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■ホワイトデーの悪夢■

市川智彦
【1548】【イヴ・ソマリア】【アイドル歌手兼異世界調査員】
 3月10日、ある男性が草間興信所を訪れた。彼の名は柊 駿介……今回の依頼者でもあり被害者でもあった。目の前のソファーに座っている草間探偵と零はある程度の事情をつかめているためか、その青年を前にして何も言うことができない。いや、言えるはずもなかった。

 駿介には彼女がいた。彼にとって初めてお付き合いするかわいくって活発な女性の名は小田 美咲といった。彼女は普通の人間である駿介からは想像もつかないような危険かつ不思議な仕事をこなして生計を立てている。そういう仕事の斡旋を受ける時に利用するのがこの興信所だと聞いていた。
 だからこそ今、彼はここにいる。いなければならないという彼自身もわからない理由でここにいるのだった。そんな殺気にも似た覇気を全身から吐き出す青年を前にして、草間も零もすっとぼけモードに入らざるを得なかった。彼らもバカではない。以前、駿介の身に何が起きたかくらいは十分承知だ。右頬に青く輝く水滴を垂らしながら、ただ柳のように怒りを受け流そうとずっと目を合わさずに黙っているふたりだった。

 「草間さん、零さん……先日はどうも。」
 「いえいえ、美咲さんはとってもお喜びでしたよ〜。楽しかったですって……」
 「……んん、そうだな。」

 地面から響いてくる恨みの声……駿介の声を表現するにはこれが一番適当だろう。それを普段通りのノリで切り返す興信所の面々。ここで駿介が切れるかと思いきや、彼は普段通りに話を進めた。

 「実は……その美咲ちゃんのために協力して欲しいんです。」
 「そうなんですかー。駿介さんって彼女思いなんですね、きっと美咲さんも喜びますよ。」
 「うちは殺人とかはお断りだ。それ以外なら人を貸す。内容によっては無料でも構わない……前はこっちの不手際に近かったからな。」

 能天気に喜ぶ零の後、草間も自分への怒りを回避するための言葉を続ける。駿介はそれを聞いてもあまり嬉しそうな表情は見せず、ただ真剣な表情を少し前に出す。

 「実は14日に集まれる料理自慢の方を募集したいんです。特に『自称』の冠をつけてるような方はいいかなーと。ホワイトデーの夜、その皆さんに美咲ちゃんへのプレゼントになるようなフルコースを食べさせてあげたいんです。ちゃんとここに依頼料は用意してありますし、料理屋さんまるまる予約を入れてありますから材料とかもあります。その方が料理さえして下さったらそれでいいんです。」

 どんどん前のめりになって話す駿介の姿を見て、草間が思わず感想を漏らす。

 「それって早い話が復讐だよなぁ。半分殺人じゃないか?」
 「大丈夫です草間さん。僕は彼女のことが好きです。そのレストランに行くまでは美咲ちゃんの喜ぶことばっかりしてあげたいと思ってます。けど、けどね、あなたは愛する人にこれを食わされて復讐を誓わない人間がいると思いますか!?」
 「う、ううっ、うぷぷ……お前そんなもの見せるな、早く隠せ!!」

 目の前に現れたのは、駿介が食わされた愛の料理だった。こんがり揚げたエビフライに見事なチョコがトッピング。どこから見てもゲテモノ料理だ。しかし、零だけは冷静にその大作を見て感心していた。

 「これがチョコレートフォンデュエビフライ……兄さん、明日のお夕飯はこ」
 「お前は飯を食わないからっていう理由でこんなものを食卓に並べる気か?」
 「とにかく、3月14日に料理ができる人もできると思いこんでる人もみんなまとめて集合させてください。よろしくお願いします。」
 「わ、わかったわかった。だが最後に言っておくが……お前の期待通りの人間ばかりが集まると思うなよ。東京は広いんだからさ。」
 「わかりました、じゃあ期待して待ってます。」

 あのバレンタインの復讐をするために……男・柊 駿介はバクチに出た。そして3月14日を迎えるのだった……
ホワイトデーの悪夢


 3月10日、ある男性が草間興信所を訪れた。彼の名は柊 駿介……今回の依頼者でもあり被害者でもあった。目の前のソファーに座っている草間探偵と零はある程度の事情をつかめているためか、その青年を前にして何も言うことができない。いや、言えるはずもなかった。

 駿介には彼女がいた。彼にとって初めてお付き合いするかわいくって活発な女性の名は小田 美咲といった。彼女は普通の人間である駿介からは想像もつかないような危険かつ不思議な仕事をこなして生計を立てている。そういう仕事の斡旋を受ける時に利用するのがこの興信所だと聞いていた。
 だからこそ今、彼はここにいる。いなければならないという彼自身もわからない理由でここにいるのだった。そんな殺気にも似た覇気を全身から吐き出す青年を前にして、草間も零もすっとぼけモードに入らざるを得なかった。彼らもバカではない。以前、駿介の身に何が起きたかくらいは十分承知だ。右頬に青く輝く水滴を垂らしながら、ただ柳のように怒りを受け流そうとずっと目を合わさずに黙っているふたりだった。

 「草間さん、零さん……先日はどうも。」
 「いえいえ、美咲さんはとってもお喜びでしたよ〜。楽しかったですって……」
 「……んん、そうだな。」

 地面から響いてくる恨みの声……駿介の声を表現するにはこれが一番適当だろう。それを普段通りのノリで切り返す興信所の面々。ここで駿介が切れるかと思いきや、大人の対応で普段通りに話を進めた。

 「実は……その美咲ちゃんのために協力して欲しいんです。」
 「そうなんですかー。駿介さんって彼女思いなんですね、きっと美咲さんも喜びますよ。」
 「うちは殺人とかはお断りだ。それ以外なら人を貸す。内容によっては無料でも構わない……前はこっちの不手際に近かったからな。」

 能天気に喜ぶ零の後、草間も自分への怒りを回避するための言葉を続ける。駿介はそれを聞いてもあまり嬉しそうな表情は見せず、ただ真剣な表情を少し前に出す。

 「実は14日に集まれる料理自慢の方を募集したいんです。特に『自称』の冠をつけてるような方はいいかなーと。ホワイトデーの夜、その皆さんに美咲ちゃんへのプレゼントになるようなフルコースを食べさせてあげたいんです。ちゃんとここに依頼料は用意してありますし、料理屋さんまるまる予約を入れてありますから材料とかもあります。その方が料理さえして下さったらそれでいいんです。」

 どんどん前のめりになって話す駿介の姿を見て、草間が思わず感想を漏らす。

 「それって早い話が復讐だよなぁ。半分殺人じゃないか?」
 「大丈夫です草間さん。僕は彼女のことが好きです。そのレストランに行くまでは美咲ちゃんの喜ぶことばっかりしてあげたいと思ってます。けど、けどね、あなたは愛する人にこれを食わされて復讐を誓わない人間がいると思いますか!?」
 「う、ううっ、うぷぷ……お前そんなもの見せるな、早く隠せ!!」

 目の前に現れたのは、駿介が食わされた愛の料理だった。こんがり揚げたエビフライに見事なチョコがトッピング。どこから見てもゲテモノ料理だ。しかし、零だけは冷静にその大作を見て感心していた。

 「これがチョコレートフォンデュエビフライ……兄さん、明日のお夕飯はこ」
 「お前は飯を食わないからっていう理由でこんなものを食卓に並べる気か?」
 「とにかく、3月14日に料理ができる人もできると思いこんでる人もみんなまとめて集合させてください。よろしくお願いします。」
 「わ、わかったわかった。だが最後に言っておくが……お前の期待通りの人間ばかりが集まると思うなよ。東京は広いんだからさ。」
 「わかりました、じゃあ期待して待ってます。」

 あのバレンタインの復讐をするために……男・柊 駿介はバクチに出た。


 そして3月14日を迎えた。愛の告白を受けてバレンタインデーを祝ってもらったのだから仕返しばかりでは能がない。ホワイトデーのこの日、駿介は彼女を遊園地に誘ったのだ。それを数日前に聞かされた美咲はそれはもう大喜び。かわいいベレー帽の似合うファッションで彼氏と楽しいひとときを過ごした。彼も彼女がこの先に見る地獄のことを考えるとなぜか心の底からやさしくなれた。メリーゴーランドに乗りたいと言えば一緒に乗ったし、遊園地のマスコット『キュリアーちゃん』と写真に映りたいといえば一緒に入ってあげた。駿介は心が洗われるようだった……ここまで彼女に、いや人のために何かしてあげられるなんて思ってもみなかった。こんな幸せな時間がいつまでも続けばいいと願った。

 しかし、あの過去は忘れ去ることのできない苦痛だ。

 チョコレートフォンデュエビフライの呪いを思い出した駿介は遥か彼方を見据える……そこには「自称・料理自慢」たちがダミーの料理店に集まっているはずだ。彼は美咲の嬉しそうな顔と同じくらい弾けんばかりの顔をした。自分の集めた人間たちが、果たして何をしでかしてくれるのかと思うと……


 そんなダミーの料理店に3人の男女がいた。駿介が予想した通り、風体を見る限りはとうてい料理とは縁のなさそうな人間ばかりだった。彼らはお互いに自己紹介して親交を深めている最中だった。そんな中、長身で白衣姿の男性が一番料理ができそうな雰囲気だった。しかしテーブルの上に乗せているものはどこに生えていたのかわからない雑草のようなものばかり。しかもこれらはすべて彼が着ている白衣の中から出てきたものだった。細めの銀縁メガネのずれを直しながら、彼はふたりの女性に自己紹介を始める。

 「私は久遠 樹。しがない町医者です。今日はなんでもホワイトデーで彼女に料理を作ってあげる会らしいから、そのお手伝いに来たんだ。おふたりがメインで料理を作ってくれるのかな?」
 「もちろんだ。私は矢塚 朱姫。前はバレンタインデーの時に彼女さんの美咲の手伝いをしたんだが、今回は駿介の手伝いだ。なんでもあの彼氏は料理ができる人間を求めていたらしいからな。そこで私の出番というわけだ。今回はフルコースをお願いされたから……これを用意した!」

 テーブルに勢いよく叩きつけたのは今にも朽ち果てそうな古ぼけた本だった……中華風の枠に囲まれた文字は見る限り『満願全席』と読める。古代中国の王族しか食することができなかったというあの伝説のレシピを近くの図書館で借りてきた。本の背にはしっかりとその図書館の刻印がある。樹はメガネを何度も調整して、どうも貸出図書に間違いなさそうだ。しかし図書館の刻印シールの後ろにはどうやら「偽」と書かれているように見える。樹はそのシールを剥がして見たくなったが、あえて我慢した。世の中、知らない方がいいことも多くある。そう自分を納得させたのだった。彼の仕草などお構いなしに朱姫の熱弁は続く。

 「彼女のためにフルコースを振る舞おうなんて見上げた男気だ。その勇気と愛を量と質で表わすとこれくらいになるかな〜と思って準備したんだ。食材も特別な、本当に難しいルートを探って手に入れたものばかりだ。さ、早く作らないとあの二人が店に来てしまう……」

 そんな彼女が特別なルートで準備したという食材は首を傾げるものばかり。アヒルではなくガチョウ、豚ではなくダックスフンド、ふかひれではなくそれに似たような形をした寒天……確かに入手は難しそうなものばかりだ。樹はまさかと思っていることをそのまま朱姫に問い質す。

 「まさか、これを使って満願全席を……」
 「作るんだ。当たり前じゃないか。」
 「この本の中身、たぶん中国語だよね。まだ高校生なのによく読めたね、朱姫くん……」
 「イラストの部分だけ読んで判断した。たぶんこれだと思ってな。」

 朱姫の機嫌を損ねないように愛想笑いしながら申し訳なさそうに本を取る樹。その中身を見てみるがどうも高級料理の作り方を解説しているように思えない。イラストには豚としか思えないような物体が火にくべられているのだが……樹は不意にテーブルに目を向けるとくたっとしたダックスフンドと目が合った。どうすればこれと豚を見間違うのか。樹は口には出せないことがどんどん喉の先に迫ってくるのを感じていた。だが、彼はそこでやさしさを見せる。

 「うん、そうだね。愛情があればきっとなんでもできるね。」
 「樹はいいこと言う。その通りだ、私にはできる。」

 本当にこう言ってよかったのかどうかはさておき、その場を丸く治めた樹は胸をなで下ろす。そして機嫌よく勢いよく自分の食材に手を加えようとする朱姫が思い出したかのようにもうひとりの女性に話を振る。

 「あ、ところで朝比奈さんの仕込みに手伝いは必要か?」

 自分の苦労を朗々と語りきった後、茶髪をふたつに分けた三編み、さらに伊達メガネをした平凡そうな少女の朝比奈 舞に声をかけた。彼女は朱姫同様、バレンタインの時に協力した天音神 孝の代わりでやってきたのだ。味覚オンチの彼に代わって料理をするという舞だが、彼女の今の姿は本当の姿ではなかった。さらに偽名も使っている。
 彼女の本当の名はイヴ・ソマリア。誰もが知ってる歌にお芝居に大人気のアイドルなのだが、得意の分身能力と変装を駆使してこういった仕事もこなしているのだ。今回は彼の汚名挽回のため、特別に予定を空けてやってきたようだ。朱姫に言われ、しっかりとした発音で返事をする舞。

 「大丈夫ですわ。孝は味オンチだからよくわかってなかったみたいで皆さんにご迷惑をおかけしちゃって……だからわたしがちゃんとシメときました♪」
 「し、シメた……あの怪力の孝をシメた……?」
 「わたしも朱姫さんに負けないくらいおいしいものを作ろうと思って〜、こんなのをこんなに用意したんです〜。」

 舞の目の前に並ぶのは、見たこともない珍妙な形をしたものばかりだ。今にも走り出しそうな二本足の大根、トカゲらしき生物の黒焼き、人型にも見える緑色の生物チックな植物……しかもそれらを調理する気はまったくないようで、調理器具はおたまと大きな深鍋だけだ。これではまるっきり闇鍋だ。がんばるも何も中にこれらを突っ込んで水を入れて煮立てたらおしまいである。笑顔の舞に向かってトホホな表情を浮かべる朱姫……

 「ま、舞……これ、全部混ぜてスープにするのか?」
 「まぁ……ポトフみたいになるような気がしないでもないですけど。わたし外国育ちなんで、ニッポンの食べ物の味がよくわからないんです。だから今日はわたしの故郷の郷土料理を作ってみるわ。」

 肉の塊に見える物体が存在するのを横目で確認した朱姫が静かに頷こうとしたその時、樹がものすごい形相で舞の食材に迫る。顔は直前まで迫り、驚きの表情でその言葉は熱を帯びていた。

 「こっ、これは……マンドラゴラのてんこもり! こっちは最高級黒トカゲキングサイズの燻製! こんなのをふんだんに料理に使ったらいったいどうなるんだ……」
 「あら、こういった種類のものはご存知なの?」
 「もちろん……できればこのまま持って帰りたいくらいです。ああ、あれも作れるしこれも作れそう……」
 
 あんまりにもウットリしている樹を見て後ずさる朱姫。一方の舞は自分の正体が樹にバレないように愛想笑いするので精一杯だった。
 そんな時、厨房の勝手口が勝手に開く……扉の奥には縦縞のスーツを来た『GOKUDOU』が今回またも出現したのだ! しかも今回は弟分がふたり付き。それぞれにさすがの3人も時間が止まるのを実感した。なぜこのタイミングでヤクザの登場なのかというのをみんなが悩んだ瞬間、香ばしい匂いが厨房を包み込む……全員の目はヤクザの向こうにある大鍋に向けられた。

 「おう、俺だ! カレー閣下だ、毎度!」
 「だ、誰ですか……このファッションセンス抜群の人は。」
 「じゃ、ジャパニーズマフィア……?」

 樹も舞もさすがに素の対応はできない。しかし、朱姫だけは違う。一度会っている上、そこらへんのヤクザより性質が悪いことは十分認識済みだ。彼がやたらに大声を出さないような言葉を心の中で確認しながら話す朱姫……

 「閣下じゃないか。後ろの人は子分なのか?」
 「おお、いいこと聞くじゃねぇか。さすがは『究極のカレー様研究会』のメンバーだ。今日はお前ら新入りのためにこの俺がこの世の中の約36.71%のカレーを食い尽くして研究した……題してぇ、『究極のカレー様から50歩ほど近いかもしれないカレー』をお前らにも食わそうと持って来てやったという訳よ!!」
 「おおーーー!!」

 子分もカレー閣下こと神宮寺 茂吉の気合いに続けとばかりに声を張り上げる。彼らは毎度毎度この集会を『カレーの会』と間違えているようだ。そんな彼らの両腕に支えられている大鍋の中身は閣下の作ったカレーなのだが、なんともいい匂いがする……さっそくコンロにそれを起き、冷めたカレーを静かに温め始める。火加減も奥義のうちなのか、子分が中身を静かに混ぜながらコンロのスイッチを操っている。閣下は周囲がカレーに惹かれている姿がたまらなく嬉しかった。ここ数年に一度みせるかどうかの満面の笑みだった。そのヤクザの笑顔が料理人の闘争心に火をつけてしまった!

 『閣下にあんなものが作れるなら……私にだって満願全席くらい……』
 『おいしいのかどうかは別にして、あんななりの人間でもしっかりとした料理できるんだからわたしも気合い入れなきゃ……』

 朱姫と舞がやる気を燃やす原因のカレー閣下は何も知らずにただ黙って子分の様子を伺っているのであった……


 店の中にやってきた駿介と美咲はふたりだけのためにセッティングされたテーブルにつく。厨房の奥からはなんだかよくわからない匂いが充満している……それを自分の嗅覚で確かめた駿介はしたり顔。美咲はそれに何も感じないのかごく普通に彼に話しかけた。

 「貸し切りなんてすご〜〜〜い。お金、無理してるんだったらお仕事のお給料あげるのに……」
 「大丈夫だよ美咲ちゃん、それくらいの蓄えはあるから……でもあれ? なんでカレーの匂いがするんだろう……?」
 「今日はフルコースなんでしょ〜? 別にカレーがあってもおかしくないん」
 「よぉ、お前らよく来たな。俺様はお前らが来るのを知ってるが、お前らがこのカレー閣下様が来るのは知らなかっただろうなぁぁぁ!」

 世にもワイルドに登場した一番手はカレー閣下だった。控えている子分は誇らしげにカレーの乗った皿を持っている。その匂いはふたりを圧倒したようでふたりは同時にスプーンを持ち、それがやってくるのを今か今かと待っていた。それを見た閣下は満足げな表情を見せる。

 「……いい心がけじゃねぇか。なら行くぜぇ! カレー閣下の名を背負う俺様が開発したカレー、まさにこれが『究極のカレー様から50歩ほど近いかもしれないカレー』だぁぁぁ!」
 「なっ、なんだ……このカレー、ただのやくざのレベルじゃないぞ! にんじんがタマネギが、牛肉がぁぁあ!!」
 「なんか見てるだけで全部がとろけてるのが実感できるよ、駿介くん……これで究極から程遠いの?!」

 あっという間のカレーの偉大さに心揺らされたふたりはおずおずと一口目を味わい始める。皿を見た時のあの解説など、この先には必要ない。ただ皿に米粒が残らなくなるまで彼らはカレーを味わい尽くすだけ。それが閣下の力だ。主賓の隣のテーブルでは茂吉以下2名の子分が大皿でカレー大食らい選手権のように、こちらも命を賭けて食い荒らしていた。
 あの大鍋に入っていたはずのカレーが駿介の、閣下の、そして美咲のおかわりで底をついてしまうという恐ろしい結末を導き、閣下のカレーの試食会は幕を閉じる。ふたりの驚きは最初と変わることはない。

 「これで50歩ほど近い……冗談じゃない、もう2,3歩近かったら間違いなく死んでるよ。残りの人生はきっとカレーしか食べられなくなってると思うよ。」
 「しゅ、駿介くん……でも、にんじんの風味がちょっと強く感じたんだけど、それって閣下さんの好」
 「待ったぁぁぁ! お前今なんて言った……遠慮すんな、はっきりYEAHーーーーー!!」
 「う、うう、にんじんのぉ、にんじんの風味がぁ、強かったような気がぁ……」

 閣下が美咲にチャカを突きつけて言わせたセリフを聞いた直後、彼は手に持ったそれを静かに下ろした……そう、彼も必死でかっ込んでいる最中に同じことを考えていたのだ。
 
 「お前ら、ちゃんとチェックしとけ。今度は埼玉県無農薬栽培の佐竹山さんのやつで試すぞ。」
 「了解しました、茂吉さん!」
 「名前で呼ぶな……このボケがぁ! ものども、最後に感謝の挨拶だぁ!!」

 「「「「「カレー様、今日もありがとうございました。」」」」」

 閣下のカレーで大いに盛り上がるその様子を厨房で伺っていた朱姫たちは料理の完成を焦っていた。なんだかカレーの試食会で終わってしまいそうな雰囲気がしたからだ。ダックスフンドもまだ巨大オーブントースターで焼いている最中なのに……彼女は焦った。

 「早くしないとカレー閣下のカレーお披露目式で全部終わっちゃうんじゃないか?」
 「何にも心配いらないよ。次は舞くんが行くから。でも一品料理だから早くしないとね。朱姫くんの料理の味の仕上げは私に任せてくれ。」
 「わかった、よろしく頼む。」

 冷静にそう言う樹は手元に並んでいる雑草を奇妙な料理の上に粉状にして振りかけたり、スープの色合いを出すのにいろいろとやり始めた。そしてたった一言だけ、不安を呼び起こすようなことを口にした……

 「面白そうな薬効のある草が手に入ったんでね……適当にっと。」

 その言葉を誰にも聞かれなかったのがこのホワイトデーの最大の不幸だった。


 続いて舞の料理が登場した……しかし、出てくるのは大鍋だけだ。非力な彼女が一生懸命カートを押してやってくる姿は可憐でいいのだが、そこから立ち昇る煙の色は最近では忍者村でしか見ないような紫色の煙幕にしか見えない。ゴプッゴプッとまるで地獄の底から涌き出るよどんだ泉のような音を立て、たまに見え隠れする異物がその中を泳ぐ。スープの色はかろうじてワインのように見えるのが救いだった。舞は自ら丁寧に中身を取り分け、しずしずとカップルの前に差し出す。その場には料理を終えた閣下やその子分、そして朱姫の手伝いを中断した樹までそこに座っていた。ゲストにも行き渡る分の料理を作っていた舞はほっと安心した様子で最後のひとり分をよそい、それを目の前に出した。

 「これがわたしの郷土料理ですわ〜。」

 真っ先に反応したのは閣下だった。反応もセリフもストレートでダイレクトだ。

 「こりゃどこの国だ、どこの。確かにビルマあたりで具の中でぷかぷか浮いてる黒トカゲを見たような気はするけどよぉ! これ、ホントに料理かぁ??」
 「黒トカゲは……まぁ明日の朝までくらいは元気になれると思いますよ。もしかしたらもっと元気になれるかもしれませんが……」
 「元気……なぁ。要するにどっかの国のスタミナスープなのか??」
 「そんなところじゃないですか。でもあなたのはいいじゃないですか、黒トカゲがまるごと一本入ってて。私なんかほら、マンドラゴラがこんなにちょっぴりしか入ってないんですよ?」

 舞の食材を見てからこの料理が気になっている樹は自分に回ってきた容器がハズレであることを一目で見抜いた。どれもどこかで見たことのあるような雑草ばかりがプカプカ浮いている……樹は樹の、閣下は閣下の悩みを抱えつつ、周囲はまず一口目を味わいはじめた。特に駿介と美咲は一口食べて顔を見合わせる。同じように子分同士が、そして樹と閣下が顔を見合わせる。

 「悪くない。」

 この一言でカレーと同じくどんどん食べ始める皆さん。しかしこの中で誰も気づいてはいないだろう。実はこの料理、舞の魔法のエッセンスで一口食べたら止まらなくなるようにできていたのだ! その後に出てくる固定物がどんなにグロテスクな形をしていようとも食べたくて食べたくて仕方がなくなる……そんな危険な魔法なのだ。それを証拠に数分後……

 「も、茂吉さぁぁん、俺、トカゲ食いたくないのになんかすっごく食いたい気分なんすよぉ〜〜〜! んぐんぐ……」
 「俺様なんか凶悪な面した小魚が……なんでだろう、食いたくないのに手が勝手にぃぃ! ガバガバ……」

 そろそろ恐怖が周囲を包んでいく中で舞だけは嬉しそうにゲテモノ具材をみんなが残さず食べていく様を見つめていた。しかしその中で唯一、あの美咲だけは恐怖も何もなかったのか、マンドラゴラをあのスティック状のお菓子のように器用にかじっていた。その様を樹がうらやましそうに見ていたことは言うまでもあるまい。彼は意味もなく毒消しの草ばかりを悲しそうに食べていた。

 「皆さん食べ尽くしてくださって本当にありがとうございます〜〜〜♪」
 「舞さんの料理もおいしかったです〜。ホントにありがとうございました!」

 美咲の言葉に輝かんばかりの営業スマイルで返事した舞だが、周囲の反応はさまざまだ。子分のところに駆け寄った駿介は他の誰にも聞こえないように『ある確認』をしていたのだ。

 「あの、子分さん……味はともかくとしてね。なんか……なんかね、これからもがんばれるって感じになりませんでした?」
 「そうそれ! お前、うまいこと言うな。」
 「なんか……理由もなしに突っ走れそうなんだよな、この先。」
 「なんだろう、この気分……なんか無駄に元気なんだけど??」

 よくわからない効用に悩む男どもが頭を並べてそこにいた。



 そしてここまでふたつの料理が出たにも関わらず、フィナーレに満願全席が登場することとなった。カレーと舞の魔力でもはやお腹いっぱいのみんなが目の前にしたのは、もはや珍妙としかいいようのないフルコースだった。こんがりと焼きあがったダックスフンドが中心に飾られ、その周囲を北京ダチョウ、寒天スープにデザートのトマトが並ぶ。どうやらデザートは本に書かれていたライチをトマトと勘違いしたらしい。とにかくボリューム満点の料理が目の前に広がる。

 「料理は私が、味付けの手伝いは樹にしてもらった。さぁ、まずは依頼者の駿介から食べてくれ。」
 「え!? なんで僕から!!」
 「今まで調理してたから味見をしてないんだ。愛する人の前に大丈夫かどうか食べるべきなんじゃないか?」

 朱姫の目は真剣だ。彼女にも彼氏がいるからか、その言葉には不思議とどこか説得力がある。駿介は仕方なしに首を縦に振った。彼女はまず犬を取り分けて彼に渡す。その手伝いを樹がし、美咲以外のみんなにもそれを振る舞った。しかし突如、それを見た閣下が情けない声を上げる。

 「イヤアァァ、パセリィィィーーーーーーーーー……………どたん。」
 「あああっ、兄貴ぃ! パセリの恐怖で兄貴が倒れたぁ!!」
 「なんだって、閣下はパセリが苦手なのか……知らなかった。」
 「兄貴しっかりしてくだせぇ、ここで倒れたら俺たちだけがこれを食わなきゃならなくなるじゃないですか!!」

 唯一の弱点であるパセリを見た瞬間、速攻で沈む閣下。それを羨ましげに心配する子分たち。さすがに朱姫の料理を食おうという根性までは沸いてこなかったようで、自分も何かしらの理由をつけて気絶したかったのだろうか……とにかく閣下脱落の中、恐怖の試食会が始まった。
 駿介はパセリで倒れた閣下を見ながら犬を食する。思っていたほどの固さはないものの、巨大オーブントースターで焼いただけあって表面だけがぱりぱりになっている。お世辞にも食べられたものではない。それでも一生懸命作った料理に対して失礼なことは言えない。駿介は朱姫に向かって感想を述べる。

 「まぁ……そこそこ食えるケロ。ん!?」
 「……………ケロ?」

 怪訝そうな顔で駿介を見る朱姫。自分が丹精こめて作った料理をバカにされたのかと思って憤慨しそうになるが、周囲の状況を聞いて我に返る。子分たちも何かへんな口調で話しているのを聞いたからだ。

 「この犬、食えないってことはないみょ〜。」
 「オーブンレンジ使ったんだったら、もっとうまかったニャ。」
 「矢塚、俺たちは我慢して食ってるわけじゃないみょ。心配することないみょ〜。」

 「な、なんだこれは……満願全席はこんな効力があったのか??」

 そんなはずはないと朱姫は信じた。もちろん彼女の想像は正解だ。実はこのおかしな効力は、すべて樹の混ぜ合わせた特殊な薬のせいで起こったことなのだ。そんなことも知らずに慌てた朱姫は急いで北京ダチョウを薄皮を剥ぎ、野菜と巻いて一口食べてみる……それを飲みこんだあたりから身体に変化が現れる。朱姫は顔色を失った。自分の身体に何らかの変調をきたしたらしく、なぜか胸を抑えて口から荒い息を吐いていた。

 「そんなはず……そんなはずはない……なんで、なんであるべきものがなくなっていくんだ……??」
 「あらら……女の子が男の子になっちゃった。ま、効き目は今日だけだからいいだろう。その日を楽しめばいいよね……人間って。」

 朱姫の腕は胸のふくらみがどんどん失われていくのを感じていた……選ばれしものでなければ作れない満願全席を料理好きレベルの自分が作ったことでバチが当たったのだろうか。彼女の身体は出るところは引っ込み、引っ込んでるところが出始めてきた。冷静沈着な朱姫もこうなってはパニックになるしかない。それを楽しそうに傍観しているのが樹が遠くにいた。
 そんな中、甘いものが食べたくなったのか冷製トマトに手をつける美咲……一口食べておいしかったのか、それをフォークに刺したまま彼氏に食べさせようと駿介にそれを向ける。

 「駿介くん、トマトおいしーよ?」
 「そ、そうケ……ケロ〜〜〜っ! 美咲ちゃんがちっちゃくなってるケロ〜〜〜!!」

 どうやらトマトには身長が縮む薬が入っていたようだ。子どものように小さくなった彼女を見て情けない語尾をつけたまま驚く駿介。ついに周囲は大パニックになってしまった。ケロケロみょ〜みょ〜言うだけでなく、女が男になったり身長が縮んだりすればこうなるのは当然。さすがにヤバいと思ったのか、最後にみんなが飲むはずのお茶にこっそり解毒剤を混ぜようと人知れず急須に近づく樹……しかし。

 「ちょっと待て、その急須に入ってるのは普通のお茶だ。それはそのままでいいんじゃないか?」
 「ええっ、そうですか朱姫くん。いや、まさに朱姫くん。」
 「なんで……なんで樹が私の変化に気づいてるんだ? 私は具体的に自分の中で何が起きたかは言った覚えがないぞ……??」
 「そーですわね、樹さんはいろいろな面白〜い薬物を朱姫さんの料理の中に混ぜ込んだんでしょうね〜。」

 魔界の女王の妹であるイヴ・ソマリアにかかれば、この手の薬の知識は常識の範疇だ。満願全席の中にそれが入っていることを瞬時に見抜いた舞は一口も手をつけなかったのだ。実際、食べたところでその毒性をなかったことにできたのだが、わざわざ効能にかかった真似をするのが面倒なので黙っていたのだ。舞がさらりと真実を言い放つと朱姫の怒りは樹の元へと向かった。いや、彼女だけではない。駿介も子分も樹の側に寄る。

 「てめぇ〜、悪ふざけはそろそろやめにするにょ!」
 「早く女に治してくれ! 後で彼氏に会うんだ、こんな格好じゃ会えないだろ!」
 「こんな喋り方のままじゃ、いつでもいつまでも兄貴に殴られるニャ〜〜〜!!」
 「私……これくらいの身長で駿介くんにだっこしてもらえるのならこれでもい」
 「治してケロ〜〜〜、ふたりとも治してケロ〜〜〜!!」
 「わかりましたよ、しょうがないなぁ……」

 「「「「「なにぃぃぃ、しょうがないぃぃ!?」」」」」

 「い、いえいえ……そこの急須に解毒剤を入れておきました。飲めば治りますから早い者勝ちでどうぞ。」

 そう言うと一気に急須に群がる被害者たち。我先にとお茶を飲もうとする修羅場を見ながら、またも楽しそうに見つめる樹。さっきみんなに怒られたのなどどこ吹く風でその大騒ぎを見つめていた。そこに舞がやってくる。

 「樹さんって……もしかしてマッドサイエンティスト?」
 「そんなことないですよ。何度も言いますが、私はしがない町医者です。」
 「しょうがない町医者の間違いなんじゃ……」

 レストラン上部を飛び交う急須を見ながら、舞は嘆息をついた。自分よりもいじわるな小悪魔の存在を横目で見ながら、この先の行く末を案じていた……この騒ぎがどこまで駿介の邪念を満足させたのか、そして美咲がへこたれたのか。それはあのカップルにしかわからない……


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0550/矢塚・朱姫   /女性/ 17歳/高校生
1576/久遠・樹    /男性/ 22歳/薬師
1548/イヴ・ソマリア /女性/502歳/アイドル歌手兼異世界調査員
1747/神宮寺・茂吉  /男性/ 36歳/カレー閣下(ヤクザ)


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■         ライター通信          ■
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皆さんこんばんわ、市川 智彦です。今回はホワイトデーを意識した作品です。
ジャンルで言えば……やっぱりゲテモノ?(笑)
なんか前回よりもヒートアップしたこのシナリオ、皆さんいかがだったでしょうか?

最後はキャラクターの皆さんも子分の皆さんもめちゃくちゃにされましたね〜。
これも皆さんのプレイングのおかげ。私は何ひとつ仕事をやっておりません(笑)。
これからもギャグの時は異常に弾けたプレイングを楽しみに待っています!
今回は本当にありがとうございました。またシチュノベや依頼でお会いしましょう!