時から二人の交際は始まった。監督と女優という典型的な関係ながら、相思相愛振りは中学生の恋愛のように微笑ましいほど純粋だったようで、人間嫌いの噂もあった柾が千鶴子に対してだけは少年のようになる、と専らの評判だった。

「似合いでしたよ、柾も美青年だったし、何しろ自分の言動とか身の回りに関しても映像としてのこだわりがあったから、二人が一緒の所だけ別世界のようにきれいで」

 悲劇は、一月程前に起こった。
 陵千鶴子の急逝。轢逃げによる即死だった。警察も事故、他殺の面で捜査したが未だ犯人は見つかっていない。事故車だけは乗り捨てられた状態で発見されたが、それは少し前に都内で盗難届けが出されていたものだった。
 柾は知らせを聞いて半狂乱になり、落ち着いたと思ったら今度は突然無気力になって自宅に引きこもって仕事も、関係者に面会することもなくなった。その少し後には水谷が云うように精神の破綻も来していたらしい。

「問題はここからで……一週間程前、僕もさすがに不安になって柾を訪ねたんですよ。つまり、この家ですけどね。ベルを鳴らしても、出ない。外から携帯で電話しても、通じない。おかしいと思って、入ってみました。鍵は開いてたんです。居間にもいないし声をかけても返事がないので、捜しまわってる内に、この部屋でこの装置を使って何かを見てる柾を見つけました。ディスプレイで確認したら、それが、この映像だったんです。慌てて、中断させました。それから……ずっとああなんです。何も見えてない、聞こえてないみたいな状態です」

 柾は音楽、特にクラシック音楽にも深い感性を持っていた。陵千鶴子を使って、ベルリオーズの「幻想交響曲」を映像化する計画があったらしい。一部、撮影が進んでいたが、完成を待たず千鶴子は帰らぬ人となった。
 その製作途中のフィルムが、今ディスプレイに映っているものだ。
 陵千鶴子が、白いドレスを着て、微笑んでいる。白くぼやけた背景の中を漂うような美しい彼女は、今となってはその直後の不安な死を予感させるほど儚い幻想のようだ。

「こんな装置を柾に与えた僕の責任です。柾が今非常に不安定な状態だと知っていながら……。これは、精神科を含めて医療の範疇では解決できないと思っています。明らかに、柾の精神は別の世界を彷徨ってる。……これは、あなた方だから云うんですが、見えたんですよ、千鶴子が……フィルムに残っていない場面で、誘いかけるように笑って手招きしてる千鶴子の姿が、一瞬だけ映ったんです。千鶴子が柾を引っ張り込もうとしてるに違いないんです。それで、そういった霊的な物に対抗できる方を紹介して貰えるように方々を訪ねてたんです」

「柾に、もう一度この装置を使ってこの映像と、同時に幻想交響曲を最初から最後まで聞かせます。チャンスは一回しかありません。もし、またこの装置を使って実際の柾にこの曲を最後まで聞かせたら、柾は二度とこっちには帰ってこられないでしょう。ですが、その間に柾にこれは幻覚だ、千鶴子は死んだんだと理解させられれば……あるいは、と思いまして。柾に音楽を聴かせている間に、どうか、柾の彷徨っている世界へ行って彼を連れ戻してきてくれませんか」
幻想交響曲 2 舞踏会

【2_0I】

「要は、標的は一人。それも廃人同然のパラノイア患者もどきの一般人。ただそいつの居る場所っていうのが半分バーチャルの世界で、周りにはバケモンだとかそいつの護衛の思念体とかが居て厄介な訳さ。……って事で、あんたに頼んでんだけど……、……おい」
 結城・磔也(ゆうき・たくや)はそこまで云って、相手の青年のぼんやりした表情に気付いて眉を顰めた。磔也は見た目は普通の、──だが趣味半分に情報や違法ドラッグの横流し、刺客派遣の仲介等をやっている高校生である。
「おーい、兄さん聞いてるか?」
 五降臨・時雨(ごこうりん・しぐれ)の視界に彼の異様に白い手がひらひらと映る。勿論聞いてはいるが、彼の反応は少し常識とは掛け離れている。
「……桜舞う春も……風吹き抜ける夏も……木の葉散る秋も……雪降る冬も……」
 赤い瞳の焦点をぼんやりと遥か彼方へ合わせながら時雨は呟くように云う。
 ……駄目だ、こりゃ。……コイツ、腕は良いし確か秒速2000mで動けて刀で秒間200斬撃を繰り出す能力があったとかなんだけど、……何と云うか、天然入ってるんだよな。
 磔也は軽く眉間を押さえると、まるで小さな小学生をお使いに送り出す親のように、一枚の白紙に依頼者の名前と住所を懇切丁寧な地図入りで書き、時雨に突き付けた。
「分かった? って事で、分かったらさっさとここに行ってくれ。ここに行きゃそのバーチャルワールドに入れるから、はい、分かった? 返事は?」
「……分かった……」
「はい、行ってらっしゃい」
 磔也は自分よりも上に視界のある青年の背中を押し、ともかく送りだしてしまうと一つ大きく息を吐いた。
「……、道、間違えるなよ、」
 今の所は2000mの移動に普通に半時間は掛りそうな足取りで去って行く、赤い長髪を靡かせ、背中には刀身7尺の長刀を背負っている青年に念を押した磔也だが、見送っている内にも既に数人の幼稚園児の集団と野良犬に懐かれてしまった時雨に、再び溜息を付いた。
「あ」
 そして自らの手の中に残ったままの紙に気付く。
「しかも、持って行ってないし」
 くるり、と時雨を振り返るが、何となくまた彼に向き合うのに気後れし、先程時雨に付き纏っていた子供の一人を手招きする。
「何?」
「あのな、これをさっきの赤い髪の兄ちゃんに届けて来い」 
 
 その子供が、「要らない、もう覚えたって」という伝言を持って帰った時には、既に拓哉の姿は無かった。

【2_0zero】

 アイスコーヒーを追加し、某ネットカフェの窓際の席で第二楽章の始まりを待っていた結城・レイ(ゆうき・れい)の耳許でこんこん、とガラスが叩かれた。顔を上げ、窓の外から手を振っている人物に目を留めた彼女は非常に厭そうな顔をした。
 その人物は、ややして自分もネットカフェの店内に入って真直ぐレイの横へ来た。レイは無視するように殊更じっとモニタを見詰めている。
「相変わらず暑そうな髪だよな」
 そう云って彼女の前髪を掻き上げようと伸びて来た彼の手を、レイはぱし、と叩く。
「私の勝手でしょう。それより何か用?」
「なんか冷たくない? 姉貴」
 レイの不快指数が一気に跳ね上がったらしい。
「都合いい時だけ姉呼ばわりするの、やめなさい、磔也」
 傍らに立っている少年は、結城・磔也(ゆうき・たくや)と云い、レイの弟だ。一応。彼の髪は普通の高校生らしく適当な長さに切られているが、真っ黒なその色と、肌の異様な白さが遺伝子上の二人の繋がりを示唆している。顔は……姉の方がこうなので比べようもない。
「……レイ、水谷和馬って何者?」
「……あんた、また私のファイルに勝手にアクセスしたわね。あんたには関係ない事よ。さっさと帰るか私の視界に入らない席でネットゲームでもやってらっしゃい」
「レイのファイルなんか見ないよ。俺の所に、その水谷が依頼に来たんだ」
「……何ですって?」
 レイはスツールから立ち上がり、磔也を問いただす姿勢に入った。
「水谷は私の依頼人よ。それが、何であんたの所に行ってるのよ、草間興信所とかならともかく、なんでよりによってあんたの、」
「知らねーよ。だから聞きに来たんじゃないか。……例によって一人ばかり、バケモノ系オッケーの奴寄越してくれって云うから、さっき送り出しといた」
「……!」
 レイは慌ててモニタを覗き込む。今の所異常はないが──。
「水谷の奴……。で、そいつの名前は? 能力は?」
「交換条件」
「磔也、あんた、覚えてなさいよ」
「水谷に云えよ。俺は何も知らずに仕事しただけさ」
「……」
 
 ──結局、レイは水谷のファイルへのアクセスコードだけを教え、替わりに五降臨・時雨(ごこうりん・しぐれ)という人間のデータを受け取った。どうせ、隠しても彼ならレイのコンピュータ位好きにハッキングしてしまうのだ。
「……冗談じゃないわよ、こんな危ない奴」
 磔也が奥の個室へ行ってしまうと、レイはキーボードに両手を置いた。のんびり見物でもしていようと思ったのに、そうは許さない状況になった。とにかく、こいつだけは何とかしなければ。──実際の所、レイには柾がどうなろうと知った事ではないのだが、──あいつの好きにされるのだけは我慢できない、と店内の奥を一瞥した。

 その時だ。レイの携帯電話に着信があったのは。
 レイは舌打ちしながら通話ボタンを押す。知らない番号だが、まあそれは日常茶飯事である。
「もしもし?」
 若い男の声だった。結城さんの携帯ですか、と問われ、レイはやや苛立ちながらそうですけど、と答える。……忙しい時に。
 相手の男は御影・涼(みかげ・りょう)と名乗り、田沼探偵事務所の者だが、篠原は居るか、と訊ねて来た。
 ああ、あの依頼書か。全く面倒な。
「知らないわよ、私はただ仲介しただけなんだから。直接の依頼人に聞いてくれない。……水谷っていう奴、……ああもう分かったわよ、今から云う住所に行って。……どんなって、依頼書読んだんでしょう、行きゃ分かるわよ、実際に!」

──『五降臨・時雨 / 男 / 25 / 殺し屋』

【2_1I】

 依頼者、水谷和馬は時雨を見ると、少し待つように云った。
「様子を見ている所なんです。それに、楽章の途中に入るのは危険ですから、切れ目に入る方がいいでしょう」
「……」
 時雨は半分水谷の言葉は聞かないで、目の前のディスプレイを眺めていた。彼に「危険」と云っても通じないのである。秒速2000mで動け、秒間200斬撃を繰り出す能力を持つ暗殺者に一体どんな危険があろう。あまりに強力過ぎて普段はリミッターで能力を10分の1にまで抑えてさえいるというのに。
「で、その間に細かい説明をして置きたいんですが」
「……この人……」
 呟きのような時雨の言葉に、後ろから共に華やかなダンスホールを映す画面を覗き込んだ水谷は頷いた。時雨が指先を触れている部分のディスプレイには、柾・晴冶(まさき・はるや)が大剣を肩に担いだ少年に護られるような感じでぼんやりと突っ立っている。
「そう、目標は、彼です。……但し、見て貰えば分かるように現在、彼を『連れ戻す』という名目で既に7……いや、8人の要員を向かわせています。勿論、あなたの存在は彼等の知る所ではない。あなたは、云わば切り札です。少し、計画が狂いつつあって、不測の事態が起こりそうなんですよ。そうなれば、あなたにこの中へ……、」
 彼が延々説明をしている間に、水谷の視界から赤い髪の青年が消えた。実際には、目標を確認した時雨が2000m/sの速度で自らも幻想世界へ向かうべくその入口となるらしいヘッドホンを装着したのであるが──秒速2000mで動いている人間に亀のようなまどろっこしい人間の言葉が聞こえる筈はないし、一般人から見れば秒速2000mで自分の目の前から他所へ移動した人間は消えたように見えるのだ。

「……全く、姉弟揃ってとんでも無い人間ばかり寄越す。……番狂わせばかりだ」
 水谷が歯軋りして吐き捨てた。

【2_2I】

「──……」
 ヘッドホンを耳に当てた途端、三拍子の音楽が聴こえて、──そう思った時には時雨の感覚は浮遊感に包まれており、次の瞬間には彼の本能が着地体制を取っており、そうして時雨は華やかなダンスホールの中心に突如出現したという訳だ。
 ……時雨の秒速2000mに耐える五感を通してさえ、依頼人の部屋でヘッドホンを装着してから彼がここに降り立ったに至る経緯はさっぱり分からなかったが、──辺りを見回せば、ともかく「目標」の居場所に今、自分は居るらしい。
「……えーと……ボクは……『目標』……を……、」
 ──斬る。
 ぐるりと視線を廻らせた時雨は、直ぐに「目標」の姿を確認した。
 何も見えていない、何も聴こえていないようなぼんやりした表情の、やつれた青年。

──「目標」の名前は柾・晴冶。28歳。元映像作家、ま、映画監督みたいなもんだな、現在廃人寸前。パラノイアと思しい。身長175前後、痩せ形。つーかやつれてるから、まあガリガリで青白い顔色と思っときゃいいだろ。ま、その中で一番ぼけっとした奴探せば間違いねえな。あ、一番ぼけっとしてるって、あんた自身は数に入れんなよ。でなきゃあんた自殺する嵌めになるから。

 仲介者、結城・磔也の言葉を一瞬の内に頭で復誦し、間違いのない事を確かめると時雨は「目標」、柾に真直ぐ向き合った。
 結城の云っていた「護衛」と思しい、大剣を構えた少年がその前に立ち塞がった。
「……護衛……だったら……、……邪魔、なんだ……」
 彼も斬るべきだな、と時雨は判断する。
 少年と目が合った。時雨は掌中の妖長刀「血桜」を手に、ひとまずは彼へ向けて地を蹴った。
「──……、」
 血化粧──斬。
 少年が呻き声を上げたのが聞こえたが、数度目の一撃が「目標」を突き飛ばした彼の腕を僅かに掠った他、残りの斬撃が何か、大気の壁のような物に遮られたのが分かった。少年が顰めた眉をキッ、と吊り上げると同時にその大気の壁が、刃となって向かって来るのを斬り伏せる。
「……?」
 一度少年から離れ、おかしいな、と訝った所へ霊気を孕んだ小さな弾丸が飛んで来た。時雨は首を傾いでそれを避ける。
 反対側の隅に一塊になっていた「護衛」連と思しい一団の内、アルビノの青年が銃を構えている。それを赤い髪を逆立てた青年が制止し、御神刀らしい物を具現化して一団を庇う体制を取った。
 その中からもう一人、青い目をした、これもまた霊刀を具現化した青年が歩み出て向かって来た。
「……、」
 結構、……速いかも……、と思いつつ時雨はその斬撃を受け止める。「型」の重視された整然とした剣法だが、然し時雨が軽くはあしらえない程に速い。
 暫く、2000m/sと神速の打ち合いが続いた。
 勝明、と青年が一団に向かって声を上げたと同時に飛び退き、時雨も一旦後ろへ下がる。
 ……そして、その時だ。
 時雨の視界が、──否、ダンスホール全体の動きが静止し、彼は首を傾ぎつつ足を止めた。
 その瞬間、音楽と、幻想世界全体の映像が急に「一時停止」したのだ。

【2_3】

「はいはいはい、ストップ!」
 更に有り得ない人間の出現に一同は目を見開いた。
 「一時停止」状態で運動を止めているダンスホールのカップル達の間を縫って走って来て、一同──イヴ・ソマリア、セレスティ・カーニンガム、篠原・勝明、ケーナズ・ルクセンブルク、陵・彬、倉塚・将之、御影・涼、草壁・鞍馬と柾達──と赤い髪の侵入者の間でぱんぱん、と手を叩いたのはレイである。
「何故君がここに?」
「ちょっと、あなたこの原因には噛んでないって云わなかった?」
「……あ、あの声、電話の……」
「……、」
 レイはまあまあ、と一同を宥めるように掌を下に向けてひらひらと振った。相変わらず、鬱陶し気な前髪の下の口唇は気楽そうな笑みを浮かべてはいるが、妙に余裕のあった態度が失われ、やや忙し無いというか、焦っている様子が伺えた。
「悪いわね、ちょっとした手違いがあったのよ。あ、勿論私はただ見てただけなのよ、でも途中で手違いに気付いたものだから、もしかしてこんな事態になるかもと思ってちょっと仲裁がてら、お邪魔した訳。あ、あんまり長い時間取れないのよ、この『一時停止』。だから、あんまり深く考えずに聞いてね」
 そうは行くかと文句の飛び出しそうな一同に素早く背を向けると、レイは赤い髪の侵入者にまた忙し無く駆け寄って、ぽん、とその両肩を叩いた。
「もー、やあねー、早まっちゃって。2楽章が終わるまで待っててくれればちゃんと説明したのに、聞きもしないでさっさと入っていっちゃうんだから焦ったじゃない。あ、紹介するわ、彼、五降臨・時雨君。凄く速かったでしょ、彼、秒速2000mで運動できるのよ。そちらの御影・涼君と同じ、新しい仲間よ。ま、追加投入要員てとこね」
 とひらりと上向けた手の先で侵入者、時雨を指し、かと思うと今度は涼に向かって「あら先程はどうも、ごめんなさいねー、ちょっと手が塞がってたものだから」とわざとらしい程愛想良い挨拶をする。
「……大方、彼女だろう、勝明を勝手に連れ出したのは」
「……、」
 諦めたような涼の声に、勝明もまた半分何かを諦めた顔で頷いた。
「……じゃ、そいつも柾さんの救出に来たって事か?」
 未だ御神刀を構えたまま鞍馬が訝し気に問う。仲間と柾と、何より彬の命が懸かっているのだ。適当に丸め込まれる訳には行かない。
「当たり前じゃない、草壁君、頭良いわねー、」
「放っとけ!」
「あら、倉塚君怪我してるじゃない、やだ、痛そー! ごめんねー、私の連絡が行き届いてなかったばっかりに。彼を責めないであげてね、ほら、よく見たら凄く優しそうな顔した人じゃない。ね? 五降臨君、子供とか動物に凄く好かれるものねー、あ、ドクター、ドクター!」
 繰状態だ……、と将之が呆れて文句も付けられない程矢継ぎ早に喋り、レイはセレスティを「ドクター」呼ばわりして手を振る。それでもセレスティは静かに将之に歩み寄るとその腕を取って衣服ごと開いた彼の傷口を水霊の力で持って治癒した。あくまで、彼をドクター呼ばわりしてぞんざいに呼びつけたレイの為ではなく、将之の安全の為だ。彼は、仲間には──時には危険なほど──優しく愛情を向けるのだ。「どうも、すいませんいつも」と会釈した将之にセレスティは微笑を返す。
「……ボク……は……、……あの人……から、……彼が目標……」
 時雨が相変わらず独り言のように呟いたのを聞き咎めたレイはまたしても慌てて時雨に駆け寄った。
「そうそう、そうなのよ。彼、柾・晴冶さん。ちょっと今頭が飛んじゃってて、あ、って云うか私彼も『一時停止』させちゃったか、ともかく挨拶はできないけど、彼があんたの護衛する人! そう、目標! 分かった? じゃ、しっかり彼を護ってあげてね、期待してるわ」
「……でも……君……はあの人じゃ……」
 時雨を振り返ったレイの前髪の奥が一瞬きらりと光った──気がする。
「え? やだ、私があんたに依頼したんじゃない。……あ、そうそう、磔也ね、磔也! アイツったら厭あねー、あれ、頭悪くてすぐに勘違いしちゃうのよ。全く、手伝ってくれたのはいいけど全然正反対の内容伝えてちゃ話にならないわよね。だから私がわざわざ出向いたんだけど。だから!」
 レイは一瞬頭に手をやってふらりとよろめいたが、ともかくやっつけ仕事をするように「だから」と一同と時雨それぞれに両手の人さし指を向けてそれを行き来させた。
「あんた達は仲間なの。今からは9人で力を合わせて頑張ってね。ほら、キリのいい人数じゃない、バレーのチームと一緒で」
「……君……本当に……」
「だから、磔也は私の弟! 姉思いの優しい弟が仕事を手伝ってくれたつもりが頭悪いもんだから全然逆な内容を伝えちゃっただけ!」
 いいわね、じゃあしっかり柾を護るのよ、あんたも護衛だからね、と一喝し、レイはまたそそくさとその場を後にした。
 そして、レイが姿を消すと同時に幻想世界と音楽も動き出した。
 
 ──狂乱のワルツが、である。

【2_3xxx】

「……頭悪いって……俺より知能指数低い女に云われたかねぇよな」
 磔也は、一見居眠りでもしているように見える、ノートパソコンを前に机に突っ伏したレイの後頭部を軽く突つきながら呟いた。レイは、起きる気配もない。当然だ、彼女の意識は今このモニタに映し出された幻想世界の中に居るのである。
「……五降臨、だっけか……。……いいもん見せて貰ったけど、常識飛んでそうだったしな……。……そこに付け込んで味方に引き摺り込むたあいい度胸してるよ、姉貴も」
 そして、ダンスホールから離れると出口を探して逃げ惑っているレイをモニタの中に眺める。
「……仕方ねえなあ、」
 磔也はノートパソコンを引き寄せると、キーボードに指を置いた。

【2_4DFHI】

「倉塚、お疲れ!」
 セレスティによって癒された傷の跡を撫でながら脱力して座り込んでいる将之に、鞍馬が明るく声を掛けた。
「あのなあ、……仕事しろよ、お前ら!」
 特にお前。とばかり将之は彬の警護で頭が一杯だったと思しい鞍馬に指先を突き付けた。鞍馬はあはは、と笑いながらも御神刀「雪月花」を示し、「ちゃんとやってるって」と誤摩化す。──半分、位? ……忘れてた。……柾は、相変わらず独りぼんやりとウインナワルツの群集を眺めている。
「……レイに上手く丸め込まれた気がしないでもないが」
 ケーナズは腕を組み、きょとんとして一同を見回している赤い髪の元「侵入者」、時雨に温度の低い視線を向ける。
「取り敢えずは君を信用しても良いのだな?」
「……あ、……ボク……、」
 依頼を受けてみれば急に妙なダンスホールへ放り込まれ、訳の分からない内に美貌のドイツ系青年から冷徹な視線を浴びておろおろしている時雨こそ可哀想だ。ばつの悪さも手伝ってか、そそくさと将之から逃げ出した鞍馬がやたら明るく取りなす。
「まあまあ、いいじゃんかよ、ほら、目出度く仲間も増えた事だし、なんか強そうだから多分、頼りになるし、」
「……そうか、では有事の際には存分に活躍して貰うとしよう」
 君もな、と微笑と共に付け加えたケーナズを鞍馬は体感温度の下がる思いで見上げた。

【2_4zero】

「……、」
 レイはゆっくり突っ伏せていた顔を上げる。──助かった、と思う彼女の横には一人の少年。
「──磔也」
「……全く無茶するよなぁ。大急ぎで自分のヒトゲノム情報をあっちのコンピュータに送り込んだ上で音楽をクラックして一時停止、しかもそこに意識だけで割り込むなんて」
 レイは手櫛で髪(特に前髪)を整えながら、呆れたように腕を組んでいる磔也から顔を背けた。
「元はと云えばあんたが悪いんじゃないのよ」
「……あ? 最終的にレイの意識を引っぱり出してやったのは誰だよ」
「それぐらいしてくれて当然じゃないの? あんたがちょっかい掛けて来なければ、私だってあんな死にそうな目、好き好んで見るもんですか」
「知らねーっつってんのにさ。……所で、あっちの連中、結構ヤバいんじゃねぇの」
 磔也はモニタをとんとん、と指先で叩き、中に居る9人を指した。
「何しろ出入り口を守ってる奴が──」
「……分かってる」
 レイは氷が溶けて温く、薄くなったコーヒーを一気に飲み干し、じっとディスプレイを睨み付けた。
 ──柾どころじゃないわよ、あんた達。
「……レイ」
「何よ」
「賭けようか」
「……」
「連中が柾を連れて戻って来られたらレイの勝ち。柾が死んだら俺の勝ち」
「受けようじゃない」
 レイは享楽的な表情で云う磔也を一瞥した。
「……面白くなりそうだな」
 親もレイに任せるよ、姉貴、と云い置いてポケットから無造作に取り出した紙幣の束──どうせ水谷からの前金か何かだろう──をレイの前に放ると、磔也は再び奥の個室へ戻って行った。
「……滅茶苦茶になるわよ、この先」
 イヴ、セレスティ、勝明、ケーナズ、彬、将之、涼、鞍馬、時雨の9人をモニタの中に見詰めながら、レイは呟いた。

【2_5】

「皆、ちょっと良い?」
 一同の中へ戻って来たイヴが声を掛けた。
「舞ちゃんの中間報告」

 ──ネットカフェを出、調査を開始した朝比奈舞、つまり現実世界担当のイヴの分身は、まず電話での聞き込みを開始した。主に芸能関係者や、舞台関係者にイヴ名義も偽名も使い分けて、陵千鶴子の男性関係及び水谷和馬の女性関係について訊ねて回った。
 イヴには、一同を前に説明を行った和馬がマイナーな舞台とは云え人気女優の陵千鶴子の事を「千鶴子」と名前で呼び捨てたのが引っ掛かったのだ。馴れ馴れしいと云うか、親し気な感じもする。──それに、確か彼は女優の誰かさんに熱を上げているという噂。
 或いは、千鶴子。千鶴子は本当に柾一筋だったのだろうか。裏で遊んでいた可能性は? 皆の云う、柾を「殺そうとする千鶴子」と「護ろうとしている千鶴子」。それぞれの正体を知る為にはその辺りの裏付けが必要だ。

 ──。 
「千鶴子さんは、本当に柾さん一筋だったみたいね。ほんと、それこそ『中学生の恋愛』みたいな微笑ましい光景だったみたいよ。誰かさんみたいな『自称恋人』は居ても、柾さんの他には一緒にお食事する男性さえ居なかったみたい。問題は、水谷さんの方よ」

──あ、イヴさん? どうされたんですか?
「ちょっと聞きたい事があるんだけどぉ、あのね、ディレクターの水谷さんって居るじゃない、水谷和馬さん。実はぁ、わたしの友達が水谷さん、いいなー、なんて云っててぇ、……彼、フリー?」
──水谷? ……わざわざ……、……変わった趣味ですねぇ。フリーはフリーですけどね。有名ですよ、見向いて貰える筈もない美人女優に御執心って」
「あ、じゃあ好きな人はいるのね。誰?」
──……色んな意味で、絶対無理なんですけどね。……陵千鶴子ですよ、先月亡くなった女優の。
「──……!」

 ──。
「どういう事かしら? 水谷さん、柾さんと親友でありながら、陰ではずっと千鶴子さんに御執心だったのよ。そんな事、彼、一言も云わなかったわよね。──それに、」

 陵・彬から千鶴子が同姓である事について調べて欲しいと云われた件について、彼女は真っ先に草間興信所へ向かった。身許調査と云えば興信所である。旧家の人間にそんな立ち入った事を聞いても答えてくれる筈もないし、何より普段から殺到する怪奇絡みの依頼に頭を悩ませている草間が「普通の依頼が来た」と喜ぶだろう。
 だが、その為に向かった彼女はそこで、奇遇としか云い様のない場面に直面した。
 草間が彼女に見せた調査依頼書、その依頼者名は調べるまでもなく陵千鶴子の兄、陵・修一(みささぎ・しゅういち)となっていたのだ。しかも、彼等の母は旧家の実家を飛び出して東京でシングルマザーだったという事も知れた。
 陵の依頼内容もまた、イヴがこれから調査しようとしていた事そのものである。陵は千鶴子殺害犯人の目星を付け、警察では証拠が上げられないので霊的な方面よりの調査をして欲しい、と云ったのだ。
 そして、その時たまたま興信所に居合わせたのは今や草間興信所の雑務係ボランティアと化したお馴染みのシュライン・エマ(しゅらいん・えま)と、田沼・亮一(たぬま・りょういち)という探偵。

「亮一!?」
「……亮一さん、帰ったんだ」
 涼がはっと顔を上げた勝明に、戻ったら探してくれるよう置き手紙を残して来たんだ、と教えた。
「勝明君を探しに来てたのよ、大丈夫、勝明君は無事って伝えて置いたから」

 イヴは既に自分が得た情報を提供した代わりに、その件の調査を急ぎ、結果が出ればすぐ伝えてくれるように頼んで興信所を出た。

「今頃、シュラインさんと田沼さんが『彼』の調査を始めてる頃よ」
「……大分、事情が込み合って来たな」
 ケーナズが目頭を押さえながら呟いた。
「……、」
 彬は結果的に、実家に連絡が行かずに済んだ事に安心したらしい。調査の為なら私情は挟んでいられないが、それは鞍馬も同様である。……この事が楓に知れたらどうなるか。
「千鶴子さんは、柾さんを殺そうとはしてない?」
 将之が、再び柾の腕を掴まえつつ呟いた。そして、柾に引けを取らないほどぼんやりして話の輪から外れている時雨に「お前も注意してろ」と釘を指す。
「……え……?」
「え、じゃねえよ、あんたも柾さんの護衛になったんだろ?」
「……分かった……」
 本当かよ、と呆れる将之の耳に、「じゃああの千鶴子は一体何者だ?」と云うケーナズの声が響いた。
「……、」
 ──現れた。陵千鶴子だ。流石の時雨を含んだ全員が目を向けた先に、赤い天鵞絨の華やかで扇情的なドレスと口紅を纏った千鶴子が微笑している。
「──あの気配は明らかに不穏だぞ」
「──円の中心」
 セレスティが呟く。
「さっき君が会ったという千鶴子と、気配は?」
 彼は首を振る。
「違いますね、──明らかに。衣装も違います。恐らくは、彼女の云っていたフィルムの中での衣装では? 私が会った時には、最初に見た『幻想交響曲』の為の映像と同じ衣装、そしてこの世界の中心を離れた場所に現れました」
「あの怨念が、このホールの中心に現れたと云う事は──、」
 誘い掛けるような千鶴子の微笑みに吊られるように、今迄何が起こってもにこやかに踊り続けて居た男女達は既に正体を現した。但し、元々それが「正体」としてしか映っていなかった勝明の目には変化はない。骸骨、或いはそれ寸前まで痩せこけた少女達が耳許まで口唇の裂けた口許で高く、ホール全体に反響する笑い声を一斉に上げ、気の狂ったとしか思えない狂乱の体で踊る。
「……あれも、ムンクだな。『死の舞踏』──」
 懐からメモを引っ張り出そうとした彬を、「彬、今んとこプチ情報は要らねえ」と鞍馬が制止した。……そうでないと、涼までもが「ああ、その絵なら俺、昔京都に来たのを見たよ、修学旅行で──」などと相槌を打ちかけていたからだ。
 ケーナズは一同を振り返った。
「迅速に行動するぞ。役割分担だ、イヴ、篠原君、カーニンガム氏、彬君は柾を連れて出口を捜せ。倉塚君と御影君は皆の護りに重点を」
「俺と、こいつとあんたは!?」
 時雨を指差しながら叫んだのは鞍馬だ。
「我々であの怨霊を喰い止める!」
「俺もそっちへ移動させて貰う」
 そう云ってエアガンを抜きながら彬が歩み寄った。
「莫迦、危ねえよ」
「あの怨霊の方には俺も借りがある」
 彬は、押し戻そうとした鞍馬を払い除けた。
「好きにし給え、君に何かあればどうせ彼は柾を放り出すだろう、──行け、」
「気を付けて!」
 そして、全員が二手に別れて散った。

【2_6DEHI】

「あれは……偽者、なんだよな」
 鞍馬は、決意を込めた声で「雪月花」を強く握り直しながら吐く。
「……違いあるまい」
 答えながらケーナズの青い瞳が強く煌めく。千鶴子を取り巻くようにして自分達にまでその触手を伸ばす化物達を、大きく解放したサイコの波で一蹴する。
「……、」
 その瞬間、彼は意識がくら、と遠のくのを感じて殊更強く手を握り締めた。──サイコ能力を連続して使う事は精神に多大な負担が架かる。こめかみを軽く抑え、鞍馬を横目に──こんな未だはっきりしない奴を置いて私が倒れてどうする、と持ち直しながらも、化物共に際限がないのは目に見えていた。
「君」
 そしてケーナズは時雨を呼び付ける。時雨は、傍目には相変わらずぼんやりしているように見えたが、──実際、彼も化物を斬ってはいるものの、あまりにさり気ない動作過ぎて虫でも追い払っているようにしか見えなかったのだ──そのケーナズの言葉には敏感に反応して振り返った。
「有事だ。君の出番だぞ。──いいな、思う存分斬って構わない。……否、斬れ」
「……、」
 時雨は頷き、──消え、否、秒速2000mで駆け出した。彼の行く手には何の障害物もない。ただ、その後に炎が揺らめくように上がって行くのみだ。
「……、」
 一度足を止めた時雨が振り返ると、千鶴子の周囲を炎が取り囲み、ダンスホール全体が炎上しているように見えた。その、燃え盛る炎の灯りを受けた千鶴子の白い顔が、赤く輝いて居る。──血化粧のように。
「一言だけ、本人に訊かせてくれ」
 鞍馬はいつでも踏み込めるよう、雪月花を構えたまま云い、次の言葉は声を張り上げた。よく通る、歌い手の声だ。
「千鶴子さん、あんたは、本当に柾さんを殺そうとしているのか、それがあんたの本質か!?」
 ──くすくす、と彼女が笑う。その笑い声は段々と大きくなる。化物達の声と、炎の音と共に狂気じみた笑い声がホール全体に反響した。
「──!」
 何をしたものか、鞍馬の脳裏で刺激が弾けた。──フラッシュバックだ。揶揄かっているつもりか、さっきの、あの砂浜で肩から血を噴き出して倒れた彬の姿が一瞬だけ映った。
「……、」
 鞍馬、という低い声を聞いたように思う。今のフラッシュバックは彬にも起こったらしく、恐らくは彼も意識しないままに鞍馬の腕を掴んでいた。
「……舐めてんのか」
 甲高い笑い声は響き続けている。鞍馬の瞳が炎を映して怒りに燃えた。彬が手を離す。
「逆効果なんだよ!」
 踏み込んだ彼の手から薙ぎ払われた「雪月花」の刀身が、冷たい蒼に煌めいた。──一閃。
「はあっ!!」
 千鶴子を囲んで居た炎ごと、彼女を切り裂いた刀身の後に白い雪が舞う。炎が連続的に断ち消え、ホールが暗転した。ただ、雪明かりだけを残して。
「──今の内だ、来い! 連中も先に行った!」
 ケーナズがいつの間にか壁にぽっかりと開いていた、ぼんやりと赤く開けた「道」の前から叫ぶ。──やはりぼんやりしていた時雨はケーナズに髪を引っぱられて初めて気付き、気付いたからには相変わらず消えるような速度でその先へ移動した。
「……彬」
 鞍馬は呆然とした彬の腕を掴み、ケーナズの方を向かせた。
「……大丈夫だから、俺に付いて来い」

【2_6zero】

「よっしゃ!」
 レイは思わずテーブルを叩いて声を上げ、店内の視線を集めたのに気付いて沈黙した。絶妙のタイミングで携帯電話が鳴る。
「はい?」
──ZERO、どういう事だこれは。
「どうにもこうにも。なかなか頼りになる連中じゃない。それをお望みじゃなかったかしら?」
──お前までがサーバに割り込んできた云い訳をどう付けるつもりだ。……予定外だ、完全に。
「……本性現したわね。悪いけど、私彼等に付くわよ。最初の依頼内容通りで行動させて貰う。……不服そうね。磔也にでも頼めば?」

【2_7】

 「道」の中は、暗かった。逸れないように、一同はゆっくりと、気配を確認し合いながら進む。
「セレスティさん、大丈夫ですか」
 勝明がステッキを突きながら歩く足音へ向けて訊ねた。
「……心配には及びませんよ」
「でも、見た所あの出血量は危険です」
 涼も云う。医学生なのである、彼は。
「……大丈夫ですよ。……もう血は止まっていますから」
 ほら、とセレスティは二人の腕に掌を当てて傷の塞がっている事を確認させた。
「……、」
 気配だけで目配せを交わした二人を余所に、彼は微笑する。──多少きつかったが、自分の血流位後でどうとでも出来る、と分かっていたからこそあの英断に出たのだ。
「しかし、これではっきりしたな。柾を殺そうとしているのが『捏造』された千鶴子の幻影だと云うことが」
「……愛しているからと云って、廃人にしてまで引き寄せて良いとは思えないからね」
 ケーナズの呟きに涼が同意した。
「一体、どこまでが柾の幻覚なんだか……」
「ケーナズ、さっきは云いそびれたんだけど、ストーカー男の事」
「ああ、どうだった?」
「イヴさん、」
 勝明の呼び掛けに、イヴが彼女自身の声ではあい、と答える。
「さっきの事なんだけど、現実世界のイヴさんに伝言を頼みたいんだ。亮一に、確かめて欲しい事がある」
「何なりとどうぞ☆」
「──俺が最初に見た海岸で……あの場所に流れていた意識が柾さん自身の物なら。あの時、一瞬通った「音」が教えてくれた事が一つある。柾さんには、忘れたい、けど忘れちゃいけない事がある、と云う事。……此処に来る前に、こうなる前の様子を聞いたけど……千鶴子さんが『居ない事』、死んでしまった事をただ無かった事にしたいのなら、そのまま事実を忘れるだけで良かった筈。それなのに、映し出されたこの世界に閉じこもった理由……それを、確かめて欲しいって。──多分、亮一なら確かめてくれる」
「オーケー、舞ちゃんに伝えるわ」
「死んでしまった事実を忘れる……か。……それこそ誉められた行為ではないがな。今となっては確かめる必要もある、か」
「ケーナズ、さっき云いそびれたんだけど」
 イヴがケーナズの腕を引く。
「ストーカー男の事」
「ああ、どうだった?」
「私、彼の事故現場に云って気配を調べたの。現場には残留思念はなかったんだけど、私、彼の気配をどこかで感じたのよ。……どこで、だと思う?」
「……それは一体?」
「本当に幽かなのよ、……この世界で」
「何?」
「……この世界のほんの1ピースとして、ストーカー男の意思も絡んでいる」
「……それは……」
 彬と鞍馬は少し遅れて「道」に入り、やや急いだ歩調を合わせていた。
「彬、付いてきてるよな」
「……ああ」
 憮然と、彬が答える。
「子供じゃないんだ、そう過保護に点呼して貰わないでも、ちゃんと付いて行く」
「それなら良いさ」
 鞍馬が片目を瞑ったのが、暗がりの中にも分かった。
「ところで、五降臨、奴は付いて来てるか? 気配が感じられないが」
「……、」
 一同が黙る。応えたのは将之だ。
「あー、俺もさっき人数確認して思ったんだけど……、多分、滅茶苦茶足速ぇ奴だったから、多分……先に出たんじゃないかな……。……多分、」
 迷子になってたらシャレんなんねえけど、という一言は低声で付け加えた。
「……、」

 「道」が開けた。その先に広がった視界は、目に眩しい程の明るい緑。果てしない草原が風に煽られて流れている。
「……千鶴子、」
 柾が、やけにしっかりとした口調で彼女の名前を呼んだ。将之は彼が自分の腕を離れた事に慌てたが、柾は特に駆け出す様子もなく、ゆっくりと数歩だけ歩いて立ち止まった。

──……、

「今のは……、」
 柾の呼び掛けに答える、千鶴子の声を聴いた気がした。……風に靡いた、草の音が与えた幻覚とも取れるが、──。

 柾の表情に笑顔が現れる。柾は、愛おし気な色をした瞳で澄んだ空を見上げた。

【2_7xxx】

「──……こんなもんか」
 現実世界、都内某ネットカフェのとある個室。磔也はキーボードから手を離すと、大きな溜息と共に煙草の煙を吐き出した。

死刑執行中継
投稿者:xxx
投稿日:2003/09/XX 1X:XX
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死刑の中継とか、見たい奴居るか?
それも今どき時代遅れなギロチンのヤツ。
まあ現実の映像じゃないけど、半分バーチャル、半分本当みたいなもんだから暇つぶしにはなるかも。
詳細に興味がある奴、居たらこの書き込みから15分以内に下のアドレスまでメール送って来い。
xxx_....@XX.hotmail.com

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幻想交響曲 Phantastische Symphonie Op.14
作曲:Hector BERLIOZ (1803-1869)
作曲年:1830

「病的な感受性と、はげしい想像力を持った若い芸術家が、恋の悩みから絶望して阿片自殺を計る。しかし服用量が少なすぎて死に至らず、奇怪な一連の幻夢を見る。その中に恋する女性は、一つの旋律として表れる──」

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0932 / 篠原・勝明 / 男 / 15 / 学生】
【1481 / ケーナズ・ルクセンブルク / 男 / 25 / 製薬会社研究員(諜報員)】
【1548 / イヴ・ソマリア / 女 / 502 / アイドル兼世界調査員】
【1555 / 倉塚・将之 / 男 / 17 / 高校生兼怪奇専門の何でも屋】
【1564 / 五降臨・時雨 / 男 / 25 / 殺し屋】
【1712 / 陵・彬 / 男 / 19 / 大学生】
【1717 / 草壁・鞍馬 / 男 / 20 / インディーズバンドのボーカルギタリスト】
【1831 / 御影・涼 / 男 / 19 / 大学生】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】

NPC

【1630 / 結城・磔也 / 男 / 17 / 学生】
【1889 / 結城・レイ / 女 / 21 / 自称メッセンジャー】

【水谷・和馬(みずたに・かずま)】
・今回の依頼人。アマチュア時代から柾と共に創作活動をしていたディレクターの卵。
【柾・晴冶(まさき・はるや)】
・新進の若手として注目を集めていた映像作家。千鶴子の恋人。現在、精神が音楽の世界に取り込まれている。肉体は藻抜けの殻。傍目には多分廃人に見える。
【陵・千鶴子(みささぎ・ちづこ)】
・生前は、古典的な女優然とした気品のある美貌を持つ舞台女優だった。一月程前に轢逃げに遭い死亡。正木の元恋人。彼女の思念が柾を黄泉に引き摺り込む為、彼の精神を閉じ込めている。
【陵・修一(みささぎ・しゅういち)】
・陵千鶴子の5つ違いの兄。千鶴子殺害の犯人に見当を付けており、草間興信所に依頼に行った。

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■         ライター通信          ■
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皆様、お疲れ様でした。ライターの危惧を余所に、7名様全員の続投を頂き、感謝の至りです。ありがとうございました。

皆様、お疲れ様でした。ライターの危惧を余所に、7名様全員の続投を頂き、感謝の至りです。ありがとうございました。

お気付きの方もいらっしゃるかと思われますが、第2楽章の再生中に草間興信所に関連のある依頼が出されました。残る楽章をプレイする中で大きなヒントとなる結果が出そうですが、この調査依頼の内容は第3楽章の受注を〆切った後にアップし、第3楽章の再生中に何らかの方法で幻想世界内のPCに伝わる予定です。(PC/PL間の情報量を出来るだけ近付ける為です)
また、最後に磔也が某掲示板に書き込みをしていましたが、何を企んでいるのでしょうね。基本的に賭けの対象に本人が手を出すのはルール違反ですから、……誰かに頼むつもりでしょうか?
レイは磔也との賭けでムキになっていますので、以後幻想世界内のPCの味方に付きます。間接的な事であれば協力してくれるかもしれません。
但し、くれぐれも結城姉弟は狂言回しの役回りですので、シナリオの本質には関係がない点、御留意下さい。
今回は非常に慌ただしい楽章でしたが、次回の第三楽章「田園の風景」は柾が大分落ち着いている為、話をする余裕があります。基本的に(あくまで予定では)戦闘はありません。
受注は10日水曜日午後8時からの予定です。(前回は深夜に開いてしまい、「眠い」と云われてしまいました……申し訳ありません)

■ 五降臨時雨様

初めまして。この度は御参加有り難うございました。
とんでもない登場のさせ方をさせるわ磔也が散々な事を云うわルクセンブルク氏に髪を引っ張らせるわ(<ライターに責任があります)……という異色な扱いになってしまい、どんな物だろう……と反省して居ます。
どうも申し訳ありませんでした……。
それでもまたお目に掛る機会がありましたら倖いです。

x_c.