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■真鍮の日に■

モロクっち
【2269】【石神・月弥】【つくも神】
 いやに黄色い夕焼けで、東京が真鍮色に染まったあの黄昏に――
 東京タワーは真鍮に喰われ、成長し続ける『塔』へと変貌した。
 開きっぱなしの入口から入るたび、『塔』の内部は変わってしまう。けれども、そこに住んでいる奇妙な天使たちの姿と態度だけは不変のままなのだ。

 いらっしゃい、

 エピタフと名乗る塔の主は、にこやかに今日も来訪者を歓迎する。
「さあ」
 ああ、見るたびに色が変わるその目は――
「『今日は、僕らに何を教えてくれる?』」
 不変ではなかった。

 ずしん、

 彼の問いかけが、心に重く圧し掛かる。

 この『塔』の中では、お互いに会いたいと望めば、どの天使といつでも会うことが出来るのだと、エピタフは言った。
 ブリキの羽音が響き、ブランコが揺れ、陳腐な銃声がした。
真鍮の日に


■ブラス・キャンディ■


「えと、これで足りる?」
 すっかり温かくなった100円硬貨が6枚。駄菓子屋の店主(御ん歳81の婆さんだ)は、常連の少年がかご一杯につめた飴玉を見やる。この商売が長いから、いちいち数えなくても飴の数の見当はついた。
「ああ、足りるよ。でも、こんなにたくさん一度に食べちゃ、虫歯になるし、太っちゃうね」
「おれが食べるんじゃないんだ。あげるの」
「そうかい。じゃあ、包んであげよう」
「ありがとう! あ、袋は4つに分けてくれる?」
 少年は青い目をきらきらと輝かせて、満面の笑みを浮かべた。
 店主は彼の名前が石神月弥だということ、会うたびに歳をとったり若返ったりして顔や背丈が変わっているように見えること、宝石玉と金平糖が好きなことは知っていた。
 だが、彼が今日4つの菓子袋を抱えてどこに行くかは、知らなかった。


 月弥が飴が詰まった袋を何度も落としながら辿りついた先は、最早すでにそこに在ることが当たり前のようになっている、真鍮で出来た高い高い塔だった。この真鍮の塔の周りだけは、東京の喧騒から一歩退いたところにあるようで、塔内の真鍮のギミックや歯車が音を立てて動いているというのに――静かだった。
 ぷしゅう、がたん、ごとん、がこん、ぷしゅう、きいいいっ――
 ここに来る者は、ここに居る者が今何処で何をしているかということを心配しなくとも良い。
 お互いに会いたいと思えば、いつでも会うことが出来るからだ。
 月弥はそれを知っていて、強く信じていた。
 胸を刺すような真鍮の匂いの中に、彼はまったく物怖じせずに飛び込んだ。


「おや、また来てくれたね」
 開きっぱなしの入口をくぐってから3分と歩かないうちに、月弥はこの『塔』に住む4人の天使のうちひとりとばったり出くわした。お互いに会おうと思っていたからか――。月弥を温かく出迎えたのは、この『塔』の主だ。エピタフと名乗る、神父姿の天使。
「今日のきみは、随分と……小さいね。ここに来るときはいつも、背伸びをしているのかな――この国の中学生くらいに見えるんだ」
「おれが、まだ決めてないからだよ。……あ、これ、あげる」
 月弥は4つの菓子袋のうちひとつを、エピタフに押しつけた。エピタフがまばたきをした。かしゃっ、という音がしたようで、エピタフの蒼い目が一瞬にして茶色に変わる。
「それ、おれが好きなアメ。前、ランプとかモール美味しそうって言ってたじゃない? こっちのもきれいで、美味しそうだから」
 かしゃっ、とエピタフの目が蒼眼に戻った。
「わかった、ありがとう」
 月弥がぱたぱたと駆けていったあとに、エピタフが袋を開ける。
「ああ、確かに、美味しそうだ」
 中に入っていたのは、宝石玉と金平糖。ガーネット、ルビー、サファイア、トパーズ、アクアマリン、ダイヤモンド、エメラルドにも見えるのだ。


 真鍮で出来た三日月のオブジェを見つけて、月弥は何も考えずにその下に向かって走った。三日月から垂れ下がっていた鎖が見え始め、やがてその鎖はブランコを吊るすためのものであることがわかり、そしてブランコをきいきい漕いでいる月の子が見えた。
「ろうそくをこするとよく開くのよ」
 月の子は呟きながらブランコから降りた。月弥はにこにこしながら、3つに減った袋をひとつ手渡す。月の子は素直に受け取って、あさっての方向を見ながら袋をぺたぺたともてあそんだ。
「ああ、それ、お菓子。甘くて美味しいんだ。よかったら、食べてよ」
「これって、くうきね」
「ありがとう」
 月弥は月の子の手を取った。いつの間にか、三日月のオブジェはなくなり、礼拝堂じみたドームの中にふたりは立っていた。この『塔』は忙しなく姿形を変えていく。月弥はそそれに親近感を覚えていた。
「『塔』が変わった」
 月の子の手を引いて、月弥は歩き出す。
「近くに、風と話してるひとがいるかも。あのひとにも、アメ渡さなくちゃ。行こう」
 月の子はすでに金平糖を口の中で転がしていた。
 真っ白な彼女は頷きもしなかったが、月弥について走り出した。彼女の背にある真鍮の翼が、しゃらしゃらと音を立てていた。


 ある出来事があって、月弥は、自分がこの『塔』の頂上には行けないということを知った。月弥は、自分が人間ではないことを知っていたし、この『塔』が人間のためのものであるということも最近知ったのだ。
 今日の『塔』は吹き抜けが多い。頭上はるか遠くにある天井を見上げて、月弥は蒼い目をこらす。天井にはりついたような歯車が、無音でゆっくりと回っている。近くに行けば、或いは音が聞こえるかもしれない。
「何のために動いてるんだろう? おれが知らない理由が、たくさんあるんだね」
「うちゅうはひろいから」
「全部を知ったら、おれの頭なんかパンクしちゃうのかな――」
 月の子もまた、遠い天井を見上げた。
 音もなく、歯車がいくつもいくつも落ちてきた。
「わっ!」
 遠くにあるから小さく見えるけれど、あれはきっとかなり大きなものなのだ。月弥は慌てて、月の子の手を引き、広間の隅に避難しようとした。
「すだれのかべよ」
「えっ?」
 かちいんかちいんぱちいんぴちいん――
 月の子はそこを動かず、月弥も言われて立ち止まる。歯車は、落ちてきた。月弥が天使に渡した飴のように、小さな歯車だった。見えた通りの大きさで、歯車は落ち、床に吸い込まれてく。
「うわ、これ……」
 月弥はつめたい床に膝をつく。ぺたりと床を撫でて、彼は思わず溜息を漏らした。
 床が、歯車で出来ている。飴ほどの大きさの歯車が、びっしりと歯を噛み合わせて、真鍮の床を作り上げていた。
「すごいな……きれいだ」
 かち・ん――
 最後のひとつが、天井から落ちてきて、そして完成したようだ。
 月弥が跪く床の歯車が、一斉に回り始めた。
 こころが入っていない、空っぽの真鍮ばかりで出来た『塔』が、今は生きているように見えてしまった。
「船に女も乗せてやる! ヨウ・ホウ・ハイ! ラムもう一本!」
 聞き覚えのある声と音がした。月弥が顔を上げると、目の前にブリキのオウムが降り立つところだった。オウムをいつも肩に乗せている船乗りは――遠眼鏡で肩を叩きながら、天井から続いている螺旋階段をゆっくり下りている。
「……これ、あげるよ。あ、ひとつはあのソウル・ボマーのぶんだから」
『ルスイダウヨチクタガリア。タツカワイア』
 月弥が差し出した飴の袋を、ひとつはくわえて、ひとつは足で掴むと、オウムは飛び立った。古い海の歌を歌いながら階段を下りている船乗りが、手を伸ばす。その手の中に、オウムがくわえていた袋を落とした。
「おうおうおう、俺っち、ルビーは好物よ!」
 赤い宝石玉をひとつ袋から取り出して、船乗りはオウムのくちばしの中に放り込んだ。オウムが閉じたくちばしの中で、からんころんと飴が動いている音がした。
 オウムは螺旋階段を横切り、いずこかへと飛び去った。月弥の望み通り、狂った天使に飴を届けに言ったらしい。

「石ちゃん」
 不意に、月弥は月の子に手を引かれた。それはほんとうに不意のことで、月弥は言われるままに歩いた。かちかちと歯車が回る床を歩き、ガラスがはまっていない格子窓を、月の子は開けた。
「あ」
 そこに金色の三日月があって――
 ブランコが、東京の街の上にぶら下がっている。
「これ、さっきの……。ああ、船乗りさんが移動してくれたんだ……」
「石ちゃん、扇風機」
「いいよ。でもおれ、結構乱暴だからね」
 ふたりは仲良くブランコに乗った。月弥が立ち乗りをして、力いっぱい漕ぎ始めた。
 月の子が無表情なまま身を乗り出す――
 ふたつの月が、東京の街を飛んでいるようだった。
 月の子が真鍮の鎖から手を離した。背の翼が鎖に引っ掛かり、彼女が落ちることはなかった。空が見えたそのときに、月の子は月弥が渡した飴の袋の中身をばらまいた。雲ひとつない空が届ける陽光が、飴をきらきらと輝かせ、真昼の星を作り上げた。




<了>


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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【2269/石神・月弥/男?/100/付喪神】

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               ライター通信
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 モロクっちです。いつもありがとうございます! 今回は天使総出演(ソウル・ボマーは?)につき、文字数若干オーバーです(汗)。あわわ……削るところがみつからない。
 飴は4人とも美味しくいただいてます。月の子は変わった味わい方をしましたが(笑)。
 歯車の広間の描写に力入ってます。この状況説明で、不可思議なあの広間の雰囲気が伝われば幸いです。