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■音楽都市、ユーフォニア ─巣鴨崩壊後日談─■

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【1548】【イヴ・ソマリア】【アイドル歌手兼異世界調査員】
 音楽都市、ユーフォニア。
 ──それは、『調和』と云う名を騙り、ユートピア思想に依存する運命共同体の顔をした独裁国家の理想図である。
 音楽は、ただ美しいだけでは無い。
 それは暴力となり得る一面も、また非常に効果的に洗脳の材料として用いられる一面も合わせ持つ。

 『壮大な実験』を以てユーフォニア市の最初の拠点となる筈だった東京、巣鴨。
 ここは、彼等の尽力に依てその実験を阻止され、陥落を免れた。東京コンセルヴァトワールも今後は表立って大々的には活動を行えない。
 
 然し、組織とは個人の集まりである。そして、ユーフォニアの思想を掲げる個人は既に世界へ向けてばらまかれた。
 文化遺伝子<ミーム>は、限り無く増殖する。

 ──────………、

「忍先生で良ければいくらでもあなたに差し上げるわ。私は一人で充分。磔也とは違うの。──私はね、」

「──パパは?」

「クシレフの次のミームを生んでみたいの。もう面倒なオーケストラなんて必要無い。……一人でも、世界を動かせる音楽家の私のミームを」

「……本当の所云うと、もう、何も遣る気が起きないんだ」

「やる事ァ全部遣っちまって、目標が無くなったってとこかねェ。……ま、その内起きるだろ」

(「音楽都市、ユーフォニア ─破壊へのカコフォニー─」)
音楽都市、ユーフォニア ─巣鴨崩壊後日談─

【1i:XXXX-XX-XX】

 遥か彼方から、重々しい足音が近付いて来る。空は鉛色で、頬を切る風は冷たかった。
 石畳の向こうに見えるのは断頭台の影、──そう、ここは処刑場である。幻想交響曲、第4楽章。
 あまりにも不安に支配された空間だが、その中心で婉然とした微笑を浮かべて立っている彼女はさながら、この世界の女王のように見えた。
 
 ──……轟。
 
 突如、唸りを上げて激しく吹き抜けた一陣の風が彼女の水色の髪を嬲った。その間に見える大きな、愛らしい瞳は緑色の歓喜に満ちた光を爛々とたたえていた。──イヴ・ソマリア。

「……見ぃ付けたっ☆」

 刑場を逃げ惑う男の姿を認めた彼女は無邪気な程の笑顔で、叫んだ。
「水谷さん、久し振りぃ☆ ──会いたかったのよぉ? ごめんねぇ、ず──っと、放ったらかしにしててぇ」
 腕を組み、微笑みを浮かべたまま、既に憔悴し切って足を縺れさせる男へ悠然と歩み寄る。──ここは異世界、延々と反復を繰り返す音楽の中の……。
 魔界の女王の妹に逆らう者は、ここには居ない。魑魅魍魎の死刑執行人も、人ならないその他の存在も、全てが彼女の前に跪いていた。
「うふふ、」
 とうとう、石畳の上に倒れ付した男の頭の上に小さな、形の良い足を乗せて爪先で踏みにじりながら、彼女は高い嬌声を上げた。
「だってぇ、誰も教えてくれなかったんだもの、あなたが、未ぁだ悪さしてたなんてぇ。……ふふ、辛かったでしょ? 永かったでしょう? ──今、楽にしてあげるわね☆」
 
 彼女が手を翳すと、男の姿は影も形も見えなくなった。──その変わり、彼女の顔色に一段と明るさが増したように見える。また一段と、美しく。

「さて、と☆」
 ぐるり、と彼女は刑場を見回す。
「水谷さんの身体もこっちに来てるのよねぇ。さーて、どっこかなぁ♪」
 ──カツ、カツ、と彼女が石畳を踏み歩く音は、良く響いた。……どこに身を顰めているか分からない、彼にもその足音、最大の死刑執行人が確実に近付いて来る足音は良く聞こえただろう。
「水谷さ──ん? ……それも、私の友達に酷い事をしてくれた方の水谷さぁん?」
 ──カツ。

「あらぁ、こんな所に居たんだぁ。……ふふ……。……ねえ、知ってた? レイさんはね、私のだあーいじなお友達なの。あなた、弟君とは仲が良かったみたいだけど、結局あの子にも酷い事、したのよねえ? ……ね? ああ、レイさん可哀想、今、彼女その事でとっても気に病んでるの。私ぃ、友達が悲しむのはイヤなのよね。……だからぁ、」
 
 高笑いが響いた。

「レイさんにも、磔也君にも酷い事したあなた、肉体の方の水谷さんも、私が殺してあげる」

【2i:2004-02-1X】

「詳しく説明しなさいよ、孝!」

 鋭い視線と語調で詰め寄るイヴに、天音神・孝(あまねがみ・こう)は一瞬間だけさっと身を引いて肩を竦めた後、「かいつまめば」と長い溜息を吐いて答えた。
「かいつまむんじゃ無いの! まぁーったく、何かウィンお姉様もレイさんも妙に慌ただしいとは思ってたのよね。そうしたら、何ですって? 音楽を暴力として扱おうとする組織があって、レイさんと弟君はそれに利用されてたんですって? ──何でそんな大事な事云わないの! そうと知ってれば舞ちゃん(※朝比奈・舞/イヴ・ソマリアの分身が使用している偽名)を寄越すなり何なり、したのにぃ、」
 そうだった。
 年末に起きた巣鴨ユーフォニアハーモニーホール騒動を、彼女、イヴ・ソマリアは歳が明けて既に2月も中旬に入ろうかという今になって知ったのである。然も、それには自分の眷属が最初から関わっていたとか。
「……忘れてた」
 云い訳では無く、本当の事を正直な表情で孝は答える。
「忘れてたぁ!? どうしてよ、孝、その事件が持ち上がった11月から、年末にも何度も会ってたじゃないの」
「イヴに会った時にはすっかり忘れてたんだよ」
 くしゃ、と頭髪を片手で掻き混ぜながら孝は首を傾ぐ。

──全くもぅツ! 脳天気なんだから……。

 天然記念物的な天然さでのらりくらりと答える孝には、イヴの気色もそこで削がれた。

──……まあ、孝が脳天気なのはあながち本人の所為だけでも無いけど……。

「それにしたって、孝がレイさんと合体して怒りを買ってるから何とかしてくれって云った事でさえ、その事関連だったんでしょ? 大体、その時に云いなさいよ」
「あ、そうだった。忘れてた」
 ぽん、と孝が膝を叩いた音が、目眩を誘引しそうな程気楽な響きを伴ってイヴの聴覚に入って来た。
「全く。……本当、そうと知ってれば」
「つか、イヴさあ、年末は会う度会う度に忙しいっつってただろー? ニューヨークでレコーディングだとか、賞取りレースがどうとか、特番の収録がどうとか」

──……何で肝心な事は忘れてる癖に、そういう雑談だけは覚えてるのかしら……。

 30%演技増しで憂いを込めた溜息を吐き、イヴは髪を掻き上げた。
「忙しかったわよ、確かに。大体、芸能人って年末が一番忙しいのよね。毎年年末はそうだって云うのに、今年はニューヨークでのレコーディングまで入って。……これがまぁた、とにかく厳しいプロデューサーだったのよ」

『リテイク』

 思い出すだけでも溜息が出るわ、と肩を竦めたイヴの脳裏に、涼しい笑顔で自信のあったテイクを一蹴した彼のプロデューサーの淡々とした声が響いた。

『伴奏とのピッチが1hz、違う』

「……にしても、あの硝月ってプロデューサー……。実力も地位もあるかもだけど、この私にあそこまで云う人、そうそういないわよ」
「ふーん?」
「ニューヨークでもカリスマ扱いの日系プロデューサーなんだけど。……でもぉ、ぜぇったい、個人的な感情が入ってたと思うのよねぇ」
「イヴ、嫌われたんだ?」
 にこにことして孝は云う。
「違うわよ! 大体、嫌いな歌手のレコーディングなんか手掛け無いような人よ。アルバイトさえ選べない孝とは違うの。何だかね、留学してるお嬢さんが年末年始の帰省を取り止めたんですって。それが家に男の子を泊めてるからだとか何だとか。まあ、不機嫌にもなるわよね。でも、それを私に向けるなんて、信じらんなぁい、」
 ……大体、常人であれば、孝の現在の情報量でそのプロデューサーだとかお嬢さんだとかはたまた彼女が泊めている男の子だとかの正体には気付いた筈だ。が、彼は孝なので、何しろ魔法少女あまねちゃんなので、気付かない。
「それに、年が明けてからも忙しかったのよ、特訓で」
「特訓? 歌の?」
「それは毎日いつでもやるコト。……バレンタインよ。手料理の特訓」
 ここで、孝の感覚がこっちの世界寄りであれば「イヴの手料理を食べさせられる予定の恋人」に対して合掌した所だ。が、孝の味覚もイヴの世界と同じ感覚なので、彼は「ふーん」としか思わない。
「そうそう、その失敗作だけど、孝にもあげるわ」
 イヴは徐ら、肩に掛けていたショルダータイプのハンドバッグから一応のラッピングを施した菓子箱を取り出し、背伸びしながら、ぽん、と孝の頭の上に置いた。
「何だ?」
「チョコレートよ。……ああ、孝は知らないのよね。こっちの世界じゃ、毎年2月14日には女の子から恋人にチョコレートを贈るの。まあ、日本は、だけど。その失敗作だけど食べられない事は無いから、あげるわ」
 ──ぱっ、と孝の表情が俄に輝いた。
 別段、相手がいかに美少女だろうと(その気になれば本人もトップアイドル、イヴ・ソマリアに勝るとも劣らない美少女に変身出来る訳であるし)眷属化して久しい(かれこれ数百年)イヴから贈り物を貰った所で何ら嬉しい事も無い。孝が喜んだのは、それが食べ物だったからである。
「いやぁ、嬉しいな〜、そっか、そんな良い習慣があるんだ。……レイさんにも期待してみよっかな」
「そう、レイさんだけど」
 ハンドバッグを仕舞いつつ、イヴは(未だ少し現金極まりない孝に呆れつつ)顔を上げる。
「援助の話は分かったわよ、貸してあげる。だから、レイさんには出来る限りのお手伝いをしてあげなさい。──そんな事があって、辛いだろうし。孝の脳天気な顔が側にでも在れば、多少は気が紛れる筈だわ。ただしちゃんと遣繰りするのよ。あんまりあの子に貢ぎ過ぎないで」
「って借金扱いかよ、おい」
「当然、お姉様の為なんだから」
「……給料アップ、交渉してみるかなあ……」
 まあそれはお任せとして、と次に顔を上げた時には、イヴの表情にやや影のある笑みが差していた。
「今さら、年末に起きた事をどうこう云う気は無いわ。──私が今孝に訊きたいのはね、水谷さんの肉体をどうしたかって、コト」
 その背徳に溢れた魅惑で以て妖艶に輝いたイヴの笑顔にも孝の表情は変わらない。ただ、淡々と「捨てたよ」と答えただけだ。
「どこに?」
「幻想の刑場」

【3i:2004-03-2Xa】

 ビルディングの屋上から殺伐とした東京の街を、乾いた風を身に受けながら眺めている青年がいる。
 彼の脳裏に、微かに音楽が聴こえて来る。限りない程の繊細な美しさが哀しい程のストリングス・シンフォニーは、ベートーヴェンの交響曲第九番第一楽章の冒頭である。
 それはすぐに立ち消えてしまう。然し青年はそこで、「O Freude, nicht diese Tone、」と呟く。つまり、シラーの、『歓喜に寄す An die Freude』の一節である。
 再び、彼のイメージの中に音楽が聴こえ出す。スケルツォやレスタティーヴォの断片が間断無く現れ、次第に高揚して行く音楽は、有名な歓喜の主題に移行する。青年は両手を翳し、伸びやかな声で歌い出す。「Freude Zauber binden wieder, Was die Mode streng geteilt; Alle Menschen werden Bruder, Wo dein sanfter Flugel Weilt.(汝の神秘なカは、引き離された者を再び結びつけ、汝の優しい翼の留まる所、人々は皆兄弟となる)」
 その背後には既にフルオーケストラとフルコーラスが流れている。同時に、青年の足許から一面の白い鳥の群れが舞い上がり、後には陶然とした表情の青年が残される。
 静寂の中に、青年は歓喜に包まれる。

 青年とは、つまりウィンの従弟葛城・樹(かつらぎ・しげる)である。年末に柾がほぼ強制的に樹を撮影に狩り出した新作映像が出来上がったので、この日、応仁守音楽事務所の映写室では身内だけの試写会が行われていたのである。
「素敵……、」
 試写室の特等席から映像を鑑賞していたトップアイドル、イヴ・ソマリアがその緑色の瞳を陶然と潤ませながら溜息を吐いた。
「試作だ」
 柾は、不満そうに吐き捨てた。
「試作? 充分じゃないー? 少なくとも私はとても素敵だと思うわ。柾さんには、映像作家としてのこだわりがあるかも知れないけど……」
「映像は、良く出来たと思う。でも」
「でも?」
「音楽が、そのまま使えれば、の話。……出来たからって、どう使える訳でも無い」
「どういう事?」
 イヴは身を乗り出した。柾は未だ不満そうに憮然と腕を組んで真正面を見据えたまま語り出した。
「この映像、音楽と映像のタイミングが重要なんだ。今回は、葛城君に歌って貰った他に俺が元々持っていたCDの音源を使った。ワルター指揮、コロンビア交響楽団の。第九は何枚も聴いたが、今回撮りたかった映像にはこのワルターのじゃなきゃ駄目だった。……だが、そんなもの、使える訳が無いだろう。権利は今でも──が持っているんだ。著作権の問題をどうにかしなきゃ、メディアに乗せられない事くらい分かっている」
「ああ……、」
 ……意外。柾さんが、そんな現実的な問題に頭を使っていたなんて……。ちら、とイヴは思う。
「幻想の時は、前の事務所が──響に交渉してくれていたんだが、お互いのスポンサーがライバル同士で駄目だった。……結局事件で流れたが、あれに関しては先に映像が出来れば、それに合わせて指揮出来る人間と弦が良く響く楽団を後から探しても良いということで後回しにしてたんだが、……そういう事だよ。全て、金とか権利なんだ。元が取れるジャンルじゃない事は自分でも分かってるし、かと云って学生やアマチュアのオケは駄目だ。使えない。指揮者だってそうだ、俺の云う事を聴いてくれる若手は未だ未だ甘いし、年季が入ってたらそれはそれで映像サイドの云い分なんざ聴いてくれやしない」
 もぅ、水臭ぁい、とイヴはセイレーンの甘い声で囁きながら柾の肩に腕を絡めた。
「どうして応仁守さんに相談しなかったの? 応仁守さんだったら、音楽界へ発言する事だって出来るわ」
「オケだぞ、オーケストラ、それも最高の楽団一個。たかがオケだが、それがどれだけ重要か──、」
「何て水臭い事だ、柾君!!」
 突如、軽快なギターのメジャーコードと共に発せられた声に、柾が全身を跳ね上がらせた。
 彼自身、大分「イッちゃって」る人間であるだけに、その彼がここまで全身で驚きを表現する相手はそうそう居ない。──で、柾を驚愕させ得た「大物」とは無論、ここの主たる応仁守・雄二である。
「応仁守さ──、」
 唖然として振り返った柾だったが、雄二の姿を認めるや否や彼の瞳は輝き、本来のゲージュツ魂を取り戻したと思しい。何せ、彼の手には柾も最初の一瞬で虜になってしまった美しいハーモニーを奏するギターが在ったのだから。
「嗚呼、応仁守さん!」
「うん、皆まで云わなくて良いぞ柾君。何を卑下しているんだね、元の取れないジャンル!? 利益だけが芸術の価値だなんて、まさか君が本当に信じている訳では無いだろう。ヴィジュアルオペラは素晴らしい! それこそ、破壊と暴力のミームに対抗し得る最大の手段なんだ! 好きなだけ撮りなさい、必要な物は全て用意してあげよう! さあ!!」
 さあ、と雄二は右手ではオープンのギター弦を、左手は一度柾の肩を強く叩いた後に遥か彼方を──もうここまで来るとイヴには見えなかった、雄二と柾にだけ見えている明るい未来の方角へ人さし指を真直ぐに突き出した。
「君に、スポンサーも給料も何の心配も要らない、発言権利さえ君の自由になるコーラス一団をプレゼントしてあげよう! うん、ちょっと訳ありで引き取った少年少女合唱団なんだが、不満ならば一度聴いて見給え、なかなか素晴らしいアンサンブルだ。そうそう、それと、君の好きそうな、古典に忠実な端正な演奏をするピアニストも一人居るぞ、彼は僕と同じ年代だが、ピアニストの中では若手になるだろう。それは僕の事務所の所属じゃ無いが、イヴ君の恋人の妹君がパトロンなんだ。きっと、快く貸し出してくれるだろう! はっはっは! どうだい、これで安心かね、君の未来も、ヴィジュアルオペラの未来も中々ステキに明るいじゃ無いか!」
「……応仁守さん、」
「君は、芸術の事だけ考えていなさい、下らない権利争いに芸術家が頭を悩ませる事など無い! 全て私に任せて付いて来給え!」
「……、」
 ──ふぅ。
 「お義父様、素敵」と両手を胸の前で組み合わせたイヴだったが、気の所為か彼女の口唇から漏れた吐息は溜息のようにも聴こえた。
「応仁グループはこれからも、破壊、支配のミームに対し共感と融和の音楽のミームを広げていくのさ!」

──じゃかじゃかじゃんっ♪

「応仁守さん」
「うん、何だい柾君!」
「……未だ、お願いがあるんですが」
「云って見給え!」
「葛城君も、俺の自由に使わせて貰えないでしょうか、今後」
「問題無し!」
 え。
 と流石に怪訝な瞳を雄二へ向けたのはイヴだったが、最早少年の精神で語り合っていると云って過言ではない大の男二人は双方、何ら気に留めなかった。
「それと」
「未だあるかね、イヴ君だって遠慮は要らないぞ、尤も、イヴ君の場合ヴィジュアルオペラよりも彼女のプロモーションビデオが優先になるだろうが」
「……先日、事務所で素晴らしく美しい女性を見掛けたのですが、彼女を起用させて貰えないでしょうか」
「……はて、誰の事だろう? 何せ、美しい女性ならばウチにはイヴ君を始め色々出入りするからね、」
「……何でも、応仁守さんのお嬢さんだと云うことをお聞きしたのですが」
「……それは、」
 雄二は俄に悲しそうな表情になった。合わせて、ギターの響きも明るいメジャーコードのベタ弾きから哀切なマイナーコードのアルペジオに変わった。
「……本人が許さないだろう、済まないが」

【4i:2004-03-2Xb】

「がっかりしないで、柾さん。……何なら、私で良ければ代役を引き受けてあげる☆」
「然し君は、」
 ──そう、柾が主に樹を追い回す理由であるが、幻想交響曲から脱出した直後、イヴの恋人から「イヴを追い回すのは認められないが、その代替として樹は自由に使って良い」と釘を刺されたからなのである。
「こっそり協力してあげるわ☆ ……良いのよ、彼に気を使わなくったって。……あーんな、浮気性の云う事なんか」
 拗ねたようにイヴは呟く。
「……?」
 柾は、未だ不思議そうに瞬きを繰り返していた。
「……それと」
 悪戯っぽい笑みを浮かべたイヴが、ちらり、と一枚のCD-Rメディアの入ったケースを取り出した。
「良い題材が、ここにもあるんだけどな〜」
「それは?」
「柾さん、グルックは好き?」
「好きだ」

──……うふふ、思った通り☆ 幻想交響曲を映像化しようとした柾さんだもの、当然、グルックも好きな訳だわ。

 このビデオを贈ってくれた彼の美しい財閥総帥へ心の中で投げキスを贈りながら、イヴは誘うように(如何に彼女の魅力を持ってしても、色香では柾を惑わせない事は分かっていつつ)軽く背伸びをして柾を上目遣いに見上げ、妖艶な笑みを浮かべた。
「『オルフェオとエウリディーチェ』の名演が、ここに入ってるのよ。……但し、途中までだけどね☆」
 悪魔に誘われた愚かな人間のように、柾は吸い寄せられるようにイヴの手中のケースへ手を伸ばした。

 中身は勿論、孝と樹(=魔法少女あまねちゃん)に拠るオペラである。

【5i:2004-03-XX】

「──ヴィジュアルオペラ。……成る程、そうした手段もあるのですね」

 応仁守音楽事務所との連絡を取り合う内、件の柾・晴冶が今現在ヴィジュアルオペラに取り組んでいる事が分かった。
 元々、幻想交響曲を映像化しようとしていた程であるから管弦楽曲と最新技術を駆使した映像との集大成には関心が強かったようだ。年末に、何やかやと大騒ぎしながら屋敷へ上がり込んで来て葛城・樹を拉致基い狩り出して行った撮影も、その試作品としての映像だったらしい。
 が、この背景には如何にゲージュツカ柾・晴冶と云えどもただ勢いだけでは突っ走れない障壁と成り得る問題が多く存在していた。
 先ず、奏者の云い分と映像側の都合の問題。音源の権利の問題。大掛かりな組織であるオーケストラが、柾の微妙な要求をどこまで受け入れてくれるか。
 無論彼なのでそこで挫折はしなかったようだが、脳内の93%が芸術で占められている彼が、残りの貴重な7%の内殆どをそうした権利問題に費やす程には深刻な障壁だった。
『応仁守さんにもっと早く云えば良かったのよ』
 セレスティに対する電話口で愛らしい声で溜息を吐くのは、イヴ・ソマリア──トップアイドルにして魔界の女王の妹、幻想交響曲では行動を共にした少女だ。柾を自らも所属する応仁守音楽事務所へと連れて来た責任でも無いだろうが、彼女は辛抱強くも、既に事務所内の殆どの凡人は一線を引いてしまった柾の話を聞いてやっていたそうだ。
『応仁守さんは、権利問題で使えない音源があるなら何とでもするって云ってるし、それに、ウチの事務所で引き取った合唱団よね、それも好きに貸すって。でも、矢っ張り良いオーケストラは欲しいそうなのよね。……セレスティさん、何とかならないかしら?』
「ああ、それでしたら」
 と、セレスティは極気楽に請け合った。
「丁度良い。新しく設立した財団がスポンサーのプロのオーケストラをお貸ししましょう。練習場もコンサートホールも私共の所有する物ですから、柾君の好きにお見えになって構いません、とお伝え頂けますか」
『了解☆』
 と元気良く答えてから、イヴは、──あ、と思い出したように言葉を次いだ。
『セレスティさん、アレ、有難うございました☆ ……オペラの音源テープ、』
「──ああ、はい」
 ──すぅっ、とセレスティは目を細めた。麗しい青い瞳にやや妖し気な光が煌々と瞬いた、──気がするが、気の、所為であろう、……多分気の所為……。多分……。
「お役に立ちましたでしょうか?」
『ええ、そりゃもう☆ あんまり素晴らしい歌声で。……ほらぁ、私とは正反対の歌じゃない? 何しろ、天使の歌声なんだもの……』
「何を仰います? あなたのセイレーンの歌声も、本当に素晴らしいですよ」
 きゃあ、とはしゃいだ声がした。──その直後、途端に冷めた声でイヴが付け足した言葉は、こうだ。
『それを歌ってるのが孝だと思うと、可笑しくて可笑しくて』
「お楽しみ頂ければ倖いです」
 
 何故、あなたが倖いと云う。

 ……。

『柾さんが、良い題材を探してるのじゃないかと思って、ダビングして彼にもプレゼントしたわ☆』
「そうですか。彼のお気に召すと良いですね」

 だから、……。

『応仁守さんは、応仁守音楽事務所はこれから、破壊と暴力の文化遺伝子<ミーム>に対して友好と協和のミームを広げて行く、って仰ってるの。ウィンお姉様から聞いた話では、何とか云う東京コンセルヴァトワールの一味の女がこう云ったそう。“今の時代、ミームはどうやって散らばって、どこで誰がコピーしているか分からない”って。確かに今はマルチメディアの時代だものね。私が歌手やってるから、良く分かるわ。……柾さんがヴィジュアルオペラってジャンルを確立出来れば、それこそ、マルチメディア時代の救いになるミームが生まれると思わない?』
「そうした考えもありますね。──宜しくお伝え下さい、リンスター財閥は、その為にも、また総帥の個人的な芸術愛からも、助力は惜しまない、と」
『はぁい☆ ……あ、そろそろ出番だわ。今、──の収録なの。年末にニューヨークでレコーディングしたアルバムからのシングルカットなの、テレビではこれが初公開だから、良ければ観てね☆』

「……、」
 受話器を置きいた所で、楽屋のドアがノックされた。
「はい」
「イヴさん、スタンバイお願いします」
「は──い、今行きまぁす☆」
 愛敬たっぷりの声でスタッフの召集に応じてから、彼女は鏡張りの壁に目をやった。衣装と、ヘアセットを軽く治しながらそこへ向かって魅力的な笑顔を浮かべる。
 ──これも、ミームとしての音楽だ。
 単純に、セイレーンとのハーフとしてのイヴ自身が歌わずにはいられない、という事もあったが。
「──歌と音楽は私の専門よ」
 
──あなた達の、好きにはさせないわ。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1548 / イヴ・ソマリア / 女 / 502 / アイドル兼異世界調査員】

【0931 /  田沼・亮一 / 男 / 24 / 探偵所所長】
【1588 / ウィン・ルクセンブルク / 女 / 25 / 万年大学生】
【1787 / 応仁守・雄二 / 男 / 47 / 応仁重工社長・鬼神党総大将】
【1831 / 御影・涼 / 男 / 19 / 大学生兼探偵助手?】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【1985 / 葛城・樹 / 男 / 18 / 音大予備校生】
【1990 / 天音神・孝 / 男 / 367 / フリーの運び屋・フリーター・異世界監視員】
【2194 / 硝月・倉菜 / 女 / 17 / 女子高生兼楽器職人(神聖都学園生徒)】

NPC
【柾・晴冶 / 男 / 27 / 映像作家】

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■         ライター通信          ■
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幻想交響曲ではお世話になりました、ソマリア嬢、ようこそ(水谷の後始末の為に?)音楽都市へお越し頂きました。
こちらでは親戚の魔法少女様に、シナリオ進行に於いても、またNPCが個人的にもお世話になりっ放しです。

柾に対しての言葉は言葉のアヤと云うことで御容赦を。
何しろ、バレンタインの後ですから。
悪い事は何も無いと、本当の所では信じております。

今回の御参加、有難うございました。

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