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■戦争の犠牲者■

【2839】【城ヶ崎・由代】【魔術師】
 男はその数ヶ月前まで、戦場に立つ兵士でした。
 彼は武器を持って戦闘の最前線に立ち、その手で何人もの人間を殺めました。
 ――いえ、その時彼が手に掛けたのは人ではありません。味方からは「敵」として認識されていました。
 殺人は殺人ではなく、「敵」を殺すのは当然のことで、斬り伏せた時に噴き上がる血を汚らわしいとさえ思っていました。
 ――同じ人間のものであるにも関わらず。

 戦はやがて終結を迎え、男には再び平穏が戻って来ました。30前後で、未だ独り身の男には既に両親はいなく、彼は町外れの山に程近いところに住んでいました。静かなその場所で、男はほとんどの時間を読書や散策などに当てて、のんびりと過ごしていました。
 ところがある日、男は自分の手に赤い血がべっとりと付着しているのを見ました。
 それは一瞬のことで、単なる錯覚にすぎず、3日も経てば忘れるだろうと男は自分に言い聞かせていたのですが。
 3日後、今度は着ていたシャツが真赤に染まったのでした。
 3日ごとに症状は酷くなり、シャツから床へ、床から壁へとどんどんと見える範囲は広がっていきました。
 男は徐々に生気を失い、少しずつ少しずつ、狂い始めていったのでした。
「誰か……誰か俺をどうにかしてくれ!!」
 叫ぶ男はやつれ果て、まるで餓鬼のようでした。
戦争の犠牲者


■序章■

 男はその数ヶ月前まで、戦場に立つ兵士でした。
 彼は武器を持って戦闘の最前線に立ち、その手で何人もの人間を殺めました。
 ――いえ、その時彼が手に掛けたのは人ではありません。味方からは「敵」として認識されていました。
 殺人は殺人ではなく、「敵」を殺すのは当然のことで、斬り伏せた時に噴き上がる血を汚らわしいとさえ思っていました。
 ――同じ人間のものであるにも関わらず。

 戦はやがて終結を迎え、男には再び平穏が戻って来ました。30前後で、未だ独り身の男には既に両親はいなく、彼は町外れの山に程近いところに住んでいました。静かなその場所で、男はほとんどの時間を読書や散策などに当てて、のんびりと過ごしていました。
 ところがある日、男は自分の手に赤い血がべっとりと付着しているのを見ました。
 それは一瞬のことで、単なる錯覚にすぎず、3日も経てば忘れるだろうと男は自分に言い聞かせていたのですが。
 3日後、今度は着ていたシャツが真赤に染まったのでした。
 3日ごとに症状は酷くなり、シャツから床へ、床から壁へとどんどんと見える範囲は広がっていきました。
 男は徐々に生気を失い、少しずつ少しずつ、狂い始めていったのでした。
「誰か……誰か俺をどうにかしてくれ!!」
 叫ぶ男はやつれ果て、まるで餓鬼のようでした。


■1.訪問者■

 重い灰色の雲が垂れ込めていた。
 光も無くやや肌寒い山の麓の森の中を、由代は教えられたバンガローを探して歩いていた。
 森の中は生い茂る木々の葉の影で薄暗く、積み重なったままの落ち葉がじっとりと水分を含み、この季節になっても腐敗の過程にあった。立ち込める臭いは酷く、息を吸うとその澱みが肺の中に溜まっていくようだ。
 曇っているからそう思うのかもしれないと、由代は空を見上げた。木の葉に遮られて散り散りになった空は、相変わらず灰色の重たい気配を漂わせていた。
 足元に道なんてものはなかった。群生する草の上に被さった木の葉の下には、どこも同じような土と石があるだけだ。だから今どこら辺を歩いているのかなんてことは分からなかった。ただ、話を聞かせてくれた老翁に教えられたとおり、小さな方位磁針を頼りに西へと向かう。
 随分歩いて、もしかすると道を間違えたのでは、と思う頃になってようやくその家は見つかった。木々の間に隠れるようにして建てられたバンガローは、その周りだけがいやに静かで異質だった。こんな曇りの日でも、ここではない所では鳥のさえずりや小動物が立てる音などが聞こえたというのに。そういえば、この家の周囲は他より少しだけ開けていて、木々の枝も所々を折られていた。
 由代はその静けさに一瞬躊躇したが、一度深呼吸して肩の力を抜くと、木の扉を軽く2度程拳で叩いた。
 返って来たのは静寂で、やはり留守だったのかと思い、踵を返しかけたその時、何の前触れもなく扉が開いた。
「……どちら様?」
 覗いた顔は驚いて返す言葉を失うほど、疲弊と自嘲と猜疑とに満ちていて、憔悴しきっていた。
 気配すらなかったのだ。
 ……生きている者の。

 上りかけた笑みを殺して、由代は彼の問いに答えた。
「カウンセラーみたいなものだよ」
 男は一瞬不信な顔をしたが、それもどうでもよくなったらしく、「どうぞ」と無愛想に言って扉を大きく開いた。
「……まるで亡霊のようだ」
 先に中へ入っていく男の背中に、由代はぼそりと呟いた。勿論、聞こえないように小さな声で。
 『生きた亡霊』。
 それが最も的確に、男を表す言葉のように思えた。



■2.発作■

「それで、カウンセラーさんはどこまで聞いたんだ?」
 男は尊大、というよりかは投げ遣りな様子でソファーに身を落とした。由代は窓際に置いてあった椅子を持って来てその正面に座り、男の目を見て微笑んだ。
「キミが、オカシイみたいだということだけ」
 男の目はもとは黒かったのだろうが、今はそれに薄い膜でも張ったみたいに、濁った灰色に見えた。もとは黒かっただろうというのは単なる直感だったが、間違ってはいないような気がした。
 男は何の感情も篭らせず、「へえ」とだけ呟くと、そのまま俯いて黙り込んでしまった。気配のない彼がそうしていると、まるで死体と対峙しているような気分に陥った。
 やがて男は何度か背中を上下させ、浅く息を繰り返し吐くと、拳を固く握り締めて消え入るような声で語った。彼がしたこと、見たこと、思ったことの断片を。それは酷く淡々と、下手をすればそのまま聞き流してしまいそうな程に抑揚無く語られた。まるで彼が本当は、その場に存在しなかったかのように。
 男が話し終えると由代は唐突に立ち上がって、それから空中に大きく弧を描いた。そのまま水平に一閃、そして斜めに、真上に、指先で虚空を切る。
「本心を引き出してあげようか」
 言葉と共に、空間が揺らいだ。否、空間が揺らいだのではなく、いつもはひっそりとここを取り囲んでいたものが姿を現し始めたのだ。
 無数の『死した亡霊』。
 男は突然の異変に、驚愕に目を丸くし、床を蹴ってソファーごと後ろに転倒した。それから立ち上がることも忘れて、怯えた表情で後退さる。
「来、るな……来るな!」
 亡霊はこの近辺で命を落としたものばかりだったので、大半は小さな動物であったが、男の目には恐らく、戦場で殺した人々の顔が映っているのだろう。
 由代はただその様子を黙って見ていた。男を追い詰めるためではない。ただこうすることによって、彼自身が突破口を見出すのではないかと思ったからだ。そしてそれは、確信に近かった。
 これを抜け出すことができれば、彼はずっと捕えられている過去の恐怖から逃れられるだろう。できなければ……それはそれで、男にとっていいことなのかもしれない。
 室内を満たしていく亡霊に紛れて、由代は男の様子を傍観する。
「……俺が悪いんじゃない」
 やがて男はぽつりと呟いた。
「俺は悪くない!殺さなければあんた達が俺を殺しただろう!?俺は……責められなくてもいいはずだ」
 最後の方は掠れて小さな声になってしまったけれど、男は顔を上げてキッと自分を追い詰める亡霊達を睨んだ。しかしまたすぐにしゃがみ込んでぶつぶつと繰り返す。
「違う、そうじゃない……罪悪感はあの頃からなかった。俺はただ……忘れたいだけなんだ……」
 頭を抱えて蹲った男を見て、由代は解呪の紋様を空に描いた。目に見えていた亡霊は再び空気へ溶け込んでいく。
 由代は蹲る男の肩を叩いて、顔を上げさせた。
「気分はどうだい?」
 「最悪だ」と男は苦笑した。



■3.償い■

 2人はまた向かい合って座っていた。ここがこんなにも静かなのはああいった物が集まって来ているからだろう。今も姿は見えないが、気配は確かに感じる。死んだものの気配だ。
 そして向き合った男からはようやく生きた気配を感じれていた。
「報いなのだと思っていればいい」
 言葉に、男は視線を床から由代へと移した。それから小さく頷いて、泣き笑いのような歪んだ笑顔を浮かべる。
「原因がわかれば……あとはキミの無意識が結果を導いてくれるだろう。それが良い結果なのか悪い結果なのかは私には計り兼ねるがね」
 おどけて肩を竦めてみせた由代に、男は少しだけ笑い、それから両手で顔を覆った。
 その仕草をきっかけに、由代は立ち上がる。
「……診療代は?」
 男の問い掛けに、由代は振り返らず苦笑した。そして努めて真摯に、真面目な口調で答えた。
「キミはこれから今までとは違った苦しみを味わうだろうからね……。そうだな、もしキミがそれに耐え切れず、滅んでしまうようなら……その時は、魂でも頂きに来ようか?」
 背後で男が笑う気配がした。由代も柔らかに笑って、玄関扉を開く。いつの間にか空は晴れてきていたらしく、突然の陽光に瞼を射抜かれ、彼はきつく目を瞑った。
 その時。
「……ありがとう」
 恐らく、視界を閉じていなければ聞こえなかったぐらいに微かな声で、男はそれを告げた。由代はやはり振り向かずに、一拍分だけ言葉の意味に浸ると、片手を緩く振って別れの挨拶とした。
 見上げた空が、美しかった。



                           ―了―



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2839/城ヶ崎・由代(じょうがさき・ゆしろ)/男/42才/魔術師】
(※受付順に記載)


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、ライターの燈です。
「戦争の犠牲者」へのご参加、ありがとうございました。

>城ヶ崎由代様
 2度目のご参加ありがとうございます!
 そしてお待たせして申し訳ありませんでした。
 今回もまた男のその後とかがはっきりとしてませんが(汗)、男はきっとしぶとく生き抜くことと思われます。由代さんの、カウンセリングのおかげで。

 それではこの辺で。ここまでお付き合い下さり、どうもありがとうございました!