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■インタレスティング・ドラッグ:3『襲撃』■

リッキー2号
【1917】【常・雲雁】【茶館の店員】
 チクタクチクタク――

 男の手の中で、銀の懐中時計が、ひそやかに時を刻んでいる。
 ガラス玉のような目が、じっと、こちらを見ていた。
 そして、男は抑揚のない声で話し出す。
「与えられることを拒むものよ……」

 *

「シルバームーン……って――あの、シルバームーン株式会社のことですか」
 ぽかん、と、三下忠雄は口を開けた。
「そ。日本一の総合商社……三下クンでも名前を知ってるくらいだものね」
「あの会社が……『ギフト』をつくってるっていうんですか? シルバームーンはメーカーじゃないでしょう」
「そういう問題じゃないでしょ。……製造しているかどうかは知らないけれど、集まった情報からは、あの会社がなんらかの形で関係していると言わざるを得ないのよね」
「なんだか……妙な話になってきましたね――」
「それを調べるのが私たちの仕事でしょう。まずはシルバームーン社の資料を集めて……それから、協力してくれそうな人たちに連絡取ってちょうだい」
 麗香は三下にそう命じると、席を立った。もう普通の会社であればとっくに退社している時間だったろうが、編集部はますます活気づいているように見える。
 「スクープ!謎の薬『ギフト』の製造元を直撃!」――そんな見出しを夢想しながら、麗香が手ずからブラックコーヒーを入れようとしたときだった。
「編集長ー。宮内庁の八島さんという人からお電話です」
 形のいい眉がそっとひそめられる。
「……なにかしら」
『警告ですよ。まさかシルバームーン社のことを調べようなんて思ってないでしょうね』
 電話の向こうから聞こえてくる声に、麗香は、声のぬしである黒服・黒眼鏡の男の顔を思い浮かべる。
「愚問だわ。『ギフト』は今、いちばんホットなネタよ。シルバームーンに比べたらウチなんて零細企業もいいとこ。仕事しないわけにはいかないの」
『今度ばかりはおやめになったほうがいいでしょう。いいですか、麗香さん。かれら――ないし、かれらが関係するなにものかは、秘密裏のうちにあの薬物をバラまき、都民の中に数え切れないくらいの能力者をつくり出した。そして今度は、能力者を回収しているんです。拠点を発見したと思ったら、あっという間に引き払ってしまうし……。これだけの組織力を持つ連中が――』
「…………」
 不自然な間があいた。受話器の向こうから、雑多な音声が飛び込んでくるので、これは外から携帯を使ってかけているのだな、と麗香は見当をつける。
「どうしたの。もしもし……?」
『やれやれ。気をつけないといけないのは私も同じでした』
「ちょっと、それどういう――」
 麗香の問いに答えるように、はげしい破壊音が耳に飛び込んできた。
『麗香さん……今回の件にかかわった…………に、警告…………はやく…………懐中時計の男――』
 雑音まじりに聞こえてくる八島の声。
 そして、電話は途切れた。

 *

「与えられることを拒むものよ……」
 男の声に、鬼鮫はゆっくりと振り返る。
「自身が受取らぬは、それもまた選択だ。……だが、受取るべきものたち、与えられることを望むものたちが、その手にするべきものをさまたげるのは、許されることではない」
 ふん、と、鼻を鳴らすと、彼は仕込み杖から白刃を抜き放つ。
「人形め」
 したたるような憎悪をこめて、鬼鮫は言うのだった。
 そして。
 男の手の中では、銀の懐中時計が、ひそやかに時を刻んでいる。

 チクタクチクタク――


インタレスティング・ドラッグ:3『襲撃』


■ 不穏な前奏 ■

 男たちは皆、黒服に黒タイ、黒眼鏡。
 子細に見ればひとりひとりの顔立ちや体型は違うのだが、これだけ人数が揃うと、もはや「黒服の男たちの群れ」としか認識されない。
(へえ、この娘が?)
(まだ7つだって)
(確認されてる『ギフト能力者』の中で最年少じゃないか?)
(もともと能力の素養があったらしいが)
(友だちの男の子も能力を得たらしい)
(「眼鏡の男」に遭遇しているそうだ)
 ひそひそと囁きかわされる声。
 取り囲まれて、少女は、不安そうに身を縮まらせた。
「大丈夫」
 少女の肩にそっと置かれた手は、しかし、人のものではなかった。
 ふりむくと、かしゃり、と微笑んだのは人形の顔だ。
「なりはあやしいけど、きっと蒲公英はんのこと助けてくれはるよ」
 蒲公英、と呼ばれた少女は、笑みを返そうとしたようだが、うまく笑えないようだった。
「まあ、あやしいのは、この小娘も同じやけどな」
 人形が言ったのは、彼を抱く操り手の少女――白宮橘をさしてのことらしい。しかし、その発言も、後ろの橘の腹話術のはずなのだが、あたかも少女と人形が別人格でもあるかのような物言いに、蒲公英は小首を傾げる。
「やあ、お待たせしました」
 かつ、と革靴の足音をフロアに響かせて、あらたに黒眼鏡の男がひとり、あらわれた。
「……こら、きみたち、彼女がこわがっているだろう。さあ、仕事に戻って戻って」
 ふたりを取り囲んでいた黒服たちを追い払う。
「八島はん、蒲公英はんは……その――」
「まだ検査結果は分析中ですが」
 八島真は穏やかに応えた。
「とりあえず、身体的に異常はないようですので、お帰りいただいても結構です。送っていきますよ」
「ほんま。……それだけでも、よかったわ。なんせ、『ギフト』を飲んで、あいつらにいろいろ実験みたいな研究みたいなことされとった言うねんから……」
 橘――いや、人形の榊はぱっと明るい顔を見せたが、当の蒲公英はじっとうつむいている。帰っていただいても結構、と言われても、書き置きをして家を出てきた手前、帰るところなどありはしない。だいいち、当初の目的であった健太郎を見つけだすことが、まだできていないのだ。
「蒲公英はん」
 その思いを読み取ったように、榊が言った。
「大丈夫。大丈夫やから」
 なにがどう大丈夫なのか、当の榊(橘?)にもわかっていないのかもしれない。それでも、蒲公英はそっとうなずくしかなかった。

(未来へのトビラを開く鍵をあなたに)
 ふわりと、画面の中に浮かび上がってきたのは、そんなキャッチコピーだ。つづいて、天を突く高層ビルの画像。いかにも大企業らしい、洗練されてはいるが、漠然としたサイトだ、と、雲雁は思った。
(シルバームーン株式会社公式WEBサイトへようこそ)
 メッセージの脇で微笑んでいるキャンペーンガールには見覚えがある。SHIZUKUなのだ。この事件――服用した人間に特殊な力を与える薬物『ギフト』にまつわる不穏な事件に、かの企業が関係している、という情報をもたらしたもののひとりが、他ならぬ彼女だった。
 雲雁は、慣れた手つきで、サイトの中から目的の情報を探しあてた。
 ――【プレスリリース】弊社新社屋落成のおしらせ
「浜松町――ね。東京湾を眺められる場所だな。……このあいだの倉庫にも近い」
 独り言を漏らした。
 湾岸の倉庫で見た光景が脳裏に甦る。じっと、闇の中に無言で立ち並んでいた人形――『ボウシヤ』たちの群れ。
 あの後。
 問題の倉庫はすでに引き払われていたことがわかっている。
「んー……」
 まだ材料が足りない。雲雁は思った。思いのほか、巨大なこのパズルを完成させるには、まだまだピースが必要なのだ。

 その頃。
 赤と青のツートンカラーのカプセル――この事件にかかわるものたちにはすっかりおなじみになった一錠を手に、じっと考えをめぐらせている青年が、もうひとり、いた。
 天樹火月は椅子の背もたれに体重をあずけ、カプセルを光にかざして、ぼんやりと眺めていた。そうすることで何が見えるわけでもない。ただ、考えに没頭していたのである。
(あれから、ネット上にニセの情報流してみたりして、俺なりに牽制してみたつもりだけれど……。ネットではだいぶ、『ギフト』の話題も下火になってきたような気がする。……でも、それで事件が終わったとは思えない。月読のヴィジョンでは――「計画は第2段階」っていっていたんだ……)
 火月は気がつかなかった。
 そのとき、彼の姉が、いつのまにか後ろに忍び寄っていたことを。
 不運だった。いくらが火月が歴戦の戦士といえども――
 兄のように予知能力があるわけでもなく、また、彼の姉は世界各地の紛争地域で傭兵として活動したこともある人物だった。
 だから、この一秒後。
 姉は難なく可愛い弟をうしろから抱きすくめ、驚いた火月は思わず、手にしたカプセルを、飲み下してしまうことになったのである。
「……!」
 気づいたときにはもう遅い。
「な、なにする――んですかッ!」
 げほげほと咳き込みながら抗議したところで、姉はにこにこと笑っているばかり。
 ――どくん。
 自分の中で、なにかがうごめきはじめたような不気味な感覚に(それが錯覚であることを彼は祈った)火月は眉を寄せるのだった。

■ 懐中時計の男 ■

「宮内庁の八島と言います。碇編集長はいらっしゃいますか?」
 車を運転しながら、携帯電話で話している(一応、ハンズフリーのイヤホンとマイクを使っている)八島を、助手席から榊の目がきょときょとと眺めている。橘は、じっと目を閉じていた。後部座席には蒲公英。こちらは窓の外を流れていく街の灯りを所在なげに目で追っていた。
「警告ですよ。まさかシルバームーン社のことを調べようなんて思ってないでしょうね」
 八島が誰かと会話する声だけが、車内にひびく。
「今度ばかりはおやめになったほうがいいでしょう。いいですか、麗香さん。かれら――ないし、かれらが関係するなにものかは、秘密裏のうちにあの薬物をバラまき、都民の中に数え切れないくらいの能力者をつくり出した。そして今度は、能力者を回収しているんです。拠点を発見したと思ったら、あっという間に引き払ってしまうし……。これだけの組織力を持つ連中が――」
 急ブレーキ。
「おわ、な、なんや。どないしたん!?」
 はっと目を開ける橘。蒲公英もなにごとかと目を向ける。
 時刻は遅い。さいわい、後続車はなく、うしろから追突される危険はなかったものの――。
「あ……」
 榊が小さく声をあげ、蒲公英が息を吸い込む。
 フロントグラスの向こう側……車の行く手を阻むように、道路に仁王立ちしているシルエットがあった。
「やれやれ。気をつけないといけないのは私も同じでした」
 八島が言う。
 前方の人物は、コートを着た中年の男のようである。蒲公英は、以前、街で彼女に話しかけ、あの研究所へと導いた眼鏡の男を思い出す。同一人物では、おそらく、ない(だいいち、眼鏡をかけていない)。だが、どこかしら雰囲気が似ている。……もし、この場に火月か雲雁がいたら、こうも思っただろう。どこか『ボウシヤ』に似ている、と。
 コートの男がゆらり――と、片手をあげた。男の手の中で、きらりと光ったのは――鎖のついた懐中時計。
「車から降りてッ!」
 八島が叫んだ。
 彼と、橘が動くのはほぼ同時だった。そして同じ瞬間、車のフロントが粉々に砕け散る。蒲公英は声も出ず、身をすくませた。……が、それを予想していたと見えて、彼女は後部座席のドアを開けて、少女の手を取った。
 ひゅん、と、空を切って、第二撃が来た。
 掌に収まる懐中時計が、どうして、こんな破壊力を持ったものか。ハンマー投げのように、あるいはヨーヨーのように放たれたそれは車のボンネットを直撃する。凄まじい音とともに、エンジン炎を吹き上げた。
「車から離れてください!はやく!」
 もっと大きな爆発を予想して、八島が声を張り上げる。右に榊、左に蒲公英を抱えるようにして、橘は走った。榊はいつのまにか太刀を抜き放って手にしていた。
「麗香さん、お願いがあります。今回の件にかかわった人たちに警告してください。できるだけはやく。やつら、どうやってか私たちのことに気づいています。懐中時計の男に注意してください――」
 八島が、まだ繋がっていたらしい携帯に向かって怒鳴っているが、この状況下でどれほど伝わっているかはあやしい。
 懐中時計の男は大股に、八島のあとを追う。
「与えられることを拒むものよ」
 抑揚のない声が告げた。
「自身が受取らぬは、それもまた選択だ。……だが、受取るべきものたち、与えられることを望むものたちが、その手にするべきものをさまたげるのは、許されることではない」
 懐中時計が大きく宙に弧を描く。
「八島はん!」
 橘に返ってきたのは、ぐう――、と、押し殺した悲鳴だけだった。

「八島さんが!? 大変だ……」
 翌日。
 アトラス編集部では、雲雁と火月が顔を見合わせていた。
「その電話が最後で――、今朝、あのなんとか係に電話してみたんだけど、今日は登庁していないんですって」
 麗香は言った。
「むこうも上司と連絡がつかないんで、てんてこまいだったわよ。『ギフト』事件にかかわった女の子たちを送っていくところだったそうよ」
「蒲公英ちゃんと橘さんだ」
 火月が言った。
 彼女たちが二係へ行く前、ふたりは火月の家でもある喫茶店に居たのである。
「どうしよう、助けなくちゃ」
「……その『時計の男』というのは?」
 雲雁が尋ねた。しかし、無言で首を傾げる動作が麗香の答だった。
「薬をバラまいていたのが『ボウシヤ』、能力者たちを回収していたのが『メガネヤ』、すると……さしづめ『トケイヤ』ってとこかな。役割は――邪魔になったものを排除すること……そんなところだろう」
「蒲公英ちゃんはまちがいなく生きている。『ギフト能力者』なんだから。……橘さんと八島さんも、そう簡単には――と思いたいけれど……」
 ふたりのあいだに、沈黙が流れた。
「行ってみるしかない。……シルバームーンの本社へ行ってみよう」
 火月が、勢いこんでその沈黙を破る。
「でも、どうする? シルバームーン社は最近、新社屋が完成しているんだ。今はまだ移転前だけど……どちらかをあたるか、それとも戦力を分散させてでも手分けするか――」
「賭けてみよう、新社屋に」
 雲雁の言葉に、火月は簡潔に答えた。
 ふたりはうなずき合う。事態が急速に動き始めていることを、ふたりとも感じていた。無駄にしている時間はないのだ――。

■ 敵地 ■

 目を開くと、硬いベッドの上に、寝かされていた。
 蒲公英は半身を起こし、周囲を見回すが、そこは見覚えのない、白壁の殺風景な部屋だった。
(健太郎さん……)
 記憶が波のように押し寄せてくる。
(タンポポ!)
 炎上する車の、炎の熱気が頬を焦がす。見覚えのある男の子のシルエットが、『トケイヤ』の背後に立った。『トケイヤ』の足元には八島が、そして橘が倒れている。なんとかしなくちゃ、と思いはするが、身体が言うことを聞かなかった。
(迎えに来たんだ)
 健太郎は言った。
(おまえも『ギフト』を飲んだんだろう? だったら……オレたちと一緒に来なくちゃ)
 ふるふると首を横にふる。それが蒲公英の答だった。
(どうしてだよ。そうしなきゃいけないんだ。オレたち、『ギフト』で力を貰ったんだから……)
 違う。そうじゃないのだ。
 伝えたいことを言葉にできない自分を、蒲公英は呪った。
(しょうがないな。とりあえず来てみろよ、そうすればわかるから――。こいつらのことだったら心配すんな。殺さないようにオレが言ってやるから……)
 『トケイヤ』が一歩を踏み出す。手の中の懐中時計が、鈍く光った。
「……!」
 ふいに、ドアが開いたので、蒲公英の回想は中断する。ひょっこりと顔を出したのは――榊だった。
「よかった。怪我はない?」
 頷く。
「あいつらとんだ間抜けや。わいと小娘を引き離さんと閉じ込めよった。わいをただの人形や思うたら大間違いやで。……さあ、はよ、八島はんを見つけて、逃げよ」
 橘が蒲公英の手を引く格好で、ふたりは廊下に出た。
 床も壁もまだ新しい。
「ここはたぶん、シルバームーンとかいう会社のビルやと思う」
 同じ印象を受けて考えたのか、榊が言った。
「それも、最近、出来たっちゅう新しいほうや。いったい、何をたくらんどるんやか」
 ふたりの少女は、迷路のような廊下を走りつづけた。やがて、開けた、天井の高い一角にさしかかる。そこは一方の壁がガラス張りで、そこからは吹き抜けの空間を見下ろすことができた。どうやら、彼女たちがいるのは、相当大きなビルの、高層階にあたるようだった。
「蒲公英っ!」
 突然、名をよばれて、蒲公英がびくりと立ち止まる。
 健太郎だった。
「どこ行くんだよ。寝てなきゃだめだろ」
「健太郎……さん」
「あんたが? そうか、ちょうどよかった。一緒にここを――」
「うるさい」
 ごう、と、音を立てて、炎の輪が出現した。橘を戒めるようにとりかこむ。熱気が空気を焦がした。
「な、なにを……」
「邪魔するな。蒲公英はここにいるんだ」
「やめて……やめて、健太郎さ――」
「オレの言う通りにしろよ!」
 炎の輪が、蒲公英の周囲にも出現する。
「あ――っ」
 予想以上の熱気に、蒲公英は怯んだ。
「見ろよ――オレの『ギフト』……『ダンシング・サン』だ。シャチョウさんはオレたちに必要な力をくれるんだ。蒲公英だってオレたちの仲間なんだから……」
 必死に、彼女はかぶりを振った。少年の表情がかっと怒りにゆがむ。
「なんだよ。おまえはいつだってそうだな! オレを怒らせると火傷するんだぞ、ええっ?」
 炎の輪が直径を縮める。肌を刺す熱に、蒲公英が悲鳴をあげた。
「もうやめとき!」
 ふっ――と、炎が消えた。
「えっ!?」
 榊が、かちん、と飾太刀を鞘に収めた。『断花』で、炎を断ち切ったのだ。
「女の子相手に乱暴するもんやないよ」
「くそっ……」
 とどめのように、背後からの手が彼をがっしりと掴み、持ち上げた。
「大き過ぎる力を下手に扱うと怪我をするよ」
 雲雁だ。彼に抱えられて、健太郎は足をじたばたさせるが、いかんせん、子どもの力では抗えなかった。雲雁が、少年の額に手をあて、そっと呪文をささやくと、彼はぐったりと力を失い、そのまま寝息をたてはじめる。
「しばらく眠っていてもらおう」
「よかった。怪我はありませんか」
 橘は、なにもない空間がかげろうのように揺らぐと、長髪の青年の姿があらわれるのを見た。
「あ、あんた――そうか、『響』の」
 その瞳が、先日、彼女たちを助けてくれた青年と同じ色をしていることに気づいて、橘はすべてを了解した。
「さあ、はやくここを離れましょう。探査してみたけれど……八島さんはこちらにはいないみたいだ」
「さっきのは」
「ああ、これですか?」
 青年――火月の姿がふっ、と消えては、またあらわれる。
「光を屈折させて姿を隠しただけです。一種の光学迷彩というか。これで、警備の目をごまかして、雲雁さんとここまで来たんです」
「でもこのビルの警備は異常だよ。まだ移転前の――がらんどうのはずなのに、どうしてこんな……」
「話はあとや。早う蒲公英はんと健太郎はんを安全なところへ――」
 橘が言いかけたとき、
「待ちたまえ」
 はっと振り向いたところに、その男が立っていた。
 ソフトスーツの青年であった。二十代の後半から三十代はじめと見える。そのきりりとした若武者のように凛々しい容貌に、雲雁と火月は見覚えがあった。
「月野雄一郎」
 ふっ、と男が微笑む。
「お見知り置き下さって大変、光栄。シルバームーン代表取締役の、月野です」
 優雅に一礼。
「さて、お客様には申し訳ないが、このビルはまだオフィスとしては準備中ですのでね。関係者以外は立ち入りをご遠慮いただいているのですよ」
「ええ、もう失礼するつもりでした」
 油断なく間合いをとりながら、雲雁が答えた。
「その子どもたちは――『関係者』ですのでね。お引き取りいただくのはあなたがただけでお願いしますよ」
「そういうわけには――」
 するり、と、雲雁の脇を通り過ぎて、蒲公英が走った。あ、と、榊が声を発したが、止めるいとまもなかった。
「ダ、ダメだ蒲公英ちゃん!」
 彼女は、月野の前まで行くと、じっとその瞳を見上げた。
「お……おねがい――」
「ん。何かな」
「もう――やめて」
「やめる。何をだい?」
「『ギフト』……」
 かぼそい声だったが、それはその場にいた全員の意識に、はっと突き刺さった。
「いらないの――」
「ほう」
「わたくしは……とーさまや、健太郎さんや……みんなと、ただ、普通にしていられたら……いいんです。とくべつなちからなんて――」
 ふふふ、と、男は静かに笑った。
「でもきみは――すでに与えられているだろう……?」
「蒲公英ちゃんから離れろ!」
 光だ。目を灼く閃光が迸った。雲雁や、橘でさえ、目をそむけるほどの強い光だった。
「雲雁さん、この場はオレが。さあ早く」
「よし。来るんだ、橘さん」
「せ、せやけど――」
「『急々如律令――とく参じよ、十天を渡るもの、九里に声を響かせるもの』!」
 けたたましい破壊音。吹き抜けの空間に面したガラスが吹き飛んだのだ。
「一気に降りるよッ!」
 青白い、輝く翼を持った鳥のようなものが、雲雁と、その肩にかつがれた健太郎、そして反対の手に抱かれた橘(と、さらにその腕の中の榊)を背にのせていた。そして、自由落下のスピードで、かれらは目もくらむような高さの吹き抜けへと飛び出していったのである。

■ 罪と罰 ■

「たあッ!」
 気合い一閃。
 火月の手刀は光の剣と化していた。一気に間合いを詰め、それは無防備に立ち尽くす月野雄一郎を薙ぎ払うかに見えた。だが――。
 鋭い悲鳴を、火月は聞いた。
「何ッ!?」
 瞬時にして、火月のまとう、一切の光が消え失せる。バランスを失って、彼は地面に倒れた。
 蒲公英だ。うずくまり、ふるえている。
「そう――か……蒲公英ちゃんの――『ギフト能力』」
 火月は、兄から聞いていたことに思い当って、低く呻いた。
「そう。わかっただろう?」
 青ざめた蒲公英の肩に、月野が両手をかける。
「きみの願いをかなえるのに、わたしの贈り物は役に立っているじゃないか」
 そこで、緊張が限界に達したと見え、少女の身体がくずれるのを、火月は見た。
「嘘だ」
 きっ、と月野を睨みつけ、叫ぶ。
「いたずらに力をバラまくなんて……それでみんなを混乱させて――オレは認めない」
「頑なだね」
「大きな力は、それに見合う心の持ち主が持たないと、争いになるだけなんだ」
「笑わせる!」
 月野は、あくまでも、余裕の態度をくずさなかった。
「それはすでに与えられたものの傲慢に過ぎない。自身が受取らぬは、それもまた選択だ。……だが、受取るべきものたち、与えられることを望むものたちが、その手にするべきものをさまたげるのは、許されることではない。それに――」
 火月は、はっと息を呑んだ。月野雄一郎の瞳が、冷たい銀色に輝くのを、見たからだった。
「きみもすでに与えられているではないか」

 ――ドクン

 火月は、視界が揺れるのを感じた。なにかがおかしい。いや、だが、これは……
 そして、
 その瞬間、彼は「理解した」。

「あ――あああああ……ッ」
 めきめきと、音を立てて、光の結晶とも、燐光を放つ金属ともつかぬものが、火月の皮膚を突き破って、あらわれようとしていた。甲羅のように、鎧のように、彼の身体をおおいつくしてゆく。
「それがきみの『ギフト』だ。きみの頑なな心が形となった……いわば心の鎧。――自身の頑なさの重みに、果たしてどこまで耐えられるかな――?」
「こ、こんな……もの――ッ」
 変異をつづける火月を、青年社長は悠然と見下ろしている。

「火月はん……大丈夫やろうか」
 橘が、心配そうにふりかえる。
 雲雁の召喚した霊鳥・青鸞の飛行速度は凄まじく、かれらのうしろで、シルバームーンビルはぐんぐん小さく、遠ざかっていった。だが、そこにまだ火月と蒲公英が取り残されているのだと思うと、その光景は安堵よりもむしろ不安を誘う。
「よし、ここでいったん降りて。ぼくが戻ってくる」
「それやったらわいも――」
「橘さんは健太郎くんを…………ん、あれは?」
 雲雁が目に止めたのは、地上で一戦をまじえているふたりの人影だった。
 青鸞を旋回させ、近くに舞い降りる。
「お、鬼鮫!」
 榊の叫んだ名に、男が一瞬、反応したが、すぐにまた敵に向き直る。
 鬼鮫が相対しているのは、コートの中年男――『トケイヤ』だった。雲雁たちが駆け付けたのは、ちょうど、勝敗が決しようするところであったらしい。鬼鮫の刀が、人造人間の胸に深々と突き刺さり、それは動きを止めた。
「ふん。……人形ごときが俺の相手がつとまるか」
 不機嫌そうに、鼻をならした。
「IO2も動いてるって、八島さんも言っていたけど――」
「あんたもあのビルに行くんやな」
 鬼鮫は、榊の問いには応えなかった。
 ただ、シルバームーンビルの方角を見て、苦虫を噛んだような顔をしているだけだ。
「驕れる――ものたち、よ」
 そのとき、たしかに一度は動きを止めたはずの『トケイヤ』が言葉を発したので、かれらは緊張に身体をこわばらせた。
「この声……月野社長」
 雲雁はその声が、さきほどの青年社長のものであったことに気づいた。『ボウシヤ』とはあきらかに違う、感情をともなった人間の語りだった。

 火月の耳に、その言葉が届いていたかどうかはわからない。
 だが、それでも、月野雄一郎は語り続けていた。

「わたしは多くの、求めるものたちを見、望むものたちの声を聞いてきた」
 そして月野雄一郎と、彼の意志を代弁する『トケイヤ』は、奇蹟をしめす聖者のように、両手を広げた。
「人は与えられることを望むものなのだ」
 その声に呼応して、

 光が舞い降りた。


■ そして、降臨するもの ■

 見よ――。

 東京上空に出現したそれを、人々は畏怖をもって見上げた。
 曇天を割って舞い降りてきたかと思うと、東京湾岸にそびえたつ高層ビルの真上にぴたりと静止する。遠目にも、それがかなりの大きさを持っていることがわかった。直径は1キロをくだるまい。
 ……それは、燦然と銀色の光を放つ、巨大な円盤であった。
(UFO……)
 そんな陳腐な単語が、それを目にした者の頭に浮かんだ。

  求めよ さらば与えられん
  望むものは 欲するがいい
  われは惜しみなく与えよう

 それは音声ではなく、言語でもなかった。
 ただ、その《意味》だけが、そのとき東京一円に放たれた。特に力あるものではないひとびとにも、その《メッセージ》ははっきりと届いたようだった。
 そして。
 銀の円盤から放出されたのは、その《メッセージ》だけではない。
 銀色に輝く、光の柱――レーザーのような光線が、雨のように、円盤から地上に向けて照射されたのである。
 偶々その場に居合わせ、通りがかり、ぽかんと頭上のきらめく円盤を見上げていた人々の幾人かが、その光を浴びた。その瞬間、彼/彼女は理解するのだ。自分は、『与えられた』のだ、と。

  見るがいい。
  人類は与えられることを望んでいるのだ。
  東京は――
  わたしの贈り物を受取るだろう。


(第3話・了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1600/天樹・火月/男/15/高校生&喫茶店店員(祓い屋)】
【1917/常・雲雁/男/27歳/茶館の店員】
【1992/弓槻・蒲公英/女/7歳/小学生】
【2081/白宮・橘/女/14歳/大道芸人 】

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■         ライター通信          ■
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リッキー2号です。
お待たせいたしました、「インタレスティング・ドラッグ:3『襲撃』」をお届けします。

キャンペーンシナリオの第3話にあたる本作は、3〜4名様ずつ×3ヴァージョンのノベルとして作成されています。 よろしければ、他のヴァージョンもお読みいただくと、事件のまた別な側面があきらかになっていると思います。

さて、火月さん&雲雁さん&蒲公英さん&橘さんのチームでは、
シルバームーン新社屋にむかい、社長とも対面する展開になりました。結果はごらんの通りです。ラストに向けて、事態が大きく動いております。
なお、みなさんがたいへんご心配くださった八島さんですが、別のノベルで無事、救出されておりますので、ご安心ください。

お話はいよいよ大詰です。
よろしければ、最終話もおつきあいいただけるとさいわいです。
ご参加ありがとうございました。