■幻想交響曲 4 死刑台への行進■
x_chrysalis |
【1990】【天音神・孝】【フリーの運び屋・フリーター・異世界監視員】 |
死刑執行中継
投稿者:xxx
投稿日:2003/09/XX 1X:XX
──────
死刑の中継とか、見たい奴居るか?
それも今どき時代遅れなギロチンのヤツ。
まあ現実の映像じゃないけど、半分バーチャル、半分本当みたいなもんだから暇つぶしにはなるかも。
詳細に興味がある奴、居たらこの書き込みから15分以内に下のアドレスまでメール送って来い。
xxx_....@XX.hotmail.com
────────────
若手の新進映像作家、柾・晴冶(まさき・はるや)。彼は恋人である女優、陵・千鶴子(みささぎ・ちづこ)を失ったショックから精神を病み、「幻想交響曲」に誘われて音楽の世界へ迷い込んでしまう。その幻想世界へ行き、柾を助け出して欲しいと依頼して来たのは水谷・和馬(みずたに・かずま)という柾の親友にしてディレクターの卵。
幻想世界は柾の幻覚と、彼を黄泉へ引き摺り込もうとする千鶴子の怨念、魑魅魍魎の類の混沌の世界。生半可な気持では逆に取り込まれてしまう危険な世界。その中で柾の身の安全だけは何とか確保していた一同だが、次第にこの世界に介入できる第三者の存在に気付き始める。
現実世界とも連係を取り、「幻想世界の正体」をも同時に探り始めた一同。奇遇な事に、時を同じくして草間興信所には千鶴子の兄、陵・修一(みささぎ・しゅういち)が訪れていた。
その結果、どうやら幻想世界自体が恋敵の柾を陥れる為に水谷が仕組んだものだと云う事が発覚する。……しかも、現実世界で追い詰められた彼は禍々しい怨念を引き連れて幻想世界へと移動して来てしまった。
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幻想交響曲 4 死刑台への行進
【4_0xxx】
「……あ」
差出人:K_A
件名:死刑執行中継
日付:2003/09/XX 1X:XX
「……まさか、本当に来るとはなぁ……。……暇人」
少なくとも、彼に云えた台詞ではないと思うが。本来ならクラブ活動や友人との語らい、アルバイトに受験勉強と云った、有意義な一時が過ごせる筈の放課後の時間をこうして某ネットカフェの個室で紫煙と戯れながら潰している高校生には。
然しともかく、結城・磔也(ゆうき・たくや)はそのメールを開き、文面を一読すると即座に返信した。
『見たけりゃアクセスする方法教えてやるけど、どうせなら──』
【4_0G】
チッ、と舌打ちする音が聞こえて、磔也は傍らの青年を見遣った。大雑把な身装なりになかなかの美青年だ、──確か、最初に天音神・孝(あまねがみ・こう)とか名乗った。磔也が遊び半分にネットに流した、掲示板の書き込みを見て連絡を取って来たのだが、──何と云うか、見るからに「異界の者です」と云った気配を発している、深暗緑色の髪と瞳の青年だ。
彼は何故か白桃の缶詰め、所謂「桃缶」を手にしていたのだがその蓋にはプルトップが無い。うっかり缶切りの必要な種類を持って来てしまったようだ。
「──開けてやろうか」
磔也は組んで居た腕を孝に向けて差し出す。
「持ってんのかよ、缶切り」
「まあ、貸せよ」
孝がその掌に乗せた桃缶を受け取ると、磔也はニヤ、と笑って制服のポケットからバタフライナイフを取り出した。はあ、今どきのガキだなあ、と孝が呆れている前で、刃を出したナイフを事も無げにさく、と金属の蓋の縁に突き立てると、僅かな接続部を残してすっぱり円形に切り出してしまった。
「はい」
「……、」
孝は憮然と甘い匂いをタール臭の中に撒き散らす桃缶を受け取った。
「……喰う?」
要らない、と磔也はシロップ漬けになったバタフライナイフの刃を、神経質な程丁寧に拭っていた。
孝の出身は、人類が宇宙へ進出した時代の異世界である。そう云うと一瞬間は頭が混乱するが、魔界の女王の妹、イヴ・ソマリアの親戚と云えば一応の納得は出来よう。元の世界ではフリーの運び屋をやっていたが、異世界調査員と銘打って人間の世界へやって来てからは結局ただのフリーターである。要するに、暇なのだ。
暇、とは時間を持て余していると云うことである。
現在日本では、ネットサーフィンで時間を潰すに最適な環境が出来上がりつつある。孝もその恩恵に与って、ぼんやりと某怪奇系掲示板などを眺めていたのだが──。
その中で、他の噂話等とはやや趣きの異なる書き込みを見つけた。一言で云えば「バーチャルワールドのギロチン処刑を見物しませんか」という内容である。
──人間界ではこういうものが流行っているのか? 聞いたことないぞ。
だとすれば、異世界調査員としては動かない訳には行くまい。
投稿者のアドレスにメールを送り、返信を待つ間に少々乱暴な方法で心当たりを探っていた孝は愕然とした。
詳細は省略するが、要は、その曰く有り気な一件に親戚の少女(外見は)、つまりはイヴが関わっている事が分かったのである。
どういう事だ。彼女、今こっちでは自分と同じく異世界調査をやってるんじゃなかったのか?
孝は更に調査の範囲を広げる。その果てに行き着いたのは、何でも今を時めくトップアイドルと云う、イヴ・ソマリアの公式ファンサイトである。
「……大人しく調査員やってんのかと思ったら、映像作家の救出だのトップアイドルだの……何やってんだ、うちのお姫様は」
そこへ、返信があった。都内の某ネットカフェの名前が挙げてあり、近くに居るなら一緒に妨害して遊ばないか、というお誘いである。
近くに居る、ということにして尤もらしい現在地をでっち上げ、彼の姫君も同じ能力を持つ空間移動能力を使って彼の許へ赴いた。事実を知った以上はイヴをフォローせねばなるまい。……一先ずは味方の振りをしてこの胡散臭い高校生から情報を引き出すか。
【4_0zero】
空は鈍色の雲に覆われ、折りからの強風に重い空気が頬を切るように冷たい。
遠くに聳える首切り台の影。刑場へ続く石畳の上で口唇を噛み、握り締めた手を震わせている柾・晴冶(まさき・はるや)の視線の先には、すっかりその形相を人とは思えない程に禍々しく変えた嘗ての親友、水谷・和馬(みずたに・かずま)の姿が在る。
「……あーあ……」
元はと云えば、水谷はこの中に居る筈では無かったのだ。
半分、その原因を作ってしまった結城レイは画面を眺めつつ頬杖を付き、心の中で「ああ、ごめんなさい、ごめんなさい、悪気は全く無かったの、つまり私は何も悪くないの」と都合の良い謝罪の言葉を、同じく画面の中の面々、イヴ・ソマリア(いヴ・そまりあ)、ケーナズ・ルクセンブルク(けーなず・るくせんぶるく)、御影・涼(みかげ・りょう)、篠原・勝明(しのはら・かつあき)、陵・彬(みささぎ・あきら)、草壁・鞍馬(くさかべ・くらま)、セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ)、そして柾を庇っている倉塚・将之(くらつか・まさゆき)に向けて呟いた。
「……にしても、倉塚君てちょっと格好良いかも」
などという独り言が口を付いて出た辺り、本来の気楽さを回復して来た彼女ではあるが、──その余裕も、着信を受けた携帯電話に応対している内にあっさりと消え失せてしまった。
「ああ、田沼さん?」
『──……、』
受話口からの指示に従い、自分のノートパソコンでブラウザを開いて某掲示板に目を走らせたレイは、その中のある書き込みに目を留めると血相を変えて「磔也!」と吐き捨てた。腹立ち紛れに、某氏の抜け殻を部屋の隅まで蹴飛ばしつつ。
「あいつ……、絶対許さない、大体反則じゃない!」
【4_1xxx】
「で、結局何やってんの、あんた」
孝は桃缶をつまみつつ、刑場を映す幻想世界内の画面と交互に表示されるソース画面を弄って面白がっている磔也に呆れて問い掛けた。
「この連中が居る幻想交響曲、あー、ベルリオーズってあれイカれてるけど大した作曲家だよな、ピアノも碌に弾けなかった癖にこんな曲作ってるんだぜ。で、この第四楽章って云うのが最後には主人公の首がギロチンで飛ぶ所で終わるんだ。要は、この映像作家な。連中、何とかこいつを護ろうとしてるらしいけど……」
内状はそうシンプルでも無いらしい。磔也は、既に先程迷い込んだ怨念の主を巡って彼等が内部分裂を起こし掛けている事を察知していた。元々は4分程の短い楽章だが、それ以上に時間が伸びれば勝手に自滅するだろう。
「取り敢えず反復記号の繰り返しを延々ループさせる。それから徐々に倍音列の煩い、要は不安を煽る音を紛れ込ませる。分からない位さり気なく。後はー……、第五楽章への移行にシャッター掛けるかな。で、結局ループ。出口無し」
【4_1AG】
「……、」
反復記号だの、倍音列だのと云われても孝には今一つピンと来ないが、ともかく連中を袋小路に追い込もうとする意図は見えた。こうしている間にも既に音楽は進行しているし、あまりのんびりする時間は無い。
孝が千切り取った缶詰めの蓋を手に磔也の首へと伸ばし掛けた時だ。
「!?」
店内が一瞬で闇に包まれ、彼方此方でざわめきが上がる。当然、コンピュータや周辺機器の電源も落ち、モニタも黒く変わった。
「……何だ?」
孝は磔也へ伸ばし掛けていた手を引っ込め椅子から腰を浮かした。
「停電……あり得ねえな」
ネットカフェの店内では。冷静に腕を組んだ磔也の耳許で、第三者の声が響いた。
「磔也君ね? 先程はどうも。今度はこちらからお邪魔させて貰ったわ」
「……イヴ・ソマリアか」
寧ろ、驚いたのは孝の方だ。
「イヴ!?」
「え、……何でここに居るの、孝」
「お姫様こそ何やってんだよ、大体、トップアイドルって何だ?」
「道を歩いてたらスカウトされてぇ、バイトの積もりでモデルやったら人気出ちゃってぇ、いつの間にかシングルがミリオンセラーになってぇ、ドラマに……」
急にアイドル口調になった舞は「あ」という孝の声と同時に口許を押さえてはた、と黙り込んだ。店内のざわめく中、二人の沈黙が流れる。
「……逃げられたな」
「神出鬼没なんですって、彼」
「んな事ぁ分かってる」
【4_1aeg】
「……、」
店先の少年は、店内の混乱を見遣って口許に笑みを浮かべている。霊的干渉を遮断し、気配を消して彼に近づいた亮一は近くで見た彼に確信を持ち、不意を付いてその腕を掴んだ。
「……、」
少年、基い結城磔也はゆっくりと振り返った。笑みは消えているが、慌てた様子は無く落ち着いた、と云うより冷めた目をしている。寧ろ、亮一の存在よりはその目線が予想を遥かに上回る高い位置に在った事に驚いたらしい。
「申し訳有りませんが、ゲームオーバーにして貰えますか? ……結城磔也君」
「……誰だよ、あんた」
「田沼と云います。……幻想世界内に居る人間の知り合いだ、と云った方が分かり易いですか?」
「……あ、そう」
「……、」
暫くお互いを牽制していた二人の視界に、店内から出てきた二人の男女が映った。
「今の停電、イヴかよ」
「だってぇ、レイさんが磔也君音に敏感って云ってたから、店員を誑し込んでブレーカーの場所聞き出して店内がざわついた所で近づこうかなって……」
少女の方が亮一に気付いて顔を上げた。舞だ。傍らに居るのは大雑把な身装の、深い緑色の髪と瞳をした端正な青年だ。
「……あ、田沼さん」
「舞さん、……これは一体何事です?」
「あ、磔也君。……良かった、田沼さんが掴まえて呉れたのね」
青年へ視線を向けた亮一に、彼は「どうも、天音神孝です、うちのお姫様、いやイヴが世話んなって」と適当な挨拶をした。
……グルかよ、こいつら。磔也が小さく舌打ちした。
「あー、何事も何も、彼女が店のブレーカー落としちまって」
「だから、磔也君に気付かれない為に」
「だからって、主電源落としちまったら照明だけじゃなくて電気製品全ての電源が落ちるの、パソコンもダウンする訳」
亮一は暫くはやる気無さそうに舞に云い聞かせる孝を眺めていたが、手の中に在る磔也の腕に気付いてそれを遮った。
「ともかく、今は彼に話を聞く事が先です。……話して貰えますね? 磔也君。あの書き込みの内容について」
「つーかそのガキ、既に幻想世界のデータ書き換えてたぞ」
「な……、」
孝の言葉に亮一の表情が強張る。磔也が肩を竦めた。当然だ、彼の知る所では無いと云え、怖いもの知らずの彼の姉さえ戦慄させた亮一の目だ。
「……ならば、余計に時間が有りませんね。コンピュータなら俺のを使って貰って、この場ででも先ずそれを戻して貰いましょう」
「あー、無理無理」
磔也は手をひらひらと振った。
「ノートは生きてても回線が繋がんねえから。ホットスポットとは云え元のステーションの電源落ちてるし、携帯じゃ速度トロ過ぎて、無理」
何故か舞と孝が一歩ずつ後ずさった。亮一の瞳の温度が摂氏零度を通り越してマイナス度まで冷めて行ったのだ。
「大丈夫だって。まだイベントは解放してないし。……ちょっと効果音は入れたけど」
「……、」
不意に、マイナス度の瞳のまま亮一が微笑み、磔也の腕を強く引いた。
「……田沼さん……?」
恐る恐る訊ねた舞に、亮一は無言で彼等を促す。
「仕方ありませんね、……保護者、基いお姉さんの監視の許で修正して貰うとしましょうか」
そして、一同は柾宅へ向けて移動を開始した。
【4_2zero】
「連れて来なくたっていいじゃない、」
レイは、亮一、舞、孝に連れられて入って来た磔也を見て露骨に嫌悪感を示した。
「よぉ、久し振り、姉貴」
「わざとらしい」
亮一は即座にノートパソコンを広げ、柾宅のターミナル型コンピュータ、レコーディング中のレイのノートパソコンに並べて置いた。無線LANは有効らしいな、と確認する。
その背後で中の様子をテレパスで探っていた舞が、首を傾げた。
「交響曲って、コーラスが入る事あったかしら?」
「あるんじゃない? ……え、幻想にコーラスが入ってる? 何て?」
レイは何気なく答えてから、異常に気付いた。
「フランス語で死刑死刑死刑死刑って」
「……誰よ、そんなパート勝手に作ったの」
分かり切った質問だが、敢えてしてみる。
「俺」
案の定、不良学生が挙手した。
「磔也!」
「……いいだろ、別に。大してイベントには関係してねえし」
「煩いのよ!」
──de mort ! de mort ! de mort ! de mort !
【4_3zero】
レイの携帯電話が、本日何度目か数えるのも面倒だが着信音を発した。
「はい?」
──おっと。レイ自身は直接面識の無い、草間興信所所長直々の電話だ。
はいはい、と愛想良く相槌を打っていたレイだが、やがて受話口を指先で押さえて舞を呼んだ。
「……お出ましになったらしいわ、陵氏、千鶴子さんのお兄さんが」
「今草間興信所に?」
レイは頷く。
「こっちに向かいたいがどうかって。草間氏は反対らしいわ。私も同じよ。いくら何でも、抜け殻とは云え水谷と向かい合わせるのは賢い方法とは思えない。……それでね、」
レイは、遠い所で血縁関係にあり、自身が霊媒体質である彬に陵・修一(みささぎ・しゅういち)氏の意識をシンクロさせる事を提案した。
「微妙な所ね、取り敢えず彬君に聞いてみる」
テレパスで幻想世界内の彬と交信していた舞だが、やがて「オーケー、彬君、承知したそうよ」と答えた。
【4_3xxx】
「……、」
磔也の視線の先では、亮一が必死に三台のコンピュータのモニタを見遣りながらキーボードに置いた指を動かせずに苛立って居る。
自らもピアノをやっているとかで音楽には異様に詳しいとレイが評した不良学生に改造された第四楽章のソースは亮一にもお手上げだった。
音楽データのソースにはJavaScriptでやたらと細かいイベントが組み込まれているが、元々がAIFFに変換したデータをXHTMLとJavaScriptでサーバ上にアップロードしたものである為に、どこまでが元のままでどこまでが改竄されているのか判断が付かない。
レイが暗殺者のデータと引き換えにパスワードを教えてしまったのが悪かった。既にサーバ上、つまりは幻想世界の何処にも元のデータが残っていないのだ。書き換えた後、消去してしまったに違い無い。
かと云って、この改造版データすら消去してしまえば、彼等とこの世界を繋ぐラインが断たれてしまう。永久に幻想世界に取り込まれたままになってしまうのだ。恐らくは何の前触れもなく音楽が止み、周囲の風景も消え失せた闇の中を彷徨う事になる。あの禍々しい怨念と共に。
磔也は目を細める。
──焦れ焦れ。急がないと、受刑人不在の今の状態ではもうすぐ169小節目のトラップが解放されるぞ。
「ループだぞループ、刑場で延々ループ」
【4_4xxx】
「──掛かったな」
磔也が笑みを浮かべて吐いた言葉に、姉が駆け寄って来て何がよ、と彼を小突いた。
「あー、頭から77小節の反復のループ。イベントが解放された」
「どういう事?」
「今さー、こいつ、茶髪の優男が刀でギロチン斬ったろ。まあ、そうしなくても刃が降りなきゃ終わんねーようにはしてたんだけど、それより先に自分からループ解放しちまった」
「は?」
だから、と楽しそうに微笑みながら磔也は懇切丁寧に姉に説明する。
「種明かしするとー、最初から77小節目の反復に無限ループ設定しといたんだけど、最初はそのまま、反復無しで通過させてやったんだよ。親切だろ? ただし、ギロチンで誰かが首飛ばされなきゃ終止しないで最初にループ付きで戻るようなイベント設定してたんだ。……まあ、トラップの積もりだったけど、ここまで積極的に解放して呉れるとは思わなかった」
「この莫迦」
【4_4AEG】
「あはははは!」
弾かれたように磔也が高く笑い出した。もうやだ、こんな弟、とげっそりしたようにレイが呟く。
「選りに選って自分でイベント解放してやがる、莫迦じゃねえ?」
「あんたが設定したんでしょうが」
「気付くだろ、フツーは。ギロチンが降りなきゃ化け物の宴会には行けねえって事位」
「……そんな気色悪い事考えるのあんただけよ。 ──……あ、」
「──……、」
次ぎの瞬間には、磔也の胸座は亮一に掴まれていた。
「……、」
指先の骨がぎり、と音を立てる程にその力は強い。両の瞳が金色に、弾けそうな激しい炎を揺らめかせていた。辛うじて手が出なかったのは、彼本来の穏やかすぎる性質と、レイの前だ、という理性が何とか思いとどまらせたから、だ。振り上げた手を何とか自制して下ろし、亮一は低くも絶対的な声で告げた。
「元に戻して貰いましょうか」
指示された不良学生は何ら堪える事はなく「良いのかなー、俺にキーボード弄らせて」と笑っている。
世の中で最も性質の悪い人間と云うのは自らを含めた生命を尊重せず、それに他人を巻き込む人間だ。が、呪わしい事にはこの不良学生もそうした類の人間らしい。
亮一の額に汗が滲んだ。尤もだ。この上、決定的なイベントを解放されたら幻想世界内の彼等、水谷だけで既に混乱を生じている面々には致命的だ。
──……勝明、涼。
何とか出来ないか。焦りが亮一から冷静な判断能力を奪って行く。限界が近付いていた。
「ヤバい、田沼さんキレかかってる」
「らしいな」
レイも孝も割合暢気だ。
「ちょっと、何とかしなさいよ、ケーナズや私に何かあったら、あなた、許さないわよ」
セイレーンの声で凄む舞にも、磔也は何ら怯んだ様子が無い。
「よく云うよ、戻ろうと思えばテレポート出来る癖に柾の精神の映像が欲しいってだけで留まってるあんたが」
「……、」
舞、基いイヴの方が亮一より先に「キレ」た。もうレイの弟だろうが何だろうが容赦する必要は無い。昏倒させても良いし殺しても良いが、それよりも手荒な方法で磔也には協力させてやる。
「……孝」
「はいはい何ですか、お姫様」
芝居めかして答えた孝の頭を舞は軽く小突く。彼は厭がるだろうが、構う暇は無い。
「あれ、やりなさい。磔也君で」
「あれ、って……。……勘弁して呉れよ」
よりによってこのガキと、かよ。だが舞は容赦無い。変装用にカラーコンタクトで茶色に変えた瞳が、本来の緑色の光を煌めかす。
「四の五の云ってる場合じゃないでしょ、私達の精神が掛かってるのよ。磔也君なら元に戻せる、でも彼にやらせたらどう誤摩化すか分からない。彼の能力を、あなたが『使う』しか無いでしょう」
冗談だろ、と孝は頭を抱えた。磔也は、直後自らに降り掛かる災難など考えもしないで余裕の笑みを浮かべている。
【4_5AEG】
「あはははは!!」
レイが本当に嬉しそうに手を叩いて笑いながら指差しているのは、一人の小柄な美少女である。明るい緑色の髪に金色の瞳は風変わりだが、一点の破綻も無い美貌には別段妙な所は無い。少なくとも、目許を完璧に覆う前髪をした少女に指差して笑われる筋合いは無い。
然し、笑っているのはレイだけではない。舞の少女へ対する反応もレイと同じような物だし、流石の亮一も苦笑することで吹き出すのを堪えている状態だ。孝は──、彼はこの場には居ない。因みに、磔也も。
何故か。
この目の前の小柄で明るい緑色の長い髪に金色の瞳をした美少女が、孝が磔也を取り込む、一言で云えば合体した結果の姿なのである。
舞に命令された孝が非常に厭そうな顔をして、やる気無さそうに叫んだ「魔法少女☆ フュージョン!」という声は、未だ耳の奥に木霊して脳裏から離れない。それまで何があろうと余裕綽々と微笑んでいた磔也が、一瞬見せた愕然とした表情も。
「磔也、聞こえるー?」
「聞こえる訳ねえし。意識は俺のもんだ」
彼女に見合った可愛らしい声で、然し言葉遣いは孝のまま美少女が答える。が、レイは狂喜するあまり聞こえていないようだ。
「ちょっとあんた、鏡見てみなさいよ、凄く可愛い、一生そのままでもいいわよ。って云うか、孝君にあげるわ、磔也」
「要らねえ! つーかな、今だけだ、データ元通りにしたら即効元に戻るからな」
キーボードに手を置いた孝の背後でレイは写真だ写メールだと叫んでいる。無視する事に決めた孝の横でカメラ付き携帯電話が「カシャ」と音を立てた。
亮一は自身のノートパソコンにコピーして置いた、シュラインの音声データファイルを出して孝に見せた。
「天音神さん、何よりまずこのデータを彼方へ送って頂きたいんですが。それと、反復のループは解除しないでそのままにお願いします」
「どういう事?」
レイが訝るが、「中」から事情を聞いたらしい舞が「いいのよ、セレスティさんに考えがあるみたい」と頷いて見せた。
孝は、その世にも麗しく可憐な目で亮一の手許を一瞥し、澄んだ声で「mp3か、だったらラクだな」とぶっきらぼうに呟いた。
「いいぜ、こっち寄越しな」
【4_6zero】
「……ねえ、ちょっとヤバくない?」
元々ヤバいよ、と異口同音に切り返した舞、亮一、孝の答えにレイは首を振って画面を指した。
「そうじゃなくて、倉塚君、……キレかけてない?」
「キレもすんだろ、こんな無茶苦茶な中に居りゃあ」
孝はキーボードを操作しながらも、相変わらず口調と声質のギャップが激しい。
そりゃそうだけど、とレイは暫し考え込んだ。
「……大丈夫……よね。……倉塚君なら多少ブチ切れても……」
……大丈夫、多分。……大丈夫な筈。
【4_6AEG】
「……倉塚君……、格好良い……」
レイがうっとりと呟いた言葉に相槌が返った。
「……何だと?」
「え、何? 孝」
舞の問い掛けに、孝自身首を傾げて不思議そうな表情をした。
「……何云ったんだろ、俺」
孝が身に覚えのない、自らの口を突いて出た言葉を訝っている内にも、理由の分からない不穏な感情が脳の一部に広がって行った。
……これは若しや……。
やべェ、と美少女は呟く。……益々急いで連中をこの楽章から脱出させて、合体解除しねぇと──。
コーラスはどうでも良いので放って置く。怨念を閉じ込めたループはそのまま。後は5楽章への移行に掛かったシャッターを解除するのみだ。
【4_7zero】
「……うわ、これきッつ……、」
画面を切り替え、反復部の映像を映し出したレイはおそらく前髪の奥で眉を顰めたと思われる。
「……ちょっとぉ……総帥、これはキツいって……」
──まあ、小気味良い事は良いが。
──……何故、私を殺したの、水谷さん
──……千鶴子……、
──……晴冶さんをどうする気なの? ……私は知っているわ、私を殺したのは水谷さんだって
──……千鶴子、……嘘だ、千鶴子がここに居る訳はない、
──……警察や晴冶さんは騙せても、私は騙せないわ。……何より
──……来るな……、千鶴子、やめてくれ、
──水谷さん自身の心に嘘は吐けない
──……危ない──……
永遠に反復を繰り返す断頭台の影と刑場の風景の中、水谷の精神は既に恐怖で壊れ始めていた。……だが、この恐怖は終わる事はない。死に損なった水谷の魂は、永遠にこの声を聴き続ける事になる。……永遠に。
抜け殻となった彼の肉体が朽ちても、何百年が過ぎようと。この異世界から分離した、反復を繰り返す音楽の中で。
【-Xilef-】
──柾晴冶は呆然と座り込んだまま、低声で呟きを繰り返していた。
「……ユートピア国家の理想は……完全なる支配下に因って……完全なる秩序とその……芸術が目指す……成果が保証され……」
──柾、と声がする。自分を呼ぶ声にはっと一団を振り返った柾は、小首を傾いで歩き出した。
……何か今、ぼんやりしていたようだ。
【4_7AEG】
「……こういう事だったんですか、……あの声の主、……彼が云っていたのは」
亮一は静かに画面を眺めながら呟いた。
「……でも、まあ、」
彼等が無事で良かった。水谷の怨念を幻想世界内へ弾き飛ばしてしまった時はどうしようかと思ったが、奇しくもその際に確保したデータによって彼等を救う事が出来たようだ。
……そのデータの受け渡しも出来たのだし、一応、罪滅ぼしが出来たかな。
彼が悪い訳でも無いのに、この穏やかな探偵はそう思うとようやく肩の荷が降りた気になって息を吐いた。
そして、切り替えた画面の中の勝明をこつん、と指先で弾く。
「……全く無茶して、……お前は」
おい、と突慳貪な言葉が、きれいな少女の声で発せられた。
「出来たぜ、……次の場面に行く通路」
孝が、その明るい緑色の長い髪を掻き上げ、ああ疲れた、と云うように肩を押さえて首をぐるりと回しながら告げた。
「オーケー、じゃ皆に伝えるわ」
「……もう良いだろ、元に戻っても。……なんか、このガキ、意識乗っ取られそうだ」
【4_8AEG】
「……手前ェ、覚えてろ、って云うかブッ殺す、この場で」
ようやく「魔法少女☆ フュージョン」から解放された磔也は、レイも見たことの無いような殺気立った瞳を孝に向けるとバタフライナイフの刃を出した。
「やめなさい、少なくとも私の前で警察沙汰になる事しないで。──……、」
弟が弟なら姉も姉で、自らもバタフライナイフを抜いて彼を制止したレイだが、彼を諭した端から思い出し笑いを堪えてくっ、という声を喉で押止めた。
「……、」
亮一は、孝を労うべきなのかそっとして置くべきなのか極め兼ねて口唇を半ば開いたまま黙っていたが、結局、孝は放置するのがベストだと判断して傷害事件に発展しそうな姉弟の仲介に立つ事にした。
「落ち着いて下さい、二人共。……まあいいじゃないですか、お陰で彼等も第四楽章から抜け出せた事ですし」
「そうよね、って事で磔也、あんたも諦めなさい」
「レイ……当分喰い物には注意しな、」
記憶を操作し得るドラッグが入手出来れば即座に盛られそうな声だったが、写メールを入手しているレイは余裕の笑みを浮かべて居る。
背後では、思い出し笑いに言葉を詰まらせながら孝を労う舞の声がしていた。
「孝……、──……っ、……お……疲れ様、──……、」
そんな舞をじろりと睨みつつ、孝は溜息混じりに深緑に戻った髪を掻き上げた。
「……全く、お姫様のやる事はいつも過激だぜ。……こっちは後始末が大変だ」
そして、眼が合った瞬間、再び殺気を発した磔也には余裕の有る口調で告げる。
「まぁ、金ならうちのお姫様の王子様が出してくれるだろうから君も諦めたら? 水谷よりは気風が良いと思うぜ、多分」
金の問題じゃねぇ、と磔也が吐いた呪詛の言葉には気付かない振りをして置いた。
【4_8】
白い閃光に覆われて行く第四楽章の舞台から脱出するべく、一同は柾を連れて走る。
その先には、青い、深い闇が広がっている。
闇の中には、妖艶な笑みを浮かべた紅い女の影が潜んでいた。
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幻想交響曲 Phantastische Symphonie Op.14
作曲:Hector BERLIOZ (1803-1869)
作曲年:1830
「病的な感受性と、はげしい想像力を持った若い芸術家が、恋の悩みから絶望して阿片自殺を計る。しかし服用量が少なすぎて死に至らず、奇怪な一連の幻夢を見る。その中に恋する女性は、一つの旋律として表れる──」
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0931 / 田沼・亮一 / 男 / 24 / 探偵】
【0932 / 篠原・勝明 / 男 / 15 / 学生】
【1481 / ケーナズ・ルクセンブルク / 男 / 25 / 製薬会社研究員(諜報員)】
【1548 / イヴ・ソマリア / 女 / 502 / アイドル兼世界調査員】
【1555 / 倉塚・将之 / 男 / 17 / 高校生兼怪奇専門の何でも屋】
【1712 / 陵・彬 / 男 / 19 / 大学生】
【1717 / 草壁・鞍馬 / 男 / 20 / インディーズバンドのボーカルギタリスト】
【1831 / 御影・涼 / 男 / 19 / 大学生】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【1990 / 天音神・孝 / 男 / 367 /フリーの運び屋・フリーター・異世界調査員】
NPC
【1630 / 結城・磔也 / 男 / 17 / 学生】
【1889 / 結城・レイ / 女 / 21 / 自称メッセンジャー】
【水谷・和馬(みずたに・かずま)】
・今回の依頼人にして元凶らしい。アマチュア時代から柾と共に創作活動をしていたディレクターの卵。御愁傷様です。
【柾・晴冶(まさき・はるや)】
・新進の若手として注目を集めていた映像作家。どうも、厄介な事に見舞われ易い問題青年らしい。
【陵・千鶴子(みささぎ・ちづこ)】
・一ヶ月程前に轢逃げに拠り死亡。柾の元恋人で舞台女優。今回の件は彼女の怨念が引き起こした物と見られていたが、本当の彼女はただ柾を心配していた模様。
【陵・修一(みささぎ・しゅういち)】
・陵千鶴子の5つ違いの兄。千鶴子殺害の犯人に見当を付けており、草間興信所に依頼に行った。
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■ ライター通信 ■
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今回、もう何も申し上げようがありません。
ただ、皆様本当にお疲れ様でした……、と云うばかりです。
後は、脱出するのみです。
結局はその途中にも魔女の狂乱の宴を通過しなければならず、簡単に素通りは出来ないと思われますが。
次回、第五楽章の受注は10月1日水曜日午後8時から行う予定です。
さて、何名様が幻想世界内に残った事になるのでしょう……。
今回の御参加、本当に有り難うございました。
■ 天音神孝様
初めまして。この度は御協力有り難うございました。
然し乍ら、反則です、天音神様の特種能力……。
この結果に因り天音神様は自動的に磔也から宿敵と認定されて居りますので御了承下さい。勿論、放置して頂いて構いませんし仰って頂ければ解除しますが、他の関係には変更は出来兼ねます。
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