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■闇風草紙 3 〜休日編〜■

杜野天音
【2236】【大神・総一郎】【能役者】
□オープニング□

 僕はどうしてここにいるんだ……。
 逃げ出せばいい。
 自分だけ傷つけばいい。
 そう思っていたのに――。

 関わってしまった相手に心を許すことが、どんな結果を招くのか僕は知っている。
 なのに、胸に流れる穏やかな気配。
 僕は、僕はどうすればいいんだろうか?
 今はただ、目を閉じて声を聞く。
 耳に心地よい、あんたの声を――。


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■未刀が怪我をしているところを助け、再会した時彼を襲っていた天鬼と
 共に戦った貴方。精神的に疲労している彼。
 家に呼び、流れる平穏な日々。
 その中で、貴方と未刀は心を通わせていく。フリーシナリオ。

闇風草紙 〜休日編〜

□オープニング□

 僕はどうしてここにいるんだ……。
 逃げ出せばいい。
 自分だけ傷つけばいい。
 そう思っていたのに――。

 関わってしまった相手に心を許すことが、どんな結果を招くのか僕は知っている。
 なのに、胸に流れる穏やかな気配。
 僕は、僕はどうすればいいんだろうか?
 今はただ、目を閉じて声を聞く。
 耳に心地よい、あんたの声を――。


□水鏡 ――大神総一郎

 張り詰めた空気。鼓が叩かれているのに耳に届くのは彼の摺り足の音のみ。面をつけたその上からでも、表情が読み取れるほどに感情を感じさせる動き。手に笛や小鼓などの楽器を持った男たちを従えるその様は、まるで神だ。白地に金の刺繍の羽織。黒い袴は神々しいまでに僕の目に映った。
「――僕は何をすべきなんだ」
 自問することを義務づけられる。彼の舞う姿を見る度に。

                           +

 大神総一郎が歴史ある舞踏の役者であると知ったのはここにきてから。いつも着物を着ていた理由が初めてわかった気がした。出会った時、確かに説明を受けた。だが、実際に彼の舞いを目にして自分の考えが間違っていたと知ったのだった。
「あんたの舞いは動きが少ないんだな」
「能は演技ではなく、動きの本質をとらえようと熟練されてきたものだからな」
 白い着物姿で、彼は僕に座るよう促した。
「ここに緑茶がある。身体を休めることは、心休めることに繋がる。喉が渇いていなくとも飲んだ方がいい」
「これを?」
 淡い土色の陶磁器の中には、赤い欠片。疑問に思う僕の視線に気づいてか、彼は目を僅かに細めて言った。
「梅干だ。梅の実を漬けたものだ。知らないのか?」
「梅の実、知らない……」
「まぁ飲んでみれば、味はおのずと分かるさ」
 促されるままに僕はそれを口に運んだ。本当は声さえも枯れてしまうほど渇いていた喉。一気に煽る。
 途端、激しくむせた。
「ゴッゴホッ! こ、これ酸っぱい」
 驚いた。赤く色づくものは甘いという認識だった。めったに出ることない庭。父の目を盗んで夢中で食べた赤い実は甘かった。植物の実が甘くないとは思いもしかなったのだ。
「漬物とはそういうものだろう? おかしな奴だ。本当に何も知らないようだな」
 とにかく休むようにと言伝られ、長い回廊の先にある離れに送り届けられた。真新しい畳の匂いがする部屋。ここに住めということなのだろう。僕にそんな資格があるとは思えなかった。でも、大神がまっすぐに見つめる先に、何か得るものがある気がして離れがたかった。
 ひとりになれば浮かんでくる。座布団に座り、天井を見上げる。年輪が美しい板。年を追うごとに刻まれた命の証。人の手によって断たれた樹木の、これから紡いでいくはずだった時の輪廻。人が生活するのに必要であり、目に映っては心を安らげるものとして存在するなら、それもまた樹木としての天寿を全うしたことになるのだ。
 では、僕はどうだ?
 彼に見せてしまった封門。二度と使わないと決めていたのに。天鬼の命の輪廻を断ち切ったのは僕自身。永遠に闇をさ迷い、呼び出されもしないままに時間だけが経過する世界。そこに閉じ込めてしまった。
 手の平を見つめた。現われるのは光の剣。
 斬ればよかったのか? いや、斬っても答えは同じだ。
 命を削り取ったことには違いない。あの時ガラス片を突き立てた男のことも。

 それからの僕は夜になれば眠り、朝日とともに目を覚ました。
 繰り返し。
 繰り返し。
 その間、大神は必要な用件以外一度も僕に声をかけなかった。ただ黙って自分の舞う姿を見せ続けた。
 彼が舞う。奏でられる和楽器。目に耳に、心に「能楽」という静かな炎が焼きついて、眠っている瞼にさえ残像となって現われたのだった。

                              +

 もうすぐ開催されるという公演のため大神家にある能舞台に、今日も彼の姿があった。
 観客はただひとり。
 周囲を見渡すと、仕度途中らしい大神がやってきた。
「いいのか、準備しなくて」
「俺は後シテだ。もう少しならいい。どうせ説明しないと、今日の演目が何か分からないだろう」
 そう言うと、彼はこれから行なう能について語ってくれた。
 題目は『敦盛』。「平家物語絵巻」に描かれている敦盛という武称の最後を表現したもの。能で言う「シテ」とは主役のこと。途中の休憩を挟んで、シテは入れ替わる。彼は後シテらしい。
 前半の主人公は草刈り男。後半は平敦盛の霊が主人公だという。ワキである蓮生法師がひとり、アイの里人がひとり。前ツレが4人と登場する人は多いが、舞台のほとんどを彼ひとりが表現していくもののようだった。
「数日間、何も感じなかったわけじゃあるまい。俺は舞う。きみは観る。それが唯一の宇宙。神に捧げる舞踏の真髄」
「わかった。僕はここを離れない、最後まで」
 答えに満足したのか、後見の男性に促され彼は背を向けた。

 演目は彼が舞台の裏へと消えてしばらくして始まった。僕に彼らの語る古文はよく理解できない。けれど動きと大神が簡単に説明してくれた相関関係のおかげで、なんとか読み取れる。
 法師と呼ばれる男が登場し、その周囲を草刈り男が囲む。敦盛の霊を慰めようと現われた法師に、中のひとりが願いごとを口にした。揺れ動く心の躍動が少ない動きで表現されている。熱情は僕へとまっすぐに発せられ、シテの視線がまるで自分を射ている気分になった。
 そして中入り。
 普段なら、かなりの時間を休むらしい。だが、座り込んだ態勢を立て直す時間もないほど、短い間隔で演目は再開された。
 大神だ。
 白い着物に黒い袴。何よりも顔につけられた面からは、彼が放つ普段の波動とは違うものを感じた。ただ面が無表情であるということではない。大神総一郎という個人ではなく、敦盛という名を与えられた演者の姿。覆われた面の下から出ているとは思えない凛とした声が、鼓膜を否応なしに震わせる。
 彼は言った。自分が家督を継ぐ者だと。
 その本当の意味を僕は知った。前シテも素晴らしいと思った。心に入り込み、見ている僕自身もそこにいるかのように感じた。けれど、それは能とう長い歴史に片足を乗せただけだったのだ。大神の存在感は前者を超える。
 神に捧げられる供物――それが能楽。それが人々の信仰心。
 語られる古い言葉など知りもしない。なのに心の奥底で理解できる演者の動きと精神。僕は彼の舞うシテ「敦盛」と同調していく自分に気づいた。
 敦盛も僕と同じ年だった言う。死して霊となり現世に現われ、何を語るのか。

『あれは大将軍とこそ見参らせ候へ。まさなうも敵に後ろを見せさせ給ふものかな。返させ給へ』
『そもそもいかなる人にてましまし候ぞ。名乗らせ給へ。助け参らせん』
『ただ疾々頸をとれ』
『あはれ、弓矢とる身ほど口惜しかりけるものはなし。武芸の家に生まれずは、何とてかかる憂き目をば見るべき。情けなううち奉るものかな』

 法師となる前の武将。打ち倒そうと近づいた相手は少年。妻子ある武将は「逃げろ」と言った。けれど彼は逃げなかった。討ち取れと言い、追いついた味方の前ですでに見逃すこともできなくなった武将は、少年を討った。涙を流して。
 僕は響いている地謠と声高に空気を振動せさる台詞に、目を閉じた。

 討つ者も討たれる者も辛さは同じ。
 けれど、どんなに願っても同じ場所に並び立つことは、宿命であるなら避けられない。
 最後に彼の声が響く。

『同じ蓮の蓮生法師。敵にてはなかりけり。跡弔ひて賜び給へ』

 僕はもっと考えなければならないことがある。まず、一歩目を。
 すべてを終えて、彼が離れを尋ねてきた。手にしていたのは抹茶と菓子だった。
「一服どうかな」
 彼が机に置くのを見届けて僕は口を開いた。
「衣蒼家は力のみを必要としている」
 僕の言葉に耳を傾け、静かに座った。息をひとつ吐き続ける。
「誰にも関わらない方がいいと思っていた。……ずっと以前、友人になれたかもしれない人を僕の手で封印してしまった時から。当時から家では剣の修行ばかりさせられていたんだ。学校にも行ったことはない。教育係として雇われたその人を除いて、僕に関わる人などいなかった」
 遠く過ぎ去った時間。忘れることの許されない制約。
「助けてくれようとしたんだ。でも、当時の僕には父の命に背く力と意志がなかった……」
 妖に食われ異形の者と化したその人を、僕は助けられたかもしれないのに。
 救うことよりも、今を失うことを恐れた。
「間違っていたと気づくのが遅かった。僕は変りたい。だから逃げ出したのに、結局何も変わっていなかったんだ僕自身」
「ではどうするつもりだ」
 黙って聞いていた大神が初めて言葉を発した。息を飲む。
 心の根幹に突き刺さる問い。
「前を向いていたい。力に負けない心を持ちたい。あの敦盛と法師のように、癒し癒される存在に」
「なりたいと?」
 大きく頷いた。涙が頬を伝っていることに、机に落ちた雫で気づく。
「未刀くん。己の心は己にしか変えることはできない。俺は舞い、それを見せることしかできない。大神家の嫡男として生まれた時からの天命だ」
「あんたには迷惑をかけた」
「いや、俺は信じていたさ。きみの心の強さを」
 そう言った彼の顔には、初めてみる満面の笑みが浮かんでいた。僕は救われたのかもしれない――いや、それはおこがましい。自分自身の変化したい気持ちを彼が気づかせてくれたのだ。
「そうそう、あんたって呼ぶのはやめてくれないか。大神もだ」
「なぜだ?」
「下の者に示しがつかない。それに、ここは大神家。俺以外の者ほとんどが同じ名だ」
 少し冷えた抹茶を飲んだ。これで3度目だったが、もう苦いとは感じなかった。桜を象った練り切りが舌を甘味に痺れさせる。
「甘い物が好きらしいな。俺のをやろう」
「いいのか……? 総一郎は」
 頷いた彼の目はどこか嬉しそうに見えた。僕は変らなくてはいけない。
 総一郎の舞う姿に自分は届かないかもしれない。けれど、前を向き続けることが僕を信じ、見守ってくれた彼に報いることになるはずだ。

 開いた障子の向こうに、紅梅が空気を朱に染めていた。春はもう足音を鳴らしてすぐそばに。
 甘い香りを風が部屋いっぱいに運んだ。


□END□

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

+ 2236 / 大神・総一郎(おおがみ・そういちろう) / 男 / 25 / 能役者

+ NPC / 衣蒼・未刀(いそう・みたち) / 男 / 17 / 封魔屋(逃亡中)

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■         ライター通信          ■
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 ようやく動いた未刀の心。ライターの杜野天音です。
 総一郎さんの黙して舞う姿に多くを語る姿を書かせて頂いた「休日編」は如何でしたでしょうか?
 今回、作品を手がけるに当って「能」というものを再認識させてもらいました。奥が深すぎて、少々唸りましたが。でも、日本古来より伝わる演芸だけあって心を揺さぶるものがあります。
 未刀も総一郎さんおかげで自分のあり方に気づくことができました。これからも未刀を見守ってもらいたいと思います。

 4月中旬まで「闇風草紙」はお休みさせていただいています。次回は「戦闘編」で、連河楽斗が登場します。またご参加下さると嬉しいです。
 オープン時期などの詳細は「異界」にてご確認下さい。ありがとうございました。