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■―― 最後の宴 ――■

伊織
【0134】【草壁・さくら】【骨董屋『櫻月堂』店員】
ある日届いた一通の招待状。
淡い桜色の柔らかい和紙に筆文字で書かれた内容。



――今宵月明りが灯る頃千代桜の最後の宴を催し候へば
   貴方様のご参加を心よりお待ち申し上げ候――



簡潔な文章からは余計な言葉はない。
差出人の名すらなく、どうやら直接届けられたものらしい。


“千代桜”
それは樹齢千年をも越すと云われている大桜。
だが然し……


――最後の宴


宴が行われていたという事実。
今でも満開に咲き誇っている千代桜に最後とは。
何よりその主催者は。

他に何か書いてはいないか裏を反すと
桜の花びらがひとひら、ふたひら
揺れて、落ちた……。
―― 最後の宴 ――



さくさくと踏みしめる足下は暗く、ゆるゆると取り巻く空気は甘い。
自分の歩くこの道は果たして何処へ続くのか、既にそれさえも忘れそうな闇。

握りしめる手には文ひとつ。
それは招待状、
千代桜、最後の宴への道標。



―― 萌……



往く手に灯火が灯る。











灯篭が道をつくりだす。
往けば灯り、過ぐれば滅す。











一足毎に空気は和らぎ、馥郁たる香りが漂う。
標す灯篭の最後のひとつを過ぎた時、
眼前に広がった光景は


視界いっぱいの桜の大樹


霊木、千代桜―――。






その場に集った者は、旧知の者も居れば初見の者も居た。
お互い、それとなく挨拶を交わすも
自然と視線は桜へと向かう。
其れほどに、千代桜の存在感は在った。



「なんと美しい……、」

草壁・さくら(くさかべ・さくら)は手にした風呂敷包みを胸に抱き
愛しげにその大樹を見上げる。
この日本古来の花と同じ名を持ち、そして恐らくはほぼ同じ刻をを生きた者として
その見事な咲き様に共感と誇りを持った。



「雄々しくて、其れでいてなんて儚げなのかしら……」

その桜を見て、シュライン・エマ(しゅらいん・えま)は自身も知らず心に浮かぶものが在った。
招待状の古風な文字に惹かれた、と云うのは本当。
其処から伝わる想い、それと共に或る種張りつめた糸の様な感じ。
何かにひかれるかのように、その視線を外す事は出来なかった。



「……良かった、未だ散ってなかった。」

猫の様に大きな瞳を細め、篠原・勝明(しのはら・かつあき)は桜を見る。
この中では最年少でもある自分に招待状が届いたのが嬉しくもあり、不思議でもあった。
然しそのような考えも打ち消してしまう様な見事なそれに
単に“美しい”では済まない何かの存在を彼はもう既に感じ取っていた。



「何……、何なの此れ……、」

桜を見た途端、羽柴・遊那(はしば・ゆいな)は全身をおこりの様に振るわせた。
圧倒的なその姿に我を忘れかけている、普段の彼女からはおよそ考えられない姿である。
そもそも招待状を受け取ってからそうだ、この宴に参加するに愛用のカメラさえ所持していない。
……何かがいつもと違う、そう感じさせていたのかもしれない。



縁無しの伊達眼鏡、市松模様の大島紬と云う派手で在りながら上品な着物に身を包むは斎・悠也(いつき・ゆうや)。
千代桜の精霊と一目会してみるのもよいかとこうして出向いてきた。
その堂々とした佇まいに思わず、す、と礼をする足下より水干服と巫女服の童がまろび出る。

「ごきげんさまにございます。」
「ごきげんさまにございます。」

可愛らしい式神達は朱塗りの傘に緋の敷物の宴の舞台へ走り、悠也はその姿を目を細めて見遣るのだった。





泰然としたその姿に近寄りさくらはその内側から桜を見上げた。
千代桜の最後の宴と聞き、それに見立て桜の花弁を細かく散らした江戸小紋のさくらの姿は
楚々とし、其れだけで一枚の日本画を写したかの様だ。
然しその心に思うは武士の其れと同じ魂。
そっと嫋やかな白い手を幹にあて桜へと語りかける。

「介錯、聢と承りました……存分にお咲き下さいませ。」

さくらは千代桜に武士(もののふ)の姿を見出していた。
命果てる瞬間の無様な姿だけは見せぬ様、為ればこそその高潔な誇りを見届けよう、と。
そう極めると、目を瞑り深く静かに息を吐く。
再び開いた碧眼には強い意志の光が帯びていた。
緋の敷物へ戻ると持参の風呂敷包みを解いてゆく。
その様子に悠と也の二人の童が興味深げに覗き込む。

「これは……日本画の画材、ですか?」

勝明の問いにええ、と同意し素早く支度を整える。
かなり大きな画仙紙を幾重にひろげ膠と岩絵具を白い陶器の鉢に溶いていく。
興味は非常にあるものの、その気を纏った所作に
邪魔にならぬ様勝明は下がった。
親しい友人としての付合いがあるのでシュラインと悠也はそれを黙って見守っている。
彼らの元に戻ってきた勝明に、入れ違いに悠也が立ち上がる。
その手に持つは白磁の御神酒。



「手土産に持参したんですって、悠也……今の彼ね、のご実家は有名な神社だから。」

物問いたげな勝明にシュラインが説明する。

「さくらさんは日本画に精通しているの。狩野派の流れを汲んでいるそうよ。」
「……狩野派……あの桃山時代に活躍した、狩野元信とか狩野永徳の、ですか?」
「ええ、そうよ。君は結構詳しいのね。」
「そんな事、ないです……でも意外かも、」

狩野派と云えば“唐獅子図”や“四季花鳥図”“檜図”のような非常に力強く大胆な画風である。
それをこの様な細腕の女性が、と勝明が思うのも無理もないだろう。





さくらの元へ悠也は近寄り、全ての用意が整った様子を見て取った。
悠と也の童も、主の両脇に控えて立つ。

「残されるのですね。」

その意図を読取った悠也の言葉にさくらは微笑む。

「ええ、千代桜の刻を……、私の技量の限りを尽くし後世へ残すつもりです。」

常の穏やかな友人とは違う、まるで戦に臨む武士の様な姿に悠也は内心驚く。
然し其れならば、と白の杯を差し出す。

「清めの杯を、……我が家の御神酒です。」
「……有り難う御座います。」

両手で受取り杯を少し上に拝し、一気に飲み干す。
それを返すと悠也は優雅に軽く一礼した。
見真似て童達も一礼する。
そしてさくらは筆にたっぷりと絵具を含ませ、呼吸を整えた。

「……いざ、参ります。」





さくらの元を離れた悠也は、ふと千代桜を見上げて佇む遊那の姿に気がついた。
その姿に空似だろうと思ってはいても、心に広がる波紋は消せない。
彼女ではない、そう解っていても震える気持ち。

(……重傷、か)

己の心は強い意志で隠し、遊那の傍へ行く。
彼女の様子が儚げで哀しげであったからだ。
女性のその様な様子を放っておく彼ではない。

「どうしましたか、その様にいつまでも見上げていては疲れるでしょう。
 皆さんとご一緒しませんか。」

その声に初めて悠也の存在に気づき、遊那はゆっくりと視線を戻す。
自らの想いに深く入っていた為、状況が直には掴めない様だ。
辛抱強く此方の返事を待つ悠也に、ごめんなさい、と云う。

「ちょっと今考えている事があって……、有り難う、お誘い嬉しいわ、
 でも、ごめんなさい……、」

常の溌剌とした彼女の姿はなく、そこには秘めた苦悩に心を占められた女性がいた。
だがそれは彼女だけの事。
悠也には解らぬ事。
何とかしたいものではあるものの、暫くはひとりにさせておいた方が良いように思え
軽く一礼して緋の敷物の方へと戻る。
また後で様子を伺おうと思いながら。





シュラインが此処へ来るまでの短い時間で調べられた事は
この土地が或る家の私有地であるものの此れまで開放されていた事。
近いうちに此処を暫く閉める事になるという事。
そして伝承や謡、和歌は読み人知らずとしてその家に在るらしいという事だった。

「詳しい事は解らなかったのよね、こんなに見事な桜なのに何もないなんて不思議だわ。」
「門外不出なのかな……、その家は何て云う家なんですか?」
「時間が無くて、其処まで調べられなかったの、明記していない可能性もあるわね。」

そこへ悠也と童達も加わる。

「それにしても見事な桜ですね、悠と也と一緒に千代桜を見るのも悪くないと思ったのですが
 この様な桜は、そうは簡単に見れるものではないですね。」
「そうね、幹の太さといい広がった枝ぶりといい、一見の価値ありね。」
「開花の状態を見ても、今が満開の時期かも……、」

緋の敷物の場所は桜の根元にあるわけでなく、程好く離れている。
それにしても視界に入りきらないほどの枝ぶりはどうだろう。
巨木でありながらも全てに調和が取られ、静かに華やかに咲いている。
周囲の音が全て月夜に鎔けてしまったかのように軽やかな静寂。
夜桜の特徴である薄紫かかった桜色が月夜に映え、さながら幻想夜話の様な雰囲気である。

「……本当に、美しい、」

悠也が感に堪えかね再び呟く。
今を盛りに咲き誇る桜を、まるで眩しいものをみるように見上げると
主に倣い其れまで礼儀正しくしていた悠と也も一緒に見上げ、素直に歓声をあげる。

「綺麗ですねー。」
「とっても綺麗です。」

微笑ましいその光景に、勝明も再び桜を見上げる。
そしてシュラインも見上げ、その心に或る思い出が思い起こされていた。
昨年末亡くなった桜の精霊のような雰囲気の少年。
悲しさからではなく、ただ其処にあるのは、愛おしさと懐かしさ……。





参加者の皆、この宴の主は千代桜そのもの、と考えていた。
為らばその最後の時を見届けようと、
其々の思惑でこうして集っている――。





遊那は幾度となく繰り返される自問自答に心が乱れていた。
我知らず招待状と共に入っていた桜の花弁を握り締めている。

(……あなたは永い間何を見て来たのかしら、)

幽玄と云うに相応しいその存在。
今、此処が何処かさえ忘れさせ、またそれを気にもさせない。
其れほどまでに存在感がある桜の傍に立ち、見惚れていてもその心は切ない。

(……私より永く存在しているあなた。あなたは二十年前の私を知ってた?
 ……触れてその温もりを感じたいけど、私はきっとあなたの未来をみてしまう……
 私があなたに出来る事は見守るだけ、其れしか出来ないのに……、)

伸ばしかけた手を戻し、きつく胸にかき抱く。
常は抑えていた感情が桜と共に溢れ出す。
失くした記憶の断片、千代桜の最後、湧き上がる感情の奔流に遊那は弄ばれる。

(どうして私に招待状を?……私はあなたに消えてほしくないのに……、)



―――………、



その時、一瞬、異質の気が流れた。
力のある者は其れを敏感に感じ取る。



「……遊那殿、お顔をおあげなさい。大丈夫、消える事はありませぬ故。」
「…………え、」

顔をあげると遊那の傍に、ひとりの翁が立っていた。
いつの間に居たのだろうか、それまで誰も居なかった筈だ。
まして遊那の名を自然とよび、当の本人はそれにさえ気づかない。
その翁はいかにも泰然とした表情に柔らかな笑みを湛え、
紬の半着に軽袗、袖無し羽織といった出で立ちである。
一目で人品卑しからぬ人とわかる。
その翁は遊那の傍らに立つと、桜を見上げて云う。

「遊那殿、若し貴女が触れたいと思ったのなら触れるがよろしかろう。
 怯える必要は何処にもありませぬよ。」
「……え、でも私には……、」
「存じております、貴女の能力は。」
「それなら、……何故、」

触れたものの未来を見てしまう、その為、温もりを感じたくても触れる事も出来ない。
怖いから、先を見てしまうのが怖いから。
その葛藤は遊那を苛む。

「大丈夫、勇気をお出しなさい、」

その一言に後押しされ、遊那はゆっくりと腕を伸ばす。
千代桜のひび割れた表皮に指が触れた瞬間身体に震えがくるも、其のまま掌を当てる。
薄ぼんやりと浮かび上がる映像、それは―――

「……如何かな、」
「……消えて、ない……、」

遊那の答に老人はさも在らん、と満足げに頷く。

「皆様の処へ往きましょうかな、お嬢さん。」

未だ己の見た映像に混乱していた遊那だが、素直に老人の後についていく。
突然現れた老人だが、不思議と違和感を感じなかった。
寧ろ自分の祖父に感じるような安心感がそこにある。





その二人に最初に反応したのは童達だった。
其れまで勝明に纏わり付いて遊んでいたのが急に走り出した。
翁の前までくると二人並んで見つめている。
と、
くるりと悠也を振り返り声を揃えて云う。

「桜の御主、違いますー。」
「綺麗な姉(ねね)でなく翁(おう)ですー。」

暫く間が空いたものの、翁は主と童達の間で交されたであろう話を理解したらしい。
それはすまなかったのう、と童達の頭を撫でている。
悠也は伊達眼鏡の上から片手で顔を覆い俯いてしまった。
桜の精霊はよく美しい女性の姿をとることが多く、
それをふたりの式神に冗談で話していたのを彼らは真に受けてしまったらしい。
シュラインはそれを見て笑いを堪えている、が余り成功していないようだ。
勝明は直に立ち上がると翁の前で深く一礼する。

「この度は宴にお招き頂き、有り難う御座いました。」

その声にシュラインは驚き悠也を見る。
彼も薄々感づいていたのだろう、頷いて同意する。
勝明は霊的視点による感知に長ける。
従って翁の正体も、既に理解していた。
翁―― 千代桜の精霊 ――は勝明の礼儀正しい振る舞いに目を細めている。
皆、翁の為に席をつくるも、此方が招待したのですから、と持て成し側に座す。
シュラインがさくらを呼ぼうとすると翁はそれを止めた。

「集中の邪魔をしたくはありません、今はこのままで……、」

其れでは、と改めて翁は居ずまいを正す。

「今宵はよくぞ皆様いらっしゃいました、突然の文にてさぞや驚かれた事でしょう。」

いいえ、とシュラインは云う。

「役者の最後の大舞台へ御呼ばれした気分です、とても光栄に思っています。」
「それは此方こそ光栄ですな。」
「もう、……その、“時期”になってしまったのですか?」

翁は微笑むと遊那に問う。

「遊那殿、貴女が先程見られた未来は如何なものでしたかな。」
「……え、私、ですか?」

ぼんやりとした映像。
だがそれが何かは解っている。

「桜の木が、見えたの。……咲いていたわ。」
「咲いて、いたんですか。」

悠也の驚きは皆の驚き。
では何故“最後の宴”になるのか。
大人が様々な思惑に駆られていると勝明が翁に問う。

「お爺さん、俺、聞きたい事があったんですけど、」
「何かな、坊や。」
「俺、招待状貰って嬉しかったです。でも、本当に“俺”で良かったんですか?」
「ほう、……それはどういう意味かな?」

勝明は招待状を手にした時から思っていた事があった。
それは招待状にある“貴方”という言葉について。
呼ばれている“貴方”は勝明自身ではなく、今此処にいる勝明に辿り着くまでの間に
宴の主が逢いたかったのではないか、そう思っていたのだ。

「……本当にお爺さんが“逢いたい”人じゃ無くても、同じ血の先端に居る俺で良いのなら、嬉しいんだけど。」

その言葉に翁の目が細められ、愛しい孫を見るように勝明を見る。

「……坊やは、本当に良い家庭で育てられているのだね。」

そしてその手に一枚の桜の葉を乗せた。

「よく、見てご覧。」

云われるが侭に勝明は猫を思わせる大きな瞳で葉を見る。
色も濃い、確りとした感触。

「其処に葉脈が見えるかな、細かく、だが確りと幾重にも在る。」
「……はい、」
「縁(えにし)と云うものと同じです、」

シュライン、さくら、悠也、勝明、遊那そして童達。
彼らの姿を一人一人、確認するかの様に見遣る翁。

「人間は生きていく上で様々に縁を持ちます。
 例え些細な出来事であっても触れた時点で縁は生じ、そして繋がります。
 貴方方は気づかなくても何処かで必ず繋がっているのですよ、人で在れなんで在れ。
 そしてそれは奥行きも持つ、刻を遡ればまた違った関係が在る事でしょう。
「全て事象は“廻”で表す事ができましょう。
 季節が廻る様に、生命が廻る様に、また心が廻る様に……、
 例え姿が滅しても心は受け継がれ繋がって行くのです。
 そして縁も紡がれてゆくのです、それは決して途切れ、消える事はありませぬ。」

遊那は心にその言葉を繰り返す。
途切れる事は無い、消える事も無い、ならばいつか必ず廻りあえるのだ、と。

「されば勝明殿、私が逢いたかったのは坊やなのだよ。
 坊やは坊やであり、刻が過ぎ姿が変わろうと坊や自身は変わらない。
 嗚呼本当に生真面目な処は変わらないものだねえ。」

勝明はこんな時にどう表情にしたものか判らず俯いてしまう。
涙が出そうになるのに堪えていると翁の手が豊かな黒い髪を撫でてくれる。
何かがおちた様に一筋流れると後は簡単だった。
良い子だ、本当に良い子だ、と撫でる翁を真似て童達も撫でる。


「私が見たもの……、それではあれは一体……、」
「遊那殿がご覧になられたものは、“廻”に他なりません。」
「“廻”?」
「シュライン殿、」

突然自分に話を振られて戸惑うシュライン。

「貴女は何故“最後”だと思われましたかな。」
「そう、ですね、……私は死期を感じて、だと思いました。」

他の皆も一様に頷く。

「……まさにご推察の通りです、私の命は尽きようとしております。
 されど、それは天命に従っての事、
 刻が来たのです、哀しむべき事ではありませぬ。
 寧ろ此処まで在れた事を有難く思わなくてはいけません。」

あちらを御覧なされ、と翁が指すは大樹の根元。
悠と也が駆けて行き根元を覗き込む。

「幼木ですー。」
「ちんまいですー。」

翁は云う。

「私が滅しても次の命が芽吹いております、其処に私の心が繋がれてゆくのです。
 遊那殿がご覧になったのはその姿でしょう。」

然し、と遊那を正面から見据る翁。

「生命がこの世に生まれ出でた以上、滅するのは必定。
 そこから目を逸らしてはいけませぬ、今在る状態を受入れなくてはいけませぬ。
 形はなくとも其処に流れるものは不変です、流れを妨げるものもいつか流れに消えるでしょう。」
「……受入れる、……」
「貴女の信じる道をお往きなさい、其処もまた流れが在り何処かへ辿り着くのです。
 自信をお持ちなさい、大丈夫ですよ。こんなに貴女は優しいのだから……。」

言葉には力がある。
使い方如何で影響が与えられる。
翁の言葉により彼女の胸の痞えが涙と共に流れる様を悠也は見ていた。
彼も言霊の力を重視する者のひとり。
為ればこそ翁の言葉に込められた真の意味も理解できた。

「……輪廻、久遠の輪、」
「そうです、其れが“廻”です。」

微笑む翁に悠也も笑みを返す。
其れしか出来なかったからだ、見送る者は笑顔がいい。


「そろそろ、さくら殿の絵も完成のようです。」





狩野永徳創始の英雄主義的構図による千代桜が其処には在った。
大胆な程の画面描写、絢爛であり激しさでありそして静寂であり。

「……出来ました、」

最後の線を引き、筆を置く。
千代桜の姿と馥郁たる香りを存分に身体中で堪能し、酔いしれながら
持てる技量の限りを尽くして姿を写し取った。
会心の出来、さくらは満足げに微笑む。

と、

完成した絵にひとひらの桜の花弁が降ってきた。


ひとひら


ふたひら


見上げると今迄静かに佇んでいた千代桜が、まるで泣き出したかのように舞い散っている。
突然の事に狼狽していると、翁がさくらの元へやって来た。
さくらには翁が千代桜だと判っていた、慌てて襷を外し居ずまいを正すと礼をする。
翁も傍にて深く座礼をする。

「此度は見事なる介錯、忝く存じます。」
「…………、と申されますと?」

顔を上げたさくらに翁は目を細める。

「彼の狩野派の技により私の絵姿が写し取られました、
 姿を絵に写し取る……魂の移し変えの儀に他なりませぬ。」

口元を覆い息を呑むさくら。
だがそこは武士の心を持つ者と添う者、
心に衝撃が走るも直にその表情を隠し再び深く礼をする。

「……お見事で、御座いました。」
「有り難う御座います、思えば同じ刻を生きた貴女に介錯して頂くのも何かの縁で御座いましょう。
 花が散り、幹に活がなくなるまでもう暫く御座いますが……お先に逝きます。」
「千代桜殿……、」

見事な桜の近景図を誇らしげに見やり、翁の目には笑みが浮かぶ。

「ほんに見事な……、この絵を貴女のお店へ置いて頂けますかな?」
「ええ、もとよりそのつもりです、屏風絵に仕立て上げようかと思っております。」

その言葉に余程安堵したのだろう、ほうと溜息をひとつ。





「嗚呼、これでもう思い残す事は在りませぬ、」





言葉が終るか終らぬかに千代桜の花弁が一斉に舞い散った。
それはさながら雪の様。
白く冴えた月にも映え、光る様は幽玄をかもしだす。

「まるで涙の様……悲しみではなく、歓喜の様な……、」

誰とはなしに呟くシュライン。
千代桜の全てを受け止めるかのように両手をひろげる。
桜の枝ぶり、咲き誇る花、そして風に舞う花弁の音。
己の目と耳、五感の全てで以って自分の特別な記憶として大切に仕舞っておきたい。

「……有り難う、美しい桜……私は忘れない、私にとって桜は大切な懐かしいものだから……、」
「それが何より望む事です、心の片隅に千代桜と云う桜が在った事も憶えていて下され、」

童達が降りしきる花弁に歓声を上げている。

「翁(おう)、翁、見て見て。」
「真っ白です、雪のようです。」

両手にいっぱいの花弁を翁に差し出すとそれを受け取り目を細める。
そしてふたりの式神の主に声をかける。

「悠也殿、酒(ささ)を、お願いできますかな。」
「……ええ、わかりました。」





再び緋の敷物に座し、皆の前には白い杯と悠也の御神酒が配された。
未成年者である勝明も、この時ばかりはそれを受け取る。
何か、特別な儀式であると理解した為だ。
皆へ杯が回ったのを確認し、翁は遊那に花弁を所望する。

「此れ、ですか?」

招待状に在った花弁。
遊那は此れが気になり掬っては見ていたのだった。
それを受け取ると翁は扇を取り出す。

「今宵は皆様方、お忙しい中よくぞいらして下さいました、改めて御礼申し上げまする。
 お蔭様をもちまして無事転魂の儀を終える事が出来ました、
 此れもひとえに皆様方のお力に他なりません。
 お礼と申してはささやかなれど、私の記憶の断片をご覧下さいませ。」
「お礼って……、」

杯を持ちながら勝明は云う。

「お礼って俺は何もしていないし、此処へ来て桜を見ただけで本当に何もしていないです、
 ……ただ、今この瞬間に、この世界に今まで存在した事を誇りに思っている……けど、」
「私は坊やがそう思ってくれる存在で在った事が、何より誇らしい。
 有り難う、何よりの手向けの言葉だ……、」

目を細めて勝明を見遣り、目を瞑る。
そして再び開いた時、遊那の花弁を扇で扇いだ。
と、ひとひらの花弁が其々の杯に入って浮かぶ。

「此れにて最後の宴を執り行いまする。
 杯を干されよ、然らば千代桜、今生の大舞台に御座りまする、」

さくらがまず杯を干し、其れを見て皆も次々と干していく。
次の瞬間、
振る雪の如く舞い散る花弁が轟と渦を巻き皆を包み込む。
然しそれも直に止み、今度は霧の様に周囲を揺蕩いはじめた。



風に揺れ、降る花弁をふたつの小さな幼い手が追う。
白い水干、緋の袴、
廻り、廻りて童の歌。
それと共に幻灯の様に浮び上る人影、



さくら、さくら……



十二単、狩衣、
桜の元で繰り広げられる酒宴、
さんざめく声、衣擦れの音、



さくら、さくら……



大鎧、陣羽織、
桜の元で振り下ろされる太刀、
嘶く馬、飛び交う弓矢、



さくら、さくら……



二人静、道成寺
桜の元で花開く幽玄、
振れる袖、俯く面(おもて)、



さくら、さくら……



詰襟、着物、
桜の元で拡がってゆく開国、
攘夷の旗、倒幕の幟、



さくら、さくら……



軍靴、国旗、
桜の元で交される別れ、
家族の絆、夫婦の縁、



さくら、さくら……



朱塗りの傘、緋の敷物、
桜の元で催される宴、
心の道、刹那の永遠、



さくら、さくら……



さくら、さくら……



唄いながら、降る花弁を追いかけて舞う童。
水干の白、巫女袴の緋、夜桜の紫。
色と桜の乱舞。
朧の走馬灯が皆の間を通り過ぎる。
それは幻、為れど記憶。





悠也は舞う童を愛しげに見遣り、刻の記憶を受け止める。
掌をあげると花弁が舞い降りる。
まるで其のままとけて消えそうな幻覚に苦笑する。

「……終わりは始まり、そして魂は流転する、」

縁は廻り、流れとなりやがて輪へと繋がる。
輪は環であり倭として和となる。

「……再び相見える時、貴方はやはり今のままのお姿なのでしょうか……、」

翁の声が聞こえ、悠也は微笑む。
変わるもの、変わらぬもの。
散る桜、芽吹く若木。

「それもまた、いいかもしれませんね、」

ひとりごちて見上げる桜。
月灯りと幻灯に、眩しいものをみるかのように手を翳す。



一葉の葉脈と同じ様、刻の葉脈に記憶を残す。
全てを包み込み、深く、柔らかいその場所で
草壁さくらと云う名の時代の一期一会。


「……其れでも、」





其れでも、その姿は幾年も心に生きる―――。






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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


【 0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【 0134 / 草壁・さくら / 女性 / 999歳 / 骨董屋『櫻月堂』店員 】
【 0164 / 斎・悠也 / 男性 / 21歳 / 大学生・バイトでホスト(主夫?) 】
【 0932 / 篠原・勝明 / 男性 / 15歳 / 学生 】
【 1253 / 羽柴・遊那 / 女性 / 35歳 / フォトアーティスト 】


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■         ライター通信          ■
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お初にお目にかかります、伊織です。
此の度は最後の宴にご参加頂き、真に有り難う御座いました。
季節柄の花見では在りましたが、此方では静かに厳かに執り行われました。
此れもひとえに皆様のお蔭に他ならず、お礼申し上げます。

今回初めて採用致しましたNG行動につきましては、全員無事通り抜けられました事を報告致します。
其れ所か皆様少しずつWRの思惑を読取られた様なプレイングであり
此れほど嬉しく思うものは御座いませんでした。

今回のNG行動は「千代桜の寿命を延ばす」「散るのを止める」「若返らせる」でした。

千代桜の散るを止める、それは自然の理に反するおこがましい行為です。
花は散り而してその後には次の命が芽吹いています。
事象は流れ、廻ってゆくもの。
その流れを止めてしまうのは森羅万象全てを止めてしまう事に他ならず
此れを以ってNG行動と致しました。
特殊能力が在れば使用してしまいがちです。
然しTPOをわきまえた使用が望ましい、と思っております。
今回参加の皆様、その能力をまさに適材適所にて発揮されており
改めて御礼申し上げます……素敵なプレイングを有り難う御座いました。

普通に考えてみれば何でもないことですが敢えて設定した次第です。
花吹雪を止めてしまうのは無粋でもあり面白みに欠けます。
散るからこそ、花はその姿を美しく在るのです。

ちなみに準NG行動は「乱痴気騒ぎ」でした。
特に難しい仕掛けではないと思われますが、如何でしたでしょうか。

宴と銘しながらも殆ど心象内容になってしまいました。
余程個人ノベルにした方が良かったやもしれませんが、其れはまた別の機会に。

千代桜の記憶、然とお受け取り下さいませ。
それが千代桜の、WRの御礼の気持ちと思って頂ければ幸いです。
次回、お目にかかれましたら宜しくお願い申し上げます。



>草壁さくら様

初めまして、さくら様。
此度は最後の宴へようこそお越し下さいました。
また千代桜への介錯、この様な形にて執り行わせて頂きました。
恐らくそのつもりで無かったかと思われましたが、折角の絵画描写でしたもので。
絵を描く、とは古よりその様な儀式的な意味も在りました、さくら様でしたら其れも可能であろうかと。

穏やかな女性である事は存じておりましたが、今回はプレイング内容に基づき
武士の妻女としての振る舞いを中心に描写させて頂きました。
荷物になるかと思われますが桜の屏風、お店の片隅にでも置いてやって下さいませ。
店主殿にもご迷惑かけてしまいますが、さぞや立派な『櫻大樹之図』になろうかと思われます故。



このノベルを執筆中に、此方では桜が満開になりました。
皆様の処では如何でしょうか。

此度はご参加、真に有り難う御座いました。