■最期のお願い■
深紅蒼 |
【1252】【海原・みなも】【女学生】 |
今日も東京に沢山の霊が集まる。まるで人のいる場所にいれば寂しさを紛らわせる事が出来るとでも思っているかのように、沢山の霊が波のように寄せてくる。ボクの様に彼らを見る事が出来る人は多い。人の多い東京にはそれこそ何人いるか判らないくらい沢山いるだろう。その中の誰でもいい。極端な事をいえば彼らのことを見えなくても、彼らの声を聞こえなくてもいい。ただ、彼らの為に何かしてやろうと思ってくれる人がいるなら、その気持ちだけでいい。ボクは彼らを助けてやって欲しいと思う。ここに留まる苦しみから彼らを解き放つ為に、彼らの『最期の願い』を叶えてやってほしい。
彼の名は結城真一郎。今から2年前に27才で亡くなった。靖国通りで会社から家に戻る途中ひき逃げされてしまった。それからずっとこの横断歩道の中程に佇んでいる。ひき逃げをした運転手はすぐに見つかった。だからそれが彼をここに引き留めている理由じゃない。恋人に最期の言葉を伝えられなかったからだ。彼は即死ではなかったけれど、事故から息を引き取るまでの3時間、ずっと意識が戻る事はなかったんだ。言いたくて、言おうと決めていて言えなかった言葉を恋人に伝えたい。そうすれば彼の重い心は軽くなり、失った道を取り戻せるだろう。誰か、この願いを叶えてくれるだろうか。
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最期の願い
多くの人を魅了し引きよせる魔都TOKYO。ここで産まれここで生きる者よりも圧倒的に多いのは、ここで死ぬ者達だ。一握りの成功と幸せの側には、あまたの挫折と未練が存在するのだ。そして彼らは心清らかに魂が還るべき場所にへと旅立つ事も出来ず、重い心を抱えたまま東京に残る。靖国通りの横断歩道脇に立つ男の魂もその数多い中の1人だった。
海原みなもは先ほどから横断歩道を行ったり来たりしていた。新宿は平日の昼間でも嘘の様に人が多い。しかし誰もが自分の事に精一杯で、みなもに注視する者はない。もう5往復もしていながら咎める者も、心配して声を掛けてくる者もいなかった。
「う〜ん、あたしの『視る』力があんまり強くないからなのですね」
そこここに佇む霊を感じるのに、それが結城真一郎その人なのかどうか確証が得られない。今のみなもには沢山の生きる人達と死せる魂が発する雑多な念に邪魔されて、微かな波動しか感じられないのだ。目を凝らすとぼんやりとそこに存在するモノを感じる事がある、という程度だ。これではいつまでも求める相手に会えない。徐々に辺りは人が多くなってきている。ようやく開店する店舗もあるだとうから、更に人が増える事はまず間違いない。とすれば、今のままのみなもが会いたい人を探し出せる可能性はどんどん低くなるだろう。
「やっぱりこれを使うしかありませんね」
みなもはポーチから水の入った小瓶を取り出した。
午後10時を廻っても一向に人の減る気配がない。葛城樹は内心困ったなぁと想いながら靖国通りの横断歩道を臨む歩道に立っていた。人はひっきりなしに樹の側を流れていく。その流れに従わず留まる樹に不審そうな目を向ける者も時折いたが、ここ新宿ではそれ以上の関心とはならない。素っ気なくて冷たい最も都会らしい場所、それもまた新宿の持つ一つの顔であった。
「仕方がありませんね」
樹は小さく溜め息をつくと24時間営業のファーストフードに入り時間を潰した。JRや私鉄の終電の時刻ともなると、不夜城の名を持つ街からもようやく人が減ってきた。樹は空のトレイを片づけると自動ドアを抜けて外へ出た。今年は暖冬だというが、やはり夜の風は冷たい。目指す場所では死せる魂が心持ち顔を伏せて立っていた。
「結城真一郎さんですね」
静かに樹が尋ねるとその人はこっくりとうなづいた。
2年前に交通事故で死亡した結城真一郎を探す事は難しいことではない。当時、事故の翌日の夕刊には扱いは小さかったが記事が出ていたし、人身事故として警察も動いていた。彼をひいた運転手はキチンと通報し、すぐに救急車も出動している。当時の住所や勤務先がわかれば、生前の結城真一郎を知る人は少なくはない。けれど、セレスティ・カーニンガムが調べた限りでは結城真一郎に特定の恋人はいなかった。
「なるほど、これは興味深いですね」
自室のテーブルに広げられた資料に目を通した後、セレスティは思慮深い瞳に光をたたえる。仕事の同僚も、両親も、学生時代の友人達も、恋人という存在を知らないと言う。
「‥‥片恋。いえ、それならば恋人という表現は使わないでしょう。何か人には言えない関係だったというのでしょうか」
不倫、或いは一方的な思いこみ‥‥セレスティは指を折る。まだ情報が足りない。もう少し詳しく調べる必要があるだろう、セレスティは思った。
みなもと樹は並んで深夜の新宿に立っていた。2人の前にはかつて結城真一郎という名で呼ばれていた人間の魂がある。秘薬を使ったみなもの目には生前の姿がぼんやりと映るし、声も聞こえた。けれど時々二重写しの様に凄惨な事故直後の姿が見えたりするので、あまり正視することが出来ない。
「名前は安田茉莉香です。年は24才って言ってました」
みなもの問いに真一郎はすらすらと答えた。性別や種族まで尋ねると不思議そうな顔をしたが人間の女だと答えた。みなもは至極真面目にメモをとっている。
「それで、最期の想いをその方に伝えたいですね」
樹が代わって尋ねると、真一郎はうなづく。
「そうなんだ。どうしても伝えたい。そのことばかりが気になって、いつまでもこの場所から動けないみたいなんだよ」
どこか哀しそうな風情で真一郎は言った。ここに来る前に樹はもう決めていた。
「結城さん、よかった僕に話してみませんか? 僕にはあなたの想いを伺ってそれを曲にすることが出来ます。その曲を彼女に聴いて頂くというのでは気持ちを伝えた事になりませんか?」
相手の気持ちを思いやった優しい言葉だった。もどかしく思ったのか真一郎は即答しない。
「事情をお話して、その方にここに来て頂くわけにはいかないでしょうか? あ、もちろんその方があたしの言葉を信じてくださって、そして結城さんとお話をしたいって思ってくれたらなんですけど‥‥」
みなもはストレートにそう思う。自分が使った秘薬を使えば、特別な力を持たない人でも真一郎を視たり言葉を交わしたり出来る。今、自分がしているようにだ。けれど、2年の歳月がある。安田茉莉香にも新しい恋人がいるかもしれないし、結婚しているかもしれない。真一郎が何か言う前に強いライトがその場所を照らした。新宿駅方面から走行してきた黒塗りの車が目の前で止まった。後部扉がすぐに開き、立ち上がったのは雅な若い男だった。セレスティだ。穏やかな瞳をまっすぐに真一郎へ向けると寂しい微笑みを浮かべる。
「結城さん。残念ながらお待ちになっている方は絶対に来る事は出来ません」
優しい口調だったが、言葉は断固としていた。いぶかしげにみなもと樹がセレスティを見つめる。
「あなたが事故に遭った当時、あなたには恋人はいなかった。けれど、頻繁にあなたの会社や自宅を尋ねたり、電話をしてくる女性はいました。それが安田茉莉香さん‥‥そうですよね」
真一郎は答えない。けれど、その表情が先ほどまでの無に近いものからどんどん険しくなっていくのがみなもにもはっきりと見て取れる。いきなり真一郎の廻りの空気が逆巻いた。
「あの女は俺を突き飛ばしたんだ。俺はあの女に殺されたんだ! 俺の未来も将来も命ごと奪ったあの女! 許せるもんか! 俺がそのまま死んだから誰も本当の事は知らない。俺をはねた運転手もあの女を見ていなかったんだ!」
荒い息づかいが聞こえてきそうな程、真一郎は激しく興奮していた。今ならばストーカー被害として扱われただろうが、2年までしかも被害者が男性では周囲の反応も真一郎に好意的ばかりではなかったのかもしれない。
「恋人じゃなかったんですか?」
みなもが真一郎から発する毒気の渦から身を避けるように後ずさる。胸の奥に隠された情念は肉体を持たない霊には秘匿する事が難しいのかもしれない。吐き気さえ感じて1歩も真一郎に近づけない。
「あの女は変だった。最初から俺の恋人気取りだった。正直俺は気味が悪くて真面目に取り合わなかった。だからなのか。だから殺されなきゃいけないっていうのか!」
樹は唇を噛む。とても真一郎の思いを曲には出来ない。正気で作曲出来るとは思えなかったし、無理に作ればその曲は人を殺す禍歌となるだろう。
「‥‥安田茉莉香さんは死にました」
セレスティは静かに言った。真一郎の動きが止まる。
「キミが死んでしまった翌日に通夜から帰宅した後自殺しています。いくら待っても、キミの言葉を、恨みの言葉を聞いてくれる人は来ないんです」
それがセレスティが調べ上げた全てだった。恐らく、茉莉香に殺意はなかったのだろう。
自分の罪の重さに生きる事が出来なかった哀しい人は、もう2年も前に逝っていた。
「そんな‥‥そんな‥‥馬鹿な‥‥」
真一郎は他に言葉も出ない。驚愕の表情と姿勢のまま、凍り付いた様に動かないでいる。
痛ましい‥‥と、みなもは思った。ポロリと涙がこぼれて頬を伝う。涙は真珠色に輝き地面に落ちる瞬間、ふっと消えてそこから水面の様に波紋が浮かぶ。みなもの優しい波動が傷ついた真一郎を波の様に揺らす。樹は低く歌い始めた。古い外国の恋の歌。高く低く響く声が荒れていた場をなだめ、ゆっくりと先ほどまでの静けさが戻ってくる。樹の歌が終わる頃には、みなもの涙は止まり真一郎の怒りの表情も消えていた。
「もう行けますね」
車のシートに座っていたセレスティが真一郎を見上げて聞く。静かにうなづくと真一郎はゆっくりと浮かび上がり、そして消えた。哀しい、無念の淡い想いだけが残り‥‥やがてこれも消えてしまった。
夜明けが近かった。車の後部シートに収まったセレスティに樹が声をかける。
「もしご存じなら、2人のお墓を教えてもらえませんか?」
何をするのかとセレスティは聞かなかった。黙って手帳になにやら書き付けるとそれを
樹に手渡す。礼を言って樹が受け取ると車は直ぐに発進してやがて赤いテイルランプが見えるだけになった。
「お墓‥‥私もご一緒していいですか?」
みなもが樹に尋ねる。ゆっくりと2人の為に祈りたかった。
「もちろんです。是非‥‥」
その時までに2人のための曲を作ろうと思った。ほんの少し運命が過酷ではなかったら、もっと幸せになれたかもしれない2人の魂の為に‥‥。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【1252/海原・みなも (うなばら・みなも)/女性/ローティーン/中学生】
【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/年齢不詳/占い師】
【1985/葛城・樹 (かつらぎ・しげる) /男性/20才前くらい/予備校生】
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■ ライター通信 ■
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ライターの深紅蒼です。ご参加いただきましてありがとうございました。これからも時折『自称霊の味方・レイ』から、霊のためにだけなる勝手な依頼があるかと思います。わがままなNPCとライターですが、どうか今後ともよろしくお願いします。
みなも様:可愛い方なので、可愛く描けるかとっても心配です。つい最近、怖い人魚のお話を読んだばかりですが、影響されてないと思うのですがどうでしょうか?
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