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■インタレスティング・ドラッグ:2『追跡』■

リッキー2号
【2585】【城田・京一】【医師】
 不思議な、ひびくような歌声だった。
 ブラウン管の中で歌っている彼女は、紅白歌合戦にも出ていなかったし、誰もが知っているというほど有名ではなかったが、そのぶん、カルト的な人気を持っている。
 SHIZUKUという名で呼ばれている彼女の、それは新曲のようだった。プロモーション用のフィルムは、歌う彼女のすがたに、雑多ないろいろな他の映像を重ね、あるいはカットバックで細かく挿入し、コラージュのような効果を狙ったものだった。
 その、目まぐるしく切り替わる画面の中に――
 ほんの一瞬、そのカプセルが映った、ような気がした。
 そして、新たな噂が、ネットワークの中をかけめぐる。
(ねえ、知ってる?)
(SHIZUKUの新曲のプロモーションビデオにね……)
(『ギフト』のカプセルが映っているって――)


 赤と青のツートンカラーの小さなカプセル。
 それが、今、あなたの手の中にある。
 『ギフト』という名の、薬なのだという。飲んだものは、“特別な力”が与えられ、その望みがかなうとされている。
 

「例の猟奇殺人はずいぶん落ち着いたみたいだな」
 草間武彦はくわえ煙草で新聞をめくりながらつぶやいた。
「一過性の――流行り病だったとでもいうつもりか。……それとも、なにかが潜伏し、次の段階へと移る、嵐の前の静けさなのか……」
 探偵の思考は、しかし、突然の電話のベルにさえぎられる。
「はい、草間興信所――ああ、麗香か」
 しばらく、受話器を耳にあてていた草間の顔が、怪訝な色に曇った。
「……おいおい、殺人の次は行方不明か……。案外、もう殺されちまってんじゃないのか。死体が出るまでは殺人事件も失踪だ」
「でもね、消えた人間たちは、どうも、自分の意志で消息を断った節があるのよ」
 電話の向こうで、碇麗香は言った。
「もうひとつ、面白いことを教えてあげましょうか。……いなくなった人たちのほとんどが、その前に、誰かに『ギフト』の話をしていたり、それに興味があったそぶりを見せているのよ」
 麗香が唇に微笑を浮かべるのが、見えたような気がして、草間は舌打ちをした。
「また『ギフト』かよ」


 赤と青のツートンカラーの小さなカプセル。
 それが、今、あなたの手の中にある。
 それを手に入れたいきさつについては、また別の物語になるだろう。ともあれ、どこか不吉な色合いをはらむ噂にいろどられたカプセルが、目の前に存在していた。


 都内某所の、地下の空間では、黒服に黒眼鏡の男たちが、声をひそめて話し合っていた。
「まったく、とんだ『贈り物』ですね。これ以上、あんなものをバラまかれてはたまらない」
「でも、一体、誰が何のために……?」
「さあね。……少なくとも、ただの親切心だということはないでしょうよ」
「IO2が動き出したという情報もあります」
「厄介ですね。物騒なことになりそうだ」
 まさに――
 物騒そのものの、刃をおさめた仕込み杖を片手に、ダークグレーのコートを羽織った、IO2のエージェント、〈鬼鮫〉が、時を同じくして、東京の街を闊歩していた。
 レイバンの奥で、危険な光を目に宿しながら。


 さまざまな人々の運命と思惑を結晶させたような、赤と青のツートンカラーの小さなカプセル――、それが今、あなたの手の中にあるのだ。
インタレスティング・ドラッグ:2『追跡』


 魔が差した――、という言葉がある。
 魔とは何か。
 辞書によれば、人の心を惑わし、迷わせるもの、とある。
 魔は、さまざまなすがたをとるものだ。たとえば――そう、赤と青の、ツートンカラーのカプセルであるとか。
 その夜、城田京一の手の中に、その魔が転がり込んできたのである。
 あやしい風説に彩られた謎の薬……『ギフト』という形をとって。
「あれ、どうしました、城田先生?」
 薬剤師がまだ残っていたのは、城田としては意外だったらしい。ちょっとまずいところを見られたというふうに、彼は視線をさまよわせた。
「眠れないので睡眠薬を」
「……先生、夜勤じゃないんですか」
「冗談だよ。もちろん」
 もちろん、という語に不自然に力がこもる。
「正直に言うと、部屋と器材を借りたい。鍵はあとで私が返しておくから」
「はあ……構いませんけど」
「ちょっと調べたいことがあるんだ。……病理学会の発表が近いんで」
「そうでしたっけ?」
「嘘だよ。もちろん」
 薬剤師がどう受け止めたかは、さだかではない。
 だが、病院とは、ある意味で、つねに秘密が抱かれている場所だ。生と死にまつわる秘密。誰かを絶望させないための秘密。保身のための秘密。
 ともかく深夜の薬剤部にひとりになった城田は、ピンセットを器用に使って、そのカプセルを慎重に開き、中の粒子を取り出す作業にかかった。
 それを彼の元に持ち込んだのは、とある彫師だ。
(彼は医者と研究者の区別もつかないらしい。ま、しかし、興味深い話ではあった)
 彫師から聞かされた、その薬を手に入れるまでの顛末を、城田は思い出している。
 手元は、段取りよく、分析の手順を進めていた。大学を卒業して幾星霜。薬理学の成績は平凡なものだったが、基本的な知識は錆び付いていなかったらしい。これが、最低の成績だった精神医学なら、こうはいかなかっただろう。
(特別な力を与える薬、ねえ……)
 カプセルのデザインは奇抜と言えたかもしれないが、中身は見た所、何の特徴もない白い顆粒だった。
 だが、このとき。
 城田京一の心に、魔が差したのである。

■ からっぽの贈り物 ■

「ではやはり、失踪事件には『ギフト』が関係していると見ていいんですね?」
「十中八九」
 電話の向こうの相手の顔を、常雲雁は想像する。黒眼鏡の男は、片眉をぴんと跳ね上げ、諦めとも憤りともつかぬ微妙な表情を見せたはずだ。
「でも、自分の意志で姿を消したかもしれない、とはどういうことです? なにか、そう断定できる証拠のようなものが」
「むろん全部が全部というわけではないんです。ですが、あきらかにそういうケースもあるということで……本人の書き置きとかですね。そのへんは……実はもっとよく調べている人がいるのでご紹介しましょう。私の今回の情報元もそこでして」
「それは……?」
「『月刊アトラス』」
 八島真は、今や、東京で怪異にかかわるものならば、知らぬものはいない雑誌の名をあげた。

「ええと……」
「藤井百合枝です。……すいません、お忙しいのに」
 そこは、都内某所のある病院である。百合枝を部屋に通した白衣の男は、構わないという意志表示に、てのひらを見せた。どこか、日本人らしくない動作だった。
「麗香くんの紹介ではね。……整形外科なんてそんなに忙しいもんじゃないし」
「そうなんですか?」
「本当のところは知らない。今日の私はわりあい暇だという話でね。申し遅れましたが、城田京一です。よろしく」
 壮年の医師は、くるりと椅子を回転させて百合枝に向き直ると、不思議なブルーの瞳で、彼女を見た。
「ええ、実は、調べていただきたいものがあって」
 言いながら、百合枝はピルケースを取り出した。
 そして同時に、ちらりと、医師の顔を盗み見る。どことなく奇妙な印象の男だった。たぶん四十代くらいだろうが、妙に若々しいし、それでいて、なにもかもをわきまえているぞと言わんばかりの、落ち着きを持っている。
(…………)
 ほんの一瞬――『炎』が見えた。百合枝が見たこともないような、それは冷たい色の炎だったことに、彼女は驚く。
「ほう、これはこれは」
 ケースの中身を見て、城田はひどく愉快そうに言った。
「知ってるんですか?」
「知っているもなにも!」
 城田の声は弾んでいる。
「まさについ昨日のことだよ、知人からこれと同じものの分析を依頼されたのは。彼はこれを、超能力を持った殺人者から入手したのだと言っていた」
「これは一体、何なの?」
「たしか、『ギフト』というのだそうだね」
 百合枝は頷く。
「化学的に見れば、これはからっぽの贈り物なんだよね」
 からっぽ。
 百合枝はあの夜、出会った山高帽の男を思い出した。心の中がからっぽだった男。城田の言葉は、どこかしら不吉に響いた。

 その頃、白王社アトラス編集部の一角には、香ばしい中国茶の香りがただよっていた。
「……甘味があるのね」
 一口飲んで、麗香は目を見張る。
「いいお茶はそうなんですよ。お気に召しました?」
「今度、お店に行くわ。ええと……」
「常雲雁」
「失踪者の資料だったわね」
「自分の意志でいなくなったというのは、本当なんですか?」
 麗香の答は、無言で手渡された資料の束だった。
 雲雁がそれを繰るあいだ、麗香は、彼が茶とともに持ってきてくれた茶請けの、干マンゴーを口に運んでいた。
「なるほど。独り暮らしの部屋を引き払ってから姿を消した人もいるわけですね。この人の場合、いなくなる前に故郷の両親に連絡を入れている」
「ああ、それ、妙でしょう?」
「就職先が見つかった、と言っていますね。こっちの人も、転職を理由に突然、家を出ている。転職先は……シルバームーン社。これは、問い合わせてみても、該当者がいなかった、と」
 雲雁は腕を組んだ。
(八島さんの話だと、『ギフト』が人に超能力を与え、殺人事件はその力を持ったひとたちの仕業だった。……今、殺人事件はやんで、かわりに人が消え始めている。『ギフト』で力を得たひとたちなんだろうか……それにあの『ボウシヤ』……)
「碇さん」
 茶館の青年は、口を開いた。
「『ギフト』の製造元を、なんとかしてつきとめたいと思います。そのためには、『ボウシヤ』に会うしかない」
「謎のドラッグの出所を探る――いい記事になりそうね。いいわ、今、こっちで掴んでいる情報は全部、提供する」
 麗香は言うのだった。

■ 『ボウシヤ』追跡作戦 ■

 水銀灯の明りが、城田の横顔を照らし出す。
 午後十一時の、人気のない公園だ。
 水の停まった噴水べりに立っている彼を、遠巻きに、物陰からうかがっているのは、雲雁と、百合枝だ。百合枝がジーンズにスニーカーという、動きやすい格好をしているところに、彼女のある種の決意が見てとれる。
 城田の病院を辞して、アトラス編集部に戻ろうとする百合枝の後を、医師は追い掛けてきた。前日が夜勤だったので、このあとはフリーだというのだ。青い瞳が、好奇心にきらめいていた。
 そして白王社に戻ったふたりは、そこで、ひとりの中国人の青年を紹介される。『ギフト』について調べているという、常雲雁である。
 かくして、にわかにこの作戦が組み上がったのだ。
 百合枝と雲雁は、いちど“かれら”――何者かはわからないが『ギフト』を配布しているとおぼしき連中――と接触している。それで、城田が囮に立つことになった。
「……常さん?」
「雲雁でいいですよ」
「……雲雁さんは、どうしてだと思う? 『ギフト』はどうしてタダで配られているのかしら」
「確かに……麻薬というものは普通、高額で取引されるものだけど……かれらはお金が目的じゃないんでしょうね」
「自分はともかく、他人に“特別な力”を与えていくことに何の意味があるの?」
「さて。……城田さんは何と。お医者さんなんでしょう?」
「成分を調べてもらったの。でも、意味のないものだって言ってたわ」
「意味がない?」
「専門的に解説してくれたけど忘れた。抗鬱剤に似ているけど、実質、飲んでも何の効果もないって」
「飲んでも何の効果もない……」
「でも、実際にそれで“力”を持った人はいるのよね。しかも、得られる力は人によって違うみたい」
「そうか……もしかすると、『ギフト』で力を得た人がいなくなっているっていうのは――」
「しっ、来たわ!」
 百合枝と雲雁はいちどだけ見たことのある山高帽をかぶった、男のシルエット。フロックコートを着た、中年の男だ。
「与えられることを望むのか」
 男の、奇妙に抑揚のない声が告げた。
「もちろん」
 はしゃぐのをこらえきれない子どもの声で、城田は応える。
 山高帽が頷き、コートのポケットから、それを取り出した。
 水銀灯の灯りが照らし出したのは、赤と青の、ツートンカラーの小さなカプセル――。 城田は手を出す。男がその手の中に、ひと粒の薬を、ぽとり、と落した。
「『急々如律令――とく参じよ、十天を渡るもの、九里に声を響かせるものよ』」
 ささやくような、雲雁の呪文。
 夜空を裂いて、青白い輝きに包まれた鳥のような影が飛ぶのを、百合枝は見た。それは、立ち去ってゆく山高帽の男の後を追う。城田が頷く。三人は走った。
「さあ、早く乗って」
 待機させておいた車に乗り込む。運転席に城田。助手席に百合枝。後部座席に雲雁だ。滑るように、車がなめらかに発進した。真夜中の追跡劇の、はじまりだった。
「南南東です」
 雲雁が告げた。城田がハンドルを切る。
「あのトラックだわ」
 百合枝が言って、フロントグラスの向こうを指さす。
「そうか。ちょっと離れよう。今は視界に入らなくても尾行できるわけだから。……あれは鳥なの?」
「青鸞です。霊鳥ですよ」
「どこに向かっているかわかる?」
「このまま行けば……汐留のほうだね。東京湾かな」
 百合枝は緊張を隠さない。雲雁が落ち着いているのは、経験ゆえだろう。城田は……、むしろ楽しそうだった。
「音楽かけてもいいかい?」
 答をまたず、カーステレオのスイッチを入れる。場違いなBGMが流れ出した。

 そして――
 どのくらい走っただろうか。目標は、海辺の倉庫街へと消えていった。
「ここからは車じゃ目立つ。歩いたほうがいい」
 そういって、城田は車を止めた。
 街灯がないので、周囲はひどく暗い。雲のあいまからこぼれる月だけが頼りだった。
「あの建物だ」
 立ち並ぶ同じ形の倉庫のひとつを、声をひそめて雲雁が示した。見れば、屋根の上を、あの不思議な鳥が旋回しているのが見てとれる。倉庫には大きなシャッターがあったが、むろん、ぴたりと閉じられている。その脇のドアが出入口であるようだった。城田が、ドアの前にかがみこむと、どこからか取り出した器具で、鍵を開けはじめる。
「ねえ、聞いてもいい?」
「なにかね」
「あんた……お医者さんよね」
「医師免許を見せようか? さあ、開いた」
 医師のピッキングによって開いた戸口から、三人は忍びこむ。
「誰もいないみたいだ。人の気配がない」
 雲雁がささやく。百合枝も闇に目をこらすが、人の感情を意味する『炎』が見えない。
「じゃあ明りをつけよう」
 城田が用意してきた懐中電灯のスイッチを入れた。
「えっ……!」
「あ、ああっ!」
「なんと――」
 その光の輪の中に浮かび上がったものを見て、三人は口々に驚きの声を発した。
 倉庫の中の、天井の高い、広い空間には、果たして人がいたのである。
 いや、人、といってもよかったのだろうか。
 人のように見えるが、人であるとは思われなかった。
 ずらり――、と、整然と一方向を向き、隊列でも組むかのようにして、ぴくりとも動かずに静止し、立ち並んでいるもの。
 それは、すべて寸分違わぬ同じ顔をもち、同じ服装をした人間のように見えるものたちだった。すなわち、山高帽の男たちの群れが、じっと、まばたきせぬ目を見開いたまま、暗い倉庫の中にいたのである。

■ ベイエリアにて交戦中 ■

「なに、これ……人形――?」
 愕然と、百合枝は呟く。そうだ、人形ならば、心はないはずだ。
「驚いたね」
 城田は『ボウシヤ』の一体に歩み寄り、ぺちぺちとその頬を叩いてみる。
「ふむ。体温はないが、感触はかなり精巧だ。産毛まで生えている。瞳孔反応は――ないようだね。人形というか、これは……医師としてあるまじき発言を許してもらうなら、これはまるで……」
「人造人間?」
 雲雁が引き継いだ言葉に、城田は微笑を浮かべて頷く。
「中国の――『封神演義』という物語には、那咤(ナタク)という名の人造人間が登場します。ユダヤの伝説のゴーレムや、錬金術で産みだされたっていうホムンクルスのことを考えれば、驚くには値しませんよ。まさか『ボウシヤ』がそうだとは思わなかったけれど」
「“人造”人間なら、誰か造った人がいるってことよね。ってことは――」
 百合枝がなにか言いかけたときだ。
「誰かいるのか!」
 誰何の声。城田が電灯を消した。近付いて来る無数の足音。三人は入ってきた戸口から飛び出す。
 蒼い月光が降り注ぐ中を、かれらは走った。強い潮の匂いが、湿った夜風に混じっている。遠くで、霧笛の音が聞こえた。
 ばらばらと、どこからか沸いて来た人影が、三人を取り囲む。
 百合枝は、作業服を着た、男たちであることを見て取った。一人ひとり顔は違う。生身の人間であるらしかった。
 気合い一閃!
 飛びかかってきたひとりに、百合枝は見事な背負い投げを決める。
「お見事!」
 城田が叫ぶ。
 それが合図ででもあったかのように、男たちが飛びかかってきた。だが。
 雲雁の蹴りがまたたくまに、二人の男を地面に沈める。
 隙をついて、その背後に忍び寄ろうとした男は、しかし城田の予想外に素早い動きで顔面に拳をくらい、どう、と倒れた。男を殴りつけた城田の手と、もう片方の手の中に、黒光りする銃がいつのまにか握られているのを見て、百合枝はぎょっとする。
「聞いてもいい?」
 敵の腕をねじりあげながら、百合枝が声を張り上げる。
「あんた、お医者さんよね!?」
「医師免許を見せようか?」
 まるでからかうように、ジャグリングのごとく銃を宙へ放った。あっけにとられた男たちの胸板に、直線的な蹴りを二発、ぶちこんでから、落下してきた銃をつかみとり、両腕を交差させたまま、銃爪をひいた。
 ちょうどそのとき、雲雁が4人目の対戦相手の喉に、手刀を叩き込んだところだった。それで、三人の行く手を阻むものはほとんどいなくなる。
「走って!」
「いや、待つんだ、雲雁くん!」
 城田が雲雁の背中にタックルした。――そして、耳を聾する爆音。炎が、倉庫を照らし出す。
「また会ったな、小僧!」
 迷彩服の大男が、ロケットランチャーをかついで立っていた。
「ターミネーターに知り合いが? RPG−7があんなに小さく見える」
「……ファング」
「約束通り、挽肉にしてやるぞ!」
「青鸞ッ!」
 青く輝く鳥が、雲雁のもとに舞い降りた。……と、見えるや、彼の手の中に堰月刀が握られている。
 滑空する燕の速度で、彼は巨漢――ファングに躍りかかった。
 百合枝は、そばに倒れている男のひとりにそっと歩み寄った。灰色の作業服の上に三日月型のマークが刺繍されているのをみとめる。
「聞きたいことがあるのよ……」
 頬を叩くと、男が呻き声を挙げた。混濁した意識の『炎』が、百合枝には見える。顕微鏡の倍率を上げるように、百合枝はその奥を覗き込む。
(『ボウシヤ』による一次配布は予定数をまもなく終了……計画を第2段階にすすめる……『ギフト』に適応した能力発現者を回収……大規模な量産化に向けてのデータを採取する……)
 次々と浮かび上がってくる情報の断片の向こう側に、フラッシュした、映像があった。
 三日月の形のロゴ――そして、ソフトスーツをすっきりと着こなした青年の姿……柔和な笑みを浮かべ、話し出す――
(『ギフト』計画は、人類を新しいステージへと導くでしょう)
「雲雁くん!」
 城田の叫びが、百合枝の集中を破った。
 砲身を切り落とされ、まっぷたつになったロケットランチャーを棄てて、猛然と襲い掛かってきたファングの拳が、雲雁を捕らえたのだ。
 城田が銃を構えた。
 ファングが吼える。迸る闘争本能と、興奮とが声になってあふれだしたようだった。……感情は判断を鈍らせる。しかし同時に、感情は人の力を引き出すものでもある。――頭の隅の、どこか冷めた部分で、城田はそんなことを考えた。そのときだった。

 ――ドクン

 城田は、視界が揺れるのを感じた。なにかがおかしい。いや、だが、これは……
 そして、
 その瞬間、彼は「理解した」。

「……ッ!」
 ファングの咆哮が止んだ。
 風ではない、しかし、風のようなものが一陣、かれらを巻き込む。
 百合枝は、ファングの憤りの『炎』が、そのゆらめきを「止めた」のを目撃する。しかし、そんなことがありえるはずがない。『炎』のゆらぎは感情の揺れなのだから。感情が、その揺れを止めることなどありはしない。
「城田さん!?」
 医師の身体がゆらりと傾く。
「なんだ。いったい、なにが」
 雲雁は、ファングが、惚けたような顔で、きょろきょろとあたりを見回しているのを見た。理由はわからないが、自失している。
「雲雁! 城田さんが」
 声にふりかえれば、城田がぐったりとしていて、百合枝にささえられている。
「……走るんだ。今ならいける!」
 ファングに警戒を残しつつも、三人は走った。だが、傭兵は追ってこなかった。
「怪我したんですか」
「いや……違う……すまない、わたしは大丈夫だ……」
「なにが起こったの?」
「薬が……どうやら、効いたらしい」
「……!? まさか」
「魔が差したというか――ほんのすこしだけ……舐めてみたんだよ、『ギフト』を」
「なんですって!? じゃあ、今のあれは城田さんの」
「そういうことになるね……ハハ、わたしにも……『ギフト』がもらえた……」
 かれらは車にたどりつく。
「運転は」
「できる。もう平気だ」
 言葉に嘘はないようだった。
 急発進する。
 雲雁は、追っ手がないかどうか、何度も後ろをふりかえっていた。
「人造人間を使って、薬をバラまいている……相当な組織力がないとできないことだ」
「……それで、こんどは能力が身についた人間を集めているのよ」
 百合枝が言った。
「いったい、何が起ころうとしているの」
「……ひとつだけ、わかったことがある」
 城田がハンドルを握りながら、うたうように告げた。
「『ギフト』はまぎれもなく贈り物だ。何者かが、わたしたちになにかを与えようとしてくれようとしているんだよ――」
 それは、謎かけのようでもあり、預言のようにも聞こえた。

(第2話・了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1873/藤井・百合枝/女/25/派遣社員】
【1917/常・雲雁/男/27歳/茶館の店員】
【2585/城田・京一/男/44/医師】

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■         ライター通信          ■
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リッキー2号です。
お待たせいたしました、「インタレスティング・ドラッグ:2『追跡』」をお届けします。

キャンペーンシナリオの第2話にあたる本作は、それぞれのPCさま個人の事件としてはじまったものが、しだいに交錯しはじめる……という形で、3名様ずつ×4ヴァージョンのノベルとして作成されています(冒頭のパートのみ完全個別です)。
よろしければ、他のヴァージョンもお読みいただくと、事件のまた別な側面があきらかになっていると思います。

さて、百合枝さん&雲雁さん&城田さん(はじめまして!)のチームでは、
薬の出所を追っていただきましたが、どうやら『ボウシヤ』の秘密に迫られる結果になったようです。

■特別情報>城田・京一さま
あなたには『ギフト能力』が与えられました。
ただし、服用量が微量なため不安定です。明日にはなくなっているかもしれません。
能力発現とともに、あなたが「理解」した能力に関する情報をお伝えします。
 名称:フローズン・ローゼス (Frozen Roses)
 射程:自身を中心にした半径3メートル内
 能力:対象の「感情を凍りつかせる」ことができる。
    感情を凍結された対象は、一時的に能動的な意志を失う。
    この効果は数分間、持続する。

よろしければ、第3話もおつきあいいただけるとさいわいです。
ご参加ありがとうございました。