■幻想交響曲 4 死刑台への行進■
x_chrysalis |
【1548】【イヴ・ソマリア】【アイドル歌手兼異世界調査員】 |
死刑執行中継
投稿者:xxx
投稿日:2003/09/XX 1X:XX
──────
死刑の中継とか、見たい奴居るか?
それも今どき時代遅れなギロチンのヤツ。
まあ現実の映像じゃないけど、半分バーチャル、半分本当みたいなもんだから暇つぶしにはなるかも。
詳細に興味がある奴、居たらこの書き込みから15分以内に下のアドレスまでメール送って来い。
xxx_....@XX.hotmail.com
────────────
若手の新進映像作家、柾・晴冶(まさき・はるや)。彼は恋人である女優、陵・千鶴子(みささぎ・ちづこ)を失ったショックから精神を病み、「幻想交響曲」に誘われて音楽の世界へ迷い込んでしまう。その幻想世界へ行き、柾を助け出して欲しいと依頼して来たのは水谷・和馬(みずたに・かずま)という柾の親友にしてディレクターの卵。
幻想世界は柾の幻覚と、彼を黄泉へ引き摺り込もうとする千鶴子の怨念、魑魅魍魎の類の混沌の世界。生半可な気持では逆に取り込まれてしまう危険な世界。その中で柾の身の安全だけは何とか確保していた一同だが、次第にこの世界に介入できる第三者の存在に気付き始める。
現実世界とも連係を取り、「幻想世界の正体」をも同時に探り始めた一同。奇遇な事に、時を同じくして草間興信所には千鶴子の兄、陵・修一(みささぎ・しゅういち)が訪れていた。
その結果、どうやら幻想世界自体が恋敵の柾を陥れる為に水谷が仕組んだものだと云う事が発覚する。……しかも、現実世界で追い詰められた彼は禍々しい怨念を引き連れて幻想世界へと移動して来てしまった。
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幻想交響曲 4 死刑台への行進
【4_0xxx】
「……あ」
差出人:K_A
件名:死刑執行中継
日付:2003/09/XX 1X:XX
「……まさか、本当に来るとはなぁ……。……暇人」
少なくとも、彼に云えた台詞ではないと思うが。本来ならクラブ活動や友人との語らい、アルバイトに受験勉強と云った、有意義な一時が過ごせる筈の放課後の時間をこうして某ネットカフェの個室で紫煙と戯れながら潰している高校生には。
然しともかく、結城・磔也(ゆうき・たくや)はそのメールを開き、文面を一読すると即座に返信した。
『見たけりゃアクセスする方法教えてやるけど、どうせなら──』
【4_0AE】
「呪殺……ねえ、」
一旦草間興信所に戻った田沼・亮一(たぬま・りょういち)からの報告を聞いた草間・武彦(くさま・たけひこ)は紫煙の向こうで目を細めた。
「……良く、無事だったな、お前らも」
「草間さん、済みませんが応接間、お借りしますよ。何か新しい情報が入った時の中継地に最適なのは此処ですから」
はあ、どうぞ、と肩を竦めた草間に半ば事後承諾の形で了承を取ると、亮一はテーブルの上にノートパソコンを置き、念の為にと充電アダプタをコンセントに差し込んだ。
赤貧に喘ぐ興信所所長は、そんな僅かな電気代の事さえちら、と一瞬脳裏を過ったが──今日、最初に入って来た時とは明らかに人間の変わっている亮一にそんな文句を付けられる度胸は無い。まあ、電話では朝比奈が報酬は払うと云っていたし──、と自らを納得させようとした所で、本来報酬を支払って呉れる筈の人間、つまりは依頼人の事を思い出した。
そうだ、この事件そのものはともかく、調査結果は出たのだ。依頼人に連絡しなければ。草間は受話器を取り、依頼者の携帯電話へ掛けた。まだ仕事中かと思ったが、暫く呼び出し音が鳴った後、依頼者は電話に出た。
「……あ、草間興信所ですが。あ、ええ、どうも。……はあ、その件なんですが、結果が出まして。電話では申し上げられませんので、近い内にお越し頂けませんか。……え、大丈夫なんですか、仕事は──、……ああ、そうですよね、妹さんの事ですしね。のんびり仕事なんかしてられませんよね。ご尤もです。はあ、ではお待ちして居ます」
「千鶴子さんのお兄さん?」
受話器を置いた草間は、不意打ちのように耳許で囁かれた言葉に身を竦めた。恐らくは空間を移動して、突如興信所応接間、草間の背後に現れたのは朝比奈・舞ことイヴ・ソマリアである。
「……君、なあ。……心臓に悪いじゃないか」
「あら、ごめんなさい。ところで、今の相手陵さんね? 千鶴子さんのお兄さん、見えるって?」
ああ、と草間は頷く。亮一は、ノートパソコンを操作してじっとディスプレイを眺めて居た。
「会社は早退して、すぐ来るそうだ。……ま、そうだろうな、妹を殺した犯人が特定されたと知って落ち着いて仕事してられたら、わざわざうちに依頼に来やしない」
「……所で、報酬の事なんだけど」
「ああ、流石はトップアイドルだな、気前が良い」
その事だけど、と舞は眼鏡の奥の目を小悪魔的に細めた。
「うふふ☆ 心配しなくていいわよ。……ケーナズがね、草間さんの為ならいくらでも出してくれるそうよ」
普通ならば膝を叩いて喜ぶ所の台詞だ。その中に含まれた或る人名さえ無ければ。──ケーナズ、と聞いた途端、草間の血の気が目に見えて引いて行くのが分かった。
「け……、」
「ケーナズ」
「……ルクセンブルクか、おい──!」
草間は、まるで今目の前に死神が立ってでも居るかのように壁際まで後ずさった。
「あら、嬉しく無いの?」
「駄目だ、俺、あいつだけは苦手なんだ、……ああ、あいつに謂れの無い金なんぞ出させたら、俺は一体どうなるんだ」
大袈裟ね、と呆れた舞は一人苦悶している草間の相手はそこそこに、亮一の手許を覗き込んだ。
「田沼さん、何調べてるの? 掲示板ね、……あら、ゴーストネットOFF?」
亮一は頷いた。一応、調査結果が出たとは云え勝明や涼を始めとした仲間達の精神は未だ中に居るのだ。じっとしては居られない。何か、まだ役に立てそうな情報が転がってはいないかと怪奇方面では某問題掲示板に迫る情報量のサイトの掲示板を見ていた時だ。
「──……!」
死刑執行中継
投稿者:xxx
投稿日:2003/09/XX 1X:XX
──────
死刑の中継とか、見たい奴居るか?
それも今どき時代遅れなギロチンのヤツ。
まあ現実の映像じゃないけど、半分バーチャル、半分本当みたいなもんだから暇つぶしにはなるかも。
詳細に興味がある奴、居たらこの書き込みから15分以内に下のアドレスまでメール送って来い。
xxx_....@XX.hotmail.com
「現実の映像では無い死刑、ギロチン……」
「これは……、」
亮一と舞は顔を見合わせた。
投稿日は今日、時間は丁度10分程前だ。
「この時間より15分後と云うと、丁度第四楽章が始まる頃だわ」
「……、」
画面を喰い入るように見詰めて居る舞の横で、亮一は携帯電話を取る。080-××××-××××。依頼書にあった、結城・レイ(ゆうき・れい)の携帯電話だ。
──はいはい。
「レイさん、田沼です。先程はどうも失礼しました」
──ああ、田沼さん? 私こそ有難うねー。
「伺いたい事があるんですが、幻想世界の件で。こちらの世界に居る人間で、俺達やあなた以外に関わっている人間は?」
──どういう事?
「さっき弟さんがどうとか」
──……磔也が何よ。
レイは急に不機嫌な声になった。が、亮一もそれに構っては居られない。今から云うアドレスに直ぐアクセスして下さい、と言葉を接ぐ。
「いいですか、http://www──……」
──ドット……、スラッシュ……、と反芻しつつレイがキーボードを叩いて居るのが分かる。……数十秒の後、「磔也!」と彼女が吐き捨てた。
──あいつ……、絶対許さない、大体反則じゃない!
「反則?」
何でも無い、と言葉を濁した彼女に、亮一は彼の外見的特徴と居場所の心当たりを訪ねた。
──身長は普通、田沼さんより全然低い。痩せ気味。制服着てた、改造したりはしてない、普通のヤツ。髪は黒で普通、……田沼さんと同じかちょっと短い程度かな、とにかく性格悪そうな、人を舐めたみたいな目、してるわ。
「レイさんには似てます?」
──似てる訳ないでしょ!
その口調から亮一は似てるんだろうな、と確信した。顔は分からないが、探偵である亮一は骨格などの身体的特徴で人物を見極めるのにも長けている。
──さっきまでゴーストネットOFFの個室に居たの、多分、未だ居るんじゃないかしら。
「……やだ、じゃあ私も近くに居たんじゃない」
つい先程レイとそのインターネットカフェで会っていた舞は思わず呟いた。……あそこから要町まで……。神出鬼没振りまで姉弟共通か。
「能力は?」
舞は亮一の横から受話器に向けて問う。
──……よく分かんない、私にも。あいつ、昔からそうだった。何考えてるか訳分かんないのよ、とにかく。取り敢えず、コンピュータには強いわ、……それと、音楽には異様に詳しいの、ピアノもやってて。音には、物凄く敏感。
「……ゴーストネットOFF、ね……、」
耳を澄ましている亮一の横で、そう呟いた舞は文字通りこの空間から姿を消した。
【4_0zero】
空は鈍色の雲に覆われ、折りからの強風に重い空気が頬を切るように冷たい。
遠くに聳える首切り台の影。刑場へ続く石畳の上で口唇を噛み、握り締めた手を震わせている柾・晴冶(まさき・はるや)の視線の先には、すっかりその形相を人とは思えない程に禍々しく変えた嘗ての親友、水谷・和馬(みずたに・かずま)の姿が在る。
「……あーあ……」
元はと云えば、水谷はこの中に居る筈では無かったのだ。
半分、その原因を作ってしまった結城レイは画面を眺めつつ頬杖を付き、心の中で「ああ、ごめんなさい、ごめんなさい、悪気は全く無かったの、つまり私は何も悪くないの」と都合の良い謝罪の言葉を、同じく画面の中の面々、イヴ・ソマリア(いヴ・そまりあ)、ケーナズ・ルクセンブルク(けーなず・るくせんぶるく)、御影・涼(みかげ・りょう)、篠原・勝明(しのはら・かつあき)、陵・彬(みささぎ・あきら)、草壁・鞍馬(くさかべ・くらま)、セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ)、そして柾を庇っている倉塚・将之(くらつか・まさゆき)に向けて呟いた。
「……にしても、倉塚君てちょっと格好良いかも」
などという独り言が口を付いて出た辺り、本来の気楽さを回復して来た彼女ではあるが、──その余裕も、着信を受けた携帯電話に応対している内にあっさりと消え失せてしまった。
「ああ、田沼さん?」
『──……、』
受話口からの指示に従い、自分のノートパソコンでブラウザを開いて某掲示板に目を走らせたレイは、その中のある書き込みに目を留めると血相を変えて「磔也!」と吐き捨てた。腹立ち紛れに、某氏の抜け殻を部屋の隅まで蹴飛ばしつつ。
「あいつ……、絶対許さない、大体反則じゃない!」
【4_1ABCDFHIJ】
「和馬!」
柾の声も風の唸り声と共に石畳の上でよく響く。
「お前だったのか、何故、千鶴子を殺した!」
「──……お前だよ、晴冶」
水谷の顔が狡猾な、残忍な笑みに歪んだ。
「お前が殺したんだ、晴冶!」
「違う! ──っ、!」
水谷を取り巻いている黒い影は触手を揺らめかすように自在に膨張と縮小を繰り返していたが、不意にその一塊が鞭のように風を切って唸り、柾の頬を打った。
彼は石畳に倒れ込んだものの、怯まず上体を起こして声を張り上げた。
「俺は殺してない、和馬、お前が、千鶴子を殺した!」
「お前が殺したんだよ、千鶴子をな! 晴冶、お前が居なければ、千鶴子だって死なずに済んだんだぞ」
「何だと……」
「……、──あははははは!」
狂人だ。破綻を来した笑い声が反響して幾重にも折り重なり、柾を取り囲む。柾は低く呻いて耳を両手で覆った。
「お前が居なければ、千鶴子は死なずに済んだんだ、お前が邪魔だったんだよ、晴冶! 一人では何も出来無い癖に、千鶴子を口説いた途端に昔っから世話を焼いてやった俺は邪魔者扱いしやがったお前が!」
「何だと!?」
「……お前は天才だったさ、でもな、天才の撮ったフィルムだって世間に出なきゃ、認められなきゃ一銭の価値も無いんだぞ! それを売り込んでやったのは誰だ、お前が、千鶴子を誑し込めるような価値を得たのは誰のお陰だ? 晴冶! 俺が、俺が何もかもやってやったんだ、その俺を!」
「邪魔者扱いなんかして無い、俺は、ずっと和馬の事は親友だと思ってた!」
「本気で云ってるのか!? ああ、そうだろう、邪魔にはしてなかったよな、その代わり、哀れんで呉れたか、俺だって千鶴子が好きだったのを知ってて、どうせ見向いて貰えやしない俺を、哀れんで──、」
「和馬ァ!」
「千鶴子を殺したのはお前だぞ、晴冶! 死ね、お前も消えて仕舞え!」
鈍色の空の下、断頭台の影を背景に、中世を思わせる、──フランスの戦争映画のような場面が表れた。
膨張し続ける水谷の怨念の黒い影が、死刑を求める野次馬に姿を変え、その間から甲冑に身を固め、手には斧や剣を振り翳した死刑執行人がぞろぞろと出て来た。魔女か、妖怪か、それとも水谷の怨念に同調した怨霊の類か──、死刑死刑死刑死刑、と口々に叫ぶ姿は熱狂的だ。──これで、柾の首が飛べばその骸を取り囲んで一人の魂の堕落を祝い、狂宴を始めるのだろう。
その中心で昂然と顔を反らせて笑い続ける水谷の横には、いつの間にか一人の女が寄り添っていた。
陵千鶴子、それも水谷に因って捏造された悪の華だ。髪を振り乱し、紅い口唇で笑う貌は美しい。だが、その心の闇に付け込まれた水谷にはともかく、彼等や、本当の千鶴子の思念に出会い正気に戻った柾にはその本質的な正体がはっきり見える。
「……、」
柾が吐き気でも催したように口を押さえて蒼白の顔を背け、蹲った。
千鶴子は媚びるような笑みを水谷に向け、柾を真直ぐ指して叫んだ。
──de Mort !
「死刑だ、晴冶!」
一同を取り囲んで居た死刑執行人達が一斉に動いた。
──de mort ! de mort ! de mort ! de mort !
千鶴子は高い笑い声を発しながらその中に紛れ、姿を消した。彼女の後にはそのドレスと同じ、毒々しい赤色が補色のように煩く点滅する。
石畳の上に、いつしか大合唱となって死刑コールと重々しい金属音が響いた。
【4_1a】
──貴方も可哀想な人ね、水谷さん。
もう戻れないわ。その、血に塗れた手で柾さんや私達まで手に掛けようとした貴方はね。
貴方に残された救いは、もうあの死刑台だけよ。
さあ、どうするかしら? 何なら私が導いてあげても良いわ。
私は魔界の女王の妹、吸血鬼とセイレーンの娘。死刑台へ登る事で救われる人間には慈悲深いのよ。
「──イヴ、」
振り返ったイヴの足許にケーナズは跪いた。右手を自らの胸へ当て、左手で彼女の手を取る。
「貴女のナイトに祝福を」
その華奢な手に小さく音を立てて口付けると、イヴの頬に朱が走った。だが、凛と彼女を見上げているケーナズの青い瞳の輝きに魅せられるように身を屈めると、こう囁いてから口唇を寄せた。
「貴方を祝福します、私の忠実なナイト、大切なケーナズ・ルクセンブルク」
【4_1xxx】
「で、結局何やってんの、あんた」
孝は桃缶をつまみつつ、刑場を映す幻想世界内の画面と交互に表示されるソース画面を弄って面白がっている磔也に呆れて問い掛けた。
「この連中が居る幻想交響曲、あー、ベルリオーズってあれイカれてるけど大した作曲家だよな、ピアノも碌に弾けなかった癖にこんな曲作ってるんだぜ。で、この第四楽章って云うのが最後には主人公の首がギロチンで飛ぶ所で終わるんだ。要は、この映像作家な。連中、何とかこいつを護ろうとしてるらしいけど……」
内状はそうシンプルでも無いらしい。磔也は、既に先程迷い込んだ怨念の主を巡って彼等が内部分裂を起こし掛けている事を察知していた。元々は4分程の短い楽章だが、それ以上に時間が伸びれば勝手に自滅するだろう。
「取り敢えず反復記号の繰り返しを延々ループさせる。それから徐々に倍音列の煩い、要は不安を煽る音を紛れ込ませる。分からない位さり気なく。後はー……、第五楽章への移行にシャッター掛けるかな。で、結局ループ。出口無し」
【4_1AG】
「……、」
反復記号だの、倍音列だのと云われても孝には今一つピンと来ないが、ともかく連中を袋小路に追い込もうとする意図は見えた。こうしている間にも既に音楽は進行しているし、あまりのんびりする時間は無い。
孝が千切り取った缶詰めの蓋を手に磔也の首へと伸ばし掛けた時だ。
「!?」
店内が一瞬で闇に包まれ、彼方此方でざわめきが上がる。当然、コンピュータや周辺機器の電源も落ち、モニタも黒く変わった。
「……何だ?」
孝は磔也へ伸ばし掛けていた手を引っ込め椅子から腰を浮かした。
「停電……あり得ねえな」
ネットカフェの店内では。冷静に腕を組んだ磔也の耳許で、第三者の声が響いた。
「磔也君ね? 先程はどうも。今度はこちらからお邪魔させて貰ったわ」
「……イヴ・ソマリアか」
寧ろ、驚いたのは孝の方だ。
「イヴ!?」
「え、……何でここに居るの、孝」
「お姫様こそ何やってんだよ、大体、トップアイドルって何だ?」
「道を歩いてたらスカウトされてぇ、バイトの積もりでモデルやったら人気出ちゃってぇ、いつの間にかシングルがミリオンセラーになってぇ、ドラマに……」
急にアイドル口調になった舞は「あ」という孝の声と同時に口許を押さえてはた、と黙り込んだ。店内のざわめく中、二人の沈黙が流れる。
「……逃げられたな」
「神出鬼没なんですって、彼」
「んな事ぁ分かってる」
【4_1aeg】
「……、」
店先の少年は、店内の混乱を見遣って口許に笑みを浮かべている。霊的干渉を遮断し、気配を消して彼に近づいた亮一は近くで見た彼に確信を持ち、不意を付いてその腕を掴んだ。
「……、」
少年、基い結城磔也はゆっくりと振り返った。笑みは消えているが、慌てた様子は無く落ち着いた、と云うより冷めた目をしている。寧ろ、亮一の存在よりはその目線が予想を遥かに上回る高い位置に在った事に驚いたらしい。
「申し訳有りませんが、ゲームオーバーにして貰えますか? ……結城磔也君」
「……誰だよ、あんた」
「田沼と云います。……幻想世界内に居る人間の知り合いだ、と云った方が分かり易いですか?」
「……あ、そう」
「……、」
暫くお互いを牽制していた二人の視界に、店内から出てきた二人の男女が映った。
「今の停電、イヴかよ」
「だってぇ、レイさんが磔也君音に敏感って云ってたから、店員を誑し込んでブレーカーの場所聞き出して店内がざわついた所で近づこうかなって……」
少女の方が亮一に気付いて顔を上げた。舞だ。傍らに居るのは大雑把な身装の、深い緑色の髪と瞳をした端正な青年だ。
「……あ、田沼さん」
「舞さん、……これは一体何事です?」
「あ、磔也君。……良かった、田沼さんが掴まえて呉れたのね」
青年へ視線を向けた亮一に、彼は「どうも、天音神孝です、うちのお姫様、いやイヴが世話んなって」と適当な挨拶をした。
……グルかよ、こいつら。磔也が小さく舌打ちした。
「あー、何事も何も、彼女が店のブレーカー落としちまって」
「だから、磔也君に気付かれない為に」
「だからって、主電源落としちまったら照明だけじゃなくて電気製品全ての電源が落ちるの、パソコンもダウンする訳」
亮一は暫くはやる気無さそうに舞に云い聞かせる孝を眺めていたが、手の中に在る磔也の腕に気付いてそれを遮った。
「ともかく、今は彼に話を聞く事が先です。……話して貰えますね? 磔也君。あの書き込みの内容について」
「つーかそのガキ、既に幻想世界のデータ書き換えてたぞ」
「な……、」
孝の言葉に亮一の表情が強張る。磔也が肩を竦めた。当然だ、彼の知る所では無いと云え、怖いもの知らずの彼の姉さえ戦慄させた亮一の目だ。
「……ならば、余計に時間が有りませんね。コンピュータなら俺のを使って貰って、この場ででも先ずそれを戻して貰いましょう」
「あー、無理無理」
磔也は手をひらひらと振った。
「ノートは生きてても回線が繋がんねえから。ホットスポットとは云え元のステーションの電源落ちてるし、携帯じゃ速度トロ過ぎて、無理」
何故か舞と孝が一歩ずつ後ずさった。亮一の瞳の温度が摂氏零度を通り越してマイナス度まで冷めて行ったのだ。
「大丈夫だって。まだイベントは解放してないし。……ちょっと効果音は入れたけど」
「……、」
不意に、マイナス度の瞳のまま亮一が微笑み、磔也の腕を強く引いた。
「……田沼さん……?」
恐る恐る訊ねた舞に、亮一は無言で彼等を促す。
「仕方ありませんね、……保護者、基いお姉さんの監視の許で修正して貰うとしましょうか」
そして、一同は柾宅へ向けて移動を開始した。
【4_2zero】
「連れて来なくたっていいじゃない、」
レイは、亮一、舞、孝に連れられて入って来た磔也を見て露骨に嫌悪感を示した。
「よぉ、久し振り、姉貴」
「わざとらしい」
亮一は即座にノートパソコンを広げ、柾宅のターミナル型コンピュータ、レコーディング中のレイのノートパソコンに並べて置いた。無線LANは有効らしいな、と確認する。
その背後で中の様子をテレパスで探っていた舞が、首を傾げた。
「交響曲って、コーラスが入る事あったかしら?」
「あるんじゃない? ……え、幻想にコーラスが入ってる? 何て?」
レイは何気なく答えてから、異常に気付いた。
「フランス語で死刑死刑死刑死刑って」
「……誰よ、そんなパート勝手に作ったの」
分かり切った質問だが、敢えてしてみる。
「俺」
案の定、不良学生が挙手した。
「磔也!」
「……いいだろ、別に。大してイベントには関係してねえし」
「煩いのよ!」
──de mort ! de mort ! de mort ! de mort !
【4_2ABCDFHIJ】
「──Unteil sie fall ein Todesurteil uber ihn !」
ケーナズが吐き捨て、大きく腕を振った。青い瞳が煌めく。それに呼応して、彼の手中にサイコ力を帯びたサーベルが現れた。
「裁かれるのはお前だ、水谷」
もう片方の手ではイヴを庇いつつ、その切先は気狂いじみた形相の水谷を向いている。
「──……、」
その様子を見た彬は、無言のまま鞍馬の腕を掴む。ある意思を込めた指先は僅かに震えていた。
彬の意思を受けて鞍馬は頷き、大丈夫、とその指先を剥がして歩み出した。両手を翼のように広げ、ケーナズの前に立ち塞がった彼の赤い髪が強風に靡く。同じ色の赤い瞳は、悲しみに翳って、──それを、じっと見守る彬の瞳も同じ色を湛えていた。
「何の積もりだ」
「殺すな」
「鞍馬君!」
悲愴な声を上げたイヴは、彬が目を伏せて首を振っているのに気付いた。
「……彬君まで、どうしたの?」
「……皆、忘れてないか。一人の人間の命を奪うと云う事が、どれ程重い罪なのか」
「その罪を犯し、柾に擦り付けようとしたのが水谷だ」
ケーナズの声はあくまで沈着だ。彬は彼に向き直る。静かな怒りに揺らめく青い瞳と、悲しみに翳った赤い瞳がぶつかった。
「俺は、水谷の卑劣な行為を認める気は無い。彼のした事は決して許される事じゃない。だが、思い出して欲しい、その水谷だって一人の人間なんだ」
「では、水谷を誰が裁く!」
「……、」
彬と鞍馬は同時に目を伏せた。
「いいか、このまま水谷を肉体へ返しても、日本の法律では水谷を裁けはしないんだ。奴を見てみろ、反省する所か更に怨念を柾にまで向けて居る。こんな奴を活かして置く必要性など、私には感じられないな」
「──、」
柾が小さく呻いた。半ば開いた口唇が震え、歯のかち合う音がする。
「何、柾さん」
涼の感応能力を引き受けている勝明が、彼に代わって柾の肩を抱いた。
少年の腕の中で柾は数度声を飲み込んだ後、視線を水谷へ向けて絶叫した。
「……、俺は、──許さない、和馬、お前を絶対に許さない!」
不快な笑い声が、一層激しく水谷の口から上がった。
「莫迦が、──晴冶! 死刑だ、死刑死刑死刑死刑!!」
「──あ、あの野郎」
逃げる、水谷が。将之は咄嗟に追い掛け、柾の存在に気付いて踏鞴を踏んだ。
水谷は追いたい、だが大丈夫なのか? ──このややこしい連中に柾の護衛を託して。それでも自分が追わなければ鞍馬や彬は追わないだろうし、ケーナズだと追い付いたと同時に瞬殺してしまいそうだし、紅一点且つトップアイドルに追えと云うのも気が引けるし、何とか財閥総帥セレスティに走れとは云えないし云っても無駄だし。
……何で、この中で俺だけやけに落ち着いてるんだ?
「死刑だ、死刑死刑死刑死刑!」
そうする間にも水谷は彼方此方に小煩い死刑コールの怨念を撒き散らして遠ざかって行く。舌打ちして追おうとしたケーナズに、鞍馬が真直ぐ御神刀「雪月花」を向けて制止した。
──何でこんなややこしい事になってるんだ、結局、元はと云えばもっとシンプルな事じゃなかったのか? 自分達の仕事は柾を護り、精神を元の世界へ連れ戻す、それだけだろう。降り掛かる災難は払う。それが、何故こんな複雑な事になってるんだ。
「……ああ、もうあんな遠く行ってんじゃねえか、どうすんだよ、──待てよ、おっさん!」
「……倉塚さん、……追って」
苛立ちながら怒鳴った将之の袖を、勝明が掴んだ。振り返ると、彼と一緒に涼が微笑しながら頷いている。
「……、」
大丈夫かよ、と将之は眼鏡の奥で目を細めたが、二人の目は真直ぐ彼に訴えている。
「柾さんは涼が護って呉れる。涼への霊的な負荷は、俺が引き受けてるから、大丈夫、ヘマはさせない」
「柾さんは任せて」
「……、」
その辺りの詳しい事情は将之の知る所では無い。どうしたものか、と決め倦ねている彼に決断を下させたのは、一番冷静にこの状況を判断していると思しいリンスター財閥総帥にして水霊遣いの占い師、セレスティだった。
「御影君を信用なさい。捕り物に助力出来ない私が云うのは恐縮ですが」
「……了解、」
謎多き男である。未だに一つ正体が掴めない。が、その彼が穏やかに微笑しつつ断言すると何故か信用出来る気になって来るのは不思議なものだ。怪我の治療に何度も世話になっているだけではないだろう。
「……本当に頼むぞ、」
「ああ、」
「あなたの冷静な判断力は頼りにして居ますよ、倉塚君」
何とでも云え。ともかく追えば良いんだろうが、俺は。
刃を向け合って居るケーナズと鞍馬、それを見守るイヴと彬、柾に付いている涼とそれをサポートしているらしい勝明、そして余裕で微笑みながらも何かを思案して(企んで?)居ると思しいセレスティを残し、将之は水谷を追って駆け出した。
そこで、イヴが全員に向けて大声を張り上げた。
「皆、気を付けて。この楽章は外から第三者の介入に因ってデータが改竄されてるわ、多分、彼方此方に罠が仕掛けられてるわよ、」
【4_3zero】
レイの携帯電話が、本日何度目か数えるのも面倒だが着信音を発した。
「はい?」
──おっと。レイ自身は直接面識の無い、草間興信所所長直々の電話だ。
はいはい、と愛想良く相槌を打っていたレイだが、やがて受話口を指先で押さえて舞を呼んだ。
「……お出ましになったらしいわ、陵氏、千鶴子さんのお兄さんが」
「今草間興信所に?」
レイは頷く。
「こっちに向かいたいがどうかって。草間氏は反対らしいわ。私も同じよ。いくら何でも、抜け殻とは云え水谷と向かい合わせるのは賢い方法とは思えない。……それでね、」
レイは、遠い所で血縁関係にあり、自身が霊媒体質である彬に陵・修一(みささぎ・しゅういち)氏の意識をシンクロさせる事を提案した。
「微妙な所ね、取り敢えず彬君に聞いてみる」
テレパスで幻想世界内の彬と交信していた舞だが、やがて「オーケー、彬君、承知したそうよ」と答えた。
【4_3af】
「彬君、」
「……分かっている。了解した」
彬を慮ったイヴに、彼は静かな表情のまま頷いた。
つい今しがた、現実世界のイヴ、朝比奈舞を通して彼に、知らせを聞いて草間興信所に駆け付けた千鶴子の兄、陵修一の意思を、彬の霊媒体質を通して伝えて呉れないか、と連絡があったのだ。
「大丈夫なの?」
「……ああ」
彬の目は虚ろで、ケーナズと刃を合わせている鞍馬の姿を映して居た。
金属音が響く。お互いのサイコの波と、霊力がぶつかって火花を散らした。
「……俺は無力だ。……水谷でさえ殺したくはない。でも、俺には鞍馬のようにそれを阻止する事さえ出来ない。……俺に出来る事なら、何でもやるよ」
「でも、血縁なのでしょう、何かの弊害が生じないかしら」
イヴを真直ぐ見た彬は大丈夫だ、と穏やかに微笑んだ。
……鞍馬が聞いていれば何が何でも留めただろうが、今現在、彼は取り込み中である。
そして、アルビノの青年はゆっくりとその赤い瞳を閉じる。銀色の髪に色素の薄い肌が、一層白さを際立たせて発光したように見えた。
「……、」
「──彬君、どう?」
「──……」
彬がゆっくり目を開いた。それを覗き込んだイヴは思わず言葉を失う。
彬の顔ではない。──何と云う形相だ。空を上目遣いに睨み付けるような瞳は燃えているようで、少なくとも、この青年がそんな激昂し顔を見せるとは信じられ無かった。
「……陵さん、……修一さん?」
「……、」
【4_3ABCDFHJ】
キキキキキ──、と「雪月花」の峰の上を滑ったサーベルが異様な金属音を立てた。
ケーナズは舌打ちしつつ眉を吊り上げた。本気であと一閃すれば、雪月花の刀身ごと鞍馬の身体を叩き割れそうだ。
──本当に斬ってやろうか、と思う。
あくまでケーナズが水谷を始末するのを阻止する為だけだ、殺してはいけない、と思いながら力加減を意識している鞍馬は、ケーナズから見れば隙だらけだ。
上級者に依る剣の打ち合いは、結局は精神上での駆け引きだ。
鞍馬には手加減しなければ、という迷いがある。ケーナズには迷いは無い。
──友人と同姓と云うだけで怨霊相手に攻撃を迷い、何かあれば柾を放り出し、14かそこらの小娘に良い様に振り回され、彬が水谷を殺したく無いと云えばケーナズに刃を向け、──。
「全く、君には自分の意思と云うものが無いのか? 君はまるで「精霊の守人」どころか彼の操り人形だぞ」
わざと、殊更嘲笑めいた口調でケーナズが吐き捨てると、鞍馬は「彬が云ったからじゃねえ」とはっきり答えた。
「俺の意思だ」
……共感出来るんだ、水谷に。
勿論、水谷のした事を肯定はしない。だが、元はと云えばそれは千鶴子への思慕が過ぎた結果だったのだ。──永遠に叶わないだろう恋心。
楓や彬への想いを抱く鞍馬には、そんな報われない恋心の所為で堕落して行った水谷を、ただ厳しく裁くと云うことは出来ない。
「危ない!」
涼は柾と勝明を纏めて両腕に抱え、身を屈めて伏せた。
その傍らで空を切った触手を、涼は『正神丙霊刀・黄天』で断ち切った。後に、ばらばらと石畳に落ちたのは斬れた大型の鎖の断片である。
首無し騎士。
この際無気味なものなら何でもありなのだろう、戦死した騎士が自らの首を抱えて馬で走り回ると云う化け物だが、それが今柾を引き寄せようと凄まじい勢いで駆け抜けながら鎖を投げて来たのだ。
セレスティは無事か、慌てて彼の姿を探した涼の心配は取り越し苦労だ。災難の降り掛かる位置は予め察知して居て、余裕を持って悠然と避けているこの麗人に対しては。
「……御無事で何よりです」
「……あなたこそ」
皮肉の一つも云いたくなって投げ遣りな微笑をセレスティに返した涼だが、戦えと命令出来ない彼はともかく、──。
「何やってるんだ、仲間割れ起こしてる場合じゃないだろう!」
少し離れた場所のケーナズと鞍馬に怒鳴る。彼等も何体か死刑執行人を斬っては居たが、あくまで運悪く二人の間を通過してしまい、「邪魔」と判断されたものだけである。
二人は水谷を殺すか、殺さないか、という問題を巡っての議論がいつの間にか打ち合いにまで発展してしまった。それも問題ではあるが、相手は、この数だ。そんな事で油を売っている暇など無い筈だ。
「文句ならこいつに云え!」
ケーナズも負けずに、視線は鞍馬に向けたまま涼へ怒鳴り返した。然し、そうは云いつつもイヴの背後で斧を振り下ろそうとしている執行人を鋭く見咎めるや否や、くるりと身体を翻してその甲冑を叩き割る。
「イヴ、怪我は」
「大丈夫よ、……ありがとう、ケーナズ」
「あなたを護る者として当然の事をしたまで」
片手を胸に当てて頭を垂れて見せる。
「……何やってんだか」
最早卒倒しかかっている柾の肩を抱きながら、勝明まで呆れたように呟く。
実は、そう云う勝明も気を抜けば遠のきかける意識を必死で押し止めていた。
死刑だ死刑だ死刑だ死刑だ、と頭の中に響く声。それは、涼への負荷を「干渉」に依て引き受けているが故に通常の2倍、否それ以上に大きく反響していた。
「……、」
額を押さえつつ、相変わらず水谷を殺すな、否死んで当然だ、と物騒な喧嘩をしている二人を見遣りつつ、それでも「干渉」して本当に良かった、と痛感した。
結局、その仲間喧嘩の所為でこの場に居る戦闘要員、基い護衛役は涼独りになってしまっているのだ。
「全く、これだから男の子って厭ね☆」
申し訳程度にそう呟いたイヴも、先刻のケーナズの言葉にまだうっとりと意識を奪われている状態だった。
──その時だ。先程まで、当初の無口さに輪を掛けてやけに大人しかった彬が、突如殺気立った気配に変わって絶叫したのは。
『──殺せ!』
「……何……?」
思わずケーナズと鞍馬までがそう呟いて「喧嘩」を止めた。
「……陵修一氏、千鶴子さんのお兄さんよ」
イヴがようやく真顔に戻って告げた。
「千鶴子さんの兄貴って、何で彬が──、……まさか彬、」
遠い所で千鶴子にもその血が流れていたと思われる陵一族は、代々霊媒としての素質を持つ家系である。その彬の口を借りて千鶴子の兄が出て来たと云うことは──。
「いつの間に、……莫迦野郎、彬!」
霊媒体質とは云っても、基本的には本人の意思無しには他者の意識が憑依する事は出来ない。鞍馬が傍に居れば止めただろう。が、彼が取り込んでいる間に彬がさっさと同意してしまったらしい。──血縁者の意識ともなれば、何らかの弊害が残ってもおかしくは無いのに。
「彬!」
ケーナズを放り出して駆け寄った鞍馬を、最早尋常ではない気配の彬が振り払った。
『……赦さない。水谷、……誰が何と云おうと。……千鶴子を殺し、晴冶君までこんな目に遭わせた水谷を、僕は赦さない。……殺して下さい。……殺せ、──殺せ!』
「……見ろ、被害者の兄がああ云って居る。……これでも未だ、水谷を生かして返す気か?」
呆然と彬を見詰めている鞍馬に追い討ちを掛けるように、背後からケーナズの冷たい声がした。
【4_3xxx】
「……、」
磔也の視線の先では、亮一が必死に三台のコンピュータのモニタを見遣りながらキーボードに置いた指を動かせずに苛立って居る。
自らもピアノをやっているとかで音楽には異様に詳しいとレイが評した不良学生に改造された第四楽章のソースは亮一にもお手上げだった。
音楽データのソースにはJavaScriptでやたらと細かいイベントが組み込まれているが、元々がAIFFに変換したデータをXHTMLとJavaScriptでサーバ上にアップロードしたものである為に、どこまでが元のままでどこまでが改竄されているのか判断が付かない。
レイが暗殺者のデータと引き換えにパスワードを教えてしまったのが悪かった。既にサーバ上、つまりは幻想世界の何処にも元のデータが残っていないのだ。書き換えた後、消去してしまったに違い無い。
かと云って、この改造版データすら消去してしまえば、彼等とこの世界を繋ぐラインが断たれてしまう。永久に幻想世界に取り込まれたままになってしまうのだ。恐らくは何の前触れもなく音楽が止み、周囲の風景も消え失せた闇の中を彷徨う事になる。あの禍々しい怨念と共に。
磔也は目を細める。
──焦れ焦れ。急がないと、受刑人不在の今の状態ではもうすぐ169小節目のトラップが解放されるぞ。
「ループだぞループ、刑場で延々ループ」
【4_4ABCDFHIJ】
「あれ、どうしたのあいつ」
水谷の周囲は疾風の壁で確保しつつ、将之がイヴに訊ねた。
何やら、彬の様子がおかしい。
「……憑いてるのよ、千鶴子さんのお兄さん、陵修一氏が」
「はあ? ……何だそりゃ」
『水谷!』
彬──基い、水谷に妹、千鶴子を殺された陵修一が、将之が連れて帰った水谷の姿を認めて俄に殺気立った。
『殺して下さい、奴を! 水谷、千鶴子や晴冶君をこんな目に遭わせたお前を、俺は決して赦さないぞ!』
「止めてくれ!」
鞍馬が耳を塞いで悲鳴を上げた。
「陵さん、あんた、もう彬から出て行ってくれ! 早く!」
耐えられない。このままでは彬にも何らかの害が残るだろうし、何より、自分の意思では無くとも殺せ、などと叫ぶ彬を見るのが耐えられない。
「耳を塞ぐな、良く聞け! あれは殺された千鶴子の兄だぞ、その兄が殺してくれ、裁いてくれと云っているんだ。ちゃんと聞くんだ、妹を奪われた兄の意思を!」
ケーナズは容赦無く鞍馬の肩を掴み、彬へ向き直らせた。
「将之君、もう良いわ」
イヴは彼の耳許でそっと囁いた。水谷を囲んでいる、風の檻の事だ。
「え?」
「あとは私が」
「……、」
大丈夫かよ、と訝りつつも将之は云われた通り、水谷を解放した。イヴがその周りをぐるりと一周したと思うとその軌道上に何人もの彼女の分身が現れ、水谷を取り囲んだ。
一斉に水谷を見つめる彼女達の表情は、どれも千鶴子の顔をしている。勿論、天才的な演技力と歌声で以て人を魅了するセイレーンの声を持った、イヴの演技だ。
『……さあ、行きましょうか、貴方の行く可き場所、……あの断頭台へ』
千鶴子……、と掠れた声を上げた水谷の表情が強張った。イヴ(達)は慈愛に溢れた、とさえ云えそうな神々しい微笑みを浮かべたまま、断頭台へ向けて歩き出す。
「駄目だ、止めろ! イヴさん、止めてくれ! あれは彬じゃない、彬はそんな事望まないし俺だって厭だ、水谷は、──一歩方向を間違っちまっただけじゃねえか、そこで、足を踏み外しちまっただけだ、そのおっさんだって人間なんだ!」
鞍馬がイヴの内一人に取り縋り、ケーナズのサーベルに制止される。鞍馬はそれを雪月花で払い、斬り込む。──鍔が競り合う。
「……、」
涼は勝明を抱きかかえたままどうしたものかと途方に暮れてそんな状況を見ていた。
「……そう云えば……、」
第二楽章、舞踏会の時。あの場に居た化け物達はこの黄天で斬る事が出来た。──なら……。
「……結局、あれが在るから皆、揉めてるんだろ」
そして視線を遣った先には断頭台の影が在る。
「……斬ってみようか」
勝明の身体をそっと横たえると、涼は、賭けに出た。
【4_4xxx】
「──掛かったな」
磔也が笑みを浮かべて吐いた言葉に、姉が駆け寄って来て何がよ、と彼を小突いた。
「あー、頭から77小節の反復のループ。イベントが解放された」
「どういう事?」
「今さー、こいつ、茶髪の優男が刀でギロチン斬ったろ。まあ、そうしなくても刃が降りなきゃ終わんねーようにはしてたんだけど、それより先に自分からループ解放しちまった」
「は?」
だから、と楽しそうに微笑みながら磔也は懇切丁寧に姉に説明する。
「種明かしするとー、最初から77小節目の反復に無限ループ設定しといたんだけど、最初はそのまま、反復無しで通過させてやったんだよ。親切だろ? ただし、ギロチンで誰かが首飛ばされなきゃ終止しないで最初にループ付きで戻るようなイベント設定してたんだ。……まあ、トラップの積もりだったけど、ここまで積極的に解放して呉れるとは思わなかった」
「この莫迦」
【4_4AEG】
「あはははは!」
弾かれたように磔也が高く笑い出した。もうやだ、こんな弟、とげっそりしたようにレイが呟く。
「選りに選って自分でイベント解放してやがる、莫迦じゃねえ?」
「あんたが設定したんでしょうが」
「気付くだろ、フツーは。ギロチンが降りなきゃ化け物の宴会には行けねえって事位」
「……そんな気色悪い事考えるのあんただけよ。 ──……あ、」
「──……、」
次ぎの瞬間には、磔也の胸座は亮一に掴まれていた。
「……、」
指先の骨がぎり、と音を立てる程にその力は強い。両の瞳が金色に、弾けそうな激しい炎を揺らめかせていた。辛うじて手が出なかったのは、彼本来の穏やかすぎる性質と、レイの前だ、という理性が何とか思いとどまらせたから、だ。振り上げた手を何とか自制して下ろし、亮一は低くも絶対的な声で告げた。
「元に戻して貰いましょうか」
指示された不良学生は何ら堪える事はなく「良いのかなー、俺にキーボード弄らせて」と笑っている。
世の中で最も性質の悪い人間と云うのは自らを含めた生命を尊重せず、それに他人を巻き込む人間だ。が、呪わしい事にはこの不良学生もそうした類の人間らしい。
亮一の額に汗が滲んだ。尤もだ。この上、決定的なイベントを解放されたら幻想世界内の彼等、水谷だけで既に混乱を生じている面々には致命的だ。
──……勝明、涼。
何とか出来ないか。焦りが亮一から冷静な判断能力を奪って行く。限界が近付いていた。
「ヤバい、田沼さんキレかかってる」
「らしいな」
レイも孝も割合暢気だ。
「ちょっと、何とかしなさいよ、ケーナズや私に何かあったら、あなた、許さないわよ」
セイレーンの声で凄む舞にも、磔也は何ら怯んだ様子が無い。
「よく云うよ、戻ろうと思えばテレポート出来る癖に柾の精神の映像が欲しいってだけで留まってるあんたが」
「……、」
舞、基いイヴの方が亮一より先に「キレ」た。もうレイの弟だろうが何だろうが容赦する必要は無い。昏倒させても良いし殺しても良いが、それよりも手荒な方法で磔也には協力させてやる。
「……孝」
「はいはい何ですか、お姫様」
芝居めかして答えた孝の頭を舞は軽く小突く。彼は厭がるだろうが、構う暇は無い。
「あれ、やりなさい。磔也君で」
「あれ、って……。……勘弁して呉れよ」
よりによってこのガキと、かよ。だが舞は容赦無い。変装用にカラーコンタクトで茶色に変えた瞳が、本来の緑色の光を煌めかす。
「四の五の云ってる場合じゃないでしょ、私達の精神が掛かってるのよ。磔也君なら元に戻せる、でも彼にやらせたらどう誤摩化すか分からない。彼の能力を、あなたが『使う』しか無いでしょう」
冗談だろ、と孝は頭を抱えた。磔也は、直後自らに降り掛かる災難など考えもしないで余裕の笑みを浮かべている。
【4_5ABCDFHIJ】
「……、」
何が起こった? とその場に居た全員の表情が訊いていた。
「……つまり、今、御影君がギロチン、斬ったじゃない。……あれが斬れるっていうのも凄いけど。……それで、」
第四楽章の冒頭から77小節目までを延々ループするイベントが発動されたらしい、とイヴは、舞が聞いていた磔也の説明を今ここに居るメンバーに向けて繰り返した。
「……無茶苦茶だ」
誰だか知らないけど、帰ったら後で覚えてろよ、と涼は黄天を石畳の隙間に突き立てて吐き捨てる。
「……ふん、焦る事は無い。要は、受刑者の首が落ちれば良いのだろう。簡単な事だ」
ケーナズが、未だイヴ達が確保している水谷を一瞥して不敵な微笑を浮かべた。
陵修一に身体を貸したままの彬は水谷を殺せ、殺せと壮絶な叫びを発し続けて居る。
千鶴子がその狂気じみた絶叫に呼応するように姿を現し、矢張り死刑を執行人に命じて笑う。
周囲には再び死刑死刑と姦しく喚き立てるコーラスが巻き起こった。
──de mort ! de mort ! de mort ! de mort ! de mort !! de mort !!
【4_5abh】
ケーナズは、断頭台が無いなら自ら水谷の首を落としてやる、とサーベルを構え、それを鞍馬が必死で止めろ止めろと絶叫しながら押し止めている。
「いい加減にしないか、……陵氏もああ云っているのが聞こえないのか」
「間違ってる、こんなの……あんたも、みんな間違ってる! ここで水谷を殺しちまったら、結局同じじゃねえか!」
「無責任な事を云うな!」
ケーナズの声から余裕が消えた。
「君に分かるのか、……妹を殺された彼がどれほどの口惜しさを抱いているか」
「あんたには分かんねえよ、報われない想いを持ってる人間の気持なんか」
鞍馬も負けずに云い返し、……再び、視線が交錯した。
イヴ達は、分身を解除することも出来ずに水谷をどうしたものか極め倦ねているようで、相変わらず千鶴子の演技をしている者も居れば彼女本来の表情に戻って困ったようにケーナズと鞍馬を眺めている者も居る。
【4_5AEG】
「あはははは!!」
レイが本当に嬉しそうに手を叩いて笑いながら指差しているのは、一人の小柄な美少女である。明るい緑色の髪に金色の瞳は風変わりだが、一点の破綻も無い美貌には別段妙な所は無い。少なくとも、目許を完璧に覆う前髪をした少女に指差して笑われる筋合いは無い。
然し、笑っているのはレイだけではない。舞の少女へ対する反応もレイと同じような物だし、流石の亮一も苦笑することで吹き出すのを堪えている状態だ。孝は──、彼はこの場には居ない。因みに、磔也も。
何故か。
この目の前の小柄で明るい緑色の長い髪に金色の瞳をした美少女が、孝が磔也を取り込む、一言で云えば合体した結果の姿なのである。
舞に命令された孝が非常に厭そうな顔をして、やる気無さそうに叫んだ「魔法少女☆ フュージョン!」という声は、未だ耳の奥に木霊して脳裏から離れない。それまで何があろうと余裕綽々と微笑んでいた磔也が、一瞬見せた愕然とした表情も。
「磔也、聞こえるー?」
「聞こえる訳ねえし。意識は俺のもんだ」
彼女に見合った可愛らしい声で、然し言葉遣いは孝のまま美少女が答える。が、レイは狂喜するあまり聞こえていないようだ。
「ちょっとあんた、鏡見てみなさいよ、凄く可愛い、一生そのままでもいいわよ。って云うか、孝君にあげるわ、磔也」
「要らねえ! つーかな、今だけだ、データ元通りにしたら即効元に戻るからな」
キーボードに手を置いた孝の背後でレイは写真だ写メールだと叫んでいる。無視する事に決めた孝の横でカメラ付き携帯電話が「カシャ」と音を立てた。
亮一は自身のノートパソコンにコピーして置いた、シュラインの音声データファイルを出して孝に見せた。
「天音神さん、何よりまずこのデータを彼方へ送って頂きたいんですが。それと、反復のループは解除しないでそのままにお願いします」
「どういう事?」
レイが訝るが、「中」から事情を聞いたらしい舞が「いいのよ、セレスティさんに考えがあるみたい」と頷いて見せた。
孝は、その世にも麗しく可憐な目で亮一の手許を一瞥し、澄んだ声で「mp3か、だったらラクだな」とぶっきらぼうに呟いた。
「いいぜ、こっち寄越しな」
【4_6zero】
「……ねえ、ちょっとヤバくない?」
元々ヤバいよ、と異口同音に切り返した舞、亮一、孝の答えにレイは首を振って画面を指した。
「そうじゃなくて、倉塚君、……キレかけてない?」
「キレもすんだろ、こんな無茶苦茶な中に居りゃあ」
孝はキーボードを操作しながらも、相変わらず口調と声質のギャップが激しい。
そりゃそうだけど、とレイは暫し考え込んだ。
「……大丈夫……よね。……倉塚君なら多少ブチ切れても……」
……大丈夫、多分。……大丈夫な筈。
【4_6ABCDFHIJ】
──de mort ! de mort ! de mort ! de mort !
『殺せ!』
────ユートピア国家の理想は軍部と専制政府の完全なる支配下に因ってこそ実現され、それでこそ研究に於ける完全なる秩序とその研究を通じて芸術が目指す素晴らしい成果が保証されるというものである!
『水谷、堕ちろ! 殺せ、殺せ殺せ殺せ!!』
千鶴子の笑い声と全く意味不明な水谷の絶叫、死刑死刑死刑死刑と喚くコーラス、そして水谷を殺せと怒鳴る、彬の口を借りた陵修一の声は今や混沌と混ざりあって、何が正常で何が異常なのか、一体誰の死を望むものであるのかさえ区別が付かない。
音楽は、延々と同じ箇所を反復し続け、耳にこびり付いた喧しいファンファーレにはうんざりする。
不意に、一陣の強風が吹き抜けた。
「……お前ら全員、──いい加減にしろ」
一同がはっと顔を向けた先、──この疾風の発生場所に居たのは、倉塚将之である。
今までも、特に一癖二癖ある面々の中でもあくまで当初の依頼内容、柾の護衛にクールに徹して来た彼、元々は人の好い少年だった筈なのだが、──。
低い静かな口調が、逆に彼の不穏な精神状態を示唆している。
彼を中心に竜巻きのように起こる風は鋭く、鎌鼬のような鋭利な刃を持っていた。
『殺せ!』
状況が分かっていないらしい、彬の身体を借りた陵修一は相変わらず絶叫する。
風が、一段と強くなった。
「煩ぇ! あんたもそんなに殺せ殺せって喚くなら、自分が来いよ!」
今までにも、将之が剣術の他にも自身の能力らしく風を壁や刃に変えて自在に操っていたのは目にして来た。……そして、この状況は……。
「不味いぞ、」
ケーナズは一同に下がれ、と腕を振って合図し、イヴに分身を解除しろ、と命じた。その一言で水谷を取り囲んで居たイヴの分身達は慌てて一体に纏り、その分身も走ってケーナズの傍らに居る本体に収まった。
「不味いですね。……ですが丁度良いのでは? この小煩い存在を掃除して呉れますよ、屹度」
落ち着き払っているセレスティに、君は特に急いで下がれ、と吐き捨ててケーナズはイヴの腕を取り、将之の傍を離れる可く駆け出した。
「急いで、彬君を!」
「分かってる!」
勝明と共に柾の腕を引いてケーナズに従いつつ、涼は鞍馬に向けて叫んだ。云われるより先に鞍馬は、陵修一の意思で水谷を呪い続けている彬を無理矢理、──腕を引いてもびくともしないと分かったので、幾らかある身長差に任せて抱き上げて移動した。
──その直後だ。
「もうどうなろうが知った事じゃねぇ、──勝手にしろ!」
──轟──!
「──!!」
辛うじて範囲外すれすれの地面に伏したイヴ、ケーナズ、涼、勝明、柾、そして彬を押さえ込んで身を伏した鞍馬、何故か一人余裕で安全圏に居るセレスティの目の前で、将之を中心に吹き荒れた尋常ではない量の疾風が鎌鼬となって全てを、──妖しの死刑執行人達を、死刑を求めるコーラスを、千鶴子の幻影を、断頭台の無い刑場の風景を切り刻み、一掃した。
──今だ、。セレスティはぼんやりとした視界にその破壊的な動力を認め、既に掌中に在った「キー」を、──外の世界から受け渡された「例の」音声データを解放した。
──目論み通り、水谷が風の刃に飲まれる前に消え失せたのを感知し、彼は口唇の端を持ち上げて悠然と微笑んだ。
【4_6abcdij】
「凄い……、」
誰からともなく洩れた呟き。ケーナズは「何者なんだ、奴は」と呆れて呟くしか無かった。
凪のように風が収まった後、爽快な程に一掃されて何も無くなった其処に唯一立っていた人影を見た一同は息を飲む。
「倉塚さん!」
勝明が叫び、イヴが小さく悲鳴を上げた。
将之は身体を二つに折って項垂れていたが、彼の全身は無数に深い傷口が裂け、真っ赤な鮮血がぼたぼたと流れ落ちていた。
「……、……あ……、」
かしゃん、と音を響かせて眼鏡が落ちた。それを合図にしたかのように将之は膝を折って倒れ込んだ。
「厭だ、どういう事!?」
イヴを先頭にケーナズ、涼、勝明が駆け寄り、セレスティもやや急いで後を追った。
涼は少しでも気を落ち着かせようと将之を助け起こし、気休め程度だが出血を抑える為に両腕を心臓より高く上げさせた。将之はされるまま、ぼんやりと目を開いて天を眺めている。
「……あー……、……キレちまったじゃねぇかよ」
弱々しい表情だが、一同を見回すとお前らの所為だぞ、と笑った。
「……今の、制御出来てなかったんですか。……若しかして、つい、キレちゃって発動させてしまった、とか……」
「当たり」
にやり、と将之は答える。
……信じられない。勝明は首を振った。
「……あ、眼鏡は? ……眼鏡、俺の」
血の跡を付けながら石畳を探る将之の手を、セレスティが取る。彼の触れる先から、傷は癒えて行った。
眼鏡を拾い上げたケーナズは溜息を吐いて重体患者を見下ろした。
「ここにある。……が、治療が先だ。……全く、何て無茶な奴だ。彼が居なかったら、君、死んでいたぞ」
「大丈夫だって」
「キレて」しまうと制御出来ない風に自らも傷付けてしまうものの、自分の起こした風で死にはしない、──筈。奇跡的なセレスティの治療で大分元気を取り戻した将之は明るく笑った。
ケーナズから眼鏡を受け取って掛けてから、将之はセレスティに会釈した。
「……いつもすいません。……って云うか、何度目だっけ……」
「構いませんよ」
麗人は穏やかに微笑んだ。
【4_6AEG】
「……倉塚君……、格好良い……」
レイがうっとりと呟いた言葉に相槌が返った。
「……何だと?」
「え、何? 孝」
舞の問い掛けに、孝自身首を傾げて不思議そうな表情をした。
「……何云ったんだろ、俺」
孝が身に覚えのない、自らの口を突いて出た言葉を訝っている内にも、理由の分からない不穏な感情が脳の一部に広がって行った。
……これは若しや……。
やべェ、と美少女は呟く。……益々急いで連中をこの楽章から脱出させて、合体解除しねぇと──。
コーラスはどうでも良いので放って置く。怨念を閉じ込めたループはそのまま。後は5楽章への移行に掛かったシャッターを解除するのみだ。
【4_6ABCDFHIJ】
陵修一が抜け、正気に返ったらしい彬と鞍馬が合流してから、一同の関心はようやく肝心な点に向けられた。
「……水谷は、」
どうなった?
将之の風の刃は全てを一掃したが、水谷がそれだけで消えてしまったのだろうか。
「殺しちまったのかよ、」
鞍馬が慌てたように、すっかり無傷になった将之を問い詰めた。
「知らねぇ、……悪い、俺にも分かんねえ」
「おい」
「……死んで良かったんだ、あんな奴は」
「手前ェ!」
「やめて!」
再三、衝突しかけたケーナズと鞍馬の間にイヴが慌てて割り込んだ。イヴはケーナズの意見に賛成して居たが、ここでまた将之がキレるのだけは何としても阻止しなければ不可ない。
「……、」
「……何をしたんですか、セレスティさん?」
勝明は確信を持って誤摩化されないぞ、と彼をじっと見詰めた。
どうも、涼すら都合良く動かしてしまったらしいこの謎多き青年が何かやったのは明らかだ。
「……安心なさい。水谷の精神は死んでいません。……但し、彼には死よりも辛い罰を受けて貰っていますが」
「一体何を?」
訊ねたケーナズを始め彼を見詰める一同に、セレスティは淡々と告げる。
「先程陵君の妹君から受け取ったファイルの内容を覚えて居ますか? 田沼探偵達が水谷を現実世界で追い詰めた時、エマ嬢が声帯模写を利用して千鶴子嬢の声で水谷に彼のした事を思い出させたそうですね」
「……、」
「何それ」
「……さあ」
彬の妹、楓にかまけて例のファイルを見て居なかった鞍馬と彬を覗いて一同、頷く。将之がファイルのデータがプログラムされたフロッピーを出し、後で読んどけ、と押し付けた。
「すみませんね、……御影君を利用する気は無かったのですが。外からの干渉に因って反復の無限ループが存在すると聞いた時、思い付いたもので。……エマ嬢の音声データをキーに、水谷を自らが犯した罪の意識と共にその反復の中に閉じ込める事を」
「……じゃあ、」
「流石にそれは残酷過ぎるかとも思ったのですが、殺すか殺さないかの選択肢では決着が着かなかったようですので」
「……、」
ケーナズと鞍馬が触り気無く視線を反らした。イヴがそんなケーナズを見てくすりと笑い、涼と勝明は苦笑を交わし合った。──全く、あの「喧嘩」には大分とばっちりを喰わされた。
「……水谷和馬、赦し難い罪人です。彼のような人間の為に、誰一人手を汚す事はありません」
青い瞳を遠くへ向けたセレスティの口唇に残酷な笑みが浮かんだ。
「──自ら産み出した幻想と共に、永遠に恐怖を味わうが良い」
──……この人は敵に回したく無い、とイヴは内心で呟いた。
【4_7zero】
「……うわ、これきッつ……、」
画面を切り替え、反復部の映像を映し出したレイはおそらく前髪の奥で眉を顰めたと思われる。
「……ちょっとぉ……総帥、これはキツいって……」
──まあ、小気味良い事は良いが。
──……何故、私を殺したの、水谷さん
──……千鶴子……、
──……晴冶さんをどうする気なの? ……私は知っているわ、私を殺したのは水谷さんだって
──……千鶴子、……嘘だ、千鶴子がここに居る訳はない、
──……警察や晴冶さんは騙せても、私は騙せないわ。……何より
──……来るな……、千鶴子、やめてくれ、
──水谷さん自身の心に嘘は吐けない
──……危ない──……
永遠に反復を繰り返す断頭台の影と刑場の風景の中、水谷の精神は既に恐怖で壊れ始めていた。……だが、この恐怖は終わる事はない。死に損なった水谷の魂は、永遠にこの声を聴き続ける事になる。……永遠に。
抜け殻となった彼の肉体が朽ちても、何百年が過ぎようと。この異世界から分離した、反復を繰り返す音楽の中で。
【-Xilef-】
──柾晴冶は呆然と座り込んだまま、低声で呟きを繰り返していた。
「……ユートピア国家の理想は……完全なる支配下に因って……完全なる秩序とその……芸術が目指す……成果が保証され……」
──柾、と声がする。自分を呼ぶ声にはっと一団を振り返った柾は、小首を傾いで歩き出した。
……何か今、ぼんやりしていたようだ。
【4_7AEG】
「……こういう事だったんですか、……あの声の主、……彼が云っていたのは」
亮一は静かに画面を眺めながら呟いた。
「……でも、まあ、」
彼等が無事で良かった。水谷の怨念を幻想世界内へ弾き飛ばしてしまった時はどうしようかと思ったが、奇しくもその際に確保したデータによって彼等を救う事が出来たようだ。
……そのデータの受け渡しも出来たのだし、一応、罪滅ぼしが出来たかな。
彼が悪い訳でも無いのに、この穏やかな探偵はそう思うとようやく肩の荷が降りた気になって息を吐いた。
そして、切り替えた画面の中の勝明をこつん、と指先で弾く。
「……全く無茶して、……お前は」
おい、と突慳貪な言葉が、きれいな少女の声で発せられた。
「出来たぜ、……次の場面に行く通路」
孝が、その明るい緑色の長い髪を掻き上げ、ああ疲れた、と云うように肩を押さえて首をぐるりと回しながら告げた。
「オーケー、じゃ皆に伝えるわ」
「……もう良いだろ、元に戻っても。……なんか、このガキ、意識乗っ取られそうだ」
【4_7ABCDFHIJ】
──皆、そのまま一気に走って、第5楽章まで抜けて! と云うイヴの声を合図に、一同はともかく駆け出した。
今度こそ、本当にあとは脱出するだけだ。──この楽章、魔女の狂乱の宴さえ掻い潜れば、──無事駆け抜ければ。
【4_8AEG】
「……手前ェ、覚えてろ、って云うかブッ殺す、この場で」
ようやく「魔法少女☆ フュージョン」から解放された磔也は、レイも見たことの無いような殺気立った瞳を孝に向けるとバタフライナイフの刃を出した。
「やめなさい、少なくとも私の前で警察沙汰になる事しないで。──……、」
弟が弟なら姉も姉で、自らもバタフライナイフを抜いて彼を制止したレイだが、彼を諭した端から思い出し笑いを堪えてくっ、という声を喉で押止めた。
「……、」
亮一は、孝を労うべきなのかそっとして置くべきなのか極め兼ねて口唇を半ば開いたまま黙っていたが、結局、孝は放置するのがベストだと判断して傷害事件に発展しそうな姉弟の仲介に立つ事にした。
「落ち着いて下さい、二人共。……まあいいじゃないですか、お陰で彼等も第四楽章から抜け出せた事ですし」
「そうよね、って事で磔也、あんたも諦めなさい」
「レイ……当分喰い物には注意しな、」
記憶を操作し得るドラッグが入手出来れば即座に盛られそうな声だったが、写メールを入手しているレイは余裕の笑みを浮かべて居る。
背後では、思い出し笑いに言葉を詰まらせながら孝を労う舞の声がしていた。
「孝……、──……っ、……お……疲れ様、──……、」
そんな舞をじろりと睨みつつ、孝は溜息混じりに深緑に戻った髪を掻き上げた。
「……全く、お姫様のやる事はいつも過激だぜ。……こっちは後始末が大変だ」
そして、眼が合った瞬間、再び殺気を発した磔也には余裕の有る口調で告げる。
「まぁ、金ならうちのお姫様の王子様が出してくれるだろうから君も諦めたら? 水谷よりは気風が良いと思うぜ、多分」
金の問題じゃねぇ、と磔也が吐いた呪詛の言葉には気付かない振りをして置いた。
【4_8】
白い閃光に覆われて行く第四楽章の舞台から脱出するべく、一同は柾を連れて走る。
その先には、青い、深い闇が広がっている。
闇の中には、妖艶な笑みを浮かべた紅い女の影が潜んでいた。
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幻想交響曲 Phantastische Symphonie Op.14
作曲:Hector BERLIOZ (1803-1869)
作曲年:1830
「病的な感受性と、はげしい想像力を持った若い芸術家が、恋の悩みから絶望して阿片自殺を計る。しかし服用量が少なすぎて死に至らず、奇怪な一連の幻夢を見る。その中に恋する女性は、一つの旋律として表れる──」
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0931 / 田沼・亮一 / 男 / 24 / 探偵】
【0932 / 篠原・勝明 / 男 / 15 / 学生】
【1481 / ケーナズ・ルクセンブルク / 男 / 25 / 製薬会社研究員(諜報員)】
【1548 / イヴ・ソマリア / 女 / 502 / アイドル兼世界調査員】
【1555 / 倉塚・将之 / 男 / 17 / 高校生兼怪奇専門の何でも屋】
【1712 / 陵・彬 / 男 / 19 / 大学生】
【1717 / 草壁・鞍馬 / 男 / 20 / インディーズバンドのボーカルギタリスト】
【1831 / 御影・涼 / 男 / 19 / 大学生】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【1990 / 天音神・孝 / 男 / 367 /フリーの運び屋・フリーター・異世界調査員】
NPC
【1630 / 結城・磔也 / 男 / 17 / 学生】
【1889 / 結城・レイ / 女 / 21 / 自称メッセンジャー】
【水谷・和馬(みずたに・かずま)】
・今回の依頼人にして元凶らしい。アマチュア時代から柾と共に創作活動をしていたディレクターの卵。御愁傷様です。
【柾・晴冶(まさき・はるや)】
・新進の若手として注目を集めていた映像作家。どうも、厄介な事に見舞われ易い問題青年らしい。
【陵・千鶴子(みささぎ・ちづこ)】
・一ヶ月程前に轢逃げに拠り死亡。柾の元恋人で舞台女優。今回の件は彼女の怨念が引き起こした物と見られていたが、本当の彼女はただ柾を心配していた模様。
【陵・修一(みささぎ・しゅういち)】
・陵千鶴子の5つ違いの兄。千鶴子殺害の犯人に見当を付けており、草間興信所に依頼に行った。
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■ ライター通信 ■
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今回、もう何も申し上げようがありません。
ただ、皆様本当にお疲れ様でした……、と云うばかりです。
後は、脱出するのみです。
結局はその途中にも魔女の狂乱の宴を通過しなければならず、簡単に素通りは出来ないと思われますが。
次回、第五楽章の受注は10月1日水曜日午後8時から行う予定です。
さて、何名様が幻想世界内に残った事になるのでしょう……。
今回の御参加、本当に有り難うございました。
■ イヴ・ソマリア様
力強い眷属、基い御親戚を連れて来て下さいまして、またソマリア嬢の連投、有り難うございました。
……良いのでしょうか、……あんな感じで……。
本当に予想外でした。どうしたものか暫く混乱しました。……魔法少女の影響力は強いです。
x_c.
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