■初めてのバレンタイン■
市川智彦 |
【0550】【矢塚・朱姫】【高校生】 |
2月13日……ある女性が住む小さなワンルームマンションの一室が初めてチョコくさくなった。鍋の中にたっぷりのチョコレートはいくつもの泡を弾かせ、そのたびに芳しい匂いを発する。女性は鼻歌を歌いながら、嬉しそうにその鍋をおたまで混ぜる。彼女は明日に向けて準備万端だった。
彼女の名は小田 美咲。駆け出しの能力者としてさまざまな事件に関わっている天然娘だ。行く先々でさまざまな迷惑をかけてはいるものの、それなりに仕事をこなしている。その証拠に彼女はしっかりとした稼ぎを得て、今では念願のひとり暮しを満喫している。これこそが自分ひとりが生きていくに十分な収入を得ている何よりの証拠だった。美咲なりの苦労は常に付きまとうが、それでも彼女の生活は充実していた。
そして彼女の幸運は続いた。美咲には最近になって彼氏ができたのだ。異能力とはまったく縁のないやさしそうな好青年の柊 駿介と縁があって交際している。彼女にとっても彼にとっても初めての恋人とあって、そのぎこちなさといったらなかった。いつもが緊張の連続でふたりの周囲は常にハラハラしていたが、なんとかバレンタインデーまで漕ぎつけた。
バレンタインデーは駿介にとって大切な日だった。そう、彼の誕生日とバレンタインデーは同じ日なのだ。それを一週間前に聞いた美咲は焦った。だがそれと同時に気合いが入った。彼女は駿介の好きなものを片っ端から思い出し、それをアレンジして食べさせてあげようと考えたのだ。
その結果、なぜか美咲は好きなものを組み合わせる方法を思いついたのだ。チョコがいい感じに匂ってくる鍋の横では180度に温まった油が控えている……その隣にはふわふわの衣を全身にまとったえびが待機していた。エビフライとチョコレート……どこにも接点のないふたつが今、彼女のせいで出会おうとしている。
「駿介くん、食べてくれるかな……確か大好物だったのよね〜、エビフライ。からっと揚げて、さっとチョコレートフォンデュの中にくぐらせたらバレンタインの贈り物にも誕生日のお祝いにもなるもんね! やっと来た22年目の春だもん、私がんばるね駿介くん!!」
頬につけたチョコレートもそのままにかわいくガッツポーズする美咲……しかし、その両手は空しく垂れ下がる。自分で口にした22年というセリフが今になって両肩に重くのしかかったのだ。彼女は準備が整ったキッチンの前でため息をつく。
「でもぉ……食べてもらえなかったらショックだな……どうしよっかな……あっ、そうだ! お仕事のみんなに助けてもらえばいいんだ! みんなが楽しそうにチョコレートフォンデュエビフライを食べてくれれば駿介くんもきっと食べてくれるよ! そうと決まれば零さんに連絡しなくっちゃ……明日はもう目の前だし……」
美咲は携帯電話を取りに部屋へと走る……彼女は都合よく零に説明し、自分の協力者を探そうと必死だった。そんな奇妙な伝言ゲームは電話線を駆け巡り……そして当日になるのだった。
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初めてのバレンタイン
2月13日……ある女性が住む小さなワンルームマンションの一室が初めてチョコくさくなった。鍋の中にたっぷりのチョコレートはいくつもの泡を弾かせ、そのたびに芳しい匂いを発する。女性は鼻歌を歌いながら、嬉しそうにその鍋をおたまで混ぜる。彼女は明日に向けて準備万端だった。
彼女の名は小田 美咲。駆け出しの能力者としてさまざまな事件に関わっている天然娘だ。行く先々でさまざまな迷惑をかけてはいるものの、それなりに仕事をこなしている。その証拠に彼女はしっかりとした稼ぎを得て、今では念願のひとり暮しを満喫している。これこそが自分ひとりが生きていくに十分な収入を得ている何よりの証拠だった。美咲なりの苦労は常に付きまとうが、それでも彼女の生活は充実していた。
そして彼女の幸運は続いた。美咲には最近になって彼氏ができたのだ。異能力とはまったく縁のないやさしそうな好青年の柊 駿介と縁があって交際している。彼女にとっても彼にとっても初めての恋人とあって、そのぎこちなさといったらなかった。いつもが緊張の連続でふたりの周囲は常にハラハラしていたが、なんとかバレンタインデーまで漕ぎつけた。
バレンタインデーは駿介にとって大切な日だった。そう、彼の誕生日とバレンタインデーは同じ日なのだ。それを一週間前に聞いた美咲は焦った。だがそれと同時に気合いが入った。彼女は駿介の好きなものを片っ端から思い出し、それをアレンジして食べさせてあげようと考えたのだ。
その結果、なぜか美咲は好きなものを組み合わせる方法を思いついたのだ。チョコがいい感じに匂ってくる鍋の横では180度に温まった油が控えている……その隣にはふわふわの衣を全身にまとったえびが待機していた。エビフライとチョコレート……どこにも接点のないふたつが今、彼女のせいで出会おうとしている。
「駿介くん、食べてくれるかな……確か大好物だったのよね〜、エビフライ。からっと揚げて、さっとチョコレートフォンデュの中にくぐらせたらバレンタインの贈り物にも誕生日のお祝いにもなるもんね! やっと来た22年目の春だもん、私がんばるね駿介くん!!」
頬につけたチョコレートもそのままにかわいくガッツポーズする美咲……しかし、その両手は空しく垂れ下がる。自分で口にした22年というセリフが今になって両肩に重くのしかかったのだ。彼女は準備が整ったキッチンの前でため息をつく。
「でもぉ……食べてもらえなかったらショックだな……どうしよっかな……あっ、そうだ! お仕事のみんなに助けてもらえばいいんだ! みんなが楽しそうにチョコレートフォンデュエビフライを食べてくれれば駿介くんもきっと食べてくれるよ! そうと決まれば零さんに連絡しなくっちゃ……明日はもう目の前だし……」
美咲は携帯電話を取りに部屋へと走る……彼女は都合よく零に説明し、自分の協力者を探そうと必死だった。そんな奇妙な伝言ゲームは電話線を駆け巡ったのだった。
街を真っ赤に染める夕暮れの中、ため息をつきながら歩く少女がいた。彼女は今の時点で明日の予定を失っていた。黒髪をわずかに揺らしながら歩く彼女はちゃんと彼氏のいる女子高校生の矢塚 朱姫だ。彼女は明日という日のためにしっかり予定を空けていたのだが、彼が多忙でどうしても会うことができないのだ。前日にその宣告を受けた朱姫はガックリと肩を落とし、近くに置いてあった赤い包装紙で着飾った小さなチョコを見つめた……彼女はなんとか直接チョコを渡せるよう、彼に時間の調整だけしてもらった。結果は望みどおりになりホッと安心、という頃に再び電話が鳴ったのだ。
同じ境遇で、しかも彼氏と一緒に過ごすことができる美咲の話を聞いた朱姫は、人の幸せのお手伝いでバレンタインデーを飾るのも悪くないと思った。そこでなぜか彼女は近くのスーパーに立ち寄った後、美咲が住むというマンションへと向かった。彼女が持つ白いビニールの袋の中身が揺れるたびにくしゃくしゃというあの音が回りを騒がしくする。朱姫のその姿が脅威のバレンタインを演出する女性には誰も目にも映らないだろう。そう、一人暮しをしている女の子が家に帰るようにしか見えない。
「う〜ん……ホントなら、彼のために作るべきなんだろうけどな。仕方ないか。」
「あっ、あけひおねーちゃ〜〜〜ん!」
落ちこみそうになったタイミングを見計らったかのように、元気な声が朱姫の左手から響いた。彼女がそちらに反応すると、緑色のパーカーを着込んだ少年が同じような袋をその小さな両手で抱えて懸命に走ってくる。その顔はぱあっと明るかった。
「蘭じゃないか。今日はおつかいか?」
「えへへ〜、今日はねー。えーっとえーっと……チョコレートフォンデュエビフライっていうながいお名前のりょうりを作るみさきさんのところに行くの。これ、おてつだいに使うのー。」
「そうか、奇遇だな。私も今から美咲さんのうちへ行くんだ。蘭、一緒に行こうか。」
「うんっ!」
小学生くらいの小さな男の子・藤井 蘭と出会った朱姫は、彼の歩幅に合わせて一緒に歩き出した。しばらくは一緒に挨拶がてらに近況報告をしていたふたりだが、話は必然的に今回の依頼の話になっていく。蘭が抱えている袋が気になったのか、朱姫は彼に質問する。
「ところで蘭、その袋の中には何が入ってるんだ?」
「え〜っとぉ、クッションみたいにやわらか〜い『ましゅまろ』とか、いろんな色のついたふるーつのかんづめとかがはいってるの。みんな持ち主さんが買ってきてくれたのー。」
「……………でも、それを何に使うんだ。美咲さんはエビフライにチョコをかけるんだぞ?」
「でも〜、僕はそれで食べたいんだもん。その人が僕のじゅんびしたましゅまろとか食べなくっても、僕が食べるのー。あ、でもちゃんとお手伝いしたあとにだよー?」
いくら愛があるとはいえ、お子様の蘭がこの辺の事情を理解するのはちょっぴり難しいようだ。ピクニック気分で足取り軽く進む蘭を見て、朱姫も少し元気になったようだった。
「そうだな、料理は楽しくなくちゃいけない。私も肩肘張らず、蘭みたいに純粋に楽しもう。」
「おねーちゃんもがんばるんだ! 僕もがんばるよ!」
「よし、行こうか。彼女が待ってると悪い。」
ふたりは足早に目的地のマンションへと歩き出した……
ところが……ふたりの到着を待たずして、すでに調理は始まっていた。
美咲の玄関には二組の靴が行儀よさそうに並んでいる。ひとつは男もので、もうひとつは小さな小さな女性ものだ。すでにこのふたりは台所と部屋のテーブルに食材を並べていた。
「天音神さんもカーラさんも、今日と明日はご迷惑をおかけします〜。」
「いいってことよ。しかしこんな美人でかわいい娘が手作りチョコ作るなんて、その駿介っていう奴は幸せもんだな。しかも好物を掛け合わせるっていう発想が泣かせるじゃないか……なぁ、カーラさん。」
「私も最近、ニホンのバレンタインの風習を知りました。私も亭主のために作ろうと思っていたのですが、美咲さんのお話に感動したのでお手伝いさせてもらおうと……明日、美咲さんのご心配を取り除ければさらにいいのですが。」
長身の男の天音神 孝と、金色の髪と青い瞳の美女のカーラ・ギリアムの会話は続く。自分の行動をべた褒めされている美咲はもうそれはそれは有頂天で、明日の失敗をまったく気にしていない余裕に満ち溢れた様子だった。鼻歌を歌いながらさいばしを振り、さらにたくさんのエビフライを作っていた。このふたりの入り知恵もあって、彼女は予定していた以上に大きなお皿で愛情表現しようと計画を変更したのだ。てんこもりになったホカホカのチョコレートフォンデュエビフライを想像するだけで美咲はウキウキしてしまう。
調理にいそしむ彼女の後ろに控えるふたりは興味深そうにその様子を見ていた。だが、孝が何を思ったのか首を潜めてカーラに小声であることを聞き始めた。
「カーラ、あのチョコレートフォンデュエビフライっておいしいものなのかなぁ?」
「え……おいしいと思いますわ、きっと。あんなに嬉しそうに、あんなに楽しそうに作ったものがおいしくないわけがありません。」
よく聞けばカーラの返事は質問の回答になってない。しかし、孝はなぜか妙に納得した様子で頷く。
「いや、変なことを聞いて悪かった。あんまり聞いたことのない料理で……その、チョコエビフライっての。まぁ信じるかどうかは別だが、俺はこの世界の人間じゃないからあんまり味覚の質問をされてもわかんないんだよな〜。味見もしないうちから適当なこと言ってたら、肝心の明日に響きかねないと思ってな。それで確認してみただけだ。」
「そうでなくともおいしくなりますよ、あの料理はきっと。」
「そうだよな! まぁ、俺は組み合わせる前のものはどっちも好きだしな! 『1+1=2』ってなもんだ。」
疑問を勘違いで処理してしまった孝、そして知りもしない料理を愛情でおいしくなると断言するカーラ。美咲の応援団としては素晴らしいとしかいいようのない人選だ。そんなふたりにまたも強力な援軍がやってくる。朱姫と蘭だ。しばらく揚げ物の音が響いていた台所に来客を告げる呼び鈴が鳴らされた。
「あ、手が離せないんでどうぞ〜。零さんからお話は聞いてますから〜。」
「あらあら……皆さんもたくさんの荷物をお持ちですのね。お手伝いしますわ。」
「あっ、お前ら……!」
カーラはビニール袋を抱えたふたりを見て、住人の代わりに世話を焼く。一方の孝は見たことのある人間が現れて驚く。その声を聞いて負けじとふたりも驚くのだった。
「誰かと思えば孝じゃないか……って、また食べ物の依頼だな。そういう仕事だけを狙ってるのか?」
「痛いとこを突かれたので、ノーコメントとさせていただきましょ。」
「だったら僕といっしょにましゅまろチョコ食べよーよ。いっしょに作ろうよー。」
「孝さん、おふたりとはお知り合いなのですか?」
「ああ、姉ちゃんが矢塚 朱姫で、坊ちゃんが藤井 蘭だ。名前で呼んでやればいいよ。」
「そうですか。私はカーラ・シェランと申します。朱姫さん、蘭さん、よろしくお願いします。」
カーラが限られたスペースで小さくお辞儀する。さすがに主人を含めて5人もの人間が台所に並ぶと手狭になった。孝は明日が本番と言い切って、奥の部屋に引っ込んでしまった。そこには彼が用意した食材が並んでいる。しかしそれは今日使うわけではない。明日、誰もが予想し得ない手段のためのものだった。
朱姫はすでに料理を始めている美咲の姿を見て慌てて持ってきた食材を見せる……そのパックにはエビが行儀よく並んでいた。てんこもりのチョコエビフライを目指している彼女にとってこれは心強い。思わず喜びの声を上げる美咲だった。
「ありがとう朱姫さん! これで明日はバッチリだわっ!」
「喜んでもらえて嬉しい。さて、私も調理を手伝おう……何でもいいから言ってくれ。あ、蘭の分はしばらく待っててくれないか。メインディっシュが完成するまでは美咲さんも安心できないだろうからな。」
「うん、まってるよ〜。」
「蘭くんは何を持ってきてくれたの〜?」
「ふるーつとか、ましゅまろとか……」
「そうね、チョコレートフォンデュが余るともったいないから、蘭くんはそれを作って食べればいいよー。」
「うん、ありがとうみさきおねーちゃん! でもね、僕はちょことエビは別々にたべたいの〜。そっちのほうがおいしそうでしょ。それにエビフライにはソースがあうと思うのー。」
「こっ、こらっ……蘭、そんなこと言うもんじゃないぞ。」
率直な意見を無邪気に述べる蘭を諌める朱姫だが、それを聞いていた美咲は落ちこまなかった。それどころか、蘭にちゃんとした説明をする。
「そうだね、蘭くん。ホントは別々の方がいいかもね。けど、駿介さんは明日誕生日とバレンタインデーを同時に迎えるの。だから今回は一緒にするの。蘭くんはエビフライを普通に作って普通に食べる?」
「あ……そうなんだー。持ち主さんが言ってたとおりだ! どんな料理でもみさきさんのきもちが入ってたら、きっとその人も食べてくれるとおもうの。だから僕が何を食べても何を言っても、みさきさんの思ったとおりにしてほしいの。きもちが大切なのー。」
「そっか……気持ちか。ありがとね、蘭くん。なんか私、安心しちゃった。」
「さ、皆さん。早く作らないと明日に間に合いませんよ。がんばりましょう。」
カーラが美咲たちの背中を押し、調理を再開させた。そして彼女は蘭の袋を持って向こうの部屋のテーブルでいちごのへたを取ったりする作業をみんなでやろうと言う。蘭も孝も頷いて、それぞれがそれぞれの仕事をやり始めた。すでに煮えた鍋が心地よい音を立てながらチョコをいい感じに温めていた……蘭は気づくことはないだろう。すでにチョコレートフォンデュが美咲の手で作り終えていたことこそ、彼の最大の幸運であるということを。そして今からは最大の不幸だった。あの朱姫が包丁を握ったその時からすべてが始まった。何も知らない美咲は遠慮気味に調理の指示を出していくのだった……
「ああ〜ん、珍妙な料理ぃ??」
「零が聞いたことをそのまま近くの人間に言い触らしたから何とも言えんがな。俺の印象では明らかに珍妙な料理としか思えない。」
夜もとっぷりとふけた東京の街中で携帯片手にやたらでかい声で話すジャパニーズマフィア『GOKUDOU』が道を闊歩していた。気合いの入ったパンチパーマに青縞のスーツ、そして自己主張の激しい赤いシャツを着こなすこの男……彼は全国、いや世界を股に掛ける和歌山出身のやくざだ。舎弟や部下や一般世間には『カレー閣下』と呼ばせている。本名は神宮寺 茂吉となっているが、今回はあえて『閣下』と表現する。
彼の生きがいは『究極のカレー様』を追い求めること。彼が愛するのはカレーのみだ。それを追い求めて三千里など当の昔に飛び越えた。今日もそのレシピを目指し、せっせと近場の草間興信所に電話をかけて情報収集しているのだが、珍しく料理に関する話に巡り合った。電話の主は草間探偵だ。零はお茶を入れているために席を外していたところに電話をかけたらしい。閣下はマヌケにも『珍妙な』よりも『料理』に重点を置いて質問する。
「おうっ、明日は空いてるぜ! というか、カレー様のためならムショも裸足で逃げ出すぜ! もしかしたらそのねーちゃんがレシピを持ってるかもしれないからなっ!」
「やめとけ、悪いことは言わん。一銭にもならない話だし、後から怒鳴られてもこっちが困」
「レシピがあるかもしれないとこには、俺がいないといけないわけだぁぁぁ! 俺が直々に参上するぜ……場所は?」
「……………お目当てがなくても俺に怒るなよ。先に断っておくぞ。」
電話の向こうで困った顔をしている草間などお構いなしにさっさと場所を聞き出し、意気揚々と歩き出す閣下。
「明日はそれなりのもんを拝めるんだろうなぁ〜〜〜! おっと、もう涙が出そうだぜ……」
閣下の期待は無駄に大きく膨らんでいくばかりだった……
翌日、美咲の家にやってきた駿介は素直に驚いた。誕生日とバレンタインのお祝いがしたいというから気を遣っておめかしして来たのに、部屋の中には彼が見たこともない人間がたっぷりといたからだ。同じ年の頃の女性に小さな少年、自分よりもワイルドな男に天使のような容姿を持つ美しい女性が美咲を取り囲む。特に孝あたりは駿介に一抹の不安を与えるに十分な存在であったが、残念ながら今回は恐ろしいまでの自己主張を全身から放つ男がテーブルの前にいたのでそんなことも考えずに済んだ。それ以上に不可思議な想像はいくらも浮かんでくるが……
そう、カレー閣下だ。カレー閣下がスプーンを持ってその輪の中に混ざっていたのだった。
美咲をはじめとする蘭やカーラあたりの『のほほん組』は何も気にせずパーティーを楽しもうとしていたが、孝と朱姫は、駿介と同じ仕草をせわしなく繰り返していた。ちらっちらっと視線を飛ばしては何かを考え、そして結論が出ないまままた閣下を見る。そんな状況がずっと続いていた。なぜヤクザなのか。なぜスプーンなのか。なぜナプキンなのか。なぜそんなに目が輝いているのか。閣下以外にその気持ちを察する者は誰ひとりいなかった。
彼氏である駿介がやってきたのを合図に、朱姫が席を立った。台所の端に隠してあったチョコエビフライてんこもりの皿を取りに行ったのだ。その間、美咲が駿介にお祝いの言葉を恥じらいながら伝える。
「駿介くん、お誕生日おめでとう!」
「ありがとう美咲ちゃん……で、こ、この皆さんは……???」
「私の仕事のお友達なの! 無理を言って来てもらったの。でもちゃんと駿介くんの誕生日だって伝えてあるし、別に遠慮しなくていいよ!」
「ど、どうも……柊 駿介です。美咲ちゃんがお世話になってます。」
とりあえず珍妙で統一感のない集団に頭を下げる駿介。そんな彼の目の前に白い布で覆い隠された大皿がやってくる。駿介の視線はそれに釘付けになった。しかし、その不思議そうな表情は特に目新しいものではない。部屋に入った時からしている普通の顔だ。朱姫はいそいそとそれを運ぶとなぜか自分の場所に戻らず、台所に通じる通路に立っていた。
「でかっ! おおおおおおおお……こう、てんこもりってのは初めてだ……」
「あんたもそう思う? そう思うよなぁ〜。さすがにこのボリュームは迫力があるっ!!」
「昨日はがんばりましたものね〜。たくさんになりましたわ。」
「おーいおいおい……か、かあちゃん。おらぁ、ついに見つけたって〜〜〜。でもなんでやろ、あの芳しい匂いがまったくしーへんのは……」
完全に勘違いしている閣下の発言をそのまま受け止めた孝とカーラは感慨深げな反応を返す。それをさらに勘違いして大喜びする閣下。だが、その鋭い嗅覚だけは間違っていなかった。そしてついにメインディッシュが目の前で開かれる。
「駿介くん、今日は誕生日とバレンタインデーだから、とっても素敵な記念日だよね。だから私、愛情込めて料理を作ったの!」
「へ〜〜〜、嬉しいなぁ。で、どんなの?」
「これ!! じゃ〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!!」
白いベールが開かれた瞬間、駿介と閣下の顔色がグランブルーになった。あのマリアナ海溝よりも深い蒼に染まるその顔は群青になるまで変色した。目の前には、赤いしっぽを残したあのフォルムがチョコレート漬けになっている様が広がった。その数はどう考えても100匹以上いる。そんなふたりにとってもっとショックなのが周囲の反応だった。
「駿介くんの大好きなエビフライと〜、バレンタインのチョコを合わせて作ったチョコレートフォンデュエビフライよ!」
「おおっ、うまそうにチョコかかってるじゃん!!」
「衣を崩さずにチョコがかかっていますわね。きれいですわ……」
「ちゃんとできてるにきまってるよー。みさきおねーちゃんがいっしょうけんめい作ったんだもん。」
駿介の脳裏に『陰謀』という言葉がよぎった……これは罠なのか、それとも美咲の絶縁宣言なのか。ドッキリなのか、根性試しなのか。もはやそんな判別はつかなくなっていた。
「それじゃ、いただきまーーー」
「ダメじゃないか、孝。まず最初は彼氏が食べないと意味がないだろう。その後でご相伴に預かるんじゃなかったのか?」
「朱姫はよくできた娘だな〜。ま、それが道理ってもんだがな。さーさ、駿介よ、俺も早く食べたいからひとつだけでも食ってくれ。」
「そうですわ、早く食べていただかないと……」
閣下の脳裏に『鉄砲玉』という言葉がよぎった……今まさにこんな油ぎっててマズそうなものを食おうとする若いのを見て、どうしてもその言葉を思い出さざるを得なかった。自分の10歳若い頃を思い出しつつ、彼は静かにスプーンを置いた。さっきまで食べる気まんまんだった閣下のヘコみぶりを目の当たりにした駿介はぐうの音も出ない。美咲は小皿にチョコエビフライを3匹取り分けて、自分の手のひらから小さな火炎を出し、即席オーブントースターのように温め始めた。
これには立っていた朱姫も驚く。実は彼女が廊下の前で立っている理由はふたつあった。ひとつは彼氏が逃げ出さないように退路を断つこと。そしてもうひとつは自分があのエビフライを食べずに済まそうとすること……朱姫は彼女にエビフライを勧められても冷めているのなら我慢して食べられると踏んでいた。しかし、彼女の能力を知った瞬間、食べられない自信が身体中を襲った。そして絶対にここから離れないと心に誓った……
「はいっ、あ〜〜〜〜〜〜〜ん♪」
「ああっ、あ〜〜〜〜〜ん???」
美咲の好意を疑問符で返す駿介。フォークに刺さったエビフライの先端から今にも溶けたチョコが流れ出しそうだ……しかも小粋に衣が音を立てているのがさらに辛い。エビフライから視線を外したいが、周囲の視線はすべて駿介に向けられている。例外として閣下は床をじっと見つめて震えていたが。
食べないわけにもいかない……狂おしいまでに笑顔の美咲からすべてを判断した駿介はそのまま一口でチョコエビフライを食べる。口いっぱいに広がるカカオの風味……直後、顔色と同じ海の匂いをすべての嗅覚で感じてしまった彼は喉を鳴らした。
「うんぐわぁ……」
「駿介くぅん……おいしい?」
「ウン、オイシイ……」
「やっぱりそうでしょ、しゅんすけおにいちゃん。よかったね、みさきおねーさん!」
真横で彼女にそんな顔をされてオイシイと言えない彼氏の顔を見てみたい……駿介は気が遠くなりつつも立派な返事をした。三途の川を渡りきった彼にさらなる恐怖が襲いかかる。自分の彼女が笑顔で次々とエビフライを小皿に取り、それを火炎で温めるのを見て彼はすべてを諦めた。
有頂天の本人を見て、外野も一安心。孝は自分の割り箸を使ってエビフライをごっそり自分の皿に取ってしまうと、自分で用意した梅干やいわし、サバの味噌煮などを広げ、それらと一緒に召し上がり始めた……
「それではっと。俺もご相伴に預かるか……おい、お前も遠慮してないで食えよ。」
「お、俺……こっ、こんなの食いたくねぇ……なんで混ぜるんだよ、この女ぁ……」
「なんだ、気合い入ってるのは服と頭だけか……もぐもぐ。」
「あんだとぉ、俺様はカレー閣下様だぞぉ?! こんな人間の食えないものなんか……ぐえろえっぷ。お、お、お前、そんなもんと梅干と一緒に食うなぁぁぁ!!」
「うまいもんはどんだけまとめて食っても……んぐんぐ。うまいもんだねぇ。これでおしるこがあったら最高。」
理不尽がスーツを着ているような閣下までもが孝の食べっぷりに閉口した……もちろん朱姫も口に手をあててそれを見ている。彼女はもはや壁に背をつけていないと立っていられない状態だった。とにかくこの珍妙な食物を味わっているのは駿介と孝だけだ。蘭は昨日、別に作ってもらったフルーツとマシュマロのチョコフォンデュをおいしそうに食べていたし、カーラはニコニコしながらカップルの様子を見ているだけだった。
そんな状況にプッツンしたのは閣下だった。自分が想像していたものとはあまりにもかけ離れたものが出てきたのが我慢できなかったのがよほど腹に据えかねたのだろう。いきなり立ち上がって美咲の近くに詰め寄ると、ドスを聞かせて叫ぶ。
「てめぇほどの規格外なら究極のカレー様のレシピのありかを知ってるんじゃねぇのか、ああん?! もしくはそれに近いものを作り出しちゃったりできるんじゃねぇのかぁぁ?! 俺にっ、俺にカレー様を作ってよこしやがれ、この天然がぁぁぁ!!」
「え、カ、カレーですかってやめて下さいっ、胸倉をつかまないでっ! いやーーーーーっ!!」
「あ、あ、あ、あじあじあじ……て、てめぇ、俺のパンチを焦がしやがったなぁぁっ! 万死に値するぜぇ! 俺ぁ、ヤクザだ! やってやるぜ、やらいでかぁぁ!!」
閣下は怒れる気持ちを手に集中させ、カレーピラフつぶてを炸裂させる! そのいくつかはチョコレートエビフライにあたり、空中に黒い衣が舞い上がる……美咲もさすがにこれを止める術を知らず、そのいくつかを身体に受けてしまう。カレー閣下の怒りは誰にも収められそうにもないと思われたその時、後ろから孝が彼の全身をつかんだ。
「わかったわかった、カレーなら駅前にあるから。チョコエビフライとアツアツカップルがかわいそうだから、さっさと出ていけよ。」
「なっ、なんだこのバカ力は……おい離せっ、俺はヤクザだぞ!」
「蘭、悪いけど……そこのベランダの窓を開けてくれ。落とすわ。」
「は〜〜〜い。」
孝の力はすさまじく、閣下の力ではびくともしない。そんな彼がついに星になる時が来た。大きく開かれたベランダから、閣下がぶっ飛ばされてしまう……
「離せっ、離せやおえぇーーーっ!」
「駅前あたりで失速するようにしておいてやるから。んじゃあな……うおぉぉぉりあぁぁぁっ!!」
「あああぁぁぁぁ! そんな勢いつけて離すんじゃね、えぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜ーーーーー……………」
閣下は新たなる旅に出かけた……
あれから1時間経った。駿介は何本もエビフライを食べて胸が悪くなっていた。何度もトイレに駆け込もうとしたが、いつも朱姫が邪魔をして逃げさせてもらえない。ある時は山のような食器を抱えて立ちふさがり、ある時は「おいしいでしょ?」と笑顔で責められたり……再び陰謀の匂いが部屋中に充満する。
そんな苦しい状況の駿介だったが、素朴な疑問が頭に浮かんでいた……確か食べているのはチョコエビフライなのにある1個はイモの味がしたり、またある1個は少ししょっぱいものがあるような気がしていたのだ。それが気のせいではないことは孝のおかげで証明されていた。もちろん孝は嬉々として食い漁っているのだが、確かにそれを匂わせるセリフを何度も口にしている。
「凝ってるな〜、美咲ちゃん。なんかこれ、キムチみたいな味がするよ。チョコがかかってるのに。」
(「や、やっぱり……俺のもなんか別の味のするのがあるんだけど、気のせいじゃなかったんだ……」)
実は、その謎のチョコレートフォンデュエビフライは朱姫作のものだった。同じようなエビと調味料しか使っていないのに、なぜかいつのまにか別の味を引き出している。一口も食べていない彼女はそんなことはあり得ないと信じて疑わない。きっと食べ物に当てられたんだと思いこんでいた。
そんなこんながあって、彼氏の苦行は続く。その時、あろうことか美咲が温めたエビフライをカーラに分けてしまったのだ! 今までおいしいと思い込んでいたカーラは勧められるがまま、それにフォークを伸ばす……
「カーラさんもおひとついかがですかぁ〜?」
「ありがとう美咲さん。それではいただきますね……あら、衣がさっくりしてておいしそう……」
「いけるいける。カーラさんよ、やっぱり1+1=2だわ。うまいぞ。」
「カーラおねーちゃん、ニコニコしてるだけだったしー。ちょっとくらいもらって食べてもいいんじゃないの?」
みんなの勧めを聞きながら青い顔をして見つめる朱姫……その心配を知りもせず、静かにフォークを口に向け少しかじった。そして流れるような動作で再び小皿にフォークを置くカーラ。その様子を見て、美咲と孝が同時に聞いた。
「ね、おいしいでしょ?」
「おいしいだろ??」
カーラはいつものように微笑みながら静かに頷いた……その反応を見て満面の笑みを見せるふたり。再び食べたり食べさせたりし始めた。
あの微笑みのまま、首を傾けたまま、カーラはその日二度と動くことはなかった。そう、彼女はあまりのマズさに一口食べただけで気絶してしまったのだ。能天気な連中はそれに気づかなかったが、朱姫はすぐにそれを察知した。そしてこの後、絶対に大混乱になるだろうと信じて疑わなかった。ここにいればいずれ自分もこんな目に遭ってしまう……そう思った彼女の行動は早かった。
「よかったよかった。さ、さて私も自分の彼にチョコを渡しに行かないといけないから……そ、そろそろ帰る。蘭、暗くなったら孝に送ってもらえ。」
「は〜〜〜い! またね、おねーちゃん!」
「任せとけって、満腹を知らない男だから途中で寝たりしない。責任持って送るぜ。」
「朱姫さん、今日は本当にありがとう! 朱姫さんもがんばってね!」
「……………あ、ありがとうございます。」
「じ、じゃあ……お先に……」
カーラからの反応を確認する意味で話を振った朱姫だが、やっぱり返事がない……朱姫は荷物を抱えて急いで玄関に向かい、鍵を開けて外へ向かった。彼女は後ろを振り返らず、ただ罪悪感に似た気持ちを抱えたままドアを閉める。この後、いったいどうなってしまうのだろう。孝と美咲はどうでもいいとして、蘭もあれを食べるのだろうか。カーラは後で起きるのだろうか。カレー閣下はちゃんと着地できたのだろうか。そして……あのカップルは破局を向かえないだろうか。
さまざまな心配を部屋の中に残して、朱姫の押した玄関のドアは重い音を立てて閉まるのだった……
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1990/天音神・孝 /男性/367歳/フリーの運び屋・フリーター・異世界監視員
0550/矢塚・朱姫 /女性/ 17歳/高校生
2163/藤井・蘭 /男性/ 1歳/藤井家の居候
1747/神宮寺・茂吉 /男性/ 36歳/カレー閣下(ヤクザ)
1586/カーラ・ギリアム/女性/ 13歳/守護天使
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■ ライター通信 ■
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皆さんこんばんわ、市川 智彦です。バレンタインを意識した作品です。
ジャンルで言えば……ゲテモノ?(笑)
今回は初のゲームノベルに挑戦してみました。いかがだったでしょうか?
いつもよりかは物語風にまとめることを意識して書いてみました。
キャラクターの皆さんがみんなバカやってるように見えたら幸いです(笑)。
本当にバカなNPCにお付き合いくださいましてありがとうございます。
今回は本当にありがとうございました。またこのシナリオの続編で……?
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