■殺虫衝動 『影の擬態』■
モロクっち |
【1653】【蒼月・支倉】【高校生兼プロバスケットボール選手】 |
御国将がメールを受け取ったのは、某月某日。
そう言えば、昨日もワイドショーは殺人事件の報道に時間を割いていた。ここのところ立て続けに起きている殺人事件は、いよいよ世間の人々にとっても深刻な問題となりつつあるようだ。
全く、世間は始動に時間がかかる。
だが一度問題になってしまえば後はずるずると解決まで一直線だ。時事を動かすには、まず世論。
将とコンタクトを取ろうとしているのは、件のメールの差出人だけではなかった。県警の嘉島刑事もだ。最近、よく電話をかけてくる。彼は知りたがっているだけの様子だった。
ムシは、一体、何なのだ。
将はあの日から影を恐れている。時折ちょろりと視界をかすめる蟲にも、いちいち飛び上がりそうだ。
とりあえず、三下が一番危ないか。ムシを見せてはならない。いや、編集長もか。彼女もなかなかストレスを抱えていそうだ。
びくびくしながら1日また1日と食い潰していく――それもまた、大きなストレスに繋がる。
解決しなければ。自分のためにも、世間のためにも。
ことの真相を知る者とともに。いや、その力をすがりたい。
ムシを、殺せ。
メールに記されていた待ち合わせ場所は、つい最近傷害事件があった現場のすぐ近くだった。
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殺虫衝動『影の擬態』
■序■
差出人:平
件名:待っている
ペネトレイト君へ。
興味を持ってくれて嬉しい。本日21時、にのまえ工業大体育館裏で会おう。
同じ東京の空の下、これと同じようなメールを受け取っている者がいることなど、宮嶋燈太はそのときは知りもしなかった。蒼月支倉という後輩がいなければ、きっとずっと知るはずはなかったことだ。
月刊アトラス編集部のひとりの記者が、自分と全く同じ境遇にあるということも、知ることはなかっただろう。そう考えると改めて戦慄した。
燈太は携帯を手に取り、支倉の電話番号を呼び出したのだが――
通話ボタンを押すのを、ためらった。
■夕暮れと邂逅■
支倉が御国将と連絡をとる決心をしたのは、燈太の身に異変が起きたあの日から、少なくとも1ヶ月は経った頃だった。
妹が言っていた通り、御国将という男は、「ふつうのおじさん」だった。少なくともいま支倉の目にはそう映っている。こうして喫茶店の片隅で、支倉は御国将との対面を果たした。突然の電話にも、『ムシ』の一言と、ある付喪神の『哥々』であるという事実を出せば、将は比較的素直に支倉の話に応じてきたのだ。
そうして先に喫茶店に入ってコーラを飲んでいた支倉の前に現れたのは、眼鏡をかけた「ふつうのおじさん」だ。取り立ててストレスを溜め込んでいるようには見えなかった。ただ、つまらなさそうな顔をしてはいたが。この男が月刊アトラスで、ネットに広がる『ムシ』の噂を追っている記者だ。
「はじめまして」
「ああ」
支倉が改まって頭を下げると、将は生返事のようなものを返した。
「よく、あいつと一緒にアトラスに来てるな。そうか、兄妹だったのか」
「血は繋がってないんですけどね」
「名前でわかるし、種族も違うだろう。それとも何だ、お前も剣か槍なのか」
「えっと、いえ、僕は……」
「無理に言わなくてもいい。――それで、情報だったな」
見られていないようで実は見られているものらしい。目立つといえば目立つ兄妹であることも否めないが。
将は口篭もる支倉の気持ちを察してくれたようで、兄妹の素性に関する話はそこで止め、鞄の中からごそごそとファイルを取り出した。
「今月提出する原稿のコピーと、資料だ。資料の方は、ネットをちょっと歩けば集まる情報ばかりだが」
「ありがとうございます!」
「……それで、お前の先輩は大丈夫なのか? 俺は会っても構わないぞ」
将の口振りはぶっきらぼうなものだったが、それは社交辞令ではなかったし、いやいやながらの一言というわけでもなさそうだった。支倉の先輩のことは、ちゃんと心配してくれてもいるらしい。
「気持ちは嬉しいんですけど――」
「そうか、俺も『蟲持ち』だってことは、妹から聞いてるんだな」
「はい。っていうか、向こうから喋ってきたんですけどね」
「……学校のおともだちにも話してるんじゃないだろうな、あいつ」
「大丈夫です、そこまで子供じゃないですよ」
支倉は苦笑を浮かべながらも、足元に目を落とした。喫茶店の洒落たテーブルが邪魔をして、将の影を窺い知ることは出来ない。
あの蟲は――宮嶋燈太の蜻蛉は――燈太の影だった。
「……ムシ同士が出会ったら、どんなことになるんでしょうか」
「さあて。……まあ、ろくなことにならないような気もするな」
「そうですよね」
「わかった。会うのは止めよう。その代わり、その先輩の様子はお前が見ていてくれないか? その……俺たちは、病気みたいなものなんだ」
誰かがそばに居てほしいのだ。
燈太も将も照れくさいのか、そうは言わなかったが――支倉に向けている視線はそう言いたげなものだった。
「はい、もちろんです」
言われなくとも、支倉は燈太のこれからもそばに居るつもりだ。
将には――あの刃がついている。
■影の中の事件■
支倉は将と会ったその日のうちに、燈太の家を訪れた。
燈太はあの日からもバスケの練習には来ているし、二度の公式戦にも出た。試合に出るたびに表情には余裕が生まれていくようだった。支倉はそれを見ると安心するのだが、同時に、燈太の影が時折揺らめいているのを目にしては顔を曇らせた。
俺たちは、病気みたいなものなんだ――
将がはっきりとそう言った以前から、支倉はそんなものなのだと考えていた。口には出さないが、きっと燈太もそうだろう。ふたりが会う時間は以前よりもずっと多くなっていた。支倉はあの日から何度も燈太の狭い家を訪れている。
その日はすでに日も暮れて、テレビ番組も面白くなる頃合いになっていた。
資料を抱えて訪ねた支倉を、燈太は快く招き入れた。部屋の中は相変わらず雑然としていた。だが――まだ、片付いている方だ。あの日から燈太は整理整頓に気を配り始め、害虫駆除に力を入れるようになった。部屋の四隅な台所にはゴキブリ取りが置かれている。
「御国さんに会ってきたんだ。いっぱい資料もらっちゃった」
「は? 誰だ、ミクニって」
「前言ったじゃん……。アトラスの記者さんだよ」
「あァあァ」
燈太はアトラスやムーといった雑誌には興味を示さない人間だ。おそらく、アトラスの名が出て来た時点で支倉の話を聞き流していたのだろう。支倉は渋面をつくったが、それ以上燈太を責めるつもりはなかった。
支倉は小さなテーブルの上に、将からもらった資料を広げた――
ここのところ東京を中心にして起きている数々の殺傷事件や失踪事件には、『ムシ』が絡んでいる可能性が大きい。事件の被害者のほとんどが働き盛りの男性で、被害にあったり失踪したりする直前には、まず間違いなくしつこい頭痛に悩まされていた。病院の診断ではストレスが原因の偏頭痛となっており、深刻なものになると、奇妙な虫を見るという幻覚症状が現れるという。
また裏付けが取れた被害者の大半が日常的にインターネットを利用していたことも、注目すべき点のひとつだ。ネットを媒介として広がる病という見方もある。
ムシに関する情報を取り上げているメディアはほとんどなく、専ら噂がネットに流れているだけに留まる。噂を何者かが操作している可能性は否定出来ない。
現在のところ、ネットでの『ムシ』の噂の中心にあるのは、HN『平』なる人物の存在である。平自身は各掲示板等に書き込みをしていないと思われ、平という人物が実在するのかどうかの確証はない。噂によると、ムシを見たり接触したりした人間に、平は『会わないか』といった内容のメールを送りつけてくるらしい。たびたびそのメールアドレスは掲示板上にのぼっている。
「平……」
燈太はその名前を目にしたとき、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「センパイ?」
燈太のその反応が何を意味するのか、支倉はわかってしまった。何も言わない燈太の脇を通ると、支倉は無断で燈太のパソコンに手を伸ばし、電源を入れた。
「あ!」
「センパイって正直だからすぐわかるよ! メール来たんでしょ!」
「いや、ちょっと待……」
「何で言ってくれなかったんだよ!」
差出人:平
件名:待っている
ペネトレイト君へ。
興味を持ってくれて嬉しい。本日21時、にのまえ工業大体育館裏で会おう。
「こ、これ……」
OSが立ち上がるや否や、支倉はメーラーを起動して、息を呑んだ。
振り返った支倉の顔は、怒りというより驚きに満ちていた。
「オレも噂を聞いてさ……ゴーストネットOFFのBBSにあったアドレスに、適当にメール送ってみたんだ。本当に返事が来るなんて思わなかった」
「夜中の2時に来たんだね、これ」
「ああ。だから約束の時間は、もうすぐなんだ」
支倉は万年床の枕元に置いてある目覚し時計に目を移す。
現在時刻、20:28。
「にのまえ大って――」
「ここから歩いて15分くらいだ」
「行こう、センパイ。平に会うんだ。きっと何か知ってるよ」
燈太は戸惑ったようだったが、力強く頷いてみせた。
■ムシを殺せ■
そうだ、と燈太が話を切り出した。
蜻蛉に名前をつけたのだという。
「コフィンってな」
「コフィンコーナーの?」
「『棺』って意味なんだってよ」
縁起の悪い名前に支倉は眉をひそめた。
「あのトンボはセンパイなんだから、もう少しさ……」
「はは、べつに棺ってことを意識してつけたんじゃねェぞ。コフィンコーナーって、立ち止まってたらヤバいだろ。オレはここに立ち止まってちゃダメなんだ。でも、あのトンボはこれ以上動いてほしくないから」
街灯が燈太の後ろに影を落とす。
だが、コフィンの姿はない。
そこにあるのは、ただの影だ。それが普通なのに、どうしてそれに安堵しなければならないのか――支倉は少し、悲しくなった。
「しばらく……ううん、ずっと……大人しくしててほしいな」
支倉はぽつりと呟いた。
「センパイ、もう僕に隠し事なんかしないでよ」
「ん――」
「僕、センパイと一緒に頑張って行きたいんだ。ムシは持ってないけど、でも……」
「ああ――」
互いに言葉を濁すふたりの前に、工業大のキャンパスが現れた。
時刻は20時55分。
将からもらった資料の中に、ムシに関連性のありそうな殺傷事件や失踪事件の記事をまとめたファイルがあった。ざっと目を通しただけだったので、ふたりははっきりとは覚えていない。
だが、このにのまえ工業大から失踪者が出ていた。2日前だ。そんな曰くつきの大学の裏を、待ち合わせ場所に指定してくるとは――
21時を過ぎたが、誰も姿を見せなかった。関係者も帰ってしまったらしい大学の裏はひっそりと静まりかえり、風の音と虫の鳴き声だけが周囲を満たしていた。燈太は軽く溜息をつくと、体育館の壁にもたれて腕を組んだ。
それからさらに、10分ほど経っただろうか――
ぴくり、と支倉は植え込みの陰に目をやった。
人ならざるものの直感が、或いは並外れた聴覚が彼に知らせたのか。
「センパイ!」
張り詰めた声に、燈太が壁から離れる。
ゆらりと若い男が現れたのは、そのときだった。
ひどく疲れていた様相で――支倉は見たことがある。このやつれた顔つきは、先月の燈太そのものだ――着ているTシャツとジーンズは、汗と埃と泥で汚れていた。
「単位……落とした……講義……講義出なくちゃ……」
よろよろと草木の間から現れた男は、ぶつぶつとそう繰り返す。
「平の言う通りにして……それから、講義に……」
「平の……? おまえ、平じゃないのか?!」
「……平が……そう言うから……頭……あうううう頭いてえええええ」
突然唸り声を上げ始めた男は、頭を抱えてがくりと膝をついた。思わず一歩歩み寄った支倉だったが、それ以上近づく気は失せた。
男の影がかさこそと囁き始め、
わらりとささくれて、
べりべりと地面から離れたからだ。
支倉の姿は瞬時にして、しなやかな妖狐のものになった。
彼は、影として現れた禍々しい蜂の前に立ちはだかる。蜂の大きさは人間ほどもあった。不揃いな長さの無数の脚が蠢く様を見ていると、吐き気すら覚える。
『センパイ、下がってて! コフィンを出しちゃダメだ!』
燈太の影には、大人しくしていてもらわなければならない。
支倉が蜂の目を睨みつけると、蜂は標的を決めたようだった。赤と黒の毒々しい縞を持つ腹をもたげて、銛のような針を支倉に向けた。
『そうだ、僕をマークすりゃいいんだ!』
妖狐が吼えると同時に、蜂が突進してきた。
針は狐の大きな耳をかすめ、狐の牙は蜂の翅をかすめた。蜂の方向転換は素晴らしく速かった。体勢を立て直す妖狐の肩に、針がぐさりとめり込んだ。
『いてッ、くそ、こいつ!』
虫の速さには目を見張るものがある。音速に近い速さで飛ぶハエがいるそうだ。支倉が身体に纏わせた焔は、すんでのところで間に合わなかった。蜂は刺してから、すぐに離れていたのだ。
だが――
虫というものの動きは、速いだけで単純なものでもある。
支倉は蜂の動きを読んだ。
第2撃を難なくかわすと、跳んで、蜂の翅に咬みついた。薄い翅は、容易く千切れた。
『!』
めくらめっぽうに抗う蜂の針が支倉の目に突き立とうとしたそのとき、
「コフィン! 蒼月助けろ!」
蜻蛉が現れ、
蜂の腹を食い破ったのだった。
「……コフィン使っちゃダメだって言ったのに」
唇を尖らせる支倉に、燈太は苦笑いをしながら軽く謝った。
蜻蛉は燈太の背後で大人しくホバリングしている。以前見たときほど苛ついてはいないようで、紅い瞳はどこかぼんやりしているようにも見えた。
「でも、ありがとう。さすがに目を刺されたらヤバかったよ」
「肩、大丈夫か?」
「平気」
支倉は服についた汚れを払い落とし、足元でのびている男に目を落とした。
男の身体の下には、影が戻っている。
「こいつは平じゃないらしいね」
「平を知ってるのは確かだけどな――っと」
懐中電灯の光が近づいてきていた。見回りの守衛のようだ。
男をひとりのしてしまったのが二人であることは紛れもない事実だ。面倒に巻き込まれる前に、二人はそそくさと退散した。
■歓迎■
『そうか、そっちも平には会えなかったか』
「はい。御国さんの話、後で妹に聞いておきます」
『ああ――ついでに、よろしく言っておいてくれ』
翌日、支倉は将に連絡を入れた。進展があったのだから、伝えておくべきだと思ったのだ。しかし将も実は、昨夜ふたりと同じような目に遭っていたという。しかも将の手助けをしたのは、支倉の妹だった。
――あいつも頑張ってるんだな。
支倉は嬉しいような心配なような、複雑な思いに駆られていた。
差出人:平
件名:ようこそ
ペネトレイト君へ。
きみのムシを見た。それと、ご友人も。
頼りになる友人をお持ちのようだな。
だがとにかく、我々はきみを受け入れる準備を終え、
きみは我々と目的をともにする権利を勝ち取った。
おめでとう。『殺虫倶楽部』にようこそ。
「……まだ話し中かよ」
燈太は唇を尖らせて、携帯をたたみ、呼び出しを止めた。後輩に急ぎ伝えたいことが出来たのだが、後輩の携帯は先ほどからずっと話し中のまま。
燈太のもとに、平からメールが届いていた。
黙っていても、一緒に行動しているわけだから、すぐにバレてしまうだろう。そして後輩はまた膨れっ面をする。
何で言ってくれなかったんだよ、
もう僕に隠し事なんかしないでよ、
そう言った支倉の顔と言葉は、本気だった。彼は本当に、自分のことを心配してくれている。
「でも、教えようとしたときにコレだからなァ――あいつ」
そう呆れる燈太の顔は、しかし、少し嬉しそうだった。
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【1653/蒼月・支倉/男/15/高校生兼プロバスケットボール選手】
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ライター通信
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モロクっちです。『殺虫衝動・影の擬態』をお届けします。
蒼月様、早速の続編へのご参加有難うございました!
燈太センパイとのやり取りはいかがでしたでしょうか? イメージ通りならば幸いです。それと、時折妹さんの存在をちらつかせてみました。書いてるわたしが繋がりを感じて嬉しくなるという妙なことになってます(笑)
この蒼月様の話が、妹さんの話とどう集束していくのか、わたし自身楽しみにしております。
それでは、この辺で。
またお会いしましょう!
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