■天使の誘惑■
里子 |
【1431】【如月・縁樹】【旅人】 |
持ち込まれたその石像は実に形容しがたい形をしていた。
「まあ天使で正解でしょうね。尤も」
これが天使だとするのならこの世も終わりという気がするけど。
そうつけたした麗香に、草間は全くだと頷く。
まあその位に、正気じゃない印象の石像だった。
小さな手に矢を番え、体には布らしきものを巻き付けた巻き毛の幼児。背中には勿論可愛らしい翼。確かに天使像だが、たった一点のおかげで見るも無残に天使とは別の生物に成り下がっている。
「……見事にエロ親父と言うかヒヒ爺というか……」
「せめて中年男性といってやれ」
「同じ事よ」
その天使像、表情だけが子供ではない。鰓ばった顎に長い鼻の下、小鼻を膨らませており、目尻も眉もだらしなく垂れ下がっている。それこそ見事に中年エロ親父がフーゾク等で見せる表情そのものだ。
「それで一体なんだって言うんだ?」
「それなのよ」
ふうと麗香が溜息を落とす。
この像は取材先からの献上物らしい。元々は公園の広場前に据えられていたものだったそうだ。
「これが設置された当時の写真」
そう言って麗香はひらんと写真を示す。案の定というべきかその写真の天使は現在とは顔が違う。愛らしい子供の顔だ。それを眺めた草間は驚きもせずに鼻を鳴らした。
「表情が変わる石像か」
麗香は零の淹れてくれたコーヒーを一口口に含み、更に説明を続ける。
「その公園が有名なラブスポットだったらしいわ。誰が広めた噂だか知らないけどね、この天使の前でキスした恋人同士は幸せになれるって話があって。よくある話でしょ」
「効果は?」
「不明。ただ、別の効果がね」
麗香は草間のデスクの上の天使像を裏返す。羽の下辺りに、多数の小さなハートマークが刻まれている。
「全部で今は997あるわ。背中から足の裏にまで細かく細かくついてるのよ」
「ほほう」
嫌な予感を覚えて草間は後ずさる。麗香はそれに全く構わなかった。
「この中年天使の前でキスすると増えるのよ」
「……ほほう」
「ついでにこの天使の前にいると、したくなるわね。一度するともう効果はないみたいだけど」
「…………ほほう」
草間の頬から冷や汗が流れ落ちた。
「それからのみも包丁も万年筆も効かなかったわ。ヒビ一つはいらない」
「………………ほほう」
「宜しく」
「……………………待て」
にこやかに立ち去ろうとした麗香の肩をがしりと草間が掴んだ。しかし草間は振り返った麗香の顔を見て激しく後悔した。
鬼のほうがまだ優しい冷ややか過ぎる微笑がそこには浮かんでいる。
「と、いうわけだから宜しく。どんな手を使ってもいいから廃棄して頂戴」
「あ、ああ」
一度するともう効果はないということだった。つまりそれは麗香が既に犠牲になったと言う事でお供を本日は連れていないというところから察するに……気の毒過ぎて目も当てられない。
麗香は冷気を発しながら悠然と去った。
「……と、言われてもな」
草間は中年親父天使から視線を外して頭を抱え込んだ。
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天使の誘惑
バタンと無慈悲にドアは閉められた。
その後を追う根性など誰にもない。誰だって麗香の怒りの余波を食らって氷漬けになどなりたくないのである。
そして訪れたのは重苦しい沈黙と、親父な天使像のみ。
「……叩き割れそんなモン」
真っ先にボソッと口にしたのは冴木・紫(さえき・ゆかり)。極貧フリーライター様は容赦無く言い切る。
「だいたいオヤジ顔の天使像なんて売ろうにも売れやしないだろーし。ってことは存在そのものが無駄なのよ無駄!」
そこかそこなのか。
知人であるところのシュライン・エマ(しゅらいん・えま)と真名神・慶悟(まながみ・けいご)の二人は今更突っ込むでもなくがっくりと肩を落とす。
シュラインは早速、今日のほかの客は断ってもらうように零に言いつけて、とりあえずの興信所の安全を確保した。ある意味これから起きるであろう惨劇を誰よりもよく理解しているのは彼女かもしれない。
また幸か不幸かこういう日に限って人口密度が高かったりするから目も当てられない。
ところでねえちゃんどうよ? とシュラインの肩に手を回した佐久間・啓(さくま・けい)が、シュラインと草間の両方から肘鉄を食らって沈黙したがそれは兎も角。
「うわ……この天使はいくらなんでもヤバすぎるだろ。この表情は犯罪だッ!」
迂闊にも天使像のライブまん前。藍原・和馬(あいはら・かずま) 。長い人生でこんなピンチは早々お目にかかれるものでもない。逃げようにもドアの前では草間は何処へ行くとばかりに仁王立ちしている。きっぱり逃げ場がないところへ持ってきて、その親父天使の顔を直視するとむらむらと殺意が沸いてくる。調度叩き壊せと喚く女の存在もあることである。もうこの際これしかないかとばかりに和馬はバキバキと指を鳴らして親父天使に向直った。
「はいはい、後ろまで下がってねー」
投げやりにいった和馬はそれでも渾身の力を込めて天使像を殴りつける。
バキ。と、とてもとても痛そうな音がした。
「本当に物理衝撃には強いみたいね」
シュラインが拳を抑えて座り込む和馬を見てしみじみと呟く。
「……嫌な予感がするんだが……今の内に札でも貼り付けてやりたいが……」
慶悟もまた尻込みする。何しろ今近寄ったが最後それはそれは不幸な事になりそうな気がするからだ。和馬と。
「うわー大丈夫ですかー?」
と暢気な声を上げて近寄っていったのは後続組。客ではない為に零に通してもらえた如月・縁樹 (きさらぎ・えんじゅ)とその肩に乗ってる怪しげな人形だった。
「あ」
声が人数分。実に無防備に像の前にたった縁樹と手の痛みを堪えて立ち上がった和馬の視線がまともに交差した。
「ちょ、一寸待て!」
「待ちたいのはこっちですー!」
「一寸待て何する気だボクの娘に!」
お前の娘なのかという突っ込みは兎も角。総員固唾を飲んで見守る中、視線を絡み合わせた二人は磁力にでも引き寄せられているかのようにゆっくりを身を寄せ合った。
どうしようもない引力に引き寄せられているようななんかどうしてくれような気分だったのは一瞬の事。
交わす視線の間に花が飛ぶ。
そのままそっと寄り添った二人は人形が喚くのも構わずついでに衆人環視であるというにも構わずその顔を近づける。
「おじさん……」
「誰だかしらんがお嬢ちゃん……」
しっとりと唇が重なった。
「ぎゃー!!!!」
人形が悲鳴をあげたが重なった唇は幾度も互いのそれを軽く啄ばんではまた重なる。
親父天使がにんまりと微笑んだ。
「うっわすげえ」
菓子パンなど齧りつつ完全に傍観者の体制で守崎・北斗(もりさき・ほくと)が呟く。
「落ち着いてるな北斗」
「つかなんでこんなトコ持ち込んだんだろーな。こういう親父面は歌舞伎町界隈にでもおいときゃ帰ってこねーんじゃ?」
「それもそうねぇ」
ライブでナマちゅー見せ付けられた面々は大分度肝を抜かれて脱力状態だ。
そこへ紫があっと小さく声をあげる。
「ねえホントに増えてるわよハートマーク!」
「え?」
不意をつかれた。それが次なる惨劇への第一歩だった。
「あーマジで増えてんじゃん、それになんかにやけ顔も酷くなってねぇ?」
「ほんとねえ。喜んでるのかしら?」
「……面妖もいいとこだな」
「でしょー?」
そうやって好き勝手なことをほざいていた一同は草間の『おいお前等!』と言う声にはたと我に帰った。
つまりその声に驚いて、そしてその事実を確認しようと三人ばかりが近寄ってしまったのだ親父天使に。
二組の男女が。
「……紫……」
「エマさん……」
「北斗……」
「……慶悟兄…………」
「おい一寸待て」
草間が、そして和馬が冷や汗を垂れ流す。
男女二組だが、なにやら組み合わせが、どうにも組み合わせが微妙すぎる。自分のキス自体はあまりいたむところもなかった縁樹もその肩の人形も流石に目を丸くした。
長身で細身の女二人の身体が絡み合う。そっと紫の顎を持ち上げたシュラインは親指の腹で紫の唇をそっと辿る。
「紫……」
「エマさん……」
促されるように目を閉じた紫の上に、シュラインの影が重なる。口紅を塗られた二つの唇がしっとりと重なりあう。シュラインの胸に紫の手は力なく添えられ、紫の腰をシュラインがしっかりと抱いている。
ともすれば崩れそうになる紫を支えるが如くに。
ちゅ……と小さな音だけを重ねる細かな口付けの応酬はやがて互いの唇を割り深さを増した。
そして、
「北斗……」
「あ」
荒々しく北斗を捉えた慶悟はそのまま有無を言わさぬ勢いで北斗の唇を奪う。
ぶっちゅーと。見事に命中した唇は無論それだけに飽き足らず、北斗の唇を割り歯列の奥へと深まっていく。
ギャラリーは発狂寸前だった。
「だあああああっ!!! 片方は兎も角気色わりィんだよテメエらは!!!!」
「犯罪だろ片方は兎も角!」
和馬と啓が二人揃って怒鳴り声を上げる。気色悪くて犯罪な片方とは勿論男二人のほうである。
しかもまたこれが長い。
親父天使の顔を観察すると、にやけては今にも吐きそうな顔になり、またにやけるを繰り返している。
「……なんであんなに嫌そうなんでしょうね?」
「あー……そりゃあなあ」
きょとんと尋ねてくる縁樹に草間は眼前の光景から目を反らしつつ煙草を吐き出した。
シュラインと紫のキスシーンに喜びつつ、男同士のキスシーンに吐き気を催しているのだろう。親父なだけに。
同じく親父に分類される啓と和馬が吼えているのがいい証拠かもしれない。
兎に角その地獄絵図はその後数分間続いた。
討死二人。特に痛痒を感じていなさそうなの二人。
殆どが被害にあったところで、被害者達は天使像を検分した。またハートマークが増えているが、数が合わない。
「おかしいですね? 二回だから二個増えるはずじゃないんですか?」
「そりゃお嬢ちゃん。あれじゃあなあ」
部屋の隅で自閉しきっている青年と少年を示して和馬が肩を竦める。紫とシュラインもまた顔を見合わせた。
「つまりお眼鏡にかなわなかったってこと?」
「そうとしか考えられないでしょうね――それにしても、どうしましょうか?」
疑問はそこへ立ち戻る。現在数は999。1000を迎えれば何かが起こるのかもしれないが。
自閉している二人組みを眺めた縁樹ははたと手を打つ。
「えーとあのお二人はノーカウントだったんですよね?」
「そうだな」
投げやりに和馬が返す。縁樹はこくんと頷くと、じーっと草間と啓を眺めた。
「だったらもしかして……草間さんとこのおじさんだったら、もっと駄目なんじゃないですか?」
「は?」
「へ?」
草間の口からぽろっと煙草が落ち、啓が目をまんまるに見開く。
成る程と手を打ったのはシュラインと紫が同時だった。
「確かに真名神君と北斗君よりは破壊力大きそうね」
「あんまり見たくない構図だけど、間違いはないわよね」
「オイ……」
「一寸待て冗談じゃねぇぞコラ」
じりっと近付いてくる一堂に、二人はジリっと下がる。
しかし、
「ふ、ふふふふふふ」
「……逃がすかああぁああ!!!」
雄雄しくも被害者二人が立ち上がった。目が完全に据わっている状態でがしっと慶悟が草間を、北斗が啓を捕獲する。
「いけ、行ってこい」
「俺だけ不幸で溜まるかああぁああぁ。ちくしょー俺はなー俺は恋人にだってまだ舌入れてねぇ!」
「待てー!!!!」×2
しかし、
「頑張って下さいねー」
「あー俺先に済ませといて良かったなーしかもそれでも女と」
「まあ……方法も他になさそうだし」
「大丈夫よ減るモンじゃなし」
そして数秒後、空気は完全に凍りつき。
「ぎゃああああああああああああああ」
済んだ後に、断末魔の叫び声が草間興信所にこだました。
そしてばきんと乾いた音を立てて割れた親父天使の像は、それはそれは嫌そーな顔をしていたという。
さてその後。
「寄るな! 寄るな寄るな寄るなうちの娘によるな!」
肩の面妖な人形が喚きたてている。
「いや別にあえて寄りたいとも思ってねーけど」
まあそこそこに見た目のいい女の子ではあるし、和馬にしてみればそこそこ役得である。この世の地獄を見た四人ほどには気の毒だが、まあ満足行く戦渦だろう。
「えーとあのおじさん?」
「どーしたお嬢ちゃん?」
「聞いてなかったんですけど、お名前は?」
顔を見合わせた二人はそこで漸く名乗りあった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0389 / 真名神・慶悟 / 男 / 20 / 陰陽師】
【0568 / 守崎・北斗 / 男 / 17 / 高校生(忍)】
【1021 / 冴木・紫 / 女 / 21 / フリーライター】
【1431 / 如月・縁樹 / 女 / 19 / 旅人】
【1533 / 藍原・和馬 / 男 / 990 / フリーター(何でも屋)】
【1643 / 佐久間・啓 / 男 / 32 / スポーツ新聞記者】
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■ ライター通信 ■
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はじめまして、里子です。今回は参加ありがとうございました。
……石を投げないで下さい。お願いします。
因みに被害度は嫌がりそうな順に上がっております。えーとね。言ったと思うんですよ覚悟の上できて下さいと。
というわけでだから石は投げないで下さい。(脱兎)
今回はありがとうございました。また機会がありましたら宜しくお願いいたします。
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