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■音楽都市、ユーフォニア ─シェトランの帰還─■

x_chrysalis
【0086】【シュライン・エマ】【翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
差出人:sydney_xx@XX.mucique.fr
宛先:"takuya" <xxx@XX.hotmail.com>
件名:シェトランの出立予定
日付:Wed, 29, Oct 2003

シェトランの帰国が極まったわ
来月の12日に深夜の便で発つから13日の昼辺りには成田空港に着くわ
クシレフを掴まえたそうね
出し惜しみしないでしっかりやりなさいよ

忍の監視から自由になれて私も嬉しいわ

それと、連中が忍を狙ってるわ
クシレフに会わせる前に死んでしまっては面白くないでしょう
何とかして頂戴 
私を楽しませてよ

愛を込めて Sydney.

──────

差出人:xxx@XX.hotmail.com
宛先: sydney_xx@XX.mucique.fr
件名:Re: シェトランの出立予定
日付:Thu, 30, Oct 2003

了解。
お前こそ忍が死んでも土壇場になって文句云うなよ。

──────

 結城・磔也(ゆうき・たくや)はメールを送信し、ぼんやりと呟いた。
「……成田ねえ……」

 ──千葉県か。……だとすれば俺は行け無ェしな……。

「……、」
 磔也は携帯電話を取り出し、メモリダイヤルをスクロールする。
「……よぉ。久し振り。……仕事しないか?」

──────

「──引き受けるなら13日の朝には成田空港へ行って、予定の便の到着が遅れても必ず待ってること。これが、護衛対象の写真だ。飛行機から出た時点で、こいつの命は狙われていると思って良い。日本人男性、42歳、普通体型。人畜無害なピアニストが殺されかかってるんだ、ちゃんと護って呉れよ?」
 
 近日、長く活動拠点を置いていたフランスより、日本人ピアニストが帰国する。然し、一介の芸術家である筈の彼は何故か命を狙われていると云う。

「とりあえず、東京までガードして来て呉れりゃ良い。後は俺で何とかする」

 ──何故か、依頼者はあの問題不良学生、結城磔也。

「……そんなにおかしいか、俺が人助けの依頼をするのが? ……あー、分かったって。親父なんだよ。別に親が死のうがどうしようが俺はどうでも良いけどな。姉貴が煩ェんだよ、いい歳してファザコンで」

 それじゃ、確り頼んだぞ。

 ……どうにも釈然としないが、引き受けますか?
音楽都市、ユーフォニア ─シェトランの帰還─

【0C】

「凄かったわ、生のオーケストラをあんな間近で聴く機会って、そう無いものね」
 シュライン・エマ(しゅらいん・えま)は人込みに混ざって通路を出口へ向けて進みながら、やや興奮気味に感嘆の声を上げた。
「良かったわよね」
 同意の言葉を返した少女とシュラインは「特に」、と次ぎの言葉を合わせた。
「『ボレロ』!」
 今日、シュラインをこのコンサートに誘ったのは結城・レイ(ゆうき・れい)である。以前、シュラインが関わった少々奇妙な事件の時に知り合った自称メッセンジャーの怪しい事この上無い情報屋だ。
 シュラインが本職の文筆業の傍ら雑用のアルバイトをしている草間興信所に、今日の夕方彼女がひょっこりと現れた。──どうも、昼食を抜いたと云うから空腹時に通り掛かって冷蔵庫を物色しに来たらしい気はするのだが、ともかくそこでシュラインと顔を合わせた。
「あら、結城さん先日はどうも、」
「あー、」
 ……等と挨拶をしている内、彼女がこれからオーケストラのコンサートを聴きに行くらしい事が判明した。
「ちょっとした知り合いが、父の後輩なんだけど、トロンボーン吹いてるの。それでチケット貰って、……余ってるんだけど、シュラインさん、クラシックに興味は無い?」
「え、好きよ、私」
「本当? だったら一緒に行かない?」
「あら、良いの? そんなお言葉に甘えちゃって」
「良いの。むしろ、死に券出すと悪いから助かるわ」
 そして、シュラインはレイに従って急遽都内の某老舗ホールで行われた東京ムジカオーケストラという管弦楽団のコンサートに赴いたのだ。

 曲目は前述の「ボレロ」やベルクの交響曲と云った現代音楽中心のプログラムで、レイが持っていたチケットが舞台に近い席だった事もあり、また新進気鋭の若手を中心に結成されているというオーケストラの演奏も見事だった。
 先日の──つい最近アイドルから実力派への転身を鮮やかにやってのけた歌手の──コンサートと云い、幸運が続いてるわ、矢っ張りライヴの音楽は良いわね、とシュラインはホクホクとしていた。
「シュラインさん、ちょっと待ってて呉れない? 挨拶して来るわ。急ぐなら先に帰って呉れて良いけど」
 楽屋付近を通過した所で、レイがそう云って立ち止まった。
「別に構わないわよ、待ってるわ」
「ごめんね、」
 そう云いながら、レイは『男性団員専用控え室』と書かれたドアをノックし、中に顔を突っ込んだ。
 程無くして、一人の青年が出て来て親し気に談笑を始めた。
──あ、さっきのトロンボーンの……、第一奏者ね。長髪をオールバックにして後ろで纏めた、長身の目立つ外見で遠目にも良く覚えている。
 その男を見遣ったシュラインの耳に、久し振り、とか凄く良かったです、と云った会話が途切れ途切れに聴こえた。
「──磔也君は?」
「知らない。最近お忙しいみたい。今日は知り合いを連れて来たんです」
 レイの指先に従った男の視線がシュラインへ向けられた。シュラインは男と視線を合わせ、笑みを浮かべて会釈を交わした。
 その後手持ち無沙汰に、次回公演や他ホールの公演告知のチラシが並んだラックを眺めていたシュラインはふとその中の一枚を手に取った。

『グルックの祭典──オルフェオとエウリディーチェの再発見と古典派ピアノの前夜祭── 日時:2003年12月19日(金)/20日(土) 場所:巣鴨ユーフォニアハーモニーホール 前夜祭ピアノ独奏:結城忍(コンセルヴァトワール教授)』

「……あら、」
 ピアノ独奏、結城忍、コンセルヴァトワール教授。──以前、結城さんがそんな事を云っていなかったかしら?
「お待たせ、」
 男と別れたレイがシュラインの肩を叩いた。再び、並んで出口へ向かいながらシュラインはレイに先程のチラシを見せた。
「……ねえ、若しかして、この前夜祭のピアノ奏者って」
 彼女の手許に視線を落としたレイは瞬間、「父だわ、」と声を上げた。
「矢っ張り。前、そんな事を云っていたわよね?」
「父の結城忍よ、……でも、何これ、聞いて無いわ私……」
 シュラインが余分に取っておいた一枚を受け取ると、レイは「本当に帰るんだ」などと呟きながらそれに見入っていた。
「……聞いていなかったの?」
「……ええ、最近、メールがぱったり来なくなって」
「……そうなの」
 シュラインは、敢えて父の名前だけに意識の集中しているレイに次ぎの事は云わなかった。何気なく裏返した裏面に、引っ掛かりを感じる記述があった事は。

『現在、コンサート運営アルバイトスタッフ募集中。希望者は履歴書持参の上、担当者(水谷)まで』

──水谷……。
 偶然かも知れないけど、……先日の、あの怨念と同姓よね。……偶然なら良いけど、少し気になるし……。
 調べてみよう、とシュラインは思った。──あまりに幸運が続くと、ついその後の不幸を恐れてしまうのは人間の心理だ。

【-】

──何年前の事だっただろう。
 ヘッドホンでレコードを聴いていた俺に、忍が云った事がある。

「そんなフルボリュームを耳許で聴いてると、その内耳がおかしくなるぞ。聴覚が犯されると、高い音から順に聴こえなくなって行くんだ」

 別に、構わ無ェよ、と俺は答えた。

 どうせ、そう長く生きやしないだろう。俺も、──お前もな。

【zero】

差出人:ZERO<zero_ray_xx@XX.hotmail.com>
宛先:結城忍<pianoforte_xx@XX.musique.fr>
件名:レイです。
日付:Sat, 18, Oct 2003

レイです、パパ、元気?
最近、あんまりメール呉れないよね。
忙しいのかなー、とは思うんだけど、こっちのメールちゃんと届いてるのかな、とか、元気かな、とか心配だから、一言でも返事呉れると嬉しいです。

所で、12月に日本でコンサート演るのね。知らなかった。
凄く嬉しいんだけど、帰国日とか時間、直接私にも教えてね。

磔也のピアノは相変わらず、マニアックな技巧ばっかり極めてるっぽい。
聴いてて私が疲れるわ。
早くパパのピアノが聴きたいです。
そうそう、この間冨樫さんのオーケストラの公演に行きました。
冨樫さん、今年から第一奏者になったのよ、知ってた?
ボレロ、凄く良かったです。

返事、待ってます。

レイ

──────

「……、」
 結城・レイ(ゆうき・れい)はメールボックスを開き、溜息を吐いた。
──来てない。
 パリはフランスのコンセルヴァトワールで教職に就いているピアニスト、父、結城・忍(ゆうき・しのぶ)からの返信だ。6年前、レイと弟を東京に残してフランスへ発ってしまった父は、以前は最近の活動やパリでの生活について定期的にメールを送って呉れていた。それがぱたりと途絶えたのが半年程前からである。その間もレイはメールを送り続けていたのだが、弟から忍が近日帰国するらしい、という話を聞いてからも相変わらず返事は無かった。
「……何かあったんじゃなきゃ良いけど」

【2BCDGH】

 11月13日木曜日、朝7時。
 曇天の下、田沼の探偵事務所の前には車を出した亮一と翔、自分のバイクで来た孝、そして涼とシュライン・エマが集まっていた。
 シュラインはふとした偶然から結城氏の帰国を知り、先日の幻想事件と合わせてやや引っ掛かる事があったので独自に調査していたのだ。そこで、磔也からの依頼を受けて成田へ向かう亮一達に遭遇し、今日は同行する事になった。
 どうも違法性の高いアルバイトに精を出しているらしい磔也の人間関係を探っている内に、偶然にも亮一達に行き着いてしまったのには苦笑するしか無かったが。
「おはようございます。先日はお世話になりました。水谷氏の事とか、私にも責任があるので決着を着けたいから。今日はよろしくお願いします」
 ぺこり、と頭を下げたシュラインに翔は簡単な自己紹介を、亮一、涼、孝は挨拶をした。
 さていざ成田へ、と車に乗り込もうとした時だ。翔が涼を引き留めた。
「定員オーバーだ。涼、あんた、孝君の後ろに乗っけて貰いな」
「え……ええっ!? だって、亮一さんが運転するから、他にも4人、乗れるじゃないですか」
「オーバーったらオーバー」
「つか、俺ヘルメット自分のしか持ってないんですけど」
「成田までくらい、ノーヘルで大丈夫だろう。その辺見てみな、ノーヘルの走り屋が原付きに3人乗りとか、平気でしてるだろうが」
 翔は何故か強引に涼を追い出そうとしている。シュラインは遠慮勝ちに口を開いた。
「緋磨さん、それじゃ悪いわ。私、タクシーで行きます」
「いや、いいんです。そうした事はボウヤに任せりゃ」
「つか」
 再び孝が口を開く前に、翔は決断を下した。
「話があるんだ、車には沼と私とエマさんが乗る。涼は孝君の後ろ、白バイは自分達で何とかしなさい」
 その一言で、成田道中の座席は決定した。

「……翔、」
 車を発進させて暫くしてから、亮一は前を見詰めたまま彼女に声を掛けた。
「何か、あったんでしょう。涼に聞かせたく無い事が」
「ああ」 
「何ですか?」
「沼はプライバシーとか何とか云って反対するだろうから、黙って調べたんだが。……結城氏の身辺について」
「翔」
 図星だった。亮一は先日来、妙に因縁のある彼の異常天才作曲家エクトール・ベルリオーズについては色々な情報を集めていたが結城忍の身辺についてはプライバシーの為に未着手だった。
「命に関わる問題だ、甘い事は云ってられないだろう」
 亮一は溜息を吐き、然し彼女の主張には正統性がある、と苦笑して軽く首を振った。プライバシーの領域に入る身辺調査をした上でも、その内容を聞かせる相手と知らせない相手を考慮する辺りの人間性は信頼出来る。
「涼は、この姉の方とは仲が良いんだろう。……彼女本人より先に、勝手に知らせていい物か分からなかったからな」
「レイさんに、何か問題点でも?」
「問題点どころか、」
 翔は呆れたような表情で髪を軽く掻き上げた。
「この家庭自体が矛盾だらけだ」
「……私も聴かない方がいいかしら?」
 シュラインは遠慮勝ちに呟いた。いや、と翔がバックミラー越しに軽く手を振る。
「情報として相談したい点でもありますし。ただ、彼女自身が黙っている事を友人にバラして良いかというモラルの問題でね」
「分かりました、緘口はお約束します」
 翔は頷き、ぽつぽつと語り出した。
 
 ──サイドウィンドウの外で、1台のバイクが俄にスピードを上げたのが一瞬、映った。その後ろに白バイが続く。
「ちゃんと、成田まで逃げ切って呉れるかしら?」
 シュラインは半分心配、半分興味で以て呟いた。

【zero】

「まず、レイと磔也は結城忍の養子です。戸籍にはそう記載されている。結城忍に結婚歴は無い。レイは出生直後からですが、磔也が引き取られたのは彼女に遅れて7歳の時。磔也は現在も都内の公立高校に在学中で、義務教育も受けています。──が、結城レイには学歴は何故か一切無い。不登校なんてものでは無く、教育期間に入学手続きを取った痕跡さえ一つも無い」
 ──……──。
「因に、結城レイと磔也が生まれ育ったのは普通の施設では無く、音楽の早期教育を目的とした研究期間です。つまり、彼女達はそこで出生した訳です。結城忍は若い時にそこで音楽教育を受けている。……妙な話ですが。その機関は今から6年前に突如解体されました。……そして、全く同じ時期に今度は『東京コンセルヴァトワール』という、フランスのコンセルヴァトワールと提携した音楽教育機関が創設されています。……そう、それまでは対してフランスの音楽界にも繋がりの無かった結城忍が、突然コンセルヴァトワールでの教職に就いた時期と一致します」
 ──……──。
「現在、結城レイと磔也は都内の某マンション、これは結城忍の所有になっていますが、そこに2人で暮らしています。結城忍からの仕送りは無く、その代わり、ある機関から毎月、一定額の生活費が支給されています。磔也の学費等も含めて。……そう、東京コンセルヴァトワールから」
 ──……──。
「『シェトラン』については、ベルリオーズの著書の登場人物の名前と見て間違いは無いでしょう、他にそれらしい人名もありませんし」
 ──……──。
「シドニー、ですが、一体何を指すか断言はし兼ねますが、結城氏のコンセルヴァトワールでの教え子の中に同名の少女が居ました。……シドニー・オザワ。日仏ハーフで現在18歳。彼女の出身は日本で現在は留学中ですが。……彼女の出身が、実はレイと磔也が結城家の養子になる前に所属していた組織と同一です。詳細までは調べようがありませんでしたが、音楽の早期教育を主としていたその組織からは音楽面で好成績を残した子供が輩出されています。シドニー・オザワも9歳の時に国内の大型コンクールで目覚ましい評価を上げ、11歳からフランスに留学。留学資金は奨学生として東京コンセルヴァトワールが全面援助。実は、渡仏したのが結城忍と同時期です」

【3BCDGHI】

 成田空港の入口では、身分証明書の提示を求められる。車を降りた亮一が触り気無く孝に手渡したのは、偽造の比較的簡単な保険証である。
「どうせ、そうじろじろ見る訳では無いでしょうから、大丈夫ですよ」
 その他はシュラインも涼も亮一も翔も問題は無い。
 警備員を振り返ったシュランがぽつりと呟いた。
「……話には聞いてたけど、特に厳しいのね、成田って。……この警備を通過して中に入る相手となれば……あまり甘くは考えられないわね」

 第二ターミナル1階。審査を通過して2階からエスカレーターで降りて来る旅客は今現在も絶えず、そうした流れや便名の表示をチェックしていたその時である、周囲が俄にざわめき立った。
「……あ、」
 そちらを見遣った一同は唖然とした。自然と身を引いて道を空ける群集の中を威風堂々と罷り通るのは黒服にサングラスの一団である。……何と云うか、良く云えば壮観、悪く云えば、──怖い。
 そしてその黒服の男達に前後を囲まれて姿を現したのは車椅子の青年、──白銀色の長髪を靡かせ、穏やかな微笑を浮かべた白皙の麗人である。
「……セレスティさんだ」
 涼が彼に気付き、元気よく手を振った。何も知らない周囲の人間から見れば、怖い者知らずとしか感想を抱きようの無い行動である。
 セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ)、彼等と同じく先日の幻想交響曲事件で幻想世界を垣間見た若き(多分、そう信じたい外見の)リンスター財閥総帥だ。セレスティは軽く手を上げて涼に応え、一同の前まで来ると莞爾と笑みを浮かべて挨拶を述べた。
「遅くなって申し訳ありません。……彼等の手配に手間取ってしまって。今日はよろしくお願い致します」
「彼等……、」
 シュラインは苦笑して黒服達を眺め、孝は慌てて「異世界監視日誌」ノートを取り出した。
「まさか、ここでセレスティさんにまでお会いするなんて」
「……これはエマ嬢、今日も相変わらずお美しい。先日は大変助かりました。礼を述べます」
「……涼?」
 亮一がにこにことそんなシュラインとセレスティを眺めている涼に苦笑を向けた。
「ナンパして来たんです。セレスティさんも、この間からの経過について色々調べてたみたいだから」
「……、」
 全く、怖いもの知らずな……。その時、彼等は車椅子を押していた青年があまり友好的とは云えない視線を向けている事に気付いた。──見ない顔だ。が、どこかで見た事があるような……。
「……ああ、陵・修一君です。先日来、秘書を務めて頂いています」
 ──驚いた。幻想交響曲事件の引き金となった女優、故・陵千鶴子の兄だ。
「先日は、妹の件で大変お世話になりました。……僕も少し気が立ってしまいまして、すみませんでした」
 修一はそれだけを素っ気無く云い、未だセレスティの車椅子を庇うように手を掛けたまま相変わらず穏やかでは無い視線を投げている。どこかで見たと思ったら、あの女優の兄だけあってどこか顔立ちが似ていたのだ。
 修一の険しい視線は、特に涼に向いている。
「……あ、先日は」
 涼はセレスティを「ナンパ」しに行った際、彼と顔を合わせている。今回の結城忍の護衛の件を告げ、セレスティ自身が首を縦に振ったものの、胡乱そうに涼を「監視」していた修一が血相を変えて反対した事は記憶に新しい。『何を云っているんですか、あなたは、そんな、どこの誰がどんな危険な行動に出るかも分からない場所へ総帥を連れ出そうと云うんですか?』と。
 どうも、一旦全てを失ってセレスティに引き取られて以来、彼に心酔していると思しい。
「申し上げておきますが、僕は例え総帥が寛容でも賛成した訳ではありません。……総帥に若しもの事があれば、僕はあなた方を決して許しませんから」
「……、」
 きっぱり、とそう告げた修一を前にシュラインと亮一は苦笑を見合わせつつに挨拶し、孝は首を傾ぎつつも肩を竦めた。──間違ってもカーニンガム氏と『アレ』やったらヤバいよな、完璧殺されるよな、いや、俺は不老不死だから本当には死なないけど、一応気を付けたほうが良さげだよな……。
「そちらの方は、初めてお会いしますね?」
 セレスティが笑みを向けたのは、翔だ。
「どうも。沼──田沼と同じ探偵事務所の特殊所在調査専門を受け持っています、緋磨・翔と云います。カーニンガムさんの事はこいつらから伺ってますので」
「初めまして、改めましてセレスティ・カーニンガムと申します。以後御見知り置きを」
 一応は和やかに挨拶が交わされる中、──とうとう孝が疑問を爆発させた。
「……ときに、あの連中は一体、何?」
 そう、未だ空港中の人間から畏怖の視線を集めている、黒服の男達の事である。──それを従えているセレスティ自身が最も畏れられているだろう、と云う事はこの際抜きにして。
「SPですよ」
 事も無げにセレスティは答えた。
「いや、それは彼等の顔に書いてあるんですけど」
「凄いなあ、流石セレスティさんだ。こんな人達を連れて来て呉れるなんて。これで、戦闘が起こっても大丈夫ですよね。空港の人へはセレスティさんに弁明をお願いして」
「無茶苦茶な事を云わないで下さい。総帥には、総帥の考えがお在りです」
 無邪気な歓声をあげた涼に、冷たく修一が云い放った。軽く手を上げて彼を制止したセレスティが後を継いだ。
「彼等は、いわば演出ですよ。表向き、取引先の重役をお迎えする為と云うことにしてあります。相手が手を出すのを躊躇う程に目立とうと思えば空港ではこれ位の効果が必要でしょう。何か野蛮な事が起こっても云い訳が立ちますが、流石に私達の中の人間まで武器を振り回すのは望ましく在りません。警察沙汰になれば厄介ですよ。空港内では相手が人目を避けて手出しを控えて呉れることを祈って、……御影君達の活躍は、空港を出てから」
「……なるほど……」
 矢っ張り、この人には適わないなあ……と涼は感心した。「でも、」と不安そうにSP連中をちらりと一瞥したのシュラインである。
「結城氏には何て説明すれば云いのかしら。自分がこんな……その、物々しい方々に護衛されて空港を出る理由を」
「では、或る財団のトップがあなたのファンなので是非、とでも」
「……、」
 シュラインは無言で深々と頭を下げた。「私も、あなたには適いません」とまたその態度が告げていた。
「……沼、みんな」
 翔が、俄に張り詰めた声を低く発した。
「──来たぞ、……敵さんのお出ましだ」

【4BCDGHI】

 翔は、空港に到着してからずっとそれを伺っていたのだ。涼の「感応能力」を拝借し、彼女自身が「アンテナ」役となって空港から周辺の広範囲に渡る感情の群れを。結城氏を狙っている連中が現れたとすれば、「人間一人抹殺しようと」している程の殺気は見分けられる筈だ。とうとう、現れた。
「数と方角は?」
 涼は即座に表情を引き締め、翔に確認を取る。
「……多いな、少なくとも、10人は居る。、そこそこ出来る奴が。……これからバラバラに配置するようだ」
「飛行機の到着は、未だよね。……見通し不良で、更に1時間程の遅れが出るようだし」
 シュラインが電光掲示板と、航空機の情報を伝えるサイトを表示した携帯電話片手に呟いた。
「あちらも余裕を持って行動する気でしょう。磔也君だって、念の為朝には空港へ行くように、と云っていたんですから」
「らしいな。で、どうするかな、沼?」
 ばらばらに空港内外に散りだした存在それぞれに注意を向けつつ、翔は田沼を振り返った。
「……ともかく、最優先は結城氏の安全です。相手が数でこちらに勝っている以上、この広い空港内であまり分散するのは危険です。どの道、結城氏が旅客機を降りてまず通過するのはこのロビーの筈。先ずは彼の身柄をこちらが先に確保できるよう務めましょう」
「あまり、騒ぎにならないようにね」
 セレスティがやんわりと釘を刺した。意外と血の気の多い、好戦的な性格の面々と踏んだらしい。
「だったら、尚更結城氏にも命を狙われている事は云えないわね、少なくともこの空港内では」
「でも、どうやって説明するよ? 結局、相手も俺達も全っ然面識が無いだろ」
「レイさんと磔也君の友人、と云いましょう。名刺でも渡せばある程度は信用して頂けると思いますし」
 亮一が、探偵の心得として(探偵と表記すると警戒されそうな際に備えて)名前と、連絡先だけを印刷した名刺を示しながら提案したが──。
「けど、あ、初めまして結城です、うちの子供がお世話になって、いえいえこちらこそレイさん達には迷惑掛けられまくって、とかぐだぐだしてる内に手間取って相手に追っつかれる時間を与えそな気がするんだが」
 くしゃくしゃ、と深緑色の短髪を掻き回しながら、孝は何気なく云う。大雑把な性格故の冷静な判断力は、意外に的を得ていた。
「盗聴、──相手に聞かれる可能性もある。別に、聞かれてそうそうヤバい事もないが、相手の正体が分からない以上何が致命的になるか分からないからな」
 翔もそう意見を述べた時、それまで軽く腕を組んで考え込んでいたシュラインが徐ら「ねえ、」と顔を上げた。
「結城氏の説得は、私とセレスティさんに任せて貰えないかしら。相手に聞かれても大丈夫なように、且つ迅速に私達に従って貰えるよう挨拶してみるわ。その間に『戦闘班』の皆には牽制と見張りをお願いして。……そうそう、田沼さんは、飛行機が到着したら直ぐにでも車を出せるよう準備して貰いたいかも」
「そうですね、」
 それもそうだ。空港を出たら直ぐにでも発進出来るよう、準備は必要だ。亮一は頷き、セレスティに非常口の場所を確認した。
「でも、どう説明するんですか?」
 涼の質問に、シュラインは片目を瞑って微笑んだ。
「コンセルヴァトワールの教師専用の作戦、かな」
 そしてシュラインは、孝にはこうも云い加えた。
「天音神さんの、先日の必殺技は予々伺っているけど……出来れば、アレは空港を出てからでお願いね」
「誰も進んでやるかよ、……つーか、何で知ってんだよ、シュラインさんが!!」
「レイさんに写メール、貰っちゃった」
 シュラインが悪戯っぽくちらり、と見せた携帯電話の中身を推察した孝は、場所が場所で無ければ絶叫する所だった。
「あああ……シュラインさん……、美人だし料理も上手だし良い人なのに……何で……、」
 孝は頭を抱えて空港の床に蹲った。レイがシュラインを始め幻想事件に関与した面々に配信した写メール画像、──それは、今は名前は伏せるが淡い緑色の長い髪に金色の瞳の美少女の写真である。
 そう云えば、とシュラインはふと携帯電話に視線を落とした。
 朝から、レイには「実況報告するから待っててね」とメールを送っていたのだが、一向に返事が無い。磔也の監視でもして、圏外に居るのだろうか?
「あ、亮一さん」
 そう、呼び掛けて涼は亮一の腕を引いた。
「はい?」
「あのさ、ややこしくなる前に車に戻るなら、……これ、先に積んで置いて欲しいんだけど。結城氏が到着したら、それ所じゃ無くなるかも知れないから」
「……、」
 亮一は、そうした涼が律儀に差し出したナイロンの買い物袋を見て苦笑した。空港内の土産物屋のロゴが入った袋の口から見える菓子折りには、「東京ばな奈、見ぃつけたっ」と云う文字。
「……ちゃんと、買ってたんですね。いつの間に……」
「……いや、あいつ、拗ねてるだろうしさ」
 分かりました、引き受けますから安心して、と亮一は「東京ばな奈」の袋を受け取った。

【-】

 千葉県、成田空港午後13時11分。
「──こちら、成田空港。AF27X便、只今到着した。シェップ、指示を願う。……『シェトラン』の帰還だ」

【5_1BCDGHI】

「もうすぐ出て来るぞ、気を抜くな」
 ゲートを見詰めながら、翔がそう告げる。
「……、」
 視線を一斉に向けた一同に緊張が走るのは仕方が無い。あくまで冷静且つ余裕のある微笑を浮かべたセレスティを除き。──こと、掛かっているのが他人の命であれば緊張して当然なのだ。
「じゃ、俺は車を回します。変更があれば、涼、連絡を頼みます」
「分かった、亮一さん、よろしく」
 亮一は少しだけ笑みを浮かべ、片手を上げて踵を返した。
 結城忍と同じ便に乗っていたと思しい乗客も、なかなか出て来ない。ゲートの中で先ず荷物を受け取って、チェックを受けて──、時間が掛かるのは当然だろうが、その隙にゲートの中で狙撃でもされたら? だが、無理に中へ飛び込んで騒ぎを起すのは避けたい。人目と云うのは、意外に厄介だ。
「……大丈夫、中には気配は見えない。……それより、大分空港の外で構えてるな。沼なら大丈夫だろうが……」
「矢っ張り、空港内では騒ぎを起したくないのは彼等も同じなんでしょうね」
 翔とシュラインの遣り取りを聞いていた孝が挙手した。
「……あのさ、この際、俺もバイクあるし、田沼さんと一緒に外で待ってようか」
「……そうだね、どうも、外に重点を置いた方が良いかも知れない」
 涼が同意したのを受けて、孝は田沼に合流する事に極めた。

【5_2CDHI】

 亮一と孝が去り、シュライン、涼、翔、セレスティ(+修一とその他大勢のSP)がゲートの外で待って暫くした時だ。
「……、居た、」
 入国審査を特に問題無く通過したらしく、たった今一人の男性がゲートを出て来た所だ。穏やかだが少し気難しそうな目許に、前髪の長い黒い短髪。写真にあった通りの結城氏の顔である。
「本物か、涼?」
「そうだと思う、……うん、あの人がレイさんと磔也のお父さんだ」
「陵さん、セレスティさんをお借りします」
 シュラインは修一に隙を与えずセレスティの車椅子を押し、結城忍へ向けて歩み出した。
「Monsieur YUKI!!」
 シュラインが叫んだ。──フランス語である。涼と翔は瞬時にシュラインの意図を理解した。
「そうか、……フランス語での会話。6年もフランスで生活していればフランス語は分かる筈、」
「『聞かれて』いても、理解するのに時間が掛かる筈だ。英語ならともかく、フランス語はな。こちらの意図を読まれる心配は無いな」
 各種言語を得意とするシュラインにとって、フランス語での挨拶など何でも無い。あとは、出来るだけ迅速に行動して貰えるよう、手際よく会話する事だ。
 笑顔で名前を呼んだシュラインを見遣った結城忍は、やや怪訝そうな表情で小首を傾いだ。──大丈夫だ、端から無視される事は無さそうだ。
「C'est bien Monsirur YUKI. Je suis tres heureux de vous voir. Permettez-moi de me presenter. Je m'appelle Shulein Emma. Ray et Takuya les mon amie.」
 シュラインは丁寧だが手短に、自分の名前とそしてレイと磔也の友人である事を告げた。そしてセレスティと背後の黒服達を示し、「この方は去る財閥の総帥なのですが、芸術に非常に造型の深い方で、あなたの帰国を知って是非御挨拶をと」と微笑みかけた。
「……Je vous remercie de votre……、……A vec tout ca……、」
 忍は戸惑い勝ちにシュラインとセレスティを見比べながらそう返事を返し、──その時だ。
「スリだ!!」
 涼だ。涼が突如大声を張り上げ、「掴まえてくれ!」と云いながらある方向へ向かって駆け出した。
 涼の行動に驚いたように目を見開き、慌てて踵を返したのは旅客に紛れていた、極普通のサラリーマン風の風体の男である。
 だが、周囲にくまなく注意を向けていた涼は見逃さなかった。いかにもビジネス中、といった風を装っていたその男が、アタッシュケースから銃を取り出そうとしたのも、携帯電話で話しながら妙に声を顰めていた事も。
 結城を狙っている連中の内一人だ、と気付いた。そこで、機転を利かせた行動で取り押えに走った訳である。
 面喰らったのはスリ呼ばわりされた彼の方だろう。自分が、忍を狙撃すべく彼等の隙を伺っていたのに、不条理にも何故か「スリ」と云う一言で追われる身に状況が急変したのである。
「スリか、そりゃとっ掴まえない訳には行かないな」
 翔は冷静極まりない声で呟き、シュラインには目配せを、セレスティには「私達で連中を食い止める、無事外に出たら追い付くから、先に」と耳打ちして涼に続いて駆け出した。
『南口三番から出て下さい。そこで、亮一さん達が待ってます』
 一旦振り返った涼は、シュラインに向けて口の動きだけでそう伝えた。

【5_3CI】

 忍の方は、一体何が何やら分かっていないようである。
 飛行機を降りてみれば車椅子の麗人と黒服連中の歓迎を受け、娘と息子の友人だと云う美女が笑顔でフランス語の挨拶をして来たと思えば今度はスリ騒ぎである。まあ、常人ならば混乱も来そう。
「Au voleur !(スリよ!) Allez vite, s'il vous plet !(早くして下さい!)」
 忍は益々混乱した表情になった。何故、スリ騒ぎが起こったからと云って自分が急がなければ不可ないのか?
「Mais,」
「Je suis presse !(急ぐのよ!)Tournez au prochan croisement a droite !(あそこを右に曲がって!)」
 半ば強引に背中を押したシュラインに、流石の忍も「Hola !」と抗議したが、こちらは命懸けなのである、それも、あんたの。
「Allons !  ……セレスティさん、」
 シュラインは殆ど気迫で忍を黙らせ、車椅子を押そうとした。が、セレスティは穏やかにそれを制止する。
「結城氏を。私は未だ少し残ります。車は別にありますし、先にともかく脱出して下さい」
「でも!」
「大丈夫です、SPも居ますから」
「……じゃ、」
 シュラインはセレスティを修一に任せ、忍の腕を引いて有無を云わさず非常口へ向けて駆け出した。

【-】

「どっちだ、どっちへ行った!?」
──……はぁ……あの、ト……トルネードが何たら……。
「はぁ!?」
──申し訳ありません、……外国語で。
「この、役立たず、」
 男は、苛立った様子で携帯電話を別の番号に繋いだ。
「シェップだ。……成田に於けるシェトランの捕獲は失敗だ。予定を変更する。東京に、結城の娘が居る筈だ。息子の方は厄介だ、姉の方を確保しろ。我々も直ぐ都内へ戻る」

【5_4BCG】

「すいません」
 シュラインが忍を引き摺って亮一達と合流すると、孝は開口一番忍に向かってそう頭を下げた。──と同時に、何か紙切れのような物を忍の頭にぺし、と叩き付けた。
 忍が怪訝に思う暇も無かっただろう、何だか古い中国の映画のワンシーンのような動作の後、彼はがく、と脱力した。シュランが慌てて両手で身体を支える。
「何なの、これは」
 シュラインも困惑気味に、忍の額に貼り付けられた紙片と孝を見比べている。
「簡易封印札。ちょっと、意識を『封印』さして貰おうと思って」
「……どこから出て来たの、こんなもの」
「こんな事もあろうかと作成装置を持って来てたもんで。……って時間が無いんだ、……くそ、」
 孝の言動は、一見破綻しているように見える。自分で行動を起して起きながら悪態を吐いた彼が、厭な予感がして咄嗟に後ずさったシュラインの前で「魔法少女☆ フュージョン!」と叫んだのは云うまでも無い。

【5_5BCDGH】

「……、」
 話には聞いていたが、流石に目の前でやられると迫力である。シュラインはぴくりと眉を痙攣させながら、何とか口許に微笑を浮かべた。
「よし、これで結城氏の安全は完璧」
 突如姿を消した孝と忍に代わって突如出現した美少女は、涼やかな声でぶっきらぼうに嘯くとその淡い緑色の髪を掻き上げた。
「完璧……ね……、」
「一応、俺は不老不死だし」
 そして獲物たるレザー銃を片手に単車に飛び乗ろうとする。亮一が「乗って下さい、」とシュラインに向けて助手席のドアを開けた。
「……いえ、私は良いわ。田沼さんは御影君と緋磨さんをピックアップに行って」
「エマさん!?」
 シュラインは今度は眉の痙攣無しで口唇の端を持ち上げ、そうして亮一に手を振ると孝の単車に駆け寄った。
「え?」
 突如、ハンドルを背後から掴まれた孝が慌てて振り返る。それはシュラインの手だった。
「孝君(……君、で良いのかしら?)は後ろに。私が運転するわ」
「って、大丈夫なのかよ」
 シュラインは莞爾と微笑む。
「こう見えてもバイクの運転は得意なのよ。……あ、ヘルメット、お借りします。私は不老不死じゃ無いから。そうすれば、孝君は背後対策に集中出来るでしょう?」
「……ったく適わないよな、シュラインさんには」
 孝は溜息を吐いて、シュラインの後ろにひらりと飛び乗った。
「田沼さん、お先!」
「直ぐ追います、」
 少しだけ片手を上げて単車を発進させたシュラインに応え、亮一はハンドルを切って北へ向かった。
 ──そこでは、拳銃を持った男相手に素手で殴り掛かっている翔とそれをバックアップしている、黄天片手の涼が見当していた。
「乗って!」
 亮一の声で、涼と翔は防衛戦を切り上げて素早く後部座席に飛び込んだ。
「結城氏は!?」
 二人が同時に声を上げたのも当然だろう、乗っているものと思い込んでいた肝心の護衛対象が見えなければ。
「大丈夫ですよ。前の単車の……後ろに、」
 急激にスピードを上げながら応えた涼が、云い難そうにフロントガラスに見えて来たシュラインの運転に拠る単車の後ろを指した。
「……ああ、」
 翔は比較的冷静に頷き、未だ追って来るだろうかと背後を振り返って様子を伺った。
「やっちゃったか、孝さん!」
 涼は片手で顔を覆って天を仰いだ。目の前の車の天上しかそこに無いのが哀しい。
「……沼、ちょっとおかしいぞ。妙に大人しい。連中、追って来る気配さえ無い」
 翔がそっと亮一に告げた。亮一もバックミラー越しに頷きながら、然し──、と前方に視線を移した。
 今はともかく、安全な場所へ移動する事が先決だ。

【zero】

 ──居ない。
「も──!! どこ行ったのよあの不良学生!」
 レイはここ数時間、朝から姿の見えない弟を探して東京中を走り回っていた。
「まさか抜け駆けして空港行ったとか、……無いわよね、それは」
──東京を出られないのはあいつも同じだし。
「……パパに何かしたら、あいつ、本当に許さない」
 気を取り直し、再びロードバイクに跨がろうとしたレイの意識はそこで途絶えた。
「……──、」
 視界が、一瞬で真っ白になった。 

【-】

 東京から、結城・レイを捕獲したとの連絡が入った。
 そこへ向かう道中、一人の部下が彼へ向けて問い掛けた。
「……それにしても、護衛の連中はともかく、結城忍が異能者とは思えませんでしたが」
「奴は、シェトランを飼ってるんだ」
「……、」
 何故、と彼は再び問う。
「そこまで連中を目の敵にするんです?

 俺は、身内を音楽に殺された事があるんだ。彼、──『シェップ』は苦々しい表情でそう吐き捨てた。

【6BCDGHI】

 『東京都』と書かれた道路表示を越えた。都内だ。そろそろ、空港に居た連中よりも警察の追跡を心配しなければならない辺りである。
 亮一はシュラインの運転する単車にわざと追い越しを掛けて合図し、人気の少なそうなセルフ給油のガソリンスタンドに乗り上げて停車した。
 それとほぼ同じタイミングだった、携帯電話が着信を告げたのは。見慣れない番号だったが、出てみればセレスティの車中電話だった。

「もしもし、」
──田沼さん、失礼致します。カーニンガムです。
 亮一は涼と翔に目配せした。「セレスティさんです」と受話口を抑えて告げ、車内を出た彼の目の前に一台の単車が停止し、先ず彼の魔法少女がとん、と身軽に飛び降り、続いてシュラインがエンジンを止めた。
「田沼さん?」
 ヘルメットを外し、前髪を掻き上げて整えながらシュラインが訊ねる。亮一は彼女達にもセレスティだと告げた。
「すみません、取り込んでいまして。お願いします」
──御苦労様です、御影君には御一緒出来なくて申し訳無いとお伝え下さい。彼等とお話をしておりまして。
「何か、喋ったんですか」
──ええ。

 車を運転している修一が、不安そうにバックミラー越しにセレスティの様子を伺っている。現在車内にはセレスティと修一の二人しか居ない。
「……色々、事情が込み入っているのですが、先ず急ぎお知らせします。東京内の結城嬢が、人質として掴まったそうです」
 何ですって? と狼狽した亮一の声に続き、それを仲間に伝える声とざわめきが聞こえる。

 丁寧な態度で交渉に出向いたセレスティに、連中はそれなりに筋の通った対応をした。
「先ずは、一介のピアニストを空港で待ち伏せて狙撃しようなどと為さった理由と、あなた方の御名前を伺いたいですね」
 涼と翔に撒かれて空港に留まった一団は、大半が素手に拠る物と思しい痣を作って会話が不能な状態だったが、その中で最も年嵩らしい長身の男が、「人質」を連れて交渉に訪れたセレスティに応えた。
「リンスター財閥総帥にして水霊使いのセレスティ・カーニンガム殿か」
「おや、御存じ頂けたとは光栄です」
 既に気を張り詰めていた修一が、あくまで落ち着いた態度のセレスティを信じられない、と云う風に眺めていた。
「有名ですよ、あなたの事は我々の中では。……こうした形で御会いする事になるとは残念だが、まあ、今回はあなたも何も知らなかっただろうと云う事で黙認しましょう」
「黙認?」
「申し遅れた、我々はIO2(International OccultCriminal Investigator Organization)の者です。私が今回のミッションを指揮している。仲間内では『シェップ』と呼ばれているので、そう名乗って置こう」

「IO2!?」
 亮一は思わず声を上ずらせた。仲間達の反応は二手に別れた、目を見開いた者と、「何それ」と首を傾ぐ、と云う風に。
「何故、そんな組織が出て来るんです、……あれは、」
 
 そう、IO2──怪奇現象や超常能力者が民間に影響を及ぼさないように監視し、事件が起ころうとしているならばそれを未然に防ぐ非公式の超国家的組織だ。

「何故、あなた方が結城氏を?」
「それはお答え出来ない、守秘義務があるものでね」
 そしてシェップは、セレスティに部下を返すように願い出た。
「カーニンガム殿、我々が今まであなたを放置して来たのは、あくまで無害な存在だったからです。然し任務遂行上の邪魔をされたとなれば、今後はあなたもブラックリストに名を列ねる事になる。大人しく、仲間は返して頂きましょう。適わないとなれば、この場で交戦する事になります」
 セレスティはシェップに莞爾と微笑みを返し、「良いですよ。それだけ分かれば充分です。大変失礼しました、お返しします」とSP連に彼の解放を命じた。
 ──然しそこはカーニンガム総帥、黙って云いなりになっていた訳では無い。解放する前に、彼からある物を入手していたのである、こっそりと。
 専用の、無線機だ。

──そこで、車中で彼等の無線通信を拝聴していたのですが、先程、結城嬢と思しい『ターゲットの娘』を捕獲した、と云う東京内からの報告がありまして。取急ぎ連絡に。
「……しまった」
 涼は思わず、亮一の前なの忘れて車のボンネットを叩いてしまった。
 孝やシュラインはレイに事前に連絡を取っていたようだが、あくまでそれは「磔也の監視依頼」目的である。まさか忍を取り逃がした連中がターゲットを即座に都内のレイに移すとは気付かず、彼女の身柄はノーマークだった。
「無事なのか、彼女は」
 翔が、聞いてくれ、と亮一に促す。
──大丈夫でしょう、今の所は。今、彼等は磔也君の連絡先を調べているようです。結城嬢の身柄と引き換えに、結城氏の引き渡しを交渉するようですね。……あくまで、人質に彼女の方を選択して磔也君相手に交渉するらしい事も引っ掛かりますが。
「分かりました、有難うございました」
 亮一は一旦電波を切り、急いでそのまま磔也の短縮番号を押した。
──はいはい。
「田沼です」
──……あんたか。……で? 忍は?
 磔也の声は暢気である。亮一は少し云い淀んだが、やがて厳しい口調で告げた。
「今、東京に向かっていた途中なんですが……、磔也君、何も妙な事はしていないでしょうね?」
──……何だと? ……どういう事だ。
「レイさんが攫われました。俺達が成田で結城氏と合流して、東京に向かっている間に。磔也君、念を押しますがあなたは関係無いでしょうね?」
──知るか! 
 磔也の語調が一瞬で怒気を帯びた。
──俺はずっと巣鴨に居たんだよ、その件に関してはあんたらの連絡を待ってたんだぜ、ついでだけど葛城も居るぞ、何企んで近づいて来たかは知ら無ェけど、会っただろうが、この間! 
「……葛城・樹君ですか。……分かりました」
──忍は?
「無事ですよ、……その……、」
──出せ、忍に代われ。
 うっ、と亮一は返答に困った。無事は無事なのだが……。
 然し時間が無い。観念した亮一は、身内ではこっそり「魔法少女あまねちゃん」と呼ばれている少女に携帯電話を渡した。
「……久し振り」
──誰だお前? 忍に代われっつってんだよ、
 嫌々携帯電話に向かって挨拶した孝の声は、勿論高く清楚な声である。如何に久し振りでも父親のものとは間違え得ないその声に、磔也の苛々した怒号が返った。
「……だから、代わってるんだって、一応……。返事は出来ないけどな。覚えてないか、この声」
──はぁ?
「いや、嬉しいなあ、忘れてくれてて有難う」
──まさか、お前、天音神か。
「こうするしか無かったんだよ! まあ、磔也じゃ無いんだから良いじゃないか。だって、究極の護衛方法だぞ」
──……。
 流石の磔也も絶句した。先日のトラウマの記憶が甦ったのと、信じられ無ェ、こいつ、忍と合体しやがった……と云う驚愕が受話器越しにはっきりと伝わって来た。
──莫迦野郎、すぐ解除しろ、忍から離れろ! 乗っ取られるぞ、お前!
「乗っ取られる? 結城氏に?」
──忍なんかどうでも良い、シェトランだ、良いな、今直ぐにでも解除しろ!
「シェトラン?」
 すみません、と横合いから亮一が携帯電話を取り返した。
「ともかく、レイさんが攫われた以上あなただって他人ごとでは無いんです。一旦合流しましょう、結城氏も連れて行きます」
 だが、返事の代わりに聞こえてきたのは『そのまま、暫くお待ち下さい』と云う録音音声だ。
「何て?」
 妙に切羽詰まった磔也の忠告通り、本来の姿に戻った孝は忍が未だ意識を「封印」された状態である事を確認しながら訊ねた。
「途切れました、キャッチホンが入ったみたいです」
 亮一はそのまま、携帯電話を耳に当て続けた。
 数分が経過した時、再び回線が繋がった。
──連中からだ。……レイの代わりに忍を引き渡せと云って来やがった。予定変更だ。忍は引き渡す。巣鴨まで連れて来てくれ。
「どういう事です、良いんですか、それで」
──ま、歳の順ってことで。
 変だな、と亮一は違和感を感じた。磔也の口調が、先程はあれ程狼狽していたのに一旦キャッチホンに出た後は普段通りのやる気の無い感じに変わっていた。
 ……そうか、電話だ。恐らく、磔也の携帯に連中からの連絡が直接あったと云うことで、盗聴を心配しているのだろう。電波を介して話している限り、本当の所は聞けそうにもない。
 どうせ磔也の事だ、みすみす素直に相手の云いなりになるとも思えない。何か、考えはある筈だ。
「分かりました、巣鴨ですね」
──出来るだけ早くな。着いたらまた電話しろ。
 亮一は会話の内容を一同に告げ、一応念の為葛城・樹(かつらぎ・しげる)に確認の電話を掛けた。
 磔也がずっと巣鴨に居たと云うのは、本当のようである。

【xxx】

「里井」
 練習室でアリアを歌っていた里井・薫(さとい・かおる)は、やや殺気立った様子で入ってきた磔也を振り返って顔を引き攣らせた。
 彼の目には、明らかな怯えが存在する。が、磔也はそれにはお構い無しで彼の手からスコアを取り上げてピアノの上に放り出した。
「とうとう来るぞ、IO2が。……あいつらを、3階に待機させとけ。俺が合図するまでは何もすんじゃ無ェぞ。分かったな」
 黙っていた里井は、「聞こえてんのか、分かったら返事しろ、このグズ!」という凄まじい怒号で慌てて首を縦に振った。
「……全く……使え無ェ奴。分かってんだろうな、お前の代わりなんざいくらでも居るんだぞ」
 全身を細かく震わせている彼に、磔也は練習室を去り際、振り返ってこう付け加えた。
「……それとな、連中が人質に女を一人、連れて来る。……お前がミスってその女が死んだら、命は無いと思っとけよ」
 磔也の声は低く、目はぞっとする程冷たい。
「水谷にも伝えて置け、……俺が、返り打ちにしてやるってな」

──結城磔也君だね。君ならもう我々の存在は分かっているだろう。君のお姉さんは預かっている。あまりお上品な方法で無い事は承知だが、こちらとしても使命があるのでね。クシレフの陰謀から、人々を護ると云う使命が。……その為なら、残念だが彼女を傷つける事も厭わない。無事、お姉さんと再会したくばショトランをこちらに引き渡し給え。場所は任せる。……東京の外では、都合が悪いだろう?

 ホールに戻った磔也は先程の電話を思い出し、くそ、と悪態を吐いて煙草に火を点けた。くわえ煙草のまま舞台に上がり、ピアノの前に座ると場所も構わずに床板に落とした吸い殻を踏み潰し、苛立ち紛れに適当に浮かんだ旋律を鍵盤に叩き付けた。
 
──冗談じゃ無ェぞ。
 あいつらに、何が分かる。怪奇現象と音楽の力の区別もついて無いような連中に、邪魔をされて堪るか。……ようやく、クシレフを見付けたんだ。
 怪奇現象と思って舐めて居るが良い。好都合だ、見せてやろうじゃ無いか。音楽の力を、芸術の勝利を。
 邪魔はさせない。オーケストラピアノもユーフォニアの完成も。……それに。
 
 レイは、俺の所有物だ。他人の好きな様にはさせない。……返して貰う。

【7BCDGH】

 車の後部シートでシュラインの介抱を受けていた忍が、(役得のようだが、仲間の孝が気絶させた相手なので仕方無く)目を覚ました。
「……お早うございます。……どうぞこの間の事については聞かないで下さい」
 開口一番、シュラインはそう云って頭を下げ、孝の為に断って置いた。

「空港では、会話を聞かれることを恐れてフランス語でお話していたんです。改めまして、私はシュライン・エマです。レイさんと磔也君の友人なのですが」
「同じく、田沼と云います」
 亮一は更に名刺を忍に差し出した。忍は丁寧にそれを受け取り、「生憎、名刺の持ち合わせが無く」と簡単に詫びた。
 涼と翔も簡単に挨拶したが、孝だけはどうもばつが悪いらしく「ども」と短く云って顔を在らぬ方向へ向けている。──つか、磔也に続いてその親父さんともやっちまったよ、俺。いやでも不可抗力だし。
「……そうですか、皆さん娘と息子がお世話になっていたようですね。こちらこそ申し遅れました。結城忍と云います」
「こうなっては隠しても仕方無いですからはっきり申し上げます。成田で、あなたは御自分の命が狙われていた事は御存じですか」
「……いいえ、」
 涼は、じっと忍の態度に注意していた。然し、本心から戸惑い勝ちな忍が嘘を云ったようには思えない。
「我々は、実は磔也君からあなたの護衛を依頼されたんです」
「磔也が?」
「お聞きしたい事は色々あるんですが、……実は、大変申し上げ難いのですが……その、あなたを付け狙っていた連中にレイさんが拉致されまして」
 ……レイ、と驚愕した忍から掠れた声が洩れた。
「何故、……娘が? 私の代わりに、と云う事ですか」
「連中は磔也君に、レイさんとおなたの身柄の交換要求を出してきたようです。磔也君は巣鴨を指定したようで、我々にあなたを連れて来るようにと。無論、あなたの自由意思ですから拒否されれば無理に連れて行く気はありません。が、出来れば一緒に巣鴨まで行って行って頂きたいんですが。我々としても、出来る限りあなた自身と、レイさんの安全に全力を尽くしますので」
 ──云ってから、しまった、磔也の安全、も云い加えるのを忘れていたな、と亮一は思った。……が、何故だろう彼の護衛をする気がしないのは……。
 勿論です、と忍は答えた。そして、一同を一度見回すと頭を下げてこう告げる。
「何が何だか……良く分かっていません。仰って頂ければ何でもしますから、どうぞ先導してやって下さい。それと、何かありました際には、レイと磔也の安全を優先して下さい、私は構いませんから。……特に、磔也に関しては手を傷める事が無いように注意して頂けると。……厚かましい願いですが」
 何故この時忍が、自分よりも磔也の手を心配しているのかは分からない。 

 ともかく、その内また磔也とも連絡が付くだろうと、結城忍を連れた一同は巣鴨への移動を開始した。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0931 / 田沼・亮一 / 男 / 24 / 探偵】
【1532 / 香坂・蓮 / 男 / 24 / ヴァイオリニスト(兼、便利屋)】
【1831 / 御影・涼 / 男 / 19 / 大学生兼探偵助手】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【1990 / 天音神・孝 / 男 / 367 / フリーの運び屋・フリーター・異世界監視員】
【1985 / 葛城・樹 / 男 / 18 / 音大予備校生】
【2124 / 緋磨・翔 / 女 / 24 / 探偵所所長】
【2194 / 硝月・倉菜 / 女 / 17 / 女子高生兼楽器職人】

NPC
【結城・レイ / 女 / 21 / 自称メッセンジャー】
【結城・磔也 / 男 / 17 / 不良学生】
【結城・忍 / 男 / 42 / ピアニスト・コンセルヴァトワール教師】
【水谷・和馬 / 男 / 27 / 巣鴨ユーフォニアホール人事担当者】
【シドニー・オザワ / 女 / 18 / 学生】
【冨樫・一比 / 男 / 34 / オーケストラ団員・トロンボーニスト】
【里井・薫 / 男 / 現時点で不明 / 歌手】
【陵・修一 / 男 / 28 / 某財閥秘書兼居候】
【シェップ / 男 / 31 / IO2構成員】

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■         ライター通信          ■
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皆様、今回は「音楽都市、ユーフォニア」への御参加有り難うございました。
先日の「幻想交響曲」シリーズからの流れや結城家の厄介な親子関係、果てはIO2まで出て来ましたので大分込み入った内容になりましたが、如何でしたでしょうか。
WRとしても、全てのPC様の行動をPL様の意図通りに把握し切れていたかが不安です。然し、色々な他PC様の視点なども目を通して頂きますと何らかのキーワードが見つかるのでは無いかと思います。
今作のエンディング直後からの流れとなります次回作、「音楽都市、ユーフォニア ─クシフレの陰謀─」は11月17日月曜日、午後8時からの受注と致します。
どちら様も、お気が向かれましたら是非御参加頂けます様、心よりお待ちしております。

今回時間的な都合により各PC様への御挨拶は割愛させて頂きますが、御参加の皆様には心よりお礼申し上げます。
お疲れさまでした、今後ともこの不条理な音楽を巡る世界をよろしくお願い致します。

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