■殺虫衝動 『誘引餌』■
モロクっち |
【1653】【蒼月・支倉】【高校生兼プロバスケットボール選手】 |
あの接触から一週間。御国将は元気でやっていたし、彼の影も大人しかった。『平』からの音沙汰もない。
しかし、実は将は困っていたところだった。『ムシ』の噂が見る見るうちに大人しくなりをひそめるようになり、それに伴って『平』の噂もまた消えつつあったのだ。
本来なら喜ぶべきことだが、ここのところ血生臭い事件もまた姿を消していた。急に日本は平和になったのである。
しかし、将やごく一部の人間の胸騒ぎは続いていた。
これで終わったわけではない――
胸を撫で下ろすのはまだ早い――
将の影は、まだ揺らめいているのだから。
そして、今まで消えてしまった人間が戻ってきたわけではないのだから。
平から将のもとにメールが届いたのは、そんな矢先だった。
いや、おそらくメールを受け取ったのは将だけではあるまい。将のメールアドレスは、いつの間にやらメーリングリスト『殺虫倶楽部』の末席に加えられていたのである。
そのメールは、誘いであった。
『今夜、お前を会合に招待する。是非来てほしい。刑事もお前を待っているぞ』。
平が指定した場所は、港の近くの貸し倉庫だった。
……そういえば、一週間前に、埼玉県警の嘉島刑事が消えている……。
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殺虫衝動『誘引餌』
■結果に至るまでの経緯■
宮嶋燈太が、消えた。
差出人:平
件名:招待状
ペネトレイト君へ。
待たせてすまなかった。
今夜、きみを会合に招待する。是非来てほしい。
ただし、ひとりで来るように。
頼りになる友人を持っているようだが、
彼のことを思うのならば同行させないほうがいいだろう。
我々には仲間のみを受け入れる準備と覚悟しかなされていない。
場所は晴海埠頭近くにある三丸14番倉庫だ。
「一緒に頑張っていこうって、約束したのに」
蒼月支倉の眼は曇る。
彼は裏切られ、ぽつりとひとりで呟いた。
■夏の日の序章■
梅雨も明け、東京は夏。
夏休みは目前だったが、支倉に休みらしい休みが訪れるのは盆の頃だった。夏休み中に大きな大会と試合があり、それに向けての練習が本格化している。スケジュール帳や自室のカレンダーにはびっしりと練習メニューが書きこまれ、一分の隙もない有り様だった。だが、今のところバスケが恋人である支倉にとっては少しも苦ではない毎日だった。うんざりするような暑さも、ボールを駆っていると忘れてしまう。もっと別の暑さで――熱さというべきか――すっかり忘れてしまうのだ。支倉は、四季をよく忘れた。彼はいつでも熱いのだ。
だが、ボールやチームとともにある日常の中で、支倉はしばしば宮嶋燈太の影を見る。
コフィンコーナーで立ち止まらない燈太の影は、燈太が意識せずとも、ちゃんと燈太が動いた通りに動いている――
だから支倉は、油断していたのかもしれない。
燈太の何事もなかったかのような笑顔。相変わらずの理屈っぽさ。相変わらず散らかった部屋。そして不自然なほど平和な東京。
そう、最近、ワイドショーや新聞から血生臭い事件の影が消えていた。平和なのはいいことだ。世間の人間は今や、通り魔や猟奇的な殺人事件で一時期東京がひどく物騒になっていたことすら忘れている。
だが支倉は、どうにもいやな予感がしてたまらなかった。
『虫の知らせ』を振り払うかのように、彼は帰りがけにダンクシュートを決めた。
しばらく、ゴールのリングにぶら下がっていた。
バカ早く下りろ壊れるだろ、といつも注意してくれる燈太はいない。先に、帰ってしまった。
支倉は一抹の寂しさのようなものを感じていた。
そしてまた、不安も。
その日の練習は午後3時で終わっていた。
支倉が最後まで練習場に残っていた。
やかましいセミの鳴き声が、かえって静けさを際立たせている気がしてならなかった。
■許さない■
支倉は家に寄らず、まっすぐ燈太の家に向かおうとした。思わず知らず急ぎ足で歩く中、支倉の脳裏に浮かんでくるのは、『平』のメールである。
差出人:平
件名:ようこそ
ペネトレイト君へ。
きみのムシを見た。それと、ご友人も。
頼りになる友人をお持ちのようだな。
だがとにかく、我々はきみを受け入れる準備を終え、
きみは我々と目的をともにする権利を勝ち取った。
おめでとう。『殺虫倶楽部』にようこそ。
「……」
支倉はぴたりと足を止めた。
ムシのことを考え出すといつもこうだ。深く考えこむあまりに行動が思わず止まってしまう。バスケをやっている間は、考えないことにしていた。というよりも、バスケをやっている間は忘れることが出来るのだ。
だが、燈太にとってはどうなのだろう。
あの選手は、練習中にも時折もの思いにふけるようになっていた。彼が何のことを考えているのかを知っているのは、支倉だけだ。
彼の足元に、チョウの屍骸が落ちている。ぼろぼろに傷ついた翅が、不意に動いた。目を凝らしてみれば、チョウの下にはアリがいた。見つめているうちに、アリの応援が次々に駆けつけてきて、しまいにはチョウの屍骸が持ち上げられた。持ち上がってからはひどくスムーズに、屍骸は巣へと運ばれていった。
「『殺虫倶楽部』……?」
支倉は燈太が受け取ったメールの内容を反芻した。
「殺虫って、ヒトがムシを殺すときに使う言葉だ……」
あの日、体育館の裏手で支倉を――いや、燈太を待ち受けていたのは、錯乱した蟲持ちだった。支倉は努力したが、結局、襲ってきた蟲を征したのは燈太が抱える蟲だった。
「燈太センパイの影は、もう、ヒトの影なんかじゃない……」
それなら、あれは何だと言うのだろう。
ムシは、一体、何だと言うのだろうか。
何処から来て、何をするつもりなのだろう。
自分はともかく、燈太はどうなってしまうのだろう。
思い浮かぶのは、目を苛立ちにぎらつかせていたはじまりの燈太。そして、体育館の裏で出会ったやつれた若い男。
地面から剥がれる黒い影、敵意と苛立ちに満ちた紅い眼、胸が悪くなりそうな外観。
「あいつら、ヒトを殺す気だ……!」
ストレスに押し潰されて、自ら命を絶つ者がいることを――支倉は知っていた。
だから彼は、走り出した。
セミの合唱も照りつける太陽も、支倉を立ち止まらせるほどの力を持たない。
燈太の部屋への階段を駆け登り、支倉はドアに飛びついて、慌しくドアを叩いた。インターホンが先日壊れたと、燈太がぼやいていた。そのぼやきが遠い昔のもののように思えてしまった。
返事がない――
「センパイ!」
返事がない――
「センパイ!! ……っと」
鍵が開いていた。
支倉は詫びも入れずにドアを開け、中に転がりこんだ。
誰もいなかった。
『 勝手に入ってくるなんていい度胸だ
なんてな
コフィンと一緒に出かけてくる 』
いつもは物がところ狭しと置かれている小さなテーブルが、片付いていた。そんな書き置きが、中央にあった。
宮嶋燈太が、消えた。
「一緒に頑張っていこうって、約束したのに」
蒼月支倉の眼は曇る。
彼は裏切られ、ぽつりとひとりで呟いた。
■タイラー・ダーデンのことは、誰にも話すな■
『「殺虫倶楽部」へのお誘いは来ていたわけだな』
電話口の向こうの声は、聞き取りづらいほどにぶっきらぼうだった。
支倉が家主の居ない家の中で連絡を取ったのは、月刊アトラスの記者だった。彼の妹が世話になっている、御国将という蟲持ちである。彼は、消えてはいなかった。
燈太の携帯には、まるで当たり前のように繋がらなかったのだ。次に頼れる者は、妹か、父か、この男か――。妹は確か友達と約束があると言っていたし、父は何も知らない。将が出てくれたときには、胸を撫で下ろした。
『パソコンがあるなら、起動させてみてくれ』
「え、でもこれセンパイの……」
『言わなけりゃバレない』
「何だか泥棒みたいですよ、御国さん」
『ああ、俺はピッキングも出来るし、泥棒で結構さ』
妙な開き直り方をする将に、電話越しの渋面をつくりながら、支倉は燈太のパソコンの電源を入れた。
『インターネットのやり方はわかってるな?』
「はい、まあ」
『メールボックスを』
支倉は心中で淘汰に詫びながら、メーラーを起動し、受信ボックスの中を覗いた。
『平から――来てないか。今日の2時……夜中の2時に受信してるメールは?』
「……ありました」
差出人:平
件名:招待状
『件名は「招待状」か』
「……はい」
『また会うかもな、蒼月』
差出人:平
件名:招待状
ペネトレイト君へ。
待たせてすまなかった。
今夜、きみを会合に招待する。是非来てほしい。
ただし、ひとりで来るように。
頼りになる友人を持っているようだが、
彼のことを思うのならば同行させないほうがいいだろう。
我々には仲間のみを受け入れる準備と覚悟しかなされていない。
場所は晴海埠頭近くにある三丸14番倉庫だ。
「くそっ……平のやつ!」
自分がもしも、燈太の立場だったなら――
きっと自分も、ひとりで発つだろう。燈太はきっと怒るだろうと思いながら、燈太のためを思うのだ。
「僕は、自分とセンパイを守ることぐらい出来るよ! バカだ、センパイ!」
彼は、めりめりと歯を食いしばった。
犬歯がするどく、獣のように伸びていた。
「許さないぞ」
■三丸14番倉庫にて、20:21■
物憂げな生温かい夜風の中、支倉は晴海埠頭前でバスを降りた。家に連絡を入れることを忘れていたが、気がつく余裕はなかった。
明日も練習があるというのに、自分はこんな遅くまでどういうつもりなのだろう。ついでに、燈太もだ。支倉に練習の予定が入っているということは、燈太にも入っているということだ。
何としてでも、燈太には明日も練習場に来てもらうつもりだった。
貸し倉庫はかなり大きなもので、かなり古くもあった。周囲には物が多い。錆びつき具合や古めかしさから見て、放置されているものがほとんどなのだろう。
辺りはしんと鎮まりかえっていた。しかし――蒸し暑い。支倉はようやく、暑さに苛立ちを覚え始めていた。
燈太を見つけたら、何と言ってやろう。
殴ってもいいだろうか。
いや、自分は燈太のパソコンを勝手に起動し、メールボックスまで見てしまった。怪しげなビデオ販売メールが捨てずに取っておいてあったのも、しっかり記憶してしまっている。これでお相子、ということになるのか――。
頭の中でいろいろ口実を考えながら、支倉は黙って倉庫を睨みつけていた。
ごぅん、という音がして……
■三丸14番倉庫にて、20:30■
■そのとき、何が起こっていたか、支倉は知らない■
■蜘蛛の巣の前■
倉庫の裏で、物音がした。
何かが壊れるような物騒な音だ。
支倉はいやな予感に胸を掴まれて、気がついたときには走り出していた。
「ミクニさん……!」
バランスを崩して倒れかけている小さな人影を見て、支倉はあっと声を上げた。
将は――また会うことになりそうだと、言っていた。
いつとは言わなかったが、今晩のことだったのか。
だがそこには、小さな見慣れた少女がいるだけで、他には蟲1匹の姿も見出せなかったのである。
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【1653/蒼月・支倉/男/15/高校生兼プロバスケットボール選手】
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ライター通信
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モロクっちです。お待たせしました。もうひとつの『殺虫衝動・誘引餌』をお届けします。センパイもまた、誘引餌に引き寄せられてしまったようです。
少々お話は短めですが、とりあえず、後半は妹さんと合流という形にしてあります。
シリーズ最終話『コドク』の受注はすでに始まっております。すでに数本納品されていますが、ご兄妹の『殺虫衝動』はどのような結果になるでしょうか……。
基本的に個別展開の当シリーズですが、おふたりをまとめて1本のノベルにすることも出来ますので、プレイングにてご指定下さい。
それでは、また!
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