■繁栄の裏側■
燈 |
【2667】【鴉女・麒麟】【骨董商】 |
はっきり申し上げますと、男は周囲の者誰にも愛されることなく、寧ろ憎まれてさえいるようでした。しかしそのことは男にとってさほど問題ではありません。何故なら彼が愛する物は、金と己と芸術品、と限定されていたからです。
ある日彼は一枚の絵画を購入しました。古い付き合いの古美術商が持って来たそれは、洗練された美しい風景画でした。川のほとりの白い別荘を描いた様子は、男に自分の持つ別荘のことを思い出させ、それで男はその別荘にこの絵を飾ろうと思いつき、その場で絵を買い上げたのでした。
会社の運営を唯一信頼を置く(男は彼の弱みを握っていましたので)部下に任せ、さらに大事な取り決めは逐一報告するように告げると、男は早速別荘での生活を始めました。額に入れて壁に飾った絵は、思いの他この別荘によく似合っており、男は満足のうちに数日を過ごしていました。
ところがある日、絵の右隅の方に今まではなかった赤い染みが出来ていました。
そしてそれは翌日になると、より一層広がっているようでした。
赤い染みは人の血液によく似ており、不気味に思った男は大金をはたいたにも関わらず、絵を燃してしまおうと外に出ました。
川辺に焚き木を組んで絵をその上に乗せ、火を点けようと男がライターを片手に屈みこんだ時です。
信じられないことに、男の体はみるみるうちに絵の中に引き摺り込まれていってしまいました。男は助けを呼ぶ暇もなく、絵の中に消えて行ったのです。
あとには角の焼けた絵が一枚……。
|
繁栄の裏側
■序章■
はっきり申し上げますと、男は周囲の者誰にも愛されることなく、寧ろ憎まれてさえいるようでした。しかしそのことは男にとってさほど問題ではありません。何故なら彼が愛する物は、金と己と芸術品、と限定されていたからです。
ある日彼は一枚の絵画を購入しました。古い付き合いの古美術商が持って来たそれは、洗練された美しい風景画でした。川のほとりの白い別荘を描いた様子は、男に自分の持つ別荘のことを思い出させ、それで男はその別荘にこの絵を飾ろうと思いつき、その場で絵を買い上げたのでした。
会社の運営を唯一信頼を置く(男は彼の弱みを握っていましたので)部下に任せ、さらに大事な取り決めは逐一報告するように告げると、男は早速別荘での生活を始めました。額に入れて壁に飾った絵は、思いの他この別荘によく似合っており、男は満足のうちに数日を過ごしていました。
ところがある日、絵の右隅の方に今まではなかった赤い染みが出来ていました。
そしてそれは翌日になると、より一層広がっているようでした。
赤い染みは人の血液によく似ており、不気味に思った男は大金をはたいたにも関わらず、絵を燃してしまおうと外に出ました。
川辺に焚き木を組んで絵をその上に乗せ、火を点けようと男がライターを片手に屈みこんだ時です。
信じられないことに、男の体はみるみるうちに絵の中に引き摺り込まれていってしまいました。男は助けを呼ぶ暇もなく、絵の中に消えて行ったのです。
あとには角の焼けた絵が一枚……。
■1.物語への誘い■
ハンドオルガン引きは手を止めて、僅かな観衆に目を遣った。観衆は少しだけ色めき立ち、そしてすぐに静寂に包まれる。――ハンドオルガン引きが、今夜の物語の担い手を探しているとわかったからだ。
ハンドオルガン引きはぐるりと首を回して、それからある1点で視線を止めた。
その時、静寂の中で微かな笑い声が聞こえてきた。風をくすぐるような静かな響きのいい声は、観衆の随分後ろの方から聞こえた。ハンドオルガン引きの、仮面の下に半分隠れた唇がニィっと弧を描き、そして彼は右腕を胸の前に持っていき、笑っていた少女に向かって恭しく辞儀をした。観衆は、2人の邪魔をしないように2つに割れた。
少女は薄い笑みを浮かべながら、肩に掛かった長く黒い髪を払って言った。
「僕が行こうかな。もしかしたら絵が貰えるかもしれないし……それに、お金も」
少女が窺うように肩を竦めてみせたので、ハンドオルガン引きは顔を上げ、そして笑みを一層深くして答えた。
「どうなるかはすべて貴方次第。ただ、私の物語は事実だけを紡ぐのです」
また少しだけ観衆がざわめく。けれども何となくハンドオルガン引きの声と笑みが不穏であった――といっても、それは常のことであったのだが、その時は殊更にそう思えた――ために、少ない観衆の中から自分もと名乗り出る者は他になかった。
ハンドオルガン引きは、仮面の下で表情を変えることなく、ただ口元だけが笑っている。少女――麒麟は、観衆の開けた道を音もなく歩み、ハンドオルガン引きの前まで行って立ち止まった。
ハンドオルガン引きはやはり表情を変えなかった。まるでその笑顔までもが仮面であるかのように。
そして彼は、物語を再開するために、麒麟をその世界へと誘うのだった。
「1名様、ご案内」
そっと耳打ちされた声は、酷く事務的な響きを持っていた。
■2.絵の中の世界■
「さてさて、男が再び目を覚ました時、そこはあの絵の中の光景そのものの世界でした。とはいってもあの絵自体が男が所持している別荘の周辺の景色に非常によく似ていたため、男はまだ自分が絵の中にいるのだということには気付いていませんでした。彼は絵や薪がなくなっていることを不思議に思い、疲れているせいだと決めつけて、別荘に戻ることにしたのです。
ですが、絵の中の世界のことですので、もちろんその別荘は男のものではありません。かけた覚えのない鍵がかかっていて開かない扉に苛立ち、男は強く扉を叩きました。すると内側から鍵のはずれる音がして、開いた扉の隙間から、ひょろりと細長い青年が顔を覗かせたのでした。男はその青年の姿を見て驚いて後退ります。しかし背中を押されて再び青年の前に突き出されたのでした。
男が振り返るとそこには麒麟の姿が。
「その人、随分昔に亡くなった、キミのお兄さんらしいね」
麒麟はまだ20代の半ばであろう青年を指して言いました。男はびくりと肩を竦ませて、痩せた青年へと顔を向けます。青年に表情はなく、ただ落ち窪んだ目の黒い瞳だけがギラギラと光っていました。
「……どうぞ」
青年はちらりと男を一瞥し、それから麒麟の方にも目を遣って、扉を大きく開け放つと2人を中へと招き入れました。
3人はリビングで古いテーブルを囲って座っていました。それは男の記憶が間違っていなければ、随分前に兄の家で見たものでした。そしてそんな物は自分の別荘に置いているはずもなく、本来ならここには古いとはいってもアンティークの、美しいテーブルが置かれているはずでしたので、男はしきりに首を捻っていました。
大体目の前にいるのは確かに自分の兄ですが、彼はもう20年以上も前に死んだはずなのです。
それなのに、彼はまだ生きているように見えました。外見は死んだ時のままのようですが、物に触れることもできるようですし、足もちゃんとありました。自分から触れてみようとは思いませんでしたが、さっき肩がぶつかった時には僅かに体温も感じられたのです。
状況を把握し切れていない男に気付き、麒麟は諭すような口調で告げました。
「ここはキミが燃やそうとしてた絵の中の世界なんだよ?そう、それにこの世界は『繁栄の裏側』でもある」
麒麟が薄い笑みを浮かべたのとは反対に、男は引き攣った表情を浮かべました。あからさまに疑っている男に「まあ、信じる信じないは勝手だけれど」と麒麟は微笑んで、それから窓に引いてあったカーテンを開けました。
外の様子は先刻までとは打って変わっていて、空は灰色の雲が立ち込め、川は濁り、木々は枯れているかさもなければ切り倒された後、といった様子でした。男はその光景に気付き、呆然としています。
麒麟は男に近付いて、そっと耳元で囁きました。
「これでわかった?ここはキミが今まで繁栄の為に切り捨てていったものの掃き溜めなんだ。そして表の世界の裏側にあたる……つまり、キミがここに来た、ということは」
麒麟はその時始めて青年を振り返りました。男もつられて彼の方を見ます。
青年は男の方を見て、嬉しそうにニタリと笑っていました。
「彼はここの主だった。そして今、表の世界にキミがいない。この意味、わかるかな?」
ガタガタと震え出した男はみっともない形相で麒麟に縋りつこうとしました。けれども麒麟はそれを許さず、男の手を払い除けると、青年に手を差し伸べます。
「彼を迎えに来たんだ。新しい、『繁栄の担い手』をね」
くすり。笑みと共に麒麟と青年は陽炎のように揺らいで消えていきました。男の悲鳴が聞こえた気がしましたが、2人はそれを気にしませんでした。
そうして2人が目を開いた時、そこは既に表の世界で、青年は別荘のデスクに座っており、その前に立っていた麒麟に幾らかの謝礼金を渡すと、思い立ったように告げました。
「あの絵だが……持って行っても構わないけれど、一体どうする気なんだね?」
問われても麒麟は答えることなく、ただ静かに笑っただけでした。それから壁に立て掛けてある絵を拾い上げると、玄関へと移動します。
「じゃあね。また何か合った時にでも」
ひらひらとおざなりに手を振って、麒麟は青年に別れを告げました。玄関の扉を開けば、来た時と同じ美しい景色が彼女を迎え入れてくれます。
川沿いを歩いていてふと足を止め、麒麟は思い出したように呟きました。
「そうそう、美術商に礼を言っておかないと」
抱えていた絵が抗議するようにガタ、と少し揺れましたが、麒麟はくすりと笑っただけで、また歩き出したのでした」
■3.物語からの帰還■
消えた時と同じ唐突さで現れた麒麟に観衆の視線が集中する中、ハンドオルガン引きは物語を締め括るためにコホンと小さく咳払いをし、皆の注目を集めた。大きく息を吸い込んで、最後の一節を朗々と謳い上げる。
「つまり、この顛末は最初から仕組まれたものなのですが、一体誰がこの愚かな男に同情なぞしましょうか?哀れ、男は存在自体も忘れ去られ、男の変わりに男よりも若い兄がその仕事を担ったのです。
そういうわけで、男よりもずっと真面目で誠実な人柄の兄は、部下からの信頼も厚く、事業はますます成功した。というところでこの物語は終わります。誰も男のその後は知りませんが、そもそもそのようなことを気にする人間がありませんでしたので、それはずっとわからないままなのです」
男は深深と腰を折り、それから始まりと同じようにハンドオルガンを引きながら、再び夜の闇へと溶け込んでいった。
観衆は次々にその場を後にしていき、麒麟もまた家路を急いだ。夜はもう随分深いところまで来てしまっている。
頭上に輝く月も誰も、彼の行方を知らない。
―了―
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【2667/鴉女・麒麟(からすめ・きりん)/女/17才/骨董商】
(※受付順に記載)
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
こんにちわ、ライターの燈です。
「戦争の犠牲者」へのご参加、ありがとうございました。
>鴉女麒麟様
3度目のご参加、ありがとうございます!
今回は初の試みとして、物語世界への参加部分から書いてみましたが、いかがでしたでしょうか。
物語の中で麒麟さんは、絵の中の男の兄の存在に気付き、そして彼の望みを聞き入れるというような役割なのですが…微妙に判り辛くてすみません(汗)
それではこの辺で。ここまでお付き合い下さり、どうもありがとうございました!
|
|